第118回 平和構築に資する教育を考える(前編)

本コラムにある意見や見解は執筆者個人のものであり、当事務局及び日本政府の見解を示すものではありません。

  • 2024年3月29日
  • 国際平和協力研究員
  • はたけやま しょうた

  • 畠山 勝太

平和構築のための職業・スキル教育の限界

国際平和協力には、平和維持・平和構築・人道支援の3つの重要な活動があり、紛争の再発防止を担う平和構築分野での人的資源開発においては、若年層が武装勢力やテロ組織に参加を促す動機となっている若年層の雇用問題を解決するために、職業訓練などが取り組まれてきた[1]。とりわけ、職業・スキル教育は武装解除・動員解除・社会復帰(DDR)を実現する手段の一つとして注目され、当初は男性兵士であった者達のみに焦点が当てられた[2]。しかし、このアプローチの限界が明らかになるにつれ、元兵士の性別を問わなくなり、さらに元兵士と元兵士を受け入れるコミュニティの双方に焦点を当てた職業・スキル教育が展開されるようになった[3]
しかし、職業・スキル教育が平和の実現に貢献するという議論には二つの仮定が含まれている。一つ目の仮定は、雇用問題や貧困が紛争につながっているというものである。しかし、字数の関係でこの仮定の吟味は本稿では行わない。そしてもう一つの仮定は、職業・スキル教育が雇用・貧困問題を解決できるというものである。しかし、これは紛争後という文脈を考えると、かなり強い仮定である。
職業・スキル教育に限らず、教育全般が雇用や貧困問題を改善するというのは人的資本論に依拠した議論である。人的資本論自体はかなり古くからある概念ではあるが、1960年代にシュルツ・ベッカー・ミンサーなどのアメリカの経済学者が発展させた概念である。人的資本論の肝は、人が持つ知識やスキルを工場や機械、土地などと同列の生産手段(資本)として捉え、人は教育を受けることによって知識やスキルを蓄積し、その資本が労働市場で評価されて高い賃金や安定した雇用を得て、貧困から脱出できる、というところにある。実際に、世界銀行などが行っているレビューによると、低・中所得国においても一年間の教育を受けることで人は10%弱程度所得を伸ばすことができる[4]
しかし、職業・スキル教育が紛争後の文脈においても貧困削減に貢献できるのか、3つの疑問がある。第一の疑問は、職業・スキル教育の効果である。職業・スキル教育は、教育段階的には中等教育に位置づけられるが、世界銀行の分析によると、この教育段階の教育投資の収益率は他の教育段階に比べて低い[5]。具体的に言えば、中等教育の金銭的な教育効果は高等教育の半分にも満たず、初等教育のそれの6割にも満たない。さらに、職業・スキル教育は教育活動を行うために機材や実習が伴い普通教育と比べてコストが高くなるため、費用対効果で見るとより一層小さな値となる。このように金銭的な価値を生み出しにくい教育段階を優先することが、紛争後の文脈で雇用と貧困問題を解決し、紛争の再発につながるのか疑問である。
第二の疑問は、紛争後の文脈で実施できる職業・スキル教育の質である。先の世界銀行の議論は、人的資本論に基づけば知識やスキルを身に付けたかどうかこそが重要であるにもかかわらず、そこを無視して教育年数のみにフォーカスするという誤りを犯している。当然ながら、同じ一年の教育といえども、教育の質や内容によって貧困削減や安定した雇用にどれだけ結びつくかは異なってくる。実際に、国際学力調査の成績を考慮すると、教育年数と経済成長の間の相関が消失し、その代わりに国際学力調査の成績と経済成長の間に正の相関がみられるようになる。これは単純な教育へのアクセスではなくテストスコアによって近似される教育の質こそが貧困削減や安定した雇用をもたらしうることを意味している[6]。つまり、質が高くなければ職業・スキル教育を提供したとしても雇用・貧困問題は改善できない。
しかし、紛争後の文脈においてそのような質の高い職業・スキル教育を提供できるのかは疑問が残る。なぜなら、そもそも紛争の有無を問わず低中所得国では、最も教育予算を受け取っている初等教育分野ですら質の高い教育を提供できていないからである。例えば、10歳児が身に付けているべき識字・計算能力を身に付けられていない10歳児は「学びの貧困(Learning Poverty)」と国際的に定義づけられているが、2022年の最新のレポートでは、低中所得国の10歳児の7割は学びの貧困にあるとされ、サハラ以南アフリカではこの値が9割にも及んでいる[7]。このように、最もキャパシティがあると考えられる初等教育分野ですら質の高い教育を提供できていないのに、それが職業・スキル教育で、さらに紛争後というキャパシティに著しく制限がかかる中で実現できるとは考えづらい。
第三の疑問は、元兵士に職業・スキル教育を受けるだけの準備(レディネス)があるのかという点である。ノーベル経済学賞を受賞したヘックマン教授は、一生涯を通じたスキル形成を提唱し、1)若い頃のスキル形成が、その後のスキル形成にも影響を及ぼすこと、2)これに伴って教育の収益率は年齢とともに低下する、従って幼児教育こそが重要であると主張した[8]。この主張の2)はのちに誤りを含むことが明らかとなったが、1)の点は動的相互補完性(Dynamic Complementarity)として、のちの研究によっても支持されている[9]
このように、職業・スキル教育に雇用・貧困問題を解決させるためには、受講者である元兵士達の間にその教育を受けるためのレディネスがあることが重要になってくるが、残念ながらこれはやや難しい注文である。なぜなら、報告書によりばらつきはあるが世界の不就学児童の1/3から半数程度は紛争の影響によると推計されている。そして、現代の危機は長引く傾向がある(Protracted Crisis)。これらを踏まえると、職業・スキル教育が一層求められる文脈であればあるほど、受講者たちの教育水準は低く職業・スキル教育を受けるためのレディネスができていない事が予想される。
このように理論的に職業・スキル教育の効果が疑問視されるだけでなく、いくつかの研究・プロジェクト評価も、職業・スキル教育の効果に実証的に疑問を投げかけている。例えば、リベリアで行われた元兵士向けの14か月の農業分野のプログラムは、職業教育では不十分で、現金のような農業を行うための資本注入が伴われる必要があることを明らかにした[10]。また、典型的な第一世代のDDRの一環としてコロンビアで行われた職業・スキル教育を分析した研究は、第一世代としての欠点であるコミュニティとのつながりの欠如だけでなく、参加者間のつながりの構築の難しさ、参加者の準備教育不足の課題を指摘した[11]。これらの研究は、少なくとも職業・スキル教育そのものの効果と受講者のレディネス不足は理論的に示唆されるだけでなく、実際に起こっている問題であることを示している。

平和構築のための幼児教育のポテンシャル

前章で議論した職業・スキル教育で平和構築を目指すのが難しい理由のうち、二番目のプロジェクトの質については、どのような教育段階や教育プログラムにしても、紛争後という教育関係者のキャパシティが極めて限られている文脈では逃れられない問題となる。しかし、その他の二つの理由については優先する教育段階や教育プログラムを変更することで、ある程度は対処できる可能性がある。
例えば、一番目の職業・スキル教育が含まれる中等教育の収益率の低さについては、世界銀行の分析に基づけば、優先対象を初等教育や高等教育へシフトさせることで対処することができる。しかし、世界銀行のデータ[12]によれば、紛争・脆弱国で高等教育へアクセスできている人口は15%に過ぎず、当然ながらこの大半は富裕層である。このような状況下で、高等教育が貧困問題を解決するからといって優先させると、その恩恵は富裕層に集中して社会経済的な格差が拡大し、国としての脆弱性が増す結果となる。これを考えると、アクセスが限られている中等教育よりも上の教育段階ではなく、まだ児童労働や児童婚の対象となるには若過ぎて貧富を問わずアクセスを確保しやすい中等教育よりも下の教育段階こそが優先されるべきだと考えられる。また、この教育段階を優先させることで、時間はかかるかもしれないが、三番目のレディネスの問題に取り組むことが可能となる。
中等教育よりも下の教育段階の中でも、特に幼児教育は、その効果の発露に時間がかかるものの、雇用・貧困問題の解決だけでなく平和構築そのものへの寄与も期待できる。ヘックマン教授の幼児教育「こそ」が教育の収益率が高いという議論は誤りであったが、貧困層を対象にした良質な幼児教育の収益率が高いことは間違いではない。ここで注目したいのが、なぜ貧困層を対象にした良質な幼児教育は経済効果が大きいのかである。ヘックマン教授の主張の根拠となっているPerry-Preschool Programの結果を見ると、学力が向上したというよりも、忍耐力や協調性といった非認知スキルが向上した結果、良質な幼児教育を受けていなければ収監されていた層が収監されなくなり、刑務所の運営費用の節約や、犯罪被害・収監されたことにより所得が得られなくなるといった事態が減少することが大きな役割を果たしている[13]。裏を返せば、日本のような犯罪が少ない国では幼児教育の拡充の経済的な効果はそこまで期待できないが、紛争後の文脈ではヘックマン教授が調査したアメリカ以上に大きな経済的効果を生みだしうるということである。
特に、この非認知スキルに注目した教育(Socio-emotional learning: SEL)と平和構築の関係は研究者の間でも注目を集めている。なぜなら、SELは暴力的な行為を減らすだけでなく、紛争に巻き込まれた子供たちの傷ついた心を癒し、幸福度だけでなく様々な教育成果にも良い影響が出ると考えられているからである。実際に平和構築段階でのSELは、2000年以降に絞っても、60を超える厳密なインパクト評価が実施されており、大きな注目を集めていることが読み取れる。

平和構築のための幼児教育の現状と日本への示唆

特にSELに注目した幼児教育は、経済効果と教育効果の二つの経路から他の教育段階・種類よりも平和構築に貢献しうるポテンシャルを秘めているが、この分野への国際平和協力は極めて限定的なのが現状である。
例えば、緊急支援の予算のうち4%を教育に割くという国際目標があるが、これが実現したことは一度もないどころか、大半の期間では3%すら下回っている[14]。さらに、僅かに回ってくる緊急支援下の教育予算の中でも、幼児教育に割り当てられるリソースはほぼ無視できる程度のもので、緊急支援下の教育予算の僅か0.4%程度となっている[15]。この結果、現在ではたとえ中進国であっても7割弱の子供が幼児教育へアクセスできているにも拘らず、紛争国・脆弱国に絞ってみると、僅か2割程度の子供しか幼児教育にアクセスできていない[16]
このような現状に対して、日本が世界に先んじて平和構築のための幼児教育支援に乗り出すことも可能であったはずだが、現在日本に先んじて世界的に官民連携による平和構築のための幼児教育支援が広がりつつある。この点については字数の都合で次回の研究員ノートで詳しく論じることとする。


[1] 山下光 (2022)『シリーズ戦争学入門 国際平和協力』創元社

[2]United Nations. (2006). Integrated Disarmament, Demobilization and Reintegration Standards.

[3]United Nations. (2014). Operational Guide to the Integrated Disarmament, Demobilization and Reintegration Standards.

[4]Psacharopoulos, G., & Patrinos, H. A. (2018). Returns to investment in education: a decennial review of the global literature. Education Economics, 26(5), 445-458.

[5]Montenegro, C. E., & Patrinos, H. A. (2014). Comparable estimates of returns to schooling around the world. World Bank policy research working paper, (7020).

[6]Hanushek, E. A., & Woessmann, L. (2008). The role of cognitive skills in economic development. Journal of economic literature, 46(3), 607-668.

[7]Bill & Melinda Gates Foundation, FCDO, UNESCO, UNICEF, USAID, and the World Bank. (2022). The State of Global Learning Poverty: 2022 Update.

[8]Heckman, J. J. (2006). Skill formation and the economics of investing in disadvantaged children. Science, 312(5782), 1900-1902.

[9]Johnson, R. C., & Jackson, C. K. (2019). Reducing inequality through dynamic complementarity: Evidence from Head Start and public school spending. American Economic Journal: Economic Policy, 11(4), 310-349.

[10]Blattman, C., & Annan, J. (2016). Can employment reduce lawlessness and rebellion? A field experiment with high-risk men in a fragile state. American Political Science Review, 110(1), 1-17.

[11]Fernández, A., Paulina, M., & Zuilkowski, S. S. (2022). The Role of Technical and Vocational Education in Social Reintegration: Insights from Colombian Ex-Combatants. Journal on Education in Emergencies, 8(1), 110-137.

[12]https://data.worldbank.org/indicator/SE.TER.ENRR

[13]Heckman, J. J., Moon, S. H., Pinto, R., Savelyev, P. A., & Yavitz, A. (2010). The rate of return to the HighScope Perry Preschool Program. Journal of public economics, 94(1-2), 114-128.

[14]https://inee.org/blog/humanitarian-aid-funding-still-failing-education

[15]https://www.educationcannotwait.org/our-investments/focus-areas/early-childhood-education

[16]https://data.worldbank.org/indicator/SE.PRE.ENRR