第6回基礎問題小委員会 議事録
平成16年2月10日開催
〇石小委員長
それでは、時間になりました。基礎問題小委員会、第6回目になりますが、開催いたします。
年明け初めてです。そういう意味ではお久しぶりという方もいっぱいいらっしゃいます。
今後どういう形でやるかということは、後ほど佐藤課長のほうからご説明いただきますけれども、考えておりますことは、社会・経済の構造的な変化は一体どうなっているか。我々は格好をつけて「実像」と言っておりますが、その把握にこれから6月ぐらいまで当たりたいと考えております。
後ほど改めてご紹介いたしますが、今日は、「家族」のほうの権威でいらっしゃいます落合先生と山田先生に、後ほどいろいろな形でご議論に参加いただく、あるいはご報告いただくという形になっております。
あらかじめ申し上げますが、基礎問題小委員会以外に特別委員の方、あるいはそれ以外の委員の方も、今回こういう貴重なヒアリングでございますので、ご参加いただくという格好にしておりますので、積極的に議論にご参加いただきたいと考えております。
2時間ということを考えていますが、話の進捗状況によりましては若干延びるかとも思います。
それから、すでにFAX等でご案内しておりますが、基礎問題小委員会は、通常、マスコミの方々に公開はいたしておりません。ただ、先ほど申し上げましたように、貴重なお話をいただけるという形で、この基礎問題小委員会のヒアリングに関してのみ、マスコミの方々にもご参加いただいて、広く関心を持っていただきたい。あるいは、インターネットの中継も行いますし、あるいは、議事録の公開も総会並みに発言者の名前も入れて、後ほど公開の中に入れておこうと考えております。
それでは、今後のスケジュール等々、あるいは事務局の用意した資料もございますので、この辺を最初に、調査課長の佐藤さんのほうからまとめてご説明ください。
〇佐藤調査課長
調査課長の佐藤でございます。それでは、ご説明をさせていただきます。
まず、お手元の資料、「基礎小6-1」という2枚紙がございます。そのあとに若干資料がついてございますので、まずその6-1をご覧いただきたいと思います。
今後の進め方ということでございますが、わが国の経済・社会の構造変化の「実像」把握という取り組みを進めていきたいということで、まず1つ目、趣旨でございますが、真ん中にございます「あるべき税制」の具体化に向けた審議のいわばその基礎固めということで、「実像」把握に取り組みたいという一言に尽きるわけでございます。
進め方ということで、2の(1)でございます。全体を通じての基本的な視点をここに掲げてございます。
[1]~[4]ということでございますが、[1]1980年~1990年代を通じて、わが国経済・社会の構造変化として、マクロ・ミクロ両面において何が起こっているのか。[2]としまして、そのメカニズム、ないしは背景要因は何か。[3]といたしまして、これらの変化が社会を構成する各主体にどのような影響を与え、また今後どのような変化が予想されるか。
この[1]~[3]というのは、どちらかといいますとファクト・ファインディングに類する話であろうと思います。既存の社会・経済のフレームワークがどういう変容を示しているかを確認するということが、問題意識の主眼でございます。
[4]といたしまして、上記[1]~[3]を踏まえて、今後の公的部門や税制のあり方についてどのように考えるべきかということで、したがいまして、[1]~[3]のファクト・ファインディングに基づきまして、現行制度が依って立つところの経済・社会構造の変化があるとすれば、その上に立つ特に税制を中心とする諸制度をどのように見直していけばいいだろうかという包括的な問題意識を持って取り組んではいかがかということでございます。
(2)といたしまして、上記の基本的視点のもと、「家族」、「就労」、「価値観・ライフスタイル」、「分配」、主としてミクロの視点、それから「少子高齢化」でございます。あるいは「グローバル化」、「環境」、「公的部門」といったような分野に分けてテーマを設定するということでございます。森羅万象を取り上げるという意味では時間的制約がございますので、差し当たりこういう角度からテーマを取り上げてはどうかということでございます。
(3)といたしまして、各々の分野・テーマごとに、関連する基礎的なデータを収集・整理をいたします。それとともに、集中的に有識者や専門家を招聘いたしまして、ヒアリングを行い、議論を深めていくということでございます。これによりまして蓄積される諸情報を国民に発信していくということで、今後の議論の基礎とするという形にしてはいかがかということでございます。
税制との関係で申し上げれば、これから「あるべき税制」に向けた議論を行う場合に、どういう変化をきちっと見定める必要があるか、一種のキーワードというものを見つける作業と言っていいのかもしれません。そういう取り組みで行ってはいかがかということございます。
日程でございますが、次のページ、本日を第1回目といたしまして、月2回ペースで開かせていただくということで、6月末までを一応の区切りということにさせていただければと思います。取り上げる項目は基本的にこの状況で考えておりますが、進展によりまして移動はあり得べしということはお含みおきを賜ればということでございます。
なお、今回進めます内容、データ、ファクト・ファイディング、それからいろいろなプレゼンテーション、ご議論ということで、多角的な取り組みになりますので、そのあたりは1回ごとにサマライズをいたしまして、国民に発信していくという形にしたい。報告書というよりも、そういう形のほうが有効かなと考えている次第でございます。
あと、その後ろに若干資料をつけてございます。1つは、わが国の経済・社会の構造変化の「実像」把握ということで、未定稿の紙をつけてございますが、これはお時間の関係上、ここではご説明申し上げませんけれども、今後、審議を行っていくに当たりまして、先ほど設定いたしましたテーマごとに、どういう切り口で議論していったらいいだろうかということを、いわば例示的に事務局の範囲においてまとめたものでございます。イメージづくりという位置づけでよろしいかと思います。これなどをご参考にいただきながら、今後、議論がなされていければということで、ある意味では暫定的なものということでございます。
それから、もう一つ未定稿の紙がございます。各委員から提起された主な意見の概要というのをさらにつけてございますが、これは、これまでの当委員会でのご議論とか、あるいはそれぞれ文書においてテーマについてご意見をいただきましたものを、整理・集約したものということでございまして、いずれにしましても、この2つはご参考までということでつけさせていただきます。
進め方については、以上でございます。
〇石小委員長
それから、こちらの参考資料、つまり資料のほうのご説明も一緒にやってください。
〇佐藤調査課長
引き続きまして、本日の議題に関連いたします「家族」につきましての資料説明をさせていただきます。横紙で「基礎小6-2」という資料でございます。これはあらかじめ委員の方々にはご送付させていただいておりますので、ポイントのところだけ触れさせていただくということで進めたいと思います。
まず1枚めくっていただきまして、全体を通じての「基本的視点」、これは先ほどのものをそのまま複写したものでございます。
次のページ目、「家族」のデータ等に見られる現状等ということで、主立った点を3つほど要約してございます。
ちょっとご覧いただきますと、世帯類型が多様化・分散化し、世帯規模が縮小している。内書きといたしまして、「標準世帯(夫婦と子供)」、「三世代世帯」の割合が減少。他方で、「子供のいない世帯(単独世帯、夫婦のみの世帯)」等々が増えてきている。それからサラリーマン世帯における夫婦共働き世帯が増えている。家族が担ってきたケアの機能が低下・外部化する傾向があるということを指摘してございますが、ピンク紙が入っているものの後ろにバックデータをつけてございます。
一、二、ちょっとご紹介させていただきますが、2ページにグラフがございまして、「家族類型別世帯数の推移」というグラフを掲げてございます。これで先ほどのことをちょっと確認をいただくということですが、2000年のところの棒グラフをご覧いただきまして、真ん中に1,492という数字があって(31.9%)とございますが、これが夫婦と子供のみのいわば標準世帯と称するものの世帯の数ないしは割合でございます。それが1970年の段階では、ずっと左をご覧いただきますと、1,247(41.2%)という数字でございましたので、シェアとしてはずっと下がってまいりまして、2020年の推計では、一番右側でございますが、25.4というパーセンテージになっておるということで、4組に1組しかこういう標準世帯の形がないという事実が確認できるかと思います。
それから下側で、単独世帯あるいは夫婦のみの世帯というカテゴリーがございますが、これもご覧いただけますように、趨勢的にずっと割合が大きくなってきておるということでございます。これがご確認いただければと思います。
それから4ページまで飛んでいただきまして、1つだけご紹介しておきます。先ほど家族の持つケア機能の低下・外部化と申したことの関連で1つ紹介をさせていただきますけれども、ここには「育児や保育の外部サービスの利用意向」ということについての調査がございます。それぞれ女性・男性に聞いておるわけでございますが、1992年と2000年の対比で、全体として外部サービスを利用する形が増えてきていることが見て取れるわけでございます。
恐縮でございますが、もう一度ページに戻っていただきたいと思います。2つ目のところでございますが、結婚や子供を持つことに関する状況の変化ということでございます。ざっとご覧いただきますと、婚姻件数、婚姻率とも長期的に低下傾向、離婚や再婚が増加、晩婚化や未婚化が進展、国際結婚が増加、それから、結婚や子供を持つことに関する「伝統的」な意識が揺らぎつつあるということでございます。
この点に関して、資料編の16ページまで飛んでいただきますと、ここに「結婚や子供を持つことに対する意識の変化」という国立社会保障・人口問題研究所におきます調査のデータを載せてございます。(1)(2)(3)、3つの質問でございます。いずれの質問につきましても、「反対」の数が趨勢的に増えてきております。例えば、「生涯を独身で過ごすというのは望ましい生き方ではない」「結婚後は夫は外で働き妻は家庭を守るべきだ」「結婚したら子供は持つべきだ」、いずれも「反対」の数が増えておるという形が見て取れるわけでございます。
またページに戻っていただきまして、3つ目でございますが、家族への帰属意識などが希薄化するということで、「個人化」の流れの中で、家族のつながりが情緒的なものに「特化」しつつある一方で、家族以外の者(友人等)とのつながりも求めていく傾向が見て取れます。
データでの確認ということで、後ろのほうですが、19ページまで飛んでいただきますと、ここに博報堂における調査を掲げてございます。これは10月にご説明したものと同じものでございますが、ここには家族意識の変化ということが6つのカテゴリーで書かれてございます。それぞれのブロックの中に、小さく括弧して平等化とか妻権化とか女系化とか個人化とかいろいろ書いてございますが、博報堂のまとめということで右肩に枠で囲ってございます。「平等化と個人化の流れは、これからの家族を考えるうえで重要な視点(個人がそれぞれの平等の立場で、個を尊重し、独立しながらも、ばらばらでなく、適度な距離感で結ばれている家族のイメージ)」というものがこれからの家族のイメージではないかという分析をしているものでございまして、ご紹介させていただきます。
それから、次の20ページでございます。「家庭の役割に関する意識」でございますが、この棒グラフは内閣府の調査でございます。家族とは何かということですが、この棒グラフで約5割前後を得ております項目は、家族の団らん、休息・やすらぎ、絆ということで、情緒的な部分が強調されております。
一方、下のほうでございますが、子供を産み育てるとか、子供をしつけるとか、親の世話をするといった、ケア機能と申しますか、そういう部分についてのウエイトが低いと見て取れるということで、現時点における家族の受けとめ方という傾向が現れているのかなということでございます。
それから、右側の「充実感を感じる時」というデータがございます。これも内閣府の調査でございますが、「家族団らんの時」というのは、昭和50年からずっと大体40数%で一定でございますが、最近とみに増えてまいっておりますのが、「趣味やスポーツに熱中している時」とか、「友人や知人と会合、雑談している時」とか、そのようなウエイトが急激に伸びてきておりまして、むしろ家族団らんと同じレベルぐらいまで上がってきているということも見て取れるということでございます。
それから、恐縮でございますが、1枚めくっていただきまして22ページですが、手助けが必要になった場合の頼む相手はどんな人かという厚生労働省の調査でございます。最初に頼む相手、親・子というのがウエイトとして高いわけですが、次に頼む相手につきましては、それ以外の親族という形になっておりますけれども、いずれもウエイトが下がってきて、一方で市町村という部分が増えてきたり、介護の制度というようなことがあるのかもしれませんが、そういう部分も出てきておるということも見て取れるわけでございます。
最後でございますが、戻っていただきましてというところでございます。「家族」に関する論点・切り口の例ということで、今日、プレゼンテーションをお願いしておりますこととの関連も含めまして、ご議論をしていただく時、このような切り口を頭に置いてご議論を賜ればという一つのイメージでございます。
ざっと見ますと、家族の機能・役割は歴史的にどのように変遷をしてきたか。
2つ目の矢印ですが、家族が担ってきたケア機能が低下するなど個人のライフコースにおける「リスク」の構造が変化し、ケア機能の外部化が見られるといった状況があるが、実態はどうだろうか。
飛ばしまして、下から2つ目の矢印ですが、晩婚化・未婚化が進行している背景には、家族を形成することが、安全や安心感ではなく、むしろリスクをもたらすという、いわゆる「家族の失敗」という見方があるが、実態はどうだろうか。
それから、一番下でございますが、家族が変容する中で、家族に関しどこまで政策として関与すべきか、また、関与できるのか。さらに、個人を基礎とした制度設計をすることについてどう考えるか、といったようなことが差し当たり切り口として考えられるのではないかということで、ご参考までに掲示させていただいたということでございます。
以上でございます。
〇石小委員長
ありがとうございました。
前段で今後のスケジュールをご紹介いただきました。つまり、税制が成り立っております経済・社会構造そのものが大きく変化している。それに対して我々は理解を深めなければいけないという形で、「家族」をはじめ「就業」、「少子高齢化」、「グローバル化」、「価値観」、「ライフサイクル」等々、これからやっていこうと。ある意味では非常に迂遠の感じがいたしますけれども、しかし税制というものは、あくまで対象としております経済・社会そのものが変わってきたことによって税制も変わらなければいけないのですが、そのミスマッチが大きくなっているという問題意識を持っておりますので、地道に根っこから少し議論を解き起こしてみたいという形で、今回、議論を始めることにいたしました。
後段は資料についてご説明いただきましたが、今日は第1回目として「家族」を取り上げたいという形で、我々用意いたしましたバックデータはこういうことですよという形で、今日、お二人の先生の前で、いうなればプレゼンテーションを我々が最初にやらせていただいたという格好になっているわけでございます。
それでは、長いことお待たせしました。これから、今日の本論でございますお二人の先生からのヒアリングを受けたいと思っております。
最初に、京都大学の落合恵美子先生からお願いいたします。それから東京学芸大学の山田昌弘先生。お聞きするところによりますと、お二人は同級生のようでございますから、ご両者の関係をこちらでご説明することもないかと思います。
我々は「実像」という形で、現在の社会においていろいろ起こっていますことの把握に努めたいと思っていますが、実像の裏返しは虚像でございますから、虚像というのもやたらとこの辺にあると思いますので、実像・虚像あわせまして、現代社会、特に「家族」という切り口から何を抱えているかということをご説明いただきたいと思います。それを参考にいたしまして、今後の税制改革の論議を深めていきたいというのが我々の問題意識でございます。
それでは、落合先生のほうからお願いいたしますが、家族社会学がご専攻でございまして、「家族の戦後体制」といったキーワードで現代家族を解き起こしました『21世紀家族へ』といったご著書があるようでございます。不勉強でございまして、私、読んでございませんが、その辺も踏まえまして、40分ほど時間がございますので、まず問題意識をご披露いただきたいと思います。よろしくお願いします。
〇落合助教授
ご紹介にあずかりました落合でございます。
税制については、今までもだいぶ批判的なことを書いてまいりまして、今の家族が変わらないのは税制がこうだからである、というようなことを書いたりしてまいりました。今日は、まさかと思っていたのですけれども、こういう場に呼んでいただいて話をする機会を与えていただきました。本当に感謝しております。ありがとうございます。
私は、データをお見せするというよりは、それもいたしますけれども、それをどういうふうに見ていくかという枠組みの話をさせていただきたいと思うのです。データはお役所のほうがたくさんお持ちですし、幾らデータを見ても、その見方というものが定まらないと、見えるものも見えてきません。
このような話を10年以上前に経済企画庁のほうでさせていただきました。その時には、国民生活指標の改定作業をしていたのですけれども、その時に、いろいろな式を立てるわけですが、その式を立てる前に、社会の枠組みが変わっていたら前と同じ式では成り立ちませんよ、というような話をさせていただいたことがあるのです。その時は、国民の生活の幸せというものを測るその式を考えていたわけですけれども、その枠組みがまさに変わってきているのだというところをまず議論しないと、そこから先の話はできませんね、というようなことをさせていただいたのです。
その時の話をもとにして、『21世紀家族へ』という本を書きました。これが94年だったのですけれども、その時のポイントは2つのことだったのです。1つは、構造変化に注目するということ。今申しましたように、枠組みが変わる時には、構造がどういうものであったか、それがどう変わって行くのかということがわからないと、議論ができません。
なぜそんなことを強調するかといいますと、家族についての議論は、多くの方がお持ちなのが、変化については一方向的な変化のイメージなのです。「昔、しっかりした理想的な家族があった。それがだんだんだめになっている」という一方向的な、解体仮説なのです。特に何も意識しない方が頭に描いていらっしゃる枠組みというのは。それは構造変化ではなくて、構造がもともとあったものがただ壊れていくという、そういう考え方の枠組みです。でも、そうではないのではないかと考えました。
私の枠組みは3段階です。私たちが当たり前だと思っているような家族があった時代、というのが真ん中の時代です。その前の時代には、そういう家族がまだなかった時代、というのがあったと思うのです。私たちが当たり前だと思っている家族は、歴史的にある時代にできたのである。それで1段階目と2段階目です。3段階目になりまして、それが今ですけれども、当たり前だと思っている家族が揺らいできている時代。私たちは、その「当たり前の家族」の時代と今の時代しか知りませんので、変化が一方向的に見えるのです。それで非常な危機感を持ったり、もとに戻そうと考えたりするわけですけれども、もう少し長い歴史的なスパンをとってみれば、その前の時代があった。
家族というのは時代とともに変わっている。ある時代に当たり前の家族ができて、その時代に合った社会の枠組み、税制を含めて、そういうものができた。それが今、社会の変化によって不適合を起こしているのだと、こういうふうに見方を転換できると思うのです。そのことが『21世紀家族へ』という著書で言いたかった一番のポイントです。
もう一つのポイントがありまして、それは予測と価値判断の峻別ということです。家族の将来というと、価値判断ばかりでお話しになる方が多いのです。でも、そうではなくて、どのような社会の現象についても同じことですけれども、社会科学的に客観的に予測できる部分と予測できない部分、だからそこから先は価値判断、どちらを選んでいくかということになるのですけれども、それがあると思います。家族についても同じことなのです。どこまで予測できるのかということをお話ししようと思います。そうすると、可能な選択肢はどのぐらいになるのか、その中で選んでいこうではないか、というような発想がいいのではないかと思っているのです。
私、今は戦後の家族をちょっと離れまして江戸時代の家族を研究しています。長期スパンで家族の変動を見ないと、今起きていることがわからないと思うからです。今、「家」制度が弱ってきているのではないかというような話がありましたが、それを知るためには、「家」制度ができた過程を知らないといけません。昔の家族はよかったと言いますけれども、それはずいぶん私たちの持っているイメージと違うものです。そこで、江戸時代ぐらいまで含めまして変化のお話ができるのですが、今日はもうちょっと後ろのほうが中心になると思いますが、そんなふうに、なるべく長いスパンで考えていくのが長期的な展望を出すコツではないかなと思っております。
ちょっと前置きが長くなりましたけれども、レジュメのほうに入っていきたいと思います。
レジュメの2というところをご覧いただきたいのですが、「人口転換」という言葉が出てきます。これは人口学の基本概念で、デモグラフィック・トランズィションというのですが、社会科学的にいうと、産業革命と同じぐらい重要なのがこの人口転換だと思うのです。にもかかわらず、産業革命を知らなければ中学校を卒業できませんけれども、人口転換は知らなくても社会人になれるのです。そのぐらい人口に関することは見過ごされてきたと思うのです。物の生産についてはずいぶんみんな知っているのだけれども、人がどういうふうに生まれて、死んでいくかということについての理論をけっこう知らなかったりします。
この人口転換、こちらにいらっしゃる方はご存じの方が非常に多いところだと思いますけれども、ちょっと復習いたしますと、いわゆる人口転換というのは、多産多死から少産少死への転換というものです。大勢生まれて、しかし大勢が子供のうちに死んでしまう。そういう社会から、少ししか生まれないけれども、子供のうちに死ぬ人は少しで、大体みんなが育ち上がる社会に変わったというのが人口転換です。このことによって社会の人口構造が変わりまして、少子・高齢化ということが起きてきます。
それからもう一つ、第2次人口転換ということを言っている学者がいます。レスタークとか、ヨーロッパの学者が何人かいるのですけれども、これは1970年以降の変化で、今私たちが問題にしている時代のことを言っていまして、今度は制度的な婚姻の衰退とか出生率低下というようなことが起きているというのです。
家族の変化ということを考える時の非常に重要なポイントが、この2つです。第1次人口転換が、私たちが思っている「当たり前の家族」を作るのです。この第2次人口転換がそれを壊すのです。ですから、先ほど3段階と申しましたけれども、この2つの人口転換をその区切り目にしておりまして、第1次の前の時代と、第1次と第2次の間の時代、それから第2次の後の時代というふうに考えると、非常にわかりやすいのではないかと思います。
この多産多死から少産少死へという変化は、世界で見た場合、実は産業革命よりももっと普遍的に起きています。例外なく起きています。多少のバリエーションはありますけれども、近代化すると大体これが起きまして、逆転しないのです。ですから、こういうことから論理を立てていくのが、家族というようなとらえどころのない現象をとらえていく時のいい基盤になると考えます。
もう一つの資料をご覧いただきたいのですが、今日添付してあります「人の一生」と書いてある、本の一部のコピーですけれども、ご覧いただけますでしょうか。これは、出典は一番最後のページに書いてありますけれども、実は高校の家庭科の教科書です。一橋出版の教科書でして、私、最初の「家族」の部分を書かせていただきました。高校の教科書をこういうところでお配りするのはあまりに失礼なのではないかと思ったのですけれども、一生懸命書いたんですよ。今のような論理で家族論を書いたものは、実はあまりないのです。大学の教科書を1冊お配りするのもなんでしょうから、高校用に非常に縮めて書いたこれを、ちょっと便利かなと思ってお持ちしました。
今のように、人口転換を軸にして家族論を再編成してみるという見方を示したものです。その時に、出発点となるのは、家族論からライフコース論へということです。これはレジュメの最初のところに書いてありますけれども、家族から始めてしまうと、論理的に筋が立たなくなるのです。どうしてだかおわかりですよね。家族を作らない人が入ってきませんから。ですから、社会全体を考える時には、やはり個人から出発しないといけません。
ライフコースというのは人の一生のことです。昔は「ライフサイクル」と言いましたけれども、「サイクル」というと、みんなが同じような人生を繰り返すというイメージがつきまといます。そこで、そういうものではないということで、「ライフコース」という言い方に1970年代から変わってきています。ですから、ライフコースといった時には、個人が研究の単位ということです。それから、一人ひとりのライフコースは違うということ。それが大前提となります。
この一人ひとりの人生に注目することから、社会の見方や家族の見方を作り直してみようということです。
先ほどの教科書のほうをご覧いただきますと、まず、「人の一生」というところで、7ページのところに人生のライフステージが書いてあります。本当は、ライフコースという考え方をとると、この図は入れたくないところです。でも、これを入れないと通りませんので、入っております。こういう段階があるけれども、だんだん柔軟になっていますよというようなことを書いてあります。
それで、8ページからが人口転換を中心とした見方の説明になっています。人口転換というのは、図解しますと8ページの左下にあるようなことです。死亡率と出生率が近代化とともに低下する。ただ、そのスピードには差があって、大抵の場合は死亡率が先に低下する。それからしばらくたってから出生率が低下する。つまり、子供を5人産んでも2人や3人は死ぬだろうと思えば、5人、6人、7人と産み続けるわけです。しかし、産んだ子供が死なないということを親が認識するようになれば、出生率が下がります。そこの間にタイムラグができます。そのタイムラグの間に人口爆発が起きます。この出生率が高くて死亡率が低い時代というのがありますので、そこで大変な人口増加が起きます。
その時に、ヨーロッパでしたら、植民地を求めて海外に出ていきましたし、産業革命も起こしました。日本も同じようなことをしまして、ただ海外進出のほうはちょっと失敗したわけですけれども。それから、いよいよどちらもできないという国では飢餓が起こります。今のアフリカなどで起きているのはそういうことです。イスラム圏もこの段階です。ですから、この段階は社会が発展するチャンスでもあるし、危機でもあるのです。この移行期の時代には思いもかけないことがたくさん起きます。これがポイントです。
家族について、私たちは、「当たり前の家族」というのをこの時代の家族を想像しているのですけれども、それは、今言いました植民地を求めるとか、産業革命が起きるということが世界史の中で大変めずらしいことであったのと同じように、私たちが当たり前だと思っている家族は歴史の中でめずらしいのです。その時代が過ぎますと、少産少死の時代、出生率も死亡率も低い時代になります。
今のことを生存曲線、生存率といいますか、その変化で見てみるとどうなるかというのが、9ページの上の図です。これは横軸が年齢でして、縦軸がそのうち何%の人が生き残っているかという率です。これを見ていただきますと、1921年~1925年ごろでしたら、生まれてすぐにかなりたくさんの人が死んでしまった。5年ぐらいの間に80%を切ってしまうのです。それから青年期、中年期にもう人はだんだん死んでいまして、それから高齢期になるともうちょっと死にやすくなるかなというような、こういう人生だったということがわかります。つまり、人はいつ死ぬかわからないわけです。戦争もありますし、病気もあります。
よく、結婚する時に「共白髪」と言いますけれども、共白髪になればおめでたいわけです。つまり、結婚した時点では、高齢期まで二人が生き残れるかどうかというのは賭けのようなものだったのです。ですが、今は簡単に共白髪になってしまいます。これはずいぶん人類史の中では変わった時代なのです。
このグラフが右のほうに上がっていくと今に近くなっていくのですけれども、だんだん、1回生まれたら、子供のうちは死なない、青年期も死なない、中年期もなかなか死なないというふうになっていきます。65歳を過ぎるあたりからだんだん死ぬかなというような感じになっています。これが私たちのよく知っている人生ですけれども、これは非常に人類史の中では変わったことなのだというのをまず認識したいと思います。
では、レジュメのほうに戻っていただきたいのですが、レジュメの3というところ、「家族の時代」と書きました。レジュメの構造は、3が「家族の時代」、4が「個人の時代」となっていまして、つまり、「家族の時代」というのは、先ほど言いました3段階のうちの2段階目の時代のことです。「個人の時代」は3段階目の時代のことです。私たちが当たり前だと思う家族の最盛期だった時代、それが「家族の時代」です。
その時代には、個人から見て、社会全体から見て、それから家族から見て、どのような特徴があったのかということをここにリストアップしてあります。今の人口転換ということを考えると、そこから論理的に導けるようなことがほとんどです。
では、その「個人」のところから見てまいりましょう。まず、死亡率低下ということが起きました。今グラフで見ていただいたとおりです。それは平均寿命の延長ということですが、人生のうちのいつ死ぬかわからない時代から、多分白髪になるまで生きていられるだろうという時代に変わったということです。つまり、ライフコースは安定して予測可能になりました。「将来はどうしたいの?」などということをちょっと言えない時代もあったのだろうと思うのです。
それから出生率の低下。これも今グラフで見ていただきましたけれども、具体的な数字のほうで見ていただきますと、グラフばかりの資料をもう一つ添付してあります。今度そちらをご覧いただけますでしょうか。
この1ページ目の右下の図3-1に、日本における出生率の長期的な趨勢をお出ししてあります。これはもう見飽きたグラフかもしれませんけれども、50年代の前半に大きな低下が起こりまして、それから20年ばかり安定期が続きます。その後、また低下が始まります。これもちなみに3段階ですよね。低下が2回あって、そこに挟まって安定した時代があります。この安定した時代が「家族の時代」なのです。
この時期には、出生率がただ下がるだけではなくて、子供の数とか出産年齢の分散が縮小します。つまり、子供の数が2人か3人というふうに非常に画一的に決まってきます。子供がゼロでも1人でも白い目で見られますが、4人産んだり5人産んだりしてもやっぱり白い目で見られます。今、友人で4人産んだ人がいますけれども、やっぱりみんな、「間違っちゃったの?」とかという失礼なことをずいぶん言うらしいのです。(笑)正しい子供の作り方というのが非常に狭い幅に収まってしまった時代です。
出産年齢もそうです。やはり40歳を過ぎて産むと、大変なことということになっている。でも、江戸時代のことを私は調べていますが、42歳ぐらいまで産みますね。30代後半、40代の初めまで産み続けていれば産めるようです。そうなのですが、今は大変なことになってしまった。
それから、結婚年齢も分散が縮小します。つまり、適齢期が成立します。24歳を「クリスマスケーキ」とか言いましたけれども、適齢期というのは、もうちょっと前の時代にはもう少し広がっていたものなのです。特に階層によって違いました。下のほうの階層の人は奉公に出ないといけませんから、奉公に出て、結婚費用をためるまで結婚できないのです。そうするとけっこう年齢に開きが出たものなのですけれども、この時代に適齢期というものが成立します。詳しく江戸時代を見ますと、地域差がありまして、例えば東北には適齢期があったとか、いろんな詳しいことがあるのですが、それは省略いたします。
このように、人口学的イベントの特定年齢への集中ということが起きます。「人口学的イベント」というのは、聞き慣れない言葉かもしれませんけれども、死亡とか婚姻とか出生とか出産とか、そういうことを「人口学的イベント」というふうに言います。ただものの言い方ですけれども。その人口学的イベントが特定年齢に集中するというのがこの時代の特徴です。何事にも適齢期ができるということです。死ぬのにも適齢期がある。40代で死んだら、すごく気の毒がられる。
そういうふうになりますと、ライフステージが明確化します。このイベントとこのイベントの間がこれ、だから、結婚したら新しいステージ、それから、相手が死んだら新しいステージというように、ライフステージをはっきり区切ることができるようになります。子供を産んでいる時期と、子供を産み終わってしまった時期というような区分もできます。昔でしたら、42歳ぐらいまで産んでいましたし、けっこう早く死ぬ人もいましたので、産んだ後の人生があるかどうかわからなかった。でも、人生のライフステージがはっきりと成立してきます。つまり、標準的ライフコースというものが成立したということです。
このごろ、自分の子供などを見ていて、こんなにしていたらみんなとずれてしまうと思ったりして心配することがありますよね。みんなはこんなふうにしないのにと。それは、標準的ライフコースというのが頭にあるからそういうふうに見えるわけです。しかし、標準的ライフコースはこの時代にまさに成立したものなのです。つまり、人生の安定性、画一性、予測可能性というものが人口転換の結果として増大しました。そこで成立したのが標準的ライフコースです。
このあたりのこともこの教科書の9ページに書いてありまして、9ページの真ん中あたりで、「画一的で安定した標準的ライフコースが成立した」というようなことが書いてあります。次の段階で「ライフコースの多様化」。1970年代以降、今度はライフコースの多様化が起きてきた。こういうふうに子供たちに説明すると、今、自分たちはどういう時代に生きているのだという自覚ができると思うのです。親と同じにしたいのかしたくないのか、できるのかできないのかというように、自分の一生を予測できる部分と、選択したい部分とを、きっちり考えられるようになると思って、こういう書き方をしています。
さて、標準的ライフコースが成立したのですけれども、その時に、みんなのライフコースが一緒になったかといいますと、実は違うようになった部分がありました。それがジェンダー、性別によるライフコースの違いということです。
それまでは、男も女も、ある程度以下の階層であれば奉公に出ました。男と女の人生が違うというよりも、階層によって違うとか、地域によって違うということのほうが大きかったと思うのです。ところが、この時代に人生の違いというものが減ってきまして、性別による違いというものが逆に強まってきます。つまり、男性は働いて女性は主婦になるという、こういうコースが出てきたということです。
このあたりは税制調査会の一つのポイントになるところだろうと思うのですけれども、主婦というのは何なのか。女性の当たり前の生き方が主婦であった。それが今変わってきているというのは、非常に短期的な見方なのです。長期的に見ますと、主婦というのはいませんでした。ほとんどいなかった。武士の奥さんとか、そのぐらいは少しいたわけですけれども。ある時代に主婦が成立します。それがまた今、共働きが増えているにすぎないのです。
またグラフを見ていただきたいと思います。グラフばかりの資料の1ページ目の左上を見てください。これは年齢別女子労働力率の変化を示したものです。戦前から描いてあるのがポイントでして、梅村又次さんの推計ですけれども、戦前はM字型ではないのです。一番上の点線が1880年です。これを国際比較しますと、今のスウェーデンやアメリカに似ています。というか、タイに似ているというのが本当は正確です。2つ下のグラフ、図1-1というのが、現在の各国の年齢別女子労働力率ですけれども、これでいわゆる台形型という、主婦がいないパターンを描いていますのが、アメリカとスウェーデンと、もう一つはタイです。つまり、これは非常に大ざっぱに言ってしまうと、タイでは近代以前型の共働きが続いているのです。日本のパターンもそれに非常に近かったと言えると思います。
右側の真ん中の図1-3をご覧いただきたいのですが、これが女子労働力率の長期変動を示したものです。これを見ていただくとどうでしょうか。日本は実は一貫して一番高いのです。これはヨーロッパの国と比較していますけれども、日本の女性は家庭的だというのはうそだということがわかりますね。歴史的に見てみると、日本の女性ほど働いてきた人たちは少ないのです。近代以前の段階で国際比較してみますと、女性の労働力率が一番高いのは、日本と東南アジアです。ですから今タイと似ていたと言ったのですけれども、これは根拠がありまして、共働きの文化圏があったと思うのです。
ヨーロッパのほうは逆に、もうちょっと低めであったのです。今、労働力率の高いアメリカとかスウェーデンは、むしろ女性の労働力率が低い社会でした。そこから働くようになったので大騒ぎするのですけれども、実はそれも19世紀に下がったらしいのです。
近代化と女性の働き方の変化というと、近代化すると女性が働くようになると思っている方がもしかしたらいらっしゃるかもしれないのですが、それは違いまして、近代化すると女性がまず主婦になるのです。考えてみればそうです。生産力の低い社会で、奥様ばかりいたら、みんな食べていくことができなくなってしまいます。働ける人は働かないとなりません。同じことが今、少子・高齢化で起きているにすぎないわけです。
女性たちも働いてきたわけです。それが近代化とともに、一回主婦になった。その主婦になったところを私たちは当たり前だと覚えているので、そこからまた変化するとびっくりするのですけれども、実は人類の半分を主婦にできたなどというのは特別な社会です。大人の半分が主婦であるなどということは贅沢です。贅沢な歴史的段階の、贅沢な国でしかできなかったことです。
それが日本でどう起きてきたかというのが、左上の図序-1で示したことでして、1880年が今見ていただいたもの。それから1900年、M字型ではないですが、下がっています。それから1920年はもっと下がる。それから戦後になると、今度はM字型になっていきます。M字型になって一番切れ込むのが1980年ぐらいです。M字の底が非常に深くなっています。そこから、今2000年はずいぶんとM字の底が浅くなっている。このM字の底が深い、主婦の多い時代から、今のようになるところを私たちはよく見ますので、女性が主婦でなくなった、とんでもない時代が来たというふうに思いますけれども、戦前はどうだったのかというのをちょっと思い出してみたら、みんなそうやって生きていたのだなというふうに考えられると思います。
大事なところだけゆっくりお話しさせていただいて、最後はちょっと急ぎたいと思うのですけれども、この「家族の時代」の特徴を、では今度社会について見てみます。もう基本はお話ししましたので、さっといきます。
産業構造の変化が起こりました。雇用者中心の社会になった。この時代は労働力が多いですから、その人たちがこういう産業構造の変化を支えていきます。
性別分業がはっきりしてきた。潜在的余剰労働力が主婦になったとも考えられるのではないか。人口過剰の時代ですので、それをうまく解決する方法だったのではないかというふうに、ル・プレなどは仮説を立てています。
この潜在的労働力過剰時代というのは、人口学のほうでは人口ボーナスの時代とも言われるのです。働き盛りの人口が多い時代です。ですから、それを生かせば大きな発展もできるのだけれども、雇用が見つけられなければ大変なことになってしまう。しかし、日本は幸いなことに、完全雇用と高度大衆消費社会の実現、そして豊かな社会を実現することができました。
では、この時代に家族はどうなったかといいますと、家族の絆の安定化ということがいえると思います。死亡が減少しました。それから離婚も減少したのです。このことによって安定した家族というものが初めて成立します。先ほど申しましたように、「共白髪」というのは、昔はとってもラッキーなことだったのです。家族が安定するなどというのは、本当にラッキーなことでした。ところが、この時代になって、だれもが、結婚したらこの人と一生添い遂げられる、好もうと好まざるとに限らず、一生添い遂げてしまうらしいという、そういう時代が来たということになったのです。
ちなみに、今死亡によって夫婦の絆が壊れる話をしましたが、分析しますと離婚というのも非常におもしろいものでして、グラフのほうの資料の最後の4ページ目を見ていただきますと、右の真ん中に図10-6というのがありますが、離婚率のグラフは、私たちは戦後だけ見慣れています。そうすると、昔は離婚率は低くて、どんどん上がっているというふうに見えるのですけれども、それは統計の詐術です。もっと左側まで入れないといけません。戦前の離婚率は、1900年ぐらいの離婚率は1980年代と同じぐらいです。離婚率が高くなって大変だといわれた80年代と同じぐらい、明治の人は離婚をしていたのです。
日本は、国際的に見て離婚率の高い社会でした。これもやはり日本と東南アジアなのです。キリスト教圏はキリスト教の規範がありますので、離婚できません。それから、中国も日本のようには離婚しません。2人目、3人目の奥さんがもらえるので、1人目が嫌なら2人目をもらえばよかったからという説明もあるのですが。そんなお金持ちばかりではないと思いますけれども。でも、タブーが多かったです。「貞女二夫にまみえず」などといいまして、日本も口では言いましたけれども、江戸時代を見ると全然守っていません。武士でもどんどん離婚しますし、どんどん再婚します。その年のうちに再婚する人がかなり多いです。その年か次の年には再婚します。つまり、家族というのは経営体ですから、1人いないと困るのです。ですから、早く次を探さないといけません。そういう形でどんどん次へ次へということで、「人には添うてみよ、馬には乗ってみよ」というふうにしていたのが、私たちの先祖なのです。
ちなみに、イギリスと比べるとどうなるかというのがその上の図10-5にあります。上のほうにいくほど家族が壊れやすい、夫婦が壊れやすいということですけれども、イギリスの家族の壊れやすさに比べて、東北日本を見てみると、当時のイギリスの比ではないということがおわかりになると思います。江戸時代の東北日本の離婚率は、今のアメリカ並みです。
そのような状態だったのですけれども、この離婚率も低下しまして、死亡率も低下して、家族の絆が安定化します。そして性別分業も成立して、標準家族というものが成立してきます。稼ぎ手である夫、主婦である妻、かわいい子供が2~3人。すべての社会成員が家族に帰属する。それが当たり前だという社会が成立します。この条件によって、家族を単位とする社会というものが構想可能になったのです。それで戦後の日本社会のさまざまな制度は家族を単位としてできていますけれども、これは、ある特殊な時代の、特殊な人口学的な条件に支えられていたのだということが、今までお話ししてきたことです。
もうお時間ですので、そのあとはほとんど省略いたしますが、「個人の時代」で言いたいことは、今の条件が全部反転していくということです。死亡率は上がりませんけれども、離婚率が上がるようなことによって、夫婦の絆はまた揺らいでいきます。そうすると家族はまた不安定になります。それから、雇用も不安定になっていまして、さまざまな人生の選択をせざるを得なくなっています。標準的ライフコースが消滅したわけです。それで若者たちは、どのライフコースを自分はとったらいいのかというので、逡巡しているのです。だから、若者がだらしないのではなくて、標準的なライフコースがない時代に――自分が若いと思ってください、どんなに不安か。(笑)今そういう時代になってきているのです。
それから、共働きが増えてきていますけれども、夫が失業するかもしれないのに、主婦なんてやっていられませんよね。それから夫のほうも、妻子を一生養っていくのにこの職種なら大丈夫という自信を持てるでしょうか。それがやはり若い人が結婚できない理由だと思うのです。銀行へ入ったって、できないかもしれないのですから。
そういうわけで、今は生き方を変えざるを得ない。結婚したいと思えば共働きにならざるを得ないのです。それから、夫婦とも働きながら、職業を犠牲にしないで、収入を犠牲にしないで子供が産めなかったら、やはり産まないのです。そういう時代になってきたというだけなのだと思います。
教科書のほうを一目だけご覧いただきたいのですが、ちなみにちょっとだけ説明を。13ページに近代以前の家族と近代の家族はどう違うかということを、機能の変化ということでここに書いてあります。下の絵ですけれども、近代以前の家族はいろんな機能を持っていたというけれども、コミュニティや親族に支えられてのことだったというのがここのポイントです。
ちょっと見ていただきたいと申しましたのは、23ページの真ん中ですけれども、「女性の働き方」というので囲みのコラムを作ってあります。これは「国民生活白書」からとらせていただいたのですが、短大卒で生涯フルタイムの場合と、それから1回出産退職して、その後、パートタイマーで働いた場合の生涯所得というのを試算したものが「国民生活白書」にあったのです。それによりますと、フルタイムで働けば2億3,600万円、ところがパートタイマーになれば5,100万円だそうです。22%になってしまうのです。ほとんど一生働いているのはあまり変わらないのです。M字の底の時期にちょっと仕事を離れただけで、このだけのサンクションを受けるのです。そう思ったら子供を産んで家庭に入れないと思いませんか。生涯収入の8割を失うと思って、それでも子供を産むでしょうか。男の人ならどうするでしょうか。それに女の人が躊躇するのも当たり前です。その女の人の夫も躊躇すると思いませんか。しかも、夫の収入も不安定な時代です。
このような条件を考えて、では、これからの処方せんは、というので、レジュメのほうの2ページ目ですが、家族単位から個人単位へ、それからライフスタイル中立性、タックス・ペイヤーの尊重、この3点を挙げました。この方向でこれからいっていただけたらありがたいなと思っております。
どうもありがとうございました。
〇石小委員長
どうもありがとうございました。大半貴重な、かつ、身にしみるお話をいただいた感じがしますね。いろいろ各人各様問題意識を新たにしたと思います。
それでは、少し時間がございます。先生にいろいろご質問したいことがあろうと思いますので、10分か15分ほど時間をとりましょうか。どうぞ、どなたでもけっこうですから。
〇水野委員
大変貴重なお話をありがとうございました。ちょっと質問させていただきたいのですが、グラフのNo.1の一番最初の日本における女子労働力率の変化ですが、ここで女子労働力と言っている場合には、パートタイムとフルタイムは区別されていないのでしょうか。
〇落合助教授
パートタイムでも労働力に入っていると思います。
〇水野委員
パートタイムの理解の仕方ですけれども、パートタイムというのは、主婦があいた時間を使って働いているというものではないのでしょうか。先ほど、主婦というものは、今までは成立していたけれども、だんだんそういう地位はなくなっていくと言われました。日本では必ず103万円の壁などという話になりますけれども、パートタイムというのは日本の特色なのでしょうか。というのは、やはりパートタイムというものが位置づけられているのは、主婦が主婦でなくなる時間を考えてこういう労働力になっているのかなと思ったのですが、それは間違いでしょうか。ちょっとお教えいただけますでしょうか。
〇落合助教授
まず、このグラフを作る時に、何を「労働力」と定義したかですけれども、戦前は推計値ですし、戦前の場合ですと、内職は入っているのかとか、そういうことがいろいろ問題になります。だから定義の仕方によってくるところはもちろん非常に大きいのです。これは調査の方法によって違いますけれども、普通いうパートタイムは大抵入っていると思います。ただ、本人がそういうふうに回答してこない場合に入らなかったりするのです。
では、パートタイムというのはどういうことなのかですけれども、パートタイムとは何かということを考える時には、主婦とは何かというのを考えることと裏表なのです。今は主婦とは何かというのがすごくあいまいになっている時代だと思います。収入があっても100何万までなら主婦であるとか、保護が受けられる範囲というのがありますよね。税金の保護が受けられる場合と、それから年金の場合もありますよね。それの金額が違います。ですから、今、主婦というのはすごく間にグレーゾーンがあるのです、主婦か主婦でないかを決めている。
その主婦の定義を決めているのが実はここの場なのだろうと思うのです。いくらまでだったら税金がかからないからということで、その中に労働時間を調整しているのは、私が頼んでいるアルバイトの人などもそうです。熟練しているので、もうちょっと働いてほしいけれども、調節するんです。それは家事労働との関係で、これ以上働けないからというよりも、やはりこれ以上働くと税金を払うので損だからといって、ここで調整します。それから、年金のことも考えると、もっと思いきり稼げるのだったらもっと働いてもいいけど、というようなことです。
家事時間との関係ですと、家事時間は今かなり短くなっています。いろいろな合理化の方法もありますので。ですから、主婦をパートにしているのは、むしろ制度のほうだと思います。
〇尾崎特別委員
レジュメの「3 家族の時代」の「個人」のところで、標準的ライフコースの成立ということですが、これはいわゆる年功序列型の給与体系ということと関係がありそうな気がするのですが、その点いかがかということ。
それから、もう一つ、図1-3で女子労働力率の長期変動というのがあります。これは農業の家族内の労働力というようなものが入っているのでしょうか。
その2点をお願いします。
〇落合助教授
では、あとのほうからお答えしますけれども、入っていますということになっているのですが、実はスウェーデンとかアメリカについては詳しい研究がありまして、こういうところでは農場主の妻の労働というのが抜けています。農場主の娘の労働というのはある時期からカウントするのですけど、質問の仕方を見ますと、妻がなぜか抜けているのです。ですから、それを補正した研究もありまして、そうすると、1920年代、1930年代を底にしまして、その前はもうちょっと上がっています。日本などは農業は入っていると思います。ほかのところもわりと入っていると思います。
それから、標準的ライフコースの消滅ですけれども、年功序列の消滅というのもあるのですが、もっとそれ以前に、就職する時期がものすごく多様化しています。それから、パートタイムの話が出ましたけれども、男性でもパートタイムといいますか、アルバイトといいますか、フリーターといいますか、あいまいな形の労働も盛んですよね。それから、結婚の時期も多様化していますし、結婚をやめてしまって、また始める人もいたり、それから、子供を生む時期も多様化しています。ですから、年功序列の消滅というのは、その一部のことでして、もっと大きい変動が起きていると思います。
〇河野特別委員
先生みたいな説得力のある人が、高等学校の教科書を書かれると、今の動きがさらに加速されるのではないかと思って……(笑)、そうか、我々はそう考えるべきかとなるかもしれない。それは冗談ですけどね。
お尋ねしたいのは、家族から個人という流れは、一体どのぐらいのテンポで、どこまでいくのだろうか。ここはずいぶん年寄りが多いから、夫婦で子供2人というような標準家庭に近いと思うのですけど、だんだん比重が下がっていくかもしれない。今は4割ぐらいですか。2割や3割ぐらいのところで底打ちするのか、ずっと個人化が進んでしまうのか、この点はどんなものですか。
〇落合助教授
夫婦と子供で、さらに妻が専業主婦というと、現在は15%とか10%台ですね。社会全体のそのぐらいになっているのです。
どんどん加速するかということと、個人化ということの定義ですけれども、私、個人化するというのは、家族を作らなくてひとり暮らしの人が増えるという意味では使っていないのです。今日ははっきり申しませんでしたけれども。一人でも暮らせるというのが個人単位ということだと思うのです。一人でも暮らせるけど、人と暮らしたいということはありますよね。それは大いに結構だと思うのです。
でも、一人では暮らせないのだということになると、一人では暮らせないから人に寄りかからなければいけない。だから、もう関係は悪くなっているのだけれども、この妻を捨てられないとか、いろいろあると思うんですよ。妻のほうから見ても、夫が定年して退職金をもらうまでは一緒にいないといけないとか。そういうのは、私は家族の本当の意味での解体だと思うのです。心の側の解体。それを防ぐためには、一人でも生きていけるのだと、少なくとも制度面の差別はない、夫がいるいないであとで年金は変わらない、自分が働いたものから年金をもらうのであれば、この男性と一緒にいるかどうかは、それと全く別の選択になりますよね。私はそういう社会がいいのではないかと思っているということです。
〇河野特別委員
正式な婚姻状態ではなくて、同棲生活が自由に行われて、そこで子供がどんどんできる。スウェーデンみたいな社会ですね。そういう社会になるんですかね。
〇落合助教授
なるかどうか、日本というのは、実は江戸時代にはけっこうそれに近いところがあったのです。日本は婚外子の出生率は大正時代ぐらいまで10%を超えていたりしますし、今、私たちがイメージしている日本とずいぶん違います。結婚の前に子供がどんどん生まれますし、結婚の外でも生まれますし、結婚というものをあまり重んじない、キリスト教みたいな秘跡と考えない社会でした。だから今は逆転してしまっていまして、もしかすると日本では、ヨーロッパみたいに結婚を事実婚にしてしまうのも簡単なのかもしれないですね。
でも、そういうスウェーデンでも、事実婚になっていますけど、けっこう絆はしっかりしている人たちはしっかりしていまして、届を出していない人たちでうまくいっている人はうまくいくし、続いている。続かない人はどこでも続かないのです。
〇石小委員長
まだいろいろあるかもしれませんが、山田先生のお話もあるので、一緒にまた……。では、遠藤さんだけ、どうぞ。
〇遠藤特別委員
あるいは私の聞き落としかもしれませんが、この図表の1で、昔はずいぶん女性の労働率が高かったというのですけど、この中には農業というのはどういう位置づけになっているのですか。要するに、農家の主婦や子供は労働力として計算されているのかどうかをちょっとお聞きしたいと思います。
それから、もう一つは、昔の時代と今とで、女性が働かなければならないというか、働く理由が今と全然違うのではないかと思うのです。昔は働かないと食べていけない。だけど、今は喜んで女性が働く、そういう環境ができてしまっていて、そのことが逆に家族構成に影響を及ぼしているのではないかという感じがちょっと先生のお話を聞きながらして、昔と今とは、女性の働く理由というか、それが全然違うのではないかと。そこの分析が必要なのではないかなという感じがしたのです。ご意見があったらお願いします。
〇落合助教授
このグラフでは農業に従事している女性も入っています。
それから、今のお話については、男性である年齢以上で経済階層の高い方たちは、理想だと思っている家族を作れているんですよ、どの時代でも。今でもそうですし、江戸時代でもそうです。ですから、その方たちが経験している家族というのは、社会の中で偏っています。つまり、今でもお金のために働いているんですよ。そうじゃありませんか。子供をいい学校に入れたいとか、住宅を買いたいとか。住宅も要らない、教育もつけないのであれば、夫の給料でやっていけます。でも、大抵そこのところで女性は働くんですよ。それは贅沢とか楽しいから働いているのでしょうか。
〇石小委員長
まだおありと思いますが、山田先生のお話を聞いて、追加的に時間がありましたら落合先生のほうにもというように、少しスイッチさせていただきます。
それでは、後半になりますが、山田先生のほうから、また家族についてご意見を承りたいと思います。山田先生については、「パラサイト」という言葉ですぐぴったりくる先生でございますから、それ以上ご説明することもないと思いますから、自己紹介も兼ねてご説明ください。
〇山田教授
どうもありがとうございます。別に私はパラサイト・シングルだけが専門ではないのですが、ある企業研究会で家族について説明したら、パラサイト・シングルのことを一言も言わなかった、それで帰るわけにはいかないと言われて、最後に言わざるを得なかったこともあります。
すみません、そういう話から始めまして。今日はこういう機会を与えていただきまして、どうもありがとうございます。落合さんと同級というか、いろいろ前後しながら、お互いに多分影響を与えながら研究を続けてきました。指導教官が一緒で、家族の研究をしたいといった時に、落合さんは人口とか歴史とかそういうところでしっかりやっている、だからおまえはそれをやるなと言われまして、それで、おまえは感情とか社会心理とか、あと新しいところをやれと言われまして、そういう役割分担をしながら研究を続けてきました。今日もちょうどいいぐあいに、落合さんが終わったあとぐらいから私の話が始まるという形で、接続がよかったのかと思います。
あと、よく言われるのですが、私の話が暗いと。顔はニコニコしているのだけれども、私が話す話はよく暗いと言われているのです。まあ仮説といえば仮説なのですけれども、当たらなければ儲けもの。私の言っている仮説が当たらなければ、私は残りの人生をただの教授として過ごせるかなという気がするのですが、もし当たっているとしたら、かなり今は深刻な時期なのかなという思いで発表させていただきます。
まず、落合さんがいろいろ言ってくださったので、最初のは多分省略してもいいと思うのですが、家族のあり方というのは、社会・経済状況に規定されて、特に近年は、先ほど落合さんが言ったように、変化のスピードが速い。つまりさまざまな経済世界に生きる世代が共存してしまっているというところが1つのポイントかなと。多分、産業革命で社会が変わったという時に、日常的な人々の生活はちょっとずつちょっとずつ変わっていったと思うのですけれども、今はとにかくスピードがどんどん速くなっているというのが第1点だと思います。そのためにお互いに理解できないような現象が起きているのだなという気がします。
第2番目には、私は感情と言いましたけれども、お金と愛情の視点が重要である。なぜ重要かというと、格差があるからです。つまり家族というのは、生活の場であると同時に愛情確認の場で、難しいのは経済力とか魅力というのは一様に持っているわけではない。そして、格差の現実とか格差意識というのが、人々の行動や心理や幸せ感に相当影響を与える。別に格差が悪いというわけではありません。悪平等もあれば絶望を生み出す格差もある。つまりいい格差と悪い格差があるということが前提でございます。
まず時代区分ですが、落合さんに多少付け加えるならば、多分、私は1990年代後半から違った社会ができてきたのだろう、というところが大きいと思います。明治時代はほとんど人口の8割ぐらいは農家でしたから、かつ、9割以上は多分自営業だったと思います。戦前も明治期と工業が発展した大正末期では相当違いますけれども、自営業、つまり家というのは生産共同体で、家業の継続を目標とする家族であった。
戦後、サラリーマン社会が形成されるわけですが、戦後家族というのは、戦後家族モデルの盛衰史として表すことができるだろう。75年ぐらいまでの高度成長期は形成期、75年から98年が低成長期で成熟期、戦後家族モデルの微修正。そして98年、あとでなぜ98年かというのを説明しますが、いわゆるニューエコノミーとか、グローバル化とか、IT化とか、そういう新しい経済が浸透することによって、二極化が起きて、解体せざるを得ない時期だと認識しております。
ここでまず家族とは何かというのを一応私なりに言っておきますと、「選択不可能、解消困難で、長期的に信頼できる関係性、絆とかかけがえのない関係」というふうに私は定義しております。それは近代社会においてという意味で、国家と家族というのは近代社会に入って、国民、国家と家族というものが成立してくるわけですけれども、昔は職業であろうが、住む場所であろうが、ほとんどの場合選択不可能、結婚相手さえも選択不可能であったものが、近代社会になって、職業選択の自由、居住の自由、移動の自由などができるようになった。その際に国家と家族だけは選択不可能な関係として残った。そして、今、グローバル化なり個人化なりといって、多分、大変動のさなかにあると私が評価するのは、国家の枠組みと家族の枠組みがだんだんと崩れてきている。つまり、選択不可能、解消困難とは思えないようになってきている、というような時代になっているからだと思います。これは別に日本だけではなくて、欧米で言われていることでございます。
ただ、私は家族というのは、近代社会においては必要な存在だと認識していまして、それは自分が必要とされる存在であることを納得する、アイデンティティーというふうに呼びますけれども、近代社会においては、家族というものはアイデンティティーを供給する。かつ、最近職業でアイデンティティーを持つのが非常に難しくなっている。職場で俺がいなければ、もうこの会社は成り立たないと思える人がどれだけいるかを考えれば、俺がいなければ家族が生活できないとか、私がいるから子供がという形で、必要な存在であることを確認するには、家族が一番手っ取り早いといえば手っ取り早い存在であります。
これは、前近代社会は別に家族でなくてもいいわけです。というか、家族では逆になかったわけで、前近代社会においては、宗教とか共同体の中で自分が位置づいていた。先ほど落合さんが、江戸時代は離婚も多いし、死別も多いし、かつ、養子も多いし、死亡率も高かったから、家族関係は不安定だとおっしゃいましたけれども、実は落合さんも、それが可能だったのは家が安定していたからだと、落合さん自身も本の中に書いております。つまり、離婚をしても戻る家があるから、離婚をしても大丈夫だったわけです。また離婚をして、そこから再婚をするという形になりました。確かに江戸時代は独身者は非常に多かったですけれども、独身者は一人で住んでいたわけではなくて、部屋住みの人として家の中に包摂されて住んでいたわけです。つまり、家というのが確実なものとしてあったがゆえに、家族関係が不安定であっても、人々は経済的、精神的な安心感を失わなかった。
だから、今の近代社会においては、もちろん家は不安定でありますし、共同体は、私は村の一員で、村の一員として一生生きるんだという人がいればいいですけれども、なかなか思えませんので、ほとんどの人が家族という関係を持ちたいと願っている。独身者が増えたと言いますけれども、独身者の9割は結婚したいと思っている。また、結婚しなくても一緒に住みたいだとか、結婚しなくても子供は持ちたいだとか、何らかの確実な人間関係を持ちたいと願っているのが近代社会における人間だと思っています。
先ほど、家族の団らんよりも一人でいる時間がいいと言いましたけれども、私はインタビュー調査がけっこう好きでして、ある地方の新婚家庭にインタビューして夫婦関係を追いました。「あなたが一番ほっとする時はいつですか」と聞いたら、共働きをしているのですが、「奥さんが働いて、僕が家に一人でいる時が一番ほっとします」と新婚家庭で答えています。かと思ったら、中年のご夫婦のインタビューでも、「夜一人で布団の中にこもって本を読んでいる時」と答えるように、面倒くさいから家族は要らないということではなくて、面倒くさいのだけれどもいてほしい存在が家族だと私は思っております。
私は今『ペット社会は日本を救う』という本を執筆中なのですが、ペットを飼っている人は、別に癒しで飼っているというよりも、帰った時に奥さんや子供は「おかえり」と言うだけだけれども、犬の何々だけは私のところにパッと寄ってきてくれる。ああ、俺は必要とされているのだと、そこで初めて思うというように、何らかの形で必要とされる存在というものを人々が求める以上、家族を持ちたくなくなるということは、私はまずないのではないかと思っております。
次に、少子化についてですが、ここは少子化の構造転換ということで、家族を持ちたい、子供を持ちたい、という欲求自体は存在しているのだけれども、人間ですから、家族を持って、子供を持てば、それだけで幸せということはなくて、ある程度生活水準を保ちたいという欲求も存在するわけです。だから、私は子育て期にある若者の期待と現実のギャップが少子化を生み出すという仮説を出しました。つまり、結婚や子育て生活に期待する生活水準はどれぐらいか、カップルが稼ぎ出せる所得水準の将来見通しはどれぐらいかというのを計算して、伸びを比較して、結婚するか、産むか、結婚しないかを決める。
私が『パラサイト・シングル』で言ったのは、親元の生活水準があまりにも高すぎるゆえに、結婚をして独立をすると、生活水準を下げなければいけない。これだと結婚を延ばす人が増えてくる。
エピソードを話せばいくらでもできるのですが、時間がないので、この話は時間があればすることにします。
1945年から1955年は、落合さんが言う第一の人口転換で、結婚、子育て生活に期待する生活水準が急上昇したゆえに急速な少子化が起きた。逆に高度成長期は、カップルが稼ぎ出せる所得水準の将来見通しが高まったため、人口定常なのだけど、低成長下においては、期待する生活水準は高いのだけれども、所得水準の見通しがだんだん少なくなり、そして、90年以降は、もう経済基盤が不安定になって、こんなので子供を産んだら、子供がちゃんと育てられるかわからないぐらいになってしまっている。
16年もお金をいただいて、東京と地方で30歳前後の若者に対してアンケート調査をしました。独身女性に対して、「夫の収入が年収何百万だったら結婚しますか」という問いで、3分の1ぐらいは、200万以上あれば結婚しますと。東京で調査するとさすがにいなくて、400万円以上、600万円以上ですが。
反対のデータで男性のデータを見てみて、では200万円以上稼いでいる30歳前後の未婚の男性はどれぐらいいるかといったら、3分の2ぐらいいた。ということは、逆にいえば3分の1ぐらいの30歳前後の地方農村部の若者男性は、年収200万円以下だったということ。もちろん、正確な統計ではなくて、私が約500人に行ったアンケート調査ですけれども、こういう状態だったら、先ほど落合さんがおっしゃったように、男性の収入も不安定になっている中で、子供が生まれちゃったら、けっこう大変で悲惨な状況になるなと思うのは当然で、それは産み控えるだろうなと思いました。
落合さんが述べてくれた戦後家族モデルというのを、今度は社会心理的な側面から見てみるとどうなるかというのが、2ページ目からのものです。1950年から1974年ぐらいが戦後家族モデルの形成期と言いますが、夫が仕事、妻は家事・育児で豊かな生活を目指す家族。先ほど言いましたけれども、当時のアメリカのミドルクラスは、日本以上に専業主婦が多かった時代です。その時にテレビドラマで、「パパは何でも知っている」とか、「ルーシー・ショー」とか、お父さんが帰ってくると、お母さんがケーキを買って待っていて、みんなケーキを食べながらその日のことをしゃべるなんていうようなドラマが出てきて、多くの人は、そういう家族になれればいいなという意識で家族を運営して行った。
まず第1点は性役割分業。企業社会、雇用者社会で、男性が朝から晩まで働く社会ですから、その裏には子育てとして専業主婦が必要だった。
先ほど専業主婦の定義と言いましたが、私は本の中で、「専業主婦は夫の収入によって生活水準が上下する存在、それ以上でもそれ以下でもない」と定義しました。
最近、年金が流行りで、1つだけエピソードを披露しますと、あるテレビのワイドショーで、これはきつい企画だと思いますが、夫の年収が1,000万円、800万円、600万円、300万円の専業主婦を集めてきて、「あなたの将来の年金を算定します」というような特集が組まれていました。その結果、夫の年収1,000万円の専業主婦の人は、「あなたは大丈夫でしょう」、夫の年収300万円の専業主婦の人は、「年金が来る前にお宅の家計はこのままだと破綻しますよ」というふうに診断されて、どうしましょう、働きに行かなきゃ、というふうになっているというような番組がありました。
つまり、専業主婦としていくら頑張ったって、生活水準がそんなに上がるわけではない。せいぜいスーパーで安いものを買ってきたら多少はなりますけれども、それでも追いつかないということですので、専業主婦というのは、夫の収入によって生活水準が上下する存在ですが、それでもよかったというのがこの時代なのです。それはなぜかというと、あとでもう一度言いますが、夫の収入がみんな上がったというのと、あまり差がつかなかったという、その2点においてそうだったわけです。
愛情の役割分業は、夫の給料と妻の家事が愛情の印だったということです。別に企業のために働いたわけではなくて、落合さんもおっしゃいましたけれども、企業戦士のように見えたのは、実は家族のために働いていたわけで、その証拠にと私はよく説明するのですが、もし企業のために働いてきたのだったら、退職金をもらっていい生活をしたあと、自分の企業がつぶれた時に、退職金を使ってくださいと企業に差し出した人は私は一人も聞いたことがありませんので、豊臣恩顧の大名が全部家康に寝返ったと私はよく言うのですけれども、結局、企業のためにではなくて、家族のために、妻、子供のために働いてきたということです。
広い住宅と家電製品と子供の学歴というのは、豊かな生活のシンボルとしてあった。それは感情的に豊かな生活、愛情あふれる生活を目指すものである。ポイントは、それを目指しているのが重要だったということです。つまり四畳半から初めて社宅になって、マンションに変わって、賃貸マンションに変わって、一戸建てを持つ、というような形で、アメリカのミドルクラスのような家族に個々の家族が追いつくことが、幸せ、喜びであった時代でした。そして、ポイントはほとんどすべての人が実現可能なモデルであったというのが、このモデルが成功した最大の理由です。
その最大の機能は、私は人々に生きがい、希望を与えたと思います。社会心理学者のランドルフ・ネッセという人は、希望というのは努力が報われると感じた時に生じて、絶望というのは努力が虚しい時に感じると。別にその人が豊かな生活をしているか、していないか、というのと希望とは全く関係がない。自分が今やっている努力なり苦労なり、そういうことが将来の時点で報われると感じた時に、人々は生き生きと生きられるのだという説をうたっています。それはちょうど戦後のこの時期の家族に当てはまって、家族が豊かになるために夫は仕事、妻は家事・育児で努力をして、最後は一戸建ての住宅と高学歴の子供と快適な生活を手に入れられるということです。
前近代社会というのは、宗教がありましたので、来世がその報いを保障していたわけです。つまり、もちろんお金持ちもいて、庶民もいて、庶民は一生貧しいわけですけれども、一生懸命生活して、ルールを守って生活すれば、死後の世界で救われる。逆にそれはお金持ちへの節制になるわけで、あまりお金持ちだからといってパッパッパッと使ったりあくどいことをしたりすると、死後の世界で地獄が待っているぞといったようなことで、希望や節制をつないでいたわけです。
2番目には格差縮小の期待があったということです。つまり格差は時間が埋める。今、隣の家は一戸建てを買えたけれども、うちは買えない。だけども、何年か後に頭金を貯めれば、うちだって一戸建てを買えるという形で、格差というものがあったとしても、それは時間で埋めることができた。
3番目は生活リスクから人々を守るというのがありました。
その条件としては、第1が経済の持続的な成長であります。ロバート・ライシュに倣って大量生産・大量消費の「オールドエコノミー」というふうに述べますけれども、欧米だと1930年ごろ、日本だと1950年ごろから企業社会になりまして、男性労働者の収入が持続的に増大する。つまり、男性は企業に入りさえすれば、収入増が期待できたという条件。
2番目には、護送船団、系列、下請け、自営業保護、農業保護、日本的な行政指導によって、自営業、農家、中小企業労働者の人々も収入増加が期待できた。豊かな生活が描けたというのが第2点。女性は、まじめに働く男性と結婚して、家事・育児の生活をすれば、早いか遅いかの区別はあるが、最後には豊かな生活に到達できるという期待が持てた。夫の収入が上がらない専業主婦というのは、やっていられないものだと思います。いくら専業主婦が好きだといっても、明日、あさって、生活水準がどんどん下がっていく、このまま専業主婦を続けるかといったら、やはりしないと思います。
社会制度というのは、この時期が前提として作られたので、今もちろんきしみが生じているわけですけれども、先ほど落合さんが言ったように、標準的家族を前提として組み立てられている。
それは3点あって、1つは出生率が安定する。第2点目は、男性の収入は安定していて増加する。例えば厚生年金だったら、同じ企業に勤め続けるから、企業年金でも別に持ち運び可能ではなくても大丈夫。あと、地域ごとに国民年金が組み立てられているというのは、多分、まちの豆腐屋さんとか魚屋さんとか農家の人、つまり土地に縛りつけられている人が自営業で国民年金を払うから、地域の助け合いとして、市町村ごとの国民年金制度ができたのだと思いますけれども、ご存じのように、今は両方の仮定が成り立たなくなっている。
そして、先ほど落合さんが言ったように、家族関係は安定していた。今の70歳ぐらいの人は、結婚率が95%、離婚率が10%ぐらいでした。今生きている人に限れば、結婚率は98%ぐらいでしたか。今、生きている人に限れば、結婚した人はもっと高いですね。
政府が企業や業界を保護し、そして、企業や業界に所属している男性労働者なり自営業者が保護され、男性自営業者、男性被雇用者に妻・子が養われるという依存構造ができていたわけです。だから、今の問題点は、一番最初がこけているわけです。つまり、政府がすべての企業やすべての業界団体を一様に保護することができなくなっているので、ドミノ的に崩壊が起きてきて、最後の家族がうまくいかなくなるのは当然のことでございます。福祉は例外として処理されたということです。
1975年から1997年は、オイルショック後の低成長、安定成長と呼ばれますが、大量生産、消費経済の成熟。
何が起こったかというと、男性の収入の伸びが鈍化した。世代内、世代間ともに鈍化した。結婚している人で夫の収入の伸びが少なくなってしまえば、女性がパートで補うしかない。世代間の伸び鈍化というのは、親も収入が高くなっているので、子供のほうも期待する生活水準が高くなる。つまり、昔、高度成長時代は、もう学卒後就職した時点で親の収入を追い抜いたケースは相当あったと聞きます。親は農家とか、親が小学校卒で勤めている。でも、自分は中卒なり高卒なりで工場に勤めさえすれば、もう親の収入を抜いたという意味で、世代間の高度成長だったのですけれども、もうこの時代はサラリーマンの親が増えていますので、世代間の伸びも鈍化して、それが未婚化に影響を与えました。一方、期待する豊かな生活水準は上昇し続け、特に住宅などは上昇し続けます。
あと、これは多くは述べませんが、情緒的豊かさの水準も上昇して、お金を稼ぐだけでは、なかなか愛情があるとは認められなくなってきて、誕生日に何か買って帰るとか、一緒に映画を観に行かなければ愛情はないのではないかとか、コミュニケーションがなければ愛情がないのではないかというように、愛情に対する考え方がこの辺で転換してきたわけです。
ただ、この時期は戦後家族モデルが微修正されていただけでした。1つはパート労働者化で、つまり収入が低い男性の妻は、パートで働くことによって乗り切る。見かけ上共働きは上昇するわけですけれども、妻は家族のために働くわけであって、働きたくて働いたわけではない。
先日学生におもしろいエピソードを聞きました。うちの大学の近所に大きなパン会社がありまして、そこで学生が時給がいいというのでバイトに行ったら、一日でだめでしたというのです。何をするかというと、桜もちのパンに指で穴をあけるんです。朝から晩まで指であけるわけです。「先生、私、気が狂いそうになりました」とか言って一日でやめた。「よくああいうところでパートでおばさんたちがやってますね」と言った時に、私が何て答えたかというと、「それは一個一個こもっているんだよ。子供の教育費、住宅ローン、子供の教育費、住宅ローン……、一つ穴をあけるたびにちょっとずつ支払われていくんだよ。それでやっているんだよ」と言いました。もちろん、働きたくて働いた人もいますけれども、かなりの部分は、家族のために働いたということですね。つまり、夫の収入が生活を支えるという基盤を維持したまま妻が働くといったら、パート労働しかなくなるわけです。
第2番目は結婚の先送りで、収入が高くなるまで待つとか、出会うまで待つ。これが1975年ぐらいから始まる少子化の基本的な原因だと私は思っています。それは未婚者の属性を見ればわかりまして、親の収入が高い女性は、自分の親以上に収入が高くなりそうな男性でないと結婚しない。専業主婦志向だとそうなりますから、期待水準は高くなって、パラサイト・シングル化する。一方で、収入上昇の見込みが薄い男性が結婚難に陥る。結果的に親の収入が高い女性とあまり収入が高くない男性が未婚者としてどんどん増えてきますから、私はそこが結婚すれば、日本の少子化は解決すると主張しているのですが、なかなかうまくいかないのが現実です。
3番目は愛情と結婚生活の分離で、つまり未婚者は結婚せずに恋愛を楽しむことができるから、別に結婚しなくても構わない。既婚者は、生活は維持したいのだけれども、相手があまり愛情が感じられないといった時に、家庭内離婚だとか、濡れ落ち葉だとか、もしくは婚外での恋愛関係だとか、それが大体1980年ごろから顕著になってきます。
微修正で済んだ理由は、男性の終身雇用だけは守られたということ。あと、これは日本だけの特殊理由ですけれども、豊かになった親世代が成人した未婚者を抱え込む。つまり、欧米のように失業した若者がまちにあふれることはなかったために大丈夫だったため、微修正で済んだ。
そして、落合さんがおっしゃったように、政策上、むしろ戦後家族モデルが危なくなった時期に、戦後家族モデルを強化する政策がなされたということです。つまり、3歳からパートタイムで働くのにちょうどいいような保育園とか、専業主婦優遇税制、主婦の年金負担免除等が行われたということです。
しかし、欧米ではアングロサクソンや北欧中心にモデルの大幅修正が行われて、共働きによって豊かな生活を支えながら、子育てをするとか、貧しくても多様な家族形態を楽しむといったようなものが、北欧、英、米、豪、加などによってなされた。この国はとりあえずは少子化を一定の範囲で食い止めたのですけれども、大陸、南欧、日本という国は、家族がリスクを抱え続ける、あくまで家族を前提とした、かつ、夫が収入を支えることを前提としたモデルをとり続けたために、少子化が深刻化するというのが、いろいろなデータに明らかになっていると思います。
添付資料の図ですが、日本で独身者というのは、ひとり暮らしではなくて、親と同居しているのがメジャーであるというのが3-1であります。3-2は、ちょっと古いですけれども、いわゆる家族中心の社会保障をやっている国は、だんだんと少子化に陥るという関係のものです。
しかし、それで済んでいたからここまで引き延ばされてしまったと思うのです。あと5分ぐらいで終わらなければいけないので、急いで話しますが、どうも1998年からデータがおかしいのです。内閣府の原田さんは「1998年大不況」なんていう言葉をこの前いただいた本で使っていまして、私も1998年がどうもおかしいぞと。4-1を見ていただきたいのですが、自殺率が98年にピンとはね上がります。4-3、4-4を見ていただくと、若年失業率、求人件数が下がり、フリーターが99年にポンと増加しています。4-5をめくっていただくと、平成10年が98年ですから、98、99、2000と児童虐待相談処理件数がポンポンポンと上がっています。離婚率も平成10年から加速がかかります。
そして、青少年犯罪率も、量としては昭和30年代が一番多かったというのが常識で、むしろ最近は少なくなっていたのですけれども、これも平成10年にポンとはね上がっています。そして、いろいろな図があるのですが、性感染症率の増大というのも、どういうわけか、98年から99年、2000年とパンパンパンと上がってきています。4-9の性体験率もそうですし、不登校数というのも90年代後半に上がっています。
さらに、データではないですけれども、引きこもりもこの時期に急増していますし、学習時間は、98年がゆとり教育、新指導要領なのですけれども、4-11の右下で、95年までは学力低下と言われながら、学習時間はそんなに変わらなかったわけです。おもしろいことに、98年からポンと学習時間が減って、学習しない人が急増している図になるわけです。
つまり、ここで制度が予定する戦後家族モデルのライフスタイルからはみ出る人がどんどん増えてきた。もしくは、はみ出るという不安の高まり、もう夫が仕事、妻は家事・育児で、子供を作って豊かな生活というものは、作りたくても作れないのではないかという若者がどんどん増えてきた。もしくは作れない若者が増えてきたということです。
あと、「出来ちゃった婚」が増大するというグラフを入れ忘れましたが、「出来ちゃった婚」もこの時期に増大しています。ご存じの方も多いと思いますが、今は未婚で子供を産む人は少ないのですけれども、第一子の4分の1は結婚してから10か月以内に産まれた子供です。第一子の4分の1ぐらいはそうなっております。すみません、詳しいデータを忘れましたが、特に若い層では、もう4割ぐらいに達しています。
夫は仕事、妻は家事で豊かな生活を目指すといっても、実現する見込みはなくなる。といって新しい家族モデルも実現可能性に乏しい。つまり、先ほど言った微修正による戦後家族モデルの維持がもう限界に達してしまう。
離婚もそうでして、私は今、離婚経験者への聞き取り調査も進めているのですけれども、夫がリストラされたので、離婚して実家に帰ってきたというのが、けっこう地方で増えています。それもこの離婚急増に影響があるのかもしれません。
それはなぜかというと、1つはニューエコノミーの浸透が1つあって、つまり、ニューエコノミーは必然的に雇用の二極化をもたらします。少数の中核的社員と専門能力の高いフリーランスと、大量の単純労働者が必要となります。労働力が不足するのは単純労働者で、若者がなりたいのは中核的、専門的社員なわけですから、そこにギャップが生じるわけです。そして、フリーターの大量出現ということになるわけです。といって、新しいイデオロギーといっても、好きな仕事をし、好きな相手と結婚し、豊かに生活するというのは、それができるのは魅力や能力が上位者のみでありまして、多くの人は夢に終わるということです。
そして、結果的にどうなるかというと、若者家族がだんだん二極分化してくる。つまり、今の40歳以上の人、オールドエコノミーの世界に住んでいる人には、多分想像もできないと思いますが、フルタイム共働き、夫が高収入であるとか、資産のある親にパラサイトできる夫婦というのは、子供を持ちながら豊かな生活をできるかもしれませんが、子育て負担を回避することによって生活を維持できているDINKSとか、パラサイト・シングルとか、男性で収入が低い独身の人は、将来支えるものがなくなれば、すぐ生活水準は下降するわけですし、さらに今、不安定な中で子育てをしている人は、将来も絶望している人が増える。
ある自由主義経済学者の人にこういう話をしたら、自己責任だから、そういう人は放っておけばいいのだということですが、それは社会の不安定要因だろうと私は思うわけです。つまり、努力しても報われない、格差に対して無力感がある、アイデンティティー、自分を必要としてくれる存在がいない人が大量に出てきていると、ここに書いてあるように、やけ型犯罪であるとか、もう社会に出たくないという意味で撤退したり、オウムのような新宗教に走ったり、享楽、アディクション等が増えてくる素地になっていると私は思っています。
対策はあるのか。戦後家族モデルに戻る、サラリーマン・専業主婦モデルに戻ることは不可能です。別にこれはいけないというわけではなくて、アメリカでも25%は専業主婦です。逆にヒューレットパッカードの女性社長のように、専業夫を持つ女性もけっこう増えてきますから、家族の多様化というのはそういう形で進んでいるわけです。
男女共同参画、政策単位の個人化は前提なのですけれども、遅きに失したと私は思っています。欧米ではニューエコノミーの浸透前にフルタイム化が進行したのですけれども、今はフルタイム女性が一般化する前に二極化が進行していますから、能力のある女性は独身でも結婚してもやっていけるのですけれども、大量のフリーター女性が、結婚相手は見つからないわ、魅力のある仕事はないわ、というので滞留する可能性があります。
対策として考えられるものは、以下のように、もちろん男女共同参画は当然ですが、男女の将来にわたる経済基盤の強化、社会制度から漏れた人へのプログラム、多元的で誰でも実現できる多様な家族モデルの創造等が考えられます。
ポイントは、これはぜひ言っておきたいのですが、「ガダルカナルにしてはいけない」ということ。厚生労働省で発表したら、みんなきょとんとして、ほとんど理解されませんでした。私のような戦史オタクでないとわからないなと思ったのですが、つまり、戦力の逐次投入をしていたらすべて失うぞ、一度にワッと集中してやらないと「ガダルカナル」や「二百三高地」になってしまうぞということで、ちょっとずつちょっとずつ改正していっても、焼け石に水だと思います。一時的な仕事ではだめで、とにかくインパクトのある家族政策、若者政策をすべきだと考えます。
すみません、長くなりまして。
〇石小委員長
具体的にどういうことをやればいいですか、インパクトのあるというのは。
〇山田教授
ロバート・ライシュは『勝者の代償』のあとで、成人したら6万ドルの独立資金を若者に与えて、何で6万かはわからないのですけれども、それで商売を始めるのもよし、学業資金にするもよし、そうやって支援しようと言いました。私、あるところでそれを言ったら、日本だとみんな遊ぶ金に使っちゃうからよしたほうがいいと言われたこともありますが、例えば村上さんのように、13歳のハローワーク事業を大々的に政府が立ち上げるとか、そのぐらいのことをしないと、なかなか今の状況はとめられないかもしれないと危機感を抱いております。
先ほど言ったように、私は仮説ですので、当たらなければ、私は引退してただの教授として過ごすということになります。
どうもすみませんでした。
〇石小委員長
大変興味深いお話をありがとうございました。
予定した時間が超過しているのですが、せっかくでございますから、若干時間を延ばしまして、お二人の先生に、特に山田先生のほうにはまだ質問がいっておりませんから、どうぞ遠慮なく。時間もありませんから、どうぞ。
〇津委員
多分、今日ここにいらっしゃる方々は、先ほど落合先生のおっしゃった、社会的な地位の高い、ある一定以上のレベルにある方で、理想的家族を持たれていらっしゃる方が多いから、絶望的な感じなのだろうと思うのですけど、私みたいに、いわゆる最初からはみ出している人にとってみれば、これを見ると、ざまあ見ろみたいな感じがないわけでもなくて、非常に興味深く聞かせていただきました。(笑)
いくつか質問をさせていただきたいのですが、1つは、いわゆる当たり前の家族モデルというのが形成された時期というのを、落合先生は1950年から1970年ぐらい、山田先生は1950年から1974年ぐらいというような、これはそういうのでよろしいでしょうか。その時代何があったかということを自分なりに考えてみようと思う時に、どこの部分が一番のポイントになるかというのを、年代でピシッと区切るのは難しいと思いますが、ここに書いてある数字を読むと、そういう理解でよろしいかということが1つです。
もう一つは、全然関係ないですけど、旅行の添乗員をやっている人が、このごろ旅行に行くと、例えば1人トランクが何キロまでというのが決まっている時に、1人20キロなんだけれども、家族だったら2人で50キロまでいいみたいな決め方をしていると非常にややこしくて、事実婚の人の場合には家族ではないので20キロに減らせとか、それから、嫁に行った娘と旅行しているお母さんもとっても多くて、そうすると、家族だといくら言っても証明書がないとか言われて、また20キロに減らせということがあるということで、ちょっと愚痴を聞いたことがあるのです。
ここが税調なのでお伺いしたいのは、いわゆる世帯、家族単位の税制というものの限界というのはあるとお考えかどうか、その2点をお聞きしたいと思います。
〇山田教授
2番目の点については、私がお答えできるかどうか、多分アメリカで多い例だと思うのです。ですからアメリカではゲイの家族、同性愛者の家族を認める、認めないというのが大きな問題になるのだなという気がしております。逆にアメリカはすごく家族が好きで、学会も夫婦割引というのがありまして、日本でそれをやったら偽装結婚が増えるとか、まあそれはいいのですけれども……。
第1の質問は、当たり前の家族モデルということですが、私はベビーブームが終了するのが1949年、1950年で、子供の数が安定するのが1950年、そして、オイルショックが1973年で、マイナス成長が1974年。つまり子供4人から2人に減って、そして高度成長が続いた時期というふうに私は解釈しております。その時期にラジオやテレビが普及して、家族モデルが目に見えるものになったというのが私は大きいと思います。
〇落合助教授
私は一応55年から75年というふうに言っています。55年体制というのでちょうどいいかなと思いまして。
〇石小委員長
ほかにいかがでしょうか。
〇岩専門委員
98年が1つのターニングポイントというか、節目になっているようなお話でしたけれども、要するに、97年のころから北拓が倒れ長銀へと、要するに金融危機に入っていったわけですね。それとフリーターとかがポコンと上がっているというようなお話ですが、例えばこれまでの不倒神話というのは完全に崩れたわけですよね。例えば、「うちのお父さんはあんなに会社のために一生懸命働いていたのに、リストラされちゃったじゃないの。これじゃあ普通の会社へ入ったってしようがない。もうちょっと自分で好き勝手にやったほうがいいんじゃないの?」というような、そういう風潮みたいなものもあるかなと思うのです。フリーター、若年失業が増えてきたのは、その後さらに景気が悪くなってという側面もあると思うのです。
そうすると、長期的な社会構造としてそういう傾向を示しているのでしょうが、例えば、景気が少し回復過程に入ってきた場合に、多少そういう傾向は揺り戻し的なものは考えられるのですか。つまり、フリーターにしろ何にしろ。
〇山田教授
私の見通しだと、経済の基盤というものが、いわゆる大量生産で、企業の中で順番に能力をオン・ザ・ジョブ・トレーニングで上がっていくという時代ではなくなってしまっている。つまり最初から専門家、中核的な労働者として入る者は、若者でも最初から高給で処遇されて、別にフリーでも大丈夫。しかし、ずっとフリーターでいる者は、単純労働を続けざるを得ないというような経済状況に私は入っていると判断しています。成長率が多少回復すれば、多少は減るかもしれませんが、私は構造的な変動だと思っております。それゆえに、フリーター的な人をどうするかという対策を立てなければ、景気の上昇に頼ることはできないと思います。
〇石小委員長
河野さんで最後にしましょう。どうぞ。
〇河野特別委員
落合先生に2つ、簡単なことなのですけど。山田先生は、今おっしゃったような仮説は暗いと言われたんですが。
〇山田教授
暗いと言われると言ったんです。
〇河野特別委員
だけど聞いていると大体暗いですね。(笑)
落合先生にお尋ねしたいのは、先生の描くこれからの家族の変化というのは、暗いか、明るいかという言葉で言うことが可能なのか、そんなこと言ってもしようがない、こうなるんだよというだけのことなのか、これが1つ。
2番目は、先生は時間がなくて言及されなかったのだけど、ペーパーを読んでみると、政策論としてはいろいろなことをやれと書いてあります。個人単位の福祉とか、いろいろなことが書いてあるのだけれども、これは結局、そういう大くくりな話をすると、ちょっと大ざっぱすぎると怒られるかもしれませんけれども、結局、政府、地方自治体の歳出が増えるという話ですね。そうとも言えないのですか。つまり、大きな政府で結局いかざるを得ないというのが先生の結論になるのですか。
〇落合助教授
まず、暗いか明るいかですけれども、どっちでもないのではないですかね。時代が変わる時はいつも不安なものだということで、明治維新の時も暗いと思った人もいるのではないでしょうか。だから大事なのは、過去を懐かしむだけではなくて、今の変化の中でもう変わり得ない、逆転し得ない変化は何かということを押さえて、そうしたら、その中で最良の選択は何なのかということを、気持ちを明るく持って考えることだと思うのです。
それから、大きな政府になるとはあまり思わないですね。とにかく収入が増えますし、ちょっとの投資で収入を増やそうということです。税収を増やそうということです。ちょっと働きやすくするだけで税収が増えるかもしれないじゃないですか。だから、むしろそういうふうに考えるべきだと思うのです。
例えば、グラフの1枚目の左の上から2番目ですけれども、女子労働力率と出生率との関係というグラフがあります。これは労働力率が高い国のほうが出生率も高いということです。女が働いている国のほうが出生率も高い。だから女性が働きやすい条件づくりをすることで、出生率も上がり、だから将来の税収も確保され、かつ、今の女性たちも税金を払ってくれる。そういう方向を考えたらいいのではないでしょうか。
〇石小委員長
まだまだ議論は尽きないのですが、もう10分過ぎてしまいまして、ご予定の方もいらっしゃいますし、お二人の先生をいつまでも引きとめておくわけにはいきませんから、終わりにしたいと思います。
今日、最初に「実像」に迫るべく専門の先生に来ていただきまして、家族の問題を取り上げました。これをすぐさま短絡的に税に結びつけることは全然ないとは思いますが、これからいろいろなテーマでやっていきます。やはり最後は税調でありますから、この社会・経済構造がずいぶん変わっているなということを把握しましたら、やはり我々としてもいろいろ考えなければいけないということが多々出てくると思います。少なくとも今日は、「当たり前の家族」ということを前提にどうも今の所得税制は大分できているのではないかという印象を持ちました。いろいろな諸控除を見ますと、相変わらず扶養控除があり、配偶者控除があり、その他さまざまなことがありまして、まさに1950年代から1975年にかけてできた世帯が念頭にあっての税制のような気がいたしますが、その辺を今後どう考えていくか。
私は個人的に、夫の収入がアップしない専業主婦はいないというので、これは専業主婦にはやはり担税力があるのではないかという気もしてきましたね。そういう意味で、専業主婦の控除なんて要らないのではないかという気もしてきましたけれども、まあ、いろいろな切り口が多分出てくるのだろうと思います。ゲイの話まではまだ日本はなかなかいかないとは思いますけれども。
パラサイト・シングルというのは、女性だけですか。男もいいんでしょう?
〇山田教授
はい。
〇石小委員長
女性と括弧で書いてあったから、男は使わないのかと思ったけど、使うんですね。
〇山田教授
もちろん。女性で多くなるという意味で書いたんです。
〇石小委員長
そういう意味でね。はい、わかりました。
いろいろな知識を今日はいただきました。先生方、どうも本当にお忙しいところ、ありがとうございました。
あと、我々の次の日程ですが、2月27日、金曜日、2時から、今度は「就労」のほうです。パートタイムの問題等々いろいろあるような、新しい職業観なり新しい就業の形態等々につきまして、またご専門家をお呼びしたいと思います。これも勤労所得控除であるとか退職控除等々と関係がありますので、ぜひ時間を繰り合わせて来ていただきたいと思います。基礎問題小委員会以外の先生方もぜひお越しいただきたいと思います。
では、今日はこれにて散会いたします。どうもありがとうございました。
〔閉会〕
(注)
本議事録は毎回の総会後、速やかな公表に努め、限られた時間内にとりまとめるため速記録から、財務省主税局及び総務省自治税務局の文責において作成した資料です。
内容には正確を期していますが、税制調査会議事規則に基づき、事後の修正の可能性があることをご承知置きください。