第16回基礎問題小委員会 議事録
平成16年6月15日開催
〇委員
そろそろおそろいでありますね。今日でほぼまとまると思いますが、16回目の基礎問題小委員会を開催いたします。
前回、骨子案というのを出しまして、一応皆さんからいろいろな形でご意見いただきまして、それを今日「取りまとめ案」という形で文章化しております。したがいまして、今日は取りまとめ案というものを具体的に読み上げてもらいまして、中を精査していただきたいというのが今日のテーマでございます。あと、もう1冊、「各分野テーマの概要」というかなり厚いものがついてございますが、これはこれまでの議事の要綱をまとめたものでありまして、今日は特にご説明はいたしませんが、こういうものが報告書と一緒につくという形でございます。いずれにいたしましても、両方ともまだ未定稿でありますので、ご退室の折にはぜひ机の上に残して退席していただきたいと思います。
それでは、事務局のほうから、「取りまとめ案」を、40分か45分かかるようでございますが、一通り読み上げていただきまして、その後修文に入りたいと思います。よろしくお願いします。
〇事務局
読み上げさせていただきます。
わが国経済社会の構造変化の「実像」について
~「量」から「質」へ、そして「標準」から「多様」へ~
(案)
はじめに
税制調査会は、昨年10月6日、小泉内閣総理大臣から、「少子・高齢化やグローバル化等の大きな構造変化に直面しているわが国社会の現状及び将来を見据えつつ、社会共通の費用を広く公平に分かち合うとともに、持続的な経済社会の活性化を実現するため、あるべき税制の具体化に向けた審議を求める」との「諮問」を受けた。
この「諮問」を受け、当基礎問題小委員会は、本年2月以降、「あるべき税制」の具体化に向けて、わが国経済社会の構造変化の「実像」を的確に把握するための取組み(以下、「実像把握」という)を進めてきた。具体的には、後述の「基本的視点」に立って、「家族」をはじめ、「就労」、「価値観・ライフスタイル」、「分配」、「少子・高齢化(人口)」、「グローバル化」、「環境」、「公共部門」などの分野・テーマについて、関連する基礎的データを広く収集、整理、分析するとともに、延べ21人に及ぶ各界の有識者からのヒアリングを行った。更に、こうしたデータに基づき、今後のわが国の社会像等についても取り上げ、延べ●回にわたり審議・検討を重ねてきた。
本とりまとめでは、まず「一」において、今般の取組みの趣旨とその基本的な視点を明らかにする。「二」において、経済社会の構造変化の「実像」と考えられる「10のキー・ファクト(=「鍵となる事実」)」を取り上げる。そして「三」において、これらのキー・ファクトを通じて見られる特徴を踏まえ、税制などの経済社会の諸制度のあり方を考えていく際の視点に言及する。巻末には、各分野テーマの概要―基礎的データや有識者ヒアリングの概要―を添付している。
今般の取組みは、限られた期間内で限られた分野・テーマを対象として、構造変化の「実像」を垣間見たものである。今後の税制改革論議の共通の土俵作りに資すればとの思いから、-応の区切りとして、これまでの議論の整理を行ったものである。
─基本的視点─ 今、なぜ「実像把握」なのか
1. 1990年代以降、わが国経済は長期にわたる低迷から抜け出せず、「失われた10年」という言い方が定着した。実際、わが国経済社会において、何かが構造的に大きく変容しつつあるのではないか。それは一体何なのか。その「実像」に少しでも接近しようというのが、今般の取組みの底流にある基本的な問題意識である。
2. 戦後のわが国経済社会について、第一に、高度経済成長期及び1970年代半ば以降の時期に、マクロ、ミクロ両面においてどのような構造変化が生じたのか。第二に、これらの構造変化のメカニズムや背景要因は何か。第三に、これらの構造変化の中で、社会を構成する各主体(個人、家族、企業、地域社会、公的部門(政府)等)にどのような変化が生じてきたのか。また、今後どのような変化が予想されるのか。第四に、これらを踏まえ、今後の公共部門のあり方についてどのように考えるべきか。
これらの問いかけは、これまでのわが国経済社会のあり様を見つめ直し、その「実像」に迫るために欠かせないと思われる。そしてこのことは、将来のわが国経済社会の姿を展望する上でも、さらにまた、今後の税制改革の審議を進める上でも、不可欠なものと考えられる。
3. 税制は、経済社会を支える重要なインフラストラクチャー(基盤)のひとつである。それと同時に、その時々の経済社会構造を基礎として構築されるものであり、経済社会を映し出す「鏡」でもある。
こうした認識の下、税制調査会は、これまで、税制を新たな社会に相応しい姿に再構築していくため、「あるべき税制の構築に向けた基本方針」(平成14年6月)及び「少子・高齢社会における税制のあり方」(平成15年6月)をとりまとめてきた。平成15年度及び16年度の税制改正においては、これらの答申等に示された考え方に沿って、「あるべき税制」の構築に向け広範な税日にわたる改革が実現された。
これを第一歩として、今後引き続き「あるべき税制」の具体化に向けた取組みを進めていくにあたっては、わが国経済社会についてのいわば「残像」を払拭し、その「実像」をより一層直視していくことが何よりも重要である。
その意味で、今般の「実像把握」の試みは、これまでの「あるべき税制」の構築に向けた取組みの成果の上に立ち、それを一層推し進めていくための契機ともなりうるものである。
二 わが国経済社会の構造変化の「実像」:10のキー・ファクト
1 今世紀日本は「人口減少社会・超高齢化社会」
わが国経済社会の構造変化の「実像」として第一に掲げるべきキー・ファクトは、今世紀の日本が、「人口減少社会」と同時に「超高齢化社会」になるということである。
(人口減少社会への突入)
今世紀の日本は、「人口増加社会」であった20世紀とは異なり、一転して「人口減少社会」に突入する。
合計特殊出生率の動きを見ると、高度経済成長期には人口置換水準(2.08程度)近傍で安定的に推移していたが、1970年代半ば以降、急激な晩婚化、未婚化を背景に2.0を下回り、一貫して低下してきている。また、近年では、結婚・出産・育児をめぐる「機会コスト」の上昇や子育てに伴う物心両面での負担感も、出生率低下の背景の一つとなっている。
このような長期的な少子化傾向を反映し、わが国の人口は2006年(1億2,774万人)をピークに継続的な減少局面に入る(中位推計)。20世紀の入り口以降、100年かけて約8,400万人増加した人口は、今世紀中に約6,300万人減少して、今世紀未には6,414万人までに半減する見通しである。
しかも、近い将来、仮に出生率が人口置換水準まで回復し得たとしても、「人口減少のモメンタム(慣性)」が働くため、少なくとも今世紀中、人口が減少し続ける見通しは変わらない。
(超高齢化社会への変貌─少子化と長寿化の同時進行)
「少子化(=出生率の低下)」と「長寿化(=平均寿命の上昇)」が同時進行し、今世紀半ばには、3人に1人が高齢者である「超高齢化社会」となる見通しである。わが国は、高度経済成長期のような「平均年齢30歳前後の壮年中心の若い社会」から、次第に「平均年齢40歳代後半の成熟した長寿社会」へと変貌しつつある。
(従属人口指数の上昇一社全的な扶養力の弱まり)
このように今世紀のわが国経済社会は、否応無しに「人口減少」と人口の「超高齢化」という現実の上に築かれることになる。これを「従属人口指数」という指標でみれば、高度経済成長期に低下傾向にあったものが1990年代を底として上昇に転じ、2030年以降にはこれまでにない水準(70超。3人で2人以上を扶養している状態)に達する見通しである。これは、社会的な扶養力が急速に弱まっていくことを意味している。
以上のような人口面での構造変化は、家族や個人のライフスタイルのみならず、経済社会の諸制度に至るまで、構造的な変容を迫ることになる。
2 「右肩上がり経済」の終焉
(高度経済成長を支えた基礎的条件の消滅―棟準モデルの「非標準化」)
「実像」の第二のキー・ファクトは、高度経済成長を支えてきた基礎的条件(ファンダメンタルズ)が消滅し、いわゆる「右肩上がり経済」が終焉したということである。
戦後のわが国経済は、1970年代央までの高度経済成長時代から、その後の安定成長時代、さらにはバブル発生・崩壊を経て低成長時代へと推移している。なかでも様々な経済社会指標を見ると、1970年代央の「屈曲」が顕著である。
戦後日本における長期間にわたる高度経済成長は、労働力人口の増加、いわゆる「人口ボーナス」の存在、高い家計貯蓄率の継続、さらには、都市圏への大規模な人口流入とそれに伴う世帯数の急増、耐久消費財の普及、旺盛な国内需要を背景とした設備投資と技術革新等の諸要因が相侯って実現されたものである。
しかし、こうした状況は1970年代央を境に変化し、現在においては、このような高度経済成長を支えた諸条件はほぼ消滅した。とりわけ重要なのは、今日、人口減少に伴う労働力人口の減少、超高齢化に伴う人口ボーナスの消滅や家計貯蓄率の著しい低下などの構造的な変容が生じているという点である。これは高度経済成長期とは際立った対照をなすものである。この結果、経済のパイの継続的な拡大が期待できる、いわゆる「右肩上がりの経済」は終焉を迎えた。
これに伴い、高度経済成長期に形成され定着化した多くの「標準的モデル」─例えば、後述する「戦後家族モデル」や「日本型雇用慣行」─も相対的なものとなり、非標準化している。
(「量的拡大」志向の限界)
我々は、ともすれば「右肩上がり」という過去の経験に引きずられがちであるが、もはや高度経済成長期のような大幅な「量的拡大」は期待できない。
今後は、労働力人口の減少や家計貯蓄率の低下等を通じて供給面からわが国経済に制約が生じることが懸念される(潜在成長力の低下等)。現在生じている「多様化」の動きを活かしつつ、社会の「活力」をどう維持、確保していくかが重要な課題となる。技術革新による生産性向上、人的資本の充実(潜在能力の涵養)、貯蓄の効率的活用、更には、労働力率の低い女性や高齢者、外国人の就労等がその鍵となる。また、「真の豊かさ」が質的に問われることになる。
3 家族のかたちの多様化
「家族」は、個人が生きていく上で最も基礎的な集団であるが、高度経済成長期以降、急激に家族の態様(「かたち」)やその機能が変容しつつある。第三のキー・ファクトとして、この点を挙げることができる。
(「夫婦と子供のみの世帯」の非標準化)
家族のかたちの変化を見ると、戦後から高度経済成長期を通じて、就労形態の変化や都市部への大規模な人口移動等に伴い、「三世代同居世帯」から「核家族世帯」へとウェイトが移ってきた。また、その中で、「夫婦と子供のみの世帯」が最も大きなシェアを占めることとなり、いわば標準的モデルとなった。しかし、近年では、未婚化・晩婚化・長寿化の進行等に伴って更に世帯規模が縮小し、「夫婦と子供のみの世帯」の割合が減少する一方、「単独世帯」の割合が上昇している。「子供のいない世帯」(夫婦のみ世帯や高齢者を含む単独世帯)の増加も顕著である。
家族世帯類型の多様化が進卑、「夫婦と子供のみの世帯」はもはや標準ではなくなっている。
(「戦後家族モデル」の終焉─ライフコースの多様化と「個人化」の進行)
戦後の日本は、1950年代までに、多産多死社会から少産少死社会への移行という「第一次人口転換」を経験した。これにより家族のあり方が一変した。平均寿命が延びて人生が予測可能なものとなり、婚姻や出産などが適齢期化するなど「標準的なライフコース(人生設計、生き方)」が成立した。この時期は、いわゆる「人口ボーナス」等を背景とする高度経済成長期に当たり、「右肩上がり経済」の下で「雇用者化」が進み、雇用の安定、収入の増加等が確保された。こうした条件の下で、出生率2.0前後、夫が仕事、妻が家事・育児を担うという「戦後家族モデル」が形成された。多くの人にとって、この家族モデルは実現可能な当り前のものとなった。
しかし、1970年代央を境に、高度経済成長が終焉し、出生率の人口置換水準(2.08)以下への低下が始まった。戦後家族モデルを成り立たせていた諸条件が失われ始めたのである。晩婚化・未婚化の進行、離婚の増加、共稼ぎ世帯の増加など、「標準的ライフコース」が相対化し、個人の生き方や家族との関わり方が多様化するようになった。こうした中で、近年、個人の「家族離れ」、家族への帰属意識の希薄化が進みつつあるといえよう(「個人化」の進行)。実際、いくつかの意識調査結果を見ても、家族は依然として団欒や安らぎの場ではあるものの、次第に、家族の繋がりとしては緩やかなものを求める方向にある。
(「リスク」構造の変化─ライフコースの不確実性の高まり)
既に「戦後家族モデル」が過去のものとなり、高度経済成長期であれば想定し得たような「標準的ライフコース」も失われた。ライフコースの多様化は、ライフコースにおける不確実性の高まりでもあり、各個人は、新たな生活上の「リスク」に晒されることになった。従来家族が担っていた育児・介護などの様々なケア機能が維持できなくなるのではないかという懸念もある。
また、長寿化に伴い、婚姻期間や子育て終了後の期間(空の巣期)が長期化してきていることも、家族のあり方や個人の生き方に影響を与えている。
今まさに、戦後家族モデルを前提とした既存の諸制度が揺さぶられ、家族のあり方が改めて問われている。
4 「日本型雇用慣行」のゆらぎと、働き方の多様化
日本人にとって「カイシャ」は、家族と並んで、強い帰属意識(アイデンティティ)の対象となる集団組織の一つであった。しかし、近年、そのカイシャと個人との関係が急速に変容しつつある。これが第四のキー・ファクトである。
(雇用形態の多様化)
いわゆる「日本型雇用慣行」は、「正社員中心の長期継続雇用、年功序列賃金、フリンジベネフィット(企業内福祉)等」を特徴とし、従業員に対して生活給や雇用を長期的に保障する一方で、企業への忠誠心を求める雇用形態である。本質的に「右肩上がり」の成長を前提とし、高度経済成長期に定着化したものであった。
しかし、その後、経済成長が鈍化し高齢化が進む中で、次第に「日本型雇用慣行」の維持が困難とする企業も現れてきている。とりわけ1990年代後半以降、企業を取り巻く経営環境が激変する中、これまでの人材マネジメントを転換し、非正規雇用の活用や成果主義・能力給賃金という考え方を取り入れる動きも出てきている。実際、正規雇用者の割合が大幅に低下する一方で、パート・派遣労働者・業務委託者等の非正規雇用者の割合が急上昇するなど、雇用形態の多様化が進んでいる。
このように、「日本型雇用慣行」という、これまでの企業と従業員(個人)の間の安定的な関係がゆらぎ出している。これに伴って、カイシャに依存した経済社会の諸制度の再点検も必要となろう。
(職業観の多様化─「個人化」の進行と不確実性の高まり)
従業員(個人)の企業に対する意識や職業観も変化しつつある。
カイシャに対する帰属意識が希薄化し、プロスポーツ選手、カリスマ美容師のような専門性(スペシャリテイ)を生かせる仕事を志向する者が増加している。仲間と楽しく働ける仕事を求める者が増え、仕事一辺倒から余暇に比重を置く傾向が強くなってきた。個々人の生きがいが多様化し、カイシャに縛られない様々な働き方が見られるようになった。「カイシャ離れ」、「個人化」の進行である。
こうした中で、「日本型雇用慣行」のゆらぎと相侯って、会社を通じた雇用・生活保障機能が低下するなど、個人にとって生活上の不確実性、「リスク」も高まっている。今後、自らの責任による「選択」が一層求められることにもなろう。
若年者層を中心に、雇用環境の厳しさや職業観の変化等を反映して、いわゆる「フリーター」が急増している(2001年度417万人)。さらには、学卒後における高い早期離職率、失業率の上昇傾向が続いている。今後の経済社会の諸制度のあり方を考えるにあたっては、これに起因する格差拡大と階層化の可能性についても留意が必要である。
5 価値観・ライフスタイルの多様化・多重化
(「画一」から「多様」、「多重」へ)
「実像」の第五のキー・ファクトは、日本人の価値観・ライフスタイルの変化である。
日本人の価値観の構造については、高度経済成長期までは、画一的・集団主義的な傾向が強かったが、1980年代頃から、集団よりも自分を重視する価値観が次第に強まった。さらに近年では、一個人の中において一見矛盾するような様々な価値観が同居する傾向が見られる。これが「価値観の多重化」である。
(キーワード─選択の自由、煩わしさ回避、現在<いま>)
「多重化」している日本人の価値観を構成する要素を見ると、まず、「自分のライフスタイルや個性を重視した選択をしたい」という「選択の自由」志向が高まっている。「自分らしさへのこだわり」とも言い換えられよう。この「選択の自由」志向は、日本人の意識構造の中では、「煩わしさは回避したい」「他者に寄りかかりたい(寄らば大樹)」という傾向と同居している。「周囲を意識し、無難であること」を求める傾向も根強い。「快適性(ゆとり、癒し等)」や「利便性」を求める傾向も見られる。
時間選好意識を見ると、近年では、高度経済成長期に見られた「未来志向(将来に備える)」が後退し、「現在志向(毎日の生活を充実して楽しむ)」へと大きくシフトしている。
また、家族や職場、地域社会における人間関係が希薄化してきている。他方で、インターネット等を媒介に、自分の居場所の再発見として知人・友人、コミュニティ等との間のコミュニケーションが増加し、新たな緩やかなネットワークが広がりつつあるとも言われている。こうした動きを、今後注意深く見守っていく必要があろう。
6 社会や「公」に対する意識
第六のキー・ファクトは、社会との関わり方についての日本人の意識(社会観)に関するものである。
(社会貢献意識と他者への寄りかかり)
日本人の社会意識に関する調査によれば、「何か社会のために役立ちたい」という「社会貢献」に関する意識レベルが比較的高い。しかし、日本人にとって「社会」とは、自分の生活と関わりのある身近で実感できる「場」(ウチ)を指すことが多いように見られる。
実際、様々な組織・制度に対する信頼度調査によれば、医師、教師、警察官といった身近な存在ほど信頼される一方、国や全国レベルの組織といった「人々にとって分かりにくい存在」になればなるほど信頼性は低くなる。また、行動面での社会への関わり方を見ても、対処すべき問題が全国レベルから地域レベルでの「ウチ」の問題となるにつれて、他者に依存する姿勢から、ボランティア活動など自発的に取り組む姿勢へシフトしてくる。
他方、自分との距離感が遠い事柄に対しては、例えば公的サービス等を通じて対処して欲しいという「他者に寄りかかる」傾向が強くなる。こうしたことを反映して、例えば「国」は、多くの日本人にとって、「信頼度の低い存在」であると同時に「寄りかかりたい存在」ともなっており、「国」に対する意識に一種の「ねじれ」が生じている。
(曖昧な「公」意識─広義の「公」の確立)
このような日本人の社会観の背景には、「公(オオヤケ)」や「公共性」という観念が曖昧であることが関係していると思われる。
実際、わが国においては、「公」はしばしば「政府(官)」と同一視され、「経済(民)=私」と併せて、いわゆる「公私二元論」が支配的となってきた。しかし、現実の社会においては、「政府の公」とは異なるもう一つの「公」、すなわち市民活動から企業の社会的責任に至るまでの「民(タミ)の公」というべき領域が存在する。多くの日本人には、このような「公共世界」の広がりのイメージは乏しいように見受けられる。
今日、町内会などの伝統的な地縁集団の機能が弱まる一方、社会の多様化が著しい。こうした中で、様々な社会の問題に柔軟に対応していくためには、広義の「公」の意識に基づいた「公共世界」の構築が欠かせない。今後、「共感と信頼」を基礎とする主体的な社会参加の「場」としての「公共世界」の構築が望まれている。
7 分配面での変化
(分配構造の変化の兆候)
「実像」の第七のキー・ファクトは、「分配構造の変化の兆候」、すなわち、高度経済成長期を通じて進んだ社会の「均質化」や「流動化」の動きが、近年、鈍化してきているのではないかという点である。
わが国の分配構造は、国際比較で見れば、基本的に、高い経済水準の下で相対的に格差の小さい均質的なものとなっている。
こうした中で、所得の不平等度を表す「ジニ係数」の動きをみると、高度経済成長期を通じて低下傾向にあったものが、1980年頃を境に横ばいないし徐々に上昇する傾向が見られる。これは、主として、世代内での所得分配のバラツキが大きい高齢者世帯の増加によるものと考えられる。
また、資産保有の状況を見ると高齢者層ほど保有額が大きくなる中で、高齢者世代内においては、その経済的状況は多様な姿を呈している。
わが国の社会的流動性について、親子間の職業的ステータスの継承性の強さを示す指標である「オッズ比」でみると、高度経済成長期を通じて低下し、社会的流動性が高まっていた。しかし、1980年代以降は横ばいとなっており、次第に社会的流動化のトレンドが鈍化してきているように見られる。
さらに、収入階層別の階層帰属意識をみると、高度経済成長期未には、収入レベルの上下を問わず帰属階層意識が「中の下」で一致していた。いわゆる「一億総中流意識」の醸成である。しかし、近年では、上位の収入階層とその他の収入階層との間で帰属階層意識が二分化するようになっている。「一億総中流意識」がゆらぎ始めたように見受けられる。
(「機会の平等」志向)
現在の日本人の平等に関する意識調査を見ると、年齢、職業、収入等によってバラツキは見られるものの、「機会の平等」を比較的強く志向する傾向が一般に見られる。また、努力が必ずしも評価されるとは限らないという意識はあるものの、基本的には「努力した人が報われること」に対する支持が高い。
また、「結果の平等」に対する意識としては、行き過ぎた「結果の不平等」に対して懐疑的である一方で、行き過ぎた「結果の平等」に対しても否定的に捉える意識を観察することができる。
8 環境負荷の増大、多様化
「実像」の第八のキー・ファクトは、環境負荷に関するものである。
近年、環境負荷が増大し、その多様化が進んでいる。高度経済成長期においては産業型公害が中心であった。その後、グローバルレベルでのオゾン層破壊や酸性雨、地球温暖化が見られ、自動車排気ガス(窒素酸化物等)や廃棄物などの都市生活型の環境負荷も顕在化してきている。
資源・エネルギーの制約という面もあり、大量生産・大量消費・大量廃棄型社会から「循環型社会」への転換が求められている。
環境はもはやタダではなく、社会的費用を要することを認識する必要がある。こうした中で経済と環境の両立が求められる。
9 グローバル化の進行
「実像」の第九のキー・ファクトは、「グローバル化の進行」についてである。
(世界規模でのグローバル化)
冷戦の終結、貿易や資本取引の自由化、情報通信革命(IT化)の進展等を背景に、モノ・カネ・情報・文化等の様々な分野で国際的な動きが活発化し、世界レベルでの相互依存関係が拡大・深化してきている。こうした動きは、東アジアをはじめとする新興経済国・地域や旧社会主義国などにも広がり、政治・経済・社会の諸問題も、急速に「グローバル化」している。
この「グローバル化」については、これにより価値や理念、社会システムの一元化・標準化が進むという見方がある一方、「制度的多様性」と調和し得るという見方もある。また、そのダイナミズムが人々の生活水準の改善に貢献するという見方がある一方、情報ディバイド等の顕在化、貧富の差の拡大、伝統文化の破壊など、新たなリスクや不確実性を惹き起こしているとの見方もある。このように、その評価は区々である。
(わが国における国際的結びつきの深化)
わが国においても様々な局面で、国際的な結びつきが拡大・深化してきている。
貿易面では、原材料を輸入し製品を輸出するという「垂直型」から、製品を輸入し製品を輸出するという「水平型」に転換し、生産工程の国際分業が進んでいる。1980年代半ば以降、対外直接投資も増大してきている。今日、貿易収支のみならず、対外直接投資の果実である所得収支も大幅に黒字化している。海外からの対内直接投資も増加し、2003年には特許等使用料の対外的受払も黒字化した。
このように、わが国は、モノ・資本・ノウハウなど多面的に国際的な相互依存関係を深化・拡大させつつある。とりわけ、東アジア地域との間でその傾向が著しい。
こうした中で、グローバル化に対する日本人の意識を見ると、肯定的な評価と否定的な評価とが混在している。1990年代においては、バブル崩壊後の経済の長期低迷、グローバル化の潮流の中で、それまでの「自信過剰」(「Japan as No.1」)から「過度の自信喪失」に大きく振れるという経験も経てきた。しかしながら、日本の強みは、「製造業のもの造り能力」やアニメなどの「ソフトパワー」にあると言われている。今後、グローバル化を相対的なものとして捉え、世界の中におけるわが国の位置を冷静に見つめることが必要となろう。
10 深刻化する財政状況
第十のキー・ファクトは、財政面での構造変化、すなわち「財政状況の深刻化」である。
(戦後の財政運営)
戦後の財政運営を見ると、高度経済成長期には、いわゆる「均衡財政」がほぼ保たれていた。しかし、いわゆる「福祉元年」(1973年)以降、社会保障関係費が急増する一方で、高度経済成長期のような税収の伸びが見られなくなった。高度経済成長を支えた基礎的諸条件が変容した1970年代央に、財政面でも歳入歳出ギャップの顕在化という構造的変容が始まった。1975年度に特例国債が戦後初めて発行されたのは、その象徴であるといえよう。
その後、財政再建に向けた取組みがなされ、バブル景気による税収増等も相侯って、1990年度には特例公債依存から脱却した。しかし、1990年代以降、バブルが崩壊し、経済が長期低迷する中、財政も一転して急速な悪化への道を辿った。累次にわたる経済対策の実施、大規模な減税や景気低迷を背景とする税収の減少、さらには、予想をはるかに上回る高齢化の進行による社会保障関係費の急増等により、財政赤字は膨張し、公債発行残高も急速に累積した。
(問われる「持続可能性」)
わが国財政は、現在、戦後最悪の状況に陥っている。1990年代に着実に財政健全化を進めた他の主要先進国と比べ最悪の水準にある。また、わが国の国民負担率(対国民所得比)は、35.5%(2004年度)と主要先進国の中で最低水準であり、これに財政赤字を加えた国民負担率は45.1%である。この財政赤字分は、将来世代に負担を先送りし、現世代が自らの負担以上に受益していることを意味するものである。さらに、部門別資金過不足状況を見ると、近年、家計部門の資金余剰が減少する中で、一般政府部門の資金不足が拡大しつつある。もとより、このような財政の姿は、これまでの国民の選択の反映であるが、その現状は惨惰たるものである。
わが国経済社会が大きな構造変化を遂げつつある中、今後の財政の展望は一段と厳しい。高度経済成長期のような税収の自然増は期待し難い。さらに、高齢化に伴い社会保障関係費が経済の伸びを上回って増大し、国民負担率が大幅に上昇するものと見込まれている。
今まさに、経済社会システムを構成する重要な主体のひとつである財政の「持続可能性」が問われている。財政健全化が焦眉の急とされ、現世代の責任とされる所以である。
三 結びにかえて─将来に向けての示唆
1 「10のキー・ファクト」に見られる特徴
10のキー・ファクトを通じて、わが国経済社会の構造変化の「実像」の特徴として、以下のような点が注目される。
(経済社会の「基盤」の変容─「量的拡大」から「貿の充実」へ)
第一の特徴は、わが国経済社会の「基盤」の変容とも言うべき構造変化である。
今後の日本は、「人口減少」、「超高齢化」が進み、「壮年中心の若い社会」から「成熟した長寿社会」となる。また、高度経済成長を支えた基礎的条件(高貯蓄率、人口ボーナス、労働力人口増加等)は既に消滅した。グローバル化が加速し、環境負荷も高まりつつある。財政は、その持続可能性が問われている。
このような経済社会の「基盤」の変容により、もはや高度経済成長期のような大幅な「量的拡大」を期待することができなくなった。「質の充実」を軸とする経済社会への転換が求められている。
(「標準」から「多様」へ)
第二の特徴は、家族・就労等様々な局面において、高度経済成長期に形成され定着した「標準的なるもの」が消失し、「多様化」が進みつつあるということである。
もはや画一的な「標準モデル」によることは現実的ではない。今後の経済社会を展望する際には、「多様性」をどのように捉え、これにどのように対応していくのか、さらにはこれをどのように活かしていくのかが問われることになる。
2 税制などの制度設計に当たっての視点
今後、税制などの経済社会の諸制度のあり方を検討するに当たって、これらの構造変化の「実像」から、どのような示唆を得ることができるのであろうか。今後の国民の議論に資することを期待しつつ、いくつかの視点を提示したい。
(社会の新しいダイナミズム─「活力」、「豊かさ」)
まず第一に、従来のような「量的拡大」が期待できず、今世紀中人口減少が続き、超高齢化が進む。その中で、多様化しつつある社会のダイナミズムを発揮させることが求められる。このような認識の下、「社会の活力」と「真の意味での豊かさ」の意味をいま改めて聞い直し、これを追求していくことが重要となる。その際、「環境」にも配慮しつつ、「持続可能」な質の高い経済社会を創り上げていくという視点が不可欠である。
(「選択の自由」と「責任」─「複線型」のライフコース、多様な価値観・多様な生き方)
第二に、「個人化」が進行し、生活上のリスクや不確実性が高まる中で、人々は、「複線型」の人生設計(多様なライフコース)を想定し、これまで以上に自分なりのライフスタイルやライフコースを自らの意欲と責任で選び取っていくことが必要となろう。今後の制度設計においては、個人による自由で多様な選択をなるべく阻害しないとの観点から、これまで以上に柔軟な発想が求められる。例えば、就労面では、女性や高齢者をも含む多様な人材の多様な働き方を可能とするという視点がより重要となろう。
(「機会の平等」志向)
第三に、経済のパイの継続的な拡大が期待できず、社会の多様化が進む中で、分配についての人々の考え方が変化していく可能性がある。
実際、今日、日本人の意識において、「機会の平等」を比較的強く志向する傾向が一般に見られる。人的資本の充実による潜在能力の涵養や適切なセーフティネットの確保が今後重要となろう。
また、現役世代及び高齢者世代を通じ、世代内の公平だけでなく世代間の公平にも留意する必要がある。
(グローバル化を活かす)
第四に、人口減少、家計貯蓄率の低下等わが国経済社会の構造変化が著しく進む中、グローバル化の動きをどのように活かすかが重要な鍵となる。その際、特にアジアとの相互依存関係を踏まえ、海外の人材や資本の活用などを含む戦略的な対応が不可欠となろう。
また、ソフトパワーに見られる日本の強み、良い意味での「日本らしさ」を伸ばしていくとともに、自他ともに「多様性」を尊重していくことが重要となる。このことは、社会のダイナミズムにつながり得る。
(「社会」及び公的部門の将来像─広義の「公」の確立、「参加と選択」)
最後に、今後、どのような「社会像」を目指すかについて考えていくことが課題となる。
「右肩上がり経済」の終焉や厳しい財政状況、家族・カイシャ・地域社会が果たす機能の低下といった経済社会の構造変化を踏まえ、今後の社会のあり方として、個人、家族・カイシャ・地域社会、公的部門(政府)等の間でどのような役割及び費用の分担を目指すかが重要な論点となる。
この場合、従来のような「公私二元論」にとどまることなく、国民一人一人が社会への参加意識を高め、広義の「公」意識に基づく「公共世界」を構築していくことが求められる。
国民が公的部門にどのような役割を求めるかによって、必要となる国民負担の水準も自ずと変わってくる。この場合、受益と負担の均衡という視点が何よりも重要である。これまでの受益と負担のギャップが財政赤字を著しく累増させてきた。家計貯蓄率が低下する中、こうした巨額の財政赤字が金融市場を経由して日本経済に及ぼす影響も懸念される。さらに、経済社会の構造変化が進む中、財政の将来展望は厳しく、その持続可能性が問われている。国民負担率が過重にならないようにその上昇を極力抑制していくことも求められている。
こうした状況を踏まえ、今後、税や保険料の水準のあり方、「公平・中立・簡素」といった租税原則や税制・税体系のあり方について、改めて幅広く議論を行い、国民に参加と選択を求めていくべきである。
3 今後に向けて
これまで見てきたように、わが国経済社会の構造変化は著しい。我々は、これをいたずらに不安視するのではなく、新しい経済社会の胎動と積極的に位置付けるべきである。こうした認識の下、上記の「制度設計にあたっての視点」を踏まえつつ、経済社会の諸制度を再検討し、そのあり方について幅広く議論が行われる必要がある。
就中、税制については、「量から質へ」、「標準から多様へ」という経済社会の構造変化等を踏まえ、どのような形で国民一人一人が社会共通の費用を分担していくべきかを考えなければならない。その際、個人のライフコース(生き方、働き方等)の多様化が進む中、所得・消費・資産等多様な課税ベースに適切な税負担を求めていくことが課題となる。
税制調査会においては、このような問題意識に立って、今般の取組みを通じて得られた「実像」を一つの拠り所としながら、引き続き「あるべき税制」の具体化に向けた検討を深めていくこととしたい。今後、各方面においても税制改革論議が更に深められることを期待したい。
〇委員
長文の朗読、ありがとうございました。予定したより5、6分早かったです。非常にエフィシェントに時間を使っていただきました。ありがとうございました。
それでは、これから皆さんのご議論をいただいて修文に入りたいと思いますが、実は前回骨子案で様々なご意見をいただきまして、それを事務局と相談しつつこういう文章にまとめたわけであります。
そこで、ご意見をいただいたのですが、必ずしもそのままで入っていないというところもございます。とりわけ、ある委員からお話をいただきました「実像」につきましては、ここでも大分議論したのですが、結論から申し上げますと、そのまま「実像」という言葉を引き続き使っているということになっております。いろいろ議論はあったのですが、大勢の方がこれでいいではないかというご議論もあったし、それから、「実像」といっても、すべてがそれで一義的に定義できるわけはなくて、「垣間見る」といったような表現が1ページ目の28行目にもございますように、「実像」を垣間見るというような視点から取り組んでいるということをうたっていれば、委員のご心配になったような、一義的な、決め打ち的な「実像」像ということについてとは、距離ができるのではないかと考えたわけであります。
それでは、3部作になっているのですが、基本的視点までが大体イントロダクションでありまして、ここはそんなに議論がないかと思いますが、とりあえずここから始めます。ファクト・ファインディングスの2のところと、それを受けてある種のポリシー・インプリケーションといいますか、どういう形でこれを生かそうかというところと、大きくいうと2つ分かれています。そこで、まず15ページ目までのファクトのところで、いろいろご議論があろうと思いますので、そこでお気づきの点がありましたら、具体的にご示唆いただきたいと考えております。
ご発言いただく時は、左側に行まで打ってありますから、何ページ目の何行目というふうにご指示をいただきまして、そこで具体的にこうだ、こうだというふうにご提示いただけたら、話がスムーズにいくかと考えております。
それでは、最初の15ページまで全部込み込みでいきましょう。最初の「はじめに」ということと、基本的な視点と、10のキー・ファクト、これにつきまして、どこからでも結構でございますから、ご意見を賜りたいと思います。
〇委員
頭のほうで、2ページ目の1行目です。「失われた10年」というところがありますけれども、この間のデータを見ていきますと、出生率の低下にしろ、それから、フリーターが急に400万人になったり、むしろこの5年ぐらいの変化が大きいですね。「失われた10年」というのは、ちょうどバブルから2000年ぐらいまでの間が失われた10年で、今2004年で、もう2005年になるかもしれないのですが、この5年の変化のほうが大きいような気がしまして、「失われた10年プラス何とか」とつけたいぐらいですね。「失われた10年」というのは、もう過去の話にもなってきまして……。
〇委員
わかりました。
〇委員
10ページ目のタイトルで6番、「社会や『公』に対する意識」というのと、次の11ページの「分配面での変化」ですが、ほかは全部変化の中身が書いてあるのに、ここにはタイトルがただ「意識」と書いてあるのと、「変化」と書いてあるだけで、例えば7番の「分配面での変化」というのも、均質化が鈍化していると、そういうふうに書いたほうがわかるのではないか。そういう意味では、せっかくの10キー・ファクトがあるのですから、最初に全部が並んでいると、そこが精査できるかなと。
〇委員
具体的にどこのことをどう直したらいいかというご提案があれば、お聞きしておいたほうがいいと思うのですが。
〇委員
10ページ目の6番のタイトルです。「社会や『公』に対する意識」としか書いていなくて、意識がどう変わったのかというのがない。そういうことです。
〇委員
変化なら「変化」と入れるということですね。
〇委員
そうです。
〇委員
わかりました。
〇委員
次の11ページの7も同様にということです。
〇委員
これは「分配面の変化」と入っていますが……
〇委員
これは分配の均質化が鈍化という、そういうことだと思います。
〇委員
そういう意味ですね。変化といっても、どういうふうに変化するかわかりませんからね。わかりました。ありがとうございます。
ほかにございますか。どうぞ。
〇委員
14ページの11行目、「1975年度に特例国債が戦後初めて発行された」とありますが、実は65年度にも歳入補填債という名称で赤字国債が発行されていると思うのです。たしか額は非常に小さくて、75年度の時が非常に大きいので、これが重要な要素になっているのは間違いないのですが。
〇委員
細かい点まで入っていきますか。細かいところまで入れたほうがいいか、まさに骨太でいくか、ちょっとこの辺検討させていただきます。
ほかにどうでしょうか。どうぞ。
〇委員
10ページから11ページにかけてですけれども、「多くの日本人には、このような『公共世界』の広がりのイメージは乏しいように見受けられる」と、こう断じているのですが、ここ20年ほどの間のボランティア活動に対する取り組みや関心はものすごく高いのです。ですから、意識が実像の前の実像を書かれているような感覚がするのですけれども、いかがかと思います。これはちょっと訂正しないといけないのではないかと思います。
〇委員
これは11ページの5に注がついておりますように、一応、公私の間で、公と私の真ん中に落っこちるようなところで、かなりいろいろなことが起こっているということは実証しているわけですね。そこで、それを受けて、いろいろなアンケートや何かの結果を踏まえてこれを書いているのですけど。
〇委員
ですから、私は、修文しろというなら、「多くの日本人には、このような『公共世界』の広がりのイメージは乏しいように見受けられる」というのを取ってしまったらいいのではないかと思います。
〇委員
事務局、ここの92ページの注を生かして、どういう連携になっているかな。
〇事務局
この社会意識と「公」のところにつきましては、テーマ別の概要のところにデータ等をつけてございますので、基本的にはそのデータによっておりますけれども、あとはスピーカーの先生方のご指摘などをまとめたものでございますけれども、若干、「多くの日本人」云々というところが引っかかりがございましたら、そこは若干文章上の調整をさせていただきたいと思います。
〇委員
おっしゃるとおり、ボランティアが例の神戸など、いろいろなことで非常に進んだという意味からいえば、おっしゃるとおり、若干バイアスがあった表現かもしれません。ちょっと検討させていただきましょう。
〇委員
ちょっとよろしいですか。今おっしゃったデータというのは、どのデータのことをおっしゃっているのですか。
〇事務局
申し上げますと、まず6のところ、2つパーツがございますが、まず上のパーツ、「社会意識……寄りかかり」というところにつきましては……
〇委員
「公共世界」のところです。
〇事務局
「公共世界」のところにつきましては、プレゼンテーションいただきました……。
〇委員
今、あなた、「データに基づいて」と言われた。
〇委員
すみません。失礼しました。そこは、プレゼンテーションと、それからデータを合わせて、6のところを書かせていただいたと申し上げて、失礼いたしました。
〇委員
私この時出席していますけれども、プレゼンテーションでこういう話はなかったように思います。その後の質疑の中で、かなりこれに近いようなことは出ましたけれども、哲学者にこういう質問を出したわけで、「木によって魚を求る」というか、そういったことに基づいてこういうのが書かれているというのは、ちょっと私、もう少し説明していただきたいのですけれども。
〇事務局
まさに、今、先生からご指摘がございましたように、プレゼンテーション、プラス質疑のいわば大要を捉えて、一応ここを記述させていただいておりますけれども、それについてご異議がございましたら、修文というのは当然ご審議の過程でさせていただきます。
〇委員
今、先ほどの委員は、「多くの日本人」のところは削ったほうがいいとおっしゃったわけです。委員もそんな感じですか。削ったほうがいいというご意見ですか。具体的な修文があれば……。
〇委員
小委員長も事務方も、「データに基づいて」という発言があったわけですよね。
〇委員
データというのは、別に図表とか数字とかでなくてもいいでしょう。その時いろいろなご議論があった、いろいろな発言や何かでやったわけだから。
〇委員
ですけど、「実像」という以上は、やはり責任があるわけでありまして……。
〇委員
また実像の話ですか。
〇委員
その話は、所詮論議してもあれですから、この話は、あえて議論をした上ですから、私繰り返しませんので、小委員長に一任したいと思いますけれども、ただ、ちょっと感想とお願いを述べさせていただきたいのです。
〇委員
どうぞ。
〇委員
お願いというのは、今のようなところで非常に気になるのは、「実像」と言い切ってしまうと、これはほとんどが解釈なわけですから、その他の解釈についてのフリースピーチについては、十分に担保していただけるようなことを書いていただきたい。
私、ほとんど全部出席しましたので、これが非常に誠実にでき上がっているということは、自信を持って第三者に言えるのですが、中には国に対する信頼が低下してきているという構造変化もありますので、「実像」という以上、これが「実像」ということにするのであれば、それは今後のフリースピーチは保証していただきたいというのがお願いです。
〇委員
それは当然そうですよ。フリースピーチ結構ですよ。当然ですよ。
〇委員
感想の2つ目は、私は、推計値とか実測値とかいろいろありましたけれども、ほとんどが解釈になっていて、実像でないから、「実像」という言葉は使わないでおこうという提案を申し上げて、それに対して、だから括弧をつけているとか、インパクトがあるのだとか、あるいはデータに基づいているから、「実像」と言っても構わないという意見は多々あったわけですけれども、誰一人実像であるから実像というご意見はなかったように思います。これが私の感想です。
〇委員
前回その件につきまして、大分時間を割いてやりましたから、またご意見があるかもしれませんが、その点は今日はご意見を承りまして、これ以上繰り返さないことにさせていただきます。
〇委員
11ページの20行目ですけれども、私、ジニ係数の長期的な低下傾向があったのが、横ばいないし徐々に上昇する傾向が見られると。これは事実そうだと思うのですが、「主として、世代内での所得分配のバラツキが大きい高齢者世帯の増加によるものと考えられる」という結論づけが、かなりの精度でもって言えるのかどうか。ここのところは私は論議に参加させていただいていませんので、ご質問でございます。
〇事務局
この点につきましては、「概要」という分厚い資料の、例えば45ページ、及びそのあとに続きます大竹教授のプレゼンテーションなどを踏まえまして、この部分を書かせていただいておりますが、「主として」ということで、そこも注意深く記述をさせていただいているということで、基本的にはファクトを踏まえたものということで記述しております。
〇委員
だから、今の委員の質問に対して、どこの表のどこでどうなったというのをご説明いただくといいのではないですか。つまり、上がっているのはお認めになっているわけだから、高齢世帯のバラツキが他のより多いということと、高齢者の世帯が増えたというのは明らかだから、これは年代別に何かありましたか、ジニ係数のあれは。
〇事務局
もう少し説明いたしますと、「各分野テーマの概要」というものの45ページをお開きいただきますと、ジニ係数が上下に書いてございまして、ジニ係数の動きは、1980年代半ばあたりで変化をしているというのが上のグラフでございますが、その下の「収入のジニ係数の推移」ということで、各年齢別のジニ係数の高さ、それから、その下にはそれぞれの世帯の数の分布、その変化をあわせてお示しすることによりまして、主としてその要因によるものではないかというご説明を申し上げました。というのが1つでございます。
それから、大竹教授のほうのプレゼンテーションというものも、同じセッションでございまして、同様の指摘もございましたという事実を踏まえたものでございます。
〇委員
今の委員のお話に関係するのですけれども、ジニ係数を使うのは、今のようなご指摘が出てくるのは当然でして、我々専門家は、エントロピー指数とかタイル指数とか、それぞれの属性による分類をした上で、どこが効いてこういう結論になったかというのをもうやるわけで、ちょっと正確な表現ぶりではないような感じがしますので、これは今後は工夫する必要性があるのではないでしょうか。
〇委員
あるかもしれません。ただ、総務省や何かのエコノミスト的なペーパーでもないから、税調は大体ファクトがある方向がわかっていればというぐらいの――これまでですよ、これからは今の委員みたいな意見があるとは思いますけれども。
〇委員
しかし、これは大きな変化をやろうとしているわけですから、従来のツールで限界があれば、率直に認めて、これを指数化をちゃんとできるような準備をしていかなければいけない。
〇委員
まだジニ係数ぐらいのレベルで大きな変化が捉えられると思っていたものですから使ったということで、それに対していろいろご意見があれば、また改めるにしくはなしですが。
〇委員
分配構造の変化という場合に、これを不平等化したと見るかどうかという問題だと思うのです。つまり、高齢者世代の中で、いわゆる分配が不平等化しているのだったら不平等化と。ところが、当然、不平等な世代のウエイトが高くなっているからジニ係数が大きくなっているというのを、不平等化していると考えていいかどうか。もちろん、文章は不平等化しているとは書いておられないので、ジニ係数が大きくなっているという事実ですから。ただ、こことどう捉えるかということが、今後税制にとっては非常に重要だろうという気がいたします。
もう1点は、先ほどの「公」の考え方なのですが、これはここ10年の話ではなくて、むしろ以前からずっと、いわゆる個人で解決できない問題は、すべて国であるとか、あるいは自治体だというような形で、社会化したものがイコール行政化だといったような考え方が、これはずいぶん以前からあって、そういう中で、いわゆるボランティアだとか、NPOだとか、そういうものが増えてきているのだけれども、依然としてまだやはり行政への依存というのは高い。そういう認識があるのだろうと思うのです。
ですから、個人の考えが多様化しているとか、あるいは個人化しているといった場合に、例えば自己責任の考え方とか、こういうようなものが果たしてどの程度日本の中に成長してきているのか。つまり、「公」から「民」へという場合に、あるいは「公」から「個人」へという話があって、その中で、いわゆる行政ではない、もっと広義の「公」があるのだと。広義の「公」として受け皿を作っていくべきなのだという考え方もありますけれども、一方で個人の多様化あるいは個人化という時に、純粋に「民」でやりましょうという考え方も何かあるのではないかという気がするわけです。ですから、そのあたりがどのように書き込まれているか。私はそういう問題が出てきているから、もっと「公」を広義に捉えましょうということでは、ちょっと十分ではないのではないかという感じがいたします。
〇委員
具体的な場所と、修文があったらご指示いただけますか。今や修文の時代になっておりまして。
〇委員
それが多分10ページから11ページだと思うのです。ただ、今さらという話がありますけれども、要するに、多様化とか個人化というところの受け皿をどこかに書き込まなければいけない。受け皿が「公」の広義化だけになってしまっているのではないかという感じがするわけです。つまり、要するに自己責任でもっとやらなければいけない。それはあとのほうですけれども、「セーフティネットの適正化」というところがあります。その前の「適正化」というのは一体何なのだろうと。本当の意味のセーフティネットにするということなのか、今のようにほとんどの人が適用されるようなものが果たしてセーフティネットと言えるのかとか、いわゆる個人の選択の多様化とか選択肢の多様化とか個人化というところと、セーフティネットはかかわってくるのではないか。非常に広いところで申しわけありませんけれども、受け皿がどこかに何か一言書き込む必要があるのかなという感じがします。
〇委員
委員のご意見だと、それがセーフティネットだという意味合いでおっしゃっているわけでしょう。
〇委員
最終的にはセーフティネットにつながっていくのだと思うのです。
〇委員
だから、その辺のロジックをどこかでということでしょうね。
〇事務局
分配のところでございますけれども、本文の11ページの7の分配のところで、タイトルは「分配面での変化」と実は注意深く書いたつもりでございます。ここはまさにいろいろなファクトがあって、動いているということを記述したいというのが基本でございまして、少なくとも今までみたいな均一なものではなくなりつつあるということを記述したいのがメインでございます。ただし、それについてどういうふうな解釈をするか、どう見るかというのは、恐らくもう少し学術的にも含めていろいろとご検討いただく必要もありましょうけれども、この時点で、今回限られた検討の中でぎりぎり書ける範囲ということで、「分配面での変化」でありますとか、それぞれについて、変化してきているのではないかとか、やや煮え切らない言葉なのですが、その辺まで工夫をさせていただいているつもりでございまして、あまり決めつけないという思想で書いておるというのが基本でございます。
それから、ジニ係数のところは、まさにご指摘のとおりで、我々はもう少し勉強しなければなりませんけれども、今回お出しをいたしました数字との関係で、しかも、巷間よく取り上げられる数字ということでございますので、ここは挙げましたけれども、このあたり、「主として」という書き方でいいかどうか、その辺のことは修文等でなるべく考えてみたいと思います。
〇委員
今の点に関連して、資料の45ページの下の図を見ますと、若年層のジニ係数の低下と高齢者層のジニ係数の上昇というのが両方見られているわけですね。若年層にも触れておいたほうがいいのではないかと思います。といいますのは、高齢者だけを取り上げると、高齢者が問題なのだとフォーカスしているような印象を与えかねないのではないでしょうか、という意味でございます。
〇委員
現実的には難しくて、確かにジニ係数を割り出しているけれども、中身の分析にまでは、こういう細かいことはやっていないんです。おっしゃるとおり、もう少し世代のバラツキにまで気を配った形の書き方ができれば、ご指示のとおり、ちょっと考えてみたいと思います。
〇委員
14ページの27行目の後段、「もとより、このような財政の姿は、これまでの国民の選択の反映であるが、その現状は惨憺たるものである」。選挙で選ばれた方がお決めになるのでしょうからあれですけれども、何か居直り発言みたいな、一々ここまで書く必要はないのではないのかなと。
〇委員
もう少し中身をおっしゃってください。どういう意味ですか。
〇委員
「これまでの国民の選択の反映であるが」ですから、この文章では、国民が選択したからそうなったでしょうという意味に捉えますね。
〇委員
そうですよ。当然、それを書けというご意見があったから書いたんです。
つまり、政治家が悪いとか、あるいは大蔵省が悪いとかというだけで財政赤字が出てきたのではなくて、相変わらず新幹線が欲しいとか、何とかが欲しいとか等々いろいろある。道路が欲しいとかということが実は日本人の国民の中にあるから、結局、歳出が切れなくて赤字になったと。それで増税も嫌いだということでこうなったという趣旨のことがあって、トータルで見ての国民の責任ではないかと。選択という意味での責任だろうという意見も強くて、そういうことで我々合意に達して書いたわけですけれども。
〇委員
いろいろな見方はあるのでしょうけど、ちょっと……。
〇委員
もっと具体的に何かご提案があればお聞きしておきますが、よろしいですか。では、またあとであったら教えてください。
どうぞ。
〇委員
今のところに関連してですけど、私も「深刻化する財政状況」のところで気になりましたのが、確かに歳出抑制にもかなり努力しているのはわかっておりますけれども、官による無駄づかいといいますか、それに少し触れなくていいのだろうか。かなり批判されておりますので。
〇委員
わかりました。おっしゃるとおりです。
〇委員
それ以外の細かなことを言ってもよろしいでしょうか。
〇委員
どうぞ。
〇委員
前回もちょっと言ったかもしれませんけれども、女性に対する配慮、あるいは高齢者も含めて、昔、「女、子ども」という言い方をされておりましたけれども、そういう考え方がちょっと読めてしまうのではないかというところが1、2か所あります。
1つは、6ページの13行目、「更には、労働力率の低い女性や高齢者、外国人」となっておりますけれども、女性、高齢者、あるいは外国人ももちろんですけれども、労働力率が低いと言ってしまっていいだろうかということが、非常に女性の立場では気になるところです。
それと同じような表現ぶりですれども、17ページの18行目です。ここでも「女性や高齢者を含む多様な人材」という書きぶりになっておりますけれども、女性、高齢者という丸め方をして、いかがなものだろうかと思います。
〇委員
具体的にどういう文句がよろしいですか。
〇委員
ちょっと対案を今あれしてないのですけれども、ここで例示するような形で「女性・高齢者・外国人」という書き方をしないで、「労働力率の低い層の活用」とか……。女性の団体に属している立場からいいますと、非常にあとで文句になります。
〇委員
わかりました。女性が労働力率が低いのは事実だと思うのです。それは統計で出てきますからね。ただ、おっしゃるとおり、書き方として、ニュアンスの伝え方で、もうひと工夫あるのではないかというご趣旨のところ、ちょっと考えてみましょう。
ほかにいかがでしょう。
〇委員
16ページ以降の「税制などの制度設計に当たっての視点」というので、いろいろ視点が書いてあって……。
〇委員
まだここまでいっていないので、ちょっと待っててください。
〇委員
これは、先ほどの委員の話を蒸し返すことになるのかどうか、私、参加していなくて申しわけなかったのですけれども、10ページの「公」の部分で、一番最後の、「多くの日本人には、このような『公共世界』の広がりのイメージは乏しいように見受けられる」というのは、時代認識としていかがでしょうか。
〇委員
これは、他の委員が今、削除をおっしゃっておられまして。
〇委員
やはりここは、捉えようによって、ミーイズムとか個人主義になっていって、公のことを国民が考えなくなってきたよという一方の流れの中で、国家とかそういうものを考えようという論脈があるということは、私も十分承知はしておるのです。ただ、やはりこの問題はプルーラリズム、「公の二元論」というのがやはりあるわけで、そこで非常にこの10年間きちんと活動し根づいてきている部分もあるわけで、そういう点でいうと、公で租税負担を低くする、あるいは払おうとしないよという部分のところへ結びつけられる危険性、あるいは政府の都合のよい論脈の中で解釈される危険性というのはあるわけで、やはりそれは正当にバランスをとっていくことが、私は必要ではないかという感じはいたします。
〇委員
わかりました。
〇事務局
今のご指摘、もっともでございまして、考慮する必要があると思います。ただ、事実認識として、別に全くボランティアとかそういうものがないと申し上げているつもりはなくて、むしろ、例えば同じページの上のパラグラフの中の、「ボランティア活動」と例えば言葉が書いてございますけれども、そういうあたりも入れて、認識としては十分持っておるのですが、ただ、ここの表現が筆が走りすぎているというようなことであれば、この辺はまた相談をいたしまして、修文いたしたいと思います。
〇委員
民の中にもいろいろな民がいますから、ある委員みたいに一生懸命やっている人もいるし、そういう流れでいうと、どっちかというと、しかし「家族(私)」から「公」の部分のところに関心を持って、積極的に社会に参加しようという人が傾向として増えているということは、これは事実なのだろうと思うので、そこはちょっと配慮してほしいということです。
〇委員
それは削除も含めてまた修文して、具体的にお諮りしましょう。
ほかにいかがでしょう。
〇委員
6ページの先ほどの委員のご指摘のところ、14行目ですが、修文で工夫されるとおっしゃいましたので、それで結構ですが、外国人の就労と、女性と高齢者の就労とを一括りにしているのは、いかがかなと思うのです。これは大議論のあるところで、つまり、女性や高齢者の就労をさらに促進していくことについては、異議がないのだと思うのですが、外国人の就労をどう取り扱うかということを考えました時に、「その鍵となる」とまでここで決めつけられるのはいかがかなと、私はそのように思いますので、ここは若干丁寧に書いていただくなら書いていただいたほうがよろしいのではないでしょうか。
〇委員
わかりました。三者同列でなくて、つまり外国人労働者の適用がこれから大問題になる時に、当然、女性・高齢者が入ってもらうことと同列では困るだろうということで、わかります。
それでは、ぼつぼつ「三」のほうまでいっても結構ですから、全体でお気づきの点のところを出していただきましょうか。
〇委員
7ページのところですが、確かにこういう個人化の進行は起こっていると思いますが、一方でフリーターとか、ニート(NEET:Not in Education,Employment,or Training)とか、ニートというのは要するに引きこもり現象ですね。これはその背景には、家族がそれをバッファとして、社会的な環境の中でいわば一つのガードになっている部分があるわけで、そういう意味で、ディペンデンシー、家族に対する依存度がかなり強くなっている部分もあるのです。それは経済のストック化とか、あるいは所得水準が非常に高くなって、抱える能力を家計部門が持っているという状況があるわけです。
そこら辺のところは、フリーターの部分のところが、8ページの最後のところに、「職業観の反映」とだけ書いておられるのですけれども、要するに、経済の厚みある形で、職業が、昔はすぐに稼ぎに出なければいけなかったのが、職業のトレーニングとかという形で、出たり入ったりする。例えばドイツのようなケースとかですね。そういう機能というものを社会の中でどういうぐあいに入れ込んでいくかということは、恐らく家族間の問題、労働市場の問題等、全部絡んでくるので、幾分そこら辺のところの関係を整理する必要があるのではないかという気はいたしますけれども。
〇委員
「個人化」という括弧つきの概念規定のところで、少し曖昧だよというご示唆ですか。
〇委員
家族化と同時に多様な家族がいて、個人化の流れはもちろんあるのだけれども、家族の中に様々な要素を抱え込んでいる部分もあるわけです。
〇委員
それはあるでしょうけど、ここで言っているのは、標準家族モデルが壊れて、個々のほうにだんだん分解されていったところを強調して書いていますから。
〇委員
ある委員が先ほどおっしゃった最近の問題、ニートというのは、学校にも社会にもアタッチメントの中で幾分問題があって、新しい社会問題としてそういう問題が出てきているわけですね。それは時代状況の一つの大きな変化で、フリーターはもちろん、400万でしたか、そのぐらいあると思いますし、結構大きな要素なわけで、勤労意欲あるいはマーケット、生活設計をどうするかというような問題は、一つの問題意識としてどこかで触れておいていただければという感じがいたします。
ニートというのは、ある学者が言っている概念ですけれども、そこら辺を、若者の労働観あるいは多様化というような部分のところでもよろしいですけれども、何かその辺の時代の雰囲気をちょっと書いていただければありがたいという気がいたしますが。
〇委員
はい、ではちょっと検討してみましょう。
どうぞ。
〇委員
16ページの「結びにかえて」以降の2の「税制などの制度設計に当たっての視点」で、その最後ですけれども、いろいろ視点が書いてあって、18ページの16行目で、国民が公的部門にどのような役割を求めるかによって、必要となる社会負担の水準も自ずと変わってくる。この場合、どのような役割を求めるにせよ、受益と負担の均衡という視点が何よりも重要だと。これが均衡していないと、財政負担がかさみますということを言った上で、その最後ですけれども、「こうした状況を踏まえ、今後、税や社会保険料の水準のあり方、『公平・中立・簡素』……」ですけれども、これは続き方としては、こうした状況を踏まえ、今後、まず何をしなればいけないかというと、国民が公的部門にどのような役割を求めるかということですから、こうした状況を踏まえ、今後、公的部門のまず守備範囲がどこまでなのか、そして、その次に守備範囲やそれを支える税と、社会保険料だと思うのですけれども、社会保険料の関係と水準のあり方について、改めて幅広く議論を行い……云々と。
それで、ここで急に「公平・中立・簡素」といった租税原則や税体系のあり方というのが、特にこれを改めるという議論をしたわけでもないし、ここで言うべきことは、どのような公的部門の役割を求めるにせよ、受益と負担が重要だということを受けるならば、じゃあ、公的部門の守備範囲はどこまでなのだと。その守備範囲に対して、税や社会保険料の関係とその負担のあり方はどうなのだと、それを議論すべきだというふうにつながるのではないかと思いますけれども。
〇委員
わかりました。守備範囲のところ、政府の規模の問題等々が抜けていますね。それから、税か社会保障か、選択ということは具体的に書いていないけど、「あり方」あたりでその意味を入れたのですが、まあそれはそれでこれから検討しましょう。わかりました。ありがとうございます。
〇委員
今のところですけれども、全体を通してきちんと読んだわけではなくて、今日読んだのを聞いただけなので、誤解しているかもしれませんけれども、先ほどから、高齢者に対していろいろと気をつけて書いてくれというご意見があって、それは私はもちろん賛成なのですが、他方では、ここで議論しようとしているのは、今のところは特にそうですけれども、制度のあり方について、受益と負担についてきちんと議論をしましょう、改革をこれからきちんと真摯に議論していかなければいけません、ということを書いているわけです。
制度の、受益もそうですが、特に負担を担う人たちは、実はまだ20歳にさえなっていない。あるいはまだ生まれてさえいない人たちがかなりたくさんいるわけですね。そういう将来世代の人たちの負担も考えつつ、税制の設計、制度の設計ということをきちんと考えていくことが必要なのだということも、高齢者のことを書くと同時に、逆のことも、これからの世代ということも、もう少し強調していただけないかなと思います。
〇委員
おっしゃるとおりですね。18ページあたりが一応ここの締めのところでありますから、もう少しいろいろな意味でご意見をお出しいただいて、もうちょっとうまいぐあいにはめ込むという作業は、今、皆さんのご意見を聞いてそう思っています。それはぜひ実行したいので、いろいろご意見いただきたいと思います。
〇委員
やはり18ページの13行目あたりですけれども、「公私二元論」と広義の「公」という話が今出ていますけれども、この全体のトーンの中で、ずいぶん「多様化」とか、「非標準化」とか、「個人化」とかというような話が出ている中で、「公」のことだけを捉えるのでいいのかなという気がちょっとするのです。
例えば、多様化とか非標準化が進む中での新しい「私」とか「公」としての責任、自己責任というとちょっと語弊があるのですけれども、それをどう位置づけしていくのかというような、つまり「公私二元論」とか広義の「公」だけではなくて、その前半でものすごく多様化と非標準化のことを述べているから、その中で「私」というのは除いてしまってもいいものなのだろうかという、ちょっと私の疑問です。
〇委員
わかりました。そういう問題意識で流れているのですけど、確かにちょっとつなぎが悪いですね。新しい個人化であると言いつつも、受け皿のところが、さっきたしか他の委員も言われましたね、この受け皿のところがひと工夫必要かもしれませんね。新しい「私」の責任みたいなものがきっとあるでしょうね。
〇委員
「多様化」とか「多様性」とかとたくさん出すぎているから、整理したほうがいいかもしれませんね。多様に決まっているのだけど、「多様性」という一言で括ってしまって、もちろん、我々が適当な言葉を探さなければいけないのだけれども、20個ぐらい出てきますよね。
〇委員
作家の目から見ると、やたらと同一の字が躍り続けているという感じね。
〇委員
本当は詰めがないと多くなってしまうんです。多分、それが一番便利な言葉だから使っているのだと思うのですけど、的確な言葉があれば減ると思うのです。
〇委員
なかなかうまいぐあいに表現できないのですけれども、これは、これからの新しい多様性を前提にして構築しようということを考えようとすると、行政を中心とする「公」の役割と、それから、ボランティアを中心としたような私的部門の「公」の役割ですね。その私的部門の「公」の役割をエンカレッジするような、そういう仕掛けをあわせて考えていかなければいけないのではないかという点が、書かれていないのではないかと思うのです。「公」だけの租税負担率とか国民負担率を議論するだけではだめなのだと。もっと幅広い担い手が活躍できるような社会構造に合わせていかなければいけないのだという発想をしていくべきなのだということを、課題として挙げていただく必要があるのではないかと思います。
〇委員
わかりました。おっしゃるとおりです。
NPOとかNGOなんていう言葉を使わなくても、もっと抽象的でもいいから、その辺のあれですね。
〇委員
そうですね。NGO、NPOと言ってしまうと、また範囲を狭めてしまいますね。
〇委員
なるほど、わかりました。
〇委員
これはまた、今の委員の話にかかわるのですけれども、官が提供する「公」でも、個人によって「公」の意味が違うという問題が、ここではちょっと欠落していると思うのです。今、他の委員が言った問題にも関連するわけですけれども、例えば政府のサイズ、公共財としてどれだけ最適なのかという時に、これは基本論で、受益と負担の分布が全部違ってくるわけで、平均値のところでうまくいけば最適解になるなんていうのは、公共経済学の初歩の初歩なわけですね。個人でも全然「公」の最適解が違うんですよね。そこが非常に大きな問題になっているわけで、先ほどの委員の話でいえば、投票できない将来世代はどうしても過小に扱われていくわけですから、本来はずっと負担が多くなると、負担を大きくするような制度は嫌だと、小さい政府にしてくれという投票が分布の中から外れてしまうんですよね。だから、赤字を抱えて国債を発行して、今の世代の公共水準をものすごく大きくしてしまう、こういう問題なんですよ。
国と地方でも、都市部と地方の違いは、負担と受益の部分のところは、都市部は負担が多くて、だから小さい政府にしてくれと。そして、地方の場合は、受益のほうが負担よりも大きいから、大きな政府にしてくれと、こういうことになっているわけですよ。
ですから、「公」の定義の仕方が、このままだと非常に曖昧な定義の仕方の中で、この論脈は官が提供するユニークな「公」があるということを前提にして、それで、財政赤字のところだけは、そうはいっても、現在の政治家も含めていろいろ文句を言ってくるから、過大になって仕方ないような財政赤字を生んでしまっているんですよと、こういう流れとしてここの読まれ方をしてしまうと、せっかくご努力をして格調の高い部分が、いま一つ全体としてクリアではないなという話になっているんですよね。
〇委員
クリアにしたいんですよ、こっちも。官が提供するユニークなところというのは、どの辺のところを特に気にされますか。
〇委員
例えば18ページの17行目ぐらいですか。「この場合、受益と負担の均衡という視点が何よりも重要である」、ここの部分の意味が、例えば他の委員が言ったように、負担と受益の部分のところで、将来世代を入れるか入れないか。均衡したらいいというような書き方になっているわけですけれども、そうじゃないわけですね。「公」の失敗というものが起こっている状況の中における是正措置というものを、どういうぐあいに真の意味での「公」を実現するためにこれを改革していくかという視点がないと、何か表現として非常に曖昧なものになってしまうということです。
〇委員
さて、我々の今やっているような作業の中で、委員の言われるようなことを、狭い範囲でうまく表現できるかな。わかりますよ、おっしゃっている意味は。おっしゃっている意味はわかりますけれども、ある大きな流れに沿った論述をしているわけだから。
〇委員
今のところを事務局とあとで相談します。
〇委員
いやいや、ここで言ってもらったほうがいいんですよ、皆さん聞いている中で。次回に出すという形でもいいですけれども、そうは簡単ではないと思いますよ。
〇事務局
18ページの「『社会』及び公的部門の将来像」と書いた部分の記述の構成でございますけれども、まず最初に、今までの議論を踏まえて、どのような社会像を目指すかが重要な課題だとしましたあと、個人、家族などのいわゆる共同体的な世界、それから公的部門などで、どういう役割分担が必要なのだろうか、あるいは費用負担が必要なのだろうか、ということをみんなで考える必要があるのではないかというまず問題の整理をいたしましたあと、この場合に、いわば家族等々、例えば機能が低下しているならば、その部分が例えばどういうところで担ったらいいのだろうかということについて、例えば広義の「公」、やや言葉が曖昧ですが、最初のファクト・ファインディングのところで、「公私二元論」でなくというところを受けた形で、もう少し、「官」でもない「民の公」という部分があってしかるべきではないだろうかという趣旨がまずここに入り、仮に公的部門で例えばそれを担うとするならば、その負担というのが当然あってしかるべきだし、その受益と負担というものもあっていいのではないかと。
最後に、実は「こうした状況を踏まえ」というところが、若干不明確ということで、委員からご指摘を受けたのですが、そういうことを含めまして、例えば公的部門の守備範囲を考えるとかというような言葉を入れることによって、ある程度文意が整理できるのかなとちょっと思いましたので、そこをもう少し流れがわかるように、若干の修文はさせていただきたいと思います。
〇委員
いずれにいたしましても、ここがある意味で、この報告書といいますか、まとめのところの一番世論に対するメッセージでありますから、いろいろなご意見を賜りましたから、もうひと揉みしてみましょう。あまりごった煮的にごちゃごちゃ入れてもだめなんですが、今、事務局が言われたようなストーリーが多分根っこにあってこの文章ができているわけですから、今いただきましたようなことを少し踏まえて修文してみましょう。
ほかに、どうぞ。
〇委員
先ほどから出ている「公」の話に水をさすような言い方になるのかもしれないのですけれども、今の委員がおっしゃったことも含めて、例えば一つの例を挙げれば、18ページの15行目前後の「広義の『公』意識」、これは何を意味しているのか私よくわからないのですが、いわゆる「民」のほうの「公」ではなくて、古い「公」ですね。これに対する我々国民の意識というものは、データがどれだけバックアップしているのかわかりませんが、私はやはり、国民側が「公」にもたれかかっている部分も非常に多かったように思うのです。それはまだ払拭されていない。だから投票率なども相変わらす非常に低くて、政治がやっていることに対する国民の意識といいますか、それがある意味では自己責任の範疇に入っているのだということに対する認識が、これは個人的な意見かもしれませんが、少ないような気がしています。
ですから、そういう個人個人がある意味で財政の問題を自分のものだというふうに捉える、そういうことがちょっと欠けているのではないですかというのが、多分委員がおっしゃりたいことで、私も申し上げたいことです。これはさっきから出ているNPOとかそういう話とはちょっと違うところですが、そこを何かもう少しどこかで書いていただいたほうが、さっき他の委員がおっしゃったことも多分それに関連するような気がするのです。具体的な修文はよくわかりませんが、場所としてはこのあたりかなと思いますので、1点お考えいただければうれしいということです。
〇委員
お考えいただくのに難しい問題がいっぱいあるんです。つまり、我々は9回か10回ヒアリングをし、かつ、テーマごとに追いかけてきたわけです。最後は公共部門のあり方論みたいなところで2回、これまた政治学者や社会学者に来てもらって、確かに公共哲学みたいな方のご議論も承りまして、そこでいうなれば哲学的な背景まで含めた、あるいはノーマティブな側面を含めて何かできないかなという形でここに持ってきたんですよ。
そこで、改めて「公私二元論」ではなくて、その間に落ち込むところの何かあるなということと、それから、従来の「公」、従来の「私」、これの関係をどう構築するか。あるいは各々の「公」と「私」をどういう規模で持っていくか等々、いろいろな要素がごちゃごちゃになっていて、わずか十何行で結果的にまとめたことになってしまったものですから、それはある意味ではガラス細工みたいなところがございますので、全体をまとめの形をこういう格好にするかどうかも踏まえて、もうちょっと議論をしたほうがいいと思います。
今までのご議論は、この18ページの真ん中にある5行目から25行目のところを、最後の結論の部分として、恐らくもう少しクリアカットに書けないかねという注文がついているのだと思いますから、もうちょっと努力はしてみます。その上でまたご議論をいただきたいと思いますが、ただ、個別にご相談に乗ってもらうという形も必要だと思います。この部分について今ご発言をいただいた委員の方々、ちょっとお知恵を借りるかもしれません。よろしく。
どうぞ。
〇委員
これは何のためだということを考えると……
〇委員
全体がですか。
〇委員
そうです。ずっと勉強してきて、日本のことを、ずいぶん変わったな、大変なものだなとやってきたのですが、やはりここは税調ですから、世の中全体のことを知っていなければいけないというのは当然なのですが、それは大雑把でいいのであって、最終的には、今言った18ページの「最後に」以下、ここが欲しいから前があるわけですよ。そんなこと言ってはあれだろうがということもあるのですが、やはり読むほうも税調のペーパーだと思って読むわけですから、ここのところがどういうふうに税調として認識しているのかというのは、あまり隠さなくてもいいのではないかと思います。
〇委員
いや、隠している気は全然ないですよ。
〇委員
ですから、この「最後に」のところは、この部分だけほかと比べてやけに長くなっても構わないのではないかと思います。
〇委員
要するに、ここをしっかり書けというメッセージですね。わかりました。
〇委員
ちょっと話題が変わるのですけれども、私は、現在の財政危機が崖っぷちにあるということがやはり非常に大きな認識として、一からこれを見直そうということで、前にも申し上げましたけれども、大変いい試みだと思っています。
それで、一番最後に、「各方面においても税制改革論議が更に深められることを期待したい」というのがあるのと、さらに、10ページの22行目に、「『国』は、多くの日本人にとって、『信頼度の低い存在』」ということが、構造変化として我々ちゃんと認識しているわけですね。信頼度の低い人間が、先ほど他の委員からがご指摘のあったようなところで、国民が選んできたのだというのは、なるほど確かにそのとおりですけど、その上にもって、「これがほんまのことやで」といって世間に公表するわけでありまして、我々が知らない構造変化で、しかも、国民にとって、あるいは財政改革にとって、非常に重要な変化で見落としている部分があるのではないかと。そのことを何らかの形でインターネット等で募集してみてはいかがかと思います。
具体的に申し上げますと、納税をしたいという喜びを持っている人々がいるんです。これは数は多くはないですけれども、身体障害者等で、今まで福祉の対象だった人が、自分でどこかできる部分があると。そこで仕事にかかわりながら、やっと所得を得て、納税した時の喜び、そういう喜びはやはりあるわけです。それから、リストラにあってどうしていいかわからない時に、ベンチャーを始めて、その人が1期たってやっと税金を納めることができましたという、そういう納税の喜びというか、そういうものがありまして、我々は崖っぷちの時にそういう小さな芽に期待して、本当に厳しい財政改革を一歩一歩していかないと、一方で信頼度が低いところでもって、「これはほんまのことやから、何とかみんなあれしよう」というのだけでは、なかなか進まないのではないかと思います。
そういう意味で、具体的な提案として、これを発表したあと、具体的に財政改革につながるような新しい構造変化等があればお知らせくださいというようなことを、インターネットで募集したらいかがでしょうか。
〇委員
パブリック・コメントみたいな話ですね。
〇委員
その形ですけど、国民に対する意見にすると、収拾がつかなくなりますので。
〇委員
実は、今おっしゃった納税者の義務を果たしたいということは、実は昨年、一昨年やりました対話集会でも具体的に出ているんです。それは私も直に聞きまして、その辺の視点というのは改めてあるなということを強く認識しました。
おっしゃるようなことは、これが出たあとやってみたいと思いますし、いずれまた対話集会等々も考えられることでしょうから、そういうところに、こういったことを考えているけどどうだというような、あるいは、それ以外の考えがあるかという言い方はできようかと思っていますから、大いにこれから使いたいと思っています。
ほかにございますか。どうぞ。
〇委員
18ページの17行目の「受益と負担の均衡という視点が何よりも重要である」というところが、非常に大切な表現ですし、視点だと思うのですが、実をいいますと、受益と負担との矛盾みたいなところですね。今、それがギャップがありすぎているから問題だというところがベースだと思うのですが、それが新しい社会のダイナミズムとか、選択と責任とか、機会の平等、グローバル化を生かすとか、そういうことの中で読み取れないんです。
〇委員
それとの関係がですか。
〇委員
いえいえ、つまり、過剰サービスになっている人と負担していない人がいるよというのが具体的に指摘されていないんです。指摘されていないにもかかわらず、ここで突如として「受益と負担」という表現がポンと出てくるものですから。かろうじて「個人、家族・カイシャ・地域社会、公的部門等の間でどのような役割及び費用の分担を目指すかが重要な論点となる」とは書かれているのですけれども、もう少し、今までずっと分析してきた中で、私は、負担能力に応じて負担していないというところが、今回の税調的な視点からすると大事なポイントなのではないかと。負担能力に応じて負担していない、高齢者なんかが典型なんですけど、そこのあたりをもっと明確に、どういうふうに整理したらいいのかなと思って考えていたんですけど。
〇委員
実はその問題意識はない形でやってきたんです。というのは、家族にしても、就労構造にしても、いろいろな変化は、とりあえず「実像」ワークという形で、いろいろなファクトを積み上げてやってきて、その時に今言った負担と受益というのはギャップという面では見ていないのです。最後に、これからこういう問題を対応するために、財政をという形で、10個目に財政が乗っかってきたわけですよね。だから、1番目から9番目の間と財政の間は、結果的には同一の面上に乗っていない面があるんです。したがって、おっしゃる違和感があるのは事実です。
したがって、10個目のキー・ファクトなんて言わないで、まさにこういう問題、9個目までいろいろやるにあたって、財政が大変よというような言い方でさっと書くことも可能なんですが、財政の変化がワン・オブ・ゼムになっているから、何となく受け方の仕方がうまくないというのは、おっしゃるとおりかもしれません。
ただ、あくまですべてのファクトを税制改革とか、あるいは財政再建に結びつけてという議論はこれまでしていないんです。だから、あえてそこをこじつけると、変になってしまうだろうという配慮もあって、素直に事実を把握したいという形から出てきていますから、そこを一個一個くっつけるのはかえって難しいと思いますね。
〇委員
今の点にも関係すると思うのですけど、10の「深刻化する財政状況」のところですよね。ここで世代に関しては負担ということが書いてあるのですけれども、ある意味でその前に書いてあるのは、ライフスタイルとかいろいろなものが多様化してきているわけで、その多様化した中で、受益と負担に関してアンバランスが生まれてきているのかもしれない。それはやはり調べなければいけないとか、あるいは、今の税制をはじめとした財政が、多様化したライフスタイルの一部に関して阻害要因になっているかもしれないと。多分そういうことがこれから問題になるわけで、そういうことをもうちょっと10で書き込んで、一番最後のところでもう少しそれを受けて、何かそういう問題意識を財政でということをお書きいただいたほうがいいと思うのですが。
〇委員
最後のまとめ方の方向ですね。
〇委員
今の委員の言ったこと、本当にそのとおりで、因果関係がここのところは希薄なので、ぜひここのステートメントとどういうぐあいに前段の部分までのところがつながっているかということを工夫していただきたいと思います。
それから、もう一つ、大きな政府になって、財政赤字を拡大させている背景には、パブリックなものは官が供給するのだという問題、この供給側の問題があるわけで、これは最近10年間のニュー・パブリック・マネジメントで、マーケットテストをどうするのだと、そういうような形で、同じものを供給するのに、民間的な処方のほうがいいのではないかと、こういう部分があるわけですね。そういう供給の部分のところは、予算編成の中で見ると、やはり各役所にそういう現業部門のところがいろいろな問題を抱えているというのは事実なわけで、先ほどご指摘がございましたけれども、やはり大きな政府にするというのは、これは「公」が「公」がという形での需要の側だけではなく、供給側のインサフィシエンシーの問題というのを、どういうぐあいにここの中に入れ込むかという広義の政府の問題を、同じように書き込めるのではないでしょうか。やはり食いぶちとしての政府という部分があるわけですね。
〇委員
最後の、今、お二人の委員が言っているあたりは、実は「実像」ワークの基礎問題でずっと積み重ねてきたファクト・ファインディングの公共セクターのあり方論のところは、あまりまだ議論していないのです。していないで、今やろうとしていますから、いろいろな死角が出てきていますから、したがって、最後の締めのところと、前にやってきたこととの兼ね合いが、今おっしゃるとおり、つなぎ目が少し不十分ではないかというのはご指摘のとおりですが、そのつなぎ目を改めてここで何回か議論してやるのか、それとも、これまで出てきたファクトをそのままつなげるかというところが選択肢として残っているんです。
〇委員
僕はある意味でつながっていると思って、ファクトの10に例の「深刻化する財政状況」。そして今やっているところ、つまり16ページ以降でどういう意味があるのだと。平たく言えば、いろいろな選択を個人がして、生き生き選択していけるような環境が必要なんですよね、ということを言っていて、前回と同じなんですけれども、そのためには、今、将来世代にせよ、現役世代にせよ、このままの財政負担を抱えて突入するわけにはいきませんよね、というふうにつながってきて、では何が大切なのかといったら、それは受益と負担ということに関して、それぞれのキャパシティによるのでしょうけれども、均衡をとらなければいけないという形で、だから、財政負担が非常に大きくて、それがこれから求めていくあるべき社会の桎梏になるということでつながってきているのだろうなと思っていたんです。
〇委員
つながっているのは事実なんです。
そこで、問題は9月以降、我々はまた次のテーマも含めて本格的に税制改革論議をやらなければいけないんですよ。その時に恐らく社会保険料と税がどうだとか、財政赤字がどうだとか、付加価値税がどうだとか等々ありますよ。今、そこまでかなり取り込んだ形で方向性を出してしまうのか、それとも、これまで掲げてきたファクトを積み上げて、いうなればほんの入り口のところあたりで、将来やるべき課題を整理しておくぐらいでやっておくのか、そこは実は難しいんですよ。
今のご議論を聞いていると、かなり積み上げてきたファクトを利用して、もっともっと踏み込んだ形で書いたらどうかという方向性が出ているから、ある意味で、これまでずっと続けてここで議論されてきた戸惑いを感じているんです。専門家から見ると、今日来て、いろいろな点で不十分だ、不満だというのはわかりますよ。わかるけれども、その辺の話はこれまでやってきていなかったでしょう。我々は、これはある意味では秋以降のテーマであるとは思っているんです。
〇委員
おとりなしはまことにもっともだと、まとめていかなければならないという意味では、そのとおりだと思います。
しかし、論理的な体系の問題はやはり税調として担保していかなければならない最低の問題はやはりあるわけで、今日のこれは、私は事務局に、本当によく勉強して我々もこれは参考になっている、大変いい仕事をしてくれたと申し上げているのですが、これは報告者を見ていただくと、経済学者と言われるのは樋口君と大竹君だけなんです。つまり、税制の中でこの変化をどういうぐあいに読み取って、この報告書にまとめるかというところに参加している主たる法律学者あるいは経済学者というのは、ここにはコントリビューションの度合いというのはまだ低いですよね。ですから、その際に今の段階の中で、修文の中で反映できるものについては、やはり論理的な整合性をある程度整理した上でしていただく。そして、今後それを税制改正の具体的なところにおいては、よりこの中身を詰めていくということが必要になってくるのだろうと思うのです。
〇委員
おっしゃるとおりですよ。
〇委員
ですから、まとめの部分のところを、この限界の中における仕上がりの程度というのを、一体どこで満足するかの問題だと思うのです。
〇委員
そういうこと。実は記者レクをやると、何か税調は変なことを……、変なこととは言わないけど、ずいぶん従来と違ったトーンのことをやっていますねということを聞かれるんです。家族だとか、就労だとか、グローバル化だとか、価値観、ライフスタイル等々、一体これは何のためにやっているのですかと。こういうことをやっても新聞記者はあまり記事にならないんです。税制改革の議論を書きたいからね。
これを出すインプリケーションを我々なりに整理するという意味で、今いろいろご議論いただいているわけですが、いうなれば、秋以降の本格的な税制論議をするに当たって、基本的に構造変革が非常にあったという共通の認識が必要だということで、これをいろいろ事務局にお願いしてやってもらったわけです。
したがって、本格的にこれを念頭においてのいろいろな議論は、僕は秋以降大いにここでまたやっていただきたいと思っています。したがって難しいのは、これまでやってきた成果をどう将来につなげるかというつなぎ目のところのジョイントの仕方が、どの辺の深みを持って書くかなんです。これは、今日の皆さんの議論をいただいて、来週1週間まだありますから、そういう意味では、今日いろいろな形でご発言いただいた方のご意見も聞きつつ、その辺の、どこまで深く入り込むかということを踏まえてもう一回、特に最後のところ、これは我々としては重要な点だと思いますから、ちょっと議論させてください。
今の件ですか。
〇委員
まとめられたので別に、私もそういう感じで、最後の結論のところは、恐らくこれからやっていくところの序論という感じのところでまとめられたのでしょうし、ほとんど議論は財政、歳出、保険料とか、先ほどおっしゃられたように議論していないので、文章論的にいうと、それをあまり書き込んでいうと、かえってぼろが出るし、精いっぱい滲み出して書いておられたのだろうから、これでいいのかなと。
〇委員
滲み方がどうもはっきりしないというところがご不満のようだから、もう少し滲み出し方を書くかどうかですね。
〇委員
受益と負担の均衡という場合に、ここでは恐らくマクロの話だと思うのです。受益と負担ということになれば、地域間の不均衡もあれば、世代間の不均衡もありますし、いろいろな不均衡がありますよね。ところが、これまで議論してきているのは、そういうミクロの不均衡の話はほとんどせずに、恐らくマクロの話でこの部分はとめようということではないかなというような気がするのです。ですから、「受益と負担の均衡という視点が」というぐあいにしてしまうと、いわゆる世代間、地域間、いろいろな不均衡がこの中に入ってしまって、読み手はそういうことまでも均衡化するのかというぐあいに読んでしまう可能性があるかもしれない。
〇委員
そんな深読みしていただくほどは書き込まないような趣旨なんですよ。
〇委員
そういう意味では、深読みされないような形のものをしているほうがいいのではないか。
〇委員
そうですよ。そこで、今おっしゃった地域間の不均衡とか、世代間の不均衡等々、実はここで議論していないのです。議論したものだけ使って、精いっぱい書いて、国民負担率が云々という話をし、共助とか公助とか自助がどうだというところまで行ったんです。ですから、これは9月以降の話です。その辺の話をどうやってやっていくか。それをまた改めて我々として仕切り直しで議論したいと思いますので、おっしゃるとおり、方向性を滲み出せる程度で、我々のこれまでの研究成果を最後の結論でどう書き込むかという難しい宿題を負ったという気がいたしますから、またお知恵を借りなければいけないと思っています。
〇委員
そうだとすると、マクロで受益と負担の均衡というのでは、本当は足りないわけですよ。既にある借金をどうするのだという話になる。だから、受益より負担を多くしなければ本当はいけないという世界がいつか、ないと思うけどあると前提にしなければいけないから、そういう意味では、それもありという匂いをどこかに入れていただきたいと思います。
〇委員
匂いが難しいね。
何があればまとめてください。
〇委員
具体的な提言とか何とかという話は、ちょっとしづらいのですけれども、私のこれまでの勉強でいえば、全部出席したわけではないので、あるいはそういう機会もあったということはあるのかもしれませんが、ファクトの10の「深刻化する財政状況」というのは、どちらかというと、税調であるから、これに触れないわけにいかないだろうということで、最後にポンと第10番目に入ったような感じが私はするのです。だから、従来の勉強のあれからいえば、1から9までぐらいのところをもとにまとめるのでもいいのではないかという感じは私は持っていたのです。
ただ、税調であるから、こういう話を当然入れないわけにはいかないだろうというのもわかるわけで、そこから今までいろいろな18ページの書きっぷりについての議論が出てきているのではないのかなと私は思うわけです。
結論的に言うと、今、言われましたように、将来の議論へのいわばほんの入り口の部分というような格好で、最後のつながりをつけるというようなところに、18ページのこの辺はとどめる方向に賛成だということを申し上げたいと思います。
〇委員
賛成は賛成なのだけど、これから中身が難しいんですよ。
〇委員
それはそのとおりです。
〇委員
大分時間も過ぎましたけれども、トータルでどうぞ。
〇委員
最後の19ページのところですけれども、5行目から6行目にかけて、「どのような形で国民一人一人が社会共通の費用を分担していくべきかを考えなければならない」と表現しておりますから、これで読むと、国民が負担するということが前提になっているように読めるのですけれども、一人一人が、個人が。それが前提で書かれているのでしょうか。それとも、国民一人一人が費用分担について考えなければいけないという、もうちょっと広い意味で言っていらっしゃるのだとしたら、ちょっと書きぶりが変わったほうがいいかなと思うのですけれども。
〇委員
前段でおっしゃったことと後段でおっしゃったこと、ちょっと区別がつきにくいのですが、いずれにしても、これから少子・高齢化を迎えて、国民がみんなで公平に広く負担しようというのが一種のスローガンになっていますから、そういう言い方でここのニュアンスは文章化したとお考えいただいていいと思います。単に考えてくれというだけでは、もうそういう時期は過ぎているし、やはりここに書いたのは、みんなに負担を覚悟してもらわなければいけないというニュアンスだと思いますよ。という視点でいうと不十分ですか。あるいはおかしいですか。
〇委員
「国民一人一人の負担」という表現にして悪いとは言わないのですけれども、何か一人一人の負担と言った時に、今の税の負担が本当に公平と考えている人ばかりだろうかという、そういうことにちょっと疑問を感じるものですから、それで申し上げました。
〇委員
わかりました。そうすると、何か文句を入れたいですね。
〇委員
私の考えでは、「どのような形で社会共通の費用を分担していくべきかを、国民一人一人が考えなければならない」と。そうすると、少しニュアンスが変わるかなと思うのです。
〇委員
なるほど、わかりました。ちょっと考えさせていただきます。
いかがでしょうか。よろしゅうございますか。
〇委員
今の委員のお話ですが、レーガン元大統領が亡くなられて、「税と死は不可避だ」と言って、彼は税制改革を抜本的なやつをやったわけですね。つまり、生活の中で税というのは逃げられないと。これは消費をする段階、所得を稼ぐ段階、いろいろなレベルで負担というのが避けがたいということを言ったわけですけど、私は避けがたいのだろうと思うのです。ですから、全員が考えろという話ではなくて、全員がこの社会をどういうぐあいに支えるかということを真剣に負担の問題を考えなければいけないわけで、そこを曖昧にしてしまうと、じゃあ、だれが負担するんですかという話になっていくのではないでしょうか。ちょっとご真意が私は理解できなかったのですけど。
〇委員
私が言いたかったのは、今の所得税の負担率が、所得の多い人に緩やかに傾斜が下がってしまっているという、それに対してかなりの抵抗もあるという、そういうことを申し上げたかったのです。
〇委員
そういう意味では、どんなような形で費用を負担という、まさにおっしゃる、どのような形でというあたりが、実は累進度をきつくするのか、あるいはみんなで負担するには大衆課税でいいではないかとか、もっと広い意味で言っているつもりですけれども。
事務局、何かありますか。
〇事務局
ここの意味でございますけれども、要は、今まですべてずっと議論してきました結果、社会を構成するいろいろなプレイヤーがいる中で、どういうふうに社会を作るかという中で、いろいろな負担も考えていかなければならない。これは一人一人が考えなければなりませんし、一人一人が一定の形で負担をしていかなければならないというのが基本中の基本であろうと。ただし、その場合、どういう形がいいかというのは、当然議論はしなければならないということで、むしろどういう形でするかをまさに考えなければいけませんが、その場合は負担は当然それぞれが負っていただく。その形がいいかどうかは議論をしていただくということだろうということで、文章を構成したということでございます。
〇委員
委員のご意見も一方であると思うのですが、プロ野球選手のハイサラリーをもらっている方々が、アメリカにプレーの場を求めるというようなことも一つあるわけですし、経済のグローバル化の中で、どこで働き、どこで工場を作るかというような時に、将来の活力との関係の中で、今の短期的な行程の負担の問題を考えるという点だけでは不十分で、一体ダイナミックな社会状況の中でどのように我々がそれを考えるかという根本的なことを言っているわけですから、私はこの表現で十分だと思います。
〇委員
わかりました。
どうぞ、事務局。
〇事務局
いろいろとご議論ありがとうございました。
最後のところでお話しされたのは、実は私どもこの作業を小委員長にお願いした根幹の部分に入っていると思うのです。実は、18ページのほうばかりが議論されたのでございますが、私ども税を担当している者からすると、最後に所得・消費・資産「等」とわざわざ入れてありますが、多様な課税ベースに適切な税負担を求めていく。実はかなりライフサイクルが多様化して、今の先生が言われたような意味で、単にある時期の所得が高いかということだけで捉えては、やはりおかしくなっている。要するに、いろいろなライフスタイルがあるものですから、ある1年しか働かない人、あるいは長い時間低い所得で働く人、いろいろな形が出てくる。そういう中で、やはりこういう社会状況を分析することによって出てくる姿は、公平な税負担というのは、ライフサイクル全体で考えなければならない。そういう場合には、所得もあれば、消費もあれば、資産もある。あるいは別のものもあるかもしれない。そういうものをきちっとみんなで、しかし最後は一人一人が負担することなので、それを考えてほしいという意味で、実はいろいろな多様な分析をしていただいたというふうに私ども思っているわけです。
もちろん、もう一つの話としては、18ページにも若干感じますけれども、先ほど来、これからの多分ご議論でございますが、いろいろな絆が壊れてきた。そして、「公」というのが、明治政府の作る時のきっかけでしょう。まさにここに書いた「公私二元論」で、どちらかというと、財団とか社団とかというのもそうですが、「公」から溢れた「公」はあるのですけれども、「民」から溢れた「公」というNPO、あるいはその他の社会的責任論、そういうものはやはり日本は希薄なような気がします。もちろん、育って来ていることを否定するつもりはありません。そういうものをどうやって混ぜながら、財政負担を極力下げながら、しかし、一方で払うものは払っていかなければ、それこそ無責任ということになります。
そういうのを分析する意味で、今おきている、しかし一方で大変恐ろしいのは、ありとあらゆる支えてきた絆が今壊れ出している。これをどうしていくのだろうかという意味もあって、むしろ、先生が言われましたが、あえて経済学者というよりは、社会学者、あるいは文化人類学者、そういう方々にお出ましをいただいて、これから税を本格的に議論する、いわば序の部分として、ぜひお願いをしたかったという思いなのでございます。
したがいまして、私どもも当然財政が大変だとか、もちろん税調ですから、過去からも答申で何度もいただいているので、あまりその部分に時間は割かなかった。しかし、最後は18ページ、19ページというところで、ぜひ次につなげていってほしいと思うということなので、私はやはりある者が金持ちだとか云々だという既成概念だけでは、これからの経済社会はやっていけないのではないかという思いがあるものですから、他方でまた何でも消費税というのも、僕は本当はいいかどうかというのも思っていまして、そういう意味では、いろいろな意味での組み合わせということが求められているように思うもので、もちろん最後の部分は私の私見でございます。ただ、そこは税調の先生方でよくご議論をいただきたいという思いがあるということだけは、先生のご発言で思ったものですから、コメントをそこだけさせていただきたいと思います。
〇委員
全部にコメントしてもらいたいぐらいなのだけど、最後に極めて適切なるコンクルージョン・リマークスが出てきたような気がしますが、というような事情で2月以来我々は延々と作業をしてきて、これからいざまとめにかからんという時期になったというところで、皆さんからいろいろご議論いただいているわけですが、実は当初の予定では、22日の午後にこれの修文をしたものを出して、そこで修文というのは難しかろうということもあって、22日に一応対外的に公表しようと。総会を経てということを考えておりました。
今日の段階で、委員長一任とか座長一任という形で丸投げ的に直して、22日に持ってきて、もう一回読み上げて、いいですかというのは、それほど全面的に信頼をおいて直していいよという話でもなさそうな気もしているのですが、さはさりながら、いつまでも尾を引いているわけにもいきませんので、恐らくポイントは、最後の18ページ、19ページのところなんです。ほかのところは、従来の修文の仕方で十分ご納得いただけるような書き方で多分まとまると思っています。
そこで、18、19ページのところは、どういう形で将来につなげるかというブリッジのかけ方について、かなり本格的なブリッジをつけるのか、ほんの仮橋でいいと考えているのか、いろいろ差はあると思います。そこで、まだ1週間ございますから、ちょっとこの辺は、今のご議論をいただきまして、一応修文したものを、今日いろいろご意見をいただいた方に、ご意見をもう一回確かめるという作業をしながら、特に18、19ページあたりをしっかり書き込めるという前提で、来週とりまとめに運びたい。そのような格好でよろしゅうございますか。それ以外のところは多分まとまるという自信もありますので。少し持ち回っていろいろご意見を聞くこともあろうかと思います。しかし、最後の詰めでございますから、慎重にしたいとは思っておりますが、いつまでもということもあります。ファクトのところとか、10のところは、それなりにまとまっていると思いますが、最後のまとめのところですよね。それは今言ったような段取りでやらせていただきたいと思います。
〇委員
19ページの、「個人のライフコースの多様化が進む中」ということで、個人のライフコースの多様化だけが書かれています。これでいいかどうかを吟味しておいていただきますとありがたい。
〇委員
それはいいのですが、どういう点がご心配ですか。
〇委員
個人のライフスタイルが変わることが、社会全体の構造を変えていくことの原因にはなると思いますが、それだけではないのではないか。ファクトをずっと分析してきたのは、個人のライフコースの変化だけを分析してきたわけではなかったと思うのです。税制を考える時には、社会構造の変化とかいうようなことを一言入れておく必要があるのではないか。
〇委員
そういう意味ですか。わかりました。
それでは、実は総会を次に考えております。時間がちょっと過ぎてしまいましたので、これで基礎小を終わりにしたいのですが、よろしゅうございますか。
それでは、長い間座っておりますので、次の総会まで5分ほど時間をいただきまして、4時10分から総会という形に切り替えたいと思います。
〔閉会〕
(注)
本議事録は毎回の審議後、速やかな公表に努め、限られた時間内にとりまとめるため速記録から、財務省主税局及び総務省自治税務局の文責において作成した資料です。
内容には正確を期していますが、税制調査会議事規則に基づき、事後の修正の可能性があることをご承知置きください。