消費者行政における新たな官民連携の在り方ワーキング・グループ(第3回) 議事録

日時

2015年6月19日(金)9:20~10:53

場所

消費者委員会大会議室1

出席者

【委員】
山本座長、岩田座長代理、河上委員長、唯根委員
【参考人】
茨城大学人文学部社会科学科 教授 井上拓也氏
【事務局】
黒木事務局長、金児企画官

議事次第

  1. 開会
  2. 有識者ヒアリング
    茨城大学人文学部社会科学科 教授 井上 拓也 氏
  3. 閉会

配布資料 (資料は全てPDF形式となります。)

≪1.開会≫

○金児企画官 本日は、皆様、お忙しいところをお集まりいただき、ありがとうございます。

ただいまから「消費者行政における新たな官民連携の在り方ワーキング・グループ」第3回会合を開催いたします。

本日の配付資料は、井上様からの提出資料1枚でございます。

それでは、ここからは山本座長に議事進行をお願いいたします。


≪2.有識者ヒアリング≫

○山本座長 それでは、本日の議題に入らせていただきます。

本日は、茨城大学人文学部社会科学科の井上教授にお越しいただいております。

井上教授は、日本や外国の消費者団体と消費者政策の比較研究を御専門とされており、本日は、日本の消費者団体の現状と課題、それから、これを踏まえた今後の消費者行政のあり方や課題についてお話をいただくことになっております。

それでは、井上先生、お願いいたします。20分程度というふうに計画しておりますので、そのようにお願いできればと思います。

○茨城大学井上教授 皆様、初めまして。本日はお招きいただきまして、どうもありがとうございます。茨城大学の井上です。

官民連携ということで、行政と消費者団体の関係、あるいは、それ以外の民間の団体との関係をどう構築していくのかということで、そこに行き着くような形で20分ぐらいお話をしたいと思います。

まず、お手元にお配りいたしましたレジュメがございますので、そちらに沿いましてお話をしたいと思います。

まず、資料の0.としまして、私の「研究分野と問題関心」ということを書きましたが、なぜこういうことを書いたのかということですけれども、私自身は、専門は政治学、その中でも政治過程論と呼ばれる分野でして、利益団体、いわゆる圧力団体の研究です。一般に圧力団体というと、農協とか医師会とか経団連とかを思い浮かべるわけですが、私の場合には、そういう特定の人々の利益を追求する団体ではなくて、公共利益団体という言い方をしていますが、不特定多数の人々の利益を追求する団体、とくに一般の消費者の利益を追求する消費者団体の研究をしています。

後ほど言うことにもなるのですけれども、特に関心があるのは、何で人々は、会員の皆さんですが、消費者団体に入っているのか。普通の人は消費者団体には入らない、一般の消費者は消費者団体に入らない。だけれども、消費者団体に入っている人がいる。それはなぜなのでしょうとか、会員の性格に応じて消費者団体の追求している利益がどう変わってくるのでしょうかとか、そういうことを研究している。あるいは、どうやって政府に影響力を行使しているかということを研究していることになります。

こういう問題関心からいたしますと、どうしても消費者団体、頑張れというような視点になってしまいます。どうやったら消費者団体を強くできるのかどうか、どうやったらみんな消費者団体に入るのか、そういうような問題関心を持ってしまうわけです。ところが、一方で大学では公共政策論という授業を持っていまして、公共政策研究、つまり、単純に言えば人々の幸せを公共政策によって実現するとしたら、どういう要因が公共政策をよくしていくのかとか、そういうことに関心を持っています。その一環として、消費者の利益を実現するために消費者政策というものがあるとしたら、それはどうやったら充実するのでしょうかとか、あるいは、消費者政策を通じてどうやって消費者の利益は実現されるのでしょうかとか、そういうことにも関心があるわけです。

この観点からすると、実は消費者の利益を実現する上で、消費者団体の存在というのは必ずしも重要ではないかもしれないということになる。例えばアメリカの消費者団体は、恐らく世界で最強の消費者団体です。それでは、アメリカ人の消費生活が日本人より本当にいいかというと、必ずしも明確に言えないところがあるわけです。ですから、実は日本の消費生活は結構いいかもしれない。それは完全に比較できるわけではないのでよくわからないのですが、そうなってきますと、消費者の利益を実現するものは、ひょっとしたら消費者団体なんかよりも、よほど市場の競争のほうが重要なわけですし、場合によっては、日本の場合ですと職人さんの物づくりの精神とか文化的なものが重要なのかもしれない。それはわからないのです。

ですから、一方で消費者団体の研究をするときには、どうしても消費者団体、頑張れという視点になってしまうわけなのですが、もう一方で本当に消費者の利益を実現するものは何なのかといったときには、別に消費者団体が充実しなくてもいいのかもしれないという視点にもなってしまうというところがあります。私自身も自分の中で結論はついていないのですが、一応そういう2つの視点でやっているということでございます。

その上で、「消費者団体の世界」ということですけれども、NACSの方に怒られるかもしれないのですが、私は消費者団体と言うときに、狭義の消費者団体と広義の消費者団体という言い方をしておりまして、狭義の消費者団体というのは、一般の消費者が消費者として会員となっている団体、個人が会員となっている団体ということです。あるいは、それの連合団体でもいいかもしれません。

それに対して広義の消費者団体というのは、消費者関連の専門家の団体、例えばNACSはそうなりますし、全相協さんも多分そうなるのではないかという気がしています。例えば全相協さんですと、一般の消費者として入っているというよりも、相談員として入っているということになるわけです。 実は、広義の消費者団体、そういう専門家の団体は、割と組織化が簡単といいますか、入ることによってもらえる御褒美が見えやすいので入りやすいわけです。それに対して、後ほど申し上げますが、協議の消費者団体、一般の消費者が入っている消費者団体は、非常に組織化が難しいということになります。ですから、組織化という観点からする場合に、政治学者は割とこの2つを区別してしまっていて、狭義の消費者団体が、いわゆる不特定多数の人々の利益を追求している団体であるのに対して、広義の消費者団体というのは、基本的には、まず職業的な利益といいますか、そういうものがベースになっていると考えるところがあります。

その上で、狭義の消費者団体を中心にお話ししていきたいのですけれども、ごく単純に分類いたしますと、いろいろな分類の仕方があるのですが、この4つ、ABCD型になるかという気がしております。分類軸のまず1つは、消費者団体が追求している目的です。まず一方で消費者の経済的利益・権利ということで、単純に言えば安くて安全でよい製品が欲しいよねということです。あるいは、それを実現するための市場を整備してほしいよね、行政の制度を整備してほしいよねというような関心、それがここで言っている消費者の経済的利益・権利の問題だということです。

ところが他方で、今、消費者市民社会のほうでも問題になっておりますけれども、昔から消費者の社会的責任という言葉がございます。環境に対する配慮ですとか、製品をつくっている労働者の条件に対する配慮ですとか、場合によっては平和とかそういう問題も入ってくるのかもしれません。消費者として社会にどういう貢献ができるのかという視点です。そういうのが消費者の社会的責任・義務系ということになります。

2つ目の分類軸が、どういう人が会員になっているのかということで、一方で、日本の場合はこちらになってしまうわけなのですけれども、「意識の高い少数の消費者」という書き方をしましたが、割と一般の消費者と離れてしまった、ずっと頑張っている人々というようなニュアンスなのですけれども、そういうのが会員になっているか、あるいは他方で、非常に裾野の広い一般の多数の消費者を会員としているかということです。

それで分類いたしますとABCDとなるわけなのですが、Dは基本的に理念的に存在しないのかなという気がしておりますけれども、なのでABCという形になります。

先取り的に言いますと、欧米の主要な消費者団体はCになります。その下に「欧米の消費者団体の主要モデル。原型はアメリカのConsumers Union(CU)」と書いてありますけれども、これは皆さん御存じかと思いますが、『Consumer Reports』という雑誌です。アメリカの消費者団体のイメージといいますと、この雑誌を売っている、言ってみればビジネスなのです。これで、年間購読料12冊プラス2冊で大体29ドルぐらいでしたか、この購読料でやっている団体という形になるわけです。その定期購読者数も、定義によるのですが、最大で800万人です。ですから、物すごい裾野が広いということになります。ただ、この定期購読者たちが自分を消費者団体の会員であると思っているかどうかはまた別問題です。単なる購読者と思っているかもしれません。ただ、いずれにしても裾野が広いということです。それに対して意識の高い少数の消費者を会員としている団体が一方であるということです。

そうなってきますと、何が欲しくてこの団体に入るのかということになってきます。それで、Cのタイプの団体に入る人というのは、当然のことながら、この雑誌が欲しいわけです。この雑誌を通じて、これは全国的に流通する雑誌ですので、製品についての情報が欲しいわけです。あるいは、ローカルな団体でサービスについての情報を出している団体がありますが、そういうのでしたら、地方におけるお葬式屋さんの情報とかそういうのが欲しくて入っていくわけです。いずれにいたしましても、自分たちの消費生活、先ほど言いましたところですと、安くて安心で安全な製品、要するに単純に言えば品質と価格が両立した財とサービスということになりますが、それに結びつくような情報が欲しくて団体に入っていく、つまり購読者となっていくということになります。

ですから、言ってみれば、そういうのは物質的誘因というふうになるかと思います。中には、もちろんこういう団体に入ることによって、最終的には消費者利益を実現するためのロビイングとか、そういうのに結びつくのだと考えている人もいると思います。皆さんの消費者利益を実現するために入っているのですよという人もいるかもしれません。しかし、当然のことながら、普通は、それに伴うおまけがないと入らないわけでして、アメリカの多くの団体の場合には、こういう消費者情報というのを個人にくれるというおまけがあるからこそ、団体に入るということになるわけです。

それに対して日本の消費者団体はどうかといいますと、そうではないタイプの消費者団体、つまりAとBのタイプです。意識の高い少数の消費者を会員とするAの場合にはどうするのかといいますと、機関誌を出しているところもありますが、それよりも社会的貢献感とかやりがいとか、あるいは将来へのステップとか何でもいいのですけれども、そういうような形で、むしろ少数者であるからこそもらえるようなインセンティブ(誘因)を提供していることになるわけです。社会的貢献感とか優越感とかは、多数の人が入ってしまったら味わえないものです。人数が少ないからこそ味わえるものですから、やはりどうしてもそういうインセンティブでしか、会員を釣れないとしたら、そういう団体は、少数者向けの消費者団体になってしまうわけです。

単純に言いますとそういうようなABCタイプがあるかなと。Dは余りいないので、ABCタイプがあるかなという気がします。

ただ、AとBの間、あるいはCとBの間、つまり、経済的利益と社会的責任の間というのは移動します。当然、両方追求している団体もあるし、両者の間で移動している団体もあるということになります。これは後ほど申し上げます。

その次に、2番「比較の中の日本の消費者団体」ということですが、先ほど申し上げましたように、欧米の消費者団体の主要モデルはアメリカのConsumers Union(CU)(消費者同盟)です。この団体は、1936年にできた団体でして、基本的には消費者情報を売っているビジネスのようなものだと思っていただければ結構だと思います。ですから、当初は、言ってみれば、消費者の「知る・比べる・選ぶ・売る」のお手伝いをするのが仕事だったということになります。結構財政的に豊かでしたので、その財源をもとに、アメリカの消費者団体の連合団体をつくって、それにロビイングをさせるとか、そういうことをやっていたのですが、やはり70年代後半になってくると、この団体自体がロビイングをするようになってきて、ワシントンとかニューヨークとか幾つかの市に支部を持って、それぞれの地方で連邦政府、州政府に対してロビイングをするというようなことを、この団体もやっています。ですから、経済活動と政治活動を両方やっているというようなイメージで思っていただければ結構です。言ってみれば、これが主要国の消費者団体の原型となるモデルと思っていただければ結構かなという気がしております。

1950年代から60年代にかけて、このモデルが世界に輸出されていくわけです。ですから、イギリスのConsumers Association、今は雑誌の名前で知られてしまっていますけれども、『Which?』という団体です。それから、オーストラリアのAustralian Consumers Association、『CHOICE』という雑誌を出していますけれども、そういうところです。アングロサクソン系を中心にですが、フランスやイタリア、ベルギーもこのタイプの団体が普及していくわけです。

そして、このタイプの団体が中心になってつくったのが、International Organization of Consumers Unionです。つまり、今のConsumers International(CI)です。ですから、CIのもとの名前はInternational Organization of Consumers Unionだったということになるわけです。IOCUというものだったわけです。多分、今でもCIの60%近い財源は、ひょっとしたらこのCUが支えているかもしれません。それだけの大パトロンになっています。ちなみに、CIの前会長は、CUの会長が兼務しておりました。そういうような形です。

そうやってこのモデルが輸出されていくのですけれども、このとおりに輸入されなかった国があるわけです。例えばドイツは、これをまねしたとは言っているのですが、そうではなくて、いろいろな消費者センターの連合団体というようなタイプの団体になってしまったわけです。それから、日本です。日本の場合ですと、CUをモデルとしたと言っているのが日本消費者協会と日本消費者連盟になります。ところが、日本消費者協会は『月刊消費者』という雑誌を出していたわけですが、結局、雑誌モデルというのは日本では失敗するわけです。それから、日本消費者連盟のほうは、『消費者レポート』という機関誌を出しています。『Consumer Reports』と似たようなタイトルですが、ただ、内容は全然違うわけです。薄いリーフレットのようなものでして、特に日本消費者連盟は関心が非常に広い。反原発とか平和とかそういうのにも関心を持っております。あとは環境とか、もちろん食品の危険性の問題とかも関心を持っておりますが、CUとはちょっとニュアンスが違ってくる団体になるかと思います。

いずれにしましても、アメリカモデルというのが結構世界に普及していくのですが、そうではない国もある。今も言いましたように、大きな国ですとドイツ、それから北欧の国です。日本が北欧をモデルとするケースが多いというのは、逆に言うと、消費者団体のモデルがともにアメリカ型ではないところがあるということになるのかという気もしております。

その上で、時間がありませんので簡単にいきますが、日本の消費者団体の特色はいろいろあると思うのですけれども、恐らく世界でこれだけ消費者団体と称しているものの数が多い国は日本しかないと思います。それだけ、特に地域レベルも含めて消費者団体の数は多いわけです。ところが、一つ一つの力が弱いということになります。やはり欧米で消費者団体というときには、まず法人化しているというイメージがあります。ところが、日本の場合ですと、詳しいデータは、皆さんのほうがお持ちなのでしょうけれども、法人化されている団体は少ないです。特に地域レベルではほとんど法人化されていない。つまり、消費者サークルのようなものにとどまっているということです。ただ、数が多いというのはメリットであることは確かなわけです。

それから、先ほど来申し上げましたように、主要モデルの欠如ということでして、C型がない、C型のような誘因の提供に失敗したということです。日本で60年代に消費者団体のイメージとして語られたのが、ラルフ・ネーダーでした。ところが、ラルフ・ネーダーは、アメリカでは傍流だったのです。確かにラルフ・ネーダーは意識の高い消費者を組織化していく、今でもパブリック・シチズンという消費者団体がございますけれども、ただ、それはアメリカではむしろ傍流だったということです。

それから、どうしてもついて回る問題ですが、3番、年齢的・性別的な偏りということで、どうしても主婦層という塊を中心的な基盤としてきたということです。それも、割と中産階級以上といいますか、裕福といいますか、そういうような主婦層を塊としてきたということです。別にこれは不思議なことではなくて、世界で最初の消費者団体とされているものに、アメリカのナショナルコンシューマーズリーグ(全米消費者連盟)というのがありますけれども、それは1889年にできた団体ですが、実は同じようにできています。裕福な主婦層が、かわいそうな労働者を助けるために、そういうことに配慮した商品を買いましょうという団体として、最初の消費者団体をつくったわけです。ですから、そういう消費者団体ができるということは別に不思議ではないのですが、日本の場合にはCタイプがうまくできなかったということで、あと、一方で男性は労働者、女性は消費者という、言ってみれば分業関係みたいなものがございまして、そういうことになってしまったということです。

それから、欧米の消費者団体は、結局、雑誌の情報を提供することによって、消費者から逆に資金とか、危険性についての情報とか、一番重要なことは多数の会員を擁しているということで一般消費者を代表しているという正当性とかを得ているわけです。この3つの資源があると思っていただければいいかと思いますが、日本の消費者団体は、どうもそれをうまくもらえていない。そうなってくると、では、どこから資金をもらうのか、正当性をもらうのかとなると、まず、行政からもらうということになってしまうわけです。行政からの補助金、行政からの情報、行政と仲がいいから正当性を持てるという形になってしまうということです。そこら辺がちょっと違うのかなという感じです。

それと、やはりどうしても法律家の方ですとか、最近ですと教育学者の方とか、そういう方とのおつき合いが強くなっておりますので、言ってみれば、そういう方たちの問題意識を自分たちの問題意識としてしまうということで、自分自身で問題意識を開発していくというところが弱いのかという気がしております。

ほかにもいろいろな特徴があるのですけれども、とりあえずそんなところでして、そうなってきますと、日本の消費者団体の現状というのは、消費者庁ができた、消費者団体訴訟制度ができたとか、いろいろなことで外面的・制度的条件は非常に整ってきているということになります。言ってみれば、消費者バブル的なところもあるのかもしれません。

ところが、一方で、多くの消費者団体を見てみると、内面的には組織の存続すら困難になっているというところも多くて厳しい状況にある。つまり、非常にギャップがあるわけです。外面的には好況といいますか、ちょうどいい時期を迎えている。ところが、それに応える内実を持っていないというのが今の消費者団体の難しいところなのかという気がしております。といいましても、消費者団体もいろいろございまして、今は適格消費者団体みたいな形で専門家の団体もしっかり育っているわけですから、やはり問題になってくるのは、多くを占めている小さな消費者団体、従来型の消費者団体ということになるのかという気がします。

その上で、今後の消費者団体と消費者行政ということで、それでは、政策的な観点からして消費者利益を実現するためにはどういうルートがあり得るのか、これはいろいろあり得るのでしょうけれども、1つは製品・サービスの比較・選択ということですし、それから、被害の防止や救済、もう一つ、多分、教育があったのかなという気もしますので教育をつけ加えておきたいのですが、ほかにもいろいろあり得ると思いますけれども、単純に、製品・サービスの比較・選択、被害の防止・救済、プラス教育あたりかという気がしております。

こういうそれぞれの局面において、従来型の消費者団体は何ができるのか、あるいは、新しい消費者団体は何ができるのかということになるかと思います。

まず、製品・サービスの比較・選択というところで言いますと、危険な製品の情報とかは国センとかを中心に集まっているわけです。結局、それを一般の人たちが知らないというところが問題なのですけれども、先ほども言いましたように、アメリカですと、製品というのは全国展開するので、全国CUがあればいいわけです。ところが、サービスというのはローカルに展開しますので、地方によって多様性があるわけです。そうなってくると、全国で1つの団体がやるというわけにはいかないわけです。なので、地域ごとに出てくるということになってくる。ですから、サービス情報あたりですと、地域の消費者団体の存在意義が出てくるということになるのかという気がしております。

あとは、危険な道路とかそういうところでもいいのですけれども、本当に足元の生活に密着した消費者情報というか、危険性とかそういう情報です。そういうような情報については地域の消費者団体の出番なのかという気がしています。ですから、そういうところで、公共サービスも含めた製品やサービスの比較・選択、こういうところに地域消費者団体の出番があるのかという気がしております。

その次に防止・救済につきましては、なかなか地域の消費者団体の出番はないでしょう。仕方がないことです。せいぜい県レベルまでなのかという気がしております。それも適格消費者団体を持っているところまでかという気がしております。茨城県の場合ですと、つくろうとしたのですができなかったということで、消費者団体に救済の役割を本格的に負わせるのは難しいというところがあります。

それから、教育につきましては、今、消費者教育推進計画をいろいろなところでつくっておりますけれども、やはり地域レベルになってきますので、ここで消費者団体の役割は確かにあるでしょう。ところが、従来型の消費者団体が教えられるコンテンツを持っているのかということが問題になってきます。では、消費者教育で何をするのかといいますと、たまたま茨城大学では教養科目で「大学生と消費生活」というのをやっておりますけれども、そこでは消費者トラブル、食育、ライフプラン、この3つの柱でやっております。誰がそれを教えてくれているのかといいますと、束ねるのは生協連さんがやってくれているのですが、消費者トラブルについては消費者生活センターさん、水戸市のセンターさんがやってくれています。それから、食育については栄養士会さんとかがやってくれています。ライフプランについては労金さんとかがやってくれます。ということで、従来型の消費者団体の出番はないのです。要するに、消費者団体が教えられるコンテンツを持っていないということになります。

特に難しいのは消費者市民社会系でして、こちらは言ってみれば環境教育とリンクしてくるところがあるのですが、我々も現場でどうすればいいのかと思っているのですけれども、要するに、法律とか消費者の技術系というよりも、消費者市民社会系というカテゴリーがあるとしたら、そこで何を教えるのか、誰が教えるのかというのは結構問題でして、環境のことについて教えるといったときに、環境の専門家を呼んでくるのだったらいいのですけれども、消費者団体とかを呼んで素人的なことを言われても意味がないところもあるわけで、そこでも消費者団体の役割はなかなか見えてこないということになります。ただ、やはり一方で消費者団体は、教育に活路を見出そうとしているのかという気はしております。

ですから、法律とかそういう専門知識を持った消費者団体ですと活動の余地はあるわけなのですが、そうでない団体は消費者教育においてもなかなかきついのかという気がしております。

ちなみに水戸市の場合には、水戸市の消費者センターを消費者相談室という名前のNPOが受託しています。言ってみれば消費者団体が消費者センターを受託しているという形になります。そういうことを、いろいろな自治体で、指定管理者でやっているという気がします。そうなりますと、行政が雇うセンターの相談員さんは大抵5年で雇い止めです。ところが、NPOの職員ということにしてしまえば永久に雇うことが可能なわけであって、受託している限り、あるいは指定管理者として代行している限りにおいては、ずっと仕事を続けられるということになりますの。それで、うまくいっているのか、そういうモデルが結構全国であるのかなという気がしております。

ですから、そういう消費者団体ですと、ほとんどセンターと同じものになりますから、法律という教える内容を持っているわけです。

それから、時間が大幅に過ぎていますので簡単に行きますけれども、そういう中で消費者団体、特に従来型の消費者団体の課題ということになるわけですが、やはり一番重要なのは、会員が何で消費者団体に入っているのかというと、言ってみれば選ばれた人的な意識を持つところが起源にあるので非常に難しいところなのですが、いかに一般の多数の消費者の目線を持てるか、あるいは、その目線までおりていけるかというところです。これが一番重要なことかという気がします。

それから、2つ目として、消費者団体しかできないことを優先する。私自身は、やはり安くてよいサービス・製品、その原点に帰ってもらうのがいいのではないかと思っています。つまり、環境のことについては環境団体もできるし、平和のことについては平和団体もできるわけです。日本では、どうしても消費者利益とか環境利益とかよりも、より大きな市民利益とかが上に出てしまう。やはり日本伝統なのかなという気がします。こういう言い方が適当かどうかわかりませんけれども、特にアメリカですと、環境問題とか消費者問題とか、いわゆるパブリックインタレストというのは複数形で考えられるのです。パブリックインタレスツを考えられるのです。ところが、日本ではザ・パブリックインタレストが来てしまうというところです。そこら辺がちょっと違うのかという気がしております。だから、やはり消費者団体もそちらに行ってしまうということです。

そうなってきますと、NPOの制度とかが充実してきましたから、従来のやりがいとかで会員をリクルートしようとすると、ライバルがふえてしまったのです。なので、従来型の消費者団体に入っていた人も場合によっては環境団体に行ってしまうし、場合によっては消費者団体そのものが環境団体に変化していってしまうこともあり得るということです。ですから、そういう中で消費者団体にしかできないことをもう一遍見詰める必要があるのかという気がしています。

それから、情報発信力と問題発見力の充実ということですけれども、どうしても年配の方が多いということもございまして、ITとかはとても弱いわけです。なので、YouTubeとかは使えない。そもそも「価格.comって何?」みたいな世界になってきますので、そういう情報発信力をつけていかないとだめでしょうということです。団体がいろいろやっていらっしゃるのを、一般の消費者は知らないわけです。そこのところをしっかりやらなければいけない。

それから、先ほども言いましたが、オリジナルな問題意識を持つべきでしょうということです。確かに法律とか教育とかでそういう専門家の影響を受けるというのは仕方がないし、そこに助力していくのも仕方ないことなのですけれども、マル2とも関連しますけれども、自分たちで道端に落ちている問題を発見していくというスタンスが必要なのかという気がします。

それから、消費者というのは非常に多様でして、地域とか年齢とか分野とか、いろいろなカテゴリーに分けることができるわけですけれども、残念ながら日本の消費者団体というのは高齢化しております。なので、ここは割り切って高齢消費者団体になっていくということもあり得るわけです。妙に若い人のことは言うなということです。それは新しいのを育つのを待ちましょうということです。

それからもう一つは、分野別に特化していくということです。ですから、例えば、これは御存じかもしれませんが、保育園を考える親の会というのがございまして、100都市保育力充実度チェックとかこういうのがございます。この方たちは自分たちのことを消費者団体とは思っていません。母親の会だと思っています。ですが、こういうような分野別に特化した団体があるので、こういうのとの連携を進めるということもできるかと思います。ですから、どちらかというと今までの日本の消費者団体というのは地域別です。だけど、そうではなくて世代別とか分野別という割り方で考えていくことも必要なのかと考えています。

そういう中で今までの消費者団体が持っていたノウハウをいかに伝授できるかということです。ですから、団体内世代交代は結構きついのかと思っています。むしろ団体間世代交代を考えるべきなのかという気がしております。

それから、そういう中で消費者行政として何をしていくべきなのかということ、特に地域の消費者団体との関係ということでして、事前に事務の方に御説明しに来ていただいたときに言われたのが、結局、行政が危険な情報とかそういうのを持っているのだけれども、それをどうやって生かしていくかみたいなお話で、消費者団体、民間を含む連携とかそういうようなお話をされていました。やはり私自身も地元で消費者問題と取り組んでいまして、特に見守り等をやっておりますので、高齢者の消費者、そういうような人たちがだまされてしまうという問題があるわけなのですけれども、最大の問題は、ともかく彼らが何も知らないことなのです。消費者センターの存在を知らないとか、そういうところがまず出発点としてあるわけです。逆に消費者センターの存在を知っているような人たちしか消費者教育を受けに来ないというところが問題でして、ですから、知らないということが最大の問題、そこが出発点なのかという気がしています。

ところが、行政がいろいろな消費者センターの存在とか危険性の情報についてのPRとかを一生懸命やっているのですが、それがなかなか基底の消費者には届いていないわけです。望ましいのは、そういう行政と一般の消費者の間に地域の消費者団体が入って伝えていくという役割をしてくれることなのだろうという気がしております。ですので、そういうセンターの存在とか、行政や別の団体、NITE(独立行政法人製品評価技術基盤機構)さんとかがやったもので結構ですから、そういうテストの情報とかをどうやって一般の人に伝えていくのか、そういう役割を期待したいところなのですが、それができるかということです。やはり、そこで最初の問題に返ってくる。つまり、一般の人に彼らの目線で向いていないということです。ですので、そこをどうするのかということになってくるわけです。

行政のPRは余りしたくないとか、下請になってしまうのは嫌だというのはあるかと思います。従来の行政と自治会との関係に似てきてしまうのではないかとかというおそれもあると思います。ただ、やはり情報というのは行政が持っているし、それを一般の人が知らないとしたら、それをどうやって伝えていくのか、そこのところに団体が入ってくれる。そうなってくると数が非常に多いというのはメリットになってきます。コンビニエンスストアみたいなものですからメリットになってきますので、そこでどういう役割を団体に期待できるのかということがあると思います。

そうなってくると、マル1で「活動内容に即した財政的支援」とありますが、今、自治体において財政的支援は単純に補助金をあげているというだけだと思うのです。私自身も自治体の補助金の審査会とかやりますけれども、やはりそこで問題となってくるのは、同じ団体がずっともらっているのはまずいよねということになります。なので、次の団体にもやりましょうというのですが、次の団体がないということになるのです。結局、同じ消費者団体がずっともらってしまっているということになるわけなのです。そこで、例えば1つのやり方として、その際にどれだけ行政が持っている情報を一般の人にうまく伝えてくれたかなんかを基準にして審査をしていくというのもありなのかという気がしております。

例えば外国ですと、これは全国レベルの消費者団体ですが、補助金を与える際もパブリックサポート、つまり寄附金をどれだけもらっているかとか、会員がどれだけいるかとかが補助金の支援の条件となったりする場合もございますので、やはり活動内容に即した支援というのが必要なのかという気がしております。

それから、2個目としまして、そうなってくると消費者団体というのは、先ほども言いましたが、自己の情報の発信が下手です。なので、それを手伝ってあげることが必要なのではないか、PR・技術的支援が必要なのではないかということです。支援というとどうしても財政的支援になってしまうのですが、例えば消費者団体が活動できるフロアを行政の中に設けるということはもう既にやっております。だけど、そこにあるパソコンを使えないのです。なので、そういうのをどうやって使えるようにしてあげるか。あるいは、別に消費者団体だけではなくてもいいわけです。いろいろな団体が使えるような、例えばYouTubeに投稿するとか、そういうようなものを行政がどうやって手伝ってあげるのか、あるいは、場合によっては大学生のボランティアをどうやって使えるのかとか、そういうような工夫が必要なのかという気がしております。現状の消費者団体というのはなかなかPRが下手ですので、そこを手伝ってあげるということです。

3番として「民民連携の推進」と書きましたが、当然、これは官民連携ではないわけです。先ほども言いましたが、潜在的な消費者団体のようなものはいっぱいあるわけで、親の会もそうですし、介護施設の利用者の団体とかもあるでしょうし、そういうものが潜在的な消費者団体として普通の消費者団体とおつき合いがないというところが問題になるわけです。ですから、そういうのをどうやってつき合うようにしてあげるかということです。やはり日本の民間というのは行政の旗振りに弱いといいますか、そういうところがございますので、そこを行政がどうやってつないであげるかということです。そこのところがポイントになるのかという気がしております。

そうなってきますと、消費者庁とか消費者委員会とか、いわゆる消費者行政側も妙に消費者行政という縦割り意識を持ってしまうのではなくて、もうちょっと広目にやっていくということです。消費者というものの中に、当然のことながら、最近は公共サービスのことなんかはもちろんやっているわけなのですが、鉄道の利用者とかそういうのも入ってくるわけです。なので、もっと視野を広げていくというか、そういうところが必要になってくるのかという気がしております。

ところが、なかなか地方の消費者行政の現場というのは、行政が存続するためにはお客さんである団体がいなければいけないので、消費者団体を大事にするのです。けれども、やはり従来型の消費者団体といいますか、あるいは消費者行政の枠に閉じこもってしまっている。もちろん最近は消費者教育というのを始めておりますけれども、いかにしてもうちょっと視野を広げて、行政にとっては耳が痛いことかもしれませんけれども、道路とか公共サービスとかそういうものについても関心がある団体。自治会はそういうのに関心を持っていますね、だから、自治会と消費者団体をつなげるとか、そういうような役割を、特に地方の消費者行政はしていかなければいけないのかという気がしております。

ということで、ちょっと時間をオーバーしてしまいましたが、やはり一番の問題は、消費者政策的な観点から言いますと、一般の消費者が、せっかく行政が集めた情報とかセンターとかそういうものの存在を知らないということです。なので、消費者利益を実現するためには、既に準備されているものをいかにして一般の消費者に伝えるかというところが非常にポイントになってくるのかという気がしております。

それから、消費者団体の問題からしますと、日本の消費者団体は残念ながら、やはり意識の高い少数の消費者によって構成されている団体でしたので、それをいかに一般の人たちに目を向けさせるか、同じ目線に立たせるか、そこが重要な課題になってくるのかという気がしております。

以上、雑駁な説明ではありましたが、終わらせていただきます。

○山本座長 どうもありがとうございました。確かに時間を少し超過しておりますけれども、大変興味深く伺わせていただきまして、時間のたつのも忘れてしまいました。それでは、ここから意見交換を行いたいと思います。

今、いろいろ御説明をいただきましたので、それを踏まえまして御質問あるいは御意見などを自由に出していただければと思いますが、いかがでしょうか。

○河上委員長 日本で先生が分類されたC型の消費者団体がうまくいかない理由といいますか、原因というのはどの辺にあるのだというふうにお考えですか。A、Bで、Cがなかなか育たないと。○茨城大学井上教授 これはいろいろ理由があると思うのです。例えば何で日本ではこういう雑誌が売れなかったのか、これもいろいろな説明がある。まずは、行政がいろいろやり過ぎたというのもあるかもしれません。それから、こういう雑誌を日本では、『月刊消費者』とかは図書館とかが入れてくれてしまいました。アメリカ人は個々で買わなければいけなかったというのもあるかもしれない。本当にいろいろな要因があります。あと、アメリカですと商品を買いに行くときに、遠隔地ですので何回も通って見ることができないので、こういう情報誌が必要になってきたとかいろいろな理由があるわけです。ただ、やはり日本では情報を買う文化がなかったとかいろいろあるのかもしれませんけれども、ともかく行政がいろいろやってくれてしまっているというところがあるのかという気がしております。

あともう一つは、生協の存在です。生協を消費者団体と考えるのかどうかというところはあるわけなのですけれども、やはり生協というのは全国消団連さんのパトロンでもありますし、その末端には個々の消費者が入っていて、個々の消費者というのは、やはり安くてよい製品が欲しくてもともと入っているわけです。ですから、一般大衆の消費者セクターでの組織化というのは生協がやってしまったというところもあるのかもしれません。ただ、いずれにいたしましても、なかなか日本ではこういう情報誌というのは成功しなかった。その理由はいろいろあって、なかなか明確には言えないところがあるかと思います。

○河上委員長 今の消費者団体が一番困っているのは、財政問題です。例えば寄附の文化がなかったり、会費収入というのが伸び悩んでいて、結局はみんなのボランティア活動でもってこれを支えざるを得ない状況にある。これは長続きするものではないですから、会員のほうからの一定の会費収入みたいなものがそれなりに見合うものとの関係で安定的に団体に入っていくような仕掛けを考えないと難しいかなと思うのですけれども、その辺の、何というか、おまけですよね。

○茨城大学井上教授 それがここで言っているおまけになるわけなのですけれども、アメリカの消費者団体というか主要国の消費者団体は、日本の消費者団体のイメージで考えないほうがいいと思うのです。一つのビジネスだと考えたほうがいいと思うのです。もちろん非営利組織ではありますけれども、消費者情報を売っている会社のようなものだ。CUですと購読者が選挙をしてボードメンバーを選ぶとかができるので自主的なものはもちろんあるわけなのですけれども、どちらかというと、日本のイメージでいうと会社のようなものなのかという気がしております。

そうなってくると、日本の消費者団体は会員をふやせるのかというとそこが難しいところなのです。つまり、先ほども申し上げましたが、もちろん体力がしっかりしていないと会員に対して情報誌のようなものをあげることはできないわけです。なので「鶏が先か卵が先か」の議論になってしまいますけれども、やはり日本の団体は、貢献感とかやりがいとかそういうようなところでお客さんを集めるというタイプになってしまうわけです。ところが、そういう社会的貢献感とか優越感というのは少数者だからこそ味わえるものです。そこに根本的に問題があるわけでして、そこはひっついている問題なわけです。ですから、現状のままではどう考えても会員数はふやせないというか、むしろ会員数が少ないことに逆に意義があるような団体のところがあるわけであって、なので、会費収入は少ないし、そういうような零細な団体が日本ではいっぱいいるという形になるわけです。

だから、日本でそもそもこういうアメリカみたいな団体をつくれるかというと、もう無理なわけですから、いかにして今の団体がせいぜい生きていくかという程度で考えなければいけないと思うのです。

○山本座長 では、お願いします。

○岩田座長代理 同じことなのですけれども、そうした場合に、先生御自身は日本型だとどういうモデルが、ビジネスではないのでビジネスモデルとは言わないと思いますが、活動モデルが考えられるか。1つは、少数の問題意識が高い消費者自身がやっている団体。それから、もう一つは、相談員さんとか弁護士の先生とか非常に専門性の高い人たちがやっていらっしゃるグループ。いずれも今は本当にボランティア精神で、場合によっては身銭を切ってやるか、そうでなければ行政に依存して、行政からの補助金がある限りにおいてだけの活動しかできないかというどちらかしかなくて、多分、これでは今以上の発展性はないというふうに思いますので、日本に合ったどんなモデルが考えられるのかというのをぜひお知恵を頂戴したいと思います。

○茨城大学井上教授 基本的に財源ということですね。

○岩田座長代理 財源です。

○茨城大学井上教授 消費者団体訴訟の制度がどうなっていくかわからないところがありますけれども、アメリカですとクラスアクションですね。それで、特に懲罰的賠償の制度がございますので、たくさんのお金を取ることが可能です。それを消費者団体に寄附していくというスタイルをやっています。ですから、弁護士さんが、言ってみれば消費者団体を財政的に育てるということが可能なわけです。

日本で消費者団体訴訟の枠組みの中でそこまで考えているかどうかはわかりませんけれども、どこからお金を持ってくるのかといったときに、違法収益の吐き出しでしたか、そういうようなところから持ってくるということも確かに考えられなくもないのかなという気はしております。ただ、日本ではそこまで賠償はとれないだろうとかいろいろございますので、なかなか難しいということになると思います。

そうなってくると行政の補助金ということになるのですけれども、特に地方レベルでは、今、ばらまいてしまっているということです。ですから、先ほども言いましたけれども、政策的誘導といいますか、そういうのをしながら配っていかなければいけないのではないかということです。そうなってくると、消費者団体からすると、先ほども言いましたけれども下請になってしまうのではないかとかそういうおそれもあるかと思いますけれども、ここのところは仕方がないのかなという気がしております。

あと、日本では寄附というのはなかなか難しいと思います。なかなか育たない。アメリカでは寄附文化が云々といいますが、やはりあれは経済的なインセンティブにより裏付けられていたところもあるわけでして、控除が結構大きかったわけです。日本でもその制度ができたというところはあるのですけれども、なかなかそれだけでは済まないだろうというところがあります。

それと、これは別に消費者団体に限らないのですが、アメリカで寄附をしますと、特に大口の寄附をしてくれた人なんていうのは、例えば建物に名前をつけてくれるとかそういうところがありますね。ですから、今、水戸市の場合、水戸城の門を再建しようとしているのですが、そうすると瓦1枚幾らで買いませんかとか、そういう世界なのです。あるいは、熊本城とかだと瓦に名前を入れてくれますね。だから、そういうような形で寄附をしてくれた人に対して「はい、ありがとう」ではなくて、何か形に残るようなものとかをつくらないと難しい。それは一般に市民団体が直面している問題です。

そういう中で消費者団体に何ができるのかというと、それでは、消費者団体に瓦みたいなものはないし、というところで非常に難しいところがあるような気がするのですけれども、私自身もまだそこのところは答えがないという気がしております。

○山本座長 そのほかいかがでしょうか。

先ほど、アメリカのCUモデルから外れてしまった国として、日本のほかにドイツ、北欧があると言われて、確かにドイツとか北欧はそうかなと。ただ、日本と状況がいろいろ違うのではないかと思います。例えばドイツですと、団体が全国的に形成されるということが消費者団体に限らず労働組合等にしてもあり、社会全体の構成として、日本に比べるとかなり組織化というか、団体が社会の中で占める役割が大きいと思います。それから、北欧ですと、それほど人口規模等が大きくないので、行政と民間との間の距離がもともと近くて、北欧のことを専門にしている私の同僚の先生もいるのですけれども、いつも政策決定をするときに民間の、特に誰というふうには決めないで、いろいろな人から専門的な意見を聴取して、政策決定をするのがスタイルだと言われて、参加が普通に行われているところがあると思うのですが、日本はいずれの条件もないので、そうすると一体どうすればいいのだろうかと少し考えたのですけれども、恐らくCUのモデルはとれない、今すぐにそちらのほうに向かっていくのはなかなか難しいだろうということになると、どういう方向に向かっていけばいいのか。

1つは、一般の多数の消費者の目線が必要で、そういう消費者からいろいろな資源を調達できるようにしていく必要がある。これは、どういう方向をとるにしても必要になってくるだろう。それがないと消費者団体が社会的に活動する場合の正統性が調達できないので、それは確かに必要かと思うのですが、そこから先は一体どういう方向に向かっていけばいいのか、お話を伺いながら考えていたのですが、どうなのでしょうか。

○茨城大学井上教授 結論から言うと、非常に先細りなのかなという気はしなくもないのですけれども、消団連でお話ししたときにも言ったのですが、現状を追認して緩やかに滅びていくというのが一番あり得るケースなのかなという気がしてしまっていたのです。今、お話がありましたように、例えばドイツの場合ですと、消費者団体の中の構成団体に、例えばサイクリングの会とかそういうのも入ってくるのです。あと、ドイツの場合ですと、スポーツクラブみたいな形で非常に末端まで、スポーツクラブといってもスポーツだけではないのですが、いろいろ団体が社会に浸透している国ではあります。だから、そういうところで消費者問題的なものも引き上げてしまっているのかなという気もします。

それから、今、おっしゃいましたように、北欧は逆に団体が非常に少ない国でして、こう言うと批判めいてしまうのですけれども、消費者市民社会という言葉は、コンシューマー・シチズンシップですか、ノルウェーのトーレセンさんという方が言い出したらしいのですけれども、ノルウェーはCI加入の消費者団体がない国なのです。ですから、やはり消費者市民社会とかは、実は消費者団体が弱い国ほど言うというところがありそうでして、日本もそうなのかなという気もしなくはないのです。やはり消費者団体が強い国では、たしかに環境問題も重要です。特にアメリカとイギリスでは結構温度差があって、イギリスの消費者の方が、関心があるとか、そういうのはあります。でも、まずは自分たちの安くてよいものだよねというふうになるのです。あるいは、安全性とか被害の回復だよねというふうになる。やはりそういうお国柄の違いはあるのかなという気はしております。

そういう中で日本の消費者団体ですけれども、一般の人たちを会員にできなくても今は仕方がないのかなという気はしているのです。だけれども、一般の人にまずは知ってもらわないといけないというところがあるわけでして、それがまずされていないというところが問題なのです。いまだに消費者団体というと主婦連とかが出てきてしまうわけであって、消費者機構日本とかは知らない。全国レベルのものでも知られていない。地方レベルでの消費者団体も、どちらかといったら主婦の会でしょうということになってしまって、そういう認識をされてしまう。ですから、まず団体を知ってもらわなければいけない。そのためにはコンテンツをつくっていかなければいけないのですけれども、それが従来のように、例えば廃油から石けんをつくり続けて何十年とか、そういうものをずっとやってきたところが多いと思うのですけれども、もうちょっと一般の人たちの関心のあるようなものをやってもらえたらという気がしております。

先ほども言いましたが、それを知らせる役割で行政の役割があるのかと。ですから、自分のPRの仕方を知りませんので、そういうことを行政が手伝っていただければという気がしております。

それと、現状の消費者団体というのはある程度先細りでやっていくしかないのかという感じがしますので、先ほども申しましたが、重要になってくるのは団体間世代交代なのかという気がしております。消費者団体のカテゴリーに入れられていない既存の団体をいかに生かすかということです。先ほども申し上げましたけれども、自治会・町内会も消費者団体的な側面を持っているのです。ですから、そういうのと消費者団体をどうやってつき合わせるかとか、そういうところが必要なのか。ところが、消費者団体と自治会・町内会は全然つき合いがありません。それから、高齢者の団体、老人クラブとか、そういうのはむしろ消費者団体の方は、「自分たちはああいうのとは違うよ」みたいな形で毛嫌いしているのではないでしょうか。だけれども、やはり消費者トラブルというのは高齢者のところで非常に起きているわけですから、そういうのをどうやってつなげていくかとか、そういう民民連携です。そこら辺のところが行政の役割になるのかという気がしております。

ですから、旧来型の消費者団体が一般の消費者からいろいろな資源をもらっていく団体に育てていくというのは難しいのではないか。なので、そういう要素を持っている団体にいかに消費者団体的な要素を加えていくか、そういうほうが現実的なのかという気がしております。

○山本座長 お願いします。

○岩田座長代理 今、一般的な消費者団体について非常に悲観的な見方をされているというのがよくわかったのですが、既存の団体が消費者のほうを向いていないという言葉を先生から聞いて、そのことはある意味では非常にショッキングなことで、私は消費者団体に直接関係しておりませんのでよく理解ができていなかったのですが、その言葉は非常に重いなというふうに思ったのですが、もし先生のように団体間交代ではなくて既存の団体もそれなりにこれから役割を果たして存続して活動をしていくということを考えたときに、今、先生がおっしゃったように行政が持っている消費者情報をちゃんと消費者に伝えていくという、そういうことをおっしゃいましたけれども、例えば今、高齢者の見守り、その他のために地域のネットワークをつくって消費者行政の観点からもそういう活動をしようという動きになっていますけれども、そういうところに既存の消費者団体の方に入っていただいて、例えばいろいろな関係機関、関係団体をまとめるような役割をしていただくとか何かあるのかなというふうに思うのですけれども、既存の消費者団体が消費者を向くということのきっかけになるのはどんなことが考えられるでしょうか。

○茨城大学井上教授 一般の消費者を向いていることは向いているのですけれども、向いていないという言い方はちょっと語弊があったかもしれません。向いていることは向いているのですが、自分を高見に置いてしまっているのです。問題意識を共有するとかそういうところまでおりていっていないということなのです。ですから、啓蒙するのは好きなのですよ。だから、逆に言うと消費者市民社会という言葉は結構怖くて、「教えてやるよ」的なスタンスに正当性を与えかねないところがあって、ちょっと気をつけなければいけないという気はしているのです。つまり、一般の消費者というのは本当の意味で市民になれませんから、やはり偉い人たちの話になってしまうと怖いなという気はしているのです。ただ、いずれにしましても、そういう一般の消費者にも読んでもらえるような、自分たちなりにやったテストとかはやっているのです。だけど、そういうのを偉そうにやってしまう。そこが問題なのです。逆に言うと、偉そうになれるからこそ入っているというところもあるわけですから、組織論的に言えば、ここが根源的な出発点になってしまうわけです。そこが非常に難しい。ただ、行政の言うことはよく聞きますから、行政がつなげていくということをすればいいのかなという気がしています。

それから難しいのは、今の見守りという話なのですけれども、実は私自身も見守りのことはやっておりまして、特に孤独死防止みたいなことをやっているのですけれども、孤独死だけではなくて、やはりもっと広げておかなければいけないよねということで消費者トラブルみたいなものも逆に入ってきたほうではあるのですが、そこで消費者団体が何かできるかというとなかなか難しいかなという気はしております。

○岩田座長代理 難しい。

○茨城大学井上教授 先ほども言いましたように、割と一人で住んでいるようなお年寄りというのは情報が途絶してしまっていますので、消費者センターの存在も知らないわけです。そういう人たちにどうやって伝えていくのかというと、特に孤独死の問題で、その人たちがどういう人たちと仲よくなりやすいかというと、むしろ業者さんなのです。だから、行政も孤独死防止のためにヤクルトを配って、ヤクルトをとっていなければ孤独死してしまっているのではないかとかそういうことをやっているわけですね。そういうお金っぽいものを媒介としたつき合いだと割と入りやすいのです。ところが、むしろ逆に地域のお隣さんとかとだと全人格的なつき合いになってしまうのでつき合いにくいというところがあって、むしろそういう商品、新聞屋さんとか生協さんとかヤクルトさんとそういうほうが孤独死を防止するのに役立つような気がするのです。それと同じような感覚で消費者団体が入ってきたときに、どちらかというと商品を媒介にしていないで、言ってみればお説教に来てしまいますよね。そういうのはかえって難しいのかなという気がしております。

ただ、逆にそういうお年寄りたちにセンターの存在を伝えなければいけないことは確かなので、そこにいかに地域の消費者団体に入ってもらうかというのは本当に工夫しなければいけないのですけれども、そのときの入り方が非常に難しいのかなという気がしております。

あと、例えば県とか市レベルで消費者デーみたいなものをやりますね。それで阿南前長官に来ていただいて講演をするとかそういうことをするわけなのですが、では、誰が来るのかというと、それこそ少数の意識の高い人しか来ないわけです。普通の消費者はそんなものには来ないわけです。だから、極論をすればむだなのかなという気もしてしまうわけなのですけれども、言ってみれば、意識の高い人たちの団結心を試すところでしかないのかなという気もしなくもない。やはり行政はそういうところにお金をつけてしまいますから、どうかという気はするのです。

ただ、そこで今回、茨城県の生協連さんが工夫してくださったのは、いかに伝えていくかというときに、茨城大学の落語研究会を使ってくれたのです。それで消費者落語みたいなものをつくってくれて、ともかくわかりやすくしよう、入りやすくしようという工夫はしたのです。ただ、それでも来ているのは普通の消費者は少なかったですけれども、ともかく伝える側がいかにフレンドリーになっていくのかという工夫をしないと、現状は煙たがられると思うので、ますます乖離が進んでしまうのかなと。だから、啓蒙スタイルよりも同じ目線で入っていく。「自分もだまされたのだけれどもね」という感覚で話さないと、端的に言えば、「だまされてはだめよ」ではなくて、自分の経験談を話すような目線で話していかないとなかなかきついのかなという気がします。結局、選ばれた人と思われたいからこそ入っていたというところがある。そこをなかなか捨てられないというところがあるわけであって、なかなか難しいところがあるかなという気はしています。

ただ、先ほども言いましたけれども、これだけ消費者団体の数がある、地域に根差しているというのは、根差しているかどうかはともかくとして数だけはあるというのは財産なのです。これを使わない手はないとは思うのです。いかに組み込んでいくかというのはなかなか難しいと思いますが。

○山本座長 そのほかいかがでしょうか。

○河上委員長 同感することが多くて、私も消費者という言葉そのものが余り好きではないのですが、むしろ生活そのものですから、今までの消費政策と言われているもの以外のところにもっと視野を広げていかないといけないということがあるのだろうと思います。

それから、団体も、今、町内会とか自治会という話が出てきました。このチームの検討会をやっていく中で、自分で振り返って考えてみたら、集団で何かをやったことというのはほとんどなくて。

○茨城大学井上教授 自治会・町内会。

○河上委員長 自治会のところも。私がかろうじて参加できたのはPTAぐらいなのです。それで、学校の親御さんを中心にしていろいろな地域が集まるという機会は必ずある。交通安全のためにいろいろ町へ出ていったりするようなこともやっているので、場合によってはPTAのようなところを中心にいろいろな情報の流れとか、みんなが集まるチャンス、フォーラムにしていくというようなことを考えないといけないのではないかということを思いました。

もう一つは、「上から目線で」というのは確かにそうで、やはり説教好きな人が多いですね。「こういうことに気をつけましょうね」というような感じの人が多いのですけれども、先生の話を伺いながら思ったのですけれども、まず地域で根差してこんな生活上の問題があるという自分たちの問題意識に取りかかって、そこで何ができるだろうかということで、場合によっては消費者相談員がこういう形でその問題にかかわっていけますよねというようにして逆のルートで問題を考えていくというのが大変大事だなということを痛感させられました。これはただ単なる感想なのですけれども。

○茨城大学井上教授 ありがとうございます。

今、おっしゃいましたPTAの件に関して、まさにそのとおりでして、これは言ってみれば世代別の消費者団体にすることは可能なのです。世代別の消費者団体的要素を持っているわけです。なかなか学校の教育については文句を言えないところはあるかと思いますけれども、やはり共通の問題関心というのはあるはずですから、そこにいかに消費者団体的な横串を刺していくかということはできるかという気がしております。

それから、今、おっしゃいました地域に根差してということなのですが、これも本当に、例えばお年寄りとかですと道路のちょっとの段差とかで転ぶわけですね。あるいは、道路の拡幅の関係で歩道が非常に狭くなってしまっているところとかがあるわけです。そういう危険なところというのはあるわけでして、そういうところを、先ほど道端に消費者問題が落ちているという言い方をしましたけれども、いかに自分たちで発見して伝えていくかということだと思います。

それで、消費者団体がいかに横の連携がないかということの一つとしまして、多くの消費者団体は行政相談委員制度を知らないのです。行政相談委員制度というのは、総務省の行政評価局とがやっている、言ってみればオンブズマンみたいなものなのです。行政サービスについての苦情を受け付けるところで、それをサービスの改善につなげるところなのですが、実は多くの消費者団体はその存在すら知らないのです。ですから、やはり妙に縦割りになってしまって、消費者行政も総務省のサービスのことについては知らないところがあるわけです。そこのところの連携です。

実際問題として、行政相談の受け付けている内容は、あれは国の行政についての相談を受け付けるところなのですが、大体3割が国の行政、3割が自治体の行政、実は3割が民間なのです。ですから、結構消費者クレーム的なものがそこに行っている可能性もあるのです。ところが、消費者団体とか消費者行政との連携がないというところがございますので、そこは団体も行政も縦割りになってしまっているのかなという気はします。

ただ、地域レベルですと、道路に何が落ちているかとかそういうことに関しては、最近では自治体によってはスマホで撮って写真を送れば何とかするとか、そういうのもありますね。だから、そういうところも実は消費者問題的なところがございますので、いろいろやりようはあるのかなとは考えております。

やはり従来型の消費者団体の方というのは、こう言うと大変失礼ですけれども、時間もお金も割とある人だと思うのです。ですから、いろいろ歩いて問題を発見してほしいなという気はしております。

○山本座長 きょうの資料の最後のところにあり、また、今もたびたび出てきた「民民連携」の話と、行政の側の縦割りからの脱却という、これは非常に大事な話で、そこのところを何とかすることによってもう少し活路が開けてくるのかなという気もするのですけれども、例えば民民連携といったときに、どのような場が民民連携のために有効と考えられるのか。やはり、市町村あたりが音頭をとってまとめるやり方が有効なのかということを一つお伺いしたいのと、消費者団体が地域にたくさんあって充実しているのは財産だと言われたのですけれども、逆にたくさんあり過ぎてそれぞれが小さく、あるいは資源が少ない状態のままになってしまっているというような問題はあるのでしょうかということをお伺いしたいのですが。

○茨城大学井上教授 まず、1つ目のどこで民民連携の場とするのかという話ですが、やはり市町村が音頭取り、特に基礎自治体になればなるほどというか、地域レベルになればなるほど問題は総合的に起きますので、最終的には一番下のレベルなのかという気はしております。そうなってくると、どこが行政の中で音頭取りをするのかというと、消費者という旗印を掲げるのであれば消費者行政担当部局がやることになるのでしょうけれども、その際には従来の縦割り的な発想を脱却するというところがそこでは一つのポイントになってしまうかという気がしております。

それと、我々大学にも役割はあるのかという気がしております。大学というのは、単純に言えば行政セクターとか企業セクターとか市民セクターと別の第4のセクターみたいなふりをすることができますので、そのフォーラムを提供することは可能なのかという気がしております。特に、今は学生を相手にこういう授業をやっているわけなのですけれども、将来的にはこれを市民講座としていくことも可能ですし、そういうようなフォーラムを大学もつくっていかなければいけないのかという気がしております。

それから、もう一つのたくさんあり過ぎるという話で、それがまさに先ほども言いましたけれども、量的に充実して質的に貧困という問題なわけです。そういうのに資源をばらまき過ぎてしまっているので、合併を促せないのかとかそういう話になってくるのかという気もするのですが、これはそれぞれ団体の成り立ちがあります。ただ、そういう団体ですら減ってきてしまっているというのが現状だと思いますので、なかなか難しいのかなという気はしております。ちょっと答えになっておりませんが。

○山本座長 私も大学がもう少しうまく消費者行政とか消費者団体の活動とかとリンクしていく余地がまだまだあるのではないかと常々思っていて、ただ、大学に身を置いておきながら余り実践をしていないので口で言うだけで大変申しわけないと思っています。

そのほかいかがでしょうか。

○茨城大学井上教授 加えさせていただきますと、先ほど外国の消費者団体はテストをすると話しましたけれども、アメリカの施設は本当にすごいです。ですが、オーストラリアの実験施設とかは意外とたいしたことないのです。大学の家庭科教室みたいなところと大差ないのです。ですから、場合によってはそういうところが代行できる可能性もありますので、やはり大学を生かすというのは一つの方法としてあるかというふうには考えております。

○山本座長 そのほかいかがでしょうか。

唯根委員から何かございますか。遠慮されていませんか。

○唯根委員 遠慮ではなくて、先日、消団連で先生をお招きして伺って、きょうのお話とあわせてガンガンガンと衝撃を受けておりました。

先ほどおっしゃっていた総務省の行政相談委員制度、まず行政サービスを市民、いろいろな団体さんでチェックするようなところで連携を図っていくのがいいよという、この前も連携のきっかけという視点のお話しをいただいて参考になりました。まさに今、私は地元の情報を全く知らないまま、今年になって友人たちと市民団体を立ち上げようと思っていろいろ調べてみると、本当に先生がおっしゃる事が現実であり、たくさんのいろいろなサークル的な団体が多くて、消費者団体は一握りで、先生がおっしゃるように、上から目線ではないですけれども、歴史があるとか、専門的なということで連携がとれていないというようなところも非常にわかってきたのです。やはり行政のかかわり方というのも行政のほうにもいろいろ聞くのですが、「頑張ってください」は言ってくださるのですけれども積極的ではありません。でも、私は市川市在住なのですが、個人市民税の1%を市民活動団体に寄附できる制度というか選べる制度があって何年間かやってきたのですが、ことしで終わりだと言われてしまって、そういう制度で1年に1回だけ、こんなに市内にいろいろな団体が活動している、グループがある、中には趣味の会的な名称の団体も登録の中にあるのですが、140近い対象団体があるのだなというのが見えるのです。そういう知らせ方や市民参加の仕方というのを続けてほしいと思ったのですが、ちょうどこの間お知らせが来たら、今年度限り的な御案内だったので、残念に思ったのですが、市民税で団体支援というのは全国的に行われているものでしょうか。

○茨城大学井上教授 私自身、存じておりませんで、申しわけございません。逆に市川市はそういうユニークな制度があったのかと、今知ったのですが、言ってみれば、もう一遍伺いますけれども、1%でしたか。

○唯根委員 はい、個人市民税の1%をボランティア団体に支援するかしないかを選べるというだけで、要は市民が自分の市民税の使い道を選択できる制度です。

○岩田座長代理 団体を指定できるのですか。

○唯根委員 たしか指定することもできます。

○河上委員長 寄附をすればいいわけですね。

○唯根委員 団体さんに丸をつけてもいいし、特になければ1%を参加するかしないかというのだけでも選べます。

○茨城大学井上教授 住民税レベルでそういうことができれば本当にいい制度だと思うのです。だから、非常にマクロな言い方をいたしますと、日本というのは、お金があるところとないところがあって、あるところからないところにお金がどうやって動くのかというと、当然のことながら税金として集めて補助金として配るというルートなわけです。ところが、欧米は寄附という横のダイレクトに行くルートがあったわけです。日本でもそれをつくりましょうという話になったわけなのですけれども、なかなかうまくいっていない。税金でとられてしまうと何に使われるかわからないけれども、寄附金だとこれに使ってもらえるというのは確実にわかるわけです。兵器を買ってもらうより環境のためとか、老人のためでも、お城の瓦とか何でもいいですけれども、そういうような形で寄附というのは自分のやったものが見えるわけです。だから、税金でそういうシステムができるのであれば非常にいいシステムかなという気はいたします。けれども、ただ、寄附がふえてしまうこと、それから、そうやって税金の中の使途が特定されてしまうということは、行政にとっては必ずしも望ましいことではないでしょうから、なかなか制度化は難しいのかなという気はしております。

あと、先ほど市川市のお話で非常に心強い気がしたのですけれども、確かに消団連のときにお話ししたこととして、企業とかお店のサービスを地域の消費者団体が評価するというのは、難しいというか危険があるのです。ですから、もしやるのだったら、叱るより褒めることをやるべきだろうと常々言っているのです。妙に叱り過ぎると訴訟を起こされてしまいますから、訴訟リスクが非常に高いのです。ですから、そうではなくて、褒めるのだったら、ベストスリーぐらいを発表するのだったら、誰も怒らないという気がするので、むしろ褒める力を使うべきでしょうというのが私の考え方なのです。ですから、まずは地域の消費者団体の偏った意見でもいいので、地域のサービスとかお店ランキングとか、そういう作業をして発表すればメディアも伝えてくれるでしょう。そういうことが出発点なのかという気がしています。

それを一歩進んで言うと、さらにやりやすいのはまずは行政サービスでしょう。行政はなかなか文句をつけてきませんから。しかも、公共サービスというのは誰もが利用しているサービスですね。だから、誰もが関心を持ち得るのです。ですので、茨城県でもやろうかと一時期話していたのは、県内47市町村、まずは各市町村自体に選んでもらってもいいので、各市町村さんにことしのいろいろな行政施策の中で、うちの市ではこれが一番住民志向でしたというものを選んでもらって、47集まってきて、その中のベストスリーを消費者団体が選ぶかとか、そういうようなランキング作業をやることによって徐々に一般の認識を広げていく、そういうことをやってみようかみたいなことは話しておりました。行政サービスというのは確かにやりやすいという気はします。

ところが、日本は行政サービスというのは消費者団体の範囲に入っていないですし、なかなか難しいのですね。例えばイギリスとかですと半官半民で行政サービス用の消費者団体みたいなものもございますから、そこら辺の感覚が違うのかなという気はします。

○山本座長 お願いします。

○河上委員長 ちょっと話がずれるかもしれないですけれども、最近、景品表示法の問題でいろいろあって、表示のあり方について非常に関心が高くなっています。他方で偽装表示とかいろいろな問題もあって、実際に市場でどういう表示がなされているかとか、これは紛らわしいとかというのは、国の行政官がチェックして回るようなことはほとんどできない。ところが、いつも買い物に行っている人とか現場の消費者であれば、それをチェックするというようなことがきめ細かくできる。消費者ならではといいますか、生活者ならではの現場でのいろいろな情報収集、そういう活動ができるのではないかと思うのです。それに対して、お金でつるというと語弊があるかもしれませんけれども、何らかの報酬を出すことができれば、消費者ならではの作業が可能になり、逆にそれに携わっている人には食品表示に関する知識だとか、あるいはいろいろな問題についての意識の高まりというのがあって、更に、また周りの友達に対してもいろいろ話をするというようなことで広がりを持ってくる。消費者個人の側で行政にはいま一つできないことをしてもらうというような発想はできないものでしょうか。

○茨城大学井上教授 当然それはあっていいし、そうなるべきであるという気がしております。それは、消費者団体がみずから発掘した問題についてもそうですし、あるいは、行政がいろいろ集めた情報を一般の消費者に伝えるという上から下のラインでもそうだと思うのですが、そうなってくると、どうしたらそういう活動をしてくれるのか。今の日本の消費者団体は、結局、お金よりも活動を続けられること自体が御褒美的なところがございますので、大抵の場合には市民センターみたいなところの一室を使えるようになっておりますし、そこの印刷機を使えるとかなっていますね。それ自体が結構十分な御褒美になっていると思うのです。ですから、もちろん補助金があればありがたいのですけれども、そこから先は、私は技術的支援のほうが重要なのかという気がしているのです。お金よりもいかにその活動を続けられるか、活動を続けられることの支援、それをお金ではない形でできるのであればそちらのほうがいいのかという気はしております。

それと、もう一つ、日本というのはクレーマーという言葉が悪いイメージを持たれてしまっていますね。だけれども、確かにいわゆるクレーマーはまずいかもしれないけれども、クレーマーというのは本来的には問題解決要求者的なニュアンスですね。ですから、合理的クレーマーというと適切かどうかわかりませんけれども、個々人がつけているクレームをいかに集合化していくのかというのが結構重要だと思うのです。とくに、いわゆる消費者被害とかにならないレベルで。弁護士さんとかが問題にするのは、かなりシビアな問題なわけで、そうではなくてライトな問題でも結構消費者問題というのはあるわけです。消費者センターに行っても、確かに問題があることはわかるのだけれども、それはここでは相手にできないよねというレベルの問題というのはありますね。そういうのを生活感覚に基づいて出してくれればという気はするのです。

例えば、こういう言い方がいいのかどうかわからないのですけれども、うちの学生に対してどういうことで消費者問題を抱えたことがありますか、視野を広げていろいろなことを言ってくださいといったときに、結構出てくるのはNHKの料金の問題なのです。彼らはアパートにひとり暮らししていますね。そこにNHKの集金員さんが訪ねてきて、払わなければいけないのだというふうに言われたのだ、でも、私はだまされているのではないでしょうかみたいな話なのです。法律的に見れば払わなければいけないので、払わないほうがむしろ問題なのだよということになる。消費者センターに持っていっても、それは払わなければいけないよねという話になりますね。だけれども、これは本当にこういう制度でいいものなのかどうなのかというのは別問題としてあるわけです。そういうレベルは、やはり消費者センターとか行政では取り上げられない問題ですね。だけど、問題提起的な形でそういうクレームとか相談をどこかが集めなければいけないという気はするのです。そうなってくると、これは民間でなければできないだろうという気はするのです。そういうような生活感覚に根差したシビアでない消費者問題、ライトな消費者問題といいますか、それがひょっとしたら政策展開につながることがあるような問題、そういうものは団体に頑張ってほしいなという気はしております。

○山本座長 そのほかいかがでしょうか。

お願いします。

○唯根委員 先生の先ほどのタイプ別でDのタイプは余りいないのではないかという御提案だったのですが、日々の生活でポリ袋を買い物でもらわないとか、ペットボトルの回収やトレイの回収に協力するというようなところの生活感覚というのはこのDに入らないのでしょうか。

○茨城大学井上教授 ただ、それは個人としてやっているので、団体としてはやっていないかなという気がしております。

○唯根委員 団体になるという意味ですか。

○茨城大学井上教授 はい。日本は、それこそ消費者市民社会なんていうことを言い出す前から消費者の社会的責任という言葉はございましたし、グリーンコンシューマーとかいう言葉もありましたから、実は日本は結構やっているほうなのかという気はしております。

○唯根委員 グリーンコンシューマー運動はこのDなのかなと思いました。会員という意識ではないかもしれないけれども。

○茨城大学井上教授 そのための団体はないということで、もちろん個々の消費者はやっていると思います。

○唯根委員 ありがとうございました。

○山本座長 そのほかいかがでしょうか。

先ほどからお話を伺っていて、この場でも時々ウェザーニュースのような仕組みができないかという話をしていて、一般の消費者からいろいろな、それこそここの道路のこの部分が危ないとか、そういった身近な情報をどんどん集めていって、それをほかの消費者に伝えていくような、そういうところから官民連携とか、あるいは民民連携が考えられないだろうか。それから、やはり全体的には褒めるというところから入ったほうが官民連携とか、あるいは民民連携を、事業者まで含めてやる場合には入りやすいだろう。本当に個別の消費者被害が起きたときにどうするかというところももちろん考えなくてはいけないのですけれども、そこから入ってしまうと非常に民民連携とか官民連携がやりにくいので、まずは褒めるとか身近ないろいろな情報を集めるとか、そういうところから入るのが恐らくやり方としてはやりやすいのかなという話はしばしばしていまして、今、先生のお話を伺っていて、やはりそのあたりから入っていくのが方法としてはやりやすいのかなと改めて思いました。

そのほかにいかがですか。

○茨城大学井上教授 私自身がいつも考えているのは、功利主義的な発想になってしまうのですけれども、私的な利益の実現の延長に公共の利益が実現できるのではないかということです。例えば公有林がありますね。公有林を行政が予算をつけて切ることができなくなってしまったので、地域のボランティアの人が切っている。ところが、ボランティアの人たちがお年寄りばかりになってしまったので、大学の学生に手伝ってくださいと来るわけです。だけれども、やはり学生は単位がつくかバイト代が出ないと行かない。そういうふうに言うと怒るわけです。私たちは皆さんのためを思って一生懸命やっているのに、そういう考えはいかんみたいなことで叱られるのです。でも、そこであなたたちはやりがいをもらっているでしょうという話になるわけです。ですから、やりがいであろうが、お金であろうが、単位であろうが、私は基本的に同レベルだと思うのです。やりがいという御褒美をもらえたから木を切ります、単位をもらえたから木を切ります、私は同じものだと思っています。みんなが欲しいものがもらえて、その延長線上で公有林が守られればそれはそれでいいのではないかというふうに考えているのです。

ですから、やりがいで動いている消費者団体が悪いとか言っているわけでは全然ないのです。やりがいという効用をもらって動いている、それはそれで全然いいのではないですか、それは一つのモデルですよという言い方をするのですが、そうすると、団体の方に、ばかにされたように受け取られてしまうのです。利他心で頑張っているのにというイメージを彼らは持っている。実はそれは利己心なのではないかと私自身は思うわけであって、それでいいのではないかというふうに思うのです。でも、そこら辺の意識の違いというか、いつもギャップに感じる。これは消費者団体に限らず市民団体の人たちと話していていつも感じるところなのです。

ですから、やりがいであろうが、お給料であろうが、情報誌であろうが、効用であることには変わりないわけであって、それをもらうことで満足することによってみんなで公共が実現できればそれはそれでいいのではないかというふうに考えておりまして、やはりそこの意識の差といいますか、そこのところでいつも難しいなと思ってしまうところはございます。これは全てのことに言えることです。

○山本座長 そうですね。大学もそうかもしれないと、お話を伺っていて思いましたけれども、よろしいですか。

それでは、大体予定していた時間になりましたので、このあたりで意見交換を終了したいと思います。

井上先生におかれましては、お忙しい中、大変貴重なお話をいただきまして、どうもありがとうございました。

○茨城大学井上教授 貴重なお時間をいただきまして、ありがとうございました。

○山本座長 ありがとうございました。

それでは、本日の議事は以上です。

最後に事務局から事務連絡をお願いいたします。


≪3.閉会≫

○金児企画官 どうもありがとうございました。

次回の日程につきましては、改めて御連絡させていただきます。

○山本座長 それでは、本日はこれにて閉会させていただきます。

お忙しいところをお集まりいただきまして、どうもありがとうございました。

(以上)