国際平和協力リレー・メッセージ

国際平和協力リレー・メッセージ 第6回 菅野 隆さんimg

<写真>日本の武道を披露する菅野隊長

 ハイチ派遣国際救援隊長として同国で勤務されていますが、現在どのような活動を行っているのですか。また、着任して感じたハイチの印象やエピソードをお聞かせ下さい。

 ハイチ派遣国際救援隊は、2010年1月のハイチ地震後に派遣された国際緊急援助隊に続き、2月に派遣、活動を開始した、国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)のもとで活動する部隊です。これまで施設活動を実施していましたが、10月15日の防衛大臣命令を受けて撤収活動を開始しました。

 我々は、これらの活動に併せて、MINUSTAH内での円滑な関係を構築するための各国派遣部隊との交流、活動環境をより安全なものとするために活動現場近傍の地元の人達との文化交流等も実施してきています。

司令官訓示を受ける菅野隊長img

司令官訓示を受ける菅野隊長

 特筆すべき事項として、施設活動の一環として政府や国際機関が推薦した人々に対して約1カ月にわたる重機の操作教育を4次要員、6次要員を含め4回、そして現在、約1か月にわたる整備教育を10月末までの予定で実施中です。なお、これらの取組を総称して「KIZUNAプロジェクト」と呼んでいます。

プロフィール

菅野 隆さんimg

菅野 隆

ハイチ派遣国際救援隊長

 1965年愛媛県に生まれる。1989年防衛大学校卒業後(第33期生)、陸上自衛隊に入隊。同年、第36普通科連隊小隊長に。2000年から第40普通科連隊中隊長。
 その後、陸上自衛隊幹部学校教育部、陸上幕僚幹部教育訓練部教育訓練計画課、同運用支援・情報部運用支援課、同防衛部情報通信・研究課等での勤務を経て、2011年から第35普通科連隊長。
 2012年8月からハイチ派遣国際救援隊第7次隊長を務める。
 趣味は、ツーリング、ランニング、読書。

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「KIZUNAプロジェクト」:重機の操作教育img

KIZUNAプロジェクト」:重機の操作教育

 ハイチ地震による被災から2年強、未だ状態の悪いインフラが散見されることに加え、避難民キャンプも存在してはいますが、国内の政治状況は少しずつではありますが前進し、ハイチ国家警察も徐々に機能を発揮し始めている印象を受けています。日々、活動現場との往復の際に車窓から見える街行く人々からは強いエネルギーを感じます。

 日本がハイチにおいて国際平和協力業務を開始して2年半以上が経過しましたが、我が国の活動は、現地の人々や国連関係者、他国要員等からはどのように評価されていると感じますか。

 まず、他国からの派遣部隊、隊員の印象から話したいと思います。MINUSTAH軍事部門は、南米、アジア、中東からの派遣部隊により構成されていますが、ほとんどの国の隊員は、我々に対して「親近感」を持って接してくれていることを肌で感じます。そしてこの良好な感情は、我々のこの現地での活動を容易にしてくれています。
 この活動環境は、先人・先輩方が築き上げられた貯金によることに他ならず、感謝せずには居られません(このことを論語の故事成語をもじり、我流造語で「温故知愛(おんこちあい):故(ふる)きを温(たず))ね、(先人の)愛を知る」として隊員に話しています。」。と同時に、私は、常々日本隊の隊員に、「我々がやるべきは、貯金を使うことではなく、日本の将来を担う子供達のためにこの貯金を更に上に積み重ねていくことである。」とよく話をしています。
 そのためには、国際平和協力活動の現場にあっても、「本来の日本人らしさ、日本の自衛隊員らしさを忘れることなく活動せよ、すなわち、我々は、国際平和協力活動の現場においては、一人ひとりが部隊の、自衛隊の、そして日本の代表であることを肝銘せよ。」と強調しています。現地で活動する我々ユニフォームの一挙手一投足が、日本のイメージを強く形成すると考えるからです。
 そして、毎日朝礼時、「日本隊の誓い」を全員で唱和することとしています。

日本隊の誓い
  •  日の本の代表として誇り高く堂々と規律と品位を保持しよう
  •  初心を忘れず油断せず安全確実に各個の役割を全うし任務を必遂しよう
  •  一致団結相互の関心と感謝の気持ちを持とう
  •  誠意をもって笑顔で明るく全力を尽くそう
  •  全員で元気に水と緑豊かな美しい祖国に帰ろう

 具体的には敬礼(挨拶)の確行、端正な服装・容儀、車両停車時の整頓を始めとした活動規律の遵守、誠実な仕事(時間、約束を守る、作業規律の遵守、質の高い成果物の追求、安請け合いをせず問題がある場合は意見提出をする等)を心掛けています。また、国連関係者、現地人に関わらず誠実に対応するよう指導しています。さらに、活動地域においては「スーパーうぐいす嬢作戦」(選挙活動のうぐいす嬢をもじり、イラク復興支援活動時に車両で移動する際に自衛隊員から積極的に手を振ることにより安全な活動環境を醸成)を展開しています。
 我が国の活動については、全般的に高く評価されていると思います。日本隊はその軍事部門における工兵部隊であり、日本における「施設部隊」です。工兵部隊は、本来、軍事作戦でダメージを受けたインフラを、危険な状況下で迅速かつ安全に応急補修、応急整備するといったことが役割の一つとして期待されている機能です。その成果物は、通常の土木作業の成果物に求められるような長期間の使用を想定していません。
 しかし、我々は、現在、戦場で作業をしている訳ではなく、復興の局面です。そのため、現に我々に求められる作業は、一般の道路の補修であったり、公共施設の排水溝の整備であったり、あるいは小学校のグラウンドの増設であったり、プレハブの構築であったり、今後、ある程度長期間の使用が見込まれるものが主体です。
 これらを踏まえ、日本隊としては、しっかりと見積を行い、期日を守ることに加え、将来の使用を見込み不具合の発生しない工事を追求しています。これまでの6回にわたるローテーションに参加した、約2000名全ての隊員の努力の上に我々の活動を積み重ねてきたことが、信頼につながっていると思います。

施設活動に従事している日本隊の隊員img

施設活動に従事している日本隊の隊員

 ここで、少しエピソードを紹介したいと思います。我々が既に撤収任務も帯びていることはMINUSTAH司令部も理解していますが、クオリティが求められる作業の依頼や、一筋縄ではいかない案件、問題が発生している現場でのアドバイザーとしての意見をたびたび求められています。また、車両や機材の修理や整備についても、各国派遣隊から相談がよくあり、施設作業以外の場面においても頼りにされているようです。
 次に、施設作業完工時の引渡式でのリクエスター(作業の要請者)の印象的なコメントを紹介します。
「ハイチ中の土木技術者をここに集めて見せてやりたい。日本隊の仕事は素晴らしい。日本の部隊をたくさん派遣してくれれば、この国の復興は直ぐに達成できるだろう。」
「日本隊は、作業の節目において我々に進捗状況を説明するとともに、その都度、要望を細かく確認してくれたので作業結果に対して何の不満もない。また、期限もしっかり守ってくれた。本当にありがとう。」

日本隊の施設活動で使用されている重機img

日本隊の施設活動で使用されている重機

 日本隊には属していませんが、MINUSTAH司令部U-4(後方兵站部)とU-8(施設部)にも、陸上自衛官が派遣されており、日本隊と密接に連携しながら勤務しています。彼らの司令部での誠実で着実な業務による信頼の獲得も、日本隊の評価に繋がっていると感じています。これらの評価は、視点を変えると国際緊急援助活動から開始されたこの国での活動の積重ねでもあり、これまで派遣されてきた歴代の隊長、隊員、司令部幕僚、そして内閣府国際平和協力本部事務局連絡調整要員の努力の結晶でもあると思います。
 最後に、国連はPKO活動従事者の服務について、今、極めてナーバスになっているように感じます。1人の隊員の服務事故であっても、状況によっては反国連勢力に活動の口実を与え、活動環境を悪化させるばかりではなく、国際世論の共感が得られなくなる恐れがあるからです。そのような状況にあっても、日本隊の服務規律は厳正であると大いに評価して頂いており、今後もしっかりとした勤務をしていきたいと思います。

 第35普通科連隊は東日本大震災等でも救援活動を行ってきましたが、同じく震災で大きな被害を受けたハイチでの活動にあたり、どのような思いで取り組まれていますか。

 震災当時、陸上幕僚監部で勤務していましたが、震災直後の定期異動で、第35普通科連隊長を命ぜられ、連隊が所在する名古屋ではなく、当時の活動の現場である宮城県に直接赴任し、現地で約2か月間活動を指揮しました。実オペレーション中の部隊長交代としては陸上自衛隊で初のケースであったと思います。この時、既に人命救助の段階は終了し、行方不明になった方々を傷つけないよう丁寧に捜索しつつ、並行して復旧活動を着実に行うことを心掛け、部隊を指揮しました。また、我々は非常事態時における自治体機能を一部代替する役割も期待され、実際担っていましたが、活動の進展に伴い、自治体の機能発揮を少しずつ促していくことにも心掛けました。つまり、現地からの撤収とはその申送りの完了を意味しました。
 ハイチにおいては、一般的な復旧の施設活動に加え、ハイチ人自らの復旧を促すため、「KIZUNAプロジェクト」を実施しております。我々は施設科職種を中心とした部隊であり、ブルドーザーなどの建設機械の操作技術や整備技術、そして教育のノウハウを有しています。MINUSTAHの支援の下、これらの技術をもってハイチ政府やIOM(国際移住機関)から差し出された現地の人々を教育し、公的資格を取得させ、さらに彼らの修得した技術を差出元の政府や雇用サイドに直接披露する場を設け活用を促す、あるいはマッチングさせるといった総合的な取組を行っています。このような取組は、陸上自衛隊においては、UNMISET(国連東ティモール支援団)の頃から模索され始め、MINUSTAHにおいて概ねの枠組みが整ったものです。そして、今、MINUSTAHからも高く評価されています。公的資格とリンクした現地の人達への教育は、これまでに例はなかったものと認識しています。
 大変な状況にある地域(国)や人々が立ち上がるのを支援し、立ち上がったならば、そっと手を取って歩くことを優しく促す、といった点においてハイチにおける活動も東日本大震災での救援活動も本質的に同じであり、異なるのは日本国内での活動か否かという点であると思います。いずれにしても、困難な状況におかれている方々の立場に立ち、そして、その将来を考えつつ活動することが大切であると考えています。

「KIZUNAプロジェクト」:ハイチ技術者への教育img

KIZUNAプロジェクト」:ハイチ技術者への教育

 今年は、PKO法制定から20年になります。菅野1佐のこれまでのPKOとの関わり、そして節目の年にPKOの現場に立って感じる思いをお聞かせ下さい。

 20年と言えば、私個人ですと、これまでの陸上自衛官の人生と概ねオーバーラップします。
 1989年の入隊当初は、冷戦終結直後であり、自衛隊は国土防衛の抑止力としての役割を主に求められていた時代で、海外で活動するなどとは夢にも考えられませんでした。しかしながら、湾岸戦争後の海上自衛隊の掃海艇の派遣、そして国内の雰囲気が急速に変化しPKO法が成立、引き続きUNTAC(国連カンボジア暫定機構)への派遣に繋がっていきました。
 それ以降の10年は、私は国際平和協力活動とは距離がありました。小隊長当時、UNTACへ同一師団内から部隊が派遣されたことを印象深く覚えていますが、それ以降は長く縁がありませんでした。しかしながら、2003年に陸上幕僚監部での初めての勤務で教育訓練部に配置されて以降、同活動に間接的に関わる機会が次第に増えたように思います。
 統合運用体制への移行前の時代、国際平和協力活動については、陸上自衛隊の部隊を派遣する場合は、その運用について陸上幕僚監部防衛部運用課が所掌の幕僚組織として機能して、陸上幕僚長が大臣を補佐する形であったところ、2006年の統合運用体制移行後は、統合幕僚長が大臣を補佐する形になり、陸上幕僚長はフォースプロバイダーとして措置の観点から補佐する役割となったため、陸上幕僚監部から運用課が廃止され運用支援・情報部運用支援課が立ち上げられました。
 私は、2008年のこの節目に新設された同課に配置となり、「国際活動方面隊等指定」制度の立ち上げを担当しました。これは、統合運用体制への移行及び国際平和協力活動の本来任務化に伴う、自衛隊全体の運用体制の整備に合わせて、陸上自衛隊の態勢を律する制度の一つとして検討されたもので、国際平和協力活動への部隊派遣を、求めに応じ迅速かつ継続的に行うための制度です。さらに言い方を変えると、平素から方面隊持ち回りで所要の隊員と装備品を指定し、陸上自衛隊として、いつでも部隊を出せる準備をするといった仕組みです。
 国際緊急援助活動や在外邦人輸送などの待機態勢の制度については既に整備、施行されていたものの、方面隊でそれを大きく超える隊員と装備品を原則として常時指定することなど、今から思えば、当時の検討段階においては一般的には途方もないことだったと思います。
 我が国のそれまでの国際平和協力活動の実績等を踏まえながら、陸上幕僚監部内の各所掌の知見と協力を得つつ、また各方面総監部にも建設的な意見の提出を受けながら、陸上自衛隊の総合力により、どうにか滑り込みで制度化に漕ぎ着けたといった印象です。まさに、産みの苦しみではありましたが、私にとって決して忘れることのできない印象的な半年でありました。その後、運用支援課企画班先任として同制度のフォローアップや関連事業、また個別の活動計画等について、班長の指導を補佐する機会を得ました。
 2009年から、陸上幕僚監部の防衛部情報通信・研究課総括班長として勤務した際には、教訓業務の制度化を担当させていただきました。この制度は、部隊の実運用の結果、得られた知見やアイディアを、その後の部隊の行動やその基盤整備に反映させるといった枠組みであり、イラク復興支援活動の際に、その必要性が強く認識された制度です。制度化にあたっては、米陸軍の教訓の制度、米陸軍の教義司令部のもとにある教訓センターを中心とする組織等、米陸軍を参考に、研究本部の研究成果を基礎として、さらなる深化を図りました。米陸軍の教訓センターには、幸運にも教育訓練部の担当時代に研修したことがあり、その時の経験が役に立ちました。
 なお、教訓業務の制度についても、国際平和協力活動方面隊等指定同様、自衛隊として初めての試みではあったのですが、統合運用体制移行後2年を経過し、自衛隊として運用が常態化するなど、既に機が熟していたことも幸いし、陸幕内関係所掌の多大なる協力を得ることができ制度化にたどり着けたものです。足掛け6年にわたる先人の努力の積み上げがあったからこその制度化であったと思います。これも組織の総合力の結果だと思います。
 今、国際平和協力活動の現場に立っておりますが、本当に頼りになるプロフェッショナルな約350名の隊員達とともに日本を代表して活動する機会に恵まれ、この部隊を指揮していること、そして、かつて本活動のような国際平和協力活動を支える制度の一つの立上げを担当する機会に恵まれ、その制度を当事者(派遣部隊指揮官)として実際に現場で確認する機会を頂いていること等、本当に幸運な巡り合わせを頂けたと思っております。
 また、本活動がPKO法制定20周年の記念すべき年の活動であること、統合運用体制移行後初の部隊撤収業務を帯びた国連平和維持活動であること等、その特筆事項には枚挙に暇がありません。
 このような時期にこのような場を与えて頂けたことを光栄に思い、統合幕僚長、陸上幕僚長、中央即応集団司令官、補給統制本部長そして、中部方面総監、第10師団長、その他これまで御指導いただいた全ての方々、私の留守部隊の副連隊長以下、そして派遣隊に貴重な隊員を差し出して頂いている各部隊長、隊員の御家族、現在支えていただいている多くの方々、家族、そして祖国に対し、心より感謝するとともに御期待に添うよう、初心を忘れず油断せず、隊の仲間たちとともに全力を尽くして参りたいと思います。
 また、ここハイチにも、我々以外に外務省、内閣府、国連機関、国際赤十字、PKO、企業の方々等約40名の日本の同胞の方々が活動されております。同じ日の丸を背負う仲間としてしっかりと連携して参りたいと思います。

 将来、国際平和協力分野で活躍することを目指す若者や学生に対し、一言メッセージやアドバイスをお願いします。

 自分は何のために国際平和協力の分野で働くのか、その目的を確立すること、そして、歴史や文化などについて日本のこと、そして関係する国々のことを正しく知ること、大きくこの2点が大切であると思います。あるいは、この順番としては逆であるかもしれません。いずれにしても、「立ち位置」をしっかりさせることが何よりも重要だと思います。
 活動に当たっては、如何なる分野であっても日本の国旗を背負っている、日本国、日本人の代表である、との気概を常に持っていただきたいと思います。
 余談ですが、国連ミッションの軍事部門の活動においても女性の参加は歓迎されています。実際、MINUSTAH司令部においては女性の将校、下士官が多数配置されています。また、国によって幅はあるものの、各国派遣隊でも通訳、総務・人事、衛生、後方支援等の分野で活躍しています。
 また、国際平和協力隊派遣隊員への応援メッセージを全隊員で読ませていただいております。皆様からの心温まるメッセージを拝見し、隊員一同、皆様の期待に応えるべく、残りの任務に全力で取り組む決意を新たにしたところです。

派遣隊員への応援メッセージ紹介ページへ

ハイチの子供に折り紙を教える日本の女性隊員img

ハイチの子供に折り紙を教える日本の女性隊員

2012年10月29日、ハイチにて
プロフィール用写真: 鍋島朋子氏による撮影
その他の写真: ハイチ日本隊提供

バックナンバー:

第1回 明石 康さん第2回 小林 秀紀さん第3回 世取山 茂さん第4回 生田目 徹さん第5回 中満 泉さん第7回 伊東 香織さん特別編 ルー大柴さん

「国際平和協力リレー・メッセージ」では、国際平和協力法制定20周年を記念し、国際平和協力に関係のある著名人や元国際平和協力隊員の方々からのメッセージを掲載しています。