第15回基礎問題小委員会 議事録

平成16年6月11日開催

委員

今日は、一連の行事もありませんから、時間が来たから、始めましょうか。今日は、読み上げるというのでかなり時間をとる予定でありますので、時間になったら始めたほうがいいと思いますから。

今日は、まとめのほうに入っておりますから、最後の文案まで書いた報告書というよりは、その前の段階として、たたき台になる「とりまとめ骨子案」というのを一応作ってもらいましたので、それを読み上げてもらって、それをベースにして、最終的な報告書に深めていきたいと考えております。

そういう意味で、お手元に骨子案というのがございます。これはまだ内容的に固め切っておりませんので、また例によって、恐縮ですが、会議の終了後には置いていっていただきたいと、途中退室の方も置いていっていただきたいと、このように考えております。

これにつきまして、簡単に事務局にご説明をいただいた後で、読み上げてもらいましょうか。

では、お願いします。

事務局

お手元に資料が2つございます。薄いペーパーで、「とりまとめの骨子案」というもの、それから分厚いので「議事概要」と書いたものでございまして、この2つのうち前者の「とりまとめ骨子案」のほうを後ほど朗読させていただきますが、私のほうからは、ちょっとその前段といたしまして、その構成等につきまして、ご説明をあらかじめさせていただきたいと思います。

この「とりまとめ骨子案」というのは、前回、たたき台的なものをというご指示で、スケルトン的なものを作り上げたというものでございます。それで、構成でございますが、4つほど〇がございます。順次ご説明いたしますと、まず1つ目、「基本的視点」ということで、1枚めくっていただいて1ページのところに「基本的視点」を書き並べてございますが、これは今までの各セッションにおきまして全体を通じる視点ということで提示させていただいたものを肉づけをしたということでございまして、広くフォーカスを当てているわけですが、その意味をここで記述しておるということでございます。

それから2ページ以降9ページまで、「わが国経済社会の構造変化の『実像』」ということで、今まで各セッションごとに取り組んでまいりました事柄につきまして、前回、ポイントということと資料ということでスキミングいたしました事柄をご紹介いたしましたけれども、その部分を10個のファクトに整理し直したもの、それを提示させていただいているわけでございます。

ちょっとご覧いただきますと、2ページの2.の(1)「今世紀日本は『人口減少社会・超高齢化社会』」、それから真ん中下あたり、(2)としまして、「『右肩上がり経済』の終焉」云々ということで、10項目ほどにわたりまして、ファクトを中心に記述させていただいているということでございます。これが今回のとりまとめのいわば中心、眼になるパートだと思います。

それで、9ページまでちょっと飛んでいただきますと、(11)に「上記ファクトに見られる傾向」ということで、10個ほどのキーファクトにまとめたものの中に、いわば2つの軸があるのではないだろうかという一つの見通しでございまして、「量から質へ」、「標準」、画一的なものから「多様」というような軸があるのではないだろうかというくくりを1つ提案させていただいております。

それから次の10ページ、11ページにかけまして、「将来に向けての視点」ということで、5つほどポイントを挙げてございます。これは、今申し上げました実像10個のキーファクトということを踏まえまして、今後の税制改革の論議というものに今後つなげていくというか、ブリッジしていくというか、そういう面におきまして留意すべき視点は大体こういうことではないだろうかということでまとめたものでございまして、このあたり、ご議論を賜ればという整理でございます。

それから「議事概要」ということで、また分厚いのを、100ページほどございますが、つけてございますけれども、これはこれまでの各セッションにおきまして事務局からデータをお出しし、プレゼンテーションを21人にわたりましてやっていただきましたものにつきまして、情報そのものはインターネット等々で公開してございますけれども、今回とりまとめの中で、いわば添付する形で「議事概要」要約版を整理したいということで、ご参考までに、本日、テーブルに置かせていただいているということでございます。

それでは、読み上げをいたしますので、よろしくいたします。

委員

読み上げていただいた後、2回ぐらいに分けて内容の検討、それからご意見、修文等々の意見を交わしたいと思いますから、ぜひマークでもつけながらお読みいただけたらと思います。

では事務局、お願いいたします。

事務局

「わが国経済社会の構造変化の『実像』について」

1.基本的視点(問題意識)

(1) 1990年代以降、わが国経済は長期にわたる低迷から抜け出せず、「失われた10年」という言い方が定着した。実際、わが国経済社会において、何かが構造的に大きく変容しつつあるのではないか。その「実像」に少しでも接近しようというのが、今般の取組みの底流にある基本的な問題意識である。

(2) 戦後のわが国経済社会について、第一に、高度経済成長期及び1970年代半ば以降の時期に、マクロ、ミクロ両面においてどのような構造変化が生じたのか。第二に、これらの構造変化のメカニズムや背景要因は何か。第三に、これらの構造変化の中で、社会を構成する各主体にどのような変化が生じてきたのか。また、今後どのような変化が予想されるのか。第四に、これらを踏まえ、今後の公共部門のあり方についてどのように考えるべきか。

これらの問いかけは、これまでの経済社会のあり様を見つめ直し、その「実像」に迫るために必要であり、将来のわが国経済社会の姿を展望する上でも有益である。

(3) 税制は、経済社会を支える重要なインフラストラクチャーのひとつである。それと同時に、その時々の経済社会構造を基礎として構築されるものであり、経済社会を映し出す「鏡」でもある。

今後、税制改革についての検討を進めていくにあたっては、高度経済成長期の「残像」を払拭し、現在の経済社会の「実像」に立脚することが重要である。さらに、このような「実像」を踏まえ、今後のわが国経済社会の姿を想定しながら、「あるべき税制」の具体化に取り組んでいくことが必要である。

(4) その意味で、今般の取組みは、今後の税制改革論議の出発点ともなりうるものである。

2.わが国経済社会の構造変化の「実像」

(1) 今世紀日本は「人口減少社会・超高齢化社会」

(人口減少社会への突入)

今世紀の日本は、「人口増加社会」であった20世紀とは異なり、「人口減少社会」に突入する。

合計特殊出生率の動きを見ると、高度経済成長期には人口置換水準近傍で安定的に推移していたが、1970年代半ば以降、急激な晩婚化、未婚化を背景に2.0を下回り、一貫して低下してきている。このような長期的な少子化傾向を反映し、わが国の人口は2006年をピークに継続的な減少局面に入る。今世紀末には人口がピーク時に比し半減する見通し。

近い将来、仮に出生率が人口置換水準まで回復し得たとしても、「人口減少のモメンタム」が働くため、少なくとも今世紀中、人口が減少し続ける見通しは変わらない。

(超高齢化社会への変貌-少子化と長寿化の同時進行)

「少子化」と「長寿化」が同時進行し、「超高齢化社会」となる見通しである。わが国は、高度経済成長期のような「平均年齢30歳前後の壮年中心の若い社会」から、次第に「平均年齢40歳代後半の成熟した長寿社会」へと変貌しつつある。

(従属人口指数の上昇-社会的な扶養力の弱まり)

今世紀のわが国経済社会は、否応なく「人口減少」と人口の「超高齢化」という現実の上に築かれる。「従属人口指数」という指標でみれば、高度経済成長期に低下傾向にあったものが1990年代を底として上昇に転じ、2030年以降にはこれまでにない水準に達する見通しである。これは、社会的な扶養力の急激な弱まりを意味している。

(2)「右肩上がり経済」の終焉

(高度経済成長を支えた基礎的条件の消滅)

戦後日本における長期間にわたる高度経済成長は、労働力人口の増加、いわゆる「人口ボーナス(豊富な若年労働力と相対的に少ない被扶養人口の組合せ)」、高い家計貯蓄率の継続、さらには、都市圏への大規模な人口流入とそれに伴う世帯数の急増、耐久消費財の普及、旺盛な国内需要を背景とした設備投資と技術革新等の諸要因が相俟って実現されたものである。

こうした状況は1970年代央を境に変化し、現在、高度経済成長を支えた諸条件はほぼ消滅した。高度経済成長期とは対照的に、今日、人口減少に伴う労働力人口の減少、超高齢化に伴う人口ボーナスの消滅や家計貯蓄率の著しい低下などの構造的な変容が生じている。この結果、経済のパイの継続的な拡大が期待できる、いわゆる「右肩上がりの経済」は終焉を迎えた。

(「量的拡大」志向の限界)

我々は、「右肩上がり」という過去の経験に引きずられがちであるが、もはや高度経済成長期のような「量的拡大」は期待できない。今後は、労働力人口の減少や家計貯蓄率の低下等を通じて供給面からわが国経済に制約が生じることが懸念される。

現在生じている「多様化」の動きを活かしつつ、社会の「活力」をどう維持、確保していくかが重要な課題となる。技術革新等による生産性向上、人的資本の充実、貯蓄の効率的活用、更には、労働力率の低い女性や高齢者、外国人の一層の活用等がその鍵となる。また、「真の豊かさ」が質的に問われる。

(3) 家族のカタチの多様化、「戦後家族モデル」の終焉、ライフコースの多様化

(「夫婦と子供のみの世帯」の非標準化)

家族のカタチの変化を見ると、戦後から高度経済成長期を通じて、就労形態の変化や都市部への大規模な人口移動等に伴い、「三世代同居世帯」から「核家族世帯」へとウェイトが移ってきた。また、その中で、「夫婦と子供のみの世帯」が最も大きなシェアを占めることとなり、いわば標準的モデルとなった。

しかし、近年では、未婚化・晩婚化・長寿化の進行等に伴って更に世帯規模が縮小し、「夫婦と子供のみの世帯」の割合が減少する一方、「単独世帯」の割合が上昇している。「子供のいない世帯」の増加も顕著である。

家族世帯類型の多様化が進み、「夫婦と子供のみの世帯」はもはや標準ではなくなっている。

(「戦後家族モデル」の終焉-ライフコースの多様化と「個人化」の進行)

戦後の日本は、1950年代までに、多産多死社会から少産少死社会への移行という「第一次人口転換」を経験した。これにより家族のあり方が一変した。平均寿命が延びて人生が予測可能なものとなり、婚姻や出産などが適齢期化するなど「標準的なライフコース」が成立した。

この時期は、いわゆる「人口ボーナス」等を背景とする高度経済成長期に当たる。「右肩上がり経済」の下で「雇用者化」が進み、雇用の安定、収入の増加等が確保された。こうした条件の下で、出生率2.0前後、夫が仕事、妻が家事・育児を担うという「戦後家族モデル」が形成された。

1970年代央を境に、高度経済成長が終焉し、出生率の人口置換水準以下への低下が始まり、戦後家族モデルを成り立たせていた諸条件が失われ始めた。晩婚化・未婚化の進行、離婚の増加、共稼ぎ世帯の増加など、「標準的ライフコース」が相対化し、個人の生き方や家族との関わり方が多様化するようになった。

近年、個人の「家族離れ」、家族への帰属意識の希薄化が進みつつある(「個人化」の進行)。家族は依然として団欒や安らぎの場ではあるものの、次第に、家族の繋がりとしては緩やかなものを求める方向にある。

(「リスク」構造の変化-ライフコースの不確実性の高まり)

ライフコースの多様化は、ライフコースにおける不確実性の高まりでもあり、各個人は、新たな生活上の「リスク」に晒されることになっている。従来家族が担っていた育児・介護などの様々なケア機能が維持できなくなるのではないかという懸念もある。

また、長寿化に伴い、婚姻期間や子育て終了後の期間が長期化してきていることも、家族のあり方や個人の生き方に影響を与えている。

(4)「日本型雇用慣行」の揺らぎ、働き方の多様化、「個人化」の進行

(「日本型雇用慣行」の揺らぎ)

いわゆる「日本型雇用慣行」は、従業員に対して生活給や雇用を長期的に保障する一方で、企業への忠誠心を求める雇用形態である。本質的に「右肩上がり」の成長を前提とし、高度経済成長期に定着化した。

その後、経済成長が鈍化し高齢化が進む中で、次第に「日本型雇用慣行」の維持が困難とする企業も現れてきている。1990年代後半以降、これまでの人材マネジメントを転換し、非正規雇用の活用や成果主義・能力給賃金という考え方を取り入れる動きが見られるようになった。正規雇用者の割合が大幅に低下する一方で、パート・派遣労働者・業務委託者等の非正規雇用者の割合が急上昇するなど、雇用形態の多様化が進んでいる。

「日本型雇用慣行」という、これまでの会社と従業員の間の安定的な関係が揺らぎ出している。

(働き方の多様化-「個人化」の進行と不確実性の高まり)

カイシャに対する帰属意識が希薄化し、専門性を生かせる仕事を志向する者が増加している。仲間と楽しく働ける仕事を求める者が増え、仕事一辺倒から余暇に比重を置く傾向が強くなってきた。個々人の生きがいが多様化し、カイシャに縛られない様々な働き方が見られるようになった(「個人化」の進行)。

こうした中で、高度経済成長期とは異なり、会社を通じた雇用・生活保障機能が低下するなど、個人にとって生活上の不確実性、「リスク」も高まっている。今後、自らの責任による「選択」が一層求められる。

若年者層を中心に、雇用環境の厳しさや職業観の変化等を反映して、いわゆる「フリーター」が急増している。学卒後における高い早期離職率、失業率の上昇傾向が続いている。これに起因する格差拡大と階層化の可能性についても留意が必要である。

(5) 価値観・ライフスタイルの多様化・多重化

(「十人一色」から「十人十色」、「一人十色」へ)

日本人の価値観の構造については、高度経済成長期までは、画一的・集団主義的な傾向(「じゅうにん十人ひといろ一色」)が強かったが、1980年代頃から、集団よりも自分を重視する価値観(「じゅうにんといろ十人十色」)が次第に強まった。近年では、様々な価値観が一個人の中においてさえ同居し得る傾向(「ひとり一人といろ十色」)が見られる。

(選択の自由、煩わしさ回避、現在<いま>)

「自分のライフスタイルや個性を重視した選択をしたい」という「選択の自由」志向が高まっている。こうした志向は、日本人の意識構造の中では、「自己責任という煩わしさは回避したい」「他者に寄りかかり安心したい」という傾向と同居している。「周囲を意識し突出を嫌い、無難であること」を求める傾向も根強い。「快適性」や「利便性」を求める傾向も見られる。

時間選好意識を見ると、近年では、高度経済成長期に見られた「未来志向」が影を潜め、「現在志向」へと大きくシフトしている。

家族や職場、地域社会における人間関係が希薄化してきている。他方で、インターネット等を媒介に、知人、友人等との間のコミュニケーションが増加し、新たな緩やかなネットワークが広がりつつあるとも言われている。

(6) 社会貢献意識と他者への依存

(社会貢献についての意識と行動のギャップ)

日本人の社会意識に関する調査によれば、「何か社会のために役立ちたい」という「社会貢献」に関する意識レベルが比較的高い。しかしながら、ここで言う「社会」とは、多くの日本人にとっては自分の生活と関わりのある身近な空間(ウチ=「世間」)であることが多い。

様々な組織・制度に対する信頼度調査によれば、医師、教師、警察官といった身近な存在ほど信頼される一方、国や全国レベルの組織といった「人々にとって分かりにくい存在」になればなるほど信頼性は低くなる。社会的行動による関与の度合いを見ても、対処すべき問題が全国レベルから地域レベルでの「ウチ」の問題となるにつれて、自力本願の姿勢が見られるようになる。

自分との距離感が遠い事柄に対しては、「煩わしさは回避したい」との意識から、自発的に社会性を担うことに消極的となり、例えば公的サービス等を通じて対処して欲しいという「他者に寄りかかり依存する」傾向が強くなる。「国」は、多くの日本人にとって、「信頼しにくい存在」であると同時に「強く寄りかかりたい存在」となっている。

(曖昧な「公」の観念、新たな「公共世界」の構築)

日本人の社会観においては、「公(オオヤケ)」や「公共性」という観念が曖昧であると言われる。実際、わが国においては、「公」はしばしば「政府(官)」と同一視され、「経済(民)=私」と併せて、いわゆる「公私二元論」が支配的となってきた。

現実の社会においては、「政府の公」とは異なるもう一つの「公」、すなわち市民活動から企業の社会的責任に至るまでの「民(タミ)の公」というべき領域が存在する。

今日、町内会などの伝統的な地縁集団の機能が弱まる一方、社会の多様化が著しい。こうした中で、様々な社会の問題に柔軟に対応していくためには、広義の「公」の意識に基づいた「公共世界」の構築が欠かせない。

(7) 分配構造の変化の兆候と「機会の平等」志向

(分配構造の変化の兆候)

所得の不平等度を表す「ジニ係数」の動きをみると、高度経済成長期を通じて低下傾向にあったものが、1980年頃を境に横ばいないし徐々に上昇する傾向が見られる。これは、主として、世代内での所得分配のバラツキが大きい高齢者世帯の増加によるものと考えられる。

資産保有の状況を見ると高齢者層ほど保有額が大きくなる中で、高齢者世代内においては、その経済的状況は多様な姿を呈している。

社会的流動性について、親子間の職業的ステータスの継承性の強さを示す指標である「オッズ比」でみると、高度経済成長期を通じて低下し、社会的流動性が高まっていた。しかし、1980年代以降は横ばいとなっており、次第に社会的流動化のトレンドが鈍化してきているように見られる。

高度経済成長期末には、収入レベルの上下を問わず帰属階層意識が一致していたが(「一億総中流意識」)、近年では帰属階層意識の二分化が見られ、「一億総中流意識」がゆらぎ始めたように見受けられる。

高度経済成長期を通じて進んだ社会の「均質化」や「流動化」の動きが、近年、鈍化してきていると見られるが、他方で、わが国の分配構造は、国際比較で見れば、基本的に、高い経済水準の下で相対的に格差の小さい均質的なものとなっている。

これまで「右肩上がり経済」の下で、誰もが「明日は今日より必ず良くなる」と確信できた状況が消滅したことにより、実態以上に人々は分配のあり様に敏感になってきているのではないかと思われる。

(「機会の平等」への志向)

日本人の平等に関する意識調査を見ると、年齢、職業、収入等によってバラツキは見られるものの、「機会の平等」を相対的に強く志向する傾向が見られる。また、基本的には「努力した人が報われること」に対する支持が強い。

「結果の平等」に対する意識については、行き過ぎた「結果の不平等」に対して懐疑的である一方で、行き過ぎた「結果の平等」に対しても否定的に捉える意識を観察できる。

(8) 財政状況の深刻化

(戦後の財政運営)

戦後の財政運営を見ると、高度経済成長期には、いわゆる「均衡財政」がほぼ保たれていた。高度経済成長を支えた基礎的諸条件が変容した1970年代央に、財政面でも歳入歳出ギャップの顕在化という構造的変容が始まった。

その後、財政再建に向けた取組みがなされ、バブル景気による税収増等も相俟って、1990年度には特例公債依存から脱却した。しかし、1990年代以降、バブルが崩壊し、経済が長期低迷する中、経済対策の実施等もあり、財政も一転して急速に悪化した。

(問われる「財政の持続可能性」)

わが国財政は、現在、戦後最悪の状況に陥っている。部門別資金過不足状況で見ても、近年、家計部門の資金余剰が激減する中で、一般政府部門の資金不足が大幅に拡大しつつある。

わが国経済社会が大きな構造変化を遂げつつある中、今後の展望は一段と厳しい。高度経済成長期のような税収の自然増は期待し難く、更なる社会保障関係費の増加も避けられない。国民負担率(対国民所得比)を見ると、わが国は主要先進国の中で最低水準にある。

経済社会システムを構成する重要な主体のひとつである財政の「持続可能性」が問われており、財政健全化が急がれる状況にある。

(9) 環境負荷の増大、多様化

高度経済成長期においては産業型公害が中心であった。その後、グローバルレベルでの環境負荷としてオゾン層破壊や地球温暖化が進行し、大気汚染や廃棄物などの都市生活型の環境負荷も顕在化するなど、全体としての環境負荷が増大し、多様化してきている。

資源・エネルギーの制約という面もあり、大量生産・大量消費・大量廃棄型社会から「循環型社会」への転換が求められている。経済と環境の両立が求められる。

(10) グローバル化の進行

(グローバル化の実態)

冷戦の終結、貿易や資本取引の自由化、情報通信革命の進展等を背景に、モノ・カネ・情報・文化等の様々な分野で国際的な動きが活発化し、相互依存関係が深化してきている。こうした動きは、東アジアをはじめとする新興経済国・地域や旧社会主義国などにも広がり、政治・経済・社会の諸問題も、急速に「グローバル化」している。

グローバル化については、これにより価値や理念、社会システムの一元化・標準化が進むという見方がある一方、「制度的多様性」と調和し得るという見方があるなどその評価は区々である。

(国際的結びつきの深化)

わが国は、モノ・資本・ノウハウなど多面的に国際的な相互依存関係を深化・拡大させつつある。とりわけ、東アジア地域との間でその傾向が著しい。

貿易面では、原材料を輸入し製品を輸出するという「垂直型」から製品を輸入し製品を輸出するという「水平型」に転換している。1980年代半ば以降、対外直接投資も増大してきている。今日、貿易収支のみならず、対外直接投資の果実である所得収支も大幅に黒字化している。海外からの対内直接投資も増加し、2003年には特許等使用料の対外的受払も黒字化した。

(グローバル化を活かす)

グローバル化に対する日本人の意識を見ると、肯定的な評価と否定的な評価とが混在している。

1990年代においては、バブル崩壊後の経済の長期低迷、グローバル化の潮流の中で、それまでの「自信過剰」から「過度の自信喪失」に大きく振れた。

日本の強みは、製造業のもの造り能力やアニメなどの「ソフトパワー」にあり、今後、グローバル化を相対的なものとして捉え、わが国の位置を冷静に見つめ、グローバル化を活かすとの視点が重要になっている。

(11) 上記ファクトに見られる傾向

わが国経済社会が「基盤」の変容とも言うべき構造変化に直面しており、今後の経済社会のあり様について「量」から「質」へと根本的な転換を促している。

(「量」から「質」へ)

高度経済成長期に形成され定着した「標準」が消失し、「多様化」が進みつつある。

(「標準」から「多様」へ)

委員

どうも朗読ありがとうございました。

それでは、3つのパートに分かれております。前半が「基本的視点」という問題意識の展開したところと、あと、これまでご報告いただきました実像のところのファクト・ファインディングスですから、ここを一括して、過去の我々の分析した結果の整理という形で、いろいろ文章についてのご注文をいただきたい。それが一通り終わった後で、「将来に向けての視点」という、これは言うなればポリシー・インプリケーションですよね。実像把握をしながら、我々はどういう形のものを受け取ったかという形をここにまとめて、ここはおそらく一番重要なパーツになると思いますので、別建てでやっていきたいと考えております。

それでは、1ページ目から9ページ目まで、これを一括して、どこでも結構でございますから、ページと行数、マルの幾つ目とかなんとか言っていただければすぐわかると思いますから、それに従って、具体的に箇所をご指定してと、そういう格好をとってください。

それでは、どなたでも結構ですから。

委員

私、まず最初に申し上げたいのは、税調として、こうした社会変化に対応していこうという姿勢で議論していったということは大変すばらしいことだなと、世界に誇れる、本当にすばらしいことだと思います。日本人として非常に誇りに思えるスタイルでこれが出てきていると思います。

ただ、1つ気になることが、これを実像という言葉で表現することが誤解を与えないだろうか。つまり、実像と言うと、例えば本日現在の人口とか、そういうことであればいいのですけれども、これは推計値とか推定値とか、それから、ほとんどの部分が解釈なわけですね。ということは、他の解釈が当然あり得る。その中で、この委員会が、先ほど事務局がおっしゃったように、今後の議論をするためのブリッジのためにこういうのをするのだと。これはもう絶対必要なことなのだけれども、それを実像と言ってしまった途端、あたかも、他の解釈をどうするのだという声がわき起こってくるのではないだろうかと。そういう誤解を与えないことが、プライマリーバランスの黒字化という非常に難しい局面にあって大事なことではないかなと思います。

委員

実像に括弧つけたのはそういう意味なのですよ。

委員

そうおっしゃるだろうなと思ったのですけれども、実像というのはやはり客観的なあれで、解釈が入っている以上、認識ですとか、あるいはそういった……。

委員

そういう言葉がいいということですか。「認識」という言葉が。

委員

当然そういうことにならないと、これはあくまでブリッジをかけているので、議論の外堀を埋めているのではないということを国民にやはりはっきり明示していかないと、今後の議論が非常にやりにくいのではないかと。

委員

ただ、実像というのは1つしかないという意識を持ってないのですよ、僕は。幾つあったっていいのですよ。唯一、たった一つの存在ではありませんから、いろんな形でいろんな実像の議論ができていいと思いますよ。

委員

だから、そのことを明示的に括弧で明示されているのは私は不十分だと思ったのです。例えば一つの実像ということであれば、もちろんそれはいいと思うのですけれども、これは民主社会にとって非常に重要なことだと思うのですね。これだけの議論をやって、我々が次のステップにするときに、構造変化が存在しているのだと、そこから始めるのだということは非常に大事だと思うのですけれども、それを実像と言ってしまうと、しかも政府の機関が言ってしまうということの重み。それから、1.29が出たばかりであれですけれども、国民が向けている目、そういうものに我々が誤解を与えないように、ちょっとでも努力していかないと、せっかくのこのすばらしいスタイルが崩れるのではないかと。

委員

皆さんのご意見を聞きましょう。私は私なりで考えがありますけれども、また後ほど。どうぞ。

委員

僕は全く反対だと思うのですね。あえて実像と言うべきだと思うのですが。いろんなファクトはたくさんデータとして並んでますけれども、そういうたくさん並んでいるデータのファクトの一つ一つについての吟味は多少あるでしょう。統計の処理の仕方もあるかもしれませんが、だからこそ、今回こういう、いろんなそれぞれの研究分野から生の直接の発言というか、レポートを出して我々聞くことができたわけですけれども、これは相当強い、むしろ逆に強い調子で、この実像というのを強く押し出す政府機関がむしろあっていいので、むしろ役人の限界を超えて出すぐらいのつもりでないとだめだと思うのですね。

ちょっと個人的な感想を一言だけ言わせていただきますと、この間の皇太子さんの発言がありましたね。あの皇太子さんの発言とこの実像というのはすごく結びついているのですね。皇太子さんの発言というのは、あれは、天皇家の家族モデルというのを考えていくと、正田美智子さんが今の天皇にお嫁に行ったときの家族モデルというのは専業主婦モデルだったのですね。耐久消費財をどんどん買って豊かな生活を目指していくという、そういう専業主婦モデルでの家庭というのが1970年代に実現して定着して崩壊していくという流れが1つあるのですが、それはやはり当時の我々の気分を代弁していて、それは多分、昭和天皇の戦争責任という問題もあったのだけれども、天皇家と国民の一種の再契約の儀式だったと思うのですね。あの当時のご成婚というのは。

そして次に、皇太子さんと雅子さんというのは、総合職の女性と天皇家の再契約みたいな形で実現していったのだと思うのですけれども、そういう中で、結局、少子化の問題が皇太子家の家を襲って(笑)、しかも、新年の参賀には古い3世代の、並んで手振るという原風景を見せながら、結局、あのうちの娘は嫁に行かないではないかと。紀宮ですか。というふうな感じで見えてくるわけですよね。それはまさにそういうふうな国民の現状をやはり天皇家の家族モデルというのはすでにどこかで代弁しているところがあるという。それが、つまり、皇太子さんは私を助けてくれと国民に訴えた。国民に訴えた初めての、国民に救出を訴えているのですね、自分の。

ところが、国民の側も実は同じように大変だから、同じような課題を抱えていて、アイデアが何もないわけですね。つまり、助けてくれと言われても、うちも同じだよというふうなことなわけでありましてね(笑)。そういうところに来ているというのがね。僕は、この時期に、この半年間これをやったら、本当にぴったり、そういうときに皇太子がああいう発言するのだなあという、非常にタイミングが合っていてね。僕も常々感じていたことだし、この辺で一回整理しないといけないのではないかと。

ということで、幾つか幅はあるでしょうけれども、まさに実像というものをやはり示すということだと思いますね。

委員

反論があるでしょうから、どうぞ。

委員

今おっしゃったのはまさに構造変化なのですよ。実像かどうかというのは、委員はそれはそう思っていらっしゃるかもわからないけれども、違う意見というのはたくさん出てくるわけであって、その中でどうやって意見を集約するかというのが、まさに我々人類が長くかけた民主主義なわけです。ですから、構造変化が存在しているということを強いメッセージで打ち出すということは私も大賛成であります。それが今後の税制の議論に非常に大きなベースにするということも大賛成であります。

ただ、国民に誤解を与えないようにしたい。いろいろな他の解釈があったときに、そういったものを捨て去るわけではなくて、それも取り組みながらいきたいのだという姿勢をまずあらわさないと、我々は神様ではないのですから、実像が、私はわかってません、少なくとも。ということです。

委員

どうぞ。今の件ですね。

委員

はい。中身的には非常によくその構造変化の状況をとらえられていると思うのですよね。21人の人が、専門家が集まってやったわけですから。ですから、もし実像が問題になるのであれば、例えば「構造変化するわが国経済社会」と、これでいいのではないですか。見出しで争っていてもしようがないと思うのですけれども。

委員

ただ、実像というキャッチフレーズ的な言葉に重みを置いているわけでしょう。どちらかというと税調が送るときのメッセージとして、一つの武器というか、手段かな。これは皆さん個人個人、ご関心があるようだから、ちょっと二、三またご意見を聞いて進めたいと思います。何かありますか。ちょっと集中審議しましょう。

委員

今の話を聞いていて、このファクト、いろんなことを教えてもらったでしょう。受ける印象は一人一人みんな違うと思うのだ。僕なんか、少子高齢化から、家庭の崩壊から見ていると、これはもう亡国の兆しだと。はっきり言うと。何をガタガタ言っているのだという意見が、僕は古いから、そう思うのですよ、半分ぐらいは直観的に。

しかし、この文章を読むと、いや、これもいいところ随分あるねと。個人が自由になって、選択権が広がって、自己責任があってと。なるほど、そういうふうにも読めるかと。だから、同じファクトでもいろんな角度から、個人の価値観によって違うわけだ。このメンバーだって違うのだから。それぞれみんな。僕なんかはどっちかといえば、こういう変化というのは、日本経済、日本の国家はだんだん力を失っていくプロセスにあるのだなということぐらいは確認できたと思っているのだ。

ただ問題は、そこから出てくるのは税制対応なのだけれども、2つやり方があるのですよ。税制対応にはね。こういうファクトを仮に受け取ったとして、2つあって、1つは、そうか、この流れはあまりよろしくないから、税制上も、税制ですべてできるわけではないから、何か対抗措置でもとるか。少子化だったら、これは絶対に必要だと僕は思っているのだ。この1点について言えば。

しかし、ほかのことは、結婚、それもちょっとそれに関係するけれども、ほかのいろんな現象を見ていると、税制でやることではないだろうと、そんなことは。税制は、そのファクトの上に乗っかって、どう税金をいただくかの問題なのであって。この税調の仕事は。みんな公平で、国民に共通の権利を持ってもらうことが必要なので、そうなれば、今の変化にあわせた税制のあり方というのは必ずあるに違いないと。意見違うかもしれないけれども。

10年間、過去我々は何をやってきたかというと、減税ばかりやってきたのだ。短期の景気政策だけ、税調に求められたのですよ。そろそろ、その「失われた10年」はもうおしまいになって、景気回復で、真っ当な議論でもやろうかという話に今なっているわけだから。それで会長と事務局が相談して、こんな大勉強会やったわけだ。こんなこと、歴史上、僕はないと思っている。税調の中では。それをどう生かせるかどうかはこれから税調に問われている。この器量を問われているわけだ。

だから僕は、ファクトについての価値判断は、年齢によって、経験によってうんと違うと思っている。それはそれで当たり前のこと。問題は、税制をどう対応するかということについて、僕は、今の、ネガティブだけれども、だから税制でストップしようとは思わない。少子化だけは何とかしたいと思っているけれども、ほかは全部思わない。あとはその変化に応じてどうやって無理なく税金を多少払ってもらうかということだと思っています。

委員

それは後段の議論にもかかわりますから、再度ご発言をいただきたい。実像という言葉の使い方はどうですか。マスコミで生き抜いてきた委員の発想からすると。

委員

実像というのは別に、それでいいのではないの。今回、40代中心の研究者、学者が自分が一生懸命集めたデータを公表してくれたのですよ。それを評価するのは、繰り返し言っているけれども、いろんな解釈あっていいのですよ。ファクトはそれだなと思ったら、そこから先どう考えるかということですからね。考えるのはこちらの話ですよ。

委員

わかりました。ほかにどうぞ。

委員

実像という言葉を使うか、構造変化という言葉を使うか、それはいろいろあると思いますけれども、この実像の中で述べられていることがいわば客観性を持った予測として受けとめられるのか、場合によっては、この方向性の望ましさとか、望ましくないという価値判断ももちろん入る可能性もあると思いますし、それからもう一つ、要するにこういう変化が、少なくとも税制調査会がこれを分析する以上、税制がこれにどうかかわったかという視点をちょっと入れないと、つまり、税制がむしろこういう変化を促してきた。例えば、非常に簡単な例は、パートや何かが非常に増えるというときに、やはり103万円の壁というのがよく言われていて、そこで労働供給を打ち切ってしまうような傾向はむしろ税制が生み出してきたという面もあるのかもしれない。

だから、税制に限らず、政府の政策はむしろこういう変化を促進していった側面と、逆に対応できないために問題をもたらしてしまったという面を多少は整理をいずれしないと、その後の、税制でどう対応するかという議論になかなかうまく議論して結びつかないのではないかという印象を、今うかがって持ちました。

あともう一点、申しわけありませんが、この中で、実をいうと、最初にどういう問題を取り上げるかというとき、私は公共部門の話をできればやってくれという話をしたので、それは大変よかったのですが、この中の(8)ですね。日本の「財政状況の深刻化」というの、これは確かにそうなのだけれども、これを持ってくる場所がちょっと気になってまして、要するにこういう構造変化の中にうまく対応できないので財政が非常に悪化してきたのだというようなメッセージを送るのだとすれば、最後がいい。8番に実像の一つとして挙げるよりは、何か大きな社会構造変化の中で対応できなかった結果だというふうに位置づけられないかなという気が私はしているのですが、ちょっとそれだけ。

委員

ありがとうございました。前段のほうは、あえて入り口までで議論をとめていたのですよね。だから、委員のご意見は、もっと飛び込まないと税調らしい議論にならないよと。これも一つの案だと思います。その辺も含めて皆さんのご意見を聞きたいと思います。どうぞ。

委員

やはりその点なのですけれども、実像という言葉はともかく……。

委員

いや、ともかくではなくて、どういう意見を持っているの?

委員

後で。やはり僕も財政のところが気になっていて、要するにこれだけの仕事をしてきて、じゃ財政、特に税制との関係はどうなのだと。委員は、税制がむしろ、いい悪いはともかく、何かをやっていたのではないかと。だけど、私は思うのですけれども、それももちろんあるとして、流れ、全体としては、「量から質へ」「標準から多様化へ」、ここはみんな受け入れていて、結局突きつけられているのは、人々はだから、量から質へ、それから多様化、選択の自由にしたいのだと。人々がそうしているときに、今のままだと、国全体の負債の重みをどうしょっていくのですかと。

僕だったら、つけ加えたいのは、だから我々は、バブル崩壊以降積み重なってきた負債をここで身軽にして、人々がこういう、個人が自分で選択して多様化の中で生きていける、そのリスクを自分が、自分がということは、その選択の中で対処していくようにしていく。そのためには我々は身軽にならなければいけないというところでつながるのかなと。その意味で、問われる財政の持続可能性というのは非常に重要で、単にこれは危ないのだよというだけではなくて、これをしょっていったら結局は何もできなくなってしまうというのが、私が読んでいて一番つながるところなのかなと。

そのときにどう負担を求めるかというのは、まさにライフスタイルも各人のライフのいろんなコースもあるし、年齢もあるし、その中でどう適切に負担を求めていくのかという議論になってくるのだろうなと思いました。

実像に関しては、委員のおっしゃることも非常にわかるし、実像というのは、でも、括弧がついているところがすべて万感こもっているのだと思いますけれども、そこはあまり、個人的にはもう少し皆さんの意見を聞いてからと思います。

委員

わかりました。ほかにいかがでしょう。ほかの場所でも。だんだん広げていきましょう。最初の入り口だけで、あるいは方法論だけで、書きっぷりだけでなくて、内容についても含めてご議論いただけたらと思います。

なんかおとなしいですね。委員、何かないですか。どうぞ。

委員

指名がありましたので。後半の3回くらいしか、途中から来ましたのでやってませんので、あまり言うべきこともないのですが、まず、今話題になりました実像についてですけれども、これはまあこのままでいいのではないかという気がします。

というのは、これは会長もおっしゃったように、かぎ括弧をつけてあると。一般に、特に我々の業界では、言葉にかぎ括弧をつける場合には、必ずしも確定した概念でないときにつけるということがわりと多いわけでして、したがって、必ずしも実像は1つではないと、あるいは確定したものではないということに対しても、これは耐え得るのではないかなという気はいたします。

実像についてはそれなのですが、あと中身のことに関して1点だけありますが、4ページの「日本型雇用関係」の揺らぎというところがありますね。これは日本型雇用関係が揺らぐことによって、正規雇用や非正規雇用、その他、いろいろ、格差拡大とか階層化の可能性ということにつながっていくので、これは税制には非常に関連があるのではないかと思うのですが、ここで背景として述べられていることは、日本型雇用慣行は高度経済成長期に定着したということが書かれてあって、一方、1990年代以降、それが転換してきた、あるいは維持が困難になってきたと書かれてあるわけで、一方、高度成長というのは大体70年代半ばに終焉しているわけで、この間20年ぐらいのタイムラグがあるわけですが、この理由が必ずしもここには書かれてないわけで、1つ言えるのは、高度成長から安定成長になり、低成長になり、バブルがあり、バブルが崩壊したということでしょうが、それが大きいのか、あるいは、この20年間ぐらい、特にこの日本型雇用慣行というのは大企業中心の慣行だと思うのですが、日本の大企業にそれだけ、20年間、タイムラグを頼るだけの余裕があったのかどうか。その辺の理由をもう少し簡単に書き入れておいていただければわかりやすいのではないかなという気がいたします。

委員

わかりました。ありがとうございます。ほかにいかがでしょうか。

委員

先ほどの、特に9ページのこれからの傾向というところに、「標準」から「多様」へということがありまして、これは私、極めて重要な、本当にキーワードになることは十分承知しております。ただ、これは2つ解釈がおそらくあると思います。1つは、一つの標準モデルが崩壊したと。したがって、多様な標準モデルを作れという。例えば、従来、専業主婦、家族2人と子ども2人のそういうモデル、そういうのは崩壊したと。しかし、そうではなくて、今度は単親モデルを作れとか、共働きモデルを作るとか、多様なモデルを作って分析しろという意味が1つあると思うのですね。多分、そうしないと、税制で負担とか図るときに、一体その単位が何なのかわからなくなってしまうということがあって、そういう要請が1つあるのだろうと思います。

もう一つは、とにかく標準モデルというそのものがもう崩れてしまって、多様化してしまったので、あえて標準モデル的なものはもう作らないで、全く、極端に言えば個人だけに着目してそれを見たほうがいいというような。多分、「標準から多様へ」というのはそういう2つの要請が今後出てくる可能性があって、ここでちょっと「標準から多様へ」をどういう意味で使うかということについて、私などは別のところでこういうことをかなり実感したものですから、それの意味をもしできれば少し議論して……。

委員

ここではそれは本格的に議論してませんよ。おそらく委員の2つの解釈におのおのどっちかなあという感じで今聞いてられると思いますけれども、それをここであえてやらなければいけないかどうかもまた問題の一つだし、書き方の中でどういうふうにうまく論旨を展開していくかと。委員はどっちがいいと思っているの?

委員

非常にプラクティカルに言えば、やはり多様な標準モデルを作らざるを得ないだろうと思っているのです。

委員

なるほどね。標準的かどうかわからないけれども、ティピカルなケースということなのでしょうね。

事務局は、今のようなことに対して、君、一番熱を入れて書いてくれたところだから、ありますか。

事務局

ここでは10個のキーファクトということで、まさに現象として何が起こったかということをまず確認したいということでございましたので、おそらく画一というものが何かなくなったという、その事実をいわば価値中立的に、おそらく「多様化」という言葉を使うということまでがここの限界だろうと思って使っております。

この後、先生のお話で、おそらく、多様化しているので、実は多様化に対して細かく対応していくのか、あるいは、どちらかというと大ざっぱにというか、対応するのかという。おそらくその「多様化」の意味というのは、ここから価値判断を含んだ形での方向観が出てくると思いますので、それはむしろこの視点とか、あるいは場合によりましては、これを踏まえて今後のご議論という形に展開していくというようなことでないと、ここの使い方はそういう価値中立的だということが限界だろうということで、そういう意味で使ったつもりでございます。

委員

どうぞ。

委員

3つばかりあるのですけれども、1つ目の実像のことにつきましては、私は、今回も、網羅的なデータで、相当いろいろな分析を行って、データに基づく議論をかなりやってきたという感じがしています。その意味で、そのデータ自体というのは社会の実像そのものであることは確かですから、そういうことをうまく解説しながら、なぜ実像という言葉を使ったのかということを入れて、誤解のないように工夫したらどうかなという感じを私は個人的には持ってます。

それから2つ目は財政の点ですけれども、私も同じような意見なのですけれども、やはり財政の負担の問題というのは、それに耐え切れないだけの負債が大きくなっている。国債の問題ですけれども、これについてももう少し強調されてもいいかなという感じを持っておりまして、「貯蓄から投資へ」とか、そういうようなことを言っていますけれども、いわばどんどん政府部門の資本不足が大きくなっていって、金融商品は、「貯蓄から投資へ」と言っても、国債ばっかりということにもなりかねないと。金融面にも非常に大きな歪みをもたらしていて、そういった負債の問題というのも、この財政のサステイナビリティと同じぐらい大きな問題としてここにどんどん書き込んでいただきたいなというのが2つ目です。

それから3つ目ですけれども、他の先生がおっしゃった「標準から多様へ」の1つ上の、9ページの「量から質へ」ということですけれども、ここで書きぶりをちょっと注意したほうがいいかなと思っているのは、確かに高度成長期のようなGDPがどんどん伸びていくという世界はさよならしたわけですけれども、かといって、成長がなければやはり日本経済全体としてサステイナブルではないわけですから、日本経済の持続的な成長というものを見極めながら質的な多様化というのをうまくやっていかなければならないということだと思います。だから、ここは書きぶりの問題だと思うのですけれども、成長を捨てるわけにはいかないので、その辺、書き方をちょっと工夫したほうがいいのではないかなと思いました。

委員

ありがとうございました。ほかにいかがでしょうか。どうぞ。

委員

実像の問題について言えば、かなり事実としての把握に努めてきたという感じがしまして、1.の(1)の最初のところに、「『実像』に少しでも接近しよう」ということで、そういう努力でやってきたというふうに理解するのであるならばそれでいいのではないかと。その実像からどういうふうにこの事柄を判断するか、先行きどういうふうに判断するかというようなことについて見れば、これはいろいろ考え方はあるだろうと思うのですけれども、ここに書かれていることはわりに事実関係に属するのではないかなと私は思います。

それから、この作業とその後に続く作業の関係をどういうふうに考え、仕分けするのだというところが、税とのつながりの問題にどの程度触れるか、どの程度にとどめるかということにつながるのだと思いまして、そこをどうせこういうことをもとにもう一遍、今度は税の観点から見直しをして作業せざるを得ないのだとすれば、基本的なラインを示すというところで私はいいのではないかなという気がします。

委員

基本的なラインというのは、具体的に入るよりも、入り口のあたりで示唆する程度でということですか。

委員

ええ。

委員

これも皆さんのご意見を聞きたいと思っているのですけれども、例えば記者会見なんかすると、非常におもしろい、有意義な分析をしてますというところは評価あるのだよ。それをどういうふうにブリッジをかけてつなげますかというところで絶えず聞いてくる。そうしないとマスコミの人は記事にならないのだよ。そういう面もあって、この段階でどうするかというのがちょっと決め手なのですが、いずれにしても9月以降は、こういうファクト・ファインディングスなり、基本的な分析をベースにして具体化に進むので、それは次の議論だよと突っぱねることもできるし、何となくインプリケーションをそういう含みを持たせるかなんてあたりの書きっぷりなのですけどね。

委員

まさにそういうことなのですが、聞くほうは関心があるだろうと思いますが、ここでの議論から言うと、さほど明確なスタンスが示せるほどの議論にはなってないと思いますし、少なくとも書き物としては、そこら辺の仕分けの仕方をきっちり考えを固めて対応したほうがいいと思います。

委員

わかりました。どうぞ。

委員

今、委員が言われましたけれども、大体、どういうふうに実像をとらえるかということが前提になって、これから税制の議論も出てきますけれども、その場合に何らかの、特に極端なバイアスがかかってくるという状況でなければ、実像をこういうふうにとらえているということで理解は得られるのではないかと思うのですね。その実像の中に、具体的にどれとどれが問題になるかということはちょっとまだわかりませんけれども、これをやると極端な方向へ税制の議論が進みそうだと、そうなりますとやはりいろいろアレルギー出てくると思いますけれども、この書きぶりから見ると、私自身としては、税制調査会はこういう形で認識をしていると、わりとふあっとした感じなので、それに基づいて、じゃ今度はどういう税制の議論が広がっていくのだろうかと。これが予想できればいいのですけれども、おそらくまだ予想できない状況なので、特にこれに対してとんでもない認識をしているといった批判も出てくるというような気も私はしないので、こういう形でよろしいのではないかと思うのですね。

ちょっと関係のない話を加えさせていただきますと、裁判官に非常に国ばかり負かすので有名になった裁判官がいたのですけれども、判決の中で、何々について、「これは周知の事実である」という言葉を使ったのですね。周知の事実であるという言葉を使ったのは、その裁判官が証明できないからそういう言葉を使ったわけです。非常にそういうような形で、いわゆる、一種のずるいことをやって、いかにも事実であるかのような表現をとってしまうと。この報告、これを一緒に並べて申しわけないですけれども、この実像というのにはそういう意図はありませんので、特に……。

委員

そういうことを言いたいのですか(笑)。

委員

そこでつながるのですけれども(笑)、特にそういう意味で、これは実像だと決めつけて押さえつけるというものではございませんので、そんなにこだわることないのではないかなと私は思っておりますが、そういう認識でおります。

委員

ありがとうございました。どうぞ。

委員

いろんな、それこそ実像は変わっているということを出すのがインパクトとして必要だと思うのですが、そのわりに、ここで1回目で出てくるのが超高齢化社会とか右肩上がりの経済の終焉とか、これはもう耳タコなわけですよね。もうみんな知っているわけ。みんなが思っていた超高齢化社会よりももっとひどくなったよという言い方をしないと、本当に違うのかいというふうにならないのではないかなあという気がするのです。それが全部、例えばグローバル化にしても、多様化にしても、みんなが思い込んでいるものが、でき上がっているものがあって、それこそそれが随分違うので、もうちょっと何か違う言葉使いをしたほうがいい。「量から質へ」とか。という気がします。

委員

なるほどね。みんな単発的に思っていることを10個まとめたというところが一つのセットとしては価値があるのだと僕は思ってますけどね。ただ、委員の言われることも1つですね。どうぞ。

委員

実像の議論というのは、ここに書いてある構造変化というのは、確かに我々も薄々感じてきたことがそのままファクトで裏づけられてきたのだなというのはありますね。ただ、その構造変化のレベルというか、それがどこまでいっているのかということで、実像なのか実像でないのか、分かれるのかもしれない。かぎ括弧をつけていれば、まあ実像でもいいのだろうなと思いますが、この後の議論に絡んできますが、将来の視点、将来に向けての視点のところでこれをどういうふうに絡めるかということになると、やはりちょっと問題になってくるかなあ。

つまり、ここに書かれた構造変化が、じゃすべてこれにあわせて税制を作っていくのかいなと。そうなると問題が出てくる。例えば個人化の問題にしろ、家族の見直しとか、そういうのも随分言われている。フリーターの問題にしても、これは好ましくないのではないかと言われている。いや、もっと進むかもしれませんよ。この日本の企業の労働慣行、雇用慣行、これももっと崩れるかもしれない。しかし、一方にはキャノンなりトヨタなりああいう、いわゆる終身雇用は依然としてあるし。もちろん年功序列とかそういうのは崩れてますよ。しかし、終身雇用がやはり彼らの利益をかなり支えている部分があるという見直しが最近随分なされてきている。とすると、どれぐらいのスパンでとらえるかの問題になってきますが、ここで書かれている構造変化はすべて税制の中で、それに即応しますよということになると極めて問題が出てくる。そこのところをちょっときちんと整理していかなければいかんなあと思ってます。

委員

わかりました。おっしゃるとおりですよ。そうすべて一々対応で書いておるわけではないけれども、税制と社会の構造が何か乖離してきた、ミスマッチが起こっているというぐらいのインプリケーションは多分必要なのでしょうね。その辺がポイントだと思いますけどね。

ほかにいかがでしょうか。どうぞ。

委員

大分間休んでいまして、貴重なレクチャーを受けていないというか、そういう状態ですから、もしかするとピントが外れているかもしれないのですけれども……。

委員

いやいや、単位はあげますから大丈夫ですよ(笑)。

委員

そうですか。よろしくお願いします。

ここで書かれていることは、確かにそうだなと、そういうふうに拝見いたしました。そういう中で、税制とどうつながるのか、そう考えるとちょっと問題がありそうだなあと。そういう点が、まださっと見ただけですから十分には言えませんけれども、例えば7ページの問われる「財政の持続可能性」のところで、国民負担率がわが国は主要先進国の中で最低水準であるという書きぶりがありますし、それから8ページのところでは、環境負荷の問題として、産業型公害から都市生活型の環境負荷が顕在化していると。これは確かにそうなのですね。ただ、税制で考えていくと、それが税金とどうつながるのかなあというと、大変私の立場としては心配だという、そういう感じを受けます。

それから全体の感じとして、そのとおりには違いないのですけれども、これは骨子ですから実際には変わってくると思うのですけれども、普通の人がこれを読んだときにもう少し弱い立場、底辺といいますか、その辺がちょっと見過ごされているのではないだろうかという、そういう印象を持たれるのではないかと思いますので、公表する場合の書きぶりはもうちょっと工夫が要るのではないかと思います。

それから労働問題で、女性、高齢者、外国人のことが出ているのですけれども、これもちょっと書きぶりを変えないと、数年前の、当時通産省だった産業構造審議会の答申の中でこの問題が書かれていたような気がするのです。ですから、ちょっと書き方というか切り口を工夫しないと、委員がおっしゃった……。

委員

何ページですか。

委員

これは何ページでしたかしら。ごめんなさい。そこら辺のところが、今の時点でもう少し工夫が必要なのかなあと、おこがましいことを申し上げますけれども、そう……。

委員

2番目におっしゃった弱い者の視点というのは、おそらく分配構造のあたりとか、機会の平等であるとか、6ページ、7ページあたりにかけての議論と絡んできますね。多分ね。

委員

そうですね。

委員

ありがとうございました。ほかにいかがでしょうか。

10ページ以下、最後の「将来に向けての視点」のほうも、お触れになった方もいらっしゃいますが、この辺でもう少しどうだという議論をぜひお願いいたしたいと思います。どうぞ。

委員

最後のほうまでカバーしていいのですか。

委員

どうぞ。

委員

さっきちょっと言ったことと若干ダブるのだけれども、ここのところ10年間、経済的な大混乱の中で、税調には政治的、社会的に至るところから減税の要求圧力が圧倒的に来たわけ。それに対抗していろんなことをやったけれども、大勢から見れば、とにかく税調というのは、短期的な視点での景気対策や長期的なことまであったけれども、そういう要請に追いまくられてきたのが現実の姿ですよね。

ところが、今ようやく、だれのおかげか知らないけれども、景気回復で気分が随分変わって、世の中随分変わってきたなと。初めて税調は、税調の本来の役割は何なのだと、特に立ち返るチャンスが今やっと来たのだよ、10年目に。僕に言わせれば。どういうことかというと、税調というのはやはり、歳出構造はもちろん合理化する。大前提ですよ。いいですか。必ずみんなこれ言うから、こだわって言っておくけれども。歳出構造の中で税収が5割切るようなあほな国がどこにあるのだと。しかも、さっき他の委員が言っていたけれども、税負担のあれは日本は一番低いのだ。これはファクトなの。いいですか。実像なの、これは。自案はいろいろあってもいいから。意味することはいろいろあるよ。これを書いたときには。当たり前なのだ。これはファクトなのよ。

税調はそろそろ真っ当に、税制全体のあり方を含めて、基本的に財源をもうちょっと、劇的なことなんかできっこないのだから、しかし、前向きにもうちょっと充実したいと思うのが税調の責任だと思っているのだ、僕は。やっとそういう時期が来たのですよ。だから、今度勉強会やったわけだから。延々と。これをどう生かすかが大問題。さっき言ったみたいに。

それで、僕がさっき言ったけれども、今起こっていることについて、僕の価値観から見れば、ネガティブな評価が実は多いのだけれども、しかし、それはしようがないところもあって、時代の趨勢ならばそれにあわせていくという、えらい無原則的だけれども、考えざるを得ないことがある。それだったら、消費税も所得税も、特に所得税のことなんか、今度の勉強会からいろいろ酌み取ることができるかもしれんと思っている。そういう議論を秋口から個別ケースに当たって。所得税の入り口の議論から全部やるわけない、そんなことは。個別の具体的な問題が出たときに、このときの勉強のデータを足場にしながら、ちょっとは違った視点で議論ができるようになれば、今回の9回にわたる大勉強会は大きな成果があったと僕は思うのですよ。

ただ、具体的にどの税制をどういうふうに変わるか、どこを充実するかなんてことはなかなか難しい。一挙にいくわけない。これはもう最低の条件ね。消費税はいずれ、今の総理がいなくなればやらなければいかんことはわかっているわけで、所得税はその前から手をつける可能性があるかもしれない。ないかもしれない。わからない。いずれにしても、政府税調が増税税調になるということを言っているのではないの。正常な税調の役割を果たすように気分だけは持とうではないかという話ですよ。それが抜けていれば、細かい議論をやったって意味ない、そんなことは。というのが私の意見。

委員

わかりました。どうぞ。

委員

要するに何が言いたいのかということになると思うのですよね。税調がこういうものを出すという場合にね。その場合に、答えは11ページに出ている。要するに、いろんな構造変化を来たしている、実像でも何でもいいですが、そういうものを踏まえて何を考えなければいけないかということですから、ここで11ページに書かれてはいるのですけれども、1つはやはり、政府のというか、公的部門の役割というのはどのぐらいにするのかという、大きい政府か小さい政府かという視点。

それからもう一つは、税調らしく、負担の問題。ここには「国民一人一人が社会への参加意識を持ち」と書いてありますが、多分これは、税金を納めてない人がたくさんいるわけですね。社会生活していて。それでいいのかということを、私はそういうふうに読むのですが、そういう人たちも、歳出に対していろんなことを注文つける。当然結構なことですが、そのかわり、やはり負担のほうも応分のことをしなければいけませんねということを税調としてはきちっと言わなければいけないということだと思います。

ですから、やり方はいろいろあるし、税目、所得、消費、資産等々、課税ベース云々と書いてありますけれども、技術的なことはたくさんいろいろ考えられると思いますけれども、何が言いたいのかということだけ、税調らしく書くべきだと思います。

委員

もっとクリアーカットに書いたほうがいいということですね。読む人にわかってもらえればいいというのではなくて。

委員

ええ。ただの社会評論ではないですよという。税調が言う以上はね。と思います。

委員

そういうことをはっきり書けということですね。どうぞ。

委員

私も、今の意見やその前の委員の意見に賛成でして、歳出の削減、当然求められるのですけれども、やはりしかるべき負担は避けられないということをはっきり明示していくべきだと思うのですね。何度も言いますけれども、それはかなりやはり国民の理解を広く得ていかなくてはいけないと。今回のことは税調の歴史の中でも僕は非常にすばらしいことで、これはやはりどんな隙を出してもいかんと思っているのですね。

例えばですけれども、先ほども出ましたけれども、日本的雇用慣行、これは揺らぎということになってますが、例えば中小企業で一生懸命守っているところはあるわけですよね。こういう報告書で揺らぎと出して、しかも実像だということの重さというかですね。

さらにちょっとあれなのは、8ページの「グローバル化の進行」ということであるのですけれども、これは社会もそうですけれども、税調の議論の場も実はそうなわけで、インターネットで公開されていて、かぎ括弧がついているからどうとかいうようなことが果たして今通じる時代なのかと。例えば「あるべき税制」はdesirableになっているのですけれども、私のところには、だれにとってのdesirableなのかというメールがぼんぼん来るわけです。これが多分英文になって出たときに、私、これだけいいことをやって非常に心配するのは、国際社会の中で政府の審議会が実像というような名前でこういうことを発表すると、日本はあまり自由のない国かと、非常に偏った国ではないかとかいうようなメールがどんどん間違いなく私のところには来るでしょうし、私の国際的な感覚から言うと、ここは、これだけすばらしいことをやった税調に曇りを残さないために、ぜひ慎重な用語を選んでいきたいなと思っております。

委員

輝きを増すようにということですな(笑)。

委員

輝きを増す、そう。別に負担をするということに反対しているわけでは決してないということをちょっとご理解いただきたい。

委員

わかりました。

委員

先ほど委員がおっしゃった実像については、いろいろ議論して、それなりに何かを決めていこうというときに、総論的に今まで勉強したものを「実像」という形で言っていくのは、どこか腹決めていかなければいかんわけですから、それで結構ではないかと私は思います。

ちょっと単純なことでお聞きしたいと思いますけれども、最後のところに「改めて幅広く議論を行い」とあるから結構なのですけれども、租税原則とか、税制、税体系ですね。ただ、ちょっとお聞きしたいのだけれども、「公平・中立・簡素といった」という表現が前についてますが、これは前提のところとあまり直結しないような気がするのですが、これは何か意味があるのでしょうか。ちょっと質問したいのですが。

委員

これは税調のお題目というか、我々が高く掲げた旗印でありましてね。要するに税制改革をするときには、ある基準がなければいけないので、それというのを絶えず我々は「公平・中立・簡素」と言っておりますので、「といった租税原則」と書いてありますが、租税原則はそのほかにいっぱいあるのですよね。言うなれば税調が伝統的に使ってきた租税原則という意味で書いたのですよ。それで、これが今回の実像なり構造変化の議論と即結びつけるというような発想では多分ないでしょう。ただ、税制改革しなければいけないというときには必ずこの視点から入れたいという意気込みが入っているということでしょうね。これは本文になったときにもっとうまく落ちつきがいいように……。

委員

マスコミ的には食いつきやすい表現なので、ちょっと誤解受けるかなという気もしたので、ちょっと申し上げました。

委員

わかりました。

委員

あまり個別的なことではなくて申しわけないのですけれども、今日どなたかのご発言で、今回の勉強会が税調の歴史上ない大勉強会だったということで、じゃなぜわざわざこんな大勉強会をしたのかという前提条件があるはずだと。要するに、平時にこういうことを検討しているのではなくて、今は例えば、私なんかは身近な人にわかりやすく説明するために、今の日本の国の状況というのは、いわば月収20万円の人が毎月40万円の生活をずっと続けているようなものだというような説明をしたりするのです。ちょっと乱暴ですが。そういうことに対してもっと国の将来がよくなるようにしていかなければならないと。経済の状況が悪くて税収が落ちているだけではなくて、税収の仕組みそのものにやはりギャップが生じていると。そのことに対して何とかよくしていこうという方向観をもう少し出せるといいかなと。

出せるといいかなとなぜ私が感じるかというと、前段の部分は中立的な表現でもいいと思うのですけれども、例えば最後のほうのまとめのところに、結局は、「基本原則に沿って」というような言い方で、あるべきものを幅広く検討していきましょうと言うよりは、今は平時ではなくて、もう少し方向観を持って、よくなる方向で進めていくというような、意思表示といいますか、そういうものを入れていただきたいと思います。

委員

わかりました。ありがとうございました。どうぞ。

委員

ちょっと実務家の立場から申しますと、今この文書をずっと見ていて、将来的にどうなるのかという誤解とか不安ですね。随分不安ばかり煽られて、実際にじゃどうなるのかというのをもう少し踏み込んでしまったほうがかえって、こうなるのだよということをはっきり示したほうがむしろいいのではないかなあという気がしますね。

今皆さんはこういう状態だということは漠然とはわかっているのだけれども、実際にじゃどうなるのだという不安ばかりが皆さん持ってまして、それが結局、今の若い人たちの不安感、不満感とかいうのにつながってくると思いますので、その辺はもうあまり遠慮しないでといいますか、今の実情を踏まえた上でしっかりと、税制がこうあるべきだというようなところまで踏み込んだほうがいいのではないかと思います。

委員

その踏み込み場所を具体的にどこだというふうに言っていただくともっと話が転がりますけれども。建設的になりますが。

委員

これすべて、ずうっと一つ一つ言っていくといろいろその項目ごとに入ってくると思うのですけれども。例えば女性や高齢者を含む多様な人材の多様な働き方を可能とするという視点が重要とかいうようなところもありますよね。例えばこういうところでは女性の、例えば今、配偶者控除なんかを外して、103万円の壁を外すとか、そういうことを少し実務的に切り込んでいってもいいのではないかというような気がしますね。もっともっとあるのですけれども、ちょっとすみません。

委員

また思いついたら教えてください。どうぞ。

委員

私は1年生というか新しいので、毎年こういう勉強会やっているのかと思って、すごい審議会だなと思ってあれしていたのですが、今年がそういう特別なというのは不勉強で初めて知ったわけですけれども、実像のところで、先ほどある委員が、おっしゃってますけれども、あまりサプライズが私にとってはなかったのですね。データについては大変勉強になりましたけれども、結論については、わりとこれまでも言われていた。ただ、まとめていただいた「量から質へ」、「標準から多様へ」というのはそのとおりかなと。

そういう意味で見ますと、11ページのところで、ここはこれからの議論によるわけですから、あまり方向性を出すとかいうことではなくて、中立的な書きぶりというのはわかるのですけれども、もしそういう意味で「標準から多様へ」というのが極めて象徴的な一つの軸だとしたら、やはり考えられるのは、課税単位の問題についてここに少し触れ、多様化するときに最も税制とのかかわりでこれから議論になってくるのが、個人のライフコース、その他。この課税単位は、法人課税については今議論になってますけれども、これから個人課税の単位ですね。こういう問題も課題としては挙げていっていただきたいなと。

委員

ありがとうございました。どうぞ。

委員

今の関連でちょっと思ったのですけれども、10ページの「『選択の自由』と『責任』」というところで、「個人化」が進行していると。これは本当にそうなのだと思いますよね。「複線型」の人生コースが想定されると。我々、税金を払うのは一つの国民の義務であり、また、その税金の使い道を監視する権利があるわけですけれども、普通、国会議員とか、その辺の地方の議会や市長の選挙に我々は有権者として1票を投じる、そういう権利。これって個人単位なのですね。そういうのは個人に基づいているわけだから、税というのも個人単位なのですね、本来は。だから、なぜ家族単位が税の基本になっているかという。当たり前だけれども、配偶者控除とか、それから扶養控除というのは、これは家族単位ですからね。個人単位であれば、そういうものなくていいわけですね。そういう方向はやはり何か見えてくるのではないですか。所得税の場合はね。というふうに思いますよ。

委員

個人単位か世帯単位かというときに、議論ありますけれども、一応日本は個人単位になっているという理解をしておるわけですよ。だって、亭主が1人で払って、奥さんたちの扶養を面倒見るというタイプと、それから奥さんがもしか単独であれば、家族でなくなるのですよね。だから、個人というのは稼得者のレベルで見ているわけですよ。結果として、2人稼ぎ手がいたら2人の納税者になりますし、息子も働けば3人になってしまう。同じ屋根の下に住んでいてもね。だから基本的には、おそらく日本というのはほかの国に比べるとかなりというか、個人単位と理解してますけれども。ただ、いろんなところで……。

委員

外国なんかと比べるとどのくらい違うのですか。

委員

外国に比べると、一応日本は個人単位ですよ。例えばフランスであるとか、それこそ情報をとったりいろんな……。夫婦合算でやるか、夫婦単位でやるか、世帯全部でやるかという視点から言うと、やはり日本というのは個人ですよ。そういう意味ではね。その辺の議論、また踏まえてやりましょう。

ほかにいかがでしょうか。

委員

すみません、何度も。今ぱっと思い出したのですけれども、昭和40年代に、三木内閣、何年だったかあれですが、生涯設計計画というのがたしか出て、あのときに「強く安定した個人」というのがキャッチフレーズであったと思うのですけどね。先ほどの委員のあれはあれですけれども、ちょっとやはりサプライズが弱いという点で、何かサプライズに当たるキャッチフレーズを、私が提案したらいいのですけれども、今すぐあれですが、ポンとつけたほうがいいのではないかなと。ジャストアイデアなのであれですが。

委員

サプライズ勝負でいくか、淡々といくかというのも、これまたチョイスなのですよ。税調はあまりサプライズ勝負はしてこなかったのですよ。どうしますかね。その辺何かお考えがあれば。委員はサプライズ派なのだな。

委員

とは思います。やはりこれは、やったこと自体、このこと自体はそうでしょう。だって皆さんこういうふうに思っていらっしゃるでしょうが、違いますよと言いたいわけでしょう。基本的に。それが構造改革の必要性だから、やはりえっと思わせないといけないのではないですか。

委員

じゃ委員に考えてもらうか。

委員

うわあ大変だ(笑)。親父が生きていればよかったのですが。

委員

娘は血を、DNAを受けているでしょう。

委員

そこは受けてない受けてない。

委員

いずれにしても、もう一回文章化した中でいろんなお知恵を出す機会がございますので、そこでまた十分に薀蓄を傾けてやっていきたいと思います。ほかにいかがでしょう。どうぞ。

委員

実像の問題ですけれども、この1ページに書いてある(1)と(3)の関係ですね。(1)では、その実像に少しでも接近しようというのがあって書かれているのに、(3)は「現在の経済社会の『実像』に立脚」と。少しでも接近するという多様な、会長のお話だといろんな実像があると言うのだけれども、この(3)になると、この実像が確定的な実像というふうに受けとめられる文章になっているのですね。読み方が悪いなら悪いと言ってもらって結構なのですが。

それで、先ほどからあるように、例えば雇用でも、一つの見方ではあるけれどもすべてを指しているわけではないというのもありました。それから、私はちょっと意識のところで言うと、十人十色でしたか、一人十色まで書かれているところがありますけれども、例えば一人の個人が今までさまざまな価値観を持ってなかったのかと。私は昔からあったことではないかと思うのだけれども、こういう意識のところの書き方というのが、もちろん短い文章で端的にあらわしていかなければならんから、説明が十分できないところもあるかもしれないけれども、どなたかも言っていたかもしれませんが、政府の機関として、こういう見方ですよというところでファジーなものがたくさん含まれているときに、実像という言葉の使い方はやはり慎重でなければならないのではないかと思うのですよ。

だから、1ページに戻ると、(1)のように、「少しでも接近しよう」というのだったら、(3)の書き方もちょっと工夫する必要があるのではないか。結局、全体は変容していっている社会ということをここで言っているだろうと思うのですね。で、さらに変容し続ける、そういう社会をみんなで考えようということだったのではないかと私は思うものですから、固定化されないような書き方というのが必要ではないかという意見です。

委員

わかりました。ちょっと工夫してみましょう。でも、ここで言っているのは、高度成長以来のいろんな諸制度を引きずってきたまま、いかにもその延長上に今あるかのごとき印象を持っていて、それは一種の虚像になっているのだけれども、一皮むくともっと実態が見えてくるのではないかという意味で、実像というその核になる部分を言っているのですよね。だから、(1)と(3)の「実像」というのはある意味で、その一皮むけたところに何か構造変革の、真のとは言わないまでも、まさに実態が出てくると。それをとりあえず把握して、それで、結果的にはそれに立脚したやり方をやりたいということを言っているのですが、もうちょっとわかりいい書き方があるかもしれません。考えてみましょう。

ほかにいかがでございますか。どうぞ。

委員

何点かあるのですけれども、まず1つは、10ページの(3)「『機会の平等』志向」というところがありますけれども、ここで書いてあることは私は非常に重要だと思ってまして、この「機会の平等」の概念というのを税にもぜひ反映させていくということで、非常に重要な論点だと思ってます。

ただ、ここに書いてある「セーフティネットの確保」というのが、セーフティネットと言うと、自己責任を前提としたセーフティネットの確立であれば、この「機会の平等」の概念とマッチするのですけれども、単にここに「セーフティネットの確保」ということだけが書いてあると、必ずしも「機会の平等」とマッチしないという感じがいたします。それがまず1つ目です。

それから11ページ目の(5)のところですけれども、この(5)というのは前段部分が公的部門の役割みたいな形で、最後の2つのところで少し税とのかかわりみたいなことになっているという理解でよろしいのですよね。

まず前段のところに関して言いますと、ただ、公的部門については、ここでは個人とか家族・地域社会とか、そういったことだけで書いてありますけれども、民間企業というか、そことの役割分担というのも非常に重要で、民営化の議論なんかも今行われてますけれども、こういった議論もまさにここで必要な論点の一つだと思います。そこがちょっと落ちているのではないかということが1つ。

それから後半のところは、税のところで、いろいろな今までの論点が少し書いてありますけれども、さっき申し上げた「機会の平等」とか、そういったことに関しても当然ここには含められる議論ですよね。何かこの2つの〇のところに今までの論点が必ずしも全部集約されているというようにはちょっと読み取れないので、もう少しここの書きぶりを膨らませたほうがいいのではないかなあという感じがしたのですけれども。

委員

その場合のキーになるのは何ですか。膨らませるときの。

委員

ここでは「標準から多様へ」ということが書いてありますけれども、ライフコースの多様化が進む中で、例えば、後段にある公平という論点も、結果の平等でなくて、機会の平等ということを意識したというようなことがもうすでに前のところで書かれているので、その部分をもっと強調するとか、そういったことを入れたらどうかと思います。

委員

そうですね。

ぼつぼつよろしいですか。ほかに。どうぞ。

委員

2つありまして、1つは先ほどの「機会の平等」のところで、これは多分、樋口さんが随分強調していたことで、要するに、やり直しはきくということを随分強調したのですね。初めに機会の平等を保障すれば、あとはどうなっても、それは責任だと言うけれども、一回だめになったものがもう一回やり直して機会があるという、そういう社会の仕組みが必要だという点で、少しその辺のニュアンスを入れていただけないかなあということがあります。

それからもう一つは、これはもっと大きな注文ですが、要するに、日本の財政が非常に悪化しているとか、税負担がこういう状況になっていることに対して、これは政府の失政を言うものだと。要するに財務省がきちんとした政策を打てなかったとか、そういう一種の責任論みたいなものが常に発生する可能性が私はあると思うのですね。そうではなくて、これは、先ほど言ったように、一方で、非常に政府に依存心が高い。他方で、税負担があることに対しての抵抗が非常に強いという中で生じてきてしまっているという面が私はあると思って、だから、そこは国民がどういう政府像を選ぶかということが、むしろ税調や政府がこういうのが望ましいということよりは、やはり国民がそういう政府像を選んで、選ぶならば、それだけのきちんと必要な負担水準はやはり担ってもらうという、少しそちらにげたを預けるようなと言ったらおかしいですが、そういうふうにしていただければと思います。

委員

よくわかります、おっしゃることは。どうぞ。

委員

細かなことで申しわけないですけれども、やはり大事なことで、3ページの上から○の2つ目で、「更には、労働力率の低い女性や高齢者、外国人の一層の活用」というのがありますけれども、これは全然構造変化してなくて、他動詞を使ってますが、やはり「能力の発揮」とか、そういう……。その前が「貯蓄の活用」というのはわかるのですけれども、こういうようなところに構造変化が全然出てなくて(笑)、何度も言いますが、21世紀のグローバル化した構造変化に基づいて、こういう見えない意識が出ているところが相当あると思うので、細かなところで恐縮ですけれども。

委員

相当ある点を今度は大いに指摘してください。おっしゃるとおり、「活用」というのは若干失礼な言い方ではあるわなあ。ほかにもあるでしょう。きっと委員の目から見ると。どうぞまたご指摘ください。ほかにいかがでしょうか。

委員

私も細かいところですが、5ページの「十人一色から一人十色」、広告業界に近い人が見ると、これは博報堂だとわかるわけ。もしこれが出てくると。それと、これはユニクロとエルメスの共存という話なのですが、ユニクロが昔の、つまり、安かろう悪かろうだったら幾ら価値観が変わったって買わないわけ。ユニクロはもう圧倒的に安くてそこそこの品質だったから、エルメス買うような人たちも買ったわけですよね。もっと言えば、普通の人がエルメスが買えるようになったというだけの話で、そんなにあっと驚くような価値観の変化ではないと私は思っております。

委員

具体的にここの書きっぷりでは。

委員

これがもしどこかでキャッチフレーズっぽく出てくると、「何で税調が博報堂と組んだわけ?」みたいな話にならないとも限らないので(笑)。

委員

アイデアを盗んできたと思われるか。そういうことだと、ちょっとこれは慎重にしなければいかんなあ。どうぞ。

委員

実像という面についてはいいのではないかと思いますけれども。表現は。ただ、10ページの(1)の一番下のほうですけれども、「『右肩上がり経済』を前提とした既存の経済社会の諸制度については」ということですけれども、「右肩上がりの経済」というのは、とっくに終わっていると思うのですよ。それを今まで税調は放っておいたのかと、あるいは政府は放っておいたのかという感覚を受けるのではないかと思うのですけど。放っておいて、急にここで手をつけ始めるということになるので、もしそういうふうな、放っておいたという感覚を受けるといけないので、社会制度については何らかの検討はしてきたけれども、ここへ来てもっと再点検を急ぐという、急に急ぐということではなく、やってきたけれども、ここで急を要する問題になってきたというほうがいいのかなと私自身が感じたことですが。

委員

わかりました。文章にしたときにそういうことがうまく伝わるような文章にしなければいけないですね。右肩上がりが終わっているというのは「失われた10年」のところで何遍も言っているのですが、この辺の書きっぷりがちょっと誤解を生むかもしれませんね。どうぞ。

委員

先ほど「機会の平等」ということについてご指摘がありましたけれども、この言葉はやはり、お二人の委員からご発言あったように、ちょっと多義的なのですね。結果の平等と対比する意味で使いますと自由競争容認みたいなことになりますけれども、一方では、やり直しのきくという別の意味がありますので、やはりこの段階ではニュートラルな形で使われているのかなあというのが先ほどうかがった印象なので、ですから、この段階ではそういうある方向性に結びついたものではなくて、概念整理ということなので、私はむしろ10ページは「セーフティネットの確保」等はあったほうが、ニュートラルな用語として使っているという意味が出るという意味で、残したほうがいいのではないかなという意見です。

委員

セーフティネットと絡ませて「機会の平等」をニュートラルにという意味ですか。

委員

いいえ、それがあっても、「機会の平等」という……。

委員

入れておいたほうがいいということですね。

委員

はい。

委員

どなたか……。ありますか。

委員

あまり勉強会に出てないものですから、今日は発言を控えようと思ったのですけれども、拝見していて、例えば今の少子化ですよね。一番の問題というのは少子化から始まっているのではないかということですけれども、少子化になっているその原因というものがはっきりあるのではないのかと。どうもその辺についてもっと強くはっきりと出していくべきではないのかなということをちょっと感じたのですけれども。

もう一つは、例えば将来の子どもを産んでどうなるのかという家族の問題もあるでしょうし、例えば教育の問題もあるでしょうし、義務教育は費用だけはたくさん使っているけれども、実際的には塾にみんな通わせなければならないとか、そういうようなことで負担が多いから、また子どもを産む機会がなくなっているのだとかいろいろとあると思うので、その何か原因についてもきちっと触れておいたほうがいいという感じがします。

それから「機会の平等」の問題ですけれども、これは私は入れておくべきだと。どうしてもこれは、結果平等というのが今までの問題点であって、「機会の平等」というものをもっと取り上げていくべきだろうと思います。

あと、構造の変化を生み出したものがもう一つには税制の問題も逆にあるのではないかということですよね。どうも、もっともっと早く手を打っていればよかったということもいろいろとあるでしょうけれども、景気が悪い、悪いから打てなかったということもあるのかもしれないですが、私、最近加わったものですから、そういう勝手なことを今言わせてもらいますけれども、どうもそういった点で手の打ち方がいろいろと遅過ぎている。遅過ぎているからこういうような結果になっているということを気にしているのではないのかなと。

本当に税収40兆ちょっとしかなくて、出るほうは80兆なんていうのはとんでもないと。そこまで持ってきてしまった問題。ともかく景気を上げるために公共投資にばかり金を使い込み過ぎたというところに、要するに波及効果のあるところに金を使ってこなかったということにも問題があると思うのですけれども、どうもそういうことがもうちょっとどこかに書かれても、その辺は勉強会のときにも出ておったのではないかと思いますけれども、そういうことをもう少し。

委員

サステイナブルな、つまり、財政の持続可能性云々の議論のところで、そういう過去の反省という意味合いですね。もっとも、早く手を打つという意味は、歳出の見直しなり税負担の引上げ等々について言及してもよかった、そういう意味ですか。

委員

はい。

委員

わかりました。どうぞ。

委員

今、「機会の平等」についていろいろ出ましたが、私も、「機会の平等」というのを入れてもらうことについては特に異論はありませんが、一方、これを強調し過ぎますと、財政の重要な機能であります再分配機能ですね。特に税制の。これが否定されるような印象を受けるおそれがあるのではないかという気がしますので、「機会の平等」、入れてもらっても結構ですが、あまり強調し過ぎないようにというのが私の意見ですが。

委員

再分配と機会の平等が矛盾してしまうということですか。

委員

というふうに受け取られる可能性があるのではないかという気がするのですが。

委員

機会の平等というのは、相続税等々で、もう少し負担を重くして、資産を再分配して、要するによく言われるのは、どら息子にそんな財産やらなくたっていいじゃないのという議論が片やあるのですよ。

委員

という意味での機会の平等なら非常に結構ですが。

委員

そういう意味では、機会の平等というのは多義的で、両面持ってますので、そういう意味ではニュートラルな使い方をこの段階ではしておいたほうがいいのではないかというのが先ほどの……。

委員

ニュートラルというのはどういう意味ですか。

委員

ニュートラルというのは、例えば相続税の話ですと、機会の平等だと重いということなのだけれども、一方、所得税なんかは再分配が激しいと結果の平等なので、むしろ機会の平等を重視したほうがよろしいという、そちらのほうになりますし、一義的には結びつかないので、ですから、先ほどセーフティネットを残したほうがいいというのはそういう意味で、残しておけば少しニュートラルなニュアンスになるのかなと、そういう意味で、残したほうがいいのではないかという意味です。

委員

そうですか。言い訳をすると、ここも括弧つけて使っているのですな。

委員

揚げ足をとるようで悪いですけれども、ごめんなさいね。でも、構造変化なので、どら息子というのはやはり……。息子や娘と。

委員

いや、それはたまたま言ったので、それをここで言われても困るよ(笑)。

委員

いや、それはわかった上で、我々が議論するときに、構造変化ということをもう一度見直してからやはり席に着いたほうがいいのではないかなということで。ごめんなさいね、本当に。申しわけないです。

委員

いや、いいのだけど、何を言われているのかよくわからないけれども、言葉使い悪いと言っているのでしょう、要は。

委員

息子だけでなくて、娘も入れろと。

委員

そういうことで、息子や娘ということでね。背後の意識がやはり全部出ているから、構造変化しましょうという議論ですから。すみません。

委員

たまたまうちは息子しかいないから、娘が出てこなかったということでしょう。ありがとうございました。

ぼつぼつよろしゅうございますか。まだ10分少々ありますから、どうぞ。

委員

セーフティネットというのは、私、いろんな意味にとられると思います。だから、失敗がやり直せるセーフティネットであれば、ここと非常にコンパティブルだと思います。一方で、セーフティネットって、例えば金融機関の預金保険みたいなことを考えれば、すごく自立を促さないし、競争促進的でないし、非常にこのセーフティネットという概念は機会の平等とは相反する。だから、このセーフティネットという言葉の使い方を、ポンと出てくるだけだと、ちょっとわからないと思います。

委員

おっしゃるとおりだな。いっぱい言葉が散らばっている分だけ、まさに多義的な解釈がいろいろあるかもしれませんが、文章をもうちょっと練って書くときには、その辺の配慮、行き届いたような形にしたいと思いますので、できたところでまたご議論いただきたいと思いますが、ぼつぼつ皆さん、よろしゅうございますか。

それでは、あとの段取りをちょっとお諮りというかご報告しておきたいのですが、今日議論いただきましたので、この骨子案について、このマルごとにテーマというか、ある問題領域をセットしたのですが、このマルをとって、幾つか文章をくっつけてということになりますと、見出しは多分このままで残したいと思ってますが、文章化することは今日の議論を踏まえてそう難しいことでないと思いますので、次回、15日、2時からこの基礎小を開催いたしますので、そのときに文章化した報告書という形のものをお諮りしたいと考えております。

そして、もう一ラウンドやると大体、今日もそんなに対立点が目立つわけではございませんから、ご一任いただければ、それでまとめて22日に再度最終的なものをお諮りしてファイナルのものにしたいと、こういう段取りで考えておりますので、あと15日と22日、ともに火曜日でございますが、ちょっとご予定ください。そのときには、この「議事概要」等々、これはまだ未定稿でございますから、中の修文はまだあるので、今日お残しいただきたいと思いますが、その辺も固めたものを出せるかなあと思ってます。

それでは、「委員限」と書いた、今日使いましたこれと、言うならば今日の資料は、ちょっとまだ変わり得る余地もありますので、席上に置いてお帰りください。

そういうわけで、大分大詰めに来ました。あともうちょっとでございますから、ご協力をお願いいたしたいと、このように考えております。どうも今日はありがとうございました。

〔閉会〕

(注)

本議事録は毎回の審議後、速やかな公表に努め、限られた時間内にとりまとめるため速記録から、財務省主税局及び総務省自治税務局の文責において作成した資料です。

内容には正確を期していますが、税制調査会議事規則に基づき、事後の修正の可能性があることをご承知置きください。