国際平和協力リレー・メッセージ

国際平和協力リレー・メッセージ 第2回 小林 秀紀さんimg

<写真>ルワンダでの治療

小林院長は1994年、PKO法に基づく初めての人道的な国際救援活動である、ルワンダ国際平和協力隊の医官としてご活躍されました。自衛隊は、140万人を超えるルワンダ難民が流入していた隣国のザイール(現:コンゴ民主共和国)で活動したわけですが、どのような思いでこの業務に携わることになられたのか、教えていただけませんか。

 ザイールに流入したルワンダ難民が、1日2000人くらいばたばた亡くなっているということで、当時の国連難民高等弁務官でいらっしゃった緒方貞子さんが、「自衛隊でなんとかしてくれないか」、ということで行きました。ただ、自衛隊始まって以来ですから、医療支援をするといっても、どうしたらいいか全然分からない。NGOや国際機関が行っている業務をイメージして現地に行ったら、全然違ったんです。国家から派遣された組織ってことで、我々にはもっと大きなことを期待するっていうんですね。ゴマ(注:ザイール東部、ルワンダとの国境にある都市。自衛隊が活動した。)にはWHO(世界保健機関)も来ていて、彼らと話しても、やはり、国家から派遣された組織に対する期待っていうのは全然違うと。NGOのやることとは違って、例えば手術をしてくれとか、レントゲン検査だとか、細菌学の検査をしてくれと。

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ゴマに到着

 ゴマでは、コレラや赤痢でばんばん人が死んでいるという話を聞いていたのですが、我々が実際に行って、便検査をやって細菌学的に調べたらコレラも1、2件、普通の赤痢なんかほとんどなかったんです。どういうことかというと、検査ができないので、WHOなんかは水様便で亡くなったらコレラ、血便で亡くなったら赤痢みたいな、そういう判断をしてきたわけです。実際は、病原性大腸菌でした。我々には結局そういう、NGOにはできないような、より高度な医療が求められていたんです。
 我々が支援したゴマ病院には建物はありましたけど、中はがらんどうでした。手術室、病室を開けてみると何にもないんです。そこに我々が、麻酔キットとか、薬だとか毛布だとかベッドだとかを運び入れて、ナースを雇って、色々研修とかやったわけです。それから衛生検査について検査場に対していろんな機材を寄付して、その機材を使って、現地の衛生、臨床検査技師に、例えばマラリアの見方とか、そういうのを全部教えて、彼らができるようにする。そういうことをやったんです。

プロフィール

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小林 秀紀

自衛隊中央病院長

 1949年東京都に生まれる。1976年東京医科歯科大学卒業。1990年陸上自衛隊入隊(2等陸佐)。

 入隊後は、自衛隊中央病院外科医官、同第3外科部長、1994年救援隊医務官としてルワンダ難民救援国際平和協力隊に参加。

 現在はスリランカ平和構築及び復旧・復興担当日本政府代表、(財)国際文化会館理事長、(財)ジョイセフ(家族計画国際協力財団)会長、明石塾塾長などを務める。

 帰国後は、同第4外科部長兼第3外科部長、1999年から北部方面総監部医務官、2001年から陸上幕僚監部衛生部企画室長を経て、2002年陸将補へ昇任。同年自衛隊熊本病院長、2003年から陸上幕僚監部衛生部長、自衛隊札幌病院長を経て、2006年陸将へ昇任。同年自衛隊中央病院副院長。2010年4月から防衛技官として自衛隊中央病院長へ就任。日本外科学会、日本消化器外科学会指導医。

 蛾の採集が趣味で、日本蛾類学会に所属し、新種を数多く発見、家族の名前を命名するなど、蛾博士として日本各地を巡っている。共同著書として「日本蛾類標準図鑑」(学習研究社)がある。

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ゴマ病院との交渉img

ゴマ病院との交渉

 日本とは全く違う環境下で働くという点、また隊員の健康管理という点で、特に苦労されたご経験や、印象に残っているご経験はありますか。

 これは予想通りでしたが、エイズがものすごく流行っていました。今と違って、当時はエイズは死に至る病です。感染のおそれも非常に高く、WHOの出先機関が、なんとか対処できないかということで、我々は、HIVにもし感染したらこうしろというもの(プロトコール)を全部作って、実施しました。
 一度、銃撃戦がありまして。大腿動脈を撃ち抜かれた患者が、自衛隊のゴマ駐屯地の前に捨て去られていったことがあるんです。出血していますから、うちの医官のひとりが思わず素手で押さえちゃったんです。そのまま駐屯地内に引き入れて、大腿動脈を縫う手術をして、うまく止血できて、その患者はその夜ゴマ病院のほうに装甲車に乗せて送って行って、入院させたんですけどね。
 本来だったら、血液ってものはエイズの感染に一番の経路なので、スタンダードプレコーション(標準予防策)して、手袋をはめてなくちゃいけないんですけど、いざって時になるとそれができないんです。それでしばらく落ち込みましたね。幸い感染していませんでした。

ゴマ病院での治療img

ゴマ病院での治療

 現地であれがないこれがないというように、困った経験もあったのではないかと思うのですが、具体的にそういうことはありましたか。

 まずはその国の医療事情に合わせた薬を使うということですね。高度な抗生剤などは使わない。向こうの医療レベルに合わせたことをやる。そうじゃないとそれは、我々が帰った後なくなってしまいますから。もう一つは、ODAとかJICA(国際協力機構)などとも協力しあって、我々が引き揚げた後も、資金援助とか医療援助とか民間の手でできるように手配してから撤収してくる、ということですよね。

 困った経験としては、行くときに色々機材を検討して、あれもこれもとできる限りのものを持って行きましたが、実際向こうに行って、例えば病院で手術をすると、現地の機材も使うわけです。そうすると日本のものと違うので、やっぱり苦労しましたし、麻酔器なんかも、麻酔のガスを入れるジャックが合わないために非常に苦労して、わざわざナイロビまで行ったりジュネーブまで行ったりして探しました。その後は必ずジャックの代わりを持っていくようになりましたね(笑)

 話は変わりますが、現地で活動する国際機関、NGO等、いわゆる文民の組織との協力という観点から、何か感じられたことやエピソードがあれば教えてください。

 そうですね、やっぱりNGOと自衛隊はやることが違いますからね。まず行ったときに、国際赤十字の野戦病院に行って、我々自衛隊が来ました、何か助けることありませんかと言ったら、じゃあまず鉄条網を持ってきて、周りを囲って警備してくれって。
 海外から見たら自衛隊も軍隊なのですが、我々にはそういうことは、法律的に許されませんからね。NGOが我々に一番求めているのは、やっぱり治安の安定、輸送、それから資材の提供、そういうものなんです。治安に関しては、我々は法律的に何もできないですから、残念ながら。輸送に関しても、任務は決まっているから、先方の要求に従った輸送はできないんです。だから資材の提供にしたって、なかなかうまくいかない。
 そういう意味では、当然我々は国家から派遣されたんだから力もあるし物資も豊かだしね。向こうは民間だから、なかなかそういうような安全確保の警備費用がない。全部頼ってくるわけです。そういうことに応えられるようになればいいのですが、なかなか応えられないので、できる範囲で色々工夫してやりました。

小林 秀紀さん

そういう面では、NGOと我々は対等というより、やはりNGOは我々を頼りにしているんだな、というのをひしひしと感じましたね。
 それから、我々は国連の要請で行きましたが、人道的な国際救援活動ですから、国連の指揮下に入りません。だから広域の医療制度を我々が構築して、それをUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)やWHOにこうしてくれ、こうしてくれと言う必要があったんです。その辺は同じPKO法に基づいた活動でも、国連PKOの中に入るのとは全然違う形です。今の南スーダンだとかハイチだとか、国連PKOに派遣された活動では、国連の統制下に入るので、なかなか思うようにはいかない部分もあると思います。

 ルワンダで国際平和協力業務をされた経験というのは、その後の小林先生のご活躍にどのような影響を与えているでしょうか。

 自衛隊には外科医官として入ったので、ずっと病院で、癌の手術だとか、そういうことをしていたわけです。それで、突然こういう話が来て。とにかく海外医療支援なんてやったこともないし、予想もしなかった。それから次々と、イラクも、ハイチもありましたし、国緊隊(国際緊急援助隊)もありますしね。災害派遣だとか国緊隊とかいうことに関して、これはやはり自衛隊の役割だなってことが明確になって。それについてのノウハウも蓄積できて。
自衛隊の医官としては、病院の診療だけじゃなくて、こういうこともあるんだ、また、色々と医療行政をしなくちゃならないんだってことが分かりました。自衛隊の、自衛隊衛生における仕事について、目が開けたっていう気がします。病院の中でがん患者を手術してるだけではないんだなっていうことが分かりましたね。

ゴマ病院にてimg

ゴマ病院にて

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現地スタッフ

 自衛隊だからこそできることというのがある。大きく違うんでしょうか。

 レントゲン技師、臨床検査技師、それからナースもたくさん必要だし、あとは施設を建てたり、レントゲン機材を運搬したり。そういうのは自衛隊的な規模じゃないと無理だと思います。NGOではやはり、テントを建てて、来た患者さんにお薬を渡す以上のことはなかなか難しいと思います。
 自衛隊は国家から派遣された実力集団ですから、いい加減なことはもちろんできない。日本を代表しているから、なんだ日本は、って言われたくないでしょ。やはり、さすが日本だって言われたい。
 ゴマに孤児院のようなものを作っているNGOがあって、ある日そこの保母さんが、この子は足を切らなくちゃなんないって他国の軍医に言われたけど、なんとかならないかって相談に来たんです。もうこんな腐っていたらどうしようもないと思ったけれど、洗ったり、少しずつ、腐った骨を取り除いていったら、ひと月ぐらいで治ったんです。すごく喜んじゃって。これはやっぱり、どうだ日本すごいだろうって、自慢になりますよね。普通日本人が持っているような思いやりだとか、日本としていい加減なことはできないだとか。きちんきちんとやって、現地の信頼を得ることで、後々日本人の役に立つのじゃないかなっていう感じがしましたね。

 最後になりますが、現在活動している国際平和協力隊員の方々と、これから国際平和協力分野で活躍していきたいと思っている若い方々に対するメッセージをお願いします。

 国家とか、国旗を意識しますよね、外国に行くと。結局、派遣先国の人々からの評判っていうのは、日本はどうだっていう話になるんですよね。だから日本を背負って立つつもりで仕事をきっちりやれば、そいつは日本だってことになるし、いい加減なことやると日本は駄目だなってなる。国旗を背負っているということを、やむなく意識しちゃうんですけどね。
 現地で一番大切なのは健康管理と語学です。健康管理はきちんとする、ウォーキングなどきちんと運動するとかね。語学はボディランゲージでOKだから、単語をいっぱい覚えておけば、なんとかなります。そうやって語学と健康を維持して、日の丸を背負ってやってきてほしい。元気にやってもらいたいと思います。

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任務完了・帰国

2012年4月23日、自衛隊中央病院にて
聞き手: 堀川 拓郎、田中 極子、外山 聖子
撮 影: 堀川 拓郎

バックナンバー:

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