第44回 中央アフリカ共和国情勢とECCAS(中部アフリカ諸国経済共同体)について@PKOなう!

本コラムにある意見や見解は執筆者個人のものであり、当事務局及び日本政府の見解を示すものではありません。

2013年4月12日
国際平和協力研究員
おかだ えつこ
岡田 悦子

はじめに

 前回まで、AU(アフリカ連合)、ECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)、IGAD(政府間開発機構)及びSADC(南部アフリカ開発共同体)について取り上げ、アフリカの地域機構のシリーズを終えようとしておりましたが、最近、中央アフリカ共和国の情勢が緊迫化してきており、今回は中部アフリカ諸国が加盟する準地域機構であるECCASEconomic Community of Central African States)の概要及び同国への対応について取り扱いたいと思います。ECCASは、AUECOWASをはじめとするアフリカの他の地域機構と比較すると、あまり存在感のない機構ではありますが、同機構は1983年に設立され[1]、加盟国は本部のあるガボン[2]やコンゴ(民)を中心に10か国[3]を数えます。

ECCASの組織構造

 1983年にECCAS設立条約[4]の署名が行われ、同機構の主なミッションは、調和的協力の促進及び強化、能動的な発展であり、1999年には、経済社会統合に不可欠な平和維持及び安定をはじめとした4つの優先分野が設定されました[5]。同機構の構造は、最高機関である国家元首会合をはじめ、閣僚会議、協議委員会、裁判所(未設置)及び執行機関である事務総局があります[6]。また、平和安全保障分野においては、1999年にCOPAX(平和安全保障評議会、Conseil de Paix et de Securite de l'Afrique Centrale)が設置され、翌年にCOPAX議定書が採択されました。同年、”Gabon2000”という名の平和維持分野における加盟国の紛争予防及び管理における能力向上を目的とする軍事演習も実施されています。また、2001年に国連との協力における総会決議も採択され、同年国連オブザーバーとしての地位を取得しました[7]

中央アフリカ共和国に対するECCASの対応

 同国は1960年に仏から独立しましたが、6年後にクーデターが発生して以降、不安定な情勢が続いており、特に昨年末以降、情勢が緊迫化しています[8]。ここでは、同国の情勢に対するECCASの対応について簡単に見ていきます。同機構は、昨年末の情勢悪化に対して、今年1月に外相閣僚会議を開催し、仲介役として、セレカ(Seleka[9]反政府勢力代表も含めた当事者との停戦合意の話し合いを進めてきました[10]。同会議コミュニケの中で、諸都市を占拠し続けている反政府勢力の即時撤退を要求し、同国危機脱出のための地域的アプローチの優先づけに関して述べました。

 1998年~2000年の間、MINURCA(国連中央アフリカミッション)[11]が展開しましたが、ECCASの枠組みにおいては、2002年にFOMUC(中央アフリカ多国籍軍、Multinational force in the Central African Republic)が設置され、2008年にMICOPAX(平和定着ミッション、Mission for the consolidation of peace)が設立されましたが、同ミッションの主なマンデートには、文民の保護、領土保全、国民和解プロセスへの貢献、ボジゼ大統領による政治対話の促進があります[12]。今後、同機構が域内の紛争予防・管理に対してどのような対応をしていくのか、DDRプロセスの停滞、SSR改革、法制度等、問題は山積みであり、仲介的な役割にとどまるにしても、地域的アプローチが一層高まっていくのか注視していきたいと思います。

[1]同機構の公用語は、英語、仏語、西語及びポルトガル語である。

[2]本部は同国の首都リーブルビルにあり、同国は42年間も政権に君臨していた故ボンゴ前大統領が長年サブサハラ地域の仏政策のキープレーヤーとなっていた。

[3]他に、アンゴラ、ブルンジ、カメルーン、中央アフリカ、チャド、コンゴ(共)、赤道ギニア、サントメ・プリンシペ。なお、原加盟国であったルワンダは、加盟している他の機構との重複から2007年に脱退した。

[4]同条約は、1984年発効したが、加盟国の一部における紛争が要因となり、1992年~98年の間、活動が中断した。同条約の詳細については、(http://www.iss.co.za/AF/RegOrg/unity_to_union/pdfs/eccas/eccastreaty.pdf)を参照。

[5]他に自律的金融メカニズムの設置等がある。

[6]詳細については、同機構ウェブサイト”Presentation de la Communaute Economique des Etats de l'Afrique(http://www.ceeac-eccas.org/index.php?option=com_content&view=article&id=2&Itemid=2)を参照。

[7]国連との協力に関する総会決議(2001年、第55/22号)、”La CoexistenceCEEAC-CEMAC:Une necessite?”(http://www.fpae.net/story/coexistence-ceeac-cemac%C2%A0-necessite%C2%A0)を参照。

[8]同国の情勢に関しては、外務省地域情勢(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/car/data.html)を参照。なお、ここでは2013年3月末現在までの情勢を見ることとする。

[9]同勢力は、主に北部出身者から構成され、リーダーが分散している。昨年12月以降、諸都市を占拠し、今年1月に和平合意が締結され、2月、同勢力を含めた挙国一致内閣が組閣されたものの、翌月、同勢力は首都バンギに侵攻し、ボジゼ大統領は国外脱出した。

[10]2007年にリーブルビルで署名された和平合意に関してもECCASが仲介役を果たした。

[11]安保理決議第1159号(1998年)。その後、BINUCA(国連統合平和構築事務所)が設置。

[12]チャド軍を中心に加盟国から400人の部隊を派遣し、2010年に150人からなる警察部門及び政治部門が設立。なお、マンデートは2013年末まで。”Historique de l'operation MICOPAX” (http://www.operationspaix.net/77-historique-micopax.html) を参照。