国際平和に貢献する日本人のエッセイ

大野拓也

【氏名】
大野 拓也(おおの たくや)さん

【現職】
IOM(国際移住機関)ジュネーブ本部 上級シェルター居住担当官

【略歴】
 大阪大学大学院工学研究科建築工学にて博士課程修了。米国ロサンゼルス港湾局工務部建築課でのインターン、兵庫県立福祉のまちづくり研究所での研究員等の後、2005年、IOM(国際移住機関)スリランカ事務所において、外務省支援の仮設住宅事業実施のための3カ月契約の仮設住宅技術員を経て、技術主任として採用され、津波被災者への仮設住宅建設などを担当。
 2010年にはIOMハイチ事務所にて仮設住宅事業マネージャーとして地震被災者の仮設住宅や復興住宅の建設等を担当。
 2014年より現職であるIOMジュネーブ本部上級シェルター居住担当官として、IOMが実施するシェルター事業全般の技術指導や助言、緊急時の現場出張、シェルター分野での他機関との調整を担当。

 

 毎年この時期になると、阪神淡路大震災で復興支援活動にあたる人々、そして自衛隊の活躍をテレビで眺めていたことを思い出す。当時すでに建築の道を志し、大学3年になっていたが、手術後で身動きの取れない自分をやるせなく感じていた。

 その後、年月はかかったが日常の生活を取り戻し、困っている人々を助ける仕事がしたいと、勉学や語学取得に励んだ。その甲斐あって国際移住機関(IOM)という国連機関に勤めてから17年が過ぎようとしている。

 IOMでの最初の赴任国スリランカでは、津波支援で仮設住宅建設を行った。慣れない食生活に暑さや意思疎通に苦労の連続であった。数年すると慣れるもので仕事のやりがいを強く感じるようになった。津波の復興が落ち着いてくると北東部での紛争が再燃化し、任務が避難民の支援にシフトした。2009年に日本政府(内閣府)よりテントや蚊帳、給水容器などの救援物資が寄贈され、砲弾の音が遠くに聞こえる中、避難民の方に配布を行った。

 翌年にハイチで大地震が起こると、復興支援に駆け付けそのまま異動となった。日本からは自衛隊が国連ハイチ安定化ミッションに派遣されていた。私が調整役となり、IOMは自衛隊と共同作業を行う機会を得て、自衛隊が地震で壊れた家屋を重機により解体、瓦礫の除去を行った後、IOM が同敷地に仮設住居を建設した。


自衛隊による瓦礫除去(ハイチ)
(2011年7月)©IOM

地震被害後のハイチでの日本政府支援による仮設住居の譲渡式。最前列左から2人目が筆者。同4人目が南大使。同5人目が施設隊隊長
(2011年8月)©IOM

 この日本政府(外務省)の支援するIOMの仮設住宅事業に自衛隊が参加するという三位一体となった支援ができたことは、今でも鮮明に記憶が残っている。自衛隊は、現地ではインフラ担当として活躍され、ある時の国連調整会議では「瓦礫処理の質が高く、他国は日本部隊を見習うように」と国連高官の発言を聞いた時には誇らしく思った

 日本の国際平和協力への対応は、専門性を持ち、真摯な姿勢がとても評価されている。技術協力など日本が誇る分野での協力が今後さらに増えていくことを期待する。一方で、当事者政府や他国PKO部隊らの意向と日本の方針が違う場合は、支援する機会を失わないよう状況に合わせて柔軟性(現地部隊への権限委譲)を持つことが大切だと思われる。

 私は上記国以外にも、数週間から数か月間の出張でイラク、ネパール、ケニア、コンゴ民主共和国、タンザニア、ジンバブエなどで緊急支援に関わってきた。現在はスイス本部にて、アフガニスタン、エチオピア、モザンビークでの救援物資事業の後方支援をしており、将来は現場で自衛隊の方々と再び仕事ができる機会があれば嬉しく思う。もちろん災害が起こらないことが一番なのではあるが。

注:本稿で記された見解は、筆者個人のものであり、必ずしも所属機関の見解を示すものではありません。


ハリケーン被害にあったドミニカを視察した国連事務総長への説明
(2017年10月)©IOM

※2022年1月に執筆いただきました。

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