第20回基礎問題小委員会 議事録

平成16年10月1日開催

委員

それでは、時間になりました。まだお見えになっていない方がいらっしゃいますが、追っ付けお見えになると思いますし、報告者の方のご都合もございますから、ぼつぼつ始めさせていただきます。

再開後二度目の基礎問題小委員会でありまして、前回に引き続きまして、まずトータルな意味でのいろいろな一般的な議論からという形で、今日は国債発行と経済につきましてみずほ証券のかたから、それから、社会保障と財政につきまして委員のかたから、お二人プレゼンテーションしていただきまして、マクロのほうの国債を一体どう考えたらいいか、それから、これから喫緊の課題でございます社会保障をどうするか、この2点を追求していきたいと思います。

では、みずほ証券のかたのご紹介をさせていただきますが、現在、みずほ証券投資戦略部長、チーフストラテジストでしたね。そこで国債等々を中心にご研究でございますが、最初に興銀に入られ、それからオックスフォード大学へ留学され、それから同行の審査部を経まして、現在みずほ証券に移られているようであります。有名な国債暴落の話とか、銀行の戦略転換等々のご著書がございます。

では、30分ほどしかないのですが、よろしくお願いします。

委員

初めまして。私、みずほ証券投資戦略部から参りました。どうかよろしくお願いいたします。今日は30分ほどお時間をいただきまして、国債市場とその影響と申しましょうか、その辺についてお話をさせていただこうかと思います。

先ほど、会長のほうから、ストラテジストという名前をご紹介いただきましたけれども、これは投資を機関投資家の方々にインフォメーションをお与えするような機能、ですから調査部的な機能を果たさせていただいているということでございます。

私自身は、特にアカデミックなということよりは、現場のマーケットの中で、ディーリングルームの中で、そうした業務をさせていただいているということでございます。ですから、今日の議論もそうしたマーケットの視点からという形の中でご理解いただければと思います。

今日の構成でございますけれども、お手元のレジメ、まず1ページ目のところをあけていただきますと、本日の話題ということで、今回は3つの話題をお話をさせていただこうかと思います。最初が、まず、なぜこういう形で消化が続いてきたのかというような論点、2番目が現在を中心とした国債の保有構造、3番目が長期金利とその変動に対する影響といったもの、この3点についてお話をさせていただこうかと思います。

それでは、2ページ目以降のところで、まず、なぜ消化されてきたのかといった論点についてお話をさせていただこうかと思います。

3ページのところをおあけいただきますと、私自身、こうした機関投資家の方々へのお話ということは、日本だけではなくて、よく海外にも参りまして、外人投資家といろいろお話をさせていただくことがございます。そうした時に、ここ何年間かよく聞かれる疑問点、これをまとめさせていただいたのが次の3ページ目の「外人の疑問」という点でございます。ちょうど私も3年前に『国債暴落』という本を出させていただいたことがあるのですけれども、その発想も実は3ページ目のところにあるような、よくいただいた疑問から出発したものでございます。

そもそも、なぜ日本の金利ってこんなに低いのかということ、極めてシンプルではございますが、極めて本質的な議論でもございまして、実は『世界の金利の歴史』という本があるのですが、日本の90年代以降に経験した金利の低下は、ギネスブック入りぐらいの世界一の未曾有の状況であったということでもございます。

それから、2番目には、これだけ大量の国債が発行していながら、なぜ金利が下がるのか。要は大量の発行がありながら価格が上がるのかというような、これも本質的な疑問でございます。

それから、民間セクターでいいますと、一番国債の保有をしておりますのは銀行という形になりますが、なぜ銀行はこんなに国債を持っているのかということでもございます。

それから、最後になりますけれども、こんなに金利が低いのに、なぜ日本の投資家は外国に投資をしないのかといった疑問、これは必ずといっていいほど聞かれる状況でございます。

こうした状況、まず基本的には、通常、需要と供給の世界ということでありますと、供給がたくさんある、しかも未曾有の供給であるということ。次の4ページ目をご覧いただきますと、日本の財政状況ということでございますが、この国債の発行状況、要は供給ということからいたしますと、現在の名目GDP対比で見ましても、相当な水準であるという形にもなるわけでございまして、こうした状況の中で、普通であれば、国債の価格が下がる、すなわち金利が上昇する、場合によっては暴落ではないかというような議論があるわけでございますけれども、しかしながら、90年代以降のこうした高水準の発行にもかかわらず、次の5ページ目のところをご覧いただきますとおわかりのとおり、金利は逆に低下を続けていたということでございます。もちろん、足元のところについては、昨年0.4という、極めて世界史的にも残るくらいの低金利のところまで10年金利が下がりまして、そこからある程度戻り、今は1%台半ばということではございますが、それでも大変な低水準であるということには変わらない状況が続いているわけでございます。ですから、一般的に言われる需要と供給の関係からすれば、供給が増える中で金利はどんどん下がっていたという、ややパラドクシカルな状況が生じていた10年間でもあったということでございます。

こうした構造というもの、これは考えてまいりますと、次の6ページ目のところで私は説明をさせていただくことが多ございます。これは現在の資金の流れの状況ということ、極めて単純化させていただいたものでございますけれども、出発点の左上のところ、「金融政策」とございますけれども、体でたとえますと、心臓から血液をどんどんめぐらすという形になるのかもしれません。こうした形の中で右下のところのリスク資産、これは体でいえば末端のところまでお金がどんどんたどり着く、血液がめぐっていくということになれば、体も元気になるということかもしれませんが、現実には大動脈に当たる3つの箱、「ベースマネー」「マネーサプライ」「銀行貸出」という3つの状態、ここに日本の場合お金が集中している状況でございますけれども、ここを見ていただきますと、右のほうに行けば行くほど数字が小さくなってしまっているという状況があるわけでございます。中でも、ここでいえばマネーサプライと銀行貸出のギャップというもの、これは民間セクターのところで申し上げますと、バランスシートの右と左のギャップという形にもなるわけですが、ここのところの状況の中で、この絵で申し上げますと、[2]の国債ですとか、[3]の短期といったところ、こうしたところにお金が流れ出てしまっている状況にあるということでございます。

ですから、この絵で申し上げれば、右上のところから、財政政策ということで国債がどんどん増発されていても、そこのギャップのところに吸収されていた状況、これが日本の低金利の源にあったと考えることもできるのではないかと思います。そういう意味では、極めてお金がありながら、一方でなかなかリスク資産のところに、中でも貸出しを通じてお金が流れていかない状況、当然、90年代の後半にはこうした状況は金融機関側からの場合によっては貸し渋りであると言われた状況もございますし、また、昨今でいえば、金融機関の動向というよりも、場合によっては企業セクターがこうした債務のリストラクチャリングを行う中で、なかなかお金を需要しないというような状況の中で、こうした状況が存在しているという形ではないかと思います。

こうした資金の流れというもの、次の7ページ目のところにございますように、結局はこちらの部門別の資金過不足、いわゆるI-Sバランス的に申し上げましても、企業部門の資金の余剰と申しましょうか、通常、戦後は一貫して資金不足セクターであったところが、資金の余剰になっている状況と相応するものでもあるということでございますし、また、家計のところで考えますと、金融資産というものが、先ほど前のページでは大動脈というふうに申し上げた、いわゆる間接金融を中心としたお金のところに依然として集中している。こうした状況のもとに今の資金状況があるわけでございます。

また、次の8ページ目のところにございますように、そこの一つの鍵となる貸出しの状況でございますけれども、こちらにございますように、依然として大幅なマイナスの状況というものが続いているということ、前年比のマイナス幅は次第に縮小の傾向にあるようにも見えますが、しかしながら、この傾向というものが今年、来年といったところですぐにプラスになるような状況ともなかなか言いにくい状況であり、こうした状況の中で、代替運用手段というものが、現実には国債という形になっている。これが現在、金融機関、中でも銀行を中心とした運用の主体になっていると考えることができるのではないかと思います。

こうした流れをマクロ的に考えたもの、中でも90年代以降の流れ、債務調整とバブル崩壊後の状況、これを図で示させていただいたものが次の9ページ目という形になるわけでございます。ここにはバランスシートが3つございまして、企業、そして一番右側の非金融セクター、それを仲介する金融機関、中でも日本の場合は圧倒的に間接金融機関が中心になっているわけでございますけれども、こうした状況というものが、80年代にバブルという形でバランスシートが大幅に拡大し、それが90年代以降、中でも資産価格の下落という形の中で、中でも企業セクターを中心とした資産価格が大幅に下落する。そうした状況の中で、民間セクターのところの過剰の債務といったもの、これが金融機関側からすれば不良債権化という形で金融機関側の負担にシフトし、そうしたものが政府セクターにだんだんと付け替えられる過程であったと考えることができるのではないかと思います。

こうしたプロセスというもの、民間の過剰債務をまず金融機関、そしてそれが政府セクターにと、中でも政府セクターにすり替えられる過程というもの、これはフローの面でいえば、経済対策を中心とした自由支持であり、そして、ストック面でいえば公的資金を中心としたものでのギャップを埋めるという形の中で、国債残高というものがどんどんと膨れ上がっていった形になって、まだその過程が現実には続いていると考えることができるのではないかと思いますし、また、そうした状況の中で、ようやく民間の債務の重さというものが、ようやく14年経ちながら軽くなってきた状況、また、そうした状況の中でようやく民間のところの活動というものも、ある程度は少し活動の回復が見えてきたというのが今の状況ではないかと思います。

ただ、こうした状況というものは、あくまでも80年代のバブルの形成、そして、90年代以降の資産デフレという形、中でも次の10ページ目のところにございますように、国富という点で考えますと、非常に膨大な消失、中でも不動産を中心とした資産のデフレというもの、こうした規模が、例えばここでご覧いただきましても、まさに1,000兆円を上回る状況であり、その状況はGDPでいう何年間ぶりの状況であったという規模、これが前のページのところでいうバランスシート調整というものを、当初思っていたよりも非常に大きなものにし、また、その結果としての国債残高の増加を招いた構造でもあると私は考えている次第でございます。

こうしたプロセス、次の11ページ目のところにございますような流れの中で別の視点で考えることもできるのではないかと思います。こうしたプロセスというものは、民間の過剰の債務、これを付け替えの過程を示したものという形になるわけでございまして、しかし、この結果として、過剰の債務というもの、民間の調整というものが進展し、同時に政府への付け替え。そういう意味でいえば、民間のところを軽くする上で、ある面では不可欠なプロセスであったと考えることもできようかと思います。

しかしながら、その過程の中で大きく膨れ上がった、場合によっては民間セクターの身代わり地蔵として大きくなったような国債の残高、そうした債務の山をそろそろ償却といいましょうか、償還を考えていかなければいけないような状況にも入っているのではないかと考えるところでございます。

そういう点で考えれば、右下のところにありますように、ある程度国民の負担と申しましょうか、それを税収で、またいろいろな形で対応するのか。しかしながら、その前提とすれば、当然のことながら、民間セクターとしての収益力と申しましょうか、左のところにございますようないろいろな生産性の改善でありますとか、技術といいましょうか、そういう中で何とか民間の処理原資というものを確保していくといいましょうか、そういうような段階に入ってきているという形ではないかと思います。

同時に、次の12ページ目のところにございますように、そうした状況を時系列的に書かせていただいたもの、これが12ページのイメージ図という形にもなるわけでございます。すなわち、1980年代のバブル形成というもの、そして、90年代から始まったバブルの崩壊という形、企業の債務の負担というものがだんだんと金融機関に負担が寄せられ、それが公的、そして国債というものに代替されるような状況、そうしたプロセスというものが、14年たちながらようやく最終段階に入ってきた状況、これが今の状況ではないかと思います。

実は私自身、3年前に『国債暴落』という本を書かせていただいた時に、こういう状況の中、債務残高が膨れ上がるという中で、国債の暴落ではないかという形で議論された、そうしたところの中で、実はもう少しそういったところを冷静に見るべきではないかという議論をさせていただくために書いたのもこの本であったわけでございますが、実はこの国債の不安定さというものは、そうした国債残高がどんどん増えるというよりも、最終段階のところで不安定化する状況というものもあるわけでございます。すなわち、先ほど民間の債務がだんだん軽くなってきたと申し上げました。実は軽くなった段階で、ようやく企業活動が活発化する。当然、そうなってまいりますと、資金の需要というものも生じ得る。そういう段階でいいますと、従来は国債を運用手段がない中で大量に買っていた金融機関が代替的な運用手段を確保する。実はこうした段階というものが逆説的に申し上げますと、ある面では金融の国債面での不安定さが生じる局面でもあるわけでございます。こうした状況は、12ページ目のプロセスでいいますと一番右側の状況、経済にとってはかなり回復のところ、しかしながら、国債市場にとっては不安定さ。残念ながらまだ完全にそこまでは行っていないわけでございますけれども、だんだんとその辺のところの状況を展望する状況、これが今の状況ではないかと私は考えている次第でございます。

実はこうしたプロセスというものは、次の13ページ目にもございますが、世界史的に考えますと、1930年代から1940年代のいわば大恐慌のあとのアメリカの状況とかなり類似した面もあるというところ、当時も国債の増発が続いても金利が安定しておりましたが、それが40年代半ば以降、資金の需要が出る中での不安定さ、また、そうした状況の中での国債管理政策といったものは、今後の日本にとっても一つのインプリケーションになるのではないかと思います。

こうした状況の中で、15ページ目以降のところで、保有構造をもう一度考えてみたいと思います。先ほど貯蓄投資バランスという部門別の資金の過不足といったところを申し上げましたけれども、15ページのところで、いわゆるI-Sバランスというものを考えさせていただきますと、日本の場合は確かに財政の大量の赤字でございますが、民間セクターの過剰な貯蓄、これが全般的に申し上げればプラスになる状況として、I-Sバランス上の恒常的な黒字状況を形作っているわけでございます。いわば財政赤字というものが民間のところで完全に吸収され、余りある構造というもの、こうした状況は、当然、一般的に財政赤字とは言われながらも、アメリカ、また場合によっては一部エマージング諸国の状況とはずいぶん異なるのだということではないかと思います。

16ページ目のところ、国債の格付けとさせていただいておりますが、ちょうど2年前、アメリカのムーディーズ社というところは、日本の格付けをシングルAのところまで格下げをするということでございますが、こうした構造というものは、単純に例えて申し上げますと、家の中で、いわばお父さんとお母さんのやり取りのような、すなわち、外に対して家としては負債はないと。しかしながら問題とすれば、その両者の間での信頼関係、その信頼関係が崩れる場合には、場合によっては資本逃避と言われるような不安定さが生じるというような状況ではないかと思います。すなわち、日本の国債の場合は、ほとんど97%近くが居住者が保有するような状況。そういう状況の中で、格下げというのはもちろん財政赤字の問題もございましたが、なかなか「一家」の信頼関係というところは評価しづらい。しかしながら、その信頼関係をどのように維持できるかというところも、非常に重要な論点になっているのではないかと思います。

17ページ目のところ、現在の保有構造というものを示させていただいておりますけれども、民間セクターの場合は、銀行を中心とした民間の保有構造になっているわけでございますが、また同時に日本の国債の場合の非常に重要な特徴というものは、公的なセクターと日本銀行を中心とした広い意味での公的なセクターの保有というもの、これが非常に大きいという点でもございます。

こうした構造の中で、次の18ページ目のところでございますけれども、保有構造は公的な部分が、ここにもございますように半分以上占めているというところ、また、海外の保有は3%ぐらいの、アメリカ等に比べても非常に低いシェアになっているということが言えるのではないかと思います。

そうした状況の中、すなわち、国内が中心であり、しかもその民間の中では非常に大宗の部分が銀行を中心とした極めて均一の単一的な思考をとりやすい参加者層のところにあるということ。

そうした状況の中で、次の19ページのところにもございますように、一方方向のバイアスというものが場合によってはかかりやすいといいましょうか、市場の言葉で言えばボラティリティというものが一時的に高まりやすい、場合によってはオーバーシュートし易いといったような状況、こうした状況というものをいかに管理していくのかというところ、最近ではリスク管理という言葉もございますけれども、20ページ目のところにございますように、どちらかといいますと、場合によってはミクロのリスク管理というものが、マクロで見ますと、それを加速してしまうような、場合によっては、合成の誤謬的な状況も生じやすい局面もあるということ、これは今後の管理政策上、非常に重要な論点ではないかと考える次第でございます。

21ページ目以降のところで、最後の論点という形の中で、金利とその影響度合いというものを考えてみたいと思います。

次の22ページ目のところでございますけれども、長期金利の状況というものを過去30年間ぐらい議論させていただいているものでございます。ここでは長期金利というもの、10年金利を中心にしておりますけれども、オーバーナイト金利、いわゆる政策金利の世界と、それから短期の金利と長短金利差、ここでは10年と足元のオーバーナイトといったところを比べたものでございます。確かに今の金利水準というものは、1%台半ばでございますから、極めて低いというのが私の実感でもございます。私自身、20年前にこの仕事を始めた時には、当時の長期金利は大体6%近い水準でございましたので、今ぐらいの水準ですと、ほとんど金利がないのではないかというくらいまでになります。

ただ、この22ページ目のところにございますように、分解して考えますと、足元のオーバーナイト金利というものは、いわば金融政策的に決められる物価といいましょうか、インフレをベースにして決められる世界でもございます。そういう面で考えますと、この長短金利差というものは、実は過去大体上がったり下がったりしている状況でございまして、大体ピークでも2%前後といったところの状況でございます。ですから、今の金利の水準というものが低いのは、もちろん全体的に低いわけでございますけれども、一つの考え方によっては、インフレ率が極めて低い、場合によってはデフレ的な状況でもある中で、このオーバーナイトが低い。また、その状況の中で、長短金利差面でいえば、実はある程度普通の水準のところにあると考えることもできようかと思います。

この長短金利差でございますが、平均値的に考えますと、大体1%の前半から半ばぐらいというところでございますので、今はある程度そうしたレンジのところにあるということではないかと思いますし、また、今後の長期金利を考える上では、当然のことながら、金融政策を中心としたオーバーナイト金利、そして場合によって、変動し得る長短金利差といった市場で決められるような世界というものを、どのようにある程度コントロールしていくかといったような面もあるのではないかと思います。

そういう意味で見れば、今後の金利の上昇というものは、先ほどから申し上げております経済実態に沿ってある程度上昇するわけでございますが、それがどのようにサスティナブルなと申しましょうか、持続的な上昇になっていくのか、そこのところをどのようにとらえていくかという世界ではないかと思います。

次の23ページ目のところに、この金利上昇、サスティナブルな、持続的なという面で書かせていただいておりますけれども、こうした状況というものは、国債を考えた場合には、基本的にはプライマリーバランスを中心としたところがあくまでも前提となり、そして、名目成長率と国債の金利と申しましょうか、こうした状況の中でこの国債市場の状況というものが決まってくるわけでございまして、そういう意味では、非常に重要な論点、基本になるところは、あくまでもプライマリーバランスの改善、いわば財政の健全化といったところにあるのではないかと思うわけでございます。そうした状況が、信頼と申しましょうか、先ほどの「一家」の中での信頼関係を何とかつなぎとめる将来的な意味でのコンフィデンスといったところにもなっているわけでございます。

しかしながら、こうしたものは、単純にプライマリーバランスだけではなく、持続的な観点を考えた場合には、いかに名目金利を国債の利回りよりも高めるようなパスを描くことができるか、こうしたところが中心になるわけでございまして、その中であくまでも信頼関係と申しましょうか、また、そうした像というものをいかに持続的に描くことができるような状況になるかということ、すなわち、その前提とすれば経済成長であり、また、ある程度一定のリスクプレミアムを管理しながらの金利上昇、国債管理政策といった論点になろうかと思います。

今の金利水準というものを考えますと、過去からの履歴を考えた場合には、次の24ページ目のところにございますように、これは国債の利率の加重平均利回りといったことでございますけれども、確かに足元の金利が上がったとは言いながらも、全体の中での平均金利というものは、過去10年間以上持続的に低下をしている状況でもあるわけでございます。こうしたところを維持しながら、いかに経済成長、名目的な成長を高めることができるかといった、そこの中での綱引き関係の中にあるわけでございます。

また同時に、金利の上昇というもの、これが最大の保有手であるというところを考えますと、次の25ページ目のところにございます銀行を中心とした金利の上昇の耐久度というものを、どのように見積もっていくかというような論点とも関連があるのではないかと思います。

ここにはいわゆる銀行の基礎的な収益力というような論点で、業務純益というものと、金利が上昇した時の予想損失度というもの、これを比べたものがございますけれども、確かに1%の金利上昇がもたらす保有債券の含み損というものは、かなり大きなものでもあるわけでございます。しかしながら、銀行の場合には、全体で考えた場合には、当然のことながら、一定の金利上昇がある中での金利の収入の増加、また、金利ものと逆相関になるようなもの、例えば場合によっては株式といったものとを含めて、いかに管理をしていくのかというようなところも重要なものになるのだろうと思います。

また、一方、次の26ページ目のところにございますように、当然、こうした問題は、企業側の利払いという論点とも関連があるわけでございます。ここには業種別の債務状況というものを載せさせていただいておりますけれども、中でも債務の負担が重い、ここでは網掛けをつけさせていただいております非製造業系のところの負担、こうしたところが大きいわけでございます。しかしながら、特に製造業を中心としたところでは、次第に金利の上昇の耐久度というものが、だんだん増してきている状況ではないかと思いますし、次の27ページ目のところにございます債務の負担の度合いを示したもので申し上げますと、確かに90年代後半は、その債務負担というものが極めて高かったわけでございますけれども、ようやくそうしたものが軽くなってきている状態ということも言えるのではないかと思います。

また、28ページ目のところにございますように、こちらは非金融法人といったところの財務諸表と長期金利の動向を示させていただいておりますけれども、確かに丸いポチがつけてあります税引前利息支払前当期純利益を総資産で割ったもの、非常にややこしいものでございますが、いわゆるROAと言われる収益性というふうに考えることもできようかと思います。こうしたものが、ようやく昨年、おととしぐらいをボトムにしながら上がってきたということ。そうした状況の中で、そろそろ金利の上昇に対する耐久度というものも、少なくとも企業セクターは出てきた。しかしながら、一部の中ではその負担度合いが低いところもあるというところが今の状況ではないかと思います。

そうした状況の中で、ある程度金利の負担度合いというものが出てきながら、しかしながらそうしたものが高まる時に、市場で起こり得る不安定性、また、リスクプレミアムというものをどのように管理するかということ、これ自身が国債管理政策としていろいろな論点から議論され得るべき問題ではないかと思います。

29ページ目は、そうした論点を簡単にまとめさせていただいているものでもございます。

最後、30ページ目のところにございますけれども、簡単にまとめさせていただきまして、今日の締めくくりをさせていただこうかと思います。

先ほどから申し上げておりますように、国債の問題は、90年代以降の企業の債務というものをだんだんと肩代わって、結果として大きくなってしまった身代わり地蔵的なものではないかと思います。また、そうしたプロセスの中でようやく民間セクターの負担が軽くなり、ようやくそこから次の回復といったようなものも出てくるような状況になったわけでございます。そういう意味でいえば、この国債というものは、悪く言えば先送りをする一つの器であり、またよく言えば、そうしたプロセス、段階的に対応していく一つの調整のための器であったと考えることができるのではないかと思います。

しかしながら、当然、そうした中でそのプロセスが行われ得る国であるというところ、これも日本の特徴であります。しかしながら、そうしたことは当然のことながら、国内の中での信頼と申しましょうか、必ずいつかは償却することができるのだというようなコンフィデンスの中で培われた中での状況というふうに考えることもできるのだろうと思います。そうした状況からいたしますと、どのようにそのプロセスを描いていくことができるか、また、その中で国債の安定というものは、最終段階の中でのプロセスの中で特に非常に重要になってくる状況であり、また、こうしたものは歴史的に考えましても、アメリカの30年代から40年代にかけての歴史に学ぶことも含めて、非常に重要な論点になってきているということではないかと思います。

このプロセスというものは、30ページ目の真ん中に書かせていただいておりますように、結局は財政の健全化、そして、民間セクターの回復、そして債券市場の管理策の安定という、こうした総合的なものに対するコンフィデンスというものの中から保たれたものでもあり、また、こういうプロセスをたどっていかないと、なかなか最後のところまでたどり着くことができない、ナロウパスを今もリスクを抱えながら進んでいるということではないかと思います。

しかしながら、こうしたプロセスというものは、日本の場合、あくまでも国内でほとんどが完結するプロセスでもあるわけでございます。そういう意味でいえば、この国債というもので日本人というものがある面ではガバナンスが問われている。また、そうしたものを国民であり、また政府であり、また政治のところでどのように完結していくかというところ、これは我々全部に問われている問題ではないかと思うものでもございますし、また、そういうものを含めての財政というようなものを、いかに冷静に考えていくことができるか、これは国債市場そのものの論点ではないかと、市場から見て私ども自身も考えている次第ということでもございます。

以上、簡単ではございますが、市場の観点からということでまとめさせていただきます。

委員

大変手際よく国債が抱えております問題を整理していただいたと思います。データも豊富でございますし、切り口も多彩になっておりますから、これから3時ぐらいまで質疑応答の時間に充てたいと思います。どうぞどなたでも結構です。

委員

この数年、家計貯蓄率がかなりはっきりと低下していますよね。あれは短期的なトランジトリーな効果もあり得ると思うのです。雇用の展望が悪くなっていて、所得が減っているということで、消費のほうが帰らないから。それは景気がよくなれば戻ってくるという面もあると思うのですけれども。だけど高齢化が進んでいて、65歳以上の世帯主で無職のところは完全にディスセービングをやっていますから、あの比重が増えて、構造的にそういうことになると、日本経済は、今ご説明の中にも一つありましたけれども、家計部門の貯蓄で政府部門と企業部門の投資をファイナンスしていた、そういうバランスがあるのですけれども、それが崩れる可能性もありますよね。相当違った経済構造になる可能性があるかなというのが一つ。

それから、もう一つは長期金利ですけど、ご説明の中で、バブルが崩壊して処理をしていく中で、一種安定とおっしゃっていましたけれども、今はっきり言って、資金運用の方々は供給超過だと言っていますけれども、国債をこれだけ発行して、中長期的に見たら、やはり国債の償還能力が低いですから、そういう中で利回りが上がっていって、長期金利が上がっていくということは、これは避けられないのではないかと思うのですけれども、中長期的な金利の展望と貯蓄の低下が日本経済のこれからに何を生むのか、少しご説明いただけますか。

委員

まず、今、先生からご指摘いただいた家計の問題でございますが、7ページ目のところに示させていただいておりますけれども、家計の貯蓄の状況が低下をしているということは、こちらをご覧いただきましてもおわかりのとおりでございまして、一時はこれがマイナスになってしまったというところがよく話題になった論点でもございます。

ただ、民間全体で考えますと、実は企業セクターが余剰になってしまったという未曾有なことが起こっておりまして、結局、民間セクターとしてはプラスになってしまっている状況、これが今の国内の中では貯蓄が過剰になっている状況ということでございます。ただ、ご指摘いただきましたように、高齢化という状況の中で、なかなか家計のところのマイナスという状況は抜け切れない。また、場合によって、今後民間の企業セクターと申しましょうか、そこのところの資金需要がといった場合には、当然のことながら、全体、民間としての貯蓄が減ってきてしまうというところの中での問題、これが多分一番の論点になるのではないかと思います。

ですから、先ほど私も申し上げましたように、企業セクターの回復が出てくるところ、今は確かに企業の資金需要がないわけなので、これがまた経済の問題でもあるのですが、そこのところの中での不安定さというもの、これは国債管理政策上の一番キーになるところではないのかと考えております。

そういう状況の中で、それでは長期金利の動向をどのように見るのかという点でございますけれども、私自身は、長期金利の水準をどのように考えるかというフレームワークは、学問的にはいろいろあるのだろうと思うのですが、極めて大雑把な見方をさせていただきますと、22ページ目のところにあるような一つの目安を先ほどからさせていただいております。これはオーバーナイトというところをある面で申し上げますと、一つはインフレ的な面から来るところから考えますと、それに対しての一方方向で実質金利と申しましょうか、それに近いセクターが場合によっては長短金利差であり、そして、場合によっては、前のところのご質問でいただいたような今後の国内の中で貯蓄が減ってくるというところの中で生じ得るリスクプレミアムと申しましょうか、これは特にアメリカみたいな国では当然そこが存在しているわけですけれども、そういったところをどのように足し合わせていく世界なのかという論点ではないかと思います。

ですから、ここはあくまでもオーバーナイト、インフレ率的なところ、確かに今のようなゼロ近傍のところでいえば、長短金利差を中心としたところということだろうと思いますが、いずれ経済成長が回復する中で、こうしたデフレ的な状況からある程度脱出する。それに対して一定の実質金利と申しましょうか、潜在的な成長率、それに場合によっては今後高齢化という状況の中で生じ得るリスクプレミアムといったところをどのように合わせていくかという世界になるのではないかと思います。

そういう論点で考えますと、私自身、正直申し上げまして、ぱっと長期金利のイメージというのは、最初にこれを触った80年代前半ぐらいから、6、7%という頭が当然あるのですけれども、しかしながら現在のインフレ率と申しましょうか、それから潜在的な成長率、そしてその辺を見ますと、なかなか70年代、80年代のような高金利にはなりづらいのではないのかなと。ある程度3、4年というものを展望いたしましても、インフレ的なところでいえば、せいぜい1%、それにある程度実質金利を足し合わせた、2%は超えるにしても、なかなか従来のような5%、6%といったところには……、2%台から3%ということはあるにしても、それはある程度リスクプレミアムというものを足した世界なのではないかというくらいの目安を置かせていただいているということでございます。

しかしながら、長い目で見た日本の非常な貯蓄不足と申しましょうか、そうした状況の中で極端なシナリオを申し上げるとすれば、場合によっては資本逃避みたいな、そういうコンフィデンスみたいなものが崩れてしまうというようなことまで考えれば、場合によっては国債暴落と言われるような高金利というものももちろんあるのだろうと思いますが、そこのところをいかにコントロールしていくか、そこの姿が非常に問われている世界ではないかと考えている次第でございます。

委員

タイムスパンはどのぐらいですか。

委員

今申し上げたところは、せいぜい4、5年ぐらいを展望したところでございます。ですから、そこを10年、20年といったところで考えた場合には、もっと長い目で見た潜在成長率でございますとか、インフレ的な側面、また長い側面で見たバランスの中でのリスクプレミアムをどのように見込んでいくかといったところではないかと思います。

委員

課題でおっしゃったので、大変バランスのとれた言い方なんですけど、おっしゃったことをちょっと延長するというか、メリハリをつけるとこんな格好になるかなという感じがするのです。家計貯蓄率が下がってきている。トランジトリーな面もあるけど、高齢化が進んでいて、本当に下がっていくと私は思うのです。そうすると、企業セクターは多少余剰資金で企業内留保を増やしていますけど、トータルで言うと、かつてのような高貯蓄が投資の原資になって、ダイナミックに成長するということは考えられない。もっと資金が不足する可能性が出てくるのではないかと思うのです。そうすると、日本は国内で資金をジェネレートしてきていますけれども、海外からの投資を徹底的に入れないと、やっていけないというようなバランスになることもあり得るのではないか。これが一つです。

それから、もう一つは金利の話ですけれども、非常にあれこれヘッジなさってお話しされましたけど、やはり中長期的に見て、これだけ国債を増発していて、蓄積していて、リスクプレミアムを考えますと、金利はやはり非常に高めになっていく可能性がある。それは6や7というのはないかもしれませんけど。

それと、何が今度は非常に重要なポイントになってくるかというと、成長率が70年代、80年代のようにはあり得ないわけですから、成長率が非常に低くて、賃金上昇率が低い中で、金利のほうがずっとそれより高めになるような世界というのはどういう世界なのか。国債管理と言いますけど、非常に難しくなりますよね。ですから、管理政策が重要だと言うのだけど、大変難しい世界になる可能性があって、一つは徹底的に歳出を減らして、あまり増税しないで、何とか回していくというのを本当に考えなければいけないし、海外投資を日本へ取り入れるというのもかなり徹底的に考えなければいけないし、まして人口が減っていくわけですから、外国人導入ということも考えて、完全な開放経済みたいなものを考えなければいけないのかというようなことも、今、会長が4、5年ですかとおっしゃいましたけど、4、5年から10年ぐらいの間で、かなり本気に考えなければならないようなことがあるのかなという感じもちょっとするのですけれども。

委員

というご意見ですが、レスポンスはありますか。

委員

確かにご指摘のように、今の国内で賄われている構造というもの、これが必ずしもそうなりにくい中で、当然のことながら、海外からの投資をという部分、それは国債についても当然言えるのだろうと思います。

先ほど申し上げましたように、日本の国債の海外の保有というものは、せいぜい3%という極めて低い状況でございます。これはアメリカの例などを見ますと、3分の1程度が海外の投資家が保有しているという状況でございまして、こうした保有層の多様化と申しましょうか、これはやはり今後不可欠ではないのかなと。それに相応した商品性なり、ある面でいえば、買ってもらうためのPRと申しましょうか、最近株でよくIRと言われますけれども、こうしたものを含めて海外のところ、また、場合によっては国内の中でも保有層というものをより多様化していく。日本の場合は海外と比べまして、個人と外人が非常に少ないというのが特徴になっておりますけれども、そうした保有層というものをどうするか。そのための商品性と申しましょうか、IRというものは非常に重要になってこざるを得ないと思います。

委員

ほかにいかがでしょうか。どうぞ。

委員

今の話ですが、IRが足りないだけで売れないわけですか。どうしてもわからないのですけど。

委員

本質的に申し上げますと、日本の場合、貯蓄投資バランス上、国内で賄えてしまっていますから、そういう状況の中で、そもそもファイナンスは今までの状況でございます。そういう国内の中で賄われてしまうということは、実は国内の中で買われてしまって、極端な低金利が生じてしまっているということからしますと、外人投資家にとってみますと、「そんな低金利だったら別に買わないよ」というような状況になっている部分も現実的にはございます。もちろん、これまで場合によっては税制面でのところ、いろいろな議論がございましたけれども、ここ数年間の状況の中で、外国人向けにも税制のところを改善していくというところの中で、そういう意味での問題点というのでしょうか、これはかなりクリアになってきたと私は考えております。

委員

日本人はなぜ外国に金を出さないんですか。さっきの質問のお答えがなかったものだから。

委員

ええ、なかったのですが、私、よく聞かれます。ただ、この問題について考えますと、実は日本人は相当外国に投資をしてきたのですけれども、アメリカのトレジャリーをいっぱい買ってきたのですが、大体為替でやられ続けた歴史でございます。ですから、円高期待が今でも存在している中では、なかなかそこに出づらいというような部分、また、投資の言葉で申し上げますと、国内バイアス、いわゆるホームカントリー・バイアスというものがどうしても存在いたしまして、なかなか海外にという部分と、それから、どうしても円高、その背景には、常に貯蓄投資バランスが黒字であったという部分があろうかと思います。

委員

いっぱいご質問があると思いますが、急ぎましょう。

委員

今、金利上昇が続くとして、大雑把に言って二つで、一つは景気回復ですよね。あとは財政悪化ということで、前者はいい金利上昇というふうに見ていいかと思いますが、後者はまさに悪い金利上昇ですよね。悪い金利上昇をどういうふうに抑えるかというのが、まさに我々の課題というところですよね。

そこで、ちょっと際物的な話になるかもしれないけれども、増税を明確に表明していった場合、その場合にマーケットは悪い金利上昇の抑制効果というのか、どういうふうに見ますか。

委員

増税というようなケースの場合ですと、当然のことながら、一つは財政の健全化という意味で、ある面ではリスクプレミアムを安定させるということもあると思います。当然、その状況は非常に重要なプロセスだと思います。

ただ、一方で経済がぐらついている場合には、当然のことながら、先行きに対する期待を下げるという面で、よい金利上昇の反落と申しましょうか、よい金利上昇というものは、あくまでも期待に沿った動きで、実際の経済に沿った動きということで考えるとすれば、その経済がややマイナスになる中で、金利を低下させるようなものとの綱引き関係になるということではないかと思います。

委員

下手をすると、ちょっとトレード的な……。

委員

そうですね。ですから金利が下がる場合もございます。というのは逆に言えば、これまでの経済、90年代以降というのは、経済が悪くする中で、国債が増える中で、金利が下がっていたプロセスでもございますので、その過程の中では、財政の動きとは逆の動きをしていたケースもあるということでございます。ただ、長い目で見た場合に、増税というものも含めた財政に対するコンフィデンスと申しましょうか、そこのところが場合によってはリスクプレミアムというものを高めてしまうリスクも当然あるわけでございますから、そこの綱引き関係の中でいかにコントロールするかという形になろうかと思います。

委員

どっちが強いですか、綱引きの引き方は。

委員

そうですね、局面、局面によると思います。ですから、財政の問題が極めて重視されている時には、そちらのほうが影響があると思いますし、また、これは市場の動向でございますから、市場が経済に関して非常に見ているという時になりますと、そちらのほうに目が向いてしまう。そういうやや生き物的な状況があろうかと思います。

委員

今のは愚問でしたな、質問するのは。

委員

すごくすっきりくっきりの説明だと思うのですけど、ただ、市場の見方というのは、あるがまま起きているのをどういうふうに分析するかという感じがしていまして、6ページの表と、あと身代わり地蔵論でいくと、国債があたかもものすごく正しい形で出されてきたと、それ以外に方法はなかったのだと、国債を出すことによって、ようやく身代わりになって民間が回復してきたというふうに、すごく正しいことをやってきたように思えてしまうのですが、僕なんかは、そうではなくて、余計な国債を出すから、基本的にクラウディング・アウトになって、民間に銀行から資金が回らなくなったと。だから民間企業としたら、これはたまらんからというので、金を借りるのをやめて自分でファイナンスを始めた。始めたら貯まっちゃったから、もう銀行の金は要らないと。それで銀行のほうが使うところがないから、国債をたくさん出してということになって、ますますそっちのほうにぐるぐる回っていってしまったというのが僕は実情ではないかなという気がして見ているんですよ。

あたかも自然にこうなってしまったというよりは、強引にゼロ金利に持っていって、量的緩和などという訳がわからないことをやって、銀行としては国債でも買わなければ生きていけない、それ以外に方法がないではないかという環境を強引に作ってしまった。したがって、国債はいくら出しても、いくらでも売れる。売れなさそうになったら、また量的緩和をする。量的緩和というのは何のことかわかりませんが、実際は国債を買いやすくすることなのではないのかなと思うのですが、間違いでしょうか。

委員

いろいろな論点をどうもありがとうございます。

ご指摘のとおり、正しいことと申しましょうか、極めてオーダーリーに行ったというふうに申し上げましたけれども、このプロセスが本当にオーダーリーだったのかどうかというのは、いろいろ議論もあろうと思います。

たまたま慶応大学の先生とお話をしておりました時に、その先生がおっしゃったのは、なし崩し的にそういうプロセスになったのではないかというようなご指摘もございました。私もその部分については、確かにそういう部分もあったのかもしれないと思います。

ですから、このような形で公的に付け替えるプロセスを最初から想定して行うということであれば、場合によってはここまで国債残高が増えなかったことももしかしたらあるのかもしれませんが、ただ、90年代初頭のバブル崩壊の時に、ここまで資産デフレが進むという、そのマグニチュードをなかなか読むことができなかった中で、処方箋を最初の段階から描くことがなかなかできなかった。場合によっては、当初流行り風邪と思っていたら、大変な全治14年の状況ぐらいの、先ほど私は国富の消失と申し上げましたけれども、実はその度合いというもの、場合によっては第二次世界大戦の時並み、以上だったのではないかというような試算も私ども行っております。そのくらいの認識がない中でこうしたプロセスが行われてきたという部分も現実にはあったのではないかと思います。

それから、先生ご指摘のクラウドアウトといった状況でございますが、確かに私も90年代後半、例えば97、98年の金融危機の時には、金融機関側からの、クラウドアウトというよりも、貸し渋りと申しましょうか、そこの制約の中で貸し出しを抑えたという部分、これは当然あったのではないかと思います。ただ、それ以降の状況を考えてまいりますと、クラウドアウトというよりは、どちらかといえば民間資金、民間の需要セクターのところの需要が落ちると申しましょうか、もしくは債務のリストラクチャリングを行う過程の中で、極めて需要が落ちていったという部分が実は相当大きくて、その部分が金融機関とすれば、代替的に国債をというような部分が大きかった。例えば、民間の問題だけであるとすれば、外国の銀行が来れば、どんどん貸し出しを出してということになるわけですが、現実には、外国の銀行が参りましても、日本で貸し出しを出しているわけではないといったところにも、そうした状況があるのではないかと思います。

また、ご指摘がございました日本銀行の量的な緩和といったようなもの、このプロセスをどのように考えるかといったところは、非常に今後の難しい問題だとは思っておりますけれども、ただ、こうしたプロセスの中で、金融の不安定さというのでしょうか、それを和らげていく一つの潤滑油的なところはあったのかなと思います。ただ、そこからの脱出というのでしょうか、一旦やってしまった後での脱出法というのは、相当難しい論点ではないかと感じているところでもございます。

委員

時間の制約もありますので、あと一つか二つですけど、いいですか。では、どうぞ。手短にお願いします。あと5分ぐらいしかありませんので。

委員

私、財投分科会にコミットしている者として、29ページの国債管理政策のメニュー、これは非常にありがたいと思っているのですが、これはある意味では国債市場のタービュランスを小さくしていくという、ある意味ではコンサバティブなメニューになっているわけですね。一方で我々は公と民との資源配分の状況を、将来も含めてどういう具合に管理していくのだという問題。貯蓄から投資という形で民間部門の生産性、リスクをどう取っていくか、こういう大きな課題を抱えているわけですね。この保守的なメニューと、これから我々が21世紀の中で潜在的な成長率をどう高めていくか、こういうトレードオフをどういう具合に我々は問題を解くのだと、そこの前向きの部分のところをもう少しお話をいただくと、これからの国債管理を我々しっかりやっていかなければいけないと思いますけれども、サジェスチョンとしていただければと思います。

委員

こちらのところは、どちらかといいますと、ややパッシブな、受け身的な、所与のものとして書いてしまった部分が多いと思います。ですから、どちらかといいますと、もっと資金のところを投資に向けるというのでしょうか、中でも個人のお金をといったところ、これは非常に重要な論点になろうかと思いますし、それを含めてやはり経済活動というものをよりリスク資産に、そして活動を活発化させるというところの中で、その部分を場合によっては、ある程度税収のところも含めて吸収しつつ、一方で29ページ目のところにあるような対策を伴いながら、何とか安定さを保っていくと申しましょうか、リスクプレミアムを高めないというようなところになっていくのではないかと思います。

ですから、先生のご指摘のとおり、まずお金をリスクのところに、投資にというところ、これが大前提、これを含めて対応していかざるを得ないと思いますが、ただ、その過程の中でタービュランスが含み得る金利のところというのは、ある程度29ページのメニューのところは、一つの参考にはなるのではないかと思っている次第でございます。

委員

6ページの図で、もし国債を出していなければどういう状況になったのかを、ちょっと教えていただきたいのです。

委員

単刀直入ですね。

委員

国債を出さないことになった場合にはどうかということになりますと、民間のところの債務の肩代わりがなかなか進みづらかった部分も場合によってはあるのではないかなと。そういう意味で見ますと、一つは経済のところの問題と、それから債務調整というものがなかなか進みづらかったような部分もあるのではないかと思います。

委員

結果として、どうなるんですか。どんな経済になるかというのを教えていただきたい。

委員

なったかということでございますね。そこはなかなか難しいわけでございますけれども、ただ、あそこまで大変な資産デフレが生じてしまった中で、全くそういうものがない中ということになりますと、いわゆるセーフティネットが極めて不足していた状態、第二次世界大戦並みの国富の消失がありながら、何とか恐慌にならなかったというのは、一つにはそうした部分でのサポートが場合によってはあったのではないかなと私自身思っております。

委員

恐慌を回避できたということですね。

委員

ええ。

委員

やらないと恐慌になったということですか。

委員

そこは何ともわかりませんけれども、そういう最悪の事態を回避した一つの要因ではなかったのかと思っております。

委員

じゃあ、いいことをしたということだ。(笑)

委員

ですから、悪く言えば先送りの道具であり、また、よく言えば調整のための一つの手段だったということ。ただ、調整を未来永劫続けることはできないということではないかと思っています。

委員

では、どうぞ、最後に。

委員

市場が政府をどう見るのかということでお伺いしたいのですが、一つは、経済をよく見て、民間セクターに対する行き届いた配慮を次々とやっていく政府、これはしかし政府がどのように変わるか、将来の予測が難しいですよね。もう一つは、ある程度原則を立てて、こうやるのだと言って、少々の民間経済の動きと関係なしに、きちんと原則どおりにやっていく。これは政府がどう動くか、非常に予測可能ですよね。どっちが信頼性があるのですか。

委員

どっちがということになりますと、私自身この10年間マーケットにおりまして感じますのは、非常に危機的な状態のもとでは、かなり政府のサポートというのでしょうか、すなわちセーフティネットというものが重要視された部分はあろうかと思います。そういう意味では、ある程度何か出てくるのではないかというような、やや過保護的なと見えるぐらいの状況というものも、私ある面では不可避的だったものはあろうかと思います。ただ、ようやく、先ほども申し上げております民間の債務状況というものが軽くなり出した状況の中では、ご指摘いただいた後者のほう、一つの原則を立てながら、次第に民間のところの活力、そうしたものをより強めていくと申しましょうか、生産性を上げながら長い目で見た潜在成長率を上げていくという、一つの方向付けを示すというのでしょうか、そちらのほうが私は重要になってくるのではないのかなと。

それも含めて11ページのところに書かせていただいた左側の負担処理の原資の創造、そこのところを柱を大きくしていきながら、何とか一旦肩代わりしたものを返せるようなところに向けていく、その道筋をというようなところになってきているのではないか。そういう意味では、ご指摘の中でいえば、だんだんと後者の方向にバイアスがかかりつつある段階ではないかと思う次第でございます。

委員

まだおありかと思いますが、講師の方のご都合もございますので、これで終わりにいたしたいと思います。

本当に今日はお忙しいところ、ありがとうございました。大変貴重なご意見と、論点の整理をしていただきまして、我々大変ためになったと思います。どうもありがとうございました。

委員

どうもありがとうございました。

(みずほ証券部長、退席)

委員

それでは、次のテーマに移りたいと思います。これはご報告なのですが、「社会保障の在り方に関する懇談会」というのが今行われておりまして、私とある委員が出席しておりますが、ちょうど2回行われましたので、その中間的な報告と、それから、先行きのいろいろなことに対する我々出席者からのコメントを、若干時間をいただいて説明したいと思います。

調査課長、概略をご説明ください。

事務局

お手元の資料で簡単に懇談会の概要をご説明します。

資料を1枚おめくりいただきまして2ページですが、7月27日の内閣官房長官のもとに作られたものでございまして、趣旨としては、社会保障制度を持続可能なものとしていくために、社会保障制度全般について、税、保険料等の負担と給付の在り方も含め一体的な見直しを行う必要がある、そのために作ったのだと。

検討事項が、社会保障の基本的考え方、給付と負担の在り方、制度の在り方等々。

構成が次の3ページをご覧いただきますと、関係の大臣、官房長官以下ですけれども、それとあと有識者の方で12名から構成されております。

4ページが今後の予定等ですけれども、今まで2回開催をされておりまして、第1回目はフリートーキングということだったのですけれども、第2回、9月に社会保障の一体的見直しと年金一元化の問題が議論されておりまして、あと月一回のペースで、第3回が介護保険・医療保険、第4回が生活保護・少子化対策で、第5回、年末に一旦議論の整理をしようと。

これは設置期限が特に定まっておりませんで、右側の骨太の方針で16年中に社会保障制度の課題についての論点整理を行うとされておりまして、それから、18年のところをご覧いただきますと、社会保障制度の見直しの課題について重点強化期間内、これは18年度までを目途に結論を得るとされておりますので、17年、18年、それぞれ介護保険、医療保険制度の見直しがありますので、こういう制度の見直しのタイムスケジュール等もあわせながら議論が行われていくのではないかと考えられております。

それから、5ページが骨太の方針の今の関係部分の抜粋ですので、省略をいたします。

それから、7ページに第1回の懇談会の議事要旨を、これは主税局のほうで整理したものですけれども、ご紹介をしております。初回ですので、フリートーキングでいろいろな問題についてご発言がございました。

10ページが第2回目の意見交換で、この時は委員のほうから包括的な考え方、社会保障全般についてのご説明がありまして、それから、当時の坂口大臣から年金一元化についてご説明があったというようなことでございます。

以上です。

委員

それでは、何かご感想なり、今後の進め方についての感触なりあれば、ご紹介ください。

委員

今まで二度ございまして、ただ、これはなぜこういう会が設けられたかというのを本当はお話ししなければいけなくて、年金の国会審議の最後の衆議院の段階で修正が行われまして、そこに将来、社会保障全体を見直すという中で、年金制度の位置付けを行うということと、それから、年金制度の一元化を踏まえて将来の展望を持つ、こういう2つの見直しですから、例えば前者については当然のことながら、私がそこで言ったことは、社会保障全体の見直しというのは、社会保障だけの見直しをやってもしようがないところもあって、例えば税制との関係とか財政との関係、といった全体で見直していく必要があるだろうということは申し上げました。必ずしも方向性なりが定まっているわけではありませんが、設けられた趣旨を考えますと、それなりにいずれ税と社会保険料という税源論の話と、もう一つは、いわゆる一元化と言われるものに対してどう考えるかということで、うんと焦点は絞られていくのではないかと思いますが、それはどうも来年ですかね。どっちかというとそういう印象を持ちました。

委員

ありがとうございました。

まだ2回なので、海のものか山のものかわからないのですけれども、ただ、委員が今ご説明いたしましたように、多大な期待を持って始まった懇談会でありまして、構成メンバーから見ましても、特に経団連関係と連合関係がお入りでありますから、被用者と使用者の間での年金のやりとりとか、いろいろ期待はされます。

そこで、官房長官が座長をやっているという意味では、政治的なインパクトも少なくともある。そういう会合で、始まったのですが、最初のスケジュールをご覧のように、年金、介護、医療、すべからく全部一括して年内にとりあえずある方向を出したいという、極めて急いだ割には月1回の1時間半ぐらいの審議でございますから、それほど煮詰まったところは難しかろうと。ただ、12月は単に論点整理だということになれば、審議に期待をしたいとは思っておりますが、本当に今ある党が出しているような年金の一元化なんていうものについての是非を議論するのか、あるいは今ある3階建て、2階建てでもいいでしょうか、年金制度をどう持っていくかという話をするのか、今日これから話題になると思いますが、介護を放置しておくと、ずるずると肥大化するのは目に見えていますが、こういう問題をどうするかとか、あるいは医療をどうするかとか、そういう話が出てくると思いますけれども、私は見ていて、どうなるかちょっとまだ自信がない。生産性のある議論が出てくるのか、成果がある議論が出てくるか、もうちょっと見極めないとというわけで、5、6回たってからもう一回報告させていただきますと、ある程度自信を持って先行きの予測がつくかと思いますが、まだちょっともう一つわからないという感じです。

とりあえず私の言ったことは、ほかの審議会との関係をはっきりしてくれと。つまり、社保審とか経済財政諮問会議とか、等々いっぱいありますよね。それから財制審もあるし、税調もあるし、その中でこの懇談会の位置づけ。

もう一つは、事務局が出してくれる資料をクダクダ見て、手を挙げて質問するなんていうのはやめて、イシュー別にどんどんある決断をするような方向で議論しないと、何のために集まったかわからないよというようなことも言ったりしておりますが、今のところ、まだ皆さん言いっぱなし、聞きっぱなしの状態でありますので、これからだんだんある方向に収束すべく、収束しないのかもしれませんが、議論が先鋭化するかもしれません。そういう意味で、もうちょっと待ってから方向性をここでご報告させていただきたいと思います。そういうわけで、今日はあまり内容のある話ができなくて残念でありますが、そういう状況であります。

それでは、内容のある話は委員のプレゼンテーションに期待しましょう。社会保障と財政に関する整理を30分ほどしていただきまして、残りで自由討論という格好にしたいと思います。

では、どうぞ。

委員

それでは、報告させていただきます。資料はお手元の「日本の社会保障と財政」というのを使わせていただきます。

税制調査会でこの話をどういうふうにするのかということですけれども、前回出席して、日本の経済、そして財政の大きなバックグラウンドの中で税制をどう考えるかと。一番重要なことの一つは、今日最初にお話のあった公債管理をどうするか。今日まさにおっしゃっていたように、これだけ公債を抱えて金利上昇したら大変なわけで、思わぬ金利上昇が起きないように財政はきちんと家を整えなければいけないということだと思います。その中で一番構造的に重要なものは、言うまでもなく社会保障と地方財政ということだと思いますけれども、そういう中で税制調査会の中でこの問題を議論することも意味がある。そういう整理で考えてみました。

与えられた時間は限られているので、この問題で長年考えてきたことを正直ずばり言わせてもらうと、今日一番言いたいことは、国庫負担は収入だと、社会保障を担っている、特に厚生労働省ですけれども、あるいは今までの社会保障行政ということで、国庫から来るものは社会保障にとっては、特に社会保険にとっては収入だという今までの考え方が、日本の社会保障財政と、そして人々の真に求めている保障の提供を困難にしているのだと。ここをこれから何とか構造的に直していかないと、単に財政の建て直しだけではなくて、国民が真に求めているものも提供されないということを今日は言いたい。これだけ言いたいために、これから少し時間を使わせていただきます。めいっぱいしゃべってしまうつもりなのですけれども、年金、医療、介護、すべてについて触れてみたいと思います。

1ページ目ですけれども、今言ったことをどういう形でお話していくかということですけれども、社会保障の体系というのがありまして、前あった社会保障制度審議会でこの体系を戦後以来の議論をしていたのですけれども、今日はいわゆる社会扶助、福祉の世界と社会保険ということで分けると、社会保険のほうに的を絞ってお話ししたいと思います。

さっそくですけれども、社会保障の中の社会保険ということになると、年金、医療保険、介護保険、この3つが主要な保険になっているわけです。そのほかありますけれども。それぞれなぜそれが保険と言われているかというと、リスクに対する備えであるわけです。言うまでもないですけれども、年金ということであれば、長生きして所得がなくなることのリスク、人間いつ死ぬかみんなわかっていれば、年金は要らないわけですよね。医療保険は、健康を損ない稼得能力がなくなったりすることに対してのリスクに対する備えなのだと。介護保険は、高齢などの理由で身体を損ね日常生活に支障を来たすことに対するリスクの備えだと。人生いろいろなリスクがあって、もちろん長生きに対するリスクだけでは不十分だし、健康が衰えることに対するリスクに対しての保険も必要だと。それはもっともだと思います。

ここで、こういう保険をどのようにやっていくかということですけれども、もちろん、保険自身は、ここで触れていませんけれども、民間がやれる、やれない、医療保険は全部民間でできるのかとか、そういう問題がありますけれども、民間がやるにせよ、国がやるにせよ、原則というのがあるだろうと。というのは、年金にせよ、医療にせよ、介護にせよ、あるリスクに対しての保険を提供していくのだと。ということは、保険に入る人がみんなでリスクを負担し合う。短く死んでしまう人は長生きする人に対して結果的に保障することになるし、健康な人は健康を損ねる人に対して結果的には支払いすることになるし、健常な人はそうでない人に対して結果的に払う。みんなそれが不満だということはなくて、きちんと保険が運営されていれば、そこで自分が何かあれば、リスクをみんなでシェアし合う。そういう限りでは、それが民間であろうと、国がやろうと、保険全体では負担に見合った給付がきちんと行われ、サステインされることが重要なのだと、これがまず原則だと思います。

今日、先ほど申し上げたことで結論的に言いたいことと結びつけると、なぜここで負担が大切なのかということだと思います。もちろん、財政を難しくするということは、これから数字でも見せますし、そのとおりなのですけれども、このごろつくづく思うのは、やはり自分で負担してこそ、本当に必要なもの、いいものが何かわかる、それが市場に伝わってくるのだと。市場に伝わってくれば、その市場で競争が起きて、いいものの供給を促して価格が下がってくる。そして、そういうサービスがマーケットで提供されてくる。このメカニズムは、やはり人々が自分のお財布をあけてお金を払わないと出てこない、ということをこれから見ていきたいと思います。

その次ですけれども、負担に見合わない過大な給付というのは、言うまでもなく財政破綻を招くだろうし、人々に保険の乱用を誘発するだろう。そのつけは誰かが払わなければいけない。具体的には将来世代か国。国はまたそれを将来世代に付け回すわけです。

そういうことを考えてくると、日本の社会保障の問題というのは、ある意味で原因と結果が循環し合っている問題になっている。「日本の社会保険で過大な給付を引き起こし、保険財政を困難にしているのは国庫負担だ」と書いてありますけれども、結局、ある意味で人々の負担があまり高くてはいけない、したがって国が肩代わりしてあげようと。ということは、結局は給付に対する負担が相対的に下がって、それが給付をさらに増やしていく。増えた給付になると、これはまた負担が増えるから国庫負担を増やそうではないかと。そうすると、またそれが給付を増やしていく。そういうプロセスで給付が非常に大きくなっている。もちろん、それだけではなくて保険者のあり方等もありますけれども、基本的には、問題の一つですけれども、国庫負担というのが最初からありきということ、もう少し具体的にいうと、給付の一定割合は常に国庫負担だということが、日本の保険財政というのを雪だるま式に大きくして困難にしているということだと思います。それが実態としてどういうことかというのをこれから見ていきたいと思います。

3ページが日本の社会保険と国庫負担ということで、大まかに一般会計で見てどのぐらいのお金がどう流れているかということですけれども、この分野をやっていて、大体社会保障というのは80兆円ぐらい、一般会計の予算ぐらい使っているわけです。これは2002年予算ベースですけれども、年金で40兆円ぐらい、医療で30兆円、そして介護で5兆円、6兆円というのが我々の頭にある数字です。ここでざっくり言って、社会保障で80兆円ぐらいお金を使って、20兆円ぐらいが国の補助金として出ていくという仕組みになっているわけです。それを年金、医療、介護で一つずつ見ていこうというのが次の話です。

年金で政府の財布の紐がどのぐらい緩くなっているのかということですが、この仕事をやってきて、96年というのはちょっと古いのですけれども、むしろ古いほうが意味があるというか、年金を厚生省が所管してきて、どういう考えでやってきたのだろうと。今だんだん財政が厳しくなってきましたから、スタンスが少し変わっていますけれども、往時はどういうことを言ってきたのか。これは厚生省の書いたものですけれども、『年金と財政』というもので、かなりはっきり書いています。公が主、民が従なのだと。公的年金、私的年金、役割とあります。公的年金は老後生活の主柱となるに足る保障で、私的年金は老後生活を個性的に生きるための補完的役割だと、最初からうたっているわけです。それはそれでいいです。

問題はここからですが、給付に対する国庫負担は、基礎年金の3分の1が国庫負担、私的年金にはそれがない。税制上の優遇措置は、公的年金には給付面、負担面でそれぞれある。ところが、私的年金には公的年金等控除もないし、あるのは個人年金保険料控除の5万円程度しかないと。事務費は国がやれば全部国が払ってくれるけれども、民間ではないと、だから損だと、そういう発想でものを整理してきているわけです。

その次のページは、その表をもとに、厚生労働省の『年金と財政』という、ある意味で年金のザ・ブックで、4、5年ぐらいで年金の計算をし直すたびに出てくる一番重要な資料ですけれども、その中で「公的年金と私的年金の役割と機能は全く異なっており」云々、そして公的年金には次の特色があるということで、時間がないので省かせていただくと、4番目に給付に対する国庫負担があること、5番が負担面での社会保険料控除や給付面での公的年金等控除という税制上の措置がとられていること。だから、要するに問題は、社会保障を担当するほうにとっては、国庫負担は人の金なわけです。国全体として右のポケットと左のポケットがあるということは意識していない。国から入ってくれば、それは社会保険の負担を下げることになるのだと。税金の特典があれば、それは入ってくる加入者の負担が下がることなのだと、そういう非常に一方的な見方で進んできたわけです。

6ページで、情報として提供したいのですけれども、「『つけ』は後代世代と国に」と書きました。これは昨年来の年金の大きな議論の中で、最終段階で厚生労働省が提供してきた年金債務の実態です。ここで申し上げたいのは、今言ったプロセスで、結局、年金というのは一体今つけはどうなっているかということです。厚生年金が2004年段階で、それまで保険料を支払い終わって給付を受けている人、もらっている人、そして2004年段階で保険料を一定程度払い込んでいる人、私自身もその中に入るのですけれども、そういう人も2004年の時点で受給に対する権利が生じているわけです。その2つのグループの今後受け取る年金額の2004年の現在価値が740兆円という数字になっています。そのうちすでに裁定をして年金をもらっている人の受取額の現在価値が350兆円、基礎年金を含みます。

これがどういうふうにファイナンスされるかというと、ご本人たちのお金から上がってきた積立金が160兆円残っている。あとは誰かが払うわけですよね。150兆円は現在価値で国が払って、将来世代が430兆円払う。これがいわゆる年金債務です。したがって、年金問題を考えるのは、ある意味で難しくはなくて、結局、ここの年金債務額を誰かが払わなければいけない。例えば、ある賦課方式というか、後代世代に仕送るということは、この430兆円というのは後代世代に払ってもらうのだと。あるいは積立方式を主張する人は、430兆円、あるいは150兆円を含めて、これは一回清算しようと。これだけの債務があるわけですから、清算の仕方としては、すでに年金をもらっている人の受給額をカットする。あるいは年金債務額というのを額として計上して、それを税金なり何らかの形で長い時間をかけて消していこうと。どのような主張をするにせよ、年金問題のエッセンスは、年金債務額をどうファイナンスするかですけれども、この額が上がってきたというわけです。時間がないので国民年金のほうは省きますけれども、ここに示されたような数字になってきています。

結局、これまで年金という制度をやってきて、やはり明らかに給付に見合わない負担をやってきた。それを可能にしてきたのは国庫負担だし、そして、年金の場合には見えない将来世代の負担だったのだということだと思います。

医療保険に移ります。7ページです。これも基本的には同じ問題が根っこにあるのだということをこれから申し上げたいのですけれども、7ページに持ってきたのは、たまたま医療保険について仕事をしていて出当たったページなのですけれども、老人健康保険というのがあります。老健と言いますけれども、昔は70歳以上、今は75歳以上の高齢者に対して適用される医療制度です。問題となったのは、この老人健康保険のファイナンスをどうするかということだったわけです。これは2001年の資料ですけれども、改革前はたしか給付の3割は国庫、7割はいろいろな組合とか様々な健康保険組合が拠出金として払っていたわけです。

ここでのイシューは、年金と似ているのですけれども、国庫負担を3割から50%に上げるという議論をしたわけです。この時に社会保障制度審議会の医療保険部会で厚生労働省の人の発言なのですけれども、非常に興味深いことを言っていて、ここは老健の問題ですけれども、「年齢を引き上げ、公費負担も2分の1にするという案を出し、かなり大幅な制度の改正ではないかと思っています。その結果、・・・将来の姿としては、公費負担も現在の公費負担の姿よりもかなり大きくなりますし、患者負担の方は、今の患者負担の比率にとどまりますし、何よりも……」云々だと。つまり、医療保険行政をやっている人たちにとっては、国庫負担は自分たちの収入であるという見方でものが組まれている。

8ページをご覧になっていただきたいのですけれども、これは我々の仕事なのですが、1998年度のデータでこんなことをしてみました。政管健保、組合保険、共済保険、国民健康保険、老健とあります。どういうことをしたかというと、かかった医療費を100とした時に、一体それがどうやってファイナンスされたかという数字です。例えば政管健保ですと、100の医療費に対して一番左の128というのは、保険料と自己負担で128上がっている。どういうことかというと、自分たちがかかったもの以上を28%余計に払っていますということです。それが組合健保ですと159、共済が143、国保が62、老健が14です。

それに対して少し見えない数字ですけれども、国庫負担というのがあります。先ほどあったように医療の国庫負担があるのですけれども、それを例えば人数割にしてみたり、それぞれの保険の所得割にしたりして、見えない国庫負担も足してあげようということをしたわけです。そうすると、政管のほうは128が167、173、これは人口割、所得割というのは今無視していただいて、大体128が160ぐらいになってくる。つまりこの差額が見えない形で税金という形で取られているわけです。

これを見ていただくとわかるように、やはり医療保険の場合には、何といっても老健の負担をこれからどうしていくかということで、ここの改善をしないことには、事態は解けない。それが先ほど申し上げたように、国庫負担を30%から50%に増やしていくことでいい姿になるのか、というのがまさに問われていることなのだということを申し上げたかったわけです。

次に介護保険です。制度的には直近では一番話題になっているし、来年度に向けて制度改革がされているのが介護保険ですけれども、これは先ほどの2つよりも少し丁寧に、制度と何が起きたかというのを見ていきたいと思います。たまたまこの仕事を今しているので、何が起きたかということを、特にできるだけポイントを置いて話したいと思います。

介護保険は簡単に言うと、被保険者というのが40歳以上、1号というのが65歳以上で、給付をもらう人は大体65歳だと。給付は加齢に伴う身体介護を要件としますから、簡単に言ってしまうと、65歳以上の人が大体もらっています。ただ、保険料は40歳以上の人が払っている。そういう仕組みです。

保険者は市町村です。そして、地域住民としての65歳以上の人たちは、保険料をその市町村に払います。ここがポイントです。65歳以上の人は1号保険料をその市町村に払う。40歳以上の人たちは、皆さんも払っているのですけれども、知らないうちに健康保険料に上乗せされて全国で取って、それが全国の市町村に配分される。それが地域保険なのかという問題はありますけれども、制度は制度です。

それがどういうふうにファイナンスされて、どういう結果を招いてきているかという、まさに現在進行中の話ですけれども、いろいろな制度の経験があって、財政制度としては、ある意味で保険的にはなっています。まず10%利用者が自己負担してください。残りの90%を給付費と言いますけれども、その90%は半分にしますと言っているわけです。その半分は保険料です。その保険料は65歳以上の人と、40歳から65歳未満の人が払います。その割合、18、32というのは、人口比率で払ってくださいと。これは全国平均です。そういうことで払ってくださいというわけです。

先ほど申し上げたように、重要なのは、1号、65歳以上の人たちが払う保険料は、それぞれの市町村に直、行きます。したがって、サービスが高くなれば保険料は上がるという仕組みです。それぞれの市町村です。公的負担のほうが残り50ですけれども、国が25、都道府県、市町村は半分です。都道府県、市町村のほうは、財政力の弱いところは地方財政措置されて交付税が入ってくるという仕組みになっています。

この制度をもう少し給付内容についていうと、施設、在宅というのがあります。施設というのは養護老人ホーム、老健施設、療養型医療施設、こういうのがあります。あと在宅サービスはこのようなものがあります。

2000年に開始して、5年目に入る今年までで何が起きたか。かなり当初予想と外れるようなことが起きたわけです。利用の増大のところで、2000年から2002年が第1期です。制度が始まった2000年から3年間が第1期なのですが、これが数字がよく出ているのでそれを取ると、その間に実は給付額が全体で31%増えたわけです。それ自身思った以上大きかったのですけれども、それ以上に興味深かったのは、施設のほうの増加が14.4%ですけれども、在宅サービスのほうが増えたのが64%です。非常に絵に描いたようなことが起きたわけですけれども、施設のほうはベッドとかいろいろ規制がある。そこで伸び悩んだというとおかしいのですけれども、利用の限度があった。そのすき間を縫うようにして在宅サービスのほうが非常に伸びていったわけです。そして、現在は6兆円を超える費用になっているわけです。

財政破綻の兆候ですが、4年で財政破綻なのかどうか知りませんけれども、明らかな破綻の兆候はあります。2002年度末で全市町村の25%が借り入れを行っているというような状態です。

財政がサステインできるかどうかの一つの目の子で、65歳以上の人たちの保険料がどのぐらいになっていくのかということですけれども、第1期、2000年から2002年が2,900円、3,000円ぐらいです。第2期2003年から2005年が3,200円を予定していますけれども、いつ5,000円を超えるのかと。今日はお見せしませんけれども、推計によっては数年後に5,000円を超えるのではないかという形です。

時間がないので、最後、改革の視点ということです。申し上げたいことは最初に言ってしまったわけですけれども、結局、どの保険を見ても、給付が増えていく。それに追いかけるように国の負担が増えていく。つまり、私が見る限り、社会保障の財政的な問題は、給付のある一定パーセントを国が最初から負担するということになっていて、それがある意味で負担を低くして過大な給付を生んでいる。過大な給付を生んで、それの一定割合を財政がこうむるという形で、非常に財政構造的な問題を引き起こしているわけです。

もう一つ申し上げたいのは、さっき言ったように、自分で負担してこそなのですけれども、具体的な例を申し上げれば、例えば介護保険で非常に伸びているものの一つが福祉用具です。例えばベッドなどです。皆さん考えていただきたいのですけれども、サービスが10%で買えるわけですよね。そうすると、どうしてもみんな電動のいいものを買う。それはそうだろうねと。ただ、残念なのは、それを自分で買おうとすると、一気に10倍の値段になってしまうわけですよね。結局それがマーケットを育てない。あるいは自分の家で訪問介護をしてもらいたい、そういう人はいっぱいいると思います。ただ、それは保険を使えば10分の1の価格だけど、マーケットで買えば一気に10倍になってしまう。つまり、育つべきマーケットが育っていないのではないか。人々がもし本当に自分の金で福祉用具を買うのだ、あるいは家に来てもらう介護サービスを買うのだという時は、やはりしっかり質も定めるだろう、電動ベッドでなくてもいいだろう、電動ベッドに代わるものがあればいいだろうと、そういうことでよりいいサービス、いい質のものがマーケットで提供されてくる。

私はこの制度がいけないと思う一つは、やはりそういうサービスが結局出てこないということなのだろうと思います。今日の日経新聞の一面にも、病院などに入った時の食事の自己負担を増やせと言っていますけれども、今は一月入院して2万円ぐらいです。食事を含めて。それもおそらく自己負担を増やすことでよりいいメニューも出てくるだろう。そういうことを申し上げたかったわけです。

締めくくりですけれども、第3番目に、したがって私は日本の社会保障財政の根本的な改革としては、給付の一定割合を自動的に国庫負担とする仕組みをやめることだと思います。

それから、今日は申し上げられませんでしたけれども、保険サービスを提供する保険者の機能を高めることだと。端的に言えば、例えば介護保険で、市町村が保険者としてやっていけるのかと。一方の手で保険の財政を預かって、一方の手で地方のいろいろな介護政策、特に人の雇用を伴ういろいろな施設の当事者でもあるわけですから、一方でお金を使いたい人が一方お金を管理したって無理なわけです。能力というか、ヒューマンキャパシティもあります。これは大きな問題です。

そして、財政の問題に、あるいは特に税制の問題を考えると、社会的弱者の救済というのをどうやってやるのだと。私は思うのは、それを今までの日本の保険は、保険の内部補助でやってきたわけです。つまり、保険の中で、お金を払えない人がいれば、それはいいよ、みんなが払ってあげるよと。しかし、そうではないだろうと。保険の内部補助ではなくて、資産や所得に見合った社会的な支援をやって、保険の財政はある意味で汚してはいけないということは申し上げたいと思います。

将来的には、負担をどうやって徴収していくかということですけれども、年を取ってからいきなり取るということは非常に困難もあるわけで、個人の生涯にわたる負担ということで、生涯にわたる個人勘定、それから、ある意味で死んだ時には、それまでに払っていない保険料、自己負担の清算はしていく。そういう仕組みは必要なのだろうなと。

そして、非常に現実的な話ですけれども、生涯の問題はいいとして、今この時点でどういうことを考えなければいけないのかということです。その意味ではすべての世代の負担が必要なわけですけれども、生涯負担がいきわたっていない間、先ほどお見せしたように、老健でいかに負担していないかをお見せしましたけれども、そういう時に個人勘定等ができていない、生涯の負担ができていない状況では、高齢者に給付に見合った応分の負担を求める。あるいは求めざるを得ないと私は思います。

そういうわけで、雑駁なことを話しましたけれども、この分野の仕事をしてきて、年金、医療、介護、やはり根本的な問題は、お話ししたように、最初から国庫負担ありきだというところが給付を過大にしたし、また、よりよいサービスの提供を困難にしてきたのだということを申し上げたかったわけです。

以上です。

委員

ありがとうございました。

20分ほど時間が残っております。様々な形から問題が議論できると思いますので、やりましょう。どうぞ。

委員

1ページ目の「様々なリスクと保険」というところで、それぞれ年金、医療、介護について、リスクへの備えだと。これはそれで理屈は通るだろうということなのですが、例えば医療保険というのは、稼得能力がなくなることへのリスクへの備えではなくて、今の制度は、むしろ医療費が嵩むというリスクへの備えなんですね。ですから、例えば保険の原理が適用できるというのは、やはりリスクの発生の確率が大数の法則である一定のところに収束していくようなものでなければ保険の原理に乗っからない。

ところが、例えば老健にしてもそうですし、軽微な、例えば風邪を引いたといったような形で、売薬で済ませることも可能なものまでもが医療保険の対象になるといったようなことになってくると、受診をするかどうかという確率は、かなり個人の判断によって変わってくる可能性があるわけです。そういうものまでもが保険の対象になっているのが今の公的医療保険の制度ですので、そのあたりをどのように考えていくのかというところが非常に重要なところで、例えば自動車保険だったら、軽微な損傷は自己負担で、免責でやってくださいというような形になっている。

例えば介護も、いわゆる施設介護の場合は、やはりキャパシティがありますから、ある一定のところで収束するわけですね。ところが在宅介護の場合は、いろいろな形で、本当の意味での介護ではなくて、家事に使ってしまうとかといったような問題が起こってくる。

そうした時に、ここに「様々なリスクと保険」とお書きになっているのは、先程の委員がこういうリスクへの備えであるべきだと考えておられるのか、つまり、医療保険は稼得能力がなくなることへのリスクへの備えであるべきなのが、今現実にはそうではなくて、様々な軽微なものまでも含めて、もちろん自己負担はありますけど、そういうものも含めて、医療費なり介護費用に対するリスクへの備えになっているので問題だというぐあいにお考えなのか、そのあたりが、あるべき姿なのか、それとも、そのようになっていると考えておられるのか、そのあたりを教えていただきたいと思います。

委員

どこまでわかったか自信はないのですけれども、まず、どこまでのサービスをやるかですよね。車でも免責というのがありますよね。10万円までの事故は自分で払えとか、あるいは医療でも、一定の割合、30%は自分で払えとか、いろいろありますけれども、ここで僕が言いたかったのは、社会保険が、国がやろうが、民間がやろうが、それはそれなりにあるけれども、そもそもそれがなぜあるかというのは、リスクへの備えで、もちろん医療保険というのは、ここは簡単に書いていますけれども、委員のおっしゃるように、様々な多様なリスクに対する備えがあるかもしれないけれども、基本はリスクに対してどうそれを保険するかで、その中で所得移転、内部補助をしたり、助け合うものではないのだということを、そこを言いたかったのですけれども。

委員

この制度は構造も生い立ちもいろいろ歴史的な背景もあって出てきているわけですけれども、それを端的に、「国庫負担が収入だというような考え方はけしからん」というのは大賛成で、非常に明快に最大の問題を言っていただいたと思います。それを言った上で、どうすればいいのだという問題について、少し委員のお考えを伺いたいのです。

それは、私は一つこんなふうに考えるのですけれども、年金一つとっても、もともとあれは積立てでスタートして、そして高齢化が進んで、福祉元年の時の調整が、給付を増やして拠出は増やさせないという考え方で、国民に媚びたのでしょうね。そういうのが蓄積して、最終的には莫大な国庫負担をしなければならないような格好になってしまった。

今回、その年金で皆さん大騒ぎしていますけれども、もともと高度成長とピラミッド型の人口構造があって成立する姿ですから、もしそのような考え方で今のような数字の調整だけして、これからの経済社会の変化に対応しようとすると、こういうことが起きてきますよね。

今まで例えば30万円の給料をもらっている人が、4万円だけ拠出して、年金受給になると20万円もらう。そんな姿はあり得るわけないので、30万円のうち15万円拠出して、年金をもらう時は10万円しかもらえませんというのが姿ですよね。ただ、そんなことになったら誰も入らないわけですから、それをどういうふうに変えたらいいのかというと、結局、行き着くところは、ナショナルミニマムみたいなものはしようがないですから最低保障で出して、それは本当のミニマムの、月3万とか4万とか、そういうのがミニマムであって、あとは全部自己負担でやれと、そういうのですよね。医療だって全部同じですよ。そういう考え方を、国民に「そうなったのだからしようがないよね」と認めさせるのはどういうふうにしたらいいのだろうということなのです。その辺はどういうふうに思いますか。

委員

今一番現実的な、例えば介護保険でいくと、今日は触れていないですけれども、保険者をどう変えるかというのも非常に大きなポイントの一つだと思います。先ほど言ったように、保険を、財布を管理する人がお金を使う人ではどうしようもないわけで、そこは専門性も要るし、大改革がある。また非常に質的な改革がある。それは前提にした上で、負担のほうですけれども、そういうことではまずは自己負担。自己負担を上げるのか、免責をするのかがありますけれども、両方含めて自己負担を上げざるを得ないだろうなと。ざっくり言って、あるサービスに関しては、50%以上は要るのだろうなと。

そして、あとは当然保険料も上げていくわけですけれども、委員の質問に対する僕の答えは、結局、国がどこで出てくるのだということです。ほかのものを貫いて。ある意味で日本の保険は、誰が入ろうと、給付に対して介護保険だと1割負担を除けば半分は国が出てしまうわけですよね。そこを変えれば当然負担は増えるわけですけれども、そうではなくて、所得の低い人に対して、保険料を国が代理で払う。例えば年金でもよくあるのは、女性だったら、子供を育て産む期間は国が代理で保険料を払う。したがって、保険自身は財政を傷つけないという仕組みです。そうすると、僕が思うのは、やはり国がすべき生活支援というのは、例えば保険料が払えない人たちに対する代理の支払いであって、最初から国が給付の半分を背負ってしまうということではないと思います。そこでまさに税制の問題が出てきて、払えない人に対する負担をどう国がやれるかということだと思います。

委員

ですから再分配的な面も一つあるんですよね。それは国庫負担でしようがないと思います。ただ、歴史的な経緯として、高度成長だったし、子供がたくさんいたからファイナンスできたというのは完全に終わってしまっているわけですね。ただ、それはイナーシャーはものすごくて、おそらく国民にしては一種の既得権ですから、何十年もこだわるのだろうと思うのです。そこのところをどうやって変えていくか。

例えば消費税の問題などもそうですけれども、消費税を小泉さんがやらないと言っているけれども、むしろ国民のほうが心配していて、大丈夫かという議論で、結局あの人はものすごく政治的に見事だと思うのだけど、あの人がやらないやらないと言ったのは逆説的で、「やっぱりやらなきゃならないよね」という感じを国民は持ってきますよね。ですから、年金もそういうところがあるのかなと。つまり、今度の20年間調整というのは画期的なことなのですけれども、あれだって焼け石に水ですよ。だけど、その時に50%の所得保障はしますという、ああいうのは政治的にはものすごく後れていると思います。国民はそんなのは無理だろうと最初から思っていると思うのです。政治家はちょっと頭がおかしいと思うのだけど、ああいうことを言ってしまう。

だから、国民の考え方がだんだん変化しているのをどう見込んで、その国民より一歩先を進みながら調整していくということが必要なのだろうと思うのですけど。

委員

年金でまさに言いたかったのは、6ページの数で、ここまで来て難しい問題ではないというのは居直りみたいな感じですけど、問題はある意味で透明なわけです。先ほど申し上げたように、2004年でズバッと切った時に、すでに年金をもらっている人、今まで保険料を払った人、それに対する債務があるわけです。今のまま払うとすれば。それに対して積立金がいくらかなのだから、あとは誰かがしょわなければいけない。

そうすると、A方式、今のやり方、ある厚労省がプロポーズする方式だと、年金債務を誰が払うのだと。そして、B方式だと誰が払うのだと。誰が払うのだというのは、受給者がどれだけ負担をこうむるのだ、後代世代がいくらこうむるのだ、僕はそのハードな数字だと思います。そして、どこかのお金はフリーズしなければいけないわけですよ。さっきの国債ではないですけれども、不良債権というのは長い間かけて減らしていって、GDPに対する比率を減らしていくわけです。この年金負債残高は取り出したと、これは国民が例えば消費税でも何でもいいのですけれども、払っていく。それを不良債権の場合には国債である意味でやってしまったわけです。だから400兆円払って国債を発行すれば、問題は今のベネフィットで解決してしまうわけですけれども、年金の問題はある意味難しくないわけです。だから、どの方式にするかで、誰が負担するかということは見せなければいけない。その時にやはりもらっている人もカットしなければいけない。

あとは、プラクティカルな問題は、1階、2階を作るのか、基礎年金というのはもうやめて、そこは全部報酬比例にして、本当にもらえない人に対しては国庫から出すのか、そういう問題があります。

いずれにしても、どの方式をするにしても、740兆円の厚生年金の債務をどうみんなが払うのかというのを国民に示して、そこで国民に最初から訴えかけるしかないと思います。高度成長のあとに何をしようと、してしまったわけだから、これは我々がしたことだと思いますけどね。

委員

どうぞ。

委員

我々がこういう議論をして一番困ったのは、「負担」という言葉を使っていますよね。多分、「負担」という言葉は社会保険料だけを負担と考える人と、税負担――税負担というのは負担なのかどうか、税負担は負担じゃないみたいな言い方をする人もいますが――それと自己負担がありますよね。この三つをどういうふうに負担として認識するかというのは、国民負担率には社会保障負担と税負担は入るけれども自己負担は入らないから、ますます混乱するのだけれども、「負担」という概念がもともと非常に混乱してしまって、多分、委員が言っている「負担」は社会保障負担ですよね。

委員

はい。

委員

税負担は入らないんですか。

委員

どこまでを……。

委員

その辺が議論しているとゴチャゴチャして、一つは議論が混乱してしまうところがあるんです。

それから、もう一つは、僕はこの会議に出ているからよくわかるところがあって、ただ、ターゲットとしているのは、我々から見ると、全額税方式とか、90%国費で5%保険料という、出てくるのはそういう議論がどちらかというと表舞台に出てくるわけです。それに対してどういう論議をするかという時には、むしろそれをどうやって国庫負担の話を保険の話から限定していって、抑えるかという話なんですよね。

その時に一番僕が共感するのは、国庫負担というのは、例えば国の一般会計の社会保険関係費ですよね。おそらく地方の民生費の中の一部ですよね。これは支出なんですよね。あなたがさっき「収入だ」と言ったけど、社会保障は収入なんだけれども、国庫負担のもともとの財源は一体何かという議論が案外抜けたまま議論されてしまう。非常に安易に国庫負担を増やせと。その先は結局増税しろという話かもしれませんが、そこまでいかない話でとまってしまうから、僕は問題があるというのがもう一つ大きな認識ですね。

それから、3番目、最後に、要するに国庫負担の話と保険者機能の話は非常に絡んでいて、余計なことを言うようですが、ドイツなどは社会保険を作った時に、国庫負担は事業主が反対するわけです。それは国庫負担になると干渉されるから嫌なので、国庫負担はやめてくれと、労使の代表で運営しますよという言い方をしています。それが保険者機能なんです。ところが、日本はこの間何をやっていたかというと、みんな保険者機能を返上して、国へ国へという、その極端な姿は一元化なんです。保険者機能というのは政府管掌保険しかなくて、だったら調整は国庫負担でやれと、こういう議論になってしまう。だから、医療保険も介護保険も保険者機能を道府県レベルで何とか強めてということは、議論としてはやや実態からずれてしまっていないかなと思います。でもこれは大いに結構。私もこの議論をやりますから。

委員

最後にお答えすることがありますか。

委員

医療保険自身になりますけれども、一元化というのは私自身は非常に強く反対しているわけです。やはり医療保険サービスも一つのサービスで、いろいろな保険者があって、サービスメニューがあるから改善していくわけで、日本はある意味で政管健保は国一本、市町村は3,000の保険者があって、両極をやっているわけですけれども、やはり保険者改革としては、都道府県とは言いませんけれども、人口数十万以上の単位の保険者というのがある意味で競争し合っていくという形にしていくべきだと私は思います。

委員

さて、もう一個ぐらいどなたかあれば……。

委員

私もかなりこういう考え方に理解ができるような気がするのですけれども、私は農水省の関係で農業者年金基金というものの整理に若干立ち会いまして、結局のところ、説明の仕方は委員と違うのですけれども、最終的に落ち着いた考え方は、やはりかなりこういう考え方のものに振り替えていったということだったように思うのです。

ああいう仕事を通じて考えますのは、逆ピラミッド型の人口構成になるというような、農業の世界は特に早くそういうことになったわけですけれども、やはりこういうような方向に考え方を変えていかないと、なかなか容易な負担ではないということになるだろうなと拝聴して思いました。

そこで、非常にプリミティブな質問ですが、先ほどの懇談会で、なかなかペースが上がらないようなお話があり、それから、基本計画では18年に最終結論ということが書かれているのは、例の何ヵ年かごとの見直しのあれでものを考えていくという、そのペースが原則になっているのかということ。

それから、もう1点、北欧などの高福祉・高負担の社会福祉の制度のもとにおいては、こういう考え方がとられているのかどうか。非常にプリミティブなところなのですけれども、教えていただきたいと思います。

委員

国庫負担とか、それの入れ方について、一体ネガティブに入れるのか、ポジティブに入れのか、この辺の話ですね。ということは、結局、結果的に税でやるか、社会保険でやるか、その割合をどうするかという議論ですね。

さて、それは国によって違うと思いますけれども、僕から申し上げると、スウェーデンなんかは、保険でやったほうがインセンティブスにプラスになるから、全部税でやるのは問題だと。だから改革したわけですよね。被用者保険一元化して、要するに保険でやっていきたいという発想ですけど、他の国はどちらかというと、基礎年金は全部税でやっていますから、そもそもヒストリカルには税でやってしまったというので、その辺の議論は抜きにしていますよね。ただ、2階建てのところはやはり保険なんですよね。ただ、今言った国庫負担も少し入っていますよ。それは2割かそのぐらいかな。ただ、日本ほどこんなに大きな幅が入っていませんから、あまり関心がないのではないですかね。込み込みでやるというところの、日本ほどセンシティブな議論はどうもないので、もう少し調べてみないといけないと思います。

委員

公的年金だと、当然何らか国は登場するわけですけど、今は2階、1階というのは少しずつ議論が変わってきて、根っこから給付に見合う負担、言い換えれば負担に見合う給付を出すわけですよね。負担が低かった人は給付は少ない。そういう意味で、できるだけ公平に払っていく。ただ、負担が少なくて給付が少ない、しかし稼得能力等が低い人に対しては、ある意味で国が支援しようと。何遍も言うように、保険自身は汚さない。しかし、ニーディーな人がいれば、そこは政策としてサポートする。それが重要だと。

日本の国民年金でいうと、5年金、10年金という有名な例があるのですけれども、国民年金ができて、10年払えない、保険の期間がなかった人を救済したんです、保険の中で。国民年金を始めて10年ぐらいでもう財政破綻してしまうわけですけど、それは典型で、年金を作った時に、高齢で給付が十分もらえない人を救わなければいけないというのが国の政策ならば、それは国民年金で救わなければよかった。それは国民年金を傷つけてしまったわけです。それが86年の大きな改革になったわけです。だから、そこがポイントで、国はどういう形で関与するかということで、今日ずっと言っているのは、最初からとにかく関与を始めて、気前よく半分払ってやるよというのはまずいだろうということです。

委員

委員の意見は、保険の内と外と分けて、保険料を払えないものを保険の中に入れさせるなと、外に出す時は税金でやれということですよね。

委員

そうですね。うまくやらなければいけないですけどね。

委員

そこで国庫支出金なるものが両方込み込みになってしまって、保険の機能がどうなってしまうかわからないところが問題だと。何か今日はあなたの議論としてわかったような気もするけど……。

時間がたちました。貴重なご意見と、我々のある視点といいますか、そういうものについてサジェスチョンをいただいたと思います。

次回以降の話ですが、5日、来週火曜日、2時から総会を開催いたしまして、これまで2回やりました前回と今回の話を整理して、総会の皆さんのご意見を伺いつつ、今度は総会の方々はどういうことをお考えかということも出していただいて、それをまた基礎小で議論するといったような、ややフィードバックみたいなことも考えております。こちらの言い分を一方的に押し付けてもなんでございますから、そういう意味で、ぜひ小委員会にご出席の方も、総会の方々と一緒に議論するというスタンスが重要でありますので、ご出席いただけたらと思います。

それから、来週は2回ありますので、8日、金曜日の2時からだんだん個別の税に入っていきたいと思いますので、最初のとっかかりとして、8日は個人所得課税を議論いたしたいと思います。再度また定率減税の話、あるいは三位一体での税源移譲の話なども出てくるかもしれませんが、基礎的な今の仕組み等々からいろいろおさらいしたいと思っております。これから佳境に入るわけでありますから、ぜひ日程を繰り合わせの上ご出席いただきたいと思います。

では、5分ほど過ぎましたが、きょうはありがとうございました。

〔閉会〕

(注)

本議事録は毎回の審議後、速やかな公表に努め、限られた時間内にとりまとめるため速記録から、財務省主税局及び総務省自治税務局の文責において作成した資料です。

内容には正確を期していますが、税制調査会議事規則に基づき、事後の修正の可能性があることをご承知置きください。