第7回 成年年齢引下げ対応検討ワーキング・グループ 議事録

日時

2016年11月16日(水)10:00から11:50

場所

消費者委員会会議室

出席者

【委員】
樋口座長、池本座長代理、河上委員長、増田委員
【オブザーバー】
後藤専門委員
【説明者】
京都大学大学院法学研究科 潮見教授・法学研究科長
学生団体スマセレ 田中代表
【消費者庁】
福岡審議官、河内消費者政策課長
【法務省】
中辻参事官
【事務局】
黒木事務局長、福島審議官、丸山参事官

議事次第

  1. 開会
  2. 学識者等からのヒアリング
  3. 閉会

配布資料 (資料は全てPDF形式となります。)

≪1.開会≫

○丸山参事官 それでは、会議を始めさせていただきたいと思います。

本日は、皆様、お忙しいところをお集まりいただきありがとうございます。

ただいまから「成年年齢引下げ対応検討ワーキング・グループ」第7回会合を開催いたします。

本日は、所用によりまして、大森委員が御欠席との御連絡をいただいております。

議事に入ります前に、配布資料の確認をさせていただきます。

お配りしております資料につきましては、議事次第下部に配布資料一覧を記載しております。

不足の資料がございましたら、事務局までお申し出いただきますようよろしくお願いいたします。

それでは、樋口座長、以後の議事進行をよろしくお願いいたします。


≪2.学識者等からのヒアリング≫

(1)潮見京都大学大学院法学研究科教授・法学研究科長

○樋口座長 それでは、早速本日の議題に入らせていただきます。

本日は、若者の知識や判断力の不足等につけ込む事業者の行為に対する規制のあり方や、学生団体における消費者啓発の推進等についてお話を伺わせていただきます。参考人として、京都大学大学院法学研究科教授・法学研究科長の潮見佳男様、学生団体スマセレ代表の田中喜陽様のお二人に御出席いただいております。

京都大学大学院法学研究科の潮見教授は、契約責任論の再構築や不法行為法の現代化など、民法上の諸問題について主に研究されておられます。また、法制審議会民法部会(相続関係)の委員、法制審議会民法部会(債権関係)の幹事を務められるなど、この分野で活躍されています。

ほかにも、適合性原則に関する研究をされており、数多くの論文も書かれていますので、本日は、成年年齢引下げと適合性原則との関係性及び消費者の自己決定能力に配慮した法規制の枠組みに関するお話をお伺いできるものと承知しております。

まず、潮見教授から御説明をお願いしたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

○潮見京都大学大学院法学研究科教授・法学研究科長 御紹介いただきました潮見でございます。

事前に考えを話してほしいと言われたテーマについて、一つ一つ私が考えていること、思うところをお話しさせていただきたいと思います。大体30分弱をめどにお話ができるのではないかと思います。

早速ではございますが、お手元の「照会事項に対するコメント」とお書きしたものを御覧いただければと思います。まず大きくローマ数字のものだけを追いますと、私がお話をいたしますのは、1ページ目の「I 適合性の原則について」、3ページ目の「II 消費者基本法2条2項と適合性の原則」、4ページ目の「III 年齢に対する配慮と消費者契約法―勧誘行為に対する規制ほか」、これら3つが大きな柱でございます。これらについての意見具申ということで依頼を受けましたものですから、この順番に沿ってお話をさせていただきます。あくまでもこれは私個人の意見にわたるものでございます。また、適合性原則につきましては、いろいろな考え方があるので、これは私の考えとしてお聞きいただければと思うところでございます。

まず、1番目の「I 適合性の原則について」からお話をさせていただきたいと思います。

適合性の原則というところで、まず1を御覧ください。「排除の論理としての適合性の原則」というのを挙げさせていただきました。基本的にこれは狭義の適合性の原則とも言われているものです。

枠の中を御覧ください。適合性の原則は、市場の大衆化と並行して、投資取引において取引耐性に欠ける者を当該商品の市場(商品先物取引・金融商品取引)から排除するための論理として登場してきたものであります。それから、元来は、これは投資取引における業者ルールあるいは業法ルールとも言われますけれども、当該市場における事業者レベルでの行為規制として展開を見て、今日に至っています。これがまず基本であろうと思います。要するに、排除の論理だということと、業者ルールだということと、商品先物・金融商品取引を対象とするものであることという、この3つが核になっているという理解をすればよろしいのではないかと思っているところでございます。

問題は、今、申し上げた3つの核ですけれども、つまり排除の論理というものがあり、それから、ちょっと順番を変えて申し上げますと、商品先物・金融商品取引というものを対象とするという核と、それから業者ルールだという核と、この3つの核があるうちのそれぞれをどこまで拡張するのかというところが、いろいろ学者レベルで議論があり、あるいは実務家の先生方も交えて様々な見解が主張されているところではなかろうかと思います。

それを踏まえて、下の矢印のところを見ていただければと思います。

まず、排除の論理としての適合性の原則というのは、今、申し上げたものでございますが、これを投資取引の場面を超えて一般化することには、私は疑問を感じているところでございます。学者の中には、あるいは実務家の中には、いわゆる適合性の原則を広く、例えば消費者取引、あるいはもっと広く民法一般に拡張しようという捉え方もありますが、適合性の原則という観点からそうした拡張をすることに対しては、私個人は消極的です。もちろん別の方向からの拡張というものを考えることについては、むしろ積極的に推進すべきではないかと思うのですが、後でこれは申し上げます。それは、「取引耐性を欠く者を市場から排除することによって保護すべき」だという命題を一般化することに対する危険性というものを感じているところがあるからです。命題自体を抽象化し、あるいは命題自体の内容を曖昧化することが副作用を伴って生じるという危惧感も持っているところがございます。

その下の矢印も併せて御覧いただければと思います。投資取引の場面でもということで書かせていただきますが、排除の論理としての適合性の原則を、民事ルールとして、つまり私法上の効果と結びついたものとして展開する場合には、民法の枠組みの中できちんとした説明が必要ではないかということです。先ほど3つの核という形で申し上げましたが、排除の論理としての適合性の原則を民法のツールとして捉えるのは、そのままの形では難しいのではないか。何らかの形で私法上の受け皿をきちんと理論的に整備しなければいけないのではないか。そうしないことには適合性の原則というものが一つのキャンペーンみたいなことで終わってしまう。極めて反論可能性の低い原則として捉えられるおそれがあるというところも感じているからでございます。私がどう考えるかというのは、また後で追い追い申し上げたいと思います。

3番目の矢印を御覧ください。排除の論理としての適合性の原則を、民事ルールとして幅広に認めたのでは、一般市民を当該商品・役務の市場から排除することになると書いています。このことも今2つ申し上げたことと関連して、併せて申し上げたいところでございます。

枠の中でも示しましたように、適合性の原則が、商品先物とか金融商品取引のところで声高に叫ばれるようになりましたのは、当該商品の市場を一般市民に開放するようになった時期です。要するに参入規制という考え方はとらないという基本的なスタンスの上で、排除することによって保護しなければいけない者がいるから、それを排除するためにこういう考え方をそこに導入しようと考えていたようなものであると私は理解しているところでございます。その出発点というところを見失ってはいけないということです。

民事ルールの中で、この排除の論理としての適合性の原則を広く認めるということは、基本的なスタンスとして、当該商品の市場、あるいは当該サービスの市場には一定の者は入れないというメッセージも込めたものになろうかと思います。その意味で、こういう一般化には慎重に対応するといいますか、むしろ一般化をして、民事法の枠組みの中に取り込む場合には、今、申し上げた市場を開放していること、当該商品に対するアクセス可能性を保障するという出発点をどのように評価していくのかということは考えなければいけないのではないかということでございます。

その下の黒丸でございますが、市場に参加できない市民が商品・役務等にアクセスするための機会を保障する枠組みが必要だと書いています。市民を市場から遠ざけて、パターナリスティックに保護するというだけでは足りないと思うところがございます。このあたりは理念にもかかわるところでございます。そのあたりはいろいろ御検討いただければというところでございます。

その下の矢印は、ここにいらっしゃる皆様方はもう御案内のとおりだと思います。適合性の原則ということを述べたと言われている最高裁の平成17年7月14日の判決でございます。ここでは排除の論理としての適合性の原則というものが基礎に据えられています。しかも、投資取引に特化した形で枠組みが構築されています。さらには、これは当該判決の担当調査官もお書きになっておられるところでございますけれども、適合性の原則というものを業者ルールとして位置付けた上で、民事ルールとしての不法行為法の枠組みに乗せるために一手間をかけている。そのまま適合性の原則を適用して、それで問題処理を図ったようなものではないというところに特徴があろうかと思います。

さらに、その適合性の原則というものを民事ルールとしての枠組みを踏まえて考えたきには、その下の黒丸でございますが、片方に「具体的な商品特性」を置き、もう片方に「顧客の投資経験、証券取引の知識、投資意向、財産状態等」を置き、その相関的な衡量のもとで、不法行為該当性を判断するという見方をしているというのが最高裁平成17年判決に対する私の理解であります。

この最高裁平成17年判決に対しては、学説の中では、これも御案内のとおりかと思いますけれども、当該対象となった投資商品、あるいはそれに類似するものに限定されるのではないかという御意見も多々ございます。このことは私も承知しております。しかし、ここに書いている最高裁の平成17年判決の基本的な枠組みは、ほかの場面にもまさに幅広に妥当する基本的な発想ではなかろうかと思っているところでございます。

このように見ましたならば、その下の矢印を御覧ください。裁判例が適合性の原則を、投資取引における排除の論理という枠組みを超えて拡張することはあり得ないのではないか。少なくとも現在の判例法理というものを前提にした場合に、学説としての評価は別でございますが、判例として見た場合には、ここで適合性の原則を次に述べますような形で広げるということはないのではないかと思うところです。そういう文脈でといいますか、そのような中間概念として適合性の原則をまず捉えることについて、少し申し上げてみたところでございます。

ページをめくっていただきましたら、「適合性の原則の拡張」ということを書いております。適合性の原則を御研究されている研究者の方々の少なからぬ方が、この適合性の原則の拡張、あるいは広義の適合性の原則ということをおっしゃっておられます。広義の適合性の原則というのは、金融審議会の部会のほうで出てきた言葉ではございますけれども、ここではその言葉を便利だということで使わせていただきたいと思います。

枠の中を御覧ください。適合性の原則は、今日、業者が顧客の知識・経験、財産の状況、投資目的に適合した形で勧誘(あるいは販売)をしなければならないというルールの意味も盛り込まれて説明されることがあります。支援の論理などという言い方をされることも、この頃増えてきているように私は受け取っております。

この広義の適合性の原則というものは、その下の段落でございますが、パターナリズムの視点から、顧客の利益を保護するために、顧客の選択・判断・決定過程(意思形成過程)に対して介入し、支援する義務というものを業者に課すものとして位置付けられております。

これは研究者の中でも多分意見が分かれると思うのですが、先ほどの排除の論理、それから商品先物・金融商品、業者ルールという3つの核を申し上げましたが、そのうちの排除の論理とは異質なものをここに持ち込んでいるというのが広義の適合性の原則です。排除の論理、支援の論理という図式で示すことが分かりやすいのではないかと思います。

ちょっと後で申し上げることがあるのですけれども、それは置いておきまして、枠の中に戻っていただきますと、広義の適合性ということは、今、申し上げましたように、少なからぬ研究者の方々が、あるいは実務家の方々がおっしゃっておられるのですけれども、言っている内容は実に多様です。代表的なものをそこに4つほど挙げておきました。ある方は、商品の販売・勧誘に際しては顧客の投資目的や資産状況に適合した商品を推奨し、販売しなければならないという推奨ルールとして捉えておられます。またある方は、当該顧客に適合する取引のみを勧誘すべき義務なのだということを言っておられます。さらにある方は、ベスト・アドバイス義務と言っておられます。これは、適合性の原則が最初に言われ出したところから出てきたものと私は理解しております。さらに、d.として挙げましたのは、推奨に至った経緯・根拠・理由の開示をする義務だというものでして、こういうこともおっしゃっておられる方々もいらっしゃる。このように広義の適合性原則だと捉えた場合には、パターナリズムだ、顧客の支援だといっても、その支援の内容、程度に応じて、ここには何でも入るといいますか、いろいろな考え方が入ってくる余地があります。そうした中で、どこまで支援することが正当化されるのかということは、恐らくこの立場をおとりになる方々にとっては論証をしなければならないものではなかろうかと個人的には思っているところでございます。

さらに、その下の枠の中を御覧いただければと思いますが、今日の投資取引等に係る下級審裁判例の傾向をそこに挙げておきました。私なりに理解したところでございます。すなわち、適合性の原則というものについては狭く解する。しかも、先ほど申し上げました排除の論理、そちらのほうで適合性の原則を捉えるということで、その意味では、次の「顧客の投資経験、証券取引の知識、投資意向、財産状態等」に照らして顧客には問題の金融商品に対する適合性の欠如はないと、先ほどの相関的な衡量をした結果として、排除はしないという形で当該市場の中に受け入れ、顧客の自己決定原則が支配する領域の中に当該具体の事案を導き入れた上で、当該金融商品を取引する合理的な顧客と比べると適合性の点で若干劣る者を、説明義務・情報提供義務違反を理由とする損害賠償で救済するという傾向があります。バランスをとっているといいますか、排除はしない、入れてあげるけれども、この顧客には若干劣るところがありますから、ちゃんとそれは事業者の側が説明をしなさい。十分な説明をしていなければ損害賠償で救済をしますよ。しかも、損害賠償のところにおいては、基本的に過失相殺というものを妥当させますよという考え方が見て取れるということでございます。

今、申し上げたところをおさらいしますと、その下の矢印でございますけれども、広義の適合性の原則に何を盛るのかは、論者によって様々です。

さらに、対象となる取引領域をどのように画するのかについても様々です。消費者取引一般とする方、あるいはそれ以上により一般化して、民法の民事ルールというように考える方もいらっしゃるようではございます。

さらにその下の矢印がございますが、広義の適合性の原則によって作り出されようとしているのが、実は業者ルールなのか民事ルールなのかについてごちゃまぜの印象を持ちます。ここにも民法の研究者の先生方がたくさんいらっしゃるので、余りこういう強い言い方をするのはよろしくないのかもしれませんけれども、私が見ている限りということでお許しいただければ、広義の適合性の原則をおとりになっておられる方々が言っているもの、書いているものを幾ら読んでも、業者ルールのレベルで言っているのか、民事ルールとして言っているのか、しかも、もとは業者ルールで言われているものをあたかもそれが民事ルールかのごとき転用しておっしゃっておられるような方々もいないわけではない。そうなると、研究の質に対する評価という点でも難しいところが出てくるのではないかという感じがいたします。

それは置くとしましても、少なくとも広義の適合性の原則でおっしゃっておられる方は、どちらを考えているのか、あるいは外国法で言われていることを若干都合のよいようにねじ曲げてはいないかというところも、個人的には危惧するところがございます。ただ、今回のヒアリングでは、今のところは余り影響がないことかもしれません。民事ルールとして仮に広義の適合性と捉えた場合も、その下の黒丸でございますが、広義の適合性の原則に対する違反の効果として、取引の効力自体を否定するのか、要するに無効処理、それとも損害賠償で救済をするという形で処理をするのかということがどうもはっきりしないといいますか、どうするのという部分については、多種多様な見解があると私は了解をしているところでございます。

そんなことをいろいろと考えますと、広義の適合性の原則を民事ルール、民事上の効果と結びついたものとして展開する場合には、民法の枠組みのもとでしっかりとした説明が必要なのではないかと思うところでございます。

こう見ますと、仮にこれが消費者を保護するために適合性の原則を取引の場面一般に拡張し、広く認めるべきであるという考え方は、原理とか思想のレベルで論じるのであれば構わないと思いますけれども、何か具体的な効果を伴ったルールとして立てるというのは、私は若干危険なのではないかというところもございます。

要するに、先ほど3つの核ということを申し上げたところをもう一度思い出していただきたいのですけれども、一方の狭いところでは排除の論理があり、それに対立するものとして支援の論理があり、対象となる取引についても、商品先物・金融商品というところに限定する立場から、更に一歩進めて消費者取引に広める立場があり、更に一般化するという立場もある。

3番目の業者ルールか民事ルールかというところについても、これは業者ルールであるというふうに位置付ける方から、これは何らかの効果を伴った民事ルールであると捉える方々までいる。民事ルールと効果を捉えた場合でも、効力を完全に否定するという無効処理型で考える方と、損害賠償という形の救済を考える方もある。

このように全体図をぱっと広げて見てみますと、適合性の原則は何ですかとか、あるいは今回の議論にもかかわってまいりますけれども、適合性の原則のもとで展開をしますと言ったからといって、この場合に果たして何か生産的な議論ができるのであろうかというところについて、私個人は若干の疑問がある。

裏返して申し上げますと、適合性の原則などという中間概念を挟まない形で民事ルールとしてルール化可能なものであるならば、そのルール化を目指したほうがいいし、それが個人的には消費者にとってはプラスになるのではないかと思うところでございます。

そのあたりが本当は言いたかったことで、結局、適合性の原則についてあなたはどう考えるかというような形での照会を事務局から事前にいただいたのですけれども、余りここでそれを正面から議論するのはいかがでございましょうかというのが私の結論です。そこまで申し上げておきたいと思います。

私の考え方がどういう考え方かは、これでお分かりになっていただけたと思います。適合性の原則に限って申し上げますと、私は排除の論理で基本的に考えていく。対象領域も、金融商品・商品先物あたりに限定して考えるのが妥当ではないかと思っている。

それから、民事ルールか業者ルールかといった場合には、まず業者ルールとして位置付けた上で、それを民法上のルールにどう展開するのかということで工夫をする必要がある。単に業者ルールがあるからということで、それをそのままの形で民事ルールのほうに持っていくということについては、短絡はしないほうが好ましいのではないかという話です。

次に、消費者基本法2項2項と適合性の原則の関係についてどうかという照会もいただいています。消費者基本法2条2項は、資料に挙げている内容のものでございます。その下の矢印だけは枠の中を読ませていただきますが、同法2条2項が適合性の原則を体現するものかどうかという問いは、今申し上げましたように、適合性の原則が多義的である以上、生産的な意味は持たないのではないかというところでございます。

ここまでが私が申し上げたい前半部分です。

後半部分が4ページのところでございます。

今回のヒアリングあるいはワーキングで問題となっている年齢という観点から捉えた場合にどうなのかということで、私の意見を申し上げます。適合性の原則などという言葉を使う必要はないし、生産的ではないけれども、別の観点から、必要なルールは民事ルールとして設けることを検討してはいかがであろうかというのが、これから申し上げる主張の骨子でございます。

まず、1を御覧ください。年齢に対する配慮ということに関して、基本的な考え方、アプローチの方法ということを捉えた場合に、どうなのかというところを枠の中に2つ挙げておきました。一方は、近代民法の考えている枠組みからのアプローチで、もう一つは、消費者契約法のもとでの枠組みからアプローチしていったらどうかということです。結果的には同じところにたどり着きますということを申し上げたいというところです。

まず、枠の中の近代民法下での意思能力・行為能力制度というところを御覧いただければと思います。知的・社会的・経済的な成熟度、自己決定能力の不足というものが、合理的な意思決定、つまり目標を設定し、選択し、判断し、決定をするという決定過程の判断を妨げている状況がある場合に、それはその者にとっては自律的な自己決定とは言えない。したがって、取引の効力を否定する。そして、行為能力制度によって、更にはそれを補充する、場合によっては監督機能もつけるというものが、日本民法もそうでございますけれども、近代民法がこれまでたどってきた枠組みではないかと思います。私などは大学では、意思能力とは何かといったら自己決定能力だと、私的自治のための必要な能力であるけれども、理性人であるからといって、全ての者が持ち合わせているものではないというように学生たちには説明することもありますが、まさにそういう意味では意思能力というものは私的自治のための、自己決定のための能力であり、自律的な自己決定をするために必要な知的・社会的・経済的な成熟度であろうと思っているところです。

ついでに、資料に書いた言葉では、社会的・経済的成熟度というのがみそです。普通は、単に知的成熟度というのですけれども、やはり社会のコンテクストの中で、あるいは市場のコンテクストの中で自己決定能力というものも評価するべきではあるまいかという思いが、この社会的・経済的という言葉の中に込められているものと御理解いただければと思います。

こういう近代民法下での自己決定能力に対する評価の枠組みというものについて、それが消費者取引の場面ではどうなのかと申し上げます。その下の◆を御覧ください。消費者取引における事業者・消費者間の情報格差、あるいは交渉力格差というものが、知的・社会的・経済的成熟度(自己決定能力)の不足から生じる問題を増幅させていると受け取れないかということでございます。

そうなりますと、我が国の民法は消費者に特化したような私法ルールを設けていない。先ほど座長より御紹介いただきました民法の債権法の改正に向けた部会の審議の中でも、民法の改正に当たっては、消費者取引あるいは消費者契約に特化したルールというものを民法の中に設けるのはいかがなものかというような議論が展開され、結果的に出てきた改正案は、消費者契約に特価した形での制度あるいはルールを据えるという基本的なスタンスは採用していない。そうなりますと、今申し上げました◆の中に書いているような観点からの情報格差・交渉力格差が招来するところの自己決定能力の欠如という問題に対しては、消費者契約法の中で対応するということが我が国の現在の私法上の枠組みを前提とした場合には、好ましいと思います。

他方、現在存在している我が国の消費者契約法のもとでは、消費者取引における事業者・消費者間の情報格差・交渉力の格差が消費者による自己決定の結果であると評価しがたい状況を作り出しているとの認識のもとに、各種の制度、ルール、規律というものが成り立っています。御案内のとおり、不実告知と不当条項規制、更には、これは民法の中では明確には、表には書かれていませんけれども、消費者公序なるものが民法90条の中に取り込まれ、暴利行為規制として展開を見ている。これ自体の評価はいろいろあろうと思いますが、ともかくも、今申し上げた形での対応がされているということでございます。

現在の我が国の消費者契約法の下での無価値評価の枠組みというものを見ただけでも、消費者の知的・社会的・経済的成熟度(自己決定能力)の不足が事業者・消費者間の情報格差・交渉力格差から生じる問題を増幅させているのではないかという印象を受けます。この後で予定されていると伺っておりますけれども、学生の方々の消費者トラブルというようなものも、このあたりに由来するものではなかろうかとも思うところです。

矢印のところは、今いろいろ申し上げたところの繰り返しのようなところでございますので、後で御覧いただければと思うところでございます。

その上で、4ページ目の下から3行目の矢印に注目してください。消費者契約においては、事業者・消費者間に情報格差・交渉力格差が構造的に存在するという典型的モデルを基礎に据えて、情報格差・交渉力格差のために消費者がした決定の結果を表意者である消費者に帰属させることが正当化されない場合を制度化して、類型的に規律していると書いておきました。これは近代民法にはないモデルです。近代民法は、先ほど合理人とか理性人という言葉を使わせていただきましたけれども、理性的に判断、決定することができるという人を人のモデルとして捉えているからです。

他方、消費者という特性、あるいは消費者と事業者という特性を捉えた場合、それに対してどのように対応するのかということに対しては、民法にはそれに対応する制度枠組みはありません。

この関係では、5ページ目の上から5行目のところも御覧ください。消費者の知的・社会的・経済的成熟度が情報収集面にも、動機づけ・意思形成・意思決定面にも大きな影響を及ぼすと書いておきました。現行の意思能力制度や制限行為能力制度でこれに対応することには限界があり、既にその限界の幾つかは露呈していると思います。

黒丸の一番上ですが、意思能力は6歳程度の知的・社会的・経済的成熟度が目安と言われています。これについては学者もいろいろな意見があろうと思いますけれども、普通一般に言われているのは、目安としては小学校入学程度の知能だと言われているので、それを前提としたら、それ以上の知的・社会的・経済的成熟度を持っている方々は、この枠では何ともならない。

それから、成年後見制度は、我が国では十分に機能しているとはとても言えない状況にあります。たくさんの高齢者が保護あるいは支援を求められずに、求めることができない形で世の中に存在しているという状況でございます。

さらには、これこそが次のヒアリングの方々のお話にもかかわってくるのでございましょうが、18歳以上の大学生が被害者となる消費者被害が多発しています。

さて、そうであれば、どうしましょうかというのがその次の6ページ目のところでございます。今まで申し上げたことを、民法の民事の私法の枠組みで捉えたら、何か仕組みを考えることはできないのかという話だと受け取っていただければと思います。繰り返しますけれども、適合性の原則は以下のどこにも使っていません。

1つ目の(1)説明義務・情報提供義務の枠組みという枠を御覧ください。私は、事業者による情報の提供、意見・判断の提供が、消費者の知的・社会的・経済的成熟度の不足(年齢等)のゆえに、事業者・消費者間の構造的な情報格差、交渉力格差を介して、消費者の意思決定(意思表示)に影響を及ぼすことがあり得るという理解をしています。そのような場合に、消費者契約法は基本法の2条2項にいう、消費者契約の効力を考える際には、消費者の年齢その他の特性に配慮しなければならないというのは、今申し上げたような認識を基礎にしているのではないかとも思います。

さらに、そのように考えた場合には、結局、事業者・消費者間においては構造的、典型的に情報格差・交渉力格差があるという認識の下で、消費者契約法というものの体系システムができ上がっている以上、そして、その情報格差・交渉力格差がまさに消費者の知的・社会的な成熟度によって更に増幅したり、あるいは格差自体が維持されたりすることもある以上、あえて言いましたならば、自己決定基盤だとか、あるいは意思決定過程だとかいう、そんなことを言っても、結局は決定過程とか基盤に結びついたその人の能力というものが、切り離されて捉えられるようでは、結局は自己決定基盤ということを整備した意味がない。意思決定過程ということを何らかの形で支援しようというふうにしたことの意味がない。そうなりますと、2条2項のような基本思想がある以上は、その前提として、能力面での問題にも配慮をした思想、ルール、考え方といったようなものを、消費者基本法でもよろしいのでしょうけれども、できれば消費者契約法の中に入れておくということもあり得る選択肢ではないかと思います。

下の矢印を御覧ください。マル1は、先ほど申し上げましたように、まさにその消費者取引における構造的格差を考慮に入れた知的・社会的・経済的成熟性の重視を宣言するものだという位置付けをする。これは民事レベルでのサンクションとは直結はしない。しかし、原理だという形での重要性は意識しておく必要がある。

その上で、マル2は、消費者契約法3条の定める「説明義務」ですが、一般に言われている努力義務に関するサブルール的な性質を持つものです。そのような3条の位置付けを前提としましたならば、それを踏まえて考えるならば、民事レベルでのサンクションとは直結しない、原理的な位置付けとしてはいかがかというところです。

その上で、マル1、マル2の考え方を反映する形で消費者契約法4条の規定を解釈すればどうでしょうか。4条自体は先ほど申し上げましたように情報格差・交渉力格差から生じる不実告知だとか、断定的な判断などに対して意思表示の効力を否定するようなシステム、あるいはルールを採用しています。そのルールと、先ほど申し上げましたようなその基礎になるところの決定能力、あるいは成熟度というようなものは、不即不離との関係にあるわけですから、3条で、先ほど申し上げたい内容の原理的なものを規定しておけば、4条の解釈論において、それを生かせるということはあり得るのではないかと思います。

さらに、私自身は定見はございませんが、かつてのドイツのように、一定の取引分野における特定の能力というものを考慮に入れた民事ルールを具体的に書き下すことができるものであれば、そこまで書いてもよいという感じもしないわけではございませんが、少なくとも6ページ目に書いたようなあたりまでは、規定を設ける必要があるのではないかと思っているところです。

次に、7ページの(2)も御覧いただければと思います。

まず、枠の中でございます。事業者による消費者の意思決定過程への介入が、消費者の知的・社会的・経済的成熟度の不足(年齢等)のゆえに、事業者・消費者間の構造的な情報格差・交渉力格差を解して、消費者の意思決定(意思表示)に影響を及ぼすことがあり得るということで、その下を見ていただければと思います。要するに、暴利行為のルールを活用できないのかということです。先ほども申し上げました民法(債権関係)部会では暴利行為の議論も多々行われました。結局は規定に盛り込まれませんでしたけれども、盛り込まれなかった理由は、規定の文言に対する一致を見なかったということもありますが、もう一つの理由としては、このような規定が必要であったとしても、これは消費者契約という場面で問題になることであろうから、法改正、あるいは新たな規定を設けるということであるのならば、民法ではなくて、消費者契約の領域という形で議論をすればよろしいのではないかという意見も特に産業界、金融機関の関係者等から話が出ていたところを考慮したことによるものと思われます。そうであれば、消費者契約法のほうで議論をするときに、債権関係部会での議論を引き取って、何らかの形で考える必要がありはしないかということです。

それを更に具体化しますと、マル1にありますように、暴利行為のルールによって取引の効力が否定されるのは、表意者の意思決定過程への他方当事者のつけ込み型の介入により表意者の自己決定権が侵害されたという点にあるということです。

暴利行為という言葉が私はよろしくないのではないかと思います。もちろん、この議論の出自を考えますと、基本的に一方において暴利をむさぼっているという客観的な状況があり、他方においてつけ込むというか、弱さに対して介入してコントロールをしているという両面があってという、そういう理解をしている部分が少なからずあると思います。このあたりは学者でも意見が分かれるところかと思いますけれども、基本的にそういう発展をしてきた理由は、日本民法でいったら90条の公序良俗規定が、法律行為の内容の社会的妥当性という観点から捉えられ、その中に暴利行為の理論を組み込んで論じてきた経緯がありますから、結局、ここでは、内容の妥当性というところがまずスタートラインに据えられているわけです。そうなると、この枠組みでは、利得が過大であることという要件をまず通過しなければいけないチェックポイントとして設定するわけです。その上で、利得が過大な場合も、それだけではそれは効力を否定することはできないという観点から、何か別なものが付加されなければいけない。それは何かといったら、まさに表意者の意思形成過程に対して不当に介入していることという観点でして、これが加わって、まさに相関的な衡量のもとで効力の否定の可否を判断するという方向で考えていく。これが暴利行為の枠組みだという捉え方をしているものですから、出発点のところは外せない、あるいは外さずに議論をするというような風潮があるのではないかと思うところです。

ただ、裏返して考えますと、暴利行為規制というところで、果たして利得の過大性というものが決定的な意味を持つのか。むしろ問題になっているのは、先ほどの自己決定という何度か繰り返した言葉ではございませんけれども、表意者自身が選択・判断・決定ということを自律的にやったかどうかという、その部分に対して相手方が不当にコントロールをしていることが暴利行為規制の中核にあるのではないのか。自己決定と言うものの、他律的な決定ではないのか。それを規制する枠組みが、まさに暴利行為が基本的に目指すべきところではないのかという感じがするというのが、私の思うところでございます。

この流れで、矢印の上から3番目を見ていただければと思います。暴利行為のルールにおいて決定的なのは、表意者の窮状・経験不足・判断能力不足・意思の脆弱性、これにつけ込む行為を事業者がすることにより、表意者(消費者)の意思決定過程が他方当事者(事業者)によりコントロールされ、自由な自己決定をすることができなかったと、こういう観点が大事ではないかという話と理解していただければと思います。

そうなりますと、次に枠の中のマル2でございますが、情報格差・交渉力格差の存在が、消費者の脆弱性へのつけ込みによる取引を招来するリスクを構造的に内包しているという点に鑑みましたならば、今、申し上げた意味での暴利行為のルールを少なくとも消費者契約法に導入することには意義がありはしないかという提言をしています。

その上で、マル3ですが、消費者の知的・社会的・経済的成熟度の不足(年齢等)に乗じて事業者がした行為の結果として消費者の自己決定権が侵害されているという局面に対応するために、当該取引の効力を否定するルールの中に、今申し上げた知的・社会的・経済的成熟度の不足(年齢等)の要素を明示する必要がありませんかという提案をしています。

先ほど申し上げました消費者契約法の4条には、意思形成過程に対する介入、そしてそれに対する取消しという効果を伴った民事ルールが採用されております。ですから、消費者契約法3条に原理、あるいは思想というものを書き込むことによって、それを消費者契約法4条の中に盛り込んで解釈展開をするということは可能です。その部分で十分かもしれません。

ところが、暴利行為のところに対応するものについては、現在の消費者契約法の中には規定はない。民法90条にはございます。では、民法90条を使って、今、私が最後に申し上げたような解釈操作をすることができるのかといったならば、これにはかなり抵抗があろうかと思います。学者も含めていろいろな意見がございますから。そうであるならば、むしろ受け皿となるようなつけ込み型の規制に関係する民事ルールを消費者契約法のもとに置き、そして、その中に先ほど申し上げた意味での知的・社会的・経済的成熟度の不足ということを要素として書き込む。他方、これはできればという私の望みでございますけれども、過大利得、利得の過大性ということをその中では余り強調しない、あるいは削除するというようなことをお考えになってはいかがであろうかということを申し上げ、更に、矢印のところで冒頭にドイツ民法の138条、そこには「判断能力の欠如」ということも書かれてございますので、そういうあたりも少し参考にしながら、先生方のほうでよりよき制度の構築を目指して御検討いただければと思います。

済みません。30分と言われたのに45分しゃべってしまいました。申し訳ございません。言いたいことはもう全て申し上げました。ありがとうございました。

○樋口座長 御説明ありがとうございました。

ただいまの御説明を踏まえまして、御質問、御意見のある方は御発言をお願いいたします。

池本委員、お願いいたします。

○池本座長代理 池本でございます。

非常に全体像をクリアに整理していただいて、ありがとうございました。

昨年、消費者契約法専門調査会の中でこのつけ込み型勧誘の法律行為について効力否定の議論がありましたが、残念ながらそのときには意見の一致を見なかった。その代わりに、過量販売の取消しというものが入りました。実はそれは特商法の分野で入っていたのが消費者契約法に広げられたという意味では非常に評価できるのですが、どちらかというと消費者契約法は消費者契約一般の法理がまず入って、分野によって必要なところは特定商取引法かなと、私なんかはそういう整理で考えていたのですが、消費者契約法にかなり場面を特化した具体的な規定が入った。それはそれで消費者契約法にもそういうものを例示的に列挙していくというのもありなのかなと思うのですが、そのあたりについてどのようにお考えかという点が1点。

もう一点は、この間、ヒアリングの中でほかの、特に消費生活相談の現場の話を聞きますと、若年者の被害で目立つのが、実際には収入がないのに、例えば年齢とか、職業とか、収入とかの虚偽の記載をさせてローンやクレジットを利用させる。これもまさにそのことの意味内容を理解しないで、いい取引だ、じゃあやろうかという未熟さゆえの誘導だと思うのですが、そういうものがある。これはどちらかというと、過剰与信を引き出す販売業者の誤導なのですね。そのような具体的なものについても、まさに相手方の社会経験不足に乗じて、結果として過剰与信となる契約をさせるという意味では、今のつけ込み型勧誘の中の一場面になるのではないかと思うのです。

そういうものを消費者契約法の包括的な規定としての御提案があったような規定とともに、消費者契約法に行くのか、あるいは特定商取引法なりそちらの分野に行くのか、その2つの法律の位置関係をどう考えたらいいのかというあたりについてお伺いできればと思います。

○潮見京都大学大学院法学研究科教授・法学研究科長 ありがとうございます。

これもいろいろな考え方があろうかと思いますけれども、今日私が話したストーリーの中では、消費者契約法というものは事業者・消費者間における私法の一般法だと位置付けました。一般法という言葉はよろしくないのですけれども、消費者契約における一般法、基本法という意味です。しかも、基本法といっても私法のルールを定めた基本法であるという認識を、私は持っております。そうであれば、いろいろなルール等についても一般化することが可能であり、しかも、将来に向けた展開を踏まえることが必要だという場面を想定するのであれば、基本的にはまず消費者契約法の中でルールを考えるのが有益ではないかと思います。

池本先生がおっしゃった過去のこの間の議論の経緯を、私も了解はしているつもりでございますけれども、それを踏まえてもなお、まずは消費者契約法での可能性を考えるべきではないかと思います。それが難しいということであれば、個別の場面に特化した形で規定を置くという段取りになるのでしょう。しかも、それが特商法に置いたほうがいいのかという話もでてきましょう。もっとも、消費者契約法の中でも、不当条項規制のあたりには、幾つかの条項リストを挙げています。そのリストは、必ずしも全ての消費者取引に妥当しないかもしれないようなものも含めてルール化をしています。一般ルールの顔はしていますけれども、そのようなものがございますから、場合によれば、消費者契約法の中に例示として幾つかを挙げていって、更に受け皿を置くということもあるのかなという感じもしたところでございます。

それから、これは2点目のほうにも絡んでくることでございますけれども、先ほど申し上げました情報格差・交渉力格差というものに、その消費者の知的な成熟度等が影響を及ぼしてくるという場面は、一般的に私はあるのではないかと思いますし、そうであれば、今日申し上げたような形での規定の可能性ということを、民法をやっている人間からすると考えたほうがいいのではないかと思うところがございます。

ただ、これも先ほど御教示いただきましたようなこの間の展開等を踏まえて考えた場合に、なかなか一般的な定めを設けることが難しいということであれば、先ほど先生がおっしゃった場面もそうでしょうし、それ以外のところもいろいろあると思いますので、特に成熟度というものが情報格差・交渉力格差を増幅させたりすることが典型的に見られ、実際にそのような具体的なケースも多々あるという領域、あるいは事件類型について特化した形で規定を設けるということは、半歩前進というところでは意味があるのではないかと思います。

その上で、その規定をどちらに置くべきかということが次の問題となります。先ほど申し上げましたように、まずはできるところからでも少しずつでも規定を置いていこうということであるのならば、消費者契約法でもいいし、あるいは特商法でもいい。ただ、消費者契約法に置く場合には、特に先ほど最後に申し上げました暴利行為型、つけ込み型のものを考えた場合に、基本的な受け皿ルール、制度というものが消費者契約法にありません。しかし、何か特定の領域についての事件類型に関して、年齢等についての配慮をした規定を、消費者契約法にそれだけを幾つか置くということが果たして体系的に好ましいものなのか、あるいは実際に消費者相談の現場でこういうものに対応される方々にとって使いやすいものかどうかというところを意識して、場合によっては別の特別法を作るなり、あるいは特商法等の中で対応するような形をとるのも、私は規定を作るという面では意味があると思います。

ありがとうございました。

○樋口座長 ありがとうございました。

ほかにいかがでしょうか。

後藤専門委員、お願いします。

○後藤専門委員 頭が整理された感じがします。御報告どうもありがとうございました。

幾つかお尋ねしたいことがあるのですけれども、まず、6ページに書いてあります「説明義務・情報提供義務の枠組み」というところです。ここで説明義務・情報提供義務の枠組みを用いて若年者に対する対応を考えるということなのですけれども、その場合に具体的にお書きになっているのは、消費者契約法4条の規定を解釈・運用するということなのですが、消費者契約法4条には、誤認に当たる場合と困惑に当たる場合、それから今度新しくできた過量契約に当たる場合があるのですが、その中の具体的にどこの問題なのか。誤認の問題なのか、困惑の問題なのか、それ以外の問題なのか。全体にかかわるということもあると思うのですけれども、特にどこにかかわるのかということをお尋ねしたいと思います。

といいますのは、4ページの下から3行目ですけれども、事業者・消費者間に情報格差・交渉力格差とあり、そして交渉力格差の後に括弧して「消費者の意思脆弱性を含む」とある。この意思脆弱性を含むというのは、若年ということを含むという趣旨に受け取ったわけでありますけれども、そうすると何が本丸といいますか、一番かかわってくるのは困惑のところなのではないかという気もするわけであります。そうだとすると、3条の情報提供努力義務のサブ・ルール的性質のものというのは、やや理解しにくいところもあると思いまして、そこのところで具体的に消費者契約法4条の規定を解釈・運用するということの、更にもう少し詳しいお話を伺えたらというのが質問の第1点です。

まずこれで区切ってよろしいでしょうか。

○樋口座長 お願いいたします。

○潮見京都大学大学院法学研究科教授・法学研究科長 それ以外のところは、また別のお尋ねということですね。

○後藤専門委員 別のことです。

○潮見京都大学大学院法学研究科教授・法学研究科長 どうもありがとうございました。

難しいところだと思います。途中でおっしゃっていただいたように、どの類型に特化した形でということを、私は想定しておりませんでした。もちろん誤認の場合にも、困惑の場合にも、この問題は入ってくると思っているところですし、結局、意思脆弱性というのは、私は若年層以外の場面でも想定をしているところです。先ほどの投資取引の事例等も見ておりましたら、これは年齢とかに限らず、あるいは事業者も含めた形で脆弱性ということは一般的には問題になるけれども、しかし、特に典型的に問題になるのは消費者一般だと、事業者・消費者間での問題だと思っています。正直に言いますと、交渉力格差という言葉自体が状況を適切に反映していないのではないかというのが私のこの部分についての理解でございましたので、意思脆弱性ということを括弧の中で入れたというだけです。

その意思脆弱性ということを入れました場合には、先生御案内のとおりで、結果的に例えば情報を提供したというようなことが適切にされたとしても、普通の人ならば理解できるけれども、与えられた情報についてどうしたらいいのかということについて、その判断を十分にすることができないような方々もいらっしゃる。

それから、意思の決定のプロセス自体、まさに意思形成をするということにおいて脆弱であるという状況があるところ、「格差」がある場面、つまり、一方に意思の成熟面で弱い者がいて、他方に事業者がいる場面では、事業者のほうが一定の知識等を持っておりますから、そこからいろいろな形での説明だとか、あるいは干渉、介入ということが行われることになります。だから、格差がある当事者間では、消費者の意思の弱さというものが相対的に露見するということもございます。

それを見た場合に、では消費者契約法のどこにこの問題を位置付けるかということになりますと、4条をいじらないということであるならば、誤認のところでも、困惑のところでも、両方において作用すると見ておいたほうが私はいいようにも思います。

これは認知科学の話になりますけれども、対象を認識し、目標を設定して、いろいろ行動を起こすという、そのプロセス全体にかかわるわけで、誤認とか困惑というところもプロセスの中のどこかに位置付けられるような問題なのです。このような認識を踏まえたときには、消費者契約法4条をそのままにしておけばという前提ですねという形で申し上げましたけれども、本来、消費者契約法の4条でこのような狭い縛り方をしているのかどうかというところが問題になるべきところではなかろうかと思っているのです。私も最初、消費者契約法を作ったときにかなりきついことを申し上げたことがございますけれども、その意味では広く捉える必要がありはしないかと思います。

次に、消費者契約法3条で書かれている説明義務、情報提供義務ですが、これが果たして狭く捉えられるべきものなのか、3条の文言を狭く解釈するよりは、この内容はむしろもう少し豊かなものではないかという形でアプローチをしていくほうがよろしいのではないかとも私は思いましたものですから、今日報告させていただいたような形で申し上げた次第です。

もちろんその場合に、3条の文言として、これは余りにも狭いと、成熟度に対応するには少し難しい側面があるということでありましたならば、先ほどの6ページのマル1とマル2の部分について、思想を示すものですから、消費者契約法の今の3条の規定を少し修正する、あるいはこの問題を捉え切れるような形で書きかえるということも、やる意味、価値があるように思います。

ありがとうございました。

○後藤専門委員 よく分かりました。どうもありがとうございました。

引き続きよろしいでしょうか。今、6ページの(1)説明義務・情報提供義務の枠組みについて御説明いただいたのですが、御提案としては、(1)以外に7ページの(2)のつけ込み型勧誘による法律行為に対する効力否定の枠組みと、この2つの提案をいただいているわけであります。併存ということもあると思うのですが、どちらか選ぶとしたら、(1)のアプローチと(2)のアプローチと、どちらがベターなのか。

それから、(2)の暴利行為的な対応をするという場合に、暴利行為というと伝統的には契約内容ということが問題になってくると思うのですけれども、ここで今日のお話を伺って、自律的な自己決定ができているかどうかというところに力点を置いて考えていくことになると、効果として(2)のようなアプローチをした場合に、無効ではなくて取消しという効果を考えていいのかどうかということです。これは現在の4条4項の過量契約の場合にも、その効果をどうするかということが専門調査会で議論となって、広い意味では意思表示の瑕疵に当たるだろうということで、取消しという効果でよろしいだろうという議論になったのですが、それと同じようにここも取消しの効果を導くということでいいのかどうかをお尋ねしたいと思います。

あと1点、これはここでの問題とややずれるかもしれませんけれども、7ページでお書きになっている民法(債権法)改正法検討委員会試案について、下から7行目で「当事者の困窮、従属もしくは抑圧状態」というところがあるのですが、特にこの抑圧状態というのが何を意味するかということについてお尋ねしたいのです。この抑圧状態というのは、当事者がもともと抑圧状態に置かれていたという場合だけではなくて、例えば執拗な勧誘を受けて、それで断ることができなくなっている状態というような、通常、消費者契約法の困惑で議論されるような状況、いわば事業者側からそういう抑圧状態を生じさせる、作出するような場合も含むのかどうかということです。

これは問題関心としましては、消費者契約法4条の困惑ということについても、それを拡張するかどうかというのが専門調査会でも議論になっていまして、もしここの民法(債権法)改正検討委員会試案の抑圧状態というのが、事業者側から抑圧状態を作出したという場合も含むとすると、現在、狭く不退去・退去妨害に限定されている4条の困惑ということの要件をあまりいじらなくても、一般条項的なところで広く困惑類似の問題を捉えることができるのではないか。一般条項的な規定を考える場合に、この抑圧状態という言葉を入れておくことによって、積極的な抑圧状態作出というようなことがあった場合への対応もできるのではないかというのが問題意識です。その辺について、この抑圧状態をどう考えるのかということについてお尋ねしたいと思います。

以上です。よろしくお願いします。

○潮見京都大学大学院法学研究科教授・法学研究科長 どうもありがとうございました。

後ろのほうから、私の考えているところを申し上げます。

まず、改正検討委員会の試案ですけれども、これはいろいろな理解があり得ると思うのですが、結論だけ申し上げますと、先生がおっしゃったようなことも当然入れていると私は見ております。抑圧状態を利用してという文言になっておりますから。

更に、困窮という言葉自体が、言葉の意味として、これは受け取り方次第では経済的な面での困窮という理解をされかねないこともあり、その意味では、抑圧状態というものはかなりひどい。しかも、誰が作出したかというところも決定的なものとは見ない。それはなぜかというと、基本的にこの考え方は、先ほど先生もおっしゃっていただきましたように、表意者の自己決定というプロセスを問題にしている局面でございますから、本来であれば自律的に自らの判断で、自ら得た情報に基づいて判断をし、決定をする。当然選択もするということを想定しているものでございますから、基本的に消費者側の意思、あるいは意思決定のところが核であって、抑圧状態を誰が作ったとか、どのようにしたのかということについては、これ自体としては特段の意味を持たない。

もちろん、不当性とか何かそういうことを考える必要があるならば、その部分で相手方の行動を見ていく必要があるのではなかろうかと思います。

それから、2つ目の効果ですけれども、先生がおっしゃったような枠組みで考えた場合、特に内容の妥当性というところについては無効処理、自己決定のプロセスに対する不当な介入、コントロールに対する評価をして、広い意味で意思表示の瑕疵だと、それで効力を否定する場合には、消費者契約法では取消しという枠組みをとっているのだということで捉えるのでありましたならば、それはそれとして私はあり得る選択肢ではなかろうかと思います。実際にこの場合の無効処理といっても、基本的に御案内のとおり相対的無効で、結果的には取消しと同じような方向に向かっておりますから、それは制度選択としてはむしろあってよいと思うところでございます。

ただ、比較法的に見て、それは先生が専門とされるフランスとか、あるいはドイツとか、このあたりの人たちが見たときに、なぜこれは取消しなのか、なぜ無効ではないのかというあたりについては、なかなか理解をしてもらうことが、ちゃんと言わないと、なぜと言われるかもしれないなと思います。でも、それは消費者を保護するためにはそれでいいということで、むしろ積極的に取り組んでいったらいいとは思います。

第1点目のほうですけれども、済みません、何でしたっけ。

○後藤専門委員 2つの御提案のうち、どちらがベターなのかと。

○潮見京都大学大学院法学研究科教授・法学研究科長 2つとも入れるべきだとは思いますけれども、今から私の考えをそれに沿った形で申し上げます。どちらが望ましいのかといったら、どちらかといえば、私個人的には(2)つけ込み型の規制というほうが望ましいと思います。

(1)のほうは、なぜこれが難しいのかというと、実は先ほどの後藤先生の最初の質問に絡むところですけれども、4条が狭い。しかも、その4条の中に組み込むのは難しいところがありますから、4条も一緒に変えるのであれば、これでもいいかなとは思います。

そうはいいながらも、ちょっとだけありますのは、今日のお話は基本的に契約の効力を否定するという観点からどのような枠組みがあり得るのかということでお話をさせていただきました。ただ、損害賠償まで含めて考えたときに、どちらが好ましいのか。これも程度問題であり、必ずしも理論的に一貫性があるわけではございませんが、義務の範囲を広く整備しておくということをしておけば、仮にその事業者の行為を捉えて当該契約を取り消すということができない場合でも、不法行為、損害賠償の救済に進む上での取っかかりにはなるのではないかと。そうであれば、損害賠償という効果を受け入れるという前提ではございますけれども、義務という面、あるいは義務違反というところを広く国民にも認識させるということを込めて、(1)のほうをとるというのもあり得るように思います。

○後藤専門委員 どうもありがとうございました。

○樋口座長 ほかにいかがでしょうか。

河上委員長、お願いいたします。

○河上委員長 もう余り時間がないので申し訳ないのですけれども、基本的に適合性原則という言葉をめぐっていろいろな議論が展開されているので、この点について一言申し上げます。適合性原則の理解に関しては、私は恐らく潮見さんとはある意味で反対側のほうにいるのだろうと思います。ただ、先ほどのお話では、思想としてであれば、適合性原則というのはもちろん背景としてあるということについては同感だとおっしゃってくださったので、私はそれ以上はここでは議論いたしません。恐らく今日一日かかりますので。伺いたかったのは、先ほどの「年齢等」というところで、知的・社会的・経済的成熟度という部分を含んでおられたのかどうかです。年齢等と書いたときに、先ほど後藤専門委員がおっしゃった、ある意味では置かれた状況も含めて年齢等と解釈する余地があるのかどうかというあたりがちょっとに気になって、実はオランダの「状況の濫用」という法理の中には、本人のそうした知識・経験ばかりではなくて、そこで置かれている状況、あるいはそこに持ち込まれたプロセスも含めて取消し原因として考える、あるいは無効原因として考えるということなので、年齢等というものの解釈について、もうちょっと柔軟に考えてもいいとお考えなのかどうかというのが1つです。

もう一点ですけれども、今、日本の消費者契約法の実体法の部分は、今日では団体訴訟の対象になっています。そうすると、個別の取引の中での問題以上に、業者の行為規範として、行為規範に対する違反行為をただすという部分が強くなってきている気がするわけです。業者の行為規範ということを考えたときには、業法ルールであるのか、民事ルールであるのかという潮見先生の一番最初の出だしの前提が、相対的には意味が少し薄くなってくるのではないかという気がするのですが、そのあたりを教えてください。

○潮見京都大学大学院法学研究科教授・法学研究科長 どうもありがとうございました。

最後の点は、私も全く同感のところがあります。つまり、結局行為規制なのか、それとも消費者なら消費者が行った取引契約の効力を否定するのか、どちらに軸足を置いて制度を設計していくのかということになろうと思います。行為規制ということになりましたならば、それは当該事業者の行為をどのレベルで規制することが、まさに市場において、あるいは社会において好ましいのかという観点から出てまいりますので、それが私法上のルールなのか、それとも業法ルールなのか、あるいはもっといったら自主規制なのかとか、こうした部分についてはある意味では相対化されて、しかも連続的なものとして捉えることが可能だと思うのです。効力否定というところで見た場合に初めて出てくるのかなという感じがいたしました。

それから、年齢等について、これはむしろ先生のほうが御専門だと思いますけれども、基本的に年齢等と言った場合に、そのコンテクストにおいて取引というものの要素、あるいは当事者を取り巻く状況というものが考慮に入れられるということは、当然のことではなかろうかと思います。ただ、そうなってきた場合に、民法のところでも年齢というものは一律に捉えているではないか、民法のルールとして、例えば今回の成人年齢が引き下げられるということになれば、そこでの年齢という文脈において、今、河上先生がおっしゃったような事柄も全て踏まえて態度決定をしているのではないかという方向に話が流れるかもしれないと思っているのです。それを防ごうとするには、これも先生のお言葉の中にもありましたけれども、消費者取引の中では年齢等という意味を、事業者と消費者間の典型的・構造的な格差という文脈のもとで解釈すべきであると言わなければいけません。

そこまでを含めて年齢等ということで言うのが適切なのかどうかということで、ここから先はいろいろ考え方があろうと思いますけれども、年齢等と言った場合に、私が先ほど申し上げましたような当事者が社会において置かれた状況、事業者との関係で置かれた状況、経済的なものも含めて、そういうものを取り込んで普通考えているのか、考えていないのかという、そこの見極めをしてから判断をする必要があるように思います。

○河上委員長 ありがとうございました。

○樋口座長 ほかにいかがでしょうか。

後藤専門委員、お願いします。

○後藤専門委員 このつけ込み型勧誘というものについて、具体的な規定を考えるとする場合に、4条4項の新設された過量契約の取消しということとの関係が問題になると思います。過量契約の取消しということもつけ込み型勧誘の一つとして考えることができると思いますので、4条4項があるということを前提に、今後新しい規定を考えるに当たって注意すべきことがもしありましたら、御指摘いただけたらありがたいのですが。

○潮見京都大学大学院法学研究科教授・法学研究科長 ありがとうございます。

難しい問題かとは思いますけれども、先ほどの過量取引の場合は、基本的にこれは意思に対するコントロールとかいうことももとより、一応、規定の体裁上、外形上は、過量性という内容面も意識した形での効力否定のルールを立てておられる。

他方、つけ込み型の場合には、先ほど申し上げましたように、むしろ意思決定過程に対して不当に、まさにつけ込んでコントロールをしているという面がございますから、重なる場合に観点は違いますと。規範競合ではございませんが、別のルールからでも、どちらでも対応できるといった場合に、一方で対応できるから他方はやめておきましょうということをやらないというのが、私はあるべき姿ではなかろうかと思うのです。

そういう場合に、特につけ込み型の場合に、先ほど池本先生がおっしゃったのは、ある特定の場面に特化した形で作るのならばともかく、より一般的なものを目指す必要がありはしないかといった場合にはどうしても重なります。それは仕方がないことだと思います。観点が違う。こういう目で見たら、こちらから見ればこうで、あちらから見ればこうだということになったときに、どちらから見ることができてもいいではないかという姿勢をとるべきではなかろうかと思います。ついでながら申しますが、競合方で考える場合には、先ほどお話しさせていただいたように、つけ込み型の観点からアプローチする際には、いわゆる利得の過大性についてはむしろ背後に押しやったほうがいいのではないかと思います。

○樋口座長 ありがとうございました。

ほかにいかがでしょうか。

それでは、潮見教授へのヒアリングはこのあたりにさせていただきたいと思います。潮見先生にはお忙しいところヒアリングに応じていただきまして、貴重な御意見をいただきまして、誠にありがとうございました。

(2)学生団体スマセレ田中代表

○樋口座長 次に、学生団体スマセレの田中代表から御説明をお願いしたいと思います。

田中代表は、学生団体スマセレという、もともと消費者啓発に取り組んでいた学生により結成された学生団体の代表を務められ、日頃より消費者被害を防止する活動にとどまらず、ボランティア活動や環境活動等を行われています。田中代表からは、同団体が取り組んでおられる消費者被害を防止する啓発活動を中心に御報告いただけるものと承知しております。

それでは、田中代表から御説明をお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。

○学生団体スマセレ田中代表 よろしくお願いします。

説明する前に、簡単に私のバックグラウンドを説明しておいたほうが説明が分かりやすいかなと思うので、説明します。

2012年に兵庫県立大学に入学しまして、大学生協の学生委員会というところで活動していました。この学生委員会というのは、大学生協ごとにそういうサークルがあって、そこでも新入生に向けた啓発活動等をしていまして、私が委員長をやっていた阪神地域で約700人、昨年度理事をやっていた全国大学生協連下だと約1万人の学生委員がいます。

大学生協にかかわりながら、いろいろな消費者教育をする中で、レジュメの「学生団体スマセレとは?」というところの1行目に書いてあるのですけれども、2013年に兵庫県くらしのヤングクリエーターというものに認定されました。このくらしのヤングクリエーターというのは、大学生協の関西北陸事業連合というところが、当時は神戸事業連合だったのですけれども、兵庫県と2010年に「次世代の消費者教育・学習に関する協定」というものを結びまして、それから今年で7年目になるのですが、ずっと消費者教育を大学生協と兵庫県が連携してやっている、その中でそういった消費者教育にかかわった学生を認定するという制度です。

このくらしのヤングクリエーターがそれぞれ活動していたのですけれども、個人の活動には限界があるということで、県の事業といえども学内では公認団体とかではないので一切活動ができないとか、様々な人との接点が増えて継続的に活動する仕組みが必要であったりとか、それから大学生は4年間しかないという中で、OBやOGといかに連携していくのかというところが問題になって、2016年3月に、最初は兵庫県立大学の5名で活動をスタートして、現在は兵庫だけでなく関東、中部、関西で15大学、約50名弱のメンバーが参加しています。

この学生団体スマセレは主に何を目指しているのかというと、よく聞く消費者市民社会というものを目指しています。大きく2つに分けられると思うのですけれども、1つは大学生という、まだまだ全然社会経験のない大学生が賢い選択をする。この賢い選択は、日常における買い物はもちろん、就職、それから今、少子化とかが問題になっていますけれども、結婚まで様々な賢い選択をする。それから、やはり売り手と買い手がフェアになる。それは当然、事業者に対して意見を言うこともあれば、事業者の要望をしっかりと大学生が受け取って、それに対して、製品にちゃんと注意が書いてあるのに大学生が読まずに使ったりとか、先輩から譲り受けた自転車なんかを何年も使っていて、気付いたら事故になったりとか、そういうことも結構あります。

何よりも消費者被害ゼロを目指すというのが一つ大きな目標となって、幅広い活動を行っています。活動内容は、2のところに簡単な図があるのですけれども、やはりこういう活動、消費者教育をやろうなどと言っても大学生はほとんど集まってこないので、まずはしっかり人を集めるところからスタートして、そこから、学生なので何も分からない、まずは学ぶところからというので、専門家の人のところに行って意見を聞いたり、警察に行って事例とかを学びに行ったり、そうやって学ぶ。そこからワークショップ・セミナー等で考える。そこで考えたものを、しっかりと実際に作っていく。その作っていった中でまた輪を広げていくと、この循環をここ半年間ぐらい繰り返している、こういう団体です。

1ページの下のほうに幾らかあるのですけれども、セミナー・ワークショップというところでいけば、企画立案・運営、そして事務まで全て学生が実行委員会を立ち上げて、行政の協力等もいただきながら、ときには専門家とか企業の方にも協力をいただきながら、セミナー・ワークショップを開催したり、消費者被害の防止というところで言うと、1ページの下にあるように、特に今、大学生はひとり暮らしをして、何かトラブルに遭ったときにどこに相談したらいいのか、こういったことが分からない大学生も多いことから、「188」の番号、こういったものの番号を伝えるだけではなくて、使い方とかまでしっかりと教えていくみたいな、こういったことを学内はもちろん、駅前とかで広く大学生以外も対象にしながらやっています。

啓発ツールというところになりますと、2ページに行きまして、これは今年、最近できたもので、来年の4月に主に新入生などを中心に兵庫県下の大学など約3万人に配る啓発チラシです。こういった啓発チラシとか、どうしても例年入れている行政の啓発チラシというのは、後ろに全部のセンターの番号が書いてあったりとか、結構文字が多いものになるので、なるべく学生が自分たちの視点でどういったものだったら見たいと思うか。そういったことを大切にしながら啓発活動等を行っています。

今日の本題になるのですけれども、若者の消費者トラブルというところで、我々の団体の中では月に数回ミーティングをやっていまして、その中でいろいろなディスカッションを行うのですが、その1回に、身の回りの消費者トラブルというのを題にディスカッションしたことがあって、そこには学生10人ぐらいが参加したのですけれども、その10人のうち2人が実際に消費者トラブルに遭ったことがある。その2人の結構身近な友達とかが消費者トラブルに遭ったことがある。どんなトラブルに遭ったのかという話などをしたので大きく4つ出てきまして、1つずついきます。

まず1つは、SNSというのが最近主流になっていまして、TwitterであったりとかLINEなのですけこういったところ、最初はTwitterなどでバイト感覚で、例えばチケットを転売して、それでお小遣い稼ぎしませんかとか、あと、オークションにこういうものを出品してくれませんか。そういう話を受けて、バイトだと思ってやっていて、いざ商品が来たら、ちょっと変なものを送ってきたとか、バイト感覚でやっているところからトラブルに巻き込まれたり、あとは最近、アフィリエイトというネットの広告とか、ああいったものでお金を稼ぎませんかというところから実際に電話がかかってきて、1回とってみたらマルチ商法などの勧誘の電話で4時間ぐらい切ってもらえなかったりとか、あとは実際に、インターンの説明だと言われて行ったら全然違う勧誘を受けたりとか、SNSを入口に、被害だけではなくて自分が加害者になってしまう、そういったトラブルに巻き込まれたりとか、あと、SNSから男女の出会いなどでお金を貸してほしいみたいな、そういったところから気付いたら連絡がとれなくなったとか、こういった子が身近にいたのは結構意外でした。

学生団体、私たちの団体も今、50人弱と言っているのですけれども、皆さんインターネットとかから来たのです。全然つながりがなかった人たちがインターネットから、ちょっと興味があるので話を聞きたいと。もし私が悪徳な事業者だったら、そこで多分勧誘していたかもしれないですねというぐらい、今の子たちはSNSで知らない人とつながるのに割とハードルが低いということがあるのではないかと思います。インターンであったりとか、バイトの面接感覚から、気付いたらそういったところに巻き込まれる。こういったことがSNSで結構広がっているのではないかというのが1つ目です。

2つ目に、ワンクリック請求と書いてありますけれども、よくメールとかで送ってくるものです。来て、結構メールがうるさいから一回開いてみようと。開いたらワンクリック請求で、中に「クーリング・オフしたい方はこちら」と。通信販売なら当然クーリング・オフはできないのですけれども、クーリング・オフという言葉だけ知っているから、ついついクーリング・オフで、これで解除したらもうこういうメールは来なくなるのではないかと。そこを押したら、頭に「186」がつく番号で電話がかかって、自分の番号をとられてしまう。そこの個人情報がとられたら面倒くさいから、少額だったらついつい払ったと。実際に私たちの団体の10人のうち1人も、5,000円だったから払ったという子がいまして、しかも、その子は18歳ぐらいだったのですね。未成年なのに、そういうのを親に言うのもあれなんでというのもあって。中には、これは自分が押してしまったからしょうがないやといって、そもそも自分がトラブルに遭ったという意識がない子もいました。

続いて、ネットワークビジネスを書いているのですが、要するにネズミ講とかマルチ商法というものですけれども、マルチ商法とかネズミ講という言葉が余りにも残っているのか知らないですが、ネットワークビジネスと言われると、ビジネスだと思ってついつい乗ってしまう。逆に相手から、これはネットワークビジネスだからマルチ商法とかネズミ講ではないよというふうに言われてだまされる学生もいて、マルチ商法とかネズミ講、さっきのクーリング・オフではないですけれども、言葉だけがすごく学生の中とかには残っていて、実態のものとどこが違うのか、そういうのを全然判断できなく、だまされていたりとか、さっきも言ったようにそれもSNSで知り合った人であったりとか、あとは部活などでグループ。ある程度、大学は結構グループになるので、そのグループの中の1人がやったら断れなくなる。気付いたらグループの周りみんなそうなっていて、自分たちのグループがもう勧誘ができなくなったらほかのグループに行って、そこで、それはちょっとおかしいんじゃないのと言われて初めて気付いたり、そういったケースも割と私の身近なところで起こっていたことです。

それから、電子商品というのも最近結構増えていて、電子書籍とかそういうのもあるのですけれども、これは私の身近な友達なのですが、復縁マニュアルです。交際していて別れた相手と復縁できるマニュアルみたいなものを買って、それが3万円ぐらいして、それをローンで買ってしまったと。もうそれは3年ぐらい前の話で、当時は当然、そういう状態なので大変傷つかれていたみたいですし、内容が内容だけに周りの友達にも相談できない。そういった内容でついつい購入してしまう。実際に送ってきたものを見たら、ほとんど内容がないようなものをそういう値段で買ってしまったと。今、やはりSNSや電子商品など、今までになかったものでひっかかるような例が結構出てきています。

それから、資料の※のところにも書いているのですけれども、どこからがクレームになるのかという判断ができず相談しない学生も多いということで、自分がだまされていないと思っている学生も当然いますし、さっきの復縁マニュアルではないですけれども、プライド的にできなかったりとか、あとは今、企業とかに物を言ったり、Twitterなどで炎上というように、自分の意見を言ったらそれがちょっとクレーマー扱いされたりとか、そういったことを怖がって相談を実際にしない学生というのも結構いるのではないかと感じています。

社会経験がなく、ひとり暮らしで、時には最近、友人がいない便所飯なんていう言葉もありますけれども、そういう学生に限って、何かあったときに相談する人もいないし、さっきのクーリング・オフとか、マルチ商法とか、クレーマーもそうかもしれませんけれども、そういった中途半端な知識を持っていてひっかかってしまうというのが結構周りで多いかなと思います。

今後に向けてというところで、ちょっと私の意見も含めてになるのですけれども、1つはこういった流れも含めてなのですが、もともと2010年にこういった活動を始めたとき、まだ私はそのときは受験勉強をしていていなかったのですけれども、行政がいろいろ作った啓発ツールを学生に配ってくれと。そのように、何か具体的なものができて、それをやってくれと言われてやっていた。学生も結構それはしんどいことだし、実際にそれを学生がもらって読むかといったら読まない。そういったことで、やはり学生がやりたいようなものにしていかないと、ただ単に場を作るのは簡単かもしれないけれども、それが浸透しているとは言えないし、それがしっかり浸透しなければ、さっきの曖昧な知識でひっかかるみたいなトラブルを招いてしまう可能性もあるのではないかと思います。

団体を作ったら、今までつながりのなかった大学の人とかからも、入ってみたいとか、そういう活動があったのだという声を聞きます。そういった活動とかそういう場、実際に多分いろいろな場にあると思うのです。あるのだけれども、そこに出会えない。あと、産官学連携などというので結構いろいろな授業を今はやられていますけれども、ここは先生方が多いのであれなのですけれども、逆に先生に縛られ過ぎてそういうのは嫌だという学生もいて、幅広くいろいろな学生に浸透させていくにはどういう方法があるのかというのをしっかり考えていかないといけないのではないか。

それから、主体的にピア・ラーニングをしてほしいということで、周りにいる友達をしっかりと見守ってほしいし、それはやはり先生とか親に相談できないことも、そういうピア・ラーニングの関係でしっかりと乗り切ってほしいなと思います。

マルチ商法が4年サイクルで発生しているみたいな話をよく聞きますけれども、やはり大学生はよくも悪くも学生なので、しょせん4年間しかいない。そういった中で、OB、OG、それから地域の行政、事業者、そういったところとのつながりをいかにずっと作っていくか。そのつながりをしっかり作っていかないと、何か新しいトラブルが出てきたときにも周知徹底にすごく時間がかかってしまうのではないかと思います。

4つ目に、売り手と買い手のギャップのないフェアな社会を作っていかないといけないということで、それはやはり若者に伝えていく必要があるのではないかと思います。

若者というのは、これから事業者にもなれば、当然親にもなるので、そういう面ではしっかりとした知識をつけてほしい。しかしながら、5つ目になりますけれども、十分な教育の場がまだないのではないか。私は私立の高校出身だったのですけれども、受験勉強というか、受験科目以外の科目はそんなに勉強した覚えがない。実際にこれからそういう教育を高校とかでやっていくといったときに、その指導者はどうするのか。今、私たちの大学で消費者教育をやりますといったら、それを先生とか、大学の事務の先生とか、消費者教育って何というレベルの人も結構いらっしゃいます。そういった中で教育を実際にするときの指導者をしっかり考えていかないと、今みたいに点数がとれればいい、そういう勉強だけだったらとてもではないけれども、いろいろなトラブルがこれからも増えていくのではないかと思います。

やはり社会経験がなく、応用がきかないのが学生だと思いますので、それこそマルチは分かるけれども、ネットワークビジネスとか、それから最近はネットワークビジネスもソーシャルビジネスという言葉でマルチ商法をしている人たちもいるようですけれども、NPOなどでちゃんとしたソーシャルビジネスをしている人たちからしたら、これは逆に迷惑だったりとか、いいものと悪いものの判断をしっかりつける、正しい知識をつけることが必要なのかなと。

それから、意見を言ってもらうということで、クレームというのはある意味、消費者の権利とか責任の中に書いてあるのですけれども、そういった言葉すら知らずに消費者教育をしている人が多いのが実態ではないかということで、体系的な教育、そして地域とか大学内、まずは学生や教授、そういったところの一体化、そういったシステムをしっかり整えるところが、こういった消費者トラブルを減らしていく一歩になるのではないかと思います。

大体時間になりましたので、以上で終わりたいと思います。ありがとうございました。

○樋口座長 御説明ありがとうございました。

ただいまの説明を踏まえまして、御質問、御意見のある方は御発言をお願いいたします。

増田委員、お願いします。

○増田委員 ありがとうございました。

消費者啓発をする際に、少なくともクーリング・オフだけは覚えてほしいと思うことがよくありますけれども、クーリング・オフという言葉だけ知っていて、正しい情報が浸透していないとか、ネットワークビジネスという言葉になった途端に分からなくなるとか、そういうことで反作用的に被害の拡大になっているということがよく分かりまして、非常に難しいなと思ったところなのです。2つ質問があります。

こういうトラブルに遭った方たちが相談しなかったという方もいらっしゃると聞きましたが、相談した方がどのぐらいいたのか、解決に至ったのかということが1点。

それから、消費者教育を受ける場合には、どの段階で受けたら効果的とお思いになるのか、その点を教えていただきたいと思います。

○学生団体スマセレ田中代表 まず1つ目ですけれども、そこにいた10人のうち4人がそういう関係で、実際に相談したという方は1人いらっしゃいました。その1人いらっしゃった方も、周りの友達にそういうのを言ったときに、それは1回相談したほうがいいよというので相談して、そのときには既にクーリング・オフとかの期限が過ぎた後だったと。そういう面では、今のクーリング・オフの期間は余り長くはないので、いかにすぐ自分がトラブルに遭ったと気付いてから相談するかというのがすごく大切なのではないかというのが1つ目です。

2つ目のどの段階というところなのですけれども、早ければ本当に小学校とか中学校とかでもやれることはあると思います。ただ一方で、いろいろお金に関することとかを、実際にお金をそんなに扱ったことがない年でどの程度、自分ごととして考えられるのかというと、高校や大学でやったほうが適切な消費者教育もあるのではないかなと思います。

○樋口座長 ほかにいかがでしょうか。

池本委員、お願いします。

○池本座長代理 非常に活力を持って活動しておられるということで、敬意を表したいと思います。

御説明の中でも、大きなヒントとして、行政が準備した資料で、これを読んでください、あるいはこれを配ってくださいではだめで、自ら学んで、あるいは自分たちで作ってそれを広げるというような、主体的にかかわれるような企画づくりが大事なのだと、それがまた続くことにもなるというのは非常に重要な視点だろうと思います。

ただ、他方で、御説明の中でも、なかなか学ぶ機会というか、特に大学などではそれぞれ科目はばらばらで、それぞれの専門の教授がいるけれども、こういった生活全般の中での行動を一緒に考えていく場がないというのは非常に悩ましいところだと思うのです。その意味で、大学に入った学生たちがどういう機会で一緒に学んで、あるいは独自にやっていこうというふうに事を起こすきっかけになるのかというところに私は一番注目したいのです。

1ページ目でセミナー・ワークショップと書いてあって、学生が学ぶところから始め、行政とか生協の協力を得て企画を行って、そしていろいろ外部の協力を受けてというふうになっていますが、御自身の経験から、それぞれの大学の中での自主的な活動を広げるために、どういう場で、どういう支援があればこういう活動が広まっていく、また新しくできていくことになるのか。そのあたりについての御意見をお伺いできればと思います。

○学生団体スマセレ田中代表 今、いろいろな学生がうちの団体にも来ているのですけれども、多くは一度は我々のセミナーなどに参加してみて、消費者教育のセミナーというと堅苦しいイメージがあったけれども、誰々ちゃんが実行委員をやっているから来てよと、それで来てくれたら、思ったよりも消費者教育って深いじゃないか、面白いじゃないか。面白いなというところから人が寄ってきているというのは一つあると思います。

では、どういった支援があれば自主的にいけるかというところで言うと、1つは、今、団体を作っているのですけれども、私はこれ以外にも今年に入ってから団体を4つぐらい作らせてもらって、作った理由というのは、学内での活動がしにくいというところが一番です。学内で活動をしようと思うとき、場所も借りられないし、教室も借りられないし、何もできない。では、そういったときにどこで大学生を引き込むのかといったら、駅前で活動したり、大学生が通りそうな場所で待ち伏せというとあれかもしれないですけれども、待ち伏せするしかない。そういった状況で、今、学内でそういう場をどんどん増やしていくというのは、自主的な活動をするきっかけにはなっていくのではないかと。そういった学内で活動をしやすくする、そのためには例えば大学の先生の協力も当然必要でしょうし、そういったことに対して大学の職員さんとかいろいろな人たちの理解というのが必要だと思います。

ただ、先ほども言ったように、大学内で消費者教育をやりますと言ったら、消費者教育って何という大学の先生であったり大学の職員がそこそこいるというのは、そういったことがまだまだ大学にかかわる大人のレベルでも浸透していないということだと思うので、まずはそういったところを整えていただけるのが一番主体的な活動ができるきっかけになるのではないかと思います。

○樋口座長 ほかにいかがでしょうか。

河上委員長、お願いします。

○河上委員長 どうもありがとうございました。

今、成年年齢が引き下げられるかという議論があるのですけれども、一方で成年年齢が引き下げられますと、親からの同意がなくても契約がきちんと単独で有効に締結できるという意味では、かなり自由にいろいろなことができるという話があります。一方で自律的に活動ができるということがあるのですが、今まででしたら、18歳、19歳あたりで契約をしても後から取り消せるということになっていて、保護されていた。逆に保護されているがために、社会の中では半人前扱いにされるという形になるのですけれども、その辺の功罪ですね。今、まさに田中さんなんかはそういう時代を生きてこられて、成年年齢が引き下げられることによる功罪をどのように感じていらっしゃるのですか。できるだけ長目に取消権などで保護される期間を増やしてほしいということなのか、それとも、そこは少々はお勉強だと思って、18歳、19歳でも完全に有効な契約ができるというところに持ってきて、余りこの契約の効力を否定するようなことはしてほしくないという考え方、どちらが強いですか。

○学生団体スマセレ田中代表 私自身で言うと、やはり18歳という年齢は、高校生であればそんなにお小遣いとかもないからトラブルに巻き込まれないと思うのですけれども、大学生が例えばひとり暮らしをして、お金がちょっと自由になったときに、そういったトラブルには比較的遭いやすくなるのではないかというところでは、もうちょっと法律で守られていたほうがいいのかなと思うところもあります。

ただ一方で、言ったように社会経験というか、そういうお勉強の場というので、ちょっとの金額だったらお勉強もありなのではないかなとも思います。

○河上委員長 制度的にはいろいろ考えられるのですけれども、例えば若年者の利用できる可処分額の上限を決めておくというやり方をとるとか、場合によってはクーリング・オフのようなものを若年者について少し長目にとっておくとか、いろいろな方法があり得ると思うのですけれども、結果的には保護すれば保護するほど、若年者というのは市場からはちょっと敬遠されて、お父さん、お母さんの意向を聞いてきたのと言われてしまいかねないというあたり、そこの兼ね合いというのがなかなか難しいかなと思うのです。

○学生団体スマセレ田中代表 昔なんかだったら結構、大学に行かずに中卒で働くみたいな人も多分結構いらっしゃったと思うので、そういった人からしたら、社会に出てから4年間ぐらい社会経験を積んで、それで20歳で成人になるという期間があったのですけれども、逆に今の大学生は、今、大学の中でこういう活動をしていて、こういうことは社会に出たらすぐ必要になるから知っておきたかったという声も実際にあります。そういう面では、社会に出る前に学ぶ場は必要なのだけれども、その学び方のところですね。実際に被害に遭って学ぶのか、それともそういう場がなくても自分ごととして学べるような場があるのか、そこが問題なのではないかと思います。

○樋口座長 ほかに何か御質問ございますか。よろしいでしょうか。

それでは、田中代表へのヒアリングはこのあたりにさせていただきます。お忙しいところヒアリングに応じていただきまして、誠にありがとうございました。

○学生団体スマセレ田中代表 ありがとうございました。

○樋口座長 本日の議事は以上です。

最後に、事務局から事務連絡をお願いします。


≪3.閉会≫

○丸山参事官 本日も御熱心な御議論をどうもありがとうございました。

次回につきましては、11月22日火曜日、16時からの開催を予定しております。よろしくお願いいたします。

○樋口座長 それでは、本日はこれにて閉会とさせていただきます。

お忙しいところお集まりいただきまして、ありがとうございました。

(以上)