片山内閣府特命担当大臣記者会見要旨 令和元年9月11日

(令和元年9月11日(水) 12:23~12:36  於:中央合同庁舎第8号館1階S106記者会見室)

1.発言要旨


 先ほど臨時閣議で辞表を取りまとめました。約1年、地方創生、規制改革、国家戦略特区、男女共同参画、女性活躍を含め、非常に幅広い担務を頂戴してやってまいりました。皆様に大変お世話になりまして、この場を借りて厚く御礼を申し上げます。
 総理からも、各々の分野について目に見えた結果を出してくれた、ほぼ完璧に出してくれたと言っていただいて、長いお付き合いですが、そんなこと言ってもらったことがないので大変感動して、今日は家に帰って、その言葉を宝物のように宝石箱に入れて寝ようかなと思っております。
 法案は通っていないものがありますが、そのことも含めまして、内閣として決定したものなので、このまま全て内閣の方針として実行していこうと言われましたので、そのように明日は後任の方に引継ぎをしようかなと思っております。
 皆様にも御同行していただいたのですけれど、東京を入れると41都道府県、本当に幅広く歩かせていただいて、やっぱり生声を聞く、その土地の人の感じている空気感を感じるということが、とても大事なことだと思いました。それは今回のまち・ひと・しごと創生基本方針に盛り込ませていただいたものであります。
 新しい流れがもう始まっております。先ほども皆で話したのですけれども、我々は平成最後の内閣、そして令和初の内閣であり、ともに令和という元号を閣僚懇で決定したことに責任を負っております。そのことを全ての政策に活かし、これからの新しい日本を作るための地方創生の第一歩であり、規制改革の第一歩であり、国家戦略特区の在り方の第一歩であり、そしてG20の女性活躍会議が少なくとも3回あったわけですから、日本として打ち出すスタートであったと考えております。
 皆様には本当にお世話になりました。

2.質疑応答

(問)1年前に、2人分、3人分の存在感があるということで総理に起用されて、1年間ほぼお休みなく仕事に取り組んでこられたと思いますけれども、大臣の広範にわたる担務の中で、最も取り組まれてきたと自負される施策は何か、お伺いできますでしょうか。
(答)地方創生、まち・ひと・しごと創生をいくらやっても東京に集中してます。例えば、今日も出ましたけども、保育士を雇うにしてもお給料と待遇が違う。そして、オリンピックで多くのホテルが開業しておりまして、これもどうしようもない、国としてオリンピックは皆でやってるわけですから。
 何とかこれ以上一極集中が進まないようにするために、UIJターンに現金を出す制度を作り、文部科学省も出さないようなお金を大学に毎年出し、そして今まではあまり行ってこなかったですけれども、頑張ってもらう市として中枢中核都市を選んで、御希望があれば指導までする。加えて、SDGs未来都市という新たな制度をスタートさせて、これがちゃんと動いてほしいと祈るばかりです。厳しい予算編成も乗り越えて、企業版ふるさと納税などの税制改正はまだ残っていますが、少なくとも内閣としての門は出た、党の門も通りました。
 二つ目は、日本の第4次産業革命での生き残りを地域主導でやるという、国家戦略特区の原点に立ち返ってスーパーシティをまとめることができました。4月までもつれ込みましたが、閣議決定をやろうよと総理が言ってくださいました。我々が改革しようと思って持って行った案件で官邸で止められたものは、ゼロなんです。本当にいろんなところに気を遣いながらも、必死で歯を食いしばって前進してきたと思っています。
 三つ目は、自民党政権があまりやってこなかった声なき人の声。つまり、生き辛さを抱えている女性全て、お子さんの年代からお年寄りに至るまで全て、生き辛いと思ったら声を上げてください、そこに政府は支援をします、民事不介入じゃありませんということを初めて自民党保守政権として言ったということですね。結構反対も出るかと思いましたが、これも官邸から良いよと言われ、党からも反対がありませんでした。私も議員を十何年やっていまして、政調も3~4年やってますが、大変びっくりしました。
(問)特に力を入れてきた施策のスーパーシティについて、先の国会では残念ながら成立は難しかったと思うのですけれども、このスーパーシティ法案に関して、後任の方へのメッセージがあればお伺いできますでしょうか。
(答)後任の方が、日本で一番都会に人口を流出させている県である長崎の出身です。私は4分の1、長崎のクオーターであります。肥前大村藩でございますから、知事や関係者とも2度もお会いして、何とかしないといけない、地方圏が抱えてる問題が全て長崎県にはあり、対馬も行きましたが、こういうところにこそスーパーシティは役に立つと思います。こういうところだから、早く遠隔教育、遠隔保育、遠隔医療をやらないと、確実に年をとっていく住民に、クオリティ・オブ・ライフの高い生活をお約束できません。更に進んだ産業を興すためにドローンの運転を自由にしようという話もあるのですけれども、お年寄りが快適に安全に、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジの立派な医療を受けられることが担保できなくなる日が、目の前に来ています。それについて切迫感を持っていらっしゃる大臣で、選挙区が長崎ですから、私は非常に期待申し上げております。スーパーシティは困ってる街のために必要だと思います。
(問)大臣は農協など、いろいろな組織との連携に力を入れてこられましたが、農村再生に期待することを教えていただきたいです。
(答)和歌山にも行きましたし、JAの中家さんと規制改革大臣として膝詰めで話したのは、おそらく私が初めてでしょう。
 こういう問題は信頼関係が重要で、一時、率直に言って、JAという民間の一大組織との間で、信頼関係がなかった時期はあったと思います。産官学金労言士の中に、JA、JF、商工会、観光協会などが入り、プレーヤーになっていただく、JAこそが小さな拠点だということを初めてはっきり出しました。その後、日本中を回ったときに、皆さんの筆のおかげで通じてました。すごいと思いました。
(問)冒頭、総理が今回の1年の総括として、目に見える結果を出してくれたとおっしゃっていましたが、具体的にもう少し、どういった部分についておっしゃってたかというのを教えてください。
(答)全分野について目に見えた結果があった、ほぼ完璧にやってくれたということぐらいまでは良いのですが、それ以上のことは内閣の運営方針になりますので控えます。
(問)少し聞きにくいことですが、国会での追及を受ける場面とか、初期の頃、いろいろなことが多かったと思います。そういったときにどういう気持ちで乗り越えられてきたのか。内閣として追及受ける場面も多かったと思うのですけれども、どう取り組んでたのか、今だから言えること、もしありましたらお願いします。
(答)政治は常に山あり谷ありなので、いろいろなことがありますから、そういうなりわいと思ってやっておりますので、私自身は非常に平常心でございました。皆様のおかげもあって、冷静に謙虚に丁寧に対応ができましたし、取り乱していたらそこで終わっていたと思います。やはり平常心が一番大事かなと思っております。
(問)新聞各紙、テレビ等でも小泉さん初入閣が注目を集めてます。国務大臣の先輩として、大臣も発信力非常にあったと思うのですけれども、いろいろ期待されること、もしありましたら、何かメッセージ残していただければと思います。
(答)6年前に環境の部会長をやったことがありまして、そのときに、高過ぎる防潮堤は環境面からおかしいよね、という話を安倍昭恵さんを呼んでやりました。そのときに当時政務官だった小泉進次郎さんにも来ていただきましたが、非常に独自の意見もお持ちで発信力がありました。環境の分野というのは、新たなテーマや新たな切り口が次々出てきますから、今までの答え方があっても、そこを上手に乗り越えていけると思うので、これが小泉氏を環境大臣になさった理由ではないかなと思っています。安倍総理は大変懐が広い方ですから、普通の人と同じことをしても仕方がないので、自分の感性からおっしゃった方が良いのかなと、そのほうが内閣の環境政策に対して、国民が共感を持つと思います。
 代々政治家の方ですから、私よりもマスコミ対応は百戦錬磨なので、上手におやりになることは間違いないと思います。
 本当にお世話になりました。また今後ともよろしくお願いいたします。

(以上)