国際平和に貢献する日本人のエッセイ

石川直己

【氏名】
石川 直己(いしかわ なおき)さん

【現職】
UNMISS(国連南スーダン共和国ミッション)
官房長室 戦略計画ユニット長

【略歴】
 2006年から3年間、在ニューヨーク国際連合日本政府代表部に専門調査員(政務)として勤務。
 2009年から外務省のJPO派遣制度(外務省ホームページへ)別ウィンドウで開きますを通じ、国連事務局平和維持活動(PKO)局に派遣される。派遣期間終了後も国連に採用され、引き続き同PKO局にてソマリア関連の業務を担当。
 2013年3月からPKO局運用部事務次長補室に異動し、事務次長補(PKO局次長)の補佐に加え、PKOに関わる分野横断的な政策策定に関与。
 2016年6月にUNMISSに異動し、現在、同PKOミッションの統合的な戦略策定や予算枠組みの策定を担当。

 

 毎度のように休暇を終えてジュバ国際空港に降り立つと、真っ青な空、赤い地面、そして照りつける太陽に、ああ戻ってきたな、さあ仕事だと思う。着陸直前には、滑走路脇のUNMISS基地の端に、ごちゃごちゃした他の地区とは異なる整然とプレハブが並ぶ一角が目に留まる。元自衛隊施設部隊の宿営地で、現在はタイ国軍の施設部隊が使用している地区である。日本隊は、その規律と業務の質の高さでよく知られていた。

 2016年に国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)への採用が決まった際、赴任を決める一つの決め手となったのは、自衛隊が派遣されているミッションであるということであった。国連本部で働くようになって10年が経ち、PKOの現場を見たい、そして自衛隊の活動を見たいという気持ちは強かった。その後5年間、様々な形で自衛隊、そしてそれを支える内閣府国際平和協力本部事務局、防衛省、外務省の仕事に触れることができた。何よりも、基地内で日の丸の肩章を見かけることは、一人の日本人として心強いものである。


UNMISSトンピン基地のブーケンビリアの前
(2018年3月)

北部ワウにおける文民保護地区の視察
(2018年4月)

 自らのキャリアを通じ、国連PKOは受入国の平和構築に寄与するだけでなく、それそのものが国際協力の枠組みであることを強く感じる。UNMISSは、自衛隊の4名を含む75カ国からの軍事要員を受け入れている。これらの軍事要員は国連旗の下で、国連職員である我々文民要員と共に任務達成に取り組む。このような多様性を持つオペレーションは、世界で唯一無二である。だからこそ、このような国際協力の枠組みの中に、日本が継続して参加していくことは、国際社会の平和と安全に対するコミットメントの現れとして極めて重要だと感じる。私自身は、国連での勤務を通じ、紛争を平和的に管理し、対立の激化を防ぐことに貢献したいと考えている。国際協力とは、価値と利害を共有する国々が互恵的に協力し、自らの或いは意見が異なる主体の孤立化を防ぐ営みであろう。

 国際平和協力法施行後30年、当時の所謂PKO国会をテレビで見たことを覚えている。学生時代にかけてコソボや東ティモールなどPKO全盛期を体験し、その後は国連PKOで勤務することになった私にとって、国際平和協力法の歴史は自分のキャリアに重なる。その上で、30周年にあたり、この間、実績を重ねて来られた関係者各位、そして現場に立たれた自衛隊員や文民要員の方々に、改めて敬意を表明したい。そして、30年前と国際情勢や紛争のあり方が大きく変わり、国連PKOも変容して来た現在、日本が一層成熟した国際協力活動を展開し、より積極的に平和に貢献していくことを祈念して、お祝いのメッセージとさせて頂きたい。

注:本稿で記された見解は、筆者個人のものであり、必ずしも国連の見解を示すものではありません。


国連本部における、加盟国とのPKOの実績評価方法に関する非公式な意見交換への参加
(2019年11月)

ジュバ地方事務所における戦略会議への参加
(2021年12月)

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