国際平和に貢献する日本人のエッセイ

山下真理

【氏名】
山下 真理(やました まり)さん

【現職】
国連事務総長代表兼国連ベオグラード事務所長

【略歴】
 東京都生まれ。1990年12月より国連事務局で政務官として勤務。選挙支援、アフリカ南部、アジア・太平洋などを担当。欧州安全保障協力機構・国連アルメニア合同活動調整官、クロアチアPKO国連次席選挙事務官、国連ネパール・ミッション政務室長、東京国連広報センター所長、平和構築支援事務所次長などを歴任。2021年2月より現職。

国連で学んだ国際平和への貢献


 1990年代冷戦が終わり世界が大きく変動していた時期に念願の国連事務局に就任した時は、実際如何に世界の平和に貢献できるのか全く想像がつかなかった。選挙支援の仕事で世界中を飛び回ったり、国連外交のお手伝いをしているうちに自分も国連外交に携わり、微々たる形ながらも平和への貢献に繋がっていることに気がついた。

 1996年春、初の国連PKO赴任先は旧ユーゴスラビア崩壊後のクロアチア東部Vukovarだった。国連敷地は鉄格子に囲まれ、毎日のように住民による反対デモを受けた。PKOの任務は選挙を通して当地域をクロアチアへ平和的に統合すること。選挙部を統括する立場から、選挙支援がPKOの成功に繋がり、和平合意が実施された観点から微々たる平和への貢献ができたと実感できた。 25年後の今、バルカン地域に戻り、コソボの実質的な自治確立の促進支援という残された重要課題に取り組んでいる。

 

  • UNTAES本部ベルギー守備部隊
    UNTAES本部ベルギー守備部隊(1996年)
    *UNTAES:国連東スラヴォニア、
    バラニャ及び西スレム暫定機構(UNTAES)
  • 選挙専門家と視察Vukovar
    選挙専門家と視察Vukovar(1996年)

 国連特別政治ミッションの経験を求めて2010年に赴任したネパールは和平プロセス4年目に入っていた。政治的な不安定が続くなか、元戦闘員の国軍統合、新憲法を巡る制憲議会の動きなど国造りの重要な課題を抱えていた。国連ネパール政治ミッション(UNMIN)の任務はそれらを支援する事だった。UNMINの政務班には特に優秀なネパール人仲間が多く、彼らのネットワークを通して政府関係者、反対勢力、軍幹部、有識者など様々なアングルから裏での交渉、話し合いに政治的解決案をインプットすることができた。地政学的観点からUNMINの軍事監視要員は個人単位での派遣とユニークな形をとったが、日本からも自衛官が派遣されたことは特に誇りに思えた。

 国連の平和への貢献は色々な形をとる。わかりやすい例は安全保障理事会の決議を受けて設立されるPKO、特別政治ミッション、平和構築ミッションを通しての活動。数百人から数千人にわたる要員が派遣され、和平合意の実施、紛争後の国づくりに関連する多くの活動を担う。より難しく、時間の掛かるのは紛争予防、予防外交、平和構築の仕事だ。

 

  • ミャンマー・ロヒンギャ危機視察(2017年)
    ミャンマー・ロヒンギャ危機視察(2017年)
  • スリランカ平和構築プロジェクト視察(2020年)
    スリランカ平和構築プロジェクト視察(2020年)

 国連予防外交の重要性と難しさを痛感したのが朝鮮半島における軍事的な緊張のエスカレーションが懸念された2017年末。二か月間の主要6か国との協議後、稀な事であるが国連政務局長が平壌に派遣され、北朝鮮側との対話が実現した。偶発的戦争を避けるという最重要目的を抱え、政務局長は3日間かけ相手側の立場、不満、軍事戦略など注意深く聞く一方、対話のチャンネル再開、緊張を緩和させる必要性を強く提唱した。多くの外交チャンネルの一部としてその後に展開した平昌オリンピック、サミット外交、対話チャンネルの再開に貢献できただろう。国連本部から政務局長をサポートさせていただいたのは大変光栄な任務だった。

 国連での長いキャリアの中で一貫して実感したのは日本というブランド。出張先、派遣先は必ず紛争を経験した国だったが、彼らの観点から日本が象徴するのは、唯一の被爆国にも関わらず経済的急成長を成し遂げた平和で安全な国。技術の最先端、クールジャパン、伝統文化。紛争から立ち直ろうとしているどの国も目指すゴールの象徴。戦後日本は国際社会に大きく貢献してきた。多極化する国際社会の重要な一員としての日本に対する期待は今後更に大きくなる。世界の期待に日本は今後も大きく応えていくと強く信じる。

注:本稿で記された見解は、筆者個人のものであり、必ずしも所属機関の見解を示すものではありません。