第9回基礎問題小委員会 議事録

平成16年3月30日開催

石小委員長

それでは、時間になりました。第9回目になりますが、基礎問題小委員会を開催いたします。

今、資料を配っておりますが、実は日米租税条約が、今日、批准されたのかな。そこで、そのご報告を兼ねて、ほんの数分とりまして状況説明をしていただきます。

では、浅川さん、簡単にご説明ください。

浅川国際租税課長

国際租税課長の浅川でございます。数分お借りしまして、ご報告申し上げたいのですが、以前ご議論いただきました、日米の新しい租税条約、去年の11月に署名がなされて、それ以降、日米両国の議会、国会の審議にかけられておりましたが、アメリカ側でも上院の審議が滞りなく3月中に終わりまして、わが国の国会も3月9日に衆議院、19日に参議院と無事通過いたしました。そのあと、先週の金曜日でしたが、天皇陛下のご認証をいただきまして、今日、無事にお昼から批准書の交換式が行われまして、今日付けで発効いたしました。思ったよりも速いスピードで両国の国会の審議がなされ、ご承認がいただけたものと思っております。

中身に関しましては以前ご説明申し上げたので、詳細は省きますが、基本的には、日米両国の投資の交流のパイプを太くしたいということで、特に配当、利子、使用料に対して源泉地国の課税を大幅に軽減いたしました。今見ていただいていますのは、今日付けでお配りしました、財務大臣の談話でございます。ここにエッセンスが入ってございますが、2.に今申し上げたポイント、投資交流を促進させるための手段として、源泉地国課税、配当、利子、使用料に対する源徴税率を大幅に軽減したということと、それに合わせまして、租税回避防止のための包括的な条項を盛り込んでいくということが一つの大きなポイントでございます。

もう一つは、2ページ目の4.にありますが、アメリカとの交渉が終わったので今後どうするのかということで、我が方としましては、今回とりました新しい条約のポリシーに基づいて、今後、アメリカだけではなくて、ほかのヨーロッパ諸国とか、あるいはアジア諸国と交渉をやっていきたいという思いがあります。特に経済界の要望が強いのはやはり何といってもアジアでございます。アジアの場合には先進国との交渉とちょっと色合いが違いますのは、アジアとの関係では日本は配当も使用料も受け取る一方でございます。その意味ではそれを軽減してくださいという交渉は、アジア諸国にとって非常に辛い話になりますので、なかなかそれだけで交渉は難しいのかなという思いがありました。今後、いろいろなアプローチでアジアには働きかけを行っていこうと思いますが、ここの4.に書いてありますのは、そのアプローチの一つとして考えられる方策としては、EPA/FTAと言っていますが、EPA/FTAをアジア諸国との間ではこれからやっていこうということで盛り上がっておりますが、この機運にうまく乗って租税条約の話もアジアとやっていけたらなという思いがここに出ているわけでございます。

そのほかにも、当然、ヨーロッパ諸国とも交渉していきますし、基本的には今回とった新しい日米条約のポリシーを、今後、グローバルに展開していきたい、そういうふうに思っているわけでございます。

とりあえず、私からは以上でございます。

石小委員長

ありがとうございました。何かご質問もあろうかと思いますが、これは今日の本論ではございませんので、内容をまたご検討の上、何かありましたら、次回以降、ご発言をいただきたいと思います。

今日は、例の「実像」把握の第4回目といたしまして、「分配」面をやりたい、こう思いまして、ご専門の大阪大学の大竹先生と、東京大学の佐藤俊樹先生にお越しいただいております。順次、後ほどご説明いただきまして質疑応答にしたいと思います。

その前に、事務局にまた大変ご苦労いただきまして、「分配」に関する構造変化のデータを作ってくれておりますので、まず最初に、事務局がやりましたこの資料につきまして、佐藤調査課長からご説明いただきましょうか。

よろしくお願いします。

佐藤調査課長

それでは、本日の議題であります「分配」につきまして、お手元の「基礎小9-1」という資料に沿いまして、簡単にかいつまんでご説明申し上げたいと思います。

まず、資料でございますが、真ん中に赤い紙がございますので、その後ろのデータ編をご覧いただきたいと思います。目次ということでローマ数字でと書いたものでございますが、今回盛り込みましたデータは、1つ目、「『ジニ係数』等に見られる所得分配等の状況」ということでずらっと並んでいます。次のページでございますが、2つ目、社会的流動性とか、階層帰属意識などの変化に関するデータ。それから3つ目でございますが、「平等に関する意識の特徴」に関するデータを集めたものでございます。順次、ご説明いたします。

まず、算用数字の1ページ目をご覧いただきたいと思います。ここは「所得のジニ係数の推移」と書いてございます。ジニ係数を吹き出しで書いてございますけれども、所得分配がどの程度の不平等度があるかということにつきまして、一つの統計上の尺度といたしましてジニ係数というものに言及されることがございます。0から1までの値をとりまして、0に近いほど分配が均等であることを示すとされているものでございます。ここに出ておりますデータは、厚生労働省の「所得再分配調査」によるものでございます。ジニ係数というのは各種あるものですから、そういうものとして特定させたデータだということをまずご確認いただければと思います。

その上で数字のグラフをご覧いただきたいと思います。再分配所得にかかるジニ係数が一番太い折れ線で書いてございます。再分配所得にかかるものといいますのは、当然、所得は当初の所得から税制あるいは社会保障によりまして再分配が行われていきますので、そういうものを織り込んだところの再分配所得というイメージでご覧いただければと思います。

1999年、これは直近のデータでございますが、0.3814という数字がございます。これを左に目を追っていただきますと、1981年、0.3143というのが近年ではボトムになっています。それをはさみまして、その前は全体として下がり気味、右下がりのトレンドになっているということで、資産格差が均等化していくプロセスが読み取れるわけですが、81年を境にしてそれが反転しているという状況が読めると思います。

81年までの間といいますのは、ご案内のとおり、高度成長期にあたる部分でございまして、今まで、「実像」把握の第1回の「家族」などからいろいろ議論が出てまいりました。当たり前の家族の形成とか、日本型雇用慣行の形成とか、定着化とか、心の豊かさへの転換とか、いろいろなキーワードが出てまいりましたけれども、その部分の1981年というあたりが一つの転換点という位置づけでこの数字をまずご覧いただくということかなというふうに思います。

次のページ、2ページを開けていただきたいと思います。ジニ係数は統計上の数字でございますので、その数字自体を見て意味がなかなかわからないものですから、外国と比較してみて日本の位置を確認してみようというのが2ページでございます。ざっくり見ていただきますと、日本の位置がこの位置でございまして、左側に北欧系の諸国が並び、右側に大陸系、アメリカはかなり右にあるということでございます。

ちなみに数字でございますが、ここに25.2%とか、26.5%とか書いてございます。1ページの数字は0.36というような数字がございますが、ここは定義が違いまして、1ページ目の数字は世帯の所得として見た場合、ここの数字は1人あたりで換算した場合ということで、算定方法が違うために数字が異なっているということはお含みおきいただきたいのでありますが、見ていただくべきことは、国際的なレベルを相対的に見ていただくということでございます。

3ページでございます。それでは年齢階級別に見た場合に、ジニ係数というのはどういう特徴があるかということをあらわしたものでございます。20代から30代の若い人たちのレベルと、60代以上の高年層のレベルは歴然といたしまして、高年層のほうが相対的に高い位置にあることは読み取れるわけでございます。しかも、下の参考の欄でございますが、高年層の世帯のほうが世帯数分布で見ていただきますと、数が増えておりますので、全体としてジニ係数のレベルの高いところが世帯が増えている。そういうことでジニ係数が上がってきているのではないかということも指摘されるのだろうと思います。

いずれにしましても、このあたりにつきましてはプレゼンテーションの中でお触れいただくであろうというふうに思っております。

次、4ページでございます。ここの数字はジニ係数とは違いまして、収入を5つに区分いたしまして、その上位と下位の格差、倍数ということで、所得の分配状況をはかろうというものでございます。ご覧いただきますと、2002年の段階、4.71倍という数字がございます。第I分位と第V分位の倍率が4.7 倍ということですが、これを左に目を送っていただきますと、1980年というあたりが4.14倍という数字がございます。70年代、80年代、若干波は打ちますが、4倍そこそこで横這いでございました。それがその後、微増いたしまして、95年あたりを境にまた横這いという流れでございます。

1980年までは、先ほどのジニ係数との関連で申し上げると、高度成長期ということで、当然、経済のパイが大きくなっていくわけですが、第I分位と第V分位の倍率が一定であるということでございますので、実はそれぞれの階級におきまして所得収入のレベルが相似拡大していったということで、その果実が均霑化されていっている状況がここで読み取れるのだろうと思います。その後は若干の拡大が出てきているということでございます。

5ページ、6ページ、7ページ、このあたりはご参考でつけてございます。所得分配の状況に与えるさまざまな社会要因をつけてございますので、あとでご参考ということですが、見ていただきますと、特に1980年あたりにちょっとマーカーを打っていただいて、どういうふうに社会構造が変わったかというのを見るのも一つご参考になろうかと思います。ここでは省略いたしました。

8ページまで飛んでいただきたいと思います。今申し上げましたような所得分配状況を、もう一度、国際比較、全体像ということで整理をしたいという表でございます。左側のブロックをご覧いただきますと、社会全体の所得に占める最下位・最上位の所得分位グループの所得の割合。ちょっと読みにくいのですが、一番左側を見ていただきますと、最下位10%人口の人たちがシェアをしている所得のかたまりが全体の何%くらいあるかということでございます。日本は4.8%ということで、10%の人口で4.8%の所得のかたまりをシェアしているという意味でございます。

ちなみにアメリカでございますが、下から2つ目、1.8%という数字が見えます。それでは最下位20%人口ではということで、日本は10.6%、アメリカは下で5.2%。今度はトップの上のほうから20%人口で見ますと、日本は35.7%、アメリカは46.4%、トップ10%で見ますと、日本は21.7%、アメリカは30.5%という形で分布しています。

それから、真ん中のコラムでございますが、ここはトップとボトムの所得の倍率を見たものでございます。トップ10%、下位10%を見た場合、4.5%、20%で見た場合は3.4%という数字がございますが、アメリカは16.6%、9.0%という数字が見てとれます。

ジニ係数は、先ほど見ていただいた数字で並べたもので、アメリカのところが34.4%となっています。

それから1人あたりの国民所得ということで、経済の規模と豊かさの指標ということになるでしょうが、そういうものを参考までに並べました。日本が2番目の高さにあるということでございます。アメリカはその下というあたり、大体同じくらいでございます。

これをトータルとして見た場合の評価といたしまして、上にキャプションで書いてございますけれども、国際的にみて、日本は、高い経済的水準のもとで、均質な所得分配構造、どちらかというとだんご状況ではないかということが読み取れるわけでございます。

次のページ、9ページでございますが、今のこの数字を表にしたものでございまして、縦軸に分配の均等度、上へ行くほど均等度が大きくなる。左側の表では、右へ行くほど1人あたりの国民所得が大きくなる。右側の表では、左へ行くほどトップとボトムの倍率が小さくなるということでございまして、日本がこのシャドウを打った位置にあるということも確認いただければと思います。ちなみにアメリカは、それぞれのボックスの右下のほうにあります。

続きまして、10ページ。これは賃金水準の国際比較、ご参考までということです。

11ページ、これはForbes誌の独自調査によるデータでございまして、世界の主要企業のCEOの報酬額の比較でございます。

12ページ、所得再分配効果ということで、先ほどジニ係数で、当初所得と再分配所得の間に、税による分配、社会保障による再分配があると申しましたが、これに関する記述が15年度の経済白書でなされておりますので、ここに掲げてございます。

13ページ、今まではフローというか、所得ベースでのジニ係数でございましたが、ここは資産ベースでございます。左側の表でございますけれども、住宅、貯蓄、それぞれストックのジニ係数は収入のジニ係数に比べて大きい数字になっている。実物の住宅・宅地資産につきましては、バブル崩壊の影響もございまして、全体的に数字が90年代に下がってきている。貯蓄のほう、金融資産につきましては、下がったものが若干横這いないしは上昇気味という数字が見てとれるわけでございます。

14ページはちょっと時間の関係で飛ばしまして、15ページ。金融資産についての比較ということで、今度はトップとボトムの倍率の比較でございます。上の第9十分位、上から80%~90%のゾーンの人たちと一番下の10%の人たちとの格差でございますけれども、90年以降上がってきていることが確認できます。

右側の純金融資産が年齢別にどういうふうに動いているかというグラフでございます。若い層につきましては金融資産は下にシフトしておりますので、減少。高年層につきましては上にシフトしておりまして、増加ということでございます。

それから、参考の下でございますが、それぞれの世帯の中でも、貯蓄を持っていない世帯が相当数あることもまたデータ的に確認できるということでございます。

飛ばしまして、17ページをご覧いただきたいと思います。「遺産」についての意識を調べた調査もございます。ご参考までということです。遺産動機はどんなものかということですが、日本の場合は69.3%の人が「結果的に財産が余れば遺産として残す」と、自分のための蓄財ということだろうと思います。そのような傾向が見てとれるわけでございます。

18、19ページと、消費関係のジニ係数を載せておりますが、省略いたします。

20ページでございます。ここからは社会的流動性とか階層帰属意識についてのデータでございます。このページは今日のプレゼンテーションの中でお触れいただくということでございますが、さわりだけを申し上げますと、「オッズ比」という概念がございます。簡単に申し上げますと、父と子供の職業のステータスがどの程度継承しやすいかという度合いを示したものでございまして、オッズ比が大きいほど父親と本人の間の仕事上の連関性が高いということでございます。

この辺のことは後ほどプレゼンテーションがございますが、全体的にこの数字が、いろいろな職業につきまして右下がりになってきた。75年調査まではそうでございますが、その後、低下をして横這いになっており、右側上のキャプションをご覧いただきますと、「父親と子供の間の職業上の継承性は低くなり、日本社会は次第に開かれる方向へ進んできたが、現在、その傾向は鈍化している」という表現になろうかと思います。このあたりにつきましてはもう少し詳細なご説明をいただけるものと思っております。

21ページ、ここは生活程度についての意識という内閣府の調査でございます。ご覧いただきますと、「中の中」、「中の下」とお答えになる方が全体的に合わせて80%程度で推移してございますが、近年、「中の上」というところが増える傾向にございます。

それでは、「中の上」と答える方はどういう収入かということが右側に書いてございます。2003年のデータでは、800万円以上の方について「中の上」と。この比較的黒めに塗った棒グラフのところでございますが、そこが増加していることが確認できます。

次のページ、22ページでございます。これもまたプレゼンテーションの中でお話しいただけるかと思いますけれども、さわりだけを申し上げますと、この調査は収入層を4つに分けまして、それぞれの収入層について、あなたの生活レベルはどこかという意識を調査したものでございます。

1965年という高度成長期の前半時点では山が2つほど確認できるわけですが、75年(昭和50年)になりますと、この時点が完全に4つとも一致しております。「一億総中流意識」と通常呼んでいるものの反映なのかなというふうに思います。ちなみに「流行語大賞」のような世界で見ますと、76年に「中流」という言葉が非常に多く使われたということが確認できます。95年、20年たちますと、そのうちの一部、トップの部分が「中の上」ということで飛び出ている。65年から30年間に、こういう意識の変化があったということをまずご覧いただければということでございます。

23ページを飛ばしまして、24ページ。今度は「平等に関する意識」の調査を幾つかご用意いたしました。これは内閣府の調査でございます。上の吹き出しのところに問いが書いてございまして、「あなたはどのような人が高い地位と報酬を得ることが望ましいと思いますか?」、もう一つ、「日本の社会の現実としてどのような人が高い報酬と地位を得ていると思いますか?」と、望ましさと現実を聞いたものでございます。

6つほど選択肢がございまして、1つを選べという調査でございますが、「努力をした人」というところ、ここが50.9%で、高い報酬を得ることが望ましいと思うという答えが返ってございます。それから、「実績をあげた人」、能力があるということで挙げた人も35.5%ということで高うございます。一方、「誰でも同じくらい」ということで、努力も能力も関係ないというような同一性については非常に低い評価でございますので、一つの読み方といたしましては、完全な結果の平等という世界については否定的な意識があるのかなということが読み取れます。それから、「努力をした人」という欄、黒い棒と白い棒の落差がございます。望ましいけれども現実に得ているかどうか、この落差があるということもご確認を賜ればと思います。

25ページ、今度は「機会の平等」についての意識調査でございます。読売新聞とギャラップの共同調査でなされたものでございまして、日米比較で示したものでございます。問いは、ちょっと字が小さくて恐縮ですが、備考の欄にアンダーラインを引いてございます。「教育を受ける機会や、就職や仕事ができる機会が平等であれば、結果として、貧富の差が生じたとしても、公平な社会だと言えると思いますか」という問いかけでございまして、「『機会の平等』であれば公平」と思う人は、この棒グラフの黒い棒グラフでございます。白い棒グラフは「そうではない」ということでございます。一目瞭然でございますが、アメリカをご覧いただきますと、圧倒的にこの黒い棒が立っております。いわば徹底した機会平等の国であるということが見えるのかと思います。

一方、日本の場合でございますが、上の「全体」と書いたボックスの中の一番左側、両者拮抗しております。収入別、性別、年齢別、職種別でまちまちという状況になっていることが見られるかと思います。

前ページ、24ページとこのページを合わせて見たときにどういうことが言えるかということですが、一つの見方といたしまして、アメリカほど機会の平等一辺倒というわけではないが、それ相応の志向はある。それから、結果の平等ということについては、アメリカほど機会の平等一辺倒ではないという意味においては、著しい結果の不平等については若干懐疑的なのかなと。一方で、前のページにございましたけれども、極端な結果の平等についても否定的な面があるのかなというあたりを併せ読むのかなと。一つの調査でございますので、そこまで深読みするのが適当かどうかということはございますが、そんなことが言えるのかなということで問題提起でございます。

26ページでございます。それでは努力をして好きな仕事につける社会と思うか、ということについての調査ですが、全体としては「そうではない」という感じで、若干幻滅を感じているというデータが出ております。

最後に、もとに戻っていただきまして、ローマ数字のページからページにかけまして、ポイントだけご披露させていただきまして、今日のプレゼンテーションに入っていただければと思います。

まず、ページのところです。今、データで見ていただきましたことに関する現状を整理したものでございます。

まず1つ目ですが、わが国の所得分配状況は総じて均質的であり、国際的にみても、高い経済水準の下で相対的に格差の小さな構造となっている。「所得のジニ係数」は、高度成長期を通じて漸減してきたが、1980年頃を境として横這いないし漸増傾向。また、高年層のジニ係数は若年層より高い水準。上位グループと下位グループの所得水準を比較すると、その倍率は、1980年頃までは安定的に推移。80年代に入って、上昇傾向、その後、横ばい。「資産のジニ係数」については、90年代において低下、近年、金融資産についてのジニ係数は若干の上昇、金融資産の保有は高年層に偏在する傾向。

それから、社会的流動性関係ですが、「オッズ比」は高度成長期を通じて低下。すなわち機会の平等化が進行してきたけれども、90年代以降横這いになってきているということ。それから、「階層帰属意識」や「生活実感」としては「中の中」「中の下」と回答する人が過半数。近年、「中の上」と答える人が増加ということで、「一億総中流意識」のゆらぎということかなと。

ページ、次のページでございますが、平等に関する意識の特徴ということで、人々が望ましいと考える「分配の原理」について、全体としては「結果の平等」よりも「機会の平等」を相対的に志向する傾向。こうした傾向は、個人の属性や置かれた環境により、その程度にバラツキがある。著しい結果の平等に対しては懐疑的な意識。努力した人、能力のある人が報われる社会を志向する傾向。努力が実際には正当に評価されていないという意識がみられるが、努力のいかんを問わず結果が同一であることには否定的、といったようなことが読み取れるのではないかという問題提起でございます。

最後でございます。論点の切り口といたしまして書いてございます。「所得のジニ係数」関連でございますが、高度成長期については漸減傾向を示していたが、その背景要因は何か。それから、80年以降、それが漸増傾向にございますけれども、その背景要因は一体何だろうか。こうした傾向は、実態としての経済的格差の拡大のあらわれと言えるのか。統計上、そういう数字が増加したとしても、実態として本当にそういうふうに見ていいのかどうか。それから、国際比較がございましたけれども、そういう中でわが国の分配状況をどう見たらいいか。

「資産のジニ係数」につきましては、実態として資産格差の現状はどうなっているか云々と。

3つ目でございますが、オッズ比の関係。これはまたご説明いただきますが、その関連で、わが国社会の流動性が低下し、階層化が進行していることを意味していると見ていいのかどうか云々。

それから次のページ、ページでございます。最後の論点ですが、わが国の所得・資産分配の現状とか、平等に関する意識の特徴を踏まえて、今後、経済諸制度のあり方を検討するに当たり、次の点をどう考えたらいいか。「機会の平等」と「結果の平等」のいずれの立場をより重視すべきか。仮に、経済的格差の拡大が生じているというのであれば、このような状況はわが国の経済社会の活力や安定性を損なうことにならないのか。社会的流動性が低下しているというのならば、このような状況に対してどのような対応が考えられるか。それから、資産保有が高年層に偏在するといった状況の中での遺産動機ということから考えた場合に、子世代における「機会の平等」の観点からどのような対応が考えられるべきか。最後ですが、所得再分配政策に対する人々の支持、不支持にはどのような要因が影響しているのか。今後の税制の再分配機能のあり方を考える上でどのような点が参考になるか、というようなことでございます。

ちょっと長くなりました。以上でございます。

石小委員長

ありがとうございました。何かご質問もあろうかと思いますが、ちょっと時間が押していますので、質問があれば、後ほどの議論の中で一緒に触れていただきたいと思います。

では、早速、今日の本論に入りたいと思います。最初のスピーカーが阪大の大竹先生でありまして、労働経済学がご専門で、所得資産分配や労働市場などをテーマにこれまで研究されてこられまして、『平成不況の論点』等の著書がございます。

40分ほどしかないのですが、よろしくお願いいたします。

大竹教授

大阪大学の大竹でございます。

今日お話しさせていただきます内容は、今、スクリーンに出てきていると思います。お手元の資料にもございますが、少し事務局のお話しされた内容とも重なるかと思いますけれども、日本の所得格差の推移を幾つかのデータによって確認するというファクトワイニングをご紹介したいと思います。

それから、所得格差の推移がどうして起こってきたのかということについて、特に人口の高齢化という要因から説明させていただきたい。さらには、所得格差の中でも生涯所得の格差が重要だということをご紹介したいと思います。残りました時間で、所得格差の拡大について人々はどう思っているのか、税制などを用いて所得再分配政策を強化することについてどういう人が支持しているのか、という論点をご紹介したいと思います。

まず資料で言いますと、私のお配りしました資料の3枚目になりますが、1枚めくっていただいて、3ページというところにあるグラフと同じものを示してございます。これは、内閣府が行っています「国民生活選好度調査」というので、「収入や財産の不平等が少ないこと」というのがどの程度満たされているのかという質問項目がございます。5段階で聞いておりまして、それに対して、「非常に満たされている」「満たされている」「どちらとも言えない」というのから「ほとんど満たされていない」まで5つの選択肢があるのですけれども、その中で「ほとんど満たされていない」と答えた人のパーセンテージの変化でございます。

見ていただきますと、78年から2002年にかけて右上がりになっているのはわかるかと思います。その中でもバブルの時期、1990年前後に上がって、それから2002年の不況期にやはりもう一度上がっていますが、傾向的な増加があります。

この点につきまして、あとでもう少し私が行いましたアンケートについてお話ししたいとは思いますけれども、どういう人がこの格差拡大を認識しているのかを要因分析しますと、高学歴者、特に男性、それから、失業不安がある人というのが実は格差拡大を認識している。それから、ここに書いてございませんが、高年齢層というグループで「格差が拡大してきた」ということを認識している人が多い。あと、ホームレスだとか貧困者が増えているというふうに認識している人も、実際に格差拡大を認識していることがわかっています。

次の5ページのグラフは、これは先ほどのと似ていますが、もう少し長い期間で計算した所得のジニ係数の推移です。これは家計調査をもとにしたグラフですけれども、1960年代に低下して、そのあと、70年代にデコボコありますけれども、ほぼ横這い。それから80年代、90年代にかけて右上がりという形で、先ほどの事務局からの説明の資料と同じような形になっています。

しかし次の図2のグラフは、ジニ係数と申しましても、どのような統計を使うかによってかなりそのレベルが違うということをご紹介したいと思います。一番上にございます三角の印、これは先ほど事務局からの説明にもございました、「所得再分配調査」と言われるものの当初所得のジニ係数です。これは80年から急激に右上がりになってきている。さらに、ほかの統計と比べても高い数字にあるということがわかるかと思います。次に、四角いマークでつないである線が「国民生活基礎調査」と言われるもののデータです。それから、下のほうの2つが「全国消費実態調査」と「家計調査」です。

これの原因は幾つかありまして、どうして違いが出てくるか。まず所得再分配調査と国民生活基礎調査は、これは所得の定義が違います。先ほどの事務局からの説明もございましたとおり、所得再分配調査の当初所得というのが不平等度が増えてきたことの根拠とされることが多いわけですが、この調査には公的年金の受取というのが所得に入っていません。それから、生活水準の格差が拡大してきたかどうかという形のもので見たい場合には、ちょっと不適切です。公的年金の所得を含んでいませんから、高齢化で公的年金の受給者が増えてくることになりますと、当然、それに伴って低所得者が増えてくるように見えるという問題点があります。したがって高齢化が進む段階では非常に大きな変動を示すという弱点があります。

それでは、全国消費実態調査と国民生活基礎調査の間にもかなりの差があるではないかということですが、これは2つの可能性がございます。1つは、ここでの統計は、国民生活基礎調査というのは単身者を含んでいて、ここで示した下の2つの線のものは単身者を含んでいません。単身者を含みますと、生活水準は高いかもしれないけれども世帯所得は低い人というのがかなり出てきます。その部分の調整をしていく。これは、先ほどのOECDの統計で国際比較をしたものを事務局がお示しになりましたけれども、その際に使われたものと同じような操作をしてみたいと思います。

例えば、ここの図3でお示ししているのは、国民生活基礎調査のジニ係数を、所得の定義を変えてみてどれだけ変わるかということをお示ししたものです。課税前の所得をここでは総所得というふうに定義してありますけれども、それが一番上の線です。3番目の四角で結んだ線が世帯人員を調整したものです。世帯人員を調整しますと、90年代に所得格差が増えてきた部分はかなりなくなってしまいます。ただ、家計支出の部分について、消費についてはかなり大きな上昇がありますけれども、この点についてはあとで少し議論したいと思います。

少し飛ばします。資料で言いますと14ページまで飛ばしましたけれども、今までは、日本の所得格差の統計が全体としてどういう動きをしてきたのか、それから、定義によってどう違うのか、統計によってどう違うのかということをお話ししました。どの統計も、近年、右上がり、所得格差が上がってきていることは共通して観察できるわけですけれども、今までわかったことは、一つは、世帯の人員、世帯構造--単身者の増加、高齢者の単独世帯の増加といったところを調整すると上昇ペースは弱まるというのが今までのお話でした。

それに加えて、これも先ほどの事務局から示された図を違った形でプレゼンテーションしたものです。図6では、全国消費実態調査の年齢階級内の所得格差、ジニ係数を79年から99年にかけて図にしたものです。これを見ていただくと、まず、79年から94年までの年齢別のジニ係数のグラフはほとんど重なっていることがおわかりになるかと思います。もう一つは、これも事務局の説明と同じですけれども、日本の場合、所得格差というのは、年齢が上がるに従って同じ年齢内の所得格差が増加していく特徴があるということです。これはあとでもう一度申し上げますけれども、このグラフを見ていただくと、99年については少し違った動きがあります。それは一つは、高年齢層の中での年齢内の所得格差が低下してきていること。もう一つは、若年層の中での格差が拡大しているという、今までとは違う動きが見られる。

次の図7は、先ほどの図6というのは世帯人員数をコントロールしていなかったのですけれども、コントロールしたものでも基本的には同じ。少しプレゼンテーションを変えていますけれども、同じデータを使って、今度は不平等度の指数を対数分散というふうに変えていますが、同じ年齢内の所得格差がどのように推移してきたかというものです。そうすると高年齢層で、若干ですけれども、所得格差が縮小して、若年層で水平か右上がりのグループがあることがわかるかと思います。

よく似たグラフが続いて申し訳ございませんが、図8をご覧ください。これは、消費の格差、生活水準の格差をプロットしたものです。所得の格差に比べてより鮮明な点は、若年層のグループで右上がりのものが比較的はっきり見てとれます。それから、高年齢層では右下がり。50歳以上か未満かで分かれていますが、そこで消費の格差の違い、トレンドの差というのがあります。

なぜ消費に着目するかといいますと、所得の場合には必ずしも生活水準を反映しないということです。所得が低くても資産水準が高い人もいます。それから所得の変動というのは、その時点、その時点での所得の変動を示すわけですが、消費の場合には生涯所得の変動を示すというメリットがございます。したがいまして例えば所得の場合には、将来、所得格差が拡大するというふうに人々が予測する。例えばある一定グループの人は、将来の所得が大幅に低下して、別の人は拡大するということを現時点で予測することがありましても、現在の所得格差には反映されない。しかし、消費行動にはそういった予想が反映することは考えられるわけです。そうするとこのグラフの一つの解釈は、所得格差ではあまり見られなかったのですけれども、49歳以下のグループでは消費の格差の拡大がどうも見てとれるということがわかります。この点は所得の格差にはあまり大きな影響を与えていなかった。

幾つか同じようなグラフが続いて申し訳ありませんが、図9は国民生活基礎調査というデータを使って可処分所得の格差の変動を示したものです。これは所得のほうですが、可処分所得の定義をしていますけれども、高年齢層は横這いないし右下がり、若年層は若干の右上がりという形になります。

図10は家計支出について計算しています。家計支出については、どうもデータの信頼度が低いせいもあるかもしれませんが、かなり急激に上がってきています。

ここまでのまとめは、どうも年齢別に所得格差の動きは違うということです。高年齢層では比較的縮小傾向にあって、若年層では拡大傾向にある。年齢別に見ると、やはりそれでも高年齢層のほうが所得も消費の格差も高いということが言えるわけです。

いろいろ飛んで申し訳ありませんが、図13をご紹介したいと思います。今、言葉で、年齢が高い人のほうが所得の格差が高いということを申し上げました。もう一つは、年齢が高い人のグループでグループ内の格差は実は縮小傾向にあることを申し上げたのですけれども、前者のほうだけをハイライトした議論をしたいと思います。

この図は、1984年の段階で年齢内の所得格差が変わらないということを考えて、人口構成だけが高齢化したときに全体の所得格差はどの程度動いていくのかというシミュレーションをしたものです。実際の値というのは、上がったり下がったりしていますこの菱形の線で結んだものです。これに対して、84年の人口グループ内の不平等を固定して、人口だけが高齢化していったものでどういうふうに説明できるかというと、特に端と端だけを見ていただくとかなりの部分が説明できる。一方、同じ年齢内の不平等度が高まったから全体の不平等度が上がったかどうかというのが三角の線で結んだものですが、その効果というのはほとんどないのがわかります。

今度、消費につきまして同じ操作をしたのが図14になります。これも同じ構造になっていますが、やはり人口効果でかなりの部分が説明できることがこれでわかるかと思います。

しかし、金融資産につきましては、人口効果はほとんど説明できないということが、この図15です。金融資産の不平等度は、実は同じ年齢内の不平等度の高まりでかなり説明できるということです。

そういうのがここまでの話になるわけで、まとめてみますと、どうも若年層の中で特に消費を中心に格差拡大がある。それはわずかなトレンドです。それから高年齢層の中では、おそらく社会保障の充実のおかげで年齢内の格差は縮小にある。しかし、若年層よりも高年齢層の不平等度が高いという構造は基本的には変わらない。そのために、人口高齢化でトレンドとして不平等化が進んでいるというのが基本的な話になります。

若年層の中での不平等化が進んでいる原因は、金融資産の格差の拡大にもあらわれているような資産の格差拡大が一つ考えられます。例えば遺産の効果というのも大きいでしょう。もう一つは、若年層の中での失業率の上昇も大きな影響をもたらしているかもしれません。特に消費の部分については、将来の失業の可能性が消費行動に影響を与えている可能性が高いというふうに思っております。

それから、次のトピックスに入りたいのですが、私が2002年に行いました調査をもとにお話ししていきたいと思います。それは、こういう所得格差拡大を背景にして、税制や社会保障を通じて所得の再分配を強化することを支持するのかどうかということについて、アンケート調査を行って分析した結果を紹介したいと思います。

基本的にはどういう人が再分配政策の必要性を考えるかというと、所得再分配によって便益を受ける人のはずです。したがってそれは低所得者という形になると考えられます。しかし、必ずしもそれだけでは決まっていないことがわかります。あとでお見せしたいというふうに思います。そうすると、ほかにどんなものを考えなければいけないかというと、一番大きいのは長期的なことです。階層間移動の問題もそれに入るかと思います。これは、佐藤先生が次にお話しされるような世代を越えた階層間移動というよりも、同じ生涯の中での階層間移動ですが、若い段階で貧しい人がいても、低所得の人がいても、将来金持ちになることがわかっているという場合に、そのときの所得が低所得であるからといって再分配政策の強化を支持するとは限らないという議論がある。したがって、所得階級の移動の可能性がどの程度大きいのかというのが、こういった再分配政策に関する考え方を決定する大きな要因になります。

もう1点は、将来の不確実性についてどう思うかということです。所得に対するリスク、あるいは失業リスクと考えてもいいかもしれませんけれども、所得変動のリスクに対してそれを非常に嫌う、危険回避的な人かそうでないかによって、保険としての再分配政策というふうに考えますと、危険回避的な人は再分配政策を支持するという形になるわけです。これは経済学的に考えられることですけれども、それを確認していったわけです。

どんなアンケートをしたかということをご説明すると、28ページにお示ししたような非常にダイレクトな質問をしました。「(税制や社会保障制度を用いた)豊かな人から貧しい人への所得の再分配を強化することに賛成か反対か」ということを聞いたわけです。それに対して、図16というのが、世帯所得の階級別に賛成か反対かというのを示したものです。1が一番低い所得のクラスですが、やはり賛成だと答える人は低所得のほうが相対的に多い。逆に、反対だと答える人は高所得者に多いという形できれいにクロスする形になっています。しかしそれでも、低所得の人でかなりの人が再分配政策の強化に反対、あるいは中立。一方、最高所得レベルの人でもかなりの人が賛成ということを言っている。それから年齢階級で見ますと、大体高齢者のほうが再分配政策を支持することがわかります。男性と女性では、女性のほうが、ここはほかの国の結果とは逆なのですが、女性のほうが支持しない。失業者とそれ以外を比べると、失業者は支持するという形になります。

あと、危険回避度についてはどういう指標を使ったかというと、雨傘を持っていく最低降水確率というのを聞いた。降水確率が低くても傘を持って出かける人は危険回避的だという指標を使いました。ほかにもいろいろ使ったのですけれども、実はこれが非常にうまくいった。

一つだけ申し上げておきますと、これが直観的にもいい指標になっていることをお示ししたいと思いますが、男性について、1,000人以上の大企業に勤める雇用者と自営業者との間で、傘を持って出かける降水確率の分布がどう違うかというと、自営業者のほうが降水確率が高くならないと持っていかないというのが出てきます。そういう指標を使って分析をしてみる。

そうすると、将来の所得の不確実性についてどう対応するか、この雨傘の指標というのははっきりしていまして、危険回避的な人ほど再分配政策を支持するということ。それから、将来どうなるかということにつきまして、現在高所得であっても将来の所得が低下すると思っている人、あるいは、消費水準というのは将来所得を反映しますから、消費水準を低下させてきた人というのは再分配政策を支持する。一方で、失業経験がある人、あるいは失業不安を持っている人は、高所得者であっても実は再分配政策を支持するということがわかります。

高齢者については、特に高齢者の中で低所得者は再分配政策を支持するという形で出てきます。これは理論的には簡単に説明できまして、将来、より高所得になる可能性が高ければ高いほど再分配政策に反対する可能性が高いわけです。しかし、そういう機会は高齢者になるにしたがってだんだん少なくなってくるわけです。少なくなってきた中で、低所得のままでいる高齢者というのは逆転の可能性がだんだん少なくなりますから、再分配政策を支持するという形に出てくるわけです。

一点、日本の女性は再分配政策の強化に否定的でした。これは外国の研究例でいきますと、アメリカとロシアで先行研究があるのですけれども、そういった国の結果とは逆でした。しかし、同じ調査で、所得格差の拡大はいいことか悪いことかという主観的な設問もしているのですけれども、そこで見ると、実は女性、特に働いている女性のほうが男性よりも「所得格差の拡大は悪い」と答えています。そうすると、どうも格差拡大については批判的なんだけれども、再分配ではなくて、機会の均等というふうな対応策を日本の女性は考えているのではないかと解釈しております。

女性はそういうふうに「格差拡大は問題だ」と考えていたのですが、このデータで分析しますと、格差拡大を問題だと思わないグループというのがいまして、それは今の分析と密接に関係しますけれども、高所得者、高学歴者、大都市在住者。逆に問題だと思っている人は、危険回避的な人、それから女性という形になります。格差拡大を認識している人というのは、高学歴者、高所得者、高年齢者というのが多かったのですけれども、高所得の高学歴者は格差拡大を認識はしているけれども、実はあまり問題だと思っていないというのがデータとしては特徴的になってきています。

最後に、日本人が所得格差をどう考えているかということについてお話しして、平等感について、最後、議論していきたいと思います。

図22は私が行いました調査で、所得はどういうふうに決まっているのかということを聞いたものです。先ほどの事務局のものと少し近い質問ですけれども、ここの中で2つ目、「各人の選択や努力で所得は決まっている」と考えている人が5割を超えています。「運で決まっている」と答えている人たちは4割。「才能で決まっている」と思っている人たちは2割を切ります。これに対して「学歴によって決まっている」という人たちもかなりいます。

「所得はどのように決まるべきですか」という質問をしたところ、図23になりますが、「各人の選択や努力で決まるべき」というふうに答える人たちが8割、「運や才能で決まるべき」と答えている人たちというのは非常に少なくなります。ましてや、「出身家庭の階層によって決まるべき」というふうに答える人は非常に少ないわけです。

整理しますと、最後にお示ししたデータから経済学者が普通考えるのは、所得格差の源泉というのは、努力、運、才能、親の所得というようなものだと思いますけれども、このデータによると、努力による格差拡大というのは容認する。運や才能、出身家庭による格差は否定的であるというふうに人々は考える。

では今後、所得格差を拡大してきたことをより小さくすべきかどうかについては、最近の格差拡大が何によってもたらされているかによるわけです。私が前半で議論しました、人口高齢化による格差拡大の部分は何も質的な変化がない形になります。ですから、それまでの世界で努力によってどのくらい格差がついていたのか、運によって格差がついていたのかということについては、高齢化によって日本全体の格差が拡大する部分というのは何も影響を受けない。これに対して運の部分が拡大してくるところは、人々は容認しないというふうに考えられます。

私は、特に90年代以降の若年層における格差拡大のわずかなトレンドというのは、その部分があるのではないかというふうに考えています。一つは、技術革新や規制緩和の格差拡大というのがあれば、それはある程度は運のよさがあるだろう。それから不況による失業というのも、これは運のよさがあるというふうに考える。しかし、完全雇用の世界ですと、不況による失業で運の部分というのはないわけですから、たしかに人々が考えるみたいに、貧しい人というのは、努力をしないから職にありつけなくて貧しいという考え方が言えるかと思います。私の研究ですと、人口高齢化によってかなりの部分が説明できると申し上げたのですけれども、年齢階級ごとに見ると若干それが違うということです。その部分について本当の原因というのを解明しないことには、これに対する対応策はわからない。

もう一つの点は、税による勤労意欲阻害効果はどの程度大きいのかというのを、本当はもう少し解明する必要があります。仮に高所得者の税率を上げた場合に、勤労意欲阻害効果というのが非常に大きいのであれば、日本全体の生産性が下がってしまう形はあると思いますが、果たしてそれがどの程度大きいのかということについては実ははっきりしないというふうに私は考えております。

最後に、ある程度の人が再分配政策の強化を支持するということをここでは示しているわけですが、一方で、小さな政府を支持する人も多い。それについて幾つかの議論を整理しました。それは、賦課方式の年金制度で世代間の移転が大きいこと。それから、保険機能を満たしていない歳出構造の可能性ということを考えています。

それから、私のアンケートでもそうなんですけれども、所得というのは運や才能ではなくて努力で決まっていると信じている人たちが、日本人の中に多いせいではないかというふうに思っております。

以上です。

石小委員長

ありがとうございました。大変精緻なデータ分析を踏まえてご議論いただきました。

では、10分かそこら時間をとりまして、今の大竹さんのご説明につきまして、質問なりご意見があればと思いますが、どうぞ。どなたでも結構ですから。

井堀特別委員

非常に興味深いお話だったのですけれども、経済学者の一つの所得格差に関する関心というのは、特に再分配政策をとるときにそれがどのくらい有効なのかどうかということと、それが税によって、ほかの社会保障政策と比べてどの程度効果のメリットがコストとの比較で高いのかというその2つだと思います。大竹さんの最後のところで、勤労意欲阻害効果に関しては「わからない」とおっしゃったのですけれども、労働経済の専門家としてはもう少し踏み込んだ形で……。要するに累進所得税をもう少し高くすることによって再分配政策をするというのが、仮に望ましいとしても、どの程度実際に効果があるのかどうか。あるいはそれ以外の面でも、税制面で再分配政策をすることがどの程度日本の現状から見て、望ましいとした場合に、効果があるのかどうかについて、もう少し何かあれば教えていただきたいと思います。

大竹教授

まず、勤労意欲阻害効果はどの程度大きいのかということについては、はっきりしているのは、実は主婦だとか高齢者については計測があって、かなり大きいということはわかっています。ですから、こういうグループ別で見ると比較的低所得のグループでは大きい。しかし、高所得のグループでどれだけ阻害効果があるのかについては、残念ながら、いいデータがない、研究がほとんどないというのが現状で、わからないということなのです。90年代に累進度が低下してフラット化した部分で、どれだけ高所得者の勤労意欲が増したかということがはっきりわかれば、はっきりしたお答えができるのですけれども、残念ながらそこはわからないというのが正直なところです。

それから、もし勤労意欲阻害効果が大したことがない場合に再分配政策を強化する。そのときに税でやることがどれだけ効果が高いのかということにつきましては、おそらくこれは所得の捕捉の問題をおっしゃっているのでしょうか。そこは、現在の税制の捕捉の問題はたしかに低いかもしれません。ですから、同時に所得捕捉の部分を強化していくということをしない限りは、多くの人の支持が得られないだろうというふうに思います。

林特別委員

ありがとうございました。2点、ちょっとお伺いしたい点がありまして、1つは、所得税が仮に包括所得税のような形ですべての所得について同じように扱う場合には、所得格差の計測というのは一括して計測することは可能だと思うのです。ところが、所得税の今後の方向として、所得の種類によって税率構造を変えるとかいったような場合に、一括した形での所得格差を計測することでは十分に税制のあり方というのが見つけられないのではないか。もちろん、税率構造というのは再分配の観点だけではありませんので、さまざまな視点からありますけれども、再分配という点から考えた場合に、所得の種類による格差が計測できるのかどうか、まずそこをお伺いしたい。

それから、所得再分配政策といったときに、税制による再分配と社会保障による再分配とずいぶん認識が違うのではないかという気がするのです。給付の場合だと、例えばセーフティネットとしてのいわゆる再分配というようなことも入ってくるわけで、それを、認識の違い、あるいは意識の違いというのを分けて調査をされておられるのがもしありましたら、お教えいただければという具合に思います。以上です。

大竹教授

所得の種類別に考えるべきだということは、一つは、たしかに所得によって所得リスクも違えば、恒常的な所得、そうでないものというのをとらえるもの、あるいは、勤労所得か貯蓄したあとの利子所得で二重課税になるかならないかというような議論、いろいろあるかと思いますけれども、理論的にはおそらく生涯所得にかけて、生涯所得に対して再分配するというのが一番いいわけです。それに一番近いものというのは、消費についてかけていく支出税型のものだと思います。累進型の支出税というのをかけていくのが理想で、それがいろいろなところで事務的に難しいという部分を、どうやって近似していくのかという話ではないかと思っています。

したがって、今日の話で少し消費のことを議論しましたのはそういう形になります。所得の種類別といっても本当に難しくて、非常に大きな変動をするような所得というのはどんどん増えてきているわけですから、それに対して一律にかけていくというのはたぶん難しいだろう。そういう意味でも、消費課税あるいは支出税体系という形にどうやって近づけていくのかということではないかと思っています。

それから、税制と社会保障、おっしゃるとおり、私の議論では社会保障も一緒にしたような話をしてしまいましたから、取る側の税制だけに着目した議論をすべきではないかというのはそうかもしれません。ここでは、社会保障も含めた移転というところまで含んで再分配政策と一体化させてしまっています。税制だけ区分けした分析というのは、ここではやっていないとしか申し上げられません。すみません。

石小委員長

さて、時間もだいぶ押してきたのですけれども、もう一つぐらい、もしあれば。よろしいですか。

では、あとは佐藤先生のお話と一緒にして、また問題提起できると思いますから、次のほうに移らせていただきます。

2番目のスピーカーは、東京大学大学院総合文化研究科の佐藤先生でありまして、ご専門は比較社会学・日本社会論と聞いております。『不平等社会日本』等々の著書が数多くございます。

では、佐藤さん、よろしくお願いします。

佐藤助教授

佐藤です。よろしくお願いします。

何ぶん私はローテクなので、基本的に事務局からお配りいただいた表で大体のお話をさせていただきたいと思っています。

今日、お話しさせていただこうと思っているのは、直接経済というよりも、その背景にある社会的なバックグラウンドのお話と、それにかかわる人々の意識とか物の見え方みたいなことの変化を少しご説明させていただきたいと思っております。特に最初の話、社会階層という視点から見た場合の格差ということに関しては、実は社会学者を中心として10年に一度、日本全国を調査票を持って駆けずり回るという、毎年これが近づくとみんな憂うつになってくる調査があります。通称「SSM調査」という名前で呼ばれておりまして、これのデータを主に紹介して、どういう感じになっているかということをご説明していきたいと思います。

このSSMの調査ではいろいろなデータを調べているのですけれども、特に重要で経年的に調べていることが、父親の職業と本人の職業との関連性です。これは幾つかの指標のとり方があるのですけれども、一番直観的にもわかりやすく扱いやすいのが「オッズ比」と言われる数値です。これは直観的にパッと説明いたしますと、大学教員みたいなのをとってみればわかりやすいのですけれども、お父さんが大学教員である人の中で大学教員である人と、ない人がいます。それがわかると、お父さんが大学教員である人の大学教員になりやすさという数値を求めることができます。もう一方で、お父さんが大学教員でない人がいます。そのお父さんが大学教員でない人の中で大学教員になった人と、なっていない人がいますので、お父さんが大学教員でない人の大学教員のなりやすさというのがわかります。この2つの数値の間の比をとるのが「オッズ比」です。簡単に言うと、お父さんが大学教員であるかどうかによって、本人の大学教員のなりやすさがどう影響されているかということを示しているのがオッズ比という数値です。

このオッズ比で、父親の職業と子供--ここは数値の関係で男性しか経年変化は問えないので、男性の数値だけを出していますけれども--の変化をとってみたのが事務局からありました20ページの図です。「社会的流動性や階層帰属意識に見られる変化」という形で書かれている表ですけれども、これは、最終的に子供の職業をどういう形でとるかによってデータの性質が変わってきてしまいます。左側は子供の現職、つまり現在ついている、調査時点の職業でとったものです。右側は子供が40歳時点の職業でとったものです。どちらかによって、特に最近どう変化しているかが変わってくるのですけれども、全体としてむしろとり方に左右されない、現在の専門的な研究者がコンセンサスとしてとらえられている部分だけを主に紹介いたしますと、これもかなりはっきりしたトレンドがご覧いただけると思います。

現在の日本の職業というのを大きく分割したときに、職業威信の点でも、収入の点でもかなり高い層である一番黒い実線のところ、上級ホワイトカラーと通称していますけれども、これのオッズ比は、高度成長期からそれが終わる1975年くらいまでずっと下がってきているという特徴があります。それから先、80年代に入って、左側のグラフでいきますと横這い、右側のグラフでいくと再拡大という形の傾向を示しています。

つまり、ここ20年くらいでどう変わってきたかに関してはデータのとり方によるブレもあり、どれが正しいとり方かについて論争もありますけれども、最もはっきりしているのは、高度成長期を通じてずっとこれは下がり続けてきたということです。私自身はこれをよく、「経済の右肩上がり・機会の不平等右肩下がり」という言い方をしていますけれども、どういう職業につけるかということの出身家庭の影響を、日本の戦後はずっと長期的に低下させることに成功してきた。しかし、それが80年代以降、横這いもしくは再拡大に転じている。つまり、長期的な低下傾向が終わったという事実が出ています。これが、機会の不平等、特に出身家庭の影響で見た場合での機会の不平等に関してかなりはっきり出てきているデータです。これは、先ほどの大竹先生のジニ係数の話にも出てきております、長期的な傾向とほぼ同じトレンドを示すという特徴があります。

機会の不平等と結果の不平等の議論に関してはいろいろな理論的な議論があるのですけれども、数値的なデータでとってきた場合に、この2つの不平等が、日本の戦後の場合には長期的にはほぼ似たような変化のトレンドを示しているという特徴があります。これが一つの格差、特に「出身」という点から見た場合の機会の不平等度の変化のグラフであります。

もう一つ、特に社会階層という点から見た場合に、これもさまざまな専門研究者と複数の調査を通じて出てきている特徴ですけれども、「階層帰属意識」と呼ばれているものがあります。要するに「上・中・下」ということを、あなたは自分を上だと思いますか、中だと思いますか、下だと思いますかということで聞いて答えてもらう質問ですけれども、これの中身が大きく変化を起こしています。

これもさっきのデータと合わせて男性有職者だけとっていますけれども、とり方が、私たちSSMの調査でやっているものと、内閣府の調査でやっているものと、ちょっと質問の形態が違います。私たちの調査の形で聞いてみますと、全体をぐるっと丸めて男性有職者全体をとってみた場合の、「あなたは上ですか、中ですか、下ですか」という分布は、実は、75年、85年、95年、全く変わっていないという面白い特徴があります。これは統計的に見ても変わっていないので、なかなかユニークなデータなんですけれども、そういうふうに全体としては変わっていないのですが、中でその部分の変化を起こしていきます。

75年と95年、事務局資料の22ページのグラフを見ていただくとわかりやすいと思うのですけれども、75年のデータで収入をほぼ4つに分割して見ていきますと、すべての収入層でほぼ同じ分布を示すという特徴があります。要するに「中の下」に集中するという形です。これが75年の非常に大きな特徴です。75年のこの「上」、「中」、「下」というのはずっと社会学者を悩ませてきた問題の一つで、客観的な地位にあまり反応を起こさないという特徴があります。

ところが、95年、これが最新の調査になるわけですけれども、この4つの層の中で「上」1/4に当たる高収入層だけが左側にシフトするという特徴を示しています。「中の上」を50%以上が占める。もちろん、調査ですのでざっくりと切らないとわからないので、ある程度のぼやける部分は出てくるのですけれども、実は、ある程度のまとまりを持った層で「中の上」が過半数を示すグループというのは限られておりまして、この収入層で「上」25%をとってきた場合と、先ほど挙げました、本人40歳職で上級ホワイトカラーである人たち、この2つくらいだけなんですね。

あと、グラフを見てもう一つおわかりいただけると思いますけれども、こういうふうに質問した場合に、日本人というのは謙遜なのか奥ゆかしいのか、それとも遠慮がちなのかわかりませんけれども、「上」と答える人は実質的におりません。つまり「中の上」というのは現在の日本人が答える中で一番高い層だというふうに考えることができますと、このグラフが持っている意味ももう少しおわかりいただけるのではないかと思います。こうした形の「上」25%の人が「中の上」と答える。先ほど申しましたように、男性有職者全体でとっていきますと分布は75年と95年で変わっておりません。にもかかわらず、収入層でとってみるとこっちへ移ったということは、逆に言うと、何が起きているかというと、「下」3/4は昔よりもどちらかというと低いほうに答えてきているという形です。全体の分布は変わらなくて、収入が高い1/4が高いほうを答える。それは逆に言うと、3/4がより低めの答えを返してきているという形の変化を起こしていきます。

ちなみに、これが高度成長期の前だとどうなっていたかといいますと、真ん中のグラフ、こういう形になってきています。簡単に言いますと、「上」の半分が「中の下」と答えており、「下」の半分が「中の下」もしくは「下の上」だと答えるという形で、真ん中で分かれるという特徴を示しています。

これが、現在の階層帰属意識と機会の不平等においてはっきり出てきている点であります。先ほど事務局からの資料のご説明にありましたとおり、75年のデータはわりと世間的にもよく知られておりまして、「一億総中流」みたいな話の主なデータソースになっている点があるのですけれども、その部分が特に90年代に入って変化を起こし始めているというのが、特に社会学という視点から見た場合での格差についての現状と、それに対する人々の意識の2つの面から見たときの変化の特徴であります。

基本的には、そういう形で大きなトレンドとしてその地点が見い出せるわけですけれども、以下、簡単にこれがどういう形の意味を持っているかについて私なりの解釈を少し述べさせていただきたいと思います。

まず、機会の不平等に関して言いますと、これをどういうふうに考えるかは見方にもよるのですけれども、一つは、本来、出身による格差というのは長期低下傾向が最も正常であると考えることができます。それは2つくらいの理由の立てることができます。1つは、先ほどまさに大竹先生のデータの中にありましたように、出身による格差というのは原理上あるべきでないという強い立場があるからです。あるべきでないものが存在している以上、一番まともな状態というのはそれが削れていっている状態、少なくなっている状態だというふうに考えます。つまり、長期低下傾向がいわば社会の規範とか倫理の上でノーマルな状態だと考えることができます。

2番目は、これはやや意地悪な解釈という形になるのですけれども、おそらく出身による格差の長期低下傾向は個人的な意識においても据わりがよいのではないかと思います。非常にきつい言い方になるかもしれませんけれども、これはどういうことを意味するかというと、自分自身の地位の低さは必ずしも自分のせいではないという意識と、でも、自分の子供には実力勝負の世界が開けるということを同時にコンパチブルにするトレンドなんですね。この結果として何が起きるか。親の代理達成としての子供の地位という形で、子供を生み育て、よい学校へ行かせ、よい会社へ行かせることによって親自身が自分の代理達成を願う。日本の典型的な戦後家族のあり方だったと思いますけれども、そういうものと見事にマッチしていた長期低下傾向だということが言えます。

逆に言うと、この右肩下がりが終わったということ。終わったあと、これが拡大になるか横這いになるかは現在も議論がありますし、最終的には、もしお金がいただけるのであれば、次回、2005年と2015年の調査によってもっとはっきりした部分が出てくると思います。しかし、現在の時点でも言えることは、長期低下傾向が終わったこと自身が、特に出身とか、不平等とか、格差、あるいは、それを自分と自分の家族みたいな問題として考えたときにどういうふうにかかわるかについて、低下傾向の終了自身が大きなポイントになるのではないかということが言えます。それはひっくり返してみますと、こうした形での長期低下傾向が終わること自身が格差に敏感な社会を作り出してしまうのではないかと考えることができます。

これは、たぶん大竹先生もご経験はありますし、階層研究をやっている人間みんなが思っていることですけれども、先ほど申しましたように、現在、階層格差が拡大しているか横這いであるかについては専門研究者の中で意見が分かれています。逆に言うと、はっきり再拡大しているとは断言できないということなのです。しかしそれに対して、一般的な社会的なイメージとしては格差が拡大しているというイメージが強烈に存在しています。この実体とイメージとのズレみたいなことを考えてきたときに、隔たり感の質的な変化、「重さ」みたいな問題を考えることができるのではないかと思います。

先ほど階層帰属意識の実体化という形で示した、現在の収入とか職業的な地位が自分の社会的な「上」、「中」、「下」に影響しているという事実自身は、現在のポジションが持っている重みが増したと考えることができます。それは直接には、先ほど申しましたような出身格差の長期低下傾向の消滅とおそらく関係する。私自身はこれを「下り坂の錯覚」の消滅と呼んでいますけれども、子供も含めて将来の改善期待が消えてしまうと現在の格差がより重く感じられる。いわば将来の流動性への期待が現在の格差感を左右する、そういうメカニズムがあるのではないかと推測しています。この辺は、より突っ込んだ形での調査はなかなか難しいので、あくまでも推測であります。

もう一つ、隔たり感の重さみたいな問題で考えていったときに重要かもしれないなと思わせる点が、現在の「上」、「中」、「下」という形での階層帰属意識の変化は「上」1/4に特異に発生しているという問題です。この地点で、1/4対3/4という形での切れ方が出現しています。これは、私どもがやっておりますSSM調査でも出てきていますし、あと、大阪商大だったと思いますけれども、大阪商大と東大の社会科学研究所が共同でやっています「JGSS」という同じような調査があります。ここでも出てきている特徴で、「上」1/4と「下」3/4で自分の占めるポジションの答え方が変わってきています。これが、私自身は非常に嫌いな言葉ではあるのですけれども、いわば勝ち組・負け組的な意識をかなり強く引きずり出すのではないかというふうに考えています。

この辺になってくると、あとは、全体の意識のばらばらとした像--おそらく前回、日戸さんとかもお話しになったと思いますけれども、そうした幾つかの格差とか不平等感についての了解から全体的な解釈みたいなことを考えて言っていきますと、私自身は、「暗黙の社会契約」みたいなものがあったのではないかと、最近、思っています。例えば経済の右肩上がり。ずっと成長していくんですよという形の右肩上がりの問題、それと同時に、機会の不平等の右肩下がりみたいな問題。出身による格差は減少させていこう、それは逆に言うと、本人の力による達成で評価される社会にしていこうという形のある種の暗黙の契約みたいな問題。それが消えた、もしくは不透明になったという感覚を、現在の多くの国民が持っているのではないかというふうに推測できるのではないかと思っています。

それはもちろん直接というよりも、幾つかのデータから間接的にぼんやりと、今、そう考えている点なのですけれども、例えば、これも事務局から先ほどご紹介いただきました25ページにあります、「『機会の平等』に対する意識の日米比較」という形において、アメリカと日本との幾つかの回答パターンの変化というのがあります。全体的にももちろんアメリカのほうが圧倒的に「『機会の平等』であれば公平」という形で出てきているのですけれども、収入別のデータを見ていただくと非常にわかりやすいのですが、要するに収入があるかないのかということによってはっきりと支持の程度が変わってきているという特徴があります。アメリカは、見ていただけるように、ある程度収入に反応はしてきますけれども、それほどはっきりとした交差型のトレンドを示しているわけではないです。

あと、年齢的に見ていくともう一つ面白い特徴が出ています。これもいろいろな見方がありますけれども、面白いのは、30~39歳までの間で「『機会の平等』であれば公平」に関してむしろ否定的な意見を持っているという特徴です。考え方によると、30~39歳というのはわが国で最も元気で、働き盛りで、実力がふるえるように、少なくとも戦後の世代間の中では思われてきた世代において実はここで逆転が起きているという特徴があります。

職種で見ていった場合には、これもかなりはっきりしてきています。日米で最も明確に差が出てきているのは農林水産業で、これは、日本の農林水産業とアメリカにおける農林水産業の職業的な形態自身が全く違うことからはっきり言えるのですけれども、双方で職業的な形態が比較的同じであるにもかかわらず大きな差が出てくるのが労務サービス業。要するに工場、ブルーカラー労働者の層です。ここにおいてはっきりとした逆転が出てきています。こうした形での機会の平等への支持が地位ごとにばらつく。事務局からのご紹介もありましたとおり、集計をとってみますと、日本においても機会の平等への支持は不支持を上回っていますけれども、その支持というのが地位ごとにばらつくという形。そういう意味でのコンセンサスが、実はとりにくい状況になっていると考えることができます。

もう一つ、先ほど出てきましたけれども、この種のデータを見たときに、30代における落ち込みという特徴があります。この読売新聞・ギャラップの共同調査においても出てきていますし、その次の26ページに出てきています、「努力すれば好きな仕事に就ける社会だと考えている人の割合」は、30代というか40代ですね、この辺の働き盛りの世代において97年から2003年にかけて急速に落ち込むという特徴があります。

先ほど大竹先生のお話を聞いていて、ああ、ここにも出てきているなというふうに思ったのは、再分配政策についての支持も、たしか年齢階層別で出てきたときに、30代において、今度は再分配政策支持という形でそれが伸びる形で出てきております。現在の日本社会に起きている、広い意味での社会原則の転換みたいなことにおける、あるいは、いろいろな形での社会制度の手直しにおける世代間不平等の意識というのが、今、特に30代を中心として出てきているのではないかと考えることができます。それは広い意味で、非常に下世話な言い方をしますと、「50代、60代の人は、昔のやり方でそのまま行ってよかったよね、あの人たちは結局食い逃げだよな、俺たちはどうなるの?」という形の特に30代の意識というのが結構出てきています。これは企業の中でも、年功序列型の昇進制度というのがこの世代で大体切れていますし、成果主義賃金の導入という形でも変わってきています。そうした形での世代間の不平等感というのが、ここで大きく出てきているのではないかと思います。

実は今朝、ここへ出てくる前に一応データを見て復習してきたのですけれども、その中でもう一つ面白いデータが読売・ギャラップの調査の中で出てきたので、ご紹介します。この読売・ギャラップの調査というのは、幾つかの機関を挙げて、これが信頼できるかどうかについても調査しています。例えば「国会が信頼できるか」ということに関して言いますと、20代から各世代ごとにデータだけをお話ししていきますけれども、20代が18%、30代が13%、40代が18%、50代が19%、60代が24%という形になっています。30代だけがほかの世代に比べて2/3という形で落ち込んでいます。

これと全く同じ落ち込みを示している対象がもう一つあります。中央官庁なんですね。これが、20代・22%、30代・13%、40代・18%、50代・20%、60代・22%。国会等中央官庁という、日本の全体の立案に当たるところに対しての不信任感というのが30代を中心にして出てきています。ちなみに落ち込みが出ないお役所が1カ所ありまして、これが裁判所です。数字だけ出しますけれども、59%、55%、51%、49%、43%という形になっています。ですから、ジャッジメントというよりもプランニングのところで、おそらく世代間不平等感が出てきているのではないかというふうに幾つかの点で思われます。

たぶんその辺が税制みたいなものの意義--ここで私が述べる意義というのは、経済的な意義というよりも、人々の信頼感とか意識に関する問題でありますけれども、おそらく2つくらい考えられるのではないか。一つは、全体としておそらく高不満型の社会に日本は転換していくということです。逆に言うと、原則満足から原則不満に転換しているのではないか。それは先送りへの不信感という形になりますけれども、もう一つ視点を変えれば、強い不満が存在しないということは、何となく肯定しているのではないかというふうに考えることもできます。つまり、大体何をやっても不満が発生しやすいわけですから、強い不満が出ないことで肯定のメッセージだと取ることもできる、そういうふうに考えることができます。

2番目は、これも解釈ですけれども、「暗黙の社会契約」の再建みたいな問題があるのではないか。財政支出自身の、要するに支出面での硬直化が起こっている現在において、税制というのは、「いかなる社会を目指すか」についてのメッセージ性を特に社会意識の面では持ち得るのではないかと考えています。そういう点で考えていった場合での、中央的なプランニングに対して国民全体がどう思っているか。特に30代という、ある意味で組織を担う層でもありますし、もう一つ、現在の日本の出産行動を考えていきますと、ある意味で世代の物理的な再生産を担う層でもあるわけです。ここにおける問題等を考えていくことが、特に意識みたいな面で非常に大きな焦点となってくるのではないかと考えています。

以上です。

石小委員長

ありがとうございました。

冒頭にSSM調査とおっしゃったのは、正式にどういうタイトルですか。

佐藤助教授

「社会階層と移動」全国調査です。

石小委員長

これは5年おきにやっているのですか。

佐藤助教授

10年おきです。5のつく年にやっておりまして、55、65、75。

石小委員長

大変興味あるお話をいただきました。

若干時間をとりまして、さらにお聞きになりたいこと、あるいは反論等々ありましたら、どうぞ。

宮島特別委員

一つだけ。これは大竹さんの先ほどの調査とも関連するのですが、大竹さんが最後のところで、どうも一般には、「所得が運や才能ではなく努力で決まっていると信じているものが多い」と、非常に含みの多い書き方がしてあって、それと今の佐藤さんのお話では、本人だけによる達成で評価されるという考え方が消えた、あるいは不透明になったというのがあります。要するに、本人の努力で社会階層なり所得が達成できるということに対して、それはかなり現実とずれてきているという認識だというふうに、ふたりのお話を私はそういうふうに受け取ったのですが、それでよろしいでしょうか。

石小委員長

確認です。それでは、大竹さんから。

大竹教授

特に不況期においてこの認識が正しいかというと、そうではないだろうというのが私の考え方です。

佐藤助教授

これも相対的なトレンドの中で考えるしかない問題だと思うのです。その部分での改善が止まったという認識は、みんな持っているのではないかと思っています。

宮島特別委員

それと同時に、今のお話はおふたりとも共通しているのは、要するに将来の展望によって今が決まってくるということですね。今持っているそういう意識というのは、将来が閉塞的で、改善するということに対してあまり見通しがないから、今、それが投影されているということであって、将来が変われば現在の認識も変わっていく、そういう理解でよろしゅうございますね。

大竹教授

はい、私はそう思います。特に佐藤さんから30代の話がありましたが、紹介していませんけれども、将来格差が拡大すると考えている人たちは高齢層と30代なんですね。だから、その人たちの考え方が変わるとすればまた意識は全く変わってくるというふうに思います。

佐藤助教授

これは先ほどの繰り返しになりますけれども、特に社会階層の面で見たときに大きな謎になっているのは、専門の研究者が客観的にはかっている格差のあり方に比べて、意識とか、特に人々の受け取り方における格差が拡大しているという、いわば実体と印象の大きなズレという問題があります。これはすべての人がずっと問題として考えているので、それに対して何かの合理的な解釈を考えていった場合に、過去の状態から推測される将来の漠然とした予想というのが効いているのではないか、という形で解釈できるのではないかという形になります。

遠藤特別委員

オッズ比というのは私もよく理解できないのですけれども、「父親と子供の間の職業上の継承性は低くなり、日本社会は次第に開かれる方向へ進んできたが、現在、その傾向は鈍化している」という結論になっているみたいですが、一つは、昔は農業や商業をやっていた子だくさんの家庭からサラリーマン、ホワイトカラーやブルーカラーになる人が多かった。今は少子化で、農業も商業も親父の仕事を継がなければならないということをあらわしているだけではないかと思うのですけれども、そういうのは短絡的で、根本的な原因はもっとほかのところにある、そういうように見るかというのが一つ。

それから、親が良い学校に子供を入れて良い職業に就かせるという傾向は、「長期低下傾向が終わったこと自体が最も重要な問題」であると、1ページの下から3分の1くらいのところに書いてあります。これは、昔と比べて子供の大学進学率が格段に進んでいて、そういう人が親になってきているわけですから、そういう人がサラリーマンの中で競争している状況の中で、自分の子供を大学に入れれば何とかなるという意識がなくなっただけの話ではないかと思うのですけれども、それも、そういうことではないということでしょうか。

石小委員長

お答えください。

佐藤助教授

おっしゃっていることは、半分、私も当たっていると実は思っております。

石小委員長

半分だけですか。

佐藤助教授

半分というのは、もちろん自分の意見を主張しなければいけないので、言うだけですけれども。一つは、大きなトレンドとして開かれた社会の転換というのが、農業から大都市への人口移動及び産業構造の変化によって発生していることは確かです。ただ、特にここで狭くなったということで指標として取り上げているのは上級ホワイトカラーの仕事の人たちなんですね。そこにはいろいろな職種から入ってきます。農業からも入ってきますけれども、例えば大都市のブルーカラーからも入ってきています。ですから、全体として農村から都市へ人口移動を起こし産業構造が変わったことの中で起きている現象だということは、まさにそのとおりなのですけれども、上級ホワイトカラーにおけることが、ダイレクトに農業からの人の流入によって起きたというふうに言うことまではできません。

遠藤特別委員

いや、質問はそういうことをお聞きしているのではなくて、今はむしろ上級ホワイトカラーの管理職の子供がホワイトカラーになって、また上級管理職の道を歩む傾向が強いということになったことを示しているのにすぎないのではないか、ということを聞いているわけです。

佐藤助教授

もしそうだとしたならば、出身階層によって職業が決まるという状態になることになってきますので……。

遠藤特別委員

なってきているということを示しているのではないかと。それは違いますか。

佐藤助教授

なってきているということが、昔のようになってきたという形で再拡大しているのか、それとも、横ばいなのかに関しては、先ほど申しましたようにまだわからない部分があります。低下傾向が止まったということに関しては、ほぼコンセンサスが取れているということです。

もう一つ、子供の大学進学の問題に関しては、これは実はご紹介しなかったのですけれども、大学進学率に関しては、親の影響が最近になって出てきているということがはっきりわかっているデータの一つです。これは文科省の統計からわかることなので確かなのですけれども、90年にかなりの形で親の収入に進学率が左右されない状態に一回なっています。それが再び、これは私立大学セクターを中心として起きているので、学費の問題で起きたことだと思いますけれども、高所得者層のほうが進学率が上がり、低所得者層の進学率が伸び悩むという現象を起こしています。ですから、単純にみんなが行くのが当たり前という問題よりも、経済的な制約による、大学に行ける人と行けない人の差が出てきているのではないかと思っています。

島田特別委員

いろいろな知見を教えていただいたのですけれども、あえて非常に単純化して一つ、二つの感想なのですけれども、不平等度が長期的に高まってきている、それから、親の職業によって自分の職業選択が規定されるというのが減ってきていたのが、止まっている。農業とか現場労務者のような職業の場合にある種の閉塞感が非常に強くて、そこはさらにそういう感じがするという社会になってきているとすると、所得税制みたいなことから考えると、我々の議論はどちらかというと経済の活性化も考えなければいけないし、誰もが負担して努力に見合った税、こういうのが正しいんだという議論でやっていますけれども、たしかに意識の問題かもしれませんね。さっきおっしゃったように、現実にはそれほど閉塞感でもないけれども、あるいは、不平等度がそんな大きくなっているわけではないけれども、今の状況がこれで固定するとすると、将来のことを考えると、数字以上に意識としては閉塞感が強くなるのは非常によくわかる感じがするんですよね。

そういう状況の中で税制改革を、今、我々は議論しているので、我々が考える--まあ、我々といっても人によって違うでしょうけれども--活力ある、努力の報いられる望ましい社会という非常に明るいイメージが一つあり得るのですけれども、それに対して特に30代の人たちが懐疑的な感じを持つという感じですね。40代、50代はたぶん忙しく働いているから、あまり気がつかないのだと思うけれども、これからと思うと、えーっ、先暗いなあと。それから、もう大体先が見えちゃった60代くらいはやっぱり暗いなあという感じなのかなと思いましてね。何か税制論議との間に、相当な開きがあるなあというのを指摘していただいたような感じがするんですね。何かご感想はありますか。

佐藤助教授

たぶんそれは、最終的には「努力が報われる社会」という形が目指すコンセンサスだということについては、ほとんどみんなが一致している点だと思うのです。ただし、それをきちんと評価されていないではないかという形での不満が、ある層を中心として出てきている。「将来よくなるから」という形でうまく流してきたものがせき止められてしまった、という形の変化が起きているのではないかと思っています。

奥野委員

おふた方に非常に面白いお話を伺ったのですが、まず、佐藤さんのお話も含めてですけれども、平等とか格差というのは非常に幅があるといいますか、いろいろな意味のある言葉で、特に「是非」というものを取り上げられたのは私も非常に興味深くお聞きしました。先ほど遠藤特別委員がお聞きになったこととも関係するのですけれども、親と同じ職業に就くのは機会の均等がないからだというふうに決めつけ--と言っては申し訳ないかもしれないけれども、何かそんな気がして。要するに社会的な流動性が少なくなった、一遍広がったのが少なくなった、それは確かだろうと思うのですけれども、機会の平等というのはそれだけなのだろうかと非常に気になるんですよね。

例えば私などが思っているのは、いわば高度成長の時代にオッズ比は下がってきたのかもしれないけれども、長期雇用というものは定着してしまって、企業の中に取り込まれてしまうと、企業の中ではだめだ、もうセカンドチャンスを与えられない。これは全く機会の均等はないわけですよね。あるいは年金に対して問題だとおっしゃって、これはまさに高齢者の方はある種の既得権益を取ってしまって、これを若年層は全くとれない、もう戻してもらえない、これも私は機会の均等に反していると。そこら辺を30代の方が問題視しているのではないかという気が個人的にはします。ですから、機会の均等をもう少し幅のあるいろいろな側面から見たほうがいいのではないか。もちろんオッズ比は大事なご指摘であって、それを私は全く否定するつもりはございませんけれども、機会の均等という言葉をお使いになるなら、もう少し何かほかのことも考えたほうがいいのかなという感じがいたします。

それと同時に、例えば事務局の資料25ページに、日本とアメリカに関して機会の均等に関するイメージみたいなものがたくさん書いてあるわけですが、明らかにアメリカは機会の均等だと言っているわけですね。他方、これをむしろお聞きしたいのですが、アメリカの場合、ではオッズ比はどうなっているのか。たぶん、サンプルデータといいますか、サーベイデータですから、難しいのだろうと思いますけれども。つまり、比較対照になるデータがないのではないかと思うのですけれども、そこに関して、私のイメージだと、アメリカのほうが何か比較できるならばオッズ比が高そうだという気がするんですね。それにもかかわらずアメリカは機会の均等だと言われている。日本はおそらく機会の均等はなくて、結果の平等の国だというふうに考えられてきたような気がするのです。そこら辺について何かデータ的にご存じのことがあれば、教えていただきたい。

最後にですけれども、機会の均等は日本はそういう意味でどうもよくわからないし、アメリカよりはあまり実現されていないかもしれない。ただし、機会の均等を実現しようとしてしまうとかえってオッズ比は上がったり、ひょっとしたら結果の平等は悪くなるかもしれない。でも、大竹さんの38ページ、39ページあたりに書いてありますけれども、日本でもヒアリングをしてみると、「十分な所得格差がないと人々は努力しない」と思っているわけです。結果の平等はある程度犠牲にしても、機会の平等を回復してほしいよねと日本人は思っているかもしれないですね。そういう意味で佐藤先生が最後に、これから税制がいかなる社会を目指すかのメッセージ性を強く帯びたものを出したらどうですかとおっしゃっている。そこら辺に関してどういうイメージの税制、暗黙の契約としてどういう具体的なイメージをお持ちなのか、もし何かありましたら教えていただければと思います。以上です。

佐藤助教授

そういうものを私がしゃべらなくてはいけないのかという気がするのですけれども……(笑)。まず最初、数値としてきちんとお答えできるのは国際比較の問題だと思いますけれども、実はこのオッズ比で見た場合に、国際比較で特に80年代以降は先進国においてそんなに大きな差はどこにも発生しないということがあります。つまり、特に開かれている社会が先進国の中にあるわけではないということです。ただ、アメリカの場合に調査のカバレッジの問題が正直あると思いますので、アメリカは本当に調査したらもっと大きいのではないかと思っています。

もう一つ、これは参考までにご紹介しておくといいと思いますけれども、オッズ比で見た場合、日本で一番下がったのは80年代なんですけれども、この80年代の数値はブリテンとほぼ同じ数値なのです。80年代は、イギリスが閉じた階級社会、日本が開かれた社会というふうに考えていたのですが、オッズ比で見た場合に日本とイギリスはほとんど差がないというのが実情です。

機会の不平等自身は、これをどう定義するかということに関してはそれ自身で複雑なものすごい定義論があります。私自身が使ったのは、アメリカの法哲学者のドーキンが定義した定義をそのまま使っていて、「本人に帰責できない要因による格差が発生した場合にそれを機会の不平等と呼ぶ」という形になっています。機会そのものを測定できないというのが実は私の立場で、これに関しては特に公共経済学の方とむしろ衝突することが多いことの一つですけれども、それは逆に言うと、はかり方によっていろいろなことが計測できるということです。つまり本人に帰責できない要因というのはたくさんありますから、その中でのあくまでも一つの父親の職業だということでご了解いただければ幸いです。

それは逆に言うと、いろいろな不平等があるということがあります。実は今日ご紹介しなかったのですけれども、本人の職業を初職から現在までSSMの調査では取っております。これを使って、昔、「人生に逆転はあるのか」ということを調べたことがあります。各職業に関して「職業威信スコア」という形で数値を与えることができます。これは20年間ほとんど変化をしなかったという意味で、非常に信頼できる数値ですけれども、それを見ていくと、ある世代で初職についたスコアで順番をつけていきますと、実は戦後を通じてこの順番はほとんど変わらないのです。つまり、ある世代の人間で、いい初職についた人間は年を取ってもトップグループに居続ける。ある世代で下のほうの職業についた人は、相対的に底上げはしていきますけれども、世代内の逆転はない。

そういう意味では、キャリアの中でのある種の、これは機会の不平等と言うかどうかわかりませんけれども、そうした息苦しさをずっと持ってきた。その息苦しさを、将来よくなるかという形で流してきたのがせき止められているという状態だと思います。逆に言うと、その中での逆転の可能性みたいなものをつけていくとか、そういう形での不満の解消の仕方、あるいは、ある種の機会の広げ方は実際あると思います。

最後、メッセージ性ですか。特に30代を中心として言われていたことの落ち込みの一つの大きなポイントは、長期安定雇用が正しいかどうかは別としても、先ほど大竹先生が、生涯所得で見るのが一番正しいよねというふうにおっしゃったように、人生の設計を考えながら人は生きているわけですね。その人生の設計を途中でポコンと変えさせるとか、変えなければいけないよと言われること自身は、特に変換点にあたる世代にとっては相当不満が溜まる操作であろうなということはあり得ます。

先ほど、「60代の人はしょせん勝ち逃げよ」という言い方をしましたけれども、与えられた設計でそれなりに30年間生きていくことができた世代と、その与えられた設計が10年くらいであれっという形で変わってしまったという問題。暗黙の社会契約と言ったときに、長期的な信頼性というのもやはり重要なのではないか。特に30代の落ち込みというのは、そこで問題が発生しているというふうな結果ではないかと私自身は思っております。

石小委員長

さて、予定した時間もだいぶ過ぎてしまいましたが、よろしゅうございますか。

では、一回だけどうぞ。最後にしましょう。

河野特別委員

結論だけ聞かせてもらいたいのですが、分析の内容を批判するとか評価するというのではなくて、ここは政府税調ですから、所得税問題に絡む話を今日聞いていると思っているんですよ。それで所得税について、今、所得税で入る収入がまことに少ないという反省が一つあるわけ。減税をやり過ぎたという話ね。

もう一つは、ここから先は先生おふたりにお聞きしたいのだけど、所得税というのは所得再分配機能というものを本来持っているはずだと。今、それが機能低下しているのか、拡大していくのかよくわからないけどね。これからの方向性として、所得税の所得再分配機能を強化するほうがいいのではないかとお考えなのか、いやいや、そんなことはないよというふうにお考えなのか、今までのとおりでいいのではないかというのを、一つだけ教えてもらいたい。

大竹教授

私は再分配機能をもう少し強化したほうがいいだろうというふうに思っています。おそらくフラット化が進んだのはバブルを背景にしていたのではないと思うのです。完全雇用のときですから、努力したら報われるという状況を前提としていた。しかし、不況が起こったり、規制緩和だとかグローバル化、あるいは技術革新でどんどん予想外のことが起こった。先ほど、30代の人たちが突然働き方が変わったという議論がありましたけれども、そういうときには予想されたものと違うことが起こっていますから、そういうショックに対しては再分配機能を高めるのが一つだろうと。そのときに問題になるのは、それでやる気が削がれるのかどうかというところですけれども、そこについては、「フラット化でやる気が出たのか」というところをはっきりさせないとわからないというふうに思っています。

石小委員長

佐藤先生、どうですか。

佐藤助教授

結論としては大竹先生とほぼ同じです。これは、ちょっと前の日経新聞の「経済教室」のところでデータを示してありますけれども、父職がホワイトカラー上級であるかないかによって現実の本人の収入が変わっています。平均で500~700万円くらいだったと思います。父職がホワイトカラー上級であった人の大体14%が1,000万円以上の年収をその時点で持っています。それに対して、父職がそうでない人で1,000万円以上の収入を答えてきた人はSSMのデータでは7%ぐらいなんですね。やはりその部分に関してはならすべきだと私は思っています。

石小委員長

さて、今日は経済学者と社会学者の第一線でご活躍のおふたりの先生から、分配とか、平等とか、あるいは所得格差の拡大等をお聞きしました。大変参考になりました。我々としてこれから議論しなければいけない素材をずいぶんいただいたように思います。結論は、残念ながら次の2005年の調査、それがどうやら重要になってきそうですけれども、それを待っているわけにいきませんので、今日いただきました情報をもとにいろいろ議論したいと思います。

このメンバーの中にも勝ち逃げの世代と、何やら不満うっ積の世代が……ちょっと少ないかな。30代の人は少ないから。いろいろ分かれておりますので、議論をこれから大いにやりつつ、所得税をどうすべきか、フラット化一本で来ましたけれども、行き過ぎではないかという声もあって、やや揺り戻しの気配もあるかもしれない。それから最大の問題は、相続税をこれから強化するのか、従来どおりの線でまあまあで行くのか、この辺は機会の平等云々と引っかけて議論しなければいけない問題でしょうね。皆さん、頭にしかと今日の話を刻み込んで自分のご意見をおまとめください。いずれ、5月、6月あたりにはその総括をして皆さんのご意見をお聞きしたいと思っています。

おふた方の先生、どうもありがとうございました。(拍手)

最近は拍手でもって御礼をする習慣がつきました。どうもありがとうございました。

それでは、次回以降の予定をお話ししまして、散会にいたしたいと思います。

次は、4月23日金曜日午後でございます。「少子・高齢化と経済社会」という形で、次の5回目になりますが、実像のチェックをしたいと思います。それから、27日火曜日、「グローバル化と経済社会」という形でグローバル化の問題を引き続き取り上げて、また有識者からのヒアリングを行う、こう考えております。4月はちょっと後半に押せ押せでございますが、スピーカーのご関係でこうなりました。よろしくお願いいたしたいと思います。

では、今日はどうもありがとうございました。

〔閉会〕

(注)

本議事録は毎回の審議後、速やかな公表に努め、限られた時間内にとりまとめるため速記録から、財務省主税局及び総務省自治税務局の文責において作成した資料です。

内容には正確を期していますが、税制調査会議事規則に基づき、事後の修正の可能性があることをご承知置きください。