基礎問題小委員会(第13回)後の石会長記者会見の模様
日時:平成16年5月25日(火)16:03~16:26
〇石会長
今日13回目になります、基礎問題小委員会が終わりました。だんだん佳境に入ったと言うべきか、公共部門というのが今日の主要なテーマであります。われわれの考えておりますさまざまな政策形成の背後にいろいろなことがありますが、その公共というところで今日、随分いろんな意味で勉強したと思います。
冒頭、事務局がまとめてくれました参考資料がございまして、ニ編ございます。「基礎小13-1」というものと「基礎小13-2」、この13-1だけ、社会像(モデル)という形でいろいろ整理をしてもらいました。これは、後程お読みいただければいいと思いますが、いずれにいたしましても、こういうものをバックグラウンドにして、我々、これからパブリックセクターのあり方を追求していきたいと考えています。
そこで今日、お三方、スピーカーをお招きいたしまして、各々ご専門の領域からご議論いただき、それにつきまして質疑応答を繰り返しました。
最初が東大の加藤淳子さん、比較政治学のご専門でありまして、税のほうを、特に政治学的な側面からやられている方で、官僚制と税制改革とかいろんなところでご議論いただいている方であります。「逆進的課税をめぐる政治」というのが、横紙のものででておりますが、OECD18か国を使いまして、どういう形で租税構造というものが各国ででてきたかということをご研究になった本、これのサマリーバージョンを出していただきました。日本につきましても、さまざまな含意に富むお話をいただきました。最後のページに、「日本への含意」ということで3点書いてございまして、これは後で今日のハイライトかなと思って聞いておりました。私も多々共感するところがあるのですが、つまり高度成長期、自然増収がぼんぼんでたときに、言うなれば減税減税でやってしまいまして、そのとき、おそらくそういう形でなくて、福祉国家建設の基盤になる課税体系というのができたはずなんですが、それを逸したと。この逆進的課税というのは付加価値税のことですね、はっきり言うと。それから、今は非常に増税が難しい。歳入確保が難しいが、低負担だから今後上げる余地があるよという言い方は、政治学者からみるとどうも違うんですね。もう低負担に慣れきってしまった国民に対して、これから上げるよということについてはすごい抵抗があると。僕もそれを聞きまして、そうかなあという感じがいたしました。それから、財政赤字があるから、要は税を上げてといったような歳出強化・増税路線への支持を集めるというのは、政治学的には難しいということのようですね。ニュージーランドも経験して、どちらかというと、逆進性の税を入れると大衆課税だと、しかしその財源をもって幅広く、言うなれば福祉国家、あるいは社会保障制度にもっていくよという、そういう路線をとったニュージーランドが参考になるのではないかというようなお話がございました。それから、経済危機といったようなことが表にたつと、それに応じてみんなそっちに目がいきますから、結局、ニュージーランドは最初10%で付加価値税、あそこはグッズ・アンド・サービス・タックスというかな、を入れて12%まで引き上げられたといっております。そういうあたりが経験になるのじゃないかということを、非常に説得的にさまざまな資料を作ってお話しいただけたということであります。
議論のほうは、まあいろんな導入の過程で付加価値税の時期ですね。やっぱり早く入れたほうが、この付加価値税をベースにして、税制のしっかりした基盤ができて、後になるほど非常に苦労してるということであります。まあ最初に入れたときの、特にEC型付加価値税ですが、それを取引高税ということになって取引高税が非常に悪いから入れたという形の説明のほうが大きいんじゃないかといったようなご質問もございました。それから、高度成長期に付加価値税導入が失敗したという解釈なんだけれども、それは本当にそういう理解でいいかとか、それからもう一つは北欧の話で、後の宮本先生の話にも絡むんだけど、非常に大きな規模の、まあ一種の大衆課税ですよね、付加価値税みたいの、それを普遍主義と言っていますが、普遍主義によって再分配、つまり非常に多くの人から税負担をとって、それをまた配るときに同じことじゃないかと。つまり、特定の金持ちから非常に高い税をとって、それを貧困層に配るというなら、言うなれば再分配効果はあるけど、全国民が参加するような形の再分配というのはあり得ないんじゃないかという質問に対して、垂直的分配ではなくて水平的分配。垂直的分配というのは、金持ちから貧乏人という意味の分配ですよね。これは累進課税をとって社会保障を支出するわけだけど、そうじゃなくて水平的分配、つまり付加価値税みたいな、非常に大衆的な税負担をしてても、ニュージーランドの税のように、ある世代ごとでライフサイクルごとに、非常に困ってるときに援助してやるといったような再分配があるだろうし、あるいは世代間の分配というのもあるんですね。まあそういうことをお話しになりました。非常に得るところあったと思います。
それから、宮本さんという北大の先生から、「福祉国家の類型と動態」、今日は比較的こちらに関心がございまして、言うなれば、よく言われる国家のパターンとして、まあ宮本さんのレジュメもでていると思いますが、要は自助という形の言うなれば自由主義、共助という形の保守主義、そして公助という形の社会民主主義ですね、こっちの三つの類型があるというのは、宮本さんのレジュメの2ページあたりに出ております。そういう自由主義レジーム、保守主義レジーム、社会民主主義レジームという三つの類型があって、この中で日本は保守主義レジームに入っているだろう。ドイツと並んで入っているということなんですが、これは事務局の資料にも入ってございますが、まあそういう形で類型化した後、じゃあどこに特色があるかというと、我々、高福祉・高負担になっちゃって、非常に活力が失われて経済が低迷するんじゃないかという、そういう信奉がある。したがって、土光臨調以降、国民負担率は50%を超えないようにしようというような話があって、要するに負担が高まれば経済が不振に陥るよというようなロジックで見ているのですが、今日の宮本さんの話で、要は社民レジームで国の形ができてて、それで一種の高福祉・高負担になったとしても、スウェーデン以下の国の経済は決して劣ってないんですね。低迷してないですね。それはどういうことかと。つまり、福祉というものが惰民をつくるわけではない、経済の不効率面を助長するわけではないという一つの発想として、要は中間層、国民の中間層というのを引きつけるために福祉は非常に重要であると。したがって、その財源として大衆課税となるような逆進的な税でも結構なんだと。それを徴収して、そういう中間層の期待に応えるように、言うなればさまざまな社会保障を提供したと。一つの例が、宮本さんのレジュメの3ページにありますけど、「両親保険」といって、所得比例型の福祉プログラムなんていうのが非常に意味があると。つまり、子どもを産んだり、何年と言ったかな…当然ある期間、8割の所得保障をしてくれる。したがって、逆にいって、その所得保障をもらうために子どもをつくって、言うなれば福祉を目当てにさまざまな自分の家庭をつくるんだといったような、そういうご議論があるということを聞きまして、福祉というのが惰民をつくるんじゃなくて、活性化し、本当に働く気をもよおさせるような福祉政策をやってると。まあこういう逆転の理屈があるんだということも今日学んだわけであります。そういう意味で、類型化のなかで日本の状態がどういうことかということになりますと、まあいろいろ問題はあるようでありますけれども、極端に低いほうへという話でいけるのかどうか、これも一つの議論として残ったかもしれません。
宮本さんの議論に対しては、まあいろんな議論も出たんですが、一つは保険と税、これを融合した、あるいは一体化した形でやるというのが一つの福祉の話であり、スウェーデンみたいにペイロールタックスって非常に高いんですね、企業が払う。ただ、この高い企業負担を緩和するためで法人税を非常に軽減させるといったような、そういう税と保険の組合わせ等々も重要になると。もう一つ、われわれが絶えず気になってるのは、スウェーデンみたいな 800万人ぐらいの国だからこそ、こういう高福祉・高負担ができて、政府を信頼して、社会連携を強めて、国民がみんな参加するという議論であるけどどうだというような質問が出ました。事実そういうこともあるとして、顔の見えるコミュニティになってることが重要だろうと。1億を超える国民だと、必ずしも政府に対する信頼は高まりませんよね。顔が見えないわけですね。したがって、顔が見えるという意味から言えば、地方自治体などを活用する、そういう形の福祉国家のつくり方があるじゃないかという議論ですね。
それから3人目が、東大の山脇先生でありまして、これは公共哲学という分野を新しく開拓された先生でございまして、最近、「公共哲学とは何か」という著書もございました。言うなれば、NPOで代表されるように、今、俗に言われますパブリックセクターとプライベートセクターの真ん中に第三のセクターとして、新しいさまざまな活動がでてきた。こういうものをどういう形でとらえようかと。したがって、公共活動をしてる、これは市民社会というような言い方でもいいらしいんですが、市民というものは政治に対立して公共性を否定するということではなくて、市民社会というのは一体化してるんですね。言うなれば公共性も取り込んだ形の市民の活動、あるいはプライベートな活動もあり、あるいは家庭に近いところの活動、まあいろいろあると思いますが、そういう第三のセクターをどうやって理論づけていくかという形でさまざまな議論があるというご紹介をいただきました。つまり、パブリックという概念の多義にわたる概念規定ですね。こんな議論も含めつつ、今後この分野でどういう形で概念規定ができるかという話であります。
これに対して、NPOに対して何かあるきっかけを与えるようなサジェスチョンはないか、つまりNPOが活動すると、非常に公共性の高いことをやってるから、寄附金の税をとるべきでないというような議論があるけれども、公共性の高いことをやれば、企業でも家庭でもやってるのだから、全部税をまけなきゃいけないかという議論につながるじゃないかという議論もあり、まあそれに対して直接クリアカットなご返事はございませんでしたけれども、そういう哲学的な背景を探る議論が行われました。ちょっと時間もなくなってきましたので、それ以上議論は深まりませんでしたけれども、われわれとしては、公と私の間に落ちる第三セクター的な、NPOで代表されるような領域の議論というのは、これがいっぱいあるんですね。そういう意味で、この辺の議論というのはこれから詰めなきゃいけないかなと考えております。つまり、政府がやらない、しかし企業とか、あるいは家庭が肩代わりしている領域というのがあるわけでありまして、それのロジックをどうするかという議論であります。
というわけで、今日、公共セクターの第1回目の議論をいたしましたが、もう一回、この種の議論を6月1日にやりたいと思ってます。それからあと、そのあたりからまとめにかかりまして、一応中間的な報告といったような論点整理を、これまでやってきました経済・社会の構造変化の「実像」把握から抽出しまして、9月以降の税制改革の論議につなげるような形の報告書を作成したいと考えてます。あと6月1日以降の後は6月11日と6月15日、この二つで一応文章化したものを整理したいと思っておりまして、最終的には15日に文章化できれば、もう1週間後ぐらいにはそれを公にできるかなというふうに考えております。そういうわけで、基礎勉強をしたというのが今日の印象でございます。
以上です。
〇記者
6月中旬の中間報告なんですけれども、この方向性、あるいはどういうことを会長として実現したいのか、ちょっとその方向性だけでも教えていただけますか。
〇石会長
社会像(モデル)という事務局の最初の参考資料がありますよね。ここでこれまでもやっていただいたポンチ絵的な整理が1ページに、最初のほうにピンクの紙があって、その後に目次があって、すぐ1ページというのがございます。われわれ、経済・社会構造の変化と「社会像」の選択(公共部門の役割)とたまたま書きましたが、これまで家族以下、就業、価値観、分配、公共部門等々をやってきて、まあ言うなれば、今抱えておりますさまざまな問題を整理してきたわけでありまして、例えば家族の役割をどれだけ高めるかによって、政府にかわるものもできるかもしれない。そういう意味で、いわゆる低福祉・低負担とか中福祉・中負担なんていうのも、この辺の切り口からなんか汲みとれるものが出てくるはずであります。分配面を高めようという話、少子・高齢化から一体どういう負担をするかと。それが自助、共助、公助、そういうものもあるし、自由主義か保守主義か社民主義かという、ここに書いてございますように、アンデルセンという人の「福祉レジーム」の区分け、これについて一体どういう方向になっていくのか。つまり、少なくとも今のところ、われわれは修正「保守主義」には、日本というのは位置づけられているようでありますが、これがより自助を高めていくのか、より公助を高めていくかによって、かなり負担と福祉の関係の背後にある組合せが違ってくるわけですよね。そういう意味で、これの税制の議論ですね、税体系のあり方ですね、そういうものにも絡んでくるはずでありまして、自ずから将来の消費税の議論とか所得税の議論とか、そういうものと直接に結びつけた議論はあまりしないほうがいいかもしれません。こういう経済構造と税制がミスマッチしてるところを今追求しているわけでありますから、そこから汲みとれるものをまとめていけば、自ずからある方向は出てくるかなあとは思ってます。ただ、決め打ち的にこういうことをやるというところまでは、今のところまだ検討中であります。
〇記者
会長としては、どのモデルが適正だとかありますか。
〇石会長
それは今日、実は時間をとって議論しようかと思ってたんですけどね、時間切れになりまして、次回以降、この議論も皆さんの感触を聞いてみたいと思いますが、とりあえず今、皆さんが考えていることは、財政赤字でやってる公共サービスの規模まで含めれば、当然のこと、自助じゃないんですよね、共助なんですよね。まあそういう意味では、ドイツと並んで日本は修正「保守主義」のレジームに入ってるんですね。これが今、国民負担率ではかればこれはどのぐらいかということになると、50%をかなり超えてるあたりが保守レジームのいわゆる負担と給付の関係なんですね。これを下げていこうというのが今、一つのいき方ですよね、ほっとくと増えちゃうから。このあたりをどうなのかなというけど、そんな大幅に自助のほうにも公助のほうにも、そう振れるのは難しかろうというような気もしますけどね。そうなりますと、ここに書いてある中福祉・中負担あたりで、個人的にはなんか今の負担感、今の福祉レベルとうまくリンクして、国民全体で広く公平に負担してもらって、その見返りとして、安心・安全を買うような形の将来設計ができるような福祉のモデルをつくるとか、そういう議論というのはできるのかなと思ってます。なんかそういう形がないと、おそらく単に財政赤字を返せというだけではね、なかなか難しいと思いますよね。だから、やっぱり基本的なしっかりした戦略論なり、しっかりした基本哲学が必要だと思いますので、そういうことをぜひ、これからみんなで議論しながら固めていきたいと考えてます。
〇記者
今おっしゃられたように、財政赤字を返せだけだと難しいということになりますと、例えば間接税を今後導入する場合には、福祉目的税とか社会保障に限って使うために税金をいただくんですよというような流れになるのかなと思うんですけど…。
〇石会長
いや、議論はそうはいかんでしょうね。ただ、いろんな段階で福祉目的税がいいとか悪いとかっていうのは、ちょっと私の立場としても言いにくいし、世界中どこをみても、成功したというニュージーランドでさえ、福祉目的税なんて決め打ち的にリンクしてないわけですよね。だから、全体の負担が高まる、その負担の背後には福祉の拡充があるという点から言いますとね、なにもリンクしなくたって、その辺の説明はつくのかなという気もします。今あるような福祉目的化、福祉目的税じゃなくて、まあその辺を少し探っていきたいと思ってます。つまり、目的税にしてしまったときの功罪、あるいは欠陥かな、そういうものを整理しながら、自ずから理論的にどうしたらいいかという議論はできるんだと思いますけどね。そういうのをこれからやらない限り、なかなか難しいでしょうねえ。
いや、僕は今日、一つ加藤さんに教えてもらったのは、租税負担というのは非常に低いから、まだ余地かあるよっていう言い方を時々しますけどねえ、低い国は上げられないんだってね、もう低いのに慣れちゃって、制度的には。したがって、上げる、税負担を引き上げるということは猛烈なアレルギーがあるというわけだ、制度的には。そう言われてみりゃあ、そんな気もするけども、それをどう打破するかですな、それは。それぞれやっぱり福祉国家をつくるとか、将来世代にツケを回すなとかですね、やっぱりより前向きな姿勢が出てくるような、なんか基本的な戦略論が必要でしょうね、これからは。大きな意味でね。というわけで、お知恵もお借りしたい。
(以上)