第11回基礎問題小委員会 議事録

平成16年4月27日開催

石小委員長

時間になりましたが、いつもより30分早いので間違えている人がいるのではないかと思います。といって、今日は3人スピーカーがおられますので、これ以上遅延はまずいので、事務局の説明からさせていただこうかと思っています。

今日は、例の実像把握で、「グローバル化」ということを中心にやる予定でございまして、お三方に、後ほどご紹介いたしますが、ヒアリングという形で来ていただいております。一応2時間半予定しております。おそらくいつものケースでいいますと時間が延長されそうなのですが、ただ、皆さん大変時間を押して来られておりますので、延びると困るという事情もございます。また、総会が4時から予定されておりますので、このこともありまして、始めたほうがいいという判断に立ちました。

では、グローバル化に関する基礎データを事務局がまた大部な資料をお作りいただきましたので、これにつきましてご説明をいただきたいと思います。調査課長の佐藤さん、お願いします。

佐藤調査課長

それでは、資料「基礎小11-1」という資料に沿いまして、本日の「グローバル化」というテーマにつきましてのイントロの説明をさせていただきたいと思います。

真ん中あたりに赤い紙が入ってございまして、その後ろの側にデータが並んでございますので、まずその目次をご覧いただければと思います。

資料構成は、最初、「グローバリゼーションとは何か」「世界におけるグローバル化の状況」「わが国におけるグローバル化の状況」というような三部立てにしてございます。グローバリゼーションということは、なかなかつかみどころのない概念でございますので、いろいろな形でデータを整理いたしましたので、大変大部なものになってございます。お時間の関係がございますので、ポイントだけ絞って駆け足でファクトの確認をいただくというような形で進めたいと思います。

まず、1ページ目をあけていただきたいと思います。グローバリゼーションとは何かという話でございます。グローバリゼーションを論ずる方は非常にたくさんの方がいらっしゃいますが、とらえ方の例示といたしまして、いくつか参考までに掲げさせていただきました。あとで見ますが、論者によりまして、その焦点の当て方とか評価、見方にはさまざまあるということでございます。

下線を中心に目を配っていただければと思いますが、最初のIMFの世界経済報告というものの中にグローバリゼーションの定義というものがございます。「国境を越えるさまざまな財貨・サービスの取引や国際的な資本の流れ、さらにはテクノロジーの広汎な普及を通じて、世界中の国々が相互依存を強めていく状態をいう」ということでございまして、99年のG8のケルン・サミットでは、それにつきまして一定の評価をしてございます。3行目あたりに、「生活水準の広範な改善及び貧困の減少に貢献してきた」といういわば光の部分と、一番下のラインでございますが、「世界中のある程度の労働者、家庭及びコミュニティーにとって、混乱及び金融面での不確実性の増大を伴ってきた」というふうな、光と影の評価というものがございます。

それ以後は、論者によりまして、例えばバグワティ教授などは、貧困の減少というような指摘がなされ、いわゆるプラス評価をしている方でございます。

それから、次のページ、トーマス・フリードマンという記者の書きました「レクサスとオリーブの木」という本によりますと、このグローバリゼーションに関連いたしまして、マクドナルド仮説という話がございます。3行目に「マクドナルドの国の国民は、もはや戦争をしたがらない」という記述がございまして、一時期有名になった仮説でございます。

そのほか、逆の見方、マイナス面としまして、スティグリッツ教授などは、アンダーラインのあたりですが、「職を失い、生活は不安定」とか、3行目あたり、「文化がむしばまれる」というような形での見方もございます。

それから、一番下、ギデンズ教授によりますと、また角度が違いまして、2行目の後ろのほうですが、「国民国家が消滅しつつあるわけでは決してない。全体としてみれば、グローバリゼーションの進展に伴い、政府の役割は小さくなるより、大きくなる傾向にある」というようなご指摘。あるいは、次の行ですが、「国境を越えた組織と力」というものも影響を持ってきているというような指摘もございます。

次のページ、ジョセフ・ナイ教授でございます。さまざまな指摘がございますが、3行目あたりの後ろ、「グローバリゼーションは多くの局面で貧富の差の拡大をともなう。それは同質化あるいは平等のいずれも意味しない」というような、同質化するのではないかという問題意識もよく言われますが、そうではないというご指摘もあるというようなことで、どの点に着目するかによって、論者によってさまざまな評価があるというあたり、ご紹介をさせていただきます。

次の4ページでございます。グローバル化に関連いたします年表を用意いたしました。これを説明していますと時間がたってしまうのですが、数点だけ頭の整理として見ていただきたいと思います。

最初の上の段ですが、政治の欄を見ていただきますと、やはり何といいましても、89年のベルリンの壁の崩壊から始まります冷戦の終結という流れが90年にかけましてございまして、グローバル化が加速していく流れが見れます。

それから、経済の欄の90年代前半から後半にかけまして、例えばウルグアイラウンドの合意であるとか、95年のWTOの発足、中国のWTO加盟というような形での貿易、資本自由化の枠組みというものがかなり進んでいくという流れが一方にございます。もちろん、並行いたしましてIT化の流れというものもございます。

同じ経済の欄で、例えば94年のNAFTA発足というような北米圏の経済圏であるとか、あるいはユーロの導入、あるいは拡大EUというような形でのリージョナリズムの動きが並行して起こっているというのも特徴でございます。

それから、一番下の文化、その他という欄でございますが、95年、98年あたりに国境なき医師団等々をはじめとするNGOの活躍というものも特筆されるところでございます。

一方、例えば上の政治、経済を見ていただきますと、アジア通貨危機、ロシア危機などの金融の危機だとか、あるいはテロ、それからシアトルでのWTOの会議に関連いたします暴動といったような、反グローバリズムの動きというものもしばしば指摘されるという流れがございます。

それでは日本はどうかということでございますが、日本の欄、政治、経済とございますが、経済の欄にたくさんの事柄が出てまいります。日本は70年代半ばに経常収支が黒字化いたしまして、それ以後いろいろな形が出てきておりますが、例えば貿易摩擦ということで、自動車、鉄鋼等々の形で物の摩擦という部分が出てくる流れがまずございます。並行いたしまして、外為法の改正等々、98年に至りましてはビッグバンという形での外為法の改正という形になるという、資本を含めたところの流れというものがございます。

最近では、94年の対日投資促進会議設置を初めといたしまして、世界との関わりがディープな感じに出てきておるという形であろうと思います。

以上が大体の見た感じでございます。あと若干データで確認をさせていただきます。

5ページでございます。「世界におけるグローバル化の状況」ということで、貿易と資本の移動の数字を載せています。左側のグラフでございますが、商品輸出の対GDP比率でございます。全世界ベースということで、物の移動を見たものでございます。1970年代以降、大きく右肩に上がってございます。実は19世紀末、第一次世界大戦までにも大きなグローバリゼーションの動きがあったということで、バックス・ブリタニカという時代がございましたが、その当時では実は9%ぐらいの比率でございます。それが一時期戦争で落ちまして、1970年ぐらいから復活する。右肩に上がっていくという流れがございますので、物の動きがかなり積極的な動きになっている。

それから、右側でございますが、対外資産の対GDP比率ということで、これも世界ベースでございますけれども、資本取引をストックで見たというものでございまして、資本とか金の流れというふうにご覧いただければと思います。これは劇的に80年代以降伸びております。したがいまして、物だけではなくて金の形で、いわば資本関係を媒介しながらグローバル化が進んでいくというのが、戦後のグローバル化の特徴であるということがしばしば指摘されます。

6、7、8、9ページはそのバックデータでございます。10ページ、インターネットの利用者、これは情報のグローバル化ということでご覧いただければと思います。IT化が進み、グローバル化でインターネットの利用者が増えてくるということは左側のグラフで明らかでございますが、右側には、いわばデジタルディバイドということで、先進国以外の国の利用率が非常に低いということも見て取れます。

11ページ、文化のグローバル化ということで、マクドナルドの店舗数というのもちょっと挙げてみました。グローバル化の一側面として、先ほど言いましたトーマス・フリードマン記者のマクドナルド仮説ということも含めてここに掲げたわけですが、旧社会主義圏、中東、アフリカにもマクドナルドが展開するということでございますが、一方で、反グローバル化の動きということで、ファーストフードに対するスローフードという話も出ておることはご案内のとおりでございます。

右側は世界大での企業再編、メガコンペティションということで、さまざまな資本関係が複雑に絡まる状況になってきているということでございます。

そのあと、人の話が書いてございますが、今日プレゼンテーションいただきますので、省略をさせていただきます。

続きまして日本の状況ということで、19ページまで飛んでいただければと思います。日本のグローバル化というのは、先ほど申しましたように、物からだんだん資本関係に移っていくということでございましたが、ここは経常収支ということを見たものでございます。対外的な日本の経済の根のおろし方ということになろうかと思います。

折れ線グラフが経常収支の動きでございまして、これが黒字基調に動いておりますが、その内訳でございます。一番右側、最新は2003年のデータでございますけれども、貿易収支が12兆円強ということでございます。これは物で稼ぐという部分でございます。それから、所得収支とございますが、これは海外で行いました投資のいわば果実といいますか、投資収益に当たるということでございまして、それも8兆円台ということでございます。貿易・サービス収支が8兆円ぐらい、所得収支が8兆円ぐらいということで、物による稼ぎと海外で行いました投資によりますリターンで食べる国ということになってきたという姿が、対外的な関わりという姿でございます。

そのあとずっと20ページ以下、そのバックデータでございます。

23ページまで飛んでいただきたいと思います。23ページは、貿易関係でございます。日本の貿易相手国は、アメリカが次第にウエイトが下がりまして、アジアのシェアが上がってきているということがおわかりになると思います。

それから、右側は物別でございますけれども、72年当時は、原材料を輸入しながら製品を輸出していくという形の垂直型。それが今は製品を輸入して製品を輸出する水平型ということで、分業関係になっていくということですが、その背景には対外的な直接投資というものが大きく反映されているということだと思います。

24ページは、東アジアにおける域内貿易の拡大、線が太くなってきているということがご覧いただけると思います。このあたりが貿易関係でございます。

26ページ、ここは「特許等使用料の対外的受払の推移」と書いてあります。要は工業所有権のような、いわば特許からのロイヤリティーの支払いを内外の収支を見たものでございます。2003年の段階で初めて黒字になったということでございますので、物だけではなくてノウハウでも稼ぐという形になったということですが、その背景には、技術力、R&Dの投資といったものがございまして、今日はその技術面につきましては、プレゼンテーションがいただけるということかと思っております。

数ページ飛ばしまして、対外直接投資ということで30ページをご覧いただきたいと思います。フローベースの数字は折れ線グラフでございます。ストックベースが棒グラフでございます。相当規模の積み上がりということで、先ほど見ていただきました所得収支という海外で行った投資のリターンというものが増えてきておりますが、それの裏にある姿ということになります。

32ページ、対内直接投資というものがございます。これは外から日本に入ってくるものでございます。量的には少のうございましたが、95年以降次第に増えてきているという状況も確認できるかと思います。

あとはずっと企業の動きがございます。この辺は飛ばします。

46ページあたりには、今度は日本をめぐります「人」の状況ということでございます。今日もプレゼンの中でいただけると思いますが、一、二数字だけ確認をさせていただきます。46ページ、日本に在留外国人は何人いるかということですが、シャドウをつけました200万強という数字がございます。

それから、47ページ、就労外国人、働いている外国人がどれだけいるかということですが、76万人という数字がございます。この辺は基本的な数字でございます。

次、52ページまで飛んでいただきたいと思います。最後のほうですが、意識調査ということでございます。グローバリゼーションに対して日本人がどう思っているかということを、電通総研での調査が行われました。それを紹介いたします。

グローバリゼーションについては、黒くシャドウをつけた部分がややマイナス評価、白い部分がプラス評価ということでございます。「犯罪が増え社会不安が高まる」といったような見方が相対的に高いわけですが、プラス・マイナス両面混在という状況かなということでございます。

もう一つ、55ページ、これは野村総研の調査でございます。国際化をめぐる意識ということでございます。このグラフ、「電車で外国人が隣に座ることに抵抗がある」「外国人と仕事をすることに抵抗がある」というのは1割を切るということで、日常レベルでは外国人の存在というものについては普通という感覚でしょうが、結婚ということになるとということで31.9%、ディープなレベルでは抵抗感があると、こういう分析が見られるわけでございます。この辺が日本人のいわば外国との関係での意識の構造というものの一端であろうということでございます。

最後に58ページ、スイスにありますIMDによります日本の国際競争力比較ということがございます。人口2,000万人以上の国30か国におきまして、日本が11位という数字になってございます。高い評価を受けている指標、そうでない指標というのを掲げてございます。外貨準備高とか、あるいはR&Dとか、特許数とか、そういう点については高い評価を受けているということでございますが、低い評価というところにつきましては、移民法制とか、経営陣の経営方針の問題とか、大学教育とか、産業の電力コストとか、こういう低い評価を得ている指標というものもある。このIMDの指標につきましては、いろいろな評価があると思いますが、一つの見方としてご参考になればということでございます。

最後に、戻っていただきまして、本日のご議論の切り口ということで、ページまで戻っていただきたいと思います。ここには本日のご議論に関わることで、論点の切り口の例を掲げてございます。アンダーラインを引いてございます。ちょっと見ていただきますと、まず、世界大に起こっているグローバリゼーションとの関係で、一体何が起こっているか、その度合いはどうか。あるいは現在のグローバリゼーションの特徴とか本質は何か。そういう動きは不可逆的なものなのか、永続的なものなのか。あるいはグローバリゼーションが進むと、均質化・平準化が進むと言われるけれどもどうか。あるいは活性化に資するという見方もあれば、リスク・不確実性が高まるという見方もある。それから、いわゆる脱国家化という考え方もございます。このあたりをどう考えるかという話でございます。

次のページ、わが国におけるグローバリゼーションの進行状況。それから、今後を考えていく場合に、特に人口減少が社会化していくというような構造変化がファンダメンタルに起こっていく中で、グローバル化という状況にどう対応していくべきかというようなことで、海外からの直接投資をどう考えるか。あるいは、本日プレゼンテーションがございますが、いわゆる日本的経営システムやわが国の競争力をどう見ていくか。あるいは人口の問題、外国人就労の問題をどう見ていくかというあたりが下に書いてございます。

そういうところでございます。以上でございます。

石小委員長

ありがとうございました。

膨大な資料をお作りいただきまして、時間が少なくて、全部ご説明いただけませんでしたが、後ほど、皆さん折を見てこの資料をもう一回お手元に置いて見ていてください。

それでは、さっそくでございますが、今日お三方の先生におみえいただいております。そこで、最初の先生が藤本隆宏先生でありまして、現在、東京大学の経済学研究科の教授をされております。技術管理、生産管理がご専門でございまして、自動車産業等を例にとりまして、日本の製造業の発展について優れた分析をされておられます。

お忙しいところありがとうございました。30分ほどしかございませんが、よろしくお願いをいたします。

藤本教授

ご紹介にあずかりました藤本でございます。よろしくお願いいたします。

私は普段の専門は、生産管理とか技術管理とか非常にミクロのところでありまして、大体週に一度ぐらいは工場に必ず行っているという感じです。在庫の数を勘定したりという、そういう細かいことをやっておりますので、こういう場でいきなり税制となりますと、私は全く、税金は一応払っておりますが……。この間も東大に主税局の調査課長の佐藤さんにわざわざおいでいただいたのですが、そうしたら秘書が騒ぎ出しまして、「先生、どうしたんですか。何をやったんですか。平気ですか」と言われちゃいまして、ちょっと懲りましたので、次回からはこちらに私がお伺いするようにしようと思っております。

今日のお話ですが、私はそういう立場でやっておりますので、工場のほうはずっと見ております。見ていくと、ここ20年ほど、何らかの形で出ておりますが、ガタガタと崩れたという感じのイメージがあまりないのです。むしろ負けたことはないのではないかというような部分もかなりある。ただ、それが最終的な損益につながってきていないという部分がかなりあるわけです。つまり、現場は強いけれども会社は儲からないというのがかなり日本の縮図でありまして、実は自動車であってもそうだと。

ちょっとどぎつい言い方をしますと、トヨタさんが1兆円ちょっと儲かっておられますけれども、我々から見ると、彼らのもの造り能力の実力からすれば、何で1兆円しか儲からないのかというのがむしろ我々の問題意識としてあるわけであります。今の日本の企業の少なくとも十数%、つまり国際競争をまともにやってきていたセクターにおいては、もの造り能力がそれほどへたっているわけではない。むしろ国際的に見てもまだトップクラスにいるところが多いと思います。いわゆる現場の組織能力と収益というものを分けて考えなければいけないと私は思っておりまして、分けてみると、かなりここにアンバランスが存在している。逆にいえば、彼らの持っているもの造りの競争力が素直にあらわれるような形に、もちろん企業の本社がもうちょっと頑張る、あるいはいろいろな形での制約を取っ払ってあげるということをすれば、自然にもっと儲かる。ということは、そこで税金がもうちょっと取れるということなのかなと、かなり長い因果関係でありますけれども、そんなふうな、風が吹けば何とかみたいなことを考えております。

時間も限られておりますので、私が平生考えていることをやりたいと思います。普段はそういった在庫の勘定から始まって、40時間ぐらいかけて学生にこの話を教えているのですが、今日は時間がございませんので、かなりはしょったお話をいたします。

私はちょうどバブルが崩壊した90年にアメリカから帰ってきました。私はハーバード大学の生産管理なものですから、そこで向こうのブラックマンデーとか何とかを見てきて、むしろ日本でバブルは見てきておりません。ですから私はこの20年ほど景気のいいところにいたことがないのですが、帰ってきてびっくりしたのは、やはり自信過剰でありました。要するに、みんながトヨタになった錯覚なんですね。もはや欧米に学ぶものなしということをおっしゃる。大体トヨタの方に限って言わない。こんな人が言っていいのかという方がおっしゃっているということがございまして、これは困ったものだと思っていたのですが、その後ガタガタと崩れてきまして、崩れてきますと、今度は完全に自信喪失になってしまう。今度は、失礼ながら、そのころ一番調子が悪かった金融、建設、あるいは小売の一部、こういうところになってきますね。欧米のマスコミも結局そういうところを取材する。そして、見ろ、もう日本はこんなになってしまった、日本の実態はこれだというふうにやります。その間、私の見たところでは、おそらくトヨタなどには全然取材に行っていません。そうしますと、サンプリングのトリックが起こるわけでありまして、調子のいい時にベストの企業、悪い時にワーストの企業をとって、その2点間を結べば、大変な勢いで落っこちているということになってしまうわけですが、これは当然、統計学的に見てもおかしいことをやっているわけであります。つまり、日本の競争力の動向を増幅して伝えてしまっているところがあるということです。

これの原因を考えていきますと、結局、私は今日本で現場発のもの造りの戦略論が必要だと思っているわけですが、これを考える上での体系ができていなかった。枠組みができていなかった。そのために右往左往というか、振り回されたと考えざるを得ないと思っております。

一つは産業の十把一からげであります。欧米のマスコミなどを見ても、自動車、コンピュータ、銀行の区別がついていないような議論がけっこうございまして、私のところに例えば某有名誌が電話をかけてきて、「なぜ銀行がメガマージャーをやっているのに自動車はやらないのか教えろ」とか、こういうことを平気で言ってくるわけであります。産業の業態の違いをかなり無視した議論がされていたわけであります。それがあったがゆえに、先ほどの自身過剰から自信喪失へとなったわけであります。

では、少し細かく見てみましょうよと、こういう議論もちゃんとございます。ありますが、その時に既存の産業分類で見てしまうという、またこれが今の産業競争力を見る上では、私はあまりよろしくないのではないかと、こういうアプローチになっているわけです。確かに既存の産業分類、つまり業界ということですが、これは制度としては機能しておりますし、制度としては重要です。ただ、戦略論を考える上での括りとしてはあまり役に立っていないのではないかと思っています。

例えば既存の括りでいえば、監督官庁もこの括りでいきますし、業界団体もこの括りでいるわけですけれども、例えば化学産業は強いか、弱いか、こういう質問をしますと、おそらく一般認識としては、自動車は強いけど化学は弱いという認識になるのではないかと思うわけですが、実は化学はこの10年間、つまり空白の10年と言われている間に、輸入2兆円、輸出2兆円のトントンの、確かに大して強くないという産業だったものが、この10年で輸入が2兆円、輸出が4兆円近くいっている。つまり日本の貿易黒字の実に十数%は化学が稼いでいる。こうなっているわけであります。

なぜこんなことが起こるかというと、これは要するに、エチレンプラントをどんどん造れというのに乗っかって、どんどんエチレンプラントを造っちゃって、それで設備廃棄だなんだという話になってしまっている。いわば暗い産業だというイメージのある化学の部分と、それから、今押しまくっている、つまりグローバルなマーケットシェアで見ても世界の7割、8割、9割、場合によっては10割のシェアを持っているという化学の部分とが混在しているわけであります。後者の部分は、言うまでもなく半導体材料であるとか、液晶材料であるとか、いわゆる機能性化学品と言われている部分でありますが、ここはまさに強いわけであります。ここがまさに攻めの戦略が打てる部分なわけですが、この部分と守り一方の部分とが同じ化学産業という名前のもとに括られてしまっていますので、この状態で産業ビジョンを作ろうにも作れない。企業も戦略を作ろうにも作れない。こういう状況にあったわけです。

最近、経産省さんはなかなかセンスのいいことをやりまして、この二つを分けました。機能性化学品というのを化学課から分けて独自のビジョンを作ろうとやった途端に、非常にいいビジョンができました。既存の産業分類というものにとらわれたレッテル貼りで強い・弱いという話をしていても、何もわからないのではないかということが一つの問題意識としてございます。

たまたま自動車というのが今強いと言われておりまして、なぜ自動車が強いのかという話が私のところに盛んにいろいろな人からやってくるわけでありますが、たまたま自動車というのは一塊強い人たちが集まっているので、ちょうど産業分類とその強い人たちの集団とがうまく重なっているので、これは強いと言われているわけですが、これだけで説明できないわけです。つまり、なぜ自動車だけは強いみたいな、ほかはあまり強いのはいないのではないかと言われているのに、何でこんなに貿易黒字があるのかと。この問題があるわけですが、私から見ると、いわゆる既存の産業分類で見た括りのいろいろなところに強い人たちがバラバラに散在している。この人たちを全部引っかき集めると、大変な競争力のある産業がまだ残っているということであります。

あとで申し上げますが、私は今の産業分類を一回忘れて、虚心坦懐に現場で通用している、例えば設計されたものとしてどういうものであるかという、そこまで戻って考えてみると、実は、あとで申し上げますが、擦り合わせ型の製品と寄せ集め型の製品というのがあるわけであります。擦り合わせを集めて擦り合わせ産業というのを仮に作ったとしますと、おそらくここが膨大な競争力、あるいは貿易黒字を出している部分であって、大体寄せ集めになった途端に、中国に行っちゃったり、韓国に行っちゃったり、アメリカに行っちゃったりする。このパターンがあらゆる産業で繰り返されているのではないかと私は思っているわけでございます。ですから、産業分類にとらわれないで、現場発の考え方で虚心坦懐にそれぞれの製品を眺めてみようと。そうすると違ったものが見えてくるのではないかというのが一つの考え方で、あとで出てくるアーキテクチャという考え方はそれであります。

それから、もう一つ言いたいのは、収益力と競争力の混同であります。これもこの10年間ずっとやられてきているわけでありますが、つまり利益が出るということは競争力が強いということだ、利益が出ないということは競争力が弱いということだと、この二つをイコールで結んでしまうということがあるわけです。我々、現場の経営学をやっている人間からすると、この二つは別々に測定されるものだと考えております。この二つは確かに連動はいたします。相関関係があると思います。しかし、あくまでもこれは定義値としてイコールで結ぶものではなくて、別々に測定されるものである。

ただ、現場の競争力というのは測定が大変であります。我々、20年ほどハーバードのMITと組んでこの測定を自動車に関してはやってきておりますが、大変苦労します。ですから、どうしてもここをはしょってしまうことがあります。はしょってしまって、多分、収益が上がっているということは強いということでしょう、収益が上がっていないということは弱いということでしょう、というふうにやってしまいますので、右往左往になってしまうわけであります。

つまり、競争力というのは、10年、20年かけて蓄積されていくものであるということであるにもかかわらず、いわゆる収益というのは、例えばトヨタであれば、円が10円上がれば、おそらく1,000億円ぐらいは為替差損で吹っ飛ぶわけであります。これをして競争力の上下と言っていいのかというと、我々の常識からいったら、それは違うということになるわけであります。つまり、表面上の、あるいは短期の収益の変動と競争力の上下、これは分けて考えるべきであると考えております。

分けた時に初めて出てくるのが、何か知らないけれども、現場が強いわりには儲かっていないではないか、もっと言ってしまえば、強い工場・弱い本社、これが日本のかなりの部分に存在する問題ではないか。こういう話になってくるわけであります。つまり、どうももの造りの現場発の戦略論がこの10年間弱まってしまったゆえに、かなり議論が混乱して振り回されたという感じがしております。その間、私はそれこそ木を見て森を見ない典型みたいな人間でありますが、少なくとも工場を毎週見ていく、そしてそこで起こっていることを見ていく限り、世の中で言われていることとずいぶん違ったことが起こっているとしか思えないというふうに、違和感をずっと10年間持ち続けてきたという人間でございます。

それでは、現場発とはどういうことか。一つの切り口が私は設計ということだと思っております。現場におりて、現場で流れているものを虚心坦懐に見てみると、確かにそこに物があって人がある。しかし、そこを司っている一番大事なものは何かというと、目に見えないものです。それは設計情報なんです。これは開発の現場でも流れていますし、生産の現場でも流れています。購買でも流れるし、営業でも流れている。いわゆる見えないものなわけですけれども、この「設計情報」という概念に着目するのが、こういう現場発の戦略論の最初の入り口ではないかと。設計というのは理科系的な発想です。これを文系的な経済学、経営学の中に入れてみようという考え方でございます。

その設計情報を司る一種の思想というか、設計者の基本的なものの考え方みたいなものをアーキテクチャというふうに申します。これは訳すと建築になってしまうわけですが、建築ではございません。ここで言っているのは設計思想という意味です。私がアーキテクチャの本を書きましたら、売れないので本屋に行ってみたら、建築コーナーに置いてあったので、これはまずいと。この言葉がちゃんと流通するまで言い続けようと思っているわけであります。

あとで申し上げますが、特に我々が見ていてこの業種が強いなと思うのは、擦り合わせ型のアーキテクチャというものを持っているものであります。簡単にいうと、すべての部品が特殊設計されているようなタイプのもの、つまり設計パラメーターを相互にかなり微妙に調整しないとまともな製品はできませんよというタイプのものになりますと、これは大体いろいろな業種で、ソフトであろうが、アパレルであろうが、自動車であろうが、あるいは機械、電子、果ては化学から鉄に至るまで、擦り合わせ型というものになると、何か強いというイメージがございます。これは私はまだケーススタディ的にやっておりまして、測定が完全にできておりませんので、確定的なことは言えないのですが、いずれはやはり測定しなければいけないと思っております。

いずれにしても、こういう産業においては、地盤沈下は決定的でございません。ただ、そうはいっても、日本の企業の中で、例えば最優良をトヨタとしましょう。それから、エレクトロニクスの大メーカーでおそらく日本の工場の中で私の見たところトップ10%には入るなという立派な工場、この二つの工場の間で潜在的にどのぐらい生産性の差があるかというと、おそらく下手をすれば数倍ある。これは実際に私見てそれを感じております。デミング賞も取った、生産革新もやっている立派な工場があるのですが、ここを私は2年おきぐらいに見ておりますが、2年ちょっと前に見た時は、ようやくこれで中国に勝てるかな、どうかなということを言っていた時ですが、そのさらに2年前になりますと、もう中国へ行くしかないと言っていたわけです。生産性を3倍にしなければもう残れないと。今から3倍にせいというのかといって、ほとんど絶望的な状態にあったわけですが、ここにたまたま縁がありまして、トヨタ系の方が入ってきて、コンサルティングをやったわけです。そして、当たり前のトヨタ方式を入れました。半年で生産性は2.7倍です。つまり、ひょっとすると起こっていることは、本当のトップの企業と、トップ10%近辺の立派な企業との間で生産性は3倍違いがあるかもしれない。そうすると、下のほうはどうなっているかなんていうのはわかったものじゃないということになるわけであります。これは非常に恐いことが起こっている。ですから、日本全体のもの造り能力の全体的なかさ上げをしなければいけないと思っておりまして、私は今年からもの造り経営研究センターというのを東大に作りました。学者としてできることは限られておりますが、一応、日本のトップ企業十数社集めて、まず知識の一般体系化から入って、教科書を作るというところから始めようと今思ってやっております。

それで、例えばトヨタのような会社、現場が強い会社、これはあちこちにございますが、ただ、現場が強い会社、つまり競争力が強いと言われている会社であっても、結局儲かっていないところが多い。これは戦略構想力の不足ということであります。

これはあるところで調べてみましたら、強いと言われる機械産業で、日本、アメリカ、ヨーロッパ等々でどのぐらい利益率が違うか。ROEですね。実際調べて見ますと、大体どの業種を見ても、自動車以外と言っていいですが、ほぼどの業種を見ても、ROEは日本だけが低い。その中身を見ていきますと、結局、現場の強さを測る回転率で見ると全然負けていない。負けているのは売上高営業利益率、これが圧倒的に低い。しかも、それをばらしてみると、売上高粗利率はそんなに負けていないのだけれども、販管費がずっしり乗っかって負けている。大体こんな絵がどの産業を見ても出てまいります。つまり、オペレーションとストラテジーのねじれ現象、つまり強い工場・弱い本社というふうになっているわけであります。

ですから、21世紀のわが国の製造業、製造業に限りませんが、目指すものがあるとすれば、それはやはり、これは基本的に国際競争をかなりやってきている産業でありますから、日本の中でまじめにやってきた十数%と言っていいかもしれません。この人たちが、この人たちの強さに見合った利益を出すということが健全な社会になるということの一つ。そして、この人たちが持っているまさに国際競争で鍛えてきた現場力、これをほかの産業で使えるようにしていくということだと思います。

一つの典型例は、私もこの間見てきましたが、トヨタが越谷の郵便局でトヨタ方式を教えておりますね。いろいろと問題もあると言われておりますが、ああいう取り組みというのは、まさに競争してきた人たちが、競争していなかった人たちに教えていくという、こういうプロセスです。このための教師の数は今圧倒的に不足しております。これを何とかしなければいけないと私は思っておりますが、それを通じて強い現場と強い本社の両立、ここから自然に収益が上がってくる。税収も上がってくるということではないかと思っております。

そのためにはまず測定が必要です。「測定なくして管理なし、管理なくして改善なし」というのは我々のいわゆる呪文のようなものでありますけれども、まず測定しなければいけない。ところが、測定がちゃんとされていなかったということがありますので、ついつい測定が常にされている収益というものに目が奪われて、収益のところで議論が終始したということがあったのではないかと思うのですが、我々、もの造りの現場を見ている人間から見ると、大体この四つぐらいの流れで見ていく必要があると思っております。

一番左が組織能力。トヨタであれば、看板をちゃんと回していますか、多能工化はうまくいっていますか、TQMはできていますか、TQCはできていますか、こういういわゆるそこの会社に対してある何事か物事を、あるいは組織ルーティンを、ちゃんと動かせる能力がありますかということで、これは測定とは言わないまでも、一応これは評価はできます。

問題はその次ですが、そこから始まって、次は深層のパフォーマンスと書いてあります。これは私は裏の競争力という言い方もしますが、要するに裏方さんの競争力です。お客さんが見ていないところで、現場で出てくるのは、生産性、生産リードタイム、適合品質、開発リードタイム、こういったタイプのものでありまして、これはお客さんは見ておりません。お客さんが例えば車を買いに来て何を見るかというと、実はこの表のパフォーマンスであります。大体、競争も価格競争というのは表の競争でありますから、価格競争、納期、あるいは製品の訴求力、つまりブランド、お客さんはこういった表に見えているものを見て、それを判断材料にして、買うか買わないかの判断をする。これは表の競争力であります。

ところが、それを裏で支えているのが裏の競争力であります。お客さんはこちらは判断材料にしません。車を買いに行って、この車はいくら、納期はいつ、あるいはブランドはと、こういうことは聞きますけれども、「この車の開発期間は何か月だったの?」と聞けば、「おたく何者ですか」という話になるわけでありまして、これは普通聞きません。にもかかわらず、裏の競争力で愚直に競争をしてきた。あいつが18か月ならうちも18か月だという感じでやって、その結果として、今、例えば自動車の開発の期間は、トヨタへ行っても、ホンダへ行っても、日産へ行っても、判で押したように「18か月です」と言うんです。つまり、これはお客さんが評価していないにもかかわらず、あいつに負けるなでやってきている。この愚直な競争、これを私は能力構築競争と言っております。ややシュンペタリアン的な意味での競争ということになりますが、価格競争の背後にこれがある。日本の企業はこれを愚直にやってきている。なぜか知らんけどやってきている。戦後の姿はこれがあるわけであります。そのために左側二つが強いよというのがあるのです。

ところが、右にいきますと、まず価格では円高で痛めつけられる。あるいは国内の販売体制がうまくいっていないので、値引き競争に巻き込まれる。あるいはブランドができていない。トヨタ、ホンダといえども、例えばヨーロッパでは全然ブランドは通用しておりません。ヨーロッパでまともな利益を出している自動車メーカーは一社もございません。こういうことがあって、表の競争力になると、かなりガタガタと落ちてきて、最後利益になりますと、ここでまた落っこちてしまう。これはトヨタ、ホンダといえどもそうであります。

例えばつい数年前まで、アメリカでトラック系の車を売れば、乗用車の2倍儲かるという時代があったわけであります。この時代に、まさに正しい戦略を打って、トラックを売ってぼろ儲けしたのはアメリカのメーカーであります。ですから、アメリカのメーカーは現場が弱いのに儲かっていたわけです。日本のメーカーは、わざわざ競争の激しい乗用車で、体をまた鍛えていましたから、どんどん体を鍛えちゃって強くはなったのですが、儲かっていないという状態が続いていた。これはまさに戦略ミスであります。その意味でいうと、私はトヨタもホンダもみんな戦略ミスだと思います。これらの戦略がちゃんといっていたら、まさに先ほど言ったように、1兆円なんていう利益で済んだはずがないと思っているわけです。

例えば一例を申し上げますが、トヨタは93年からバブルの垢落とし運動と称して、設計の改善をやっております。皆さんが乗っておられるものもあるかもしれませんが、例えばクラウンという車があります。あの車は昔5,000本ボルトがありました。今、4,000本を切っております。ただ、あれでボルトの数が減ったからガタガタだと文句を言っている方はいらっしゃらないわけでありまして、つまり、この1,000本は無駄な1,000本だったわけです。こういう無駄だらけの車を、無駄のない生産方式で作ったのが1990年のトヨタです。

無駄だらけの車だということに気がついたのが93年。ここからバブルの垢落とし運動と称して、いわゆるVA、VEと我々言いますが、設計の改善運動が始まりました。始めると止まらないのがトヨタです。毎年1,000億円です。ですから、トヨタがなぜあの円高の中で何とか利益を保ったかというのは、これは為替差損1,000億円を設計改善1,000億円で取り返したのです。ですから、為替が安くなってきて、1,000億円の為替差益が出た途端に、2,000億円以上の利益が出るのは当たり前なのです。しかも、あの会社は始めると止まらない。ずっと私は見ておりますが、この10年間、結局、設計改善は平均1,000億円で続いております。毎年1,000億円です。

ただ、ここでちょっと待てよという話です。毎年1,000億円だったら、掛ける10でもう1兆円ではないですかと。ちょうど2002年ぐらいで1兆円です。設計改善だけで、つまり現場の頑張りで1,000億円稼いでいるわけであります。利益1兆円ということは、本社は何をやっていたんですかという話になるということです。つまり、トヨタという最強の企業であってすら、この問題があるわけです。

これは我々がこの20年間まさに愚直に測定してきているものでありますが、製品開発の生産性であります。これを見ていただきますと、数字をぼかしてありますけれども、大体日本は約100万人時で製品開発が終わるとなっております。欧米は200万人時から300万人時かかっております。つまり、同じお金をかけて日本の会社は2倍、3倍の車を作ることができる。できた車ができがあまりよくないので売れないということはあるかもしれませんが、少なくとも打席には多く立てるということになります。

こういう2倍、3倍の生産性の差は当たり前というのがもの造りの世界であります。しかも、見ていただくとおもしろいことに、90年代後半、アメリカメーカーがまさにトラックを売ってぼろ儲けした時に、差は開いているんです。つまり、これは何が起こったかというと、アメリカメーカーはトラックを売れば儲かるという戦略の勝利。このために頭を使えば勝てるのだから体を鍛えなくてもいいやと、どうしても人情でそうなりますね。ヨーロッパメーカーはこの時ブランド戦略の大成功です。ですから、ブランド戦略で頭を使えば、トヨタが300万円の車を400万円で売れるのだからいいじゃないかと、これであります。

日本のメーカーは、ヨーロッパにブランドで負け、アメリカに戦略で負け、あとやることは現場を鍛えることしかないですから、また鍛えちゃった。その結果として差は広がってしまっているんです。にもかかわらず、この間、利益では逆転されているわけです。つまり、どうもこんなふうなことが日本の縮図として起こっていたのではないかと思うわけであります。つまり、もの造りの組織能力は、これは私の見る限り、少なくとも自動車産業に関して見ますと、微動だにしていないという感じであります。特にこの10年間、戦略がだめ、ブランドがだめでしたから、もう現場が頑張るしかないと、また頑張っちゃったんですね。先ほど言いましたように、それこそ設計の頑張りだけで1兆円のコストダウンというようなことが実際に延々と起こっていたわけです。

ですから、私は日本の製造業復活という言葉には抵抗があります。復活と見えるのは、見るべき人が見ていなかった、見るべき人がさぼっていたからそう見えるだけであって、これはやっていた人たちは営々とやっているわけです。ですから、その部分が左側にあらわれます。ところが、表の競争力になりますと、円高でやられ、ブランド戦略で負け、国内販売で負け、そういう形でだんだんあやしくなってくる。収益性になりますと、作るべき製品を作っていないとか、あるいは作るべき場所で作っていないとか、あるいは、それこそ為替でやり損なったとか、いろいろな本社のチョンボが出てまいりまして、こうなる。大体本社のチョンボが多いと思います。ありとあらゆる失敗を日本の本社は繰り返してきたと私は思いますが、この間、現場のほうはとにかく愚直にやっていたと私は思います。

ということで、これを見るためには、まず強さ・弱さという話と、儲かっている・儲かっていないという話は切り分ける必要があると思うわけです。

まず、強いか、弱いかという話は、これはもちろん経済学の原則として、国の持っているリソースと産業が持っている特徴の相性を見る。リカード以来そういう考え方がずっとありますが、我々が見るのは、これを理系的な設計という概念を入れて、もう一回相性の話を考え直してみようということです。そう考えますと、設計情報をうまく作って流す能力、これが実はもの造りの組織能力なのですが、この能力と設計図面そのものが持っている特徴、つまりアーキテクチャ、この組織能力とアーキテクチャの相性がいい場合に、日本の現場は強い傾向がある。まず強い・弱いはここで見分けましょうということを先にやるわけです。儲けの話はその次に考えましょうということです。

まずそこから見ますと、日本の組織能力というのは、これは基本的に統合型というか、チームワーク、情報共有、あうんの呼吸、こういうものが基本にあったと考えざるを得ません。トヨタ方式というのは、実は統合型もの造りの一つの最強のバリエーションであったと。ただし製品の違いがございます。1トンあるものと手渡しできるものの違い、4年間作り続けるものと3か月で終わってしまうものの違い、こういうものがございますから、当然あらわれ方は違います。しかし、何らかの形で統合型というのが日本の得意技であった。

なぜそうなのという話になりますが、これは別に日本が単一民族だとか、仏教だ、儒教だという話ではございません。そんなことを言っていたら、戦前はなぜ違ったのかというあたりが説明できません。そうしますと、どうもこれは戦後がくさいなと。特に戦後見ていますと、こういう強い会社を見ますと、ある時期貧乏暮らしをしている。つまり、金ない、人ない、物ない中で高度成長してくる。そうすると、これはスイッチング・コストの話になってしまうわけであります。一旦雇った人は大事にしましょう、一旦買ってきた機械は大事にしましょう、一旦確保した下請さんは大事にしましょう。つまり長期雇用、長期取引になります。ただし、今よく言われる長期はだめだというのは、私は何か変な話だと思っております。あれは長期関係主義と長期能力主義の混同だと私は思っております。つまり、ぬるま湯的な、なあなあの長期主義は退場願いましょうということなわけですが、トヨタあたりがやっていることは、長期でじっくり相手の仕事ぶりを見て、それで評価をする。評価能力は絶対手放さないという、こういうタイプの厳しい長期主義です。これはいまだに日本の企業のコアコンピタンスだと私は思っております。この長期的な能力主義に基づく統合型のもの造りシステム、これは実はまだ日本のおはこであるということであります。

その点からトヨタを見てみますと、時間があまりないのであれですが、実はこれだけで40時間かけてやるわけで、その時使ったのがこれでございます。知のめぐりの良い組織でございますということなんです。この知というのを「設計情報」と私は読みかえますが、要するにトヨタ方式を一言で言いますと、実は物の流れを見るよりも、設計の流れを見たほうがあの会社の本質がよくわかるのです。設計情報が滞留していないかどうか。設計情報がちゃんと流れているかどうか。ちゃんとあるところで作られ、転写される。作るのが開発、転写するのが生産なのですが、これが澱みなく起こっているかどうか。澱んでいる状態を在庫と言います。あるいは澱んでいる状態を手待ちと言います。この手待ち、在庫というたぐいを無駄と総称いたしますが、この無駄というものをなるべく減らしましょうというのは、実は設計情報が常に流れている状態を作りましょうということなのです。これがトヨタ方式の一言でいえば基本です。無駄なくして流れを作りましょう。看板とか何とかは手段ですから、実は大したことはないです。基本はこれです。

それをまず生産においてきちっと行う。正確で密度の高い転写を行っていく。流れを常に作っていく。そして、開発はなるべく早い段階でまとまりのよい問題解決のサイクル。大体、自動車の場合は数千という問題解決サイクルで回さないと車はできませんけれども、これを回してまいります。この束として統一的に説明できる。

サプライヤーについては先ほど言いました。これは基本的に長期能力主義だということです。ゴーンさんが来てやったことは、あれはフランス流に変えたわけではなくて、日本流に変えたということです。私はゴーンさんと定期的にお話する機会があるのですが、この間会って、「ゴーンさんがやったことは、結局日本流に戻したということですよね。まともな日本流にしたことですよね」と言いました。「そうだよね」という話ですね。つまり、もともと悪かったころの日産にはびこっていた長期関係主義を否定して、つまり出資しているからとか、役員を派遣しているからとか、おまえのところはおやじの代から知っているからとか、こういう関係でもって発注するというぬるま湯を一掃したと。結果、残るのは長期能力主義です。長期能力主義というのは、基本的にトヨタがやっているやり方であって、擦り合わせ型の製品を作る時のグローバル・スタンダードはこれであります。世界中のメーカーがこのやり方を真似しているわけであります。

よく言われる、DELLとトヨタはどっちが偉いのだという話がありますが、DELLは寄せ集め製品の雄であって、トヨタは擦り合わせ製品の雄であって、どっちも偉いと。しかしながら、作るものが違えば違ってくるということになります。

ということで、この1枚の絵を描くのは大変なのですけれども、これは設計情報の流れという観点から組織能力を見直してみた時、トヨタの組織能力は何ですかと言われれば、この1枚の絵を見せてこれですと申し上げるわけです。一つ一つのルーティンが入っております。ローコスト、自動化、予防保全、あるいは小ロット生産、平準化、かんばん、アンドン、ラインストップスイッチ、いろいろなルーティンがございますが、これらのルーティンがアンサンブルとなって、一つのオーケストレーションという形になって、右の上から左の下、左の下にお客さんが待っておりますが、お客さんまですっと設計情報を流していく。このシステムはなかなかできません。一個一個のルーティンは真似できても、結局全体が真似できている会社はいまだにない。20年間世界中のメーカーが真似しようとしてやってきたのだけれども、真似できない。これを我々はハイヤーオーダールーティンという言い方をしますけれども、要するに、一個一個のルーティンは真似できても、全体のアンサンブルができない。これが日本の企業の、多かれ少なかれ、シャープもキャノンもソニーもみんな持っているものであります。

さあ、こういった組織能力があったとしますと、その組織能力と相性のいい設計、製品は何なのかということですね。これは普通、伝統的な経済学では、労働力のたくさんいる国では労働力をたくさん使う産業がいいですねと、こういう相性論をやりますけれども、ここでは設計の面での相性を見ていこうということです。そう見ますと、実は今言った統合型もの造りシステムが生きるのは、擦り合わせ型アーキテクチャの製品だと。英語でいうと、インテグラル・アーキテクチャという言い方をします。

そこを説明するのは話がまた長くなるのですが、製品設計をする時、大体設計者はこういうことをやるわけです。左側にあります機能をまず特定して、こういうものを作りたいと。その機能をサブの機能に分けます。例えば自動車であれば、乗り心地、あるいは操縦安定性、あるいは燃費、あるいは動力性、こういうふうに分けますね。右側に書いてあるのは構造設計であります。つまり、機能設計と構造設計のマッチングをやるのが基本設計の段階ですが、どの部品を持ってくるのか、その部品は新しく起こすのか、あるいは外から有り物を引っ張ってくるのか。インターフェイスは汎用インターフェイスでいくのか、特殊インターフェイスでいくのか。つまりどうやってつなぐのかということですね。そして、どの機能をどの部品に持たせるか。この辺を構想する。これが基本設計の段階であります。

これをやる時、大きく分けますと今の右・左、右に機能、左に部品を書いてありますけれども、この関係がわりと1対1ですっきりしているのが実はモジュラー型、あるいは寄せ集め型、組み合わせ型と言われているもので、これはアメリカさんが得意なものであります。中国も得意ですね。

インテグラル型、擦り合わせ型と言っているのは、すべてグチャグチャにスパゲティみたいに絡み合っていますね。これは自動車なんかは典型でありますけれども、これはどちらかといえば日本のメーカーが得意なものであります。

パソコンシステムの場合、見ず知らずの人たちがそれぞれ作ったものを、あとで寄せ集めてもちゃんと動く。つまり標準インターフェイスでつながっている。まさにこのパソコンと今のプロジェクターというのは完全にそういう関係です。つまりシリコンバレーが得意な製品であります。これは大体アメリカが得意ですね。

それに対して擦り合わせ型製品というのは、日本が得意なタイプのもので、まさに大部屋に集まってワイワイやっていないと、なかなかうまくできない。だから下はトヨタのようなものが得意なものです。

そういうのを分けてみますと、どうもアーキテクチャで分けると、先ほどの産業分類を一旦忘れて、もう一回産業を並べかえてみるとこうなるわけです。これはまだ測定ができていないので、私がエイヤッと書いた感じでありますが、左上を見てください。乗用車、オートバイ、ゲームソフト、軽薄短小型の家電、これは擦り合わせ型と言われているもので、一社の中で完結した設計であって、しかもある製品のためにわざわざ特殊な最適設計された部品を起こしていく。このタイプであります。これは大体日本が強いです。

右下を見てください。オープン・モジュラー。これはいろいろな会社のものを寄せ集めても、ちゃんと何とかなってしまいますよと。これは自転車がそう、パソコンがそう、インターネット商品がそう、新金融商品もそう、こういう寄せ集め型ですね。右上は社内の共通部品を寄せ集めると何かできますよというので、レゴみたいなおもちゃがありますけれども、ああいうものがそうです。これはいろいろな国のものが強みを持っていますが、どうも左上を見ますと、日本が強いものが並んでいるように見える。しかも、ヨーロッパもひょっとしたらここかもしれない。右下を見ますと、これはやはりアメリカですね。そして、もう一つは中国なんです。私が見るところ、どうも中国とアメリカはアーキテクチャ的に見るとお友達ではないかと。これは要するに日本という擦り合わせ大国が、アメリカ、中国という、韓国も入れてもいいかもしれませんが、寄せ集め大国、モジュラー大国に挟まれていると、どうもこういう構図に見えてならないわけであります。

これは全くアカデミックではございません。私の漫画みたいなものですけれども、いろいろ印象論的に見ていくと、どうもある国に、多分歴史的な事情があって、ある組織能力を持った企業が偏在する。偏って存在する。そのためにある国に得意製品が偏る傾向がある。なぜならそれは相性というものがあるからだと、こういうふうな考え方で見ていくと、それぞれの国に得意アーキテクチャがあるのではないかという、これはまさに荒っぽい予測、あるいは仮説でありますが、こう見えてくる。

日本は、先ほど言いましたように、歴史的に見て統合力が強いというところがあります。これは現場重視の擦り合わせ製品。ヨーロッパはデザイン、ブランド中心。やはり口八丁手八丁を200年、300年やってきていますから、やはり表現力が強いですね。だから、まさにルノーと日産の組み合わせというのはおもしろいもので、両国の擦り合わせ企業がくっついた。そうすると、日産がルノーのデザイン力を学ぶ。そして、実はルノーは日産の現場力を学ぶ。これは両方とも強くなっている。お互い学び合って、お互いに教え合うという、非常にいい関係になっているというのが、今の日産・ルノーであります。この辺のメカニズムがわからなかったのがドイツの某社であります。

アメリカは、200年移民の国でありますから、構想力で食ってきたということであると思います。まさに移民を即戦力で使うことで世界一になったのがアメリカ。これはやはり知識集約型のモジュラー製品。つまり、構想力がそのまま生きる。余計な擦り合わせをしなくてもいいというものであります。大体見ていますと、アメリカの200年のもの造りの歴史は、何とか擦り合わせをなくしましょうと、こればっかり考えている200年だと思います。まさにそれがフォードシステムであり、最近のデジタル製品もまさにそれです。つまり、この10年間というのは、アメリカが得意とする擦り合わせをなるべくなくせるというデジタル製品が、国民経済に占める割合が数%から10%近くまでいった。私はこれでほとんど説明できてしまうのではないかと、乱暴な言い方ですが思っております。

韓国は、ワールドカップを見てつくづく思いましたが、集中力です。勝てると思った時の強さ。これは、つまり3,000億円かけて設備を寄せ集めれば勝てるぞとなった時の迫力ですね。これはスピードにおいても、度胸においても、資金の集中力においても負ける。ですから、寄せ集めになった途端にディーラーもやられた。汎用の鉄もやられた。それから、汎用の液晶もやられた。これは要するにハイテクかどうかという話ではないということであります。ハイテクかどうかという話ではなくて、寄せ集めかどうかということです。寄せ集めになった途端にやられています。どんなにハイテクでも。ハイテク部品の寄せ集め、ハイテク設備の寄せ集めだったら、どんなハイテクでもやられてしまいます。

中国は動員力。4億人からいて、この人たちがとっかえひっかえ出てくる。そして、出稼ぎ労働力でやっているわけですね。無制限供給という経済学の言葉がありますけれども、まさにこれになって、いつまでたっても給料は1万円。女の子が18歳でやってきて20歳で帰っていく。その間20万円貯める。家に帰ると年収1万円のお父ちゃんがいるわけですから、そこで家が建つ。それが羨ましいので、また自分の子供を出してくる。こうやって無制限供給でぐるぐる回っているというのが、今の華南の経済であります。これで作れるのは、優秀な単能工を100人並べて、人海戦術で大ロットで作るという単純なモジュラー製品であります。このパターンにはまったら中国は無敵だという話であって、何を作っても中国が強いという話は、これまた例によっての過剰反応であります。あそこで多能工を使って自動車みたいな複雑なものを作ろうと思うと、賃金が全然違います。2,000元、3,000元です。つまり4万円、5万円です。中国は資本主義の国では考えられないぐらい労働者の間の賃金格差が大きいですから、これはすごい差がございます。ですから、その多様性のところを見ておく必要があると私は思っております。

最後にASEANですけれども、これは失礼ながら設計能力がありませんので、日本の設計、アーキテクチャでローエンドを作ってくるというのがこの何十年のやり方でありました。実際、彼らは多能工だけ見ますと、定着率がいいわりには安い。中国と比べて多能工で見たら、むしろASEANのほうが安いかもしれないと思います。とすれば、ASEANと中国の間のすみ分けも私は可能だと何となく思っております。中国がローエンドのモジュラー製品、ASEANがローエンドの擦り合わせ製品ということになるのではないかと思っております。この辺、すべて私のスペキュレーションでありまして、まだあまりアカデミックな議論にはなっておりません。

いずれにしても、両面戦略、まず自分の強さ・弱さを知った上で、つまり知るというのは、まず現場におりて、現場の強さ・弱さを虚心坦懐に眺める。そして、それと相性のいい製品を虚心坦懐に見つけ出す。そうすると、既存の産業分類とかこういう固定観念を一切取っ払って見た時に、なるほど、うちはこれが強いんだね、というのが出てまいります。そうすると、その強いものを伸ばす。そして、できれば強いものでしっかり儲けるということをやる。苦手なものは、自分の組織能力が伴っていませんから、まず組織能力を鍛えるところから始める。もしその組織能力がむしろアメリカにある組織能力であれば、それを学ぶ。あるいは提携して手っ取り早く学ぶ。あるいはお金があるなら相手を買ってしまう。あるいは、どうしてもやめたほうがいいならやめてしまう。この辺から選んでいくということになるわけですが、得意なもの、苦手なものとメリハリを効かせた戦略をとるということ、これは戦略論の基本でありますけれども、案外できていない会社が多くて、それは既存の産業分類にとらわれているがために、強い・弱いの括りがうまくできていなかったのではないかと思うわけであります。

ということを考えますと、どうも産業政策も、これは経産省のお話になりますが、護送船団、つまり一番遅い人の尻押しをするというのは、もう限界だというものです。ダイナミックにどんどんものが動いております。私はフロントランナー方式ではないかと思っております。つまり、まず官の人たちが、これは一部もう経産省で始めておりますが、民の中で一番元気な人をまず見つけることです。それぞれの業界で。そして、その官の人がフロントランナーの戦略をしっかり学習する。まず、官の人たちが民の先頭を走っている人がなぜ強いのかということをしっかり勉強していただくということであります。

そして、そのフロントランナーが参画する形で産業政策作りをやっていく。大体、フロントランナーというのは、マラソンでも何でもそうですけど、一番先頭を走っていますから、風を一番受けております。この人のところへ行って、あなたは何をやってほしいですか、何が邪魔ですかと聞けば、いくらでも出てまいります。この話を聞いてあげて、メイクセンスなものはどんどんやりますと、フロントランナーはもっと走ります。これだったら独占になるではないかという話ですが、どっこい、それはよく見ていれば、負けじとついていく会社が必ずいます。そうすると、自然に先頭集団ができます。その先頭集団のスピードが速まります。この先頭集団が自然にできあがって、これが産業を形成していくことだと思っています。ただ、チャレンジャーがちゃんとついていける政策はやっておく必要があるということです。ただ、そこで遅れてしまう企業がありますが、これは私は産業政策ではないと思っております。社会政策で受けるべきことであって、産業政策ではフロントランナーを追っかけていくことだと私は思っております。

最後に、位置どり戦略という話を申し上げます。今申しましたのは、まず自分の会社の組織能力、現場の組織能力をきっちり把握しましょう。それから、製品のほうも虚心坦懐に見て、そのマッチングを考えて、まず相性のいいものを作るということがあると。それは多分日本の多くの企業においては、歴史的に見ても擦り合わせ製品だということを申し上げたわけですが、さあ、ではこれで儲かっているかという話ですが、今言ったことをやれている会社はけっこう強いのですが、実はそれは儲かっていないことがあります。

典型的な例はベアリングです。ここのところ、私はベアリングメーカーを何社か見てきましたけれども、まさにニクロム加工のほかの国でできないような加工をやっております。彼らが作ると、なぜか知らないけれども真ん丸い球ができるのです。これで圧倒的な力を持って、まさに繊維とともに貿易摩擦をやってきているのがベアリングですね。強くて困ってしまうという産業です。ところが、その産業で、「すばらしいですね、この現場。最近儲かっていますか」と聞くと、「いやぁ、今年は儲かって何とか3%です」というわけです。売上高営業利益率。異様に低いです。つまり、強くて困ってしまっているという産業が3%というのは、普通説明できないですね。ところがそれが日本の現状であります。

これは何がおかしいのか。戦略論というのは、基本的に体を鍛えましょうという体育会系の戦略論と、それから、位置どりをよくしましょうという頭を使う戦略論とございます。アメリカ、中国はどちらかというと頭を使う戦略論。孫子の兵法から始まって、アメリカのポーターの戦略論から何から、みんな頭を使って、ちょろいマーケットを見つけて、そこで儲けましょうという戦略です。日本の戦略は宮本武蔵なんですね。体を鍛えれば何とかなるんだと、それでやってきております。ですから、日本の場合、体を鍛えるのはいいのです。ところがもう一つの位置どり、ポジショニング、これが悪い企業が非常に多いわけであります。だから強いけど儲からない。

では、それを考える上で、さっきの設計ということに戻ったらどういうことが考えられるか。1枚絵を描きました。横に書いてあるのは、あなたの製品は擦り合わせですか、寄せ集めですか。上はそれに対して、あなたのお客さんの製品は擦り合わせですか、寄せ集めですか。こういうふうにして四つに分けていきます。細かい話はやめますが、こう分けて見ますと、左上にあります中インテグラル、外インテグラル、つまり私の作っているものは丹念に作った擦り合わせ製品です。例えば自動車部品。ところが、お客さんは何をやっていますか。お客さんはトヨタさんですと。トヨタさんが作っているのはなんですか。あれも擦り合わせ製品です。こうなっているわけです。自分も擦り合わせ、お客も擦り合わせ、サプライヤーも擦り合わせ、競争相手も擦り合わせ。要するにどっぷり擦り合わせ世界に浸かってしまってやっていると、これが左上なんです。ここはお客さんからいろいろなことを言われて特殊製品を作らされますから、非常に体は鍛えられます。現場は鍛えられます。ただ、特殊製品ですから量が出ません。しかも、何か交渉している間にいつの間にかコスト構造をのぞかれているんです。大体ここはいって5%の世界です。儲かりません。ただ体は鍛えられます。だから日本の企業は多分左上が多すぎるのです。これがまさに擦り合わせ過剰。擦り合わせ大国日本なのですが、これは完全に擦り合わせ過剰であります。やりすぎている。その結果、強いけど儲からない会社が多いのではないかと私は思っております。

としますと、ここで左上というのは道場なんです。体を鍛える。問題はここに100%売上がいってしまっている会社は、道場から出てこない会社ということでありまして、これはやはりさみしい。どうせだったら、これをもうちょっと儲かる方向に持っていきたい。それは右上か左下なんです。右上は、自分は擦り合わせをやっていますが、相手さんはモジュラーですと。これは汎用部品で売れます。不特定多数に売れます。ここでトップを取ればです。5番とかではだめなんです。トップが取れれば、20%の利益率という世界が見えてきます。インテルが実はそうなのです。要するに、日本にインテルと同じ位置どりの会社がどこにいるかと見るわけです。そうすると、業種に関係なく出てまいります。シマノ、信越化学、村田製作所、おそらくマブチもそうですね。こういう会社は20%であります。これらの会社は、現場の擦り合わせという強みを生かしながら、しかし、お客さんとの位置どりをうまくやって、お客さんに対して汎用品をたくさん売っていく。これで儲けていらっしゃる会社です。つまり、片足擦り合わせ、片足モジュラーという、ちょうど境界線に位置どりするということによって儲けている会社です。

左下を見てください。これはもっと高等戦術なんですけれども、お客さんから見ると擦り合わせ、でも、ばらしてみると中は寄せ集めですと。これはなかなか高等戦術なんですが、GEがけっこうこれがうまいですね。デンソーさんがけっこうこれをやっておられます。キーエンスという粗利率60%という化け物みたいな会社がありますが、この会社がやっているのがここであります。これは要するに攻めの営業をやるんです。大体ライバルの3倍ぐらいのセールスエンジニアがいて、営業の擦り合わせを徹底的にやります。それによってお客さんの現場に入り込み、お客さんが今欲しいものを先取りしてこちらから提案してしまいます。これは計測機器をやっている会社ですが、あなたのこの現場にこの計測システムを入れたら、歩留まりがこれだけ上がって、利益がこれだけ上がりますよという提案をしてしまうわけです。提案した瞬間には、すでにセールスエンジニアの頭の中では、うちの標準品1、2、3を組み合せればできるなというところまで完全に見切っています。これを見切っている会社と、お客さんからの注文を待って、出てきた注文に受け身で応じて、それなりのものを全部作ってしまうという会社とでは、大いに利益が違ってまいります。後者は、そういう会社もありますが、左上になってしまうわけです。ですから、これはどちらも力は強いのですが、利益率は大いに差が出ます。これも20%、30%の世界です。

それから、右下は中モジュラー、外モジュラー。寄せ集めで作ったものを寄せ集めで売っている。汎用品として売っている。これは力技になります。ここは大抵日本はやめたほうがいいです。ディーラーもここでやられた。汎用液晶もここでやられた。それからエチレンプラントもここでやられた。汎用の鉄もここでやられた。大体ここへ入ったら負けますから、ここはアメリカ人になったつもりでやるしかないというようなことですね。大抵ここはやめたほうがいいということであります。

実際調べてみるとこんなふうになります。左上が今言ったところですが、日本が強いなと思う商品が並んでいます。ある技術屋さんの集まりで、ちなみに書いてもらったんです。そうしたらおもしろいですね。左上が×が多い。つまり、けっこう強いはずなのに儲かっていない。右下は×ですね。やめたほうがいい。右上と左下、この境界線に位置どりしている企業の中に、あるいは製品の中に、◎とか〇とか、けっこううまくいっているものが多いように見えるということ。これが私にとっては非常に示唆的であります。

以上でお話を終わりにしたいと思います。

石小委員長

ありがとうございました。大変興味あるお話をいただきました。

それでは、時間が大分たってはおりますが、せっかくの機会でございますから、フロアから一、二質問をいただいて、先生にお教えを請いましょう。どうぞ、どなたでもけっこうです。

猪瀬委員

さながら戦前の日本の軍隊の話を聞いているみたいで、現場はいいのだけれども、参謀本部がだめだというような話とすると、あまり伝統的に変わらないなということにも感じたのですけれども、もうちょっと、金融的なものを含めた本社機能をどういうふうにしたらいいのか。今、設計思想の話で、もうちょっとそこのところをわかりやすくしていただければと思いますけれども。

藤本教授

金融とか商社とかこういうところは、先ほど言いましたように、日本の中でモジュラー屋さんが必要なわけです。いろいろ組み合わせていく人たちが必要で、この人たちが弱いということ。その一つの例が、本社が事業の組み合わせが悪いとか、あるいは、お金を貸す時のポートフォリオが悪いとか。これは基本的には評価能力だと思っています。

今日はあまりその話をしなかったのですけれども、日本の企業の得意技は、まさに現場でとにかくあまり考える前にまず走り出そうと。走り始めてから擦り合わせをやっていくという能力は、これは多分、戦前からそうなのかもしれませんが、強いんです。これでいけちゃうものはいいのですが、ここで言っているモジュラー製品、日本が苦手としているモジュラー製品というのは、有りものの寄せ集めでやろうという話ですから、まず構想、どういうようなシステムで全体を組むかというシステム全体の構想力が必要ですが、つまり走り出す前によく考えてシステムを構想する。これは日本の企業は苦手ですね。とにかく走っちゃおうよというふうにやってしまう傾向がある。本社はこれを本当はやらなければいけないのですけど、これが弱い。

それから、もう一つは、寄せ集めでやるわけですから、何を寄せ集めるかで勝負が決まります。ですから評価能力が必要なんです。これは金融にしろ何にしろ必要なことなのですが、どうも日本の企業はまず走り始めることをやっちゃっているものですから、事前によく構想して、よく評価をするというここが大体弱くて、大体これは本社の機能ですね。本社の評価能力がどうも弱い、あるいは構想力が弱いということがあるゆえに、現場の擦り合わせ力がなかなか生きない。すごく乱暴なことを言ってしまうと、現場の統合力で稼いだお金を、評価能力がない人たちがどんどん無駄遣いしてきたというのが、多分銀行も含めての大きな流れだったのではないかと。

ですから、日本の本社がなぜ弱いのかといった時、私はやはり構想力と評価能力、つまり目利き能力ですね、この二つが欠けていたのではないかと。担保主義なんていうのはそのいい例ではないかと思いますが。

村上委員

ベアリングのことで、やっているわりに儲かっていないというお話でしたけれども、ベアリングはほとんど日本ではやっていなくて、タイとか中国とか、そういうところで早くから、おっしゃっているようにモジュラー型ですか、これでやっていると私は思っていたのですが、儲からない、売上高利益率が3%というのは、さっきご説明があったとは思いますけど、どこが悪いのですか。本社が悪いということですか。

藤本教授

やはりそういうことになっちゃうかと思いますね。

村上委員

本社のどういうことが悪いのですか。

藤本教授

ただ、これは相手さんが相手さんですから、自分で勝手に変えられませんね。つまり、お客さんが擦り合わせをやっていますという、こういうのがベアリングの基本的な特徴ですね。おっしゃるように、海外にもどんどん出ますね。企業は国境を越える存在ですから、当然、それぞれの国へ行って、モジュラー製品なら中国でやりましょう、擦り合わせ製品は日本でやりましょうと、これでいいわけで、全体として儲かればいいわけですけれども、そういう展開もできている。しかも現場は強い。にもかかわらず3%というのは本当に不思議でならないのですけれども、一つは、やはり先ほど言った相手が悪いと。相手が自動車メーカーなどのシビアなところですと、コスト構造をのぞかれますね。でも、それでも儲けている会社があるわけですね。私は、さっきの絵で描きましたけれども、お客さんが擦り合わせだというところが動けないのだったら、下へ逃げる。つまり、いかに標準的なハードウェアを使いながら、例えば最後のソフトウェアのところでカスタマイゼーションを一気に行うとか、こういう設計上の工夫をすることによって、お客さんには擦り合わせというこの原則を守りながら、しかし、設計のほうはもっと合理化していく。これが一つの生き方です。

もう一つはマブチさんがやったやり方ですけれども、今まではカスタマイゼーションが当たり前と言われていたベアリングの中で、多くの部分をこちらの標準品を買っていただくものに変えていく。マブチさんはその努力をしたわけです。もともとモーターというのはお客さんの言いなりだった製品だったのですけれども、これを、「それと似たようなものを私持っております。こちらでよろしければ20%安くお売りします。もちろんカスタムもやります。何でもやりますけど、どうですか」という下手に出る売り方ですね。結局、モーターは標準品という形を作ってしまった。これはマブチさんの大戦略で、それの結果として利益を出していると思うのですけれども、やはりせっかく現場が強いのであれば、それを生かす一工夫ですね。この絵でいえば左下へ行く工夫、右上へ行く工夫をやりながら、しかし、左上は道場ですから、ここは離さない。このポートフォリオで考えることがもうちょっとできていると、3%はやはりちょっと低すぎるよねと私自身は思ったわけでございます。あれだけの力を持っていれば、5%、10%いってもおかしくないと思ったわけであります。

石小委員長

さて、まだおありかと思いますが、先生ご自身、大学でご予定があると聞いておりますし、我々もまだお二人説明者の方がいらっしゃっておりますので、藤本先生のお話はこれで終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。

それでは、引き続きまして、梶田先生、お待たせいたしました。梶田先生は、現在、一橋大学大学院の社会学研究科の教授でいらっしゃいまして、国際社会学がご専門です。国際労働移動とか移民政策、この辺がご専門でございまして、ご著書もいくつかございます。

それでは、先生、30分ぐらいですが、よろしくお願いします。

梶田教授

紹介に上がりました梶田と申します。よろしくお願いします。

「ヒト」の移動についてお話ししたいと思いますけれども、通常お付き合いしているお役所というと、大体法律関係と厚生労働省が多いのですけれども、たまたま財務省の方がいらっしゃって、何かの間違いではないかと私はちょっと思ったのですけれども、「ヒト」の移動が税制にどういうふうに関係しているかということでお聞きしたいというような話でありまして、したがって、どういうことが要求されている知識なのか、よくわからないところがややあるのですけれども、少し乱暴ですけれども、5点ぐらいお話ししたいなと思います。今の藤本先生のような構想力のあるお話というわけにはいきませんで、多分、皆さんご存じないことがかなり多いと思いますので、いくつかの事実をかいつまんでお話ししたいと思います。

国境を越える「ヒト」の移動というのは、国境を越えて外国にいる人間がどのぐらいいるかというと、2%以下ということです。ですから、逆にいうと、グローバル時代なのに、どうしてそんなに多くの人が移動しないのかと考えることだってできるわけですけれども、その一方で、ある村とか、ある町からは半分以上の人が移動している。あるいは、行き先のところでは、働いている労働者が半分以上だと。さっきトヨタの話がありましたけど、豊田の中に保見団地という団地があります。これは県営団地なのですけれども、そこはブラジル人の割合が4割から5割と言われています。そういうふうに、なぜある地域ではこれほどまで多くの人が移動するのか、そういう現実があるということです。これを私は「野茂効果」というふうに呼んでおります。つまり、先行者がまず行って、そのあと、大リーグへ行っても大丈夫なのだということで、リスクを軽減しながらあとに従ってフォロアーが行く。こういう移動というのが移動の原則なのではないかと思います。

さて、歴史を少しさかのぼって戦後どんな移動があったのかということを見てみますと、一つは、西ヨーロッパの国々が大量の外国人労働者を受け入れました。何百万人ということです。これが50年代、60年代、70年代に続きました。74年に突然これが遮断されたということです。これは石油ショックによってです。ここでは省略しますけれども、一旦入った人たちは追い出すことができなかったのです。ドイツにしろ、フランスにしろ、追い出すことができなくて、結局、意図せざる結果として、逆に一旦出たらもうフランスに入らないということからして、家族の呼び寄せをやったということで、大量の定住者が発生したということです。一千万人以上を超える定住者が発生したということです。そして、西ヨーロッパへの移民はストップしました。

今度は中東産油諸国への移民が起こりました。ただし、これらの国々は民主主義国とはちょっと言いがたいところがありまして、定住化はいけないよということで、出稼ぎにとどまったということです。

アメリカはどうだったかというと、90年代まで、アメリカは基本的に移民国ですから、移民を受け入れるのはお家芸みたいなものなのですけれども、90年代に入っても依然として移民を受け入れ続けたということです。特に重要なのは、能力のある移民を受け入れ続けたということです。その典型例がIT技術者とよく言われている存在です。H-1Bビザという短期ビザを使って、最大限、年20万人ぐらいのIT技術者を受け入れたということがあります。こうしたメリハリというか、西欧諸国とアメリカとの対照性でもってIT産業の差がついたのではないかと言われて、そういう話もあるというところです。

日本はどうかというと、日本は基本的に移民国ではありませんから、西ヨーロッパを見てきたということです。西ヨーロッパの経験から見て、やはり移民を入れるのは恐いことだ、なかなかうまくいかないなということを考えてきたということです。非常に警戒心が強かったということです。それで、こそこそとバックドアから入れたということです。後ろから入れたということです。これが研修生とか技能実習生とか言われている人たちで、要するに定住化に結びつかない外国人の受け入れをやったということです。

それから、もう一つおもしろい問題として、日系人という人たちを90年の入管法の改正の時に行ったということです。この人たちが30万人程度働いています。先ほど話を聞いていましたけれども、トヨタ、日産等々、その二次下請、三次下請の工場で働いている人たちは日系人の人たちです。そういうところがございます。ですから、フレキシブルな生産を維持するために日系人がずいぶん使われているところがございます。

ただ、なぜ急にそういうことが起こったのかというのは、いまだにミステリーめいたところがありまして、ある政府高官に聞いたところは、91年に在日韓国人の参政問題を決着しなければいけない。それで91年に特別永住者というものを作ったと。それとのバランスを考えて、それだったら元日本人だった人たちも日本を訪れて親族訪問してもいいのではないかと、そういうところで定住者というビザが作られ、日系人が入ってきたと言われていますが、本当のところはよくわかりません。こういうことで90年の入管法ということは非常に大きな変化をもたらしたということです。

日系人について、ブラジルからが一番多いわけですけれども、もう一つおもしろい話をしますと、この人たちを使っているのは業務請負業者という団体です。要するに、昔の女工哀史のあの出稼ぎのブローカーたちですね。この人たちが一種の経済学でいう経路依存の関係で、新しいお得意を探して、それをブラジルからの移民、あるいは出稼ぎに求めたということがございます。

こういうことによって、さっきモジュラー型、インテグラル型等々ありましたけれども、どちらも問わず、例えば自動車業界とか電子部品業界とか、こういったところの下請業界等々においては、非常に多くの日系人が働いているということです。非常に象徴的な現実ではないかなと思います。3K労働を担っているということです。

今現在はどうかということですが、西ヨーロッパも含めて一般的に外国人の締め出しから選択的な導入へという方向に移動しています。IT技術者は入れようと。あるいは、建設に関わるプロジェクト労働者は入れようとか、あるいは、看護婦を入れようとか、こういうようなところにヨーロッパも多少変わってきているところがあるかと思います。

それから、もう一つ重要な点は、毎日の新聞を見てみますと、少子・高齢化の話ばかり出ているということなのですけれども、外国人とか移民政策の問題が、これはあとでお話ししますけれども、人口政策の問題と非常に絡まってきているということが一つございます。このことについてはあとでお話しします。

それから、もう一つは地域統合(FTA)において、一種のサービス労働、つまり看護労働はサービス労働だから、FTAの中で自由に移動していいではないかと、こういう議論になってきているということがございます。

それから、もう一つは9・11事件以降、治安とかテロ対策と重なって議論されることが非常に多くなってきているということで、「ヒト」の移動の問題というのは、非常にそういう意味で錯綜して複合化しているということが一番最初に述べたかったことであります。

2番目は、特別な労働者ということで、IT技術者の話を少ししたいと思います。アメリカの場合は、ご存じの人も多いと思いますけれども、H-1Bビザというものを使って技術者を入れてきた。90年前後が一番山場だったと思いますけれども。それと、インド自体で情報教育政策をやっていた。これがうまくマッチングした。しかも、両者を結ぶ英語という媒介言語があったというようなことが、こういう現実を生んだと言われています。

この場合には現実に人が国境を越える移動です。ある学者はボディショッピングというふうに言っています。要するにボディを買うわけですね。IT技術者というボディを買うわけですけれども、今だとそれだけではなくて、仕事自体をインターネットでインドにやってしまう、あるいは中国にやってしまう、こういうようなことが行われつつあります。NHKでもやっていましたけれども、要するにアメリカの電話交換サービスがインドへ行ってしまうというようなことがありまして、これはアメリカの電話労働者の雇用機会を奪うのではないかというような話がありましたけれども、これは日本の中でもあることですよね。東京の電話交換が沖縄へ行っているという話はよく聞くわけですけれども、こういうバーチャルな移民という話もあるということです。ですから、人が移動する場合もあるし、仕事が移動する場合もあるということです。

ただし、やはりシステム・エンジニアのように、実際に聞き取りをして、それをプログラムに移していくことが必要な場合、どうしてもフェイス・ツー・フェイスにならざるを得ないということがあるかと思います。ですから、ボディショッピングはなしにすることができないということであります。

日本の場合にどうなっているかというと、ちょうどインド人移民に対応する存在というのは、中国人と言っていいと思います。中国人の日本留学と日本への就職ということがそれに当たるかと思います。その中から中国人のエスニックビジネス家が誕生してきているということです。こういう人たちが一種のブリッジになる。つまり日本語もできるし、中国語もできるということで、ブリッジになって、それで日本のソフトウェアの仕事を中国に輸出するということで、言語の問題を解消しようというような動きもあるようです。

ただ、アメリカの場合には、H-1Bビザは1年ぐらいの短期のビザですけれども、それが永住化につながる、あるいは帰化につながるという可能性がかなり高いわけです。これはかなり魅力的なことだろうと思います。そして、すでに定着したインド人IT技術者たちが業界を作っているということがあります。これが一つのIT技術者のビザの上限を上げろというそういう圧力として働いているという現実があります。

日本の場合はどうかというと、ずいぶん状況が違うというか、ほとんど何もやっていないということだろうと思います。一般的に言えることは、よく聞くことですけれども、「ガラスの天井」という言葉があります。つまり出世できないということですね。ガラスがあって出世できない。日本の企業文化と外国人のキャリア形成との間に齟齬が生じている。こういう現実が一般的に言われています。政策自体も非常にちぐはぐです。例えば日本で永住するといった場合には、これは入国管理局の仕事なのですけれども、10年日本に滞在することが必要です。逆に帰化する、日本人になるためには、これは民事局の仕事なのですけれども、5年間でいい。こういう非常に矛盾した現実が存在するということがあります。

それでも最近のニューカマーの中で日本に帰化する人はけっこう多いということも事実です。全体の3分の1が中国人の帰化ということになっています。ですから、こういったIT技術者の取り合いということは、各国がどういう外国人政策を持つのか、あるいはどういう国籍政策を持つのかということによるところもけっこう多いということですね。そのことについては、残念ながら日本の場合にはほとんど考慮していないという現実があります。

それから、さっき言いましたように、介護サービスとかこういった点については、特にこれは東南アジアですけれども、FTAとの関係で可能性があり得るということだろうと思います。実際にさまざまな形で人間を輸出している国があるわけでして、世界の1番ではないと思いますけれども、2番目か3番目の国でフィリピンという国があります。ここでは非常に多くの女性労働者を輸出しているわけですけれども、それぞれの国がどういう受けとめ方をするかによって、入り方は全然違うということです。

例えば日本においては、ほとんどがエンターテイナー、風俗産業ということです。中東、香港、シンガポールにおいては、ドメスティックワーカー、家事労働者ということです。アメリカはどうかというと、看護師ないしは家事労働者ということです。イタリア、突然イタリアが出てきますけれども、西欧の後発国、しかもカトリックの国ということがありますけれども、家事労働者ないしは介護サービスとして働いています。こういうような状況で、要するにどういう外国人政策をとるかということによって、働く内容は全然違ってしまう。しかし、働く意思は非常にあるということです。

ですから、そういうことを考えますと、介護サービスという点で門戸を開くということもあり得ないことではない。あるいは、構造特区等々で、教育特区という形で、例えば太田市などはそうですけれども、英語の教師を雇っているということがあります。フィリピンも英語圏ということで、仮にそういうことがあったとすると、フィリピンのイメージもずいぶん変わるのではないかという感じもいたします。

次に、非常に日本は均質的だと言われますけれども、国は変わるのか、変わらないのか、という話をいたします。この場合もまずヨーロッパの経験からお話ししますと、ヨーロッパでは意図せざる結果として、1割近い外国人を受け入れたということです。その人たちは国民になったということです。ドイツ人になった、フランス人になったということです。こういう点で国民観とか国籍観に非常に大きな変化が起きたということです。

日本は常にドイツを一つのモデルとしてきました。ドイツは血統主義の国ですけれども、移民政策において、ドイツをうかがいながらやってきたわけです。ドイツは常に移民国ではないと言ってきたわけですけれども、今やドイツは事実上の移民国であるということを認めるようになりました。それから、国籍自体も完全な血統主義から一部出生地主義を併用する、そういう国籍観を採用するようになりました。ですから、ドイツ人の顔つき等々もこれからどんどん変わってくるということであります。

このようにヨーロッパ等々においては、国籍法が変わったりとか、帰化が推進されたりとか、そういうことによって国民の内容がどんどん変容しているという現実があります。

その一方で外国人を排斥せよという政党も一部では生まれてきているということです。さらに、オーストリア、オランダ、イタリア等では、そういう政党が政権に参加しているという現実もございます。ですから、確かに税制調査会とはどの程度関係があるかわかりませんけれども、社会は変わり得るということです。そういうことから見ますと、日本というのは格段に均質的であるということです。

繰り返しになりますけれども、西欧の経験からの教訓として、3K労働は入れない、定住化を阻止する、こういうことをやってきたということです。その結果として、技術革新を行い、海外に企業が進出し、日系人を受け入れ、研修生を時限付きで利用する、こういうことをやってきたということであります。

ただ、それでもやはり国際化が進んでいきまして、今や20人に1人は国際結婚という時代になっているという現実も否定できないということであります。ただ、一般的に言って、かつてのヨーロッパ、あるいはアメリカのように、一般の外国人が定住化し帰化するということは、移民を想定しておりませんので、それは非常に少ないということであります。日系人という形で入ってくるしかないということです。そういう点で曲がり角に来ているということがあるかと思います。

日系人だから日本人ではないかというような意見も非常に多いのですけれども、これも現実に浜松市とか豊田市では、トヨタの自動車工場は使っていませんけれども、下請工場へ行きますと、たくさんの日系人が働いています。その人たちは日系人ですから、日本人のような人たちが働いているというふうに考えられるかもしれませんけれども、現実は全く違います。日本語がほとんどわからない、いわゆる混血率が非常に高いですし、配偶者の半数以上が、いわゆる日系人ではない人たちが日系人のビザという形で入ってきているというのが現実であります。

国の門戸の開けたり閉めたりというこういう開閉について、非常におもしろいパラドックスがございますので紹介しますと、西ヨーロッパは73、74年のオイルショックの時に、要らないと言ったんです。要らないというところで閉めたんです。帰る人には報償金まで出したんです。ところが帰らなかったということがあります。むしろ逆に、帰っても職がないということからして、妻子を呼び戻したということです。外国人労働者自体は決して急増しませんでしたけれども、外国人の数そのものは逆に増えてしまったという現実がございます。

これに対して日系人の場合には、日系人の資格があれば常に入れるということがあるということも関係しまして、日本で定住化する人は非常に少ないという現実があります。出稼ぎをし、リピーターとして往復するケースが非常に多いということです。ですから、門戸の開閉というのはなかなか難しい問題だということが、これによっておわかりになるのではないかと思います。

それから、外国人の増加はじわじわ進行しているけれども、東京にはもちろん多いですけれども、ある一部の都市に集中しているということがございます。さっき自動車工場の話がありましたけれども、自動車工場とかIT工場とかこういった工場がある、つまりこれは労賃も高いということですよね。男で時給1,000円ちょっととか、そういう業界に日系人たちが入っていますので、そういうところに行くと、外国人が非常に多いという現実になるということです。

こういう都市が集まって外国人集住都市会議というものを作って、何とかしてくださいという形で国に対して圧力をかけているという現実があります。つまり、豊田市とか、浜松市とか、豊橋市とか、太田市とか、大泉町とか、こういった人口が3%から15%ぐらいという都市が全国でおそらく20ぐらいあるだろうと思います。

浜松市では外国人の数は2万人を超えています。ですけれども、浜松ではそういうことになっていますけれども、日本全体としてはなかなか顕在化していないということですね。したがって、こういうことが将来顕在化した時には、外国人への不公平感というものが噴出する可能性は確かにあるだろうと思います。今はまだそこまでは至っていないと思います。

それから、もう一つは、じわじわと国際人権レジームと言われているようなものも定着しつつあるということであります。難民の受け入れとか、不法滞在者に対して在留資格を与える。これを在留特別許可と言っていますけれども、一般的にはアムネスティと言っています。こういうものが日本でもかなりなされているということです。

ちなみに数を挙げますと、不法滞在者に対して在留特別許可が年7,000人というオーダーになっています。ですから、在留特別というのは特別なことなのですけれども、必ずしも特別ではなくなってきているということです。ある種のアムネスティのミニメカニズムが日本でも作動し始めているというふうに考えることもできると思います。

もう一つは、いろいろな条約に日本が加盟していまして、日本の行政の好き勝手でやっていくことができなくなってきていることがあります。つまり、司法が行政とは違った判断をするということが、これは毎日起こっていることなのですけれども、こういう領域においても起こっていて、人権の影響力が非常に大きくなってきているということです。例えば、不法であっても、子供が日本で生まれる、あるいは日本で育つ、日本語を話して日本の小学校、中学校、高校に行くようになる。こういう人たちを強制退去することは事実上できなくなっているということであります。

それから、ちょっと数字だけ紹介しますと、在留特別許可の話をしましたけれども、ついでに帰化がどのくらいか紹介しますと、年1万6,000人です。多いとも言えないし、少ないとも言えないということですね。無視できる数ではないと思います。3分の2が韓国人、3分の1が中国人ということです。オールドカマーが3分の2、ニューカマーが3分の1といったところです。

次に、公共サービスと負担のあり方ということでいくつかお話をしたいと思います。

一つは、これはよく尋ねられる質問なのですけれども、負担に人の移動がどう影響するのかということを推し測ることは、非常に難しいというのが一言で言えば結論です。

例えば、先ほど言いましたように、ヨーロッパは何百万人、あるいは何千万人という人を入れたわけです。それは短期的、あるいはその時はいいと思って入れたわけですけれども、それが実際にはいろいろな意図せざる結果を生み出していって、そのために負担を強いられるということも非常に増えているわけです。そういうこと一つとってみても、人の移動と負担ということを整合的にやっていくことは非常に難しいということがおわかりになるのではないかと思います。ヨーロッパの経験が一番いい例ではないかと思います。

長期的に見るか、短期的に見るかで非常に違いますし、それから、外国人といってもさまざまです。専門技術者が入る場合もありますし、3K労働の労働者もいるということです。それから、いわゆるフォーディズムの時代、つまりたくさんの労働者が必要だったヨーロッパの60年代、70年代と、職の減った現在とでは状況が全然違うということもあります。あるいは、外国人が一時的に滞在する場合と定住化する場合とでも全然違うということがあります。

一例だけ挙げますと、60年代にヨーロッパに入った人たちが子供を生みまして、その人たちが現在20代、30代になっています。第二世代になっています。この人たちはフランスではブール世代と呼ばれています。アラブという言葉を逆さ読みするとブールになるのですけれども、この人たちはいろいろな非行の問題とかドラッグとか、要するに職がない、あるいは差別の対象であるということによって、「危険な階級」という言葉が適当かどうかわかりませんけれども、そういう存在になっているということです。こうしたことまで負担の問題というかコストの問題として考えたら、一体どういうことになるのだろうかということを私は感じます。日本の行政マンは、こういうことまで考えて、外国人労働者の導入の是か非かということを考えていらっしゃるのだろうかということを常に考えております。

それから、一般的なことだけ紹介しますと、若い健康な外国人労働者の場合は、病気になりませんから、一般的に福祉制度に貢献すると言われています。その一方で、例えば中国残留孤児とか中国残留婦人とかこういった人たち、あるいはその子孫たちが日本に来ています。それから、インドシナからの難民も1万人前後日本に暮らしています。こういう人たちの多くは生活保護を受けています。ですから、外国人といってもさまざまであるということです。

それから、先ほど紹介しました日系人の人たちも、これは業務請負業者というブローカーを通して派遣されているわけです。トヨタが必要な時には働いて、必要のない時には首を切るという形で常に働いているわけですけれども、要するに金を浮かすために社会保険に入らないということをやっているわけです。では国民健康保険に入ったほうがいいのではないか。しかし、それは厚生労働省は入れてはいけないという行政指導をしたり、さまざまな矛盾が生じているということです。こういう状況の中で多くの地方自治体が非常に苦悩しているという状況があります。日本人を前提にしておりますので、保険と年金のセットという形になっています。ですから、行ったり来たりしているブラジル人の場合には、年金を捨てなければいけないというようなことで、外国人の受け入れと日本の年金制度がうまく合っていないという現実もございます。

エピソードで恐縮なのですけれども、全般的に見ますと、今現在は世界的には移民にとっては逆風の時代ではないかと思います。少し過去になりますけれども、アメリカでは提案187というのがカリフォルニア州で出されました。それから、96年ですけれども、福祉法というものが出されました。これは簡単にいうとどういうことかというと、外国人への社会的サービスをカットするというものです。外国人の子供が公立学校へ行くのを受け入れないとか、外国人がお医者さんにかかるのを受け入れないとか、そういったことを含んでいるわけですけれども、一般に厳しくなっているということが言えるかと思います。

それから、ヨーロッパの場合も、一般的にはヨーロッパの要塞化、EUの要塞化という形で、なかなか厳しくなっているということがよく言われる現実であります。

もう一つ税の問題で考えておいていいのは、さっきも言いましたけれども、外国人は均質ではないのです。あるところに集中するということがあるわけです。したがって、負担の問題が均質に地域的に分布しないという特徴がございます。アメリカで外国人があまりに多いということに対して反を唱えたのは、カリフォルニア州とかフロリダ州といった移民の集中する州だったということがございます。それから、ドイツの場合も、難民法とかそういったことで連邦政府が受け入れるわけですけれども、それを実際に受け入れて保護したりケアをするのは、州であったり地方自治体であったりするわけですけれども、そういうところでたくさんの負担を課せられた自治体から文句が出るとか、こういうことが頻繁に起こりました。

日本においても、さっき言いましたように、外国人集住都市という外国人が多い都市が十いくつ集まって、何とかしてくださいよという形で中央政府に対して圧力をかけている。こういう状況であります。先ほども言いましたように、例えば豊田市の保見団地においては、4割ないし5割が外国人という、そういうところが公共住宅において起こっているということで、これは豊田市に限らない話です。

ところが、日本の場合には行政においてはどういうことがなされているかと申しますと、各省庁での縄張り争いが続いておりまして、整合性のある外国人政策はないということです。それから、さまざまな、子供の問題、労働の問題、年金の問題、医療の問題等々というものを総合する部署が必要なのですけれども、そうした外国人対策部署というものはいまだにないということです。日本経団連はこういったものを作れということを提案していると聞いておりますけれども、そういうことはないというのが現状であります。

逆に、日本から外へ出ていく人は非常に多くて、日本は滅んでしまうのではないかというような話はたまに聞きますけれども、これはちょっと北欧諸国のような状況では必ずしもなくて、優れた能力のある一部の人々にとっての話かなと私は思っていますけれども、これは楽観的かもしれません。

最後に、もう一つ大きな問題を話しておきたいと思います。少子・高齢化の問題です。西欧諸国でも少子・高齢化の議論が盛んになされていまして、これとリンクした形で、もう一度外国人労働者を受け入れるべきだという議論が一部ではございます。

それからもう一つ、いわゆる社会化というか、人間を作っていくという、これは学校で作ったり、昔は兵役とか、さまざまなそういった社会化の装置がありまして、労働組合もそうかもしれませんけれども、こういうものが国民を作っていったわけですけれども、こういう社会化のための装置が機能不全を起こしているという現状があります。すでに前の回であったかもしれませんけれども、家族が解体しているというような状況が起こってきております。これを社会学では「個人化」と称しています。あるいは「私事化」と言っております。こういうことが非常に起こっているということです。ですから、家族というものが従来のような単位ではなくなってきているということです。結婚しない家族とかが非常に増えてきているということです。

企業というのも安定しなくなってきている。あるいは共同体とか労働運動というものも従来のように前提にできなくなっている。こういう現実がヨーロッパでは非常に増えてきています。それらを総称して社会学者たちは「個人化」というふうに言っています。

一つだけエピソードを挙げますと、昨年の夏だったと思いますけれども、フランスで非常に暑かったということがありますけれども、1万5,000人の老人が暑さで死んでしまったという事件がありましたね。多くの人たちはバカンスに行っていたということで、個人化の典型的な例だと言われています。老人ホームで働く係の人自体もバカンスに行っちゃったと、そういうこともありますけれども、本当に笑うに笑えない現実が起こっています。日本もそういうふうになるのか、ならないのか、これは皆さんの見極めが大切なところではないかと思います。

それから、もう一つ、国連の人口部というところが、「少子・高齢化と移民」という問題提起を行っています。細かいことは省略しますけれども、要するにこんなに出生率が低いと、どんどん生産率が落ちていきますよという話です。例えば、今の人口を維持するには、何人受け入れなければいけない。あるいは生産人口を維持するにはどれだけ必要か。生産人口というのは15歳から64歳までだったと思いますけれども、生産人口と生産者が扶養する人口、つまり子供とか老人とか、その比率を維持するためにはどれだけ入れる必要があるか。こういうことを提起しています。それぞれ人口を維持するためには、日本の場合には2000年から2050年までに毎年34万人。生産人口を維持するためには65万人必要である。それから、さらに生産人口と扶養人口との比率を維持するためには、毎年1,047万人必要であるという、およそ非現実的な数字を挙げています。これは確かに非現実的ではありますけれども、しかし、非現実的といって笑っていられないという現実があるということです。

出生率の問題は、人口学者に任せるべきだと思いますけれども、日本、ドイツ、イタリアはいずれも1.3前後というふうに聞いております。ただ、一つの救いはフランスでありまして、フランスの場合には1.89だと聞いております。2.1までには至っていませんけれども、1.89。つまり、さっきフランスの非劇というか、フランスの野蛮というようなニュースの話をしましたけれども、何でフランスはドイツより高いのですかと聞いてみますと、フランスの場合には、伝統的に少子化に悩んできたということがどうもあったらしいですけれども、家族で子供を育てるというよりも、国家で子供を育てるというか、そういう政策をとっているというようなことがどうも効いているようで、第2子、あるいは第3子、第4子に対する扶養手当が非常に高い。そういうことが効いているようです。そういうことを考えてみますと、1.9ぐらいまでは努力次第でできなくはないということを数字が示しているのは、救いかなと思います。

それから、とにかく結婚しないと数字は高くならないわけですけれども、ヨーロッパの場合には、結婚しないけれども同棲は多いということがあるわけです。日本の場合には、パラサイト・シングルか何か知りませんけれども、同棲自体が少ないという話を聞いております。どうしたらいいのかというのは、私はよくわかりません。

それから、外国人を受け入れればいいのではないかという議論があるかもしれませんけれども、それについての一つの反論を紹介します。つまり、外国人を受け入れても、外国人自体が実は同化してしまうということなのです。つまり、第一世代と第二世代という言葉がありますけれども、第一世代はもとの国の国民です。日本人がアメリカに移民するといっても、第一世代は日本人です。しかし、第二世代はアメリカ人になってしまうということなのです。つまり、そこで生まれ、そこで生活し、そこで教育を受けるということによって、社会学的にはそこでの国民になってしまうということです。したがって、そこでの価値観を受け入れるということです。つまり、そこでの出生率になっていくということです。ですから、結局、外国人を入れても、やはり1.3になってしまうということです。

それから、もう一つ今ヨーロッパで起こっていることは、西欧諸国において第一世代、1960年代、1970年代に入ってきた人たちですけれども、この人たちの高齢化の問題に直面しています。したがって、移民自体が高齢化する。当たり前の話ですけれども、そういうこともあるということで、ですから、アメリカのような恒常的な移民国であれば話は別ですけれども、そうでない国の場合に、やはり社会内在的にこういった個人化の問題とか少子化の問題に立ち向かう以外にないのではないかなと思います。

時間が過ぎてしまいましたので、少しカットして、これで終わりたいと思います。どうもご静聴ありがとうございました。

石小委員長

どうもありがとうございました。梶田先生、時間は大丈夫ですか。では、もうちょっと付き合ってください。

多方面からいろいろな切り口で国際間の人口移動のお話を聞きました。日本の将来にもかかわる問題でございます。どうぞ、ご質問等々あろうと思いますから。

猪瀬委員

基礎的な質問ですが、先ほどフランスのブール世代という話が出ましたけれども、これはオーストラリア、オランダ、イタリアは極右政党が政権参加しているということですが、そういうオーストラリア、オランダ、イタリアにおけるイスラム系とかの人口比率ですね。ブール世代というのは、フランスの場合はどのくらいの人口比率になっていて……つまりこの間のイラク戦争でも、アメリカと同調しなかった原因がいくつかそういうところにあると言われているのですが、数字がよくわからなくて、大体どの程度のものが、極右政党とブール世代というものの対応関係の人口比というか、勢力比というか、そのあたりを説明していただければありがたいのですが。

梶田教授

国によって違いますけれども、フランスの場合には、大体マグレブ諸国ですね。北アフリカ諸国、アルジェリア、チュニジア、モロッコ、あるいはトルコあたりが多いわけですけれども、総数は数百万というふうに考えていいと思います。ドイツの場合にはトルコ人が圧倒的に多い。イギリスの場合ですと、パキスタンとかバングラデシュの出身者が多いということです。あるいは、オランダではトルコとモロッコというように、さまざまな組み合わせがありまして、これは歴史的な偶然とか植民地関係とか、さまざまなそういったものでつながっているということがあります。

それから、極右政党の政権参加ということを挙げましたけれども、フランスは確かに極右政党の政権参加はもちろん起こっておりませんけれども、国民戦線という非常に大きな極右政党、外国人排斥政党がございまして、これは常に十数%の得票率を得ているということです。よく承知されているように、数年前の大統領選挙においては、社会党のジョスパンを破って第2位に躍進して、現在のシラク大統領と争って負けたという経緯があります。

ですから、オランダにしろ、あるいはドイツにしろ、フランスにしろ、いろいろな出身地は違いますけれども、第一世代、第二世代、第三世代すべて合わせると、数百万人という規模の人間がいまして、したがって、それが例えばフランスの場合には出生地主義をとっておりますので、その人たちがある条件を満たすと、フランス国籍を取るということになるわけです。アルジェリア人はほとんど自動的にフランス国籍ということになっています。詳しいことは省略しますけれども。したがいまして、ヨーロッパの場合には、そういうことだけではもちろんありませんけれども、伝統的にアラブ寄りの政策をとっているということです。それが、イラク戦争だけではないですけれども、イラク戦争に対して、それからイスラエル・パレスチナ問題に対して、アメリカとは全く違った対応をとらせていると私は理解しております。

猪瀬委員

フランスはイスラム系は人口的にどのくらいなのですか。

梶田教授

フランスは、人口的には約6%から7%が外国人ですけれども、先ほど言いましたように、かなり多くの人たちが、例えばフランスで生まれたり、あるいはフランスで生まれた人の子供であったりすると、自動的にフランス国籍が与えられてしまうということがありまして、実際の外国人、つまり外国人というのは国籍ですけれども、外国人っぽい人という意味で考えれば、その2倍というか、2割弱ぐらいではないかなと思います。

ブール世代というのは、アラブ出身の第二世代、第三世代のことを、アラブを逆さ読みしてブールというふうに呼んでいて、この人たちの不遇というか、職に就けないとか、差別とか、そういった問題が大きな問題になっていまして、これが非行の問題とかそういう問題に、いわゆる社会問題に結びついて大きな問題になっているということです。

山本財務副大臣

移民政策とか外国人労働者を国内に入れれば、必ずその国は一時治安が悪化するのではないかと思います。そういう時に、当たり前だと考えるものなのか、あるいはそれなりに政策的にきちっとした何か方策が過去歴史上、あるいは現在の世界でそういうことが行われているのか。特に日本は今は犯罪大国の中で、大変な外国人犯罪というものが国内問題として1位、2位を争うぐらい大変な問題になりつつあります。

私は先ほどの先生のお話の中で、バックドアから入れたことによってこんなことになったのではないかと想像したりするわけですが、今、近々にとりかからなければならない問題は、入国管理の少し遅れたところから来ているのかなというようなことで、今、副大臣会議等で対処しようとしているわけでございますけれども、そこのあたり、一体どうするべきなのか。そして、先生のご指摘の、優れた外国人を取り合う各国の外国人政策、国籍政策、こういったものについて、さらに言及いただければありがたいと思うのですが。

梶田教授

外国人といってもさまざまな外国人がおりまして、私のレジュメに図1というのがございますけれども、日本は島国ということがありまして、したがって、出入国管理ということが非常に重要な役割を果たすことになってくると思います。それに対してヨーロッパの国々の場合には、陸続きでありまして、出入国管理だけで管理することができないという現実がありまして、在留管理というか、つまりその場で管理するというようなことが主になっている。そういう違いがございます。日本もそうなっていくかどうかわかりませんけれども、例えばフランスとかドイツにおいては、すべての国民に対してIDカードを持たせるといったことを実際に行っています。

それから、外国人が入ることによって犯罪率が上がるかどうかという、これ自体が非常に大きな論争を呼んでおりまして、外国人自体をどういうふうに考えるかということによって、かなり違った結論が出てくるのだろうと思います。

それから、犯罪自体も定義し直すというか、例えば犯罪のおそらく半数以上はオーバーステイということ、あるいは日本に働いていること、日本に不法入国したことだろうと思いますけれども、それを犯罪というふうに考えるべきかどうかということは、少し割り引いて考えるべきではないかなと思います。つまり多くの人たちは、先ほども、10年ぐらいまじめに働いたということが認められて、在留特別許可が与えられて、それが1年間に7,000人であるということを言いましたけれども、そういうように実際に働いていて、雇用する人間も助かっている、本人たちも助かっている、その結果として売れる商品も安くなっているというような現実もあります。ですから、滞在していること自体が不法であるというものをかなり割り引いて考えないと、外国人犯罪というものの実態を少し取り違えてしまうという可能性がかなり高いだろうと思います。ですから、外国人犯罪自体は厳しく取り締まらなければならないと私は思いますけれども、それは外国人一般に当てはまることというよりも、ある種の外国人に当てはまるというように考えるべきことではないかと思います。

それから、優れた外国人についてですけれども、これはアメリカの例ではなくて、カナダ、オーストラリアの例ですけれども、ポイントシステムなどを導入しまして、これは何点、何々何点、学歴何点、本国から持ち込む資本金がどれだけであるかとか、オーストラリアで企業を起こして新しい職を作る力がどれだけあるかどうか、さまざまなそういったものを数量化しまして、それで何点というポイントシステムなどを導入している国もあります。アメリカはそこまでいっておりませんけれども。

ですから、実際に入る入り方としましては、業績というものに依拠して入れるというケースもありますし、それから、移民家族が家族を呼び寄せる家族再結合というものもありますし、それから、さまざまないくつかの矛盾した論理の重なり合いによって、例えばアメリカの移民政策というのは運営されているというような印象を受けます。答えになっているかどうかわかりませんけれども、特にカナダのポイントシステムとかオーストラリアのシステムなどの場合には、そういうことを国自体が非常に意識しているということを強調しておきたいと思います。

石小委員長

まだおありと思いますが、次の山崎先生もお見えになっていることですし、梶田先生、長い間どうもありがとうございました。

それでは、中途で5分休憩と思っていましたが、時間もございませんので……。山崎先生が飛行機の関係で大分遅れられて、今ご到着になりまして、まだ30分ぐらいお話しいただける時間を確保できましたので、そっちに移りたいと思います。

梶田先生、どうもありがとうございました。もしお時間があればお残りいただいてもいいし、ご予定があればどうぞ……。

山崎先生、あと30分ぐらいありますので、質問の時間を設けることができないかもしれませんが、ぜひ先生のお話を伺いたいと思います。

先生のご紹介はもう必要ないと思いますので、さっそくお話をお始めください。

山崎学長

どうも遅れまして申しわけございません。しかも、お尻も詰まっていて慌しいことですが。

グローバル化ということは、大変広範な問題であることは、私が申し上げるまでもありません。今日、私は特に人間の働き方、仕事の仕方ということとの関係で、問題点、あるいは我々が取り組むべき課題というようなことをお話ししたいと思います。

人間の仕事に関していいますと、グローバル化というのは、人間の労働を標準化する、あるいは均質化して、量的に測れるものにするということが前提であります。当たり前のことでありますけれども、これは何も21世紀のグローバル化とともに始まったわけではなくて、18世紀の終わりぐらいから、近代工業というものが生まれた時に始まったことであります。要するに機械というものが生まれて、人間の身体についていた技術、技能、ノウハウというものが機械の側に移されることになった。したがって、未熟練労働もリクルートできるようになりましたし、労働現場での才能の差というようなものがだんだん小さくなることになりました。

同時に労働の評価はその質によって測られるのではなくて、量によって、つまり労働時間というもので測られることになったわけです。この間の事情をカール・マルクスは労働力と労働を区別するという形で定義したわけでありますが、我々も今でも同一労働、同一賃金というような概念を信じておりまして、労働が同一であり得ると仮定しているわけであります。もちろんそれは工場において、ある一つのハイアラーキカルな組織の中で初めてできることであります。

グローバル化というのは、それをさらに徹底して進めることになりました。これには私は従来の機械に対して、さらに自動制御装置が入ってきたことが大きかったと思います。腕についていた職を機械に移したのが19世紀の初めだとすれば、21世紀になって、人間の脳神経の一部まで機械の側に移せるようになりました。それがいわゆるロボット化とか、あるいは自動制御化ということでありましょう。

その結果、私の生涯を振り返っても大変飛躍的な変化がありました。30年ほど前に日本のある下着メーカーの幹部からお話を聞いたら、アジアへ工場を移すのは大変であるというお話でした。なぜならば、アジアの人たちはまだミリ単位の大きさの感受性がない。大らかである。ところが、下着を縫製するのに1か所で数ミリずつ違うと、製品は1サイズ狂ってしまって、商品にならないという話でありました。ところが、現在はご案内のように、中国の農村の若い女性が上海に出てきますと、次の日から半導体が作れるわけでありまして、このことによって、労働の平準化といいますか、あるいは均質化というものが飛躍的に進んで、その結果、企業は少なくとも生産の面においてグローバル化を進めることが容易になったということでありましょう。

ところが、大変皮肉なことでありますけれども、20世紀の後半から我々が体験しているのは、ポスト工業化という流れであります。ここでは、むしろ文字どおりポスト工業化でありますから、工業化の延長線上にあるグローバル化とはむしろ反対の性格を持っております。つまり、均質化でき、標準化でき、要するに労働そのものを機械化する流れに対して、より質的な労働というものを重視するのが、あるいはそれを要求するのがポスト工業化であります。もちろん、実際にポスト工業化といっても、産業の中に占める工業的生産の量は依然として大したものでありますけれども、例えば日本のような先進国で見れば、そういう部分の産業は次第次第に海外に移転していくという形が現に進んでおります。

したがって、日本国内に残ってくるのは、大きく分けて2種類の仕事、あるいは労働ということになりましょう。一つはご案内の高度知的産業というものでありまして、科学技術からいわゆる文化産業まで、最近、ジャパニーズクールなどといって、若干日本の文化産業も世界に広がっているようでありますが、その両方合わせたものがいわば高度知的産業でありましょう。それに対して、大量の人員を動員して、今後大いに栄えていくであろうし、また、そうしなければならないのがサービス産業であります。

もっとも、サービス産業と知的産業の間にクリアカットな線を引くことは、これは不可能であります。例えば医療というものは、一方の端では先端的な高度知的生産でありますが、他方では街のお医者さんが我々の手を握って、死なせてくれるという側面を持っているわけで、これはサービス産業であります。したがって、我々の教師業を含めまして、知的生産とサービス産業とは、簡単には区別できませんが、大まかには分けることができるでしょう。

労働の点では、これはどちらも似ておりまして、単順に労働を量で測れないということであります。知的産業のほうでいえば、10年寝ていて、ある日目が覚めて大発明をすれば、それで大変な生産性を上げるわけですし、サービス産業も、もたもたと長時間働いても誰も満足しないという意味においては、これは量で測れるものではなくて、質で測ることしか仕方のないものでありましょう。

そうなってきますと、一番大きな問題は、この労働をどう評価するかということであります。ここでさしずめ出てくるのが国家の役割であります。私は市場というものの大きな役割を認めるにやぶさかではありませんけれども、市場には明快な限界もあります。特に人間の労働を評価し、認知し、価格づける、要するに対価を与えるという点において、市場には明快な限界がございます。

市場というのは、その時々の現在において機能するものであります。したがいまして、でき上がった知的財産、これを売り買いすることはもちろん市場原理で可能でありましょう。しかし、知的所有権になるような知的財産というものは、ある長いプロセスの中で形成されるものでありまして、そのプロセス自体を市場が評価するということは、ほとんど不可能であります。

また、サービス産業について特に言えることでありますけれども、この質的な労働というのは、何しろ量として抽象化されていませんから、どうしても地域に根づくほかはない。つまり、普遍的な市場というものの洗礼を浴びることが原理的に無理であります。もちろん、何度も申しますが、知的生産の成果は、知的所有権という形で、あるいはパテントという形で世界中で取引ができますから、これは市場原理に完全に乗ります。しかし、さっきも申し上げた知的労働のプロセスというもの、これはある研究所なり、ある大学なり、ある知的コミュニティの中で行われるものでありまして、世界の学会というような抽象的な場所で養われるものではありません。ましてや狭義の狭い意味でのサービス産業の場合、これは医療であれ、介護であれ、教育であれ、あるいはさまざまなエンターテイメントその他を含めて、地域を超えることは非常に難しいわけです。

もちろん、サービス産業も地域を超えようという努力はしております。その結果どうするかというと、サービスをマニュアル化いたします。ご存じかと思いますが、アメリカ発のスターバックスというコーヒー会社は、ニューヨークでも東京でも同じサービスをさせようとして、注文の確認をイタリア語でやるというふうにしておりますが、しかし、そうされてもあまり客としてはうれしくないので、サービス産業のマニュアル化というのは、おのずから限界があります。これは限られた目的のために、ちょっと忙しい時にそこで済ませておくというような機能は持ちますけれども、普遍化の非常に難しいものであります。

したがって、例えばあるところに名医がいるといったとしても、このお医者さんにかかって病気を治してもらうために、地球の裏側からやってくるということは、実際上不可能であります。教育も同様で、現に親たちはいい公立学校に入れるために、引っ越しをしようとして努力していますけれども、これもおのずから限度があることは周知の事実でございます。

そんなわけで、市場というものにこれを任しておくことはできない。そこで国家が出てきて、例えば知的財産権を保護する、あるいはさまざまな資格、検定等を与えて、仕事の能力の評価の下支えはいたします。私はこれは今後ともに非常に大事な国家の機能であろうと思っておりますが、これにも市場と同じような限界が当然存在します。

それは、例えば知的所有権というものについていうならば、先ほど申し上げたように、プロセスはやはり国家が保護することはできない。これは別途もちろん大学や研究所に予算を注ぎ込むという形でやってはおりますけれども、そこではむしろおのずから限度がございます。というのは、それは質の評価という点について、必ずしも十全でないからであります。最近、私ども中央教育審議会などで盛んに大学の外部評価などということを言っておりますけれども、そう言わなければならないということは、そもそもここに評価機能の何か欠点があるのでありましょう。

いずれにしましても、例えば資格・検定についても同じことで、医師の免許は国家が出します。ですから、最低限度医師であるということの下支えはしていますけれども、しかし、その一人一人の医者がいい医者か悪い医者かという評価は国家ができないし、同時にまた市場によってはできないところであります。

一番難しいのは、今後どのような形でそういう知的労働及びサービス労働を評価するか、どこにそれを任せるかということは、実は社会の文化全体に関わる問題であります。私は、持論でありますけれども、人間というものは、報酬のみによって働くものではなくて、他人による認知あるいは評価を当てにして働くものであると。

その際も、何もこの評価というのは、世界的名声などという大げさなものでなくてもいいのであります。とりわけ、質的な労働を提供するような人間、この人間像はちょっと思い描いていただきたいのですけれども、そういう人は相互に信頼し合う、あるいは相互に評価し合うということが好きな人種であります。

私どものような職業であっても、めったに社会的名声など期待できませんけれども、しかし、それよりも自分が尊敬する同業者に認めてもらえば、非常にうれしいのであります。この場合、非常にうまくできておりまして、私は例えば猫や犬にいくら褒めてもらってもうれしくありませんし、自分が軽蔑するような人間に褒めてもらってもうれしくない。このからくりはなかなかうまくできていまして、私は、純然たるエゴイズムの立場に立っても、褒めてもらう喜びのために他人を信頼しなければならないという逆説が成り立ちます。

そういう関係というものを私は近年特に社交と呼んでおりますが、そういう社交的関係、これは反対概念は組織的関係でありますが、組織的関係ではない柔らかい人間関係、相互評価の関係を社会の各所に作っていけるかどうかということが問題だろう。具体的な事例を言いますと、現在、医師会というものは存在しますが、これが十全な評価機能を発揮しておりません。いわんや教員労働組合というものもそういう働きをしておりません。残念ながら、我々の学会というものも若干儀式化してしまいまして、そういう現実的な機能を持っていない。まだしもアメリカなどは、学会にそうした機能があって、学会でいい発表をしたおかげでどこかに職が見つかったというような話を聞きますが、日本ではまずそういうことは起こりません。

ですから、いかにしてそういう団体、具体的にいえば、大学、研究所、文化団体、職能団体、そして地域の社交関係というものを育てていけるかどうか。そして、そこでよい評判を確立した人が、その評判をテコにして自分の職業的倫理を高めていく。こういうことが今非常に強く求められているのは、実は日本が仕事の面に関して、外から、つまりグローバル化によって脅かされているからであります。従来のような労働の規律、組織の規律、ヒエラルキーの秩序というものによって人々を律することがだんだん難しくなる。そうしようと思っても、そういう労働が言ってみれば海外へ移ってしまうわけですから、日本国内を生かしていくためには、新たな人間関係が必要になるのだろうと思っております。

実はこの問題は掘り下げますと極めて多面的な課題を含んでおりますし、分析を必要といたしますので、今のお話はほんのさわりのさわりみたいなことでございますけれども、ご質問をいただければ、多少の補足はできるかと思っております。

石小委員長

ありがとうございました。

予定した時間になっておりますが、せっかくでございますから、お一人、二人ご質問があればと思いますが、いかがでございますか。

先生の表題の「矛盾」という点に焦点を絞ってお話しいただくとすると、どこが一番の矛盾になるのですか。

山崎学長

ですから、矛盾というか、お互いに逆の方向を向いた現象が同時に進行している。一方はグローバル化で、一方はポスト工業化である。それが仕事に関しては、他方は均質化、標準化の方向へ向かい、他方は質的多様性の確保という方向に向かう。ですから、厳密な意味の論理的矛盾というよりは、反対の現象の並立ですね。

石小委員長

わかりました。

よろしゅうございますか。

それでは、実は4時から総会を予定しておりますので、先生も官邸にこれから駆けつけなければいけないということでありますので、本当にお忙しいところ、ありがとうございました。

山崎学長

どうも大変失礼なことをいたしまして、申しわけありません。

石小委員長

厚く御礼申し上げます。

それでは、会場の直しも少しあるようでございますから、5分ほど休憩して、4時5分過ぎから始めましょう。

〔閉会〕

(注)

本議事録は毎回の審議後、速やかな公表に努め、限られた時間内にとりまとめるため速記録から、財務省主税局及び総務省自治税務局の文責において作成した資料です。

内容には正確を期していますが、税制調査会議事規則に基づき、事後の修正の可能性があることをご承知置きください。