国際平和に貢献する日本人のエッセイ

原田宗彦

【氏名】
原田 宗彦(ハラダ ムネヒコ)さん

【現職】
国連キプロス平和維持隊(UNFICYP)民政部セクターコーディネーター

【略歴】
 大学卒業後海外へ留学し主に国際関係学を学ぶ。国際機関等でインターンやコンサルタントをしたのち、1999年よりJPOとしてジュネーブで国連機関に就職。国連東ティモール支援ミッション(UNMISET)で事務総長特別副代表特別補佐官や国連コソボ暫定行政ミッション(UNMISET)で官房長室政務官を務めたあと国連平和維持活動局(DPKO)本部にてコソボ担当政務官として勤務(2006 - 2009)。国連スーダンミッション(UNMIS)、国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)政務官を経て、2013年より国連キプロス平和維持隊(UNFICYP)民政部に所属。


 30年前と言えば、米ソ冷戦構造が崩れ、国際環境ががらりと変わり、新たな国際安全保障問題が噴出し、国連の役割が期待されたそんな時代米国に次ぐ経済大国であった日本の貢献が声高に叫ばれる文脈の中で、国際平和協力法が成立したと思います。私は国際問題に関心を持つ一学生で、否が応にも国連カンボジアPKOや旧ユーゴスラビア等で難民問題に果敢に挑む邦人を仰ぎながら、自分もそういった方面の仕事に就きたいと思っていた頃でした。

 「志あれば道ある」とはよく言ったもので、自分なりにどうしたら国際機関で安全保障問題に関われるのかを調べ、要求される語学力をつけ、大学院で学位を取り、ジュネーブでインターンシップをして、外務省が毎年募っているJPOプログラム(外務省ホームページへ)に応募し、国際機関に就職しました。

 JPO時代は直にPKOに関わったわけではありませんが、チャンスがやって来ました。仕事を通じて知己を得た長谷川祐弘さんが東ティモール国連PKO副代表に就任するにあたり、彼の補佐官として初めて現地のフィールドオペレーションを経験する機会を得たのです。国連ではその経験がまた新たな経験を呼ぶというように、それ以来ずっとPKO事業にコソボ、国連本部、スーダン、南スーダンそしてキプロスで、主に政務や民政部門で関わって来ることが出来ました。特にキプロスでは民政部門、軍事部門と警察部門が個々の問題に組織全体として矛盾のない対応が出来るようにセクターレベルで調整する仕事をしています。
 

 

警察部門関係者との打ち合わせ
 
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北部のトルコ系実効支配地域である「北キプロス・トルコ共和国」のギリシャ系キプロス人宅の訪問の訪問
 

 PKOに足を踏み入れた最初の約15年、日本のプレゼンスはPKOへの拠出金分担率の規模や部隊の貢献等もあり大きかったと思います。 その当時に比べ通常予算も含めて分担率や部隊貢献度が減っている中で今まで中堅で頑張っていた邦人が幹部に成長し、後に続く日本人を引っ張っていくことが望まれると思います。国連PKO職員と国際平和協力本部とのパートナーシップを重視することは必要だと思います。実際に同僚の中にも一時的に国連を離れ国際平和協力本部で研鑽され国際機関で更に活躍されている方々が見受けらます。

 よく国連は西洋出身者が幅を利かしている機関だと指摘されます。最初の国連メンバーがほぼ欧米や既に欧州から独立していた南米や中東諸国であり、富が欧米に集中していたことを考えればそれ相応の事だと言えるでしょう。しかしながら時代は急速に変化を遂げており、アジア諸国の国連拠出金分担率が拡大しアジアのプレゼンスが大きくなるなかで、アジアと共にある日本として、国連をよりグローバル且つ多様化させるためにも、日本人職員が一層求められていると私は期待します。

注:本稿で記された見解は、筆者個人のものであり、必ずしも所属機関の見解を示すものではありません。


 

キプロス共和国南部のトルコ系キプロス人らとの懇談
*トルコを除く国際社会は、キプロス島全体をキプロス共和国として承認している。

 

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