第21回 ECOWASと国連PKO@PKOなう!

本コラムにある意見や見解は執筆者個人のものであり、当事務局及び日本政府の見解を示すものではありません。

2012年8月24日
国際平和協力研究員
おかだ えつこ
岡田 悦子

ECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)について

 ECOWAS[1]は、1975年にECOWAS設立協定によって創設され、加盟国は15ヶ国[2]を数えます。当初のECOWASの主な目的は、加盟国間の共同市場を形成することでしたが、地域安全保障をはじめとする経済的枠組よりも幅広い分野での協力を試み、特に1990年代初めに域内で紛争が生じてから、その傾向は顕著となります。1993年に、同設立協定を大幅に修正し、当初協定にはなかった地域安全保障条項を加えた修正協定が調印され、1999年には、「紛争予防・管理・解決・平和維持・安全保障メカニズムに関する議定書」[3]が調印されました。同議定書は、最高会議[4]、調停・安全保障理事会(MSC[5]、事務局[6]の機能について定めており、補助機関として、ECOMOGECOWAS停戦監視グループ)等に関しても規定しています[7]

ECOMOGECOWAS停戦監視グループ)

 ECOWASは、1990年代初めから平和維持活動を活発に行うようになり、その中心的存在として挙げられるのがECOMOGECOWASCease-Fire Monitoring Group[8]です。ECOMOGは1990年代にリベリア、シエラレオネ、ギニアビサウ[9]へと展開しますが、初めてECOMOGが派遣されたのはリベリアであり、1990年8月に域内大国のナイジェリアをはじめとする英語圏を中心とする2500人の兵士が首都モンロビアに展開しました。当初のECOMOGの任務は、その名称通り、武力行使を伴わない平和維持的なものと位置づけられていましたが、平和強制的なものへと変質していきます。そこで問題となるのが、ECOMOGの中立性です。ECOMOGは、リベリアにおいて停戦の履行を監視し、制憲及び大統領選挙を支援することには成功しましたが、紛争当事者として最大武装勢力であるNPFL(リベリア国民愛国戦線)との間で戦闘となり、中立性の問題に一石を投じました[10]。続いて、隣国のシエラレオネにもECOMOGが派遣され、クーデターにより転覆した文民政権を政権に復帰させ、同派遣が紛争解決に一定の役割を果たしたという評価があるものの、ECOMOGの法的根拠[11]に疑問を投げかける意見もあります。

国連PKOとの関係について

 近年、国連及び地域機構(準地域機構[12]を含む)との関係を強調する文書は多く存在しており、PKOにおける協力も例外ではありません[13]。地域機構が有する比較優位は、紛争国と密接な関係を有し、紛争当事国の理解を得やすい点、また、加盟国は、周辺国の内戦によって、難民流出、治安悪化、武器流出など深刻な影響を受けやすいため、より一層積極的に紛争解決に関わる必要がある点等が挙げられます。しかし、ECOWASをはじめとする地域機構は、国連に比べて紛争解決に関する歴史が浅く、また、財政的ロジ的制約等から国連のように長期間紛争国に平和構築のプロセスにまでコミットしていくことは容易ではありません。そこで、地域機構から国連へどのように権限を移譲していくか、どのような役割分担が望ましいかが注目されてきています[14]

[1]正式名称は、”Economic Community of West African States”であり、委員会はナイジェリアのアブジャにある。同機構の概要は、外務省(http://www.mofa.gi.jp/mofaj/area/africa/ecowas.html)を参照。

[2]加盟国は、仏語圏8か国、英語圏5か国、ポルトガル語圏2か国となっており、主要国はナイジェリア、コートジボワール、ガーナ、セネガルである。

[3]Protocol relating to the Mechanism for Conflict Prevention,Management,Resolution,Peacekeeping and Security,December1999を参照。

[4]同議定書第5条。最高会議とは、加盟国の国家元首ないし政府の首脳によって構成され、すべての事項について決定を行う最高意思決定機関である。

[5]同議定書第8条。MSC(Mediation and Security Council)は、9か国で構成され、最高会議に代わり、西アフリカの平和と安全に関する事項について決定を行うことができる。

[6]2007年1月の首脳会合において、事務局から委員会へと改編された

[7]ちなみに、同メカニズムが設置される前には、不可侵(1978年)及び防衛相互援助に関する議定書(1981年)が採択されている。なお、不可侵議定書は、国家間紛争のみを取扱う。防衛議定書には、紛争が生じた場合、加盟国が提供する部隊で構成される共同体連合軍(AAFC)を必要に応じ派遣できる旨規定されている。

[8]ECOMOGとは、各加盟国内で直ちに出動できるように準備された軍人および文民から構成される多目的待機部隊であり(同議定書第21条)、任務は、監視・モニタリング、平和維持と平和回復、人道的介入、制裁措置の強制、予防外交、武装解除と動員解除等がある(同22条)。調停・安全保障理事会によって、ミッション毎に特別代表及び軍総司令官が任命される。なお、ECOMOGの活動については、David J.Francis,Chapter6 “New Theatre of Wars and Civil Conflicts:Evolution of Security Regionalism and Peacekeeping Capacity in West Africain Uniting Africa?Building Regional Peace and Security System?,Ashgate, 2005に詳しい。

[9]1998年6月、ギニアビサウにもECOMOGが展開されたが、地域大国であるナイジェリア軍以外から構成される兵力は600人程度に過ぎず、数か月で撤退し、事実上の失敗に終わった。

[10]中立性の問題に関しては、落合雄彦、「ECOWAS停戦監視団(ECOMOG)とは何か」、NIRA政策研究、Vol.13,No.6, 2000年,pp.38-41.を参照。

[11]過去のECOMOGの介入に関しては、法的根拠が不明確であるという意見がある。詳しくは、落合雄彦編、「アフリカの紛争解決と平和構築~シエラレオネの経験~」、昭和堂、2011年、pp.14-15.を参照。

[12]ここでは、地域機構を大陸レベル(例:アフリカ連合)、準地域機構をサブ地域レベル(例:ECOWAS)を意味する。

[13]Titilope AJAYI, “The UN, the AU and ECOWAS? A Triangle for Peace and Security in West Africa?”,Friedrich Ebert Stiftung Briefing Paper No. 11,November2008. (http://library.fes.de/pdf-files/bueros/usa/05878.pdf)。

[14]例えば、シエラレオネでは、1999年のロメ和平協定(S/1999/777)において、ECOMOGと国連PKOの役割分担について言及し、ECOMOGからUNOMSIL(国連シエラレオネ派遣団)へと引き継がれた。また、リベリアやコートジボワールにおいても、先に展開していたECOMOG(コートジボワールについてはECOMICI)を国連PKOが引き継いだ。