現地からの声:虫メガネで見る南スーダンPKO

南スーダン国際平和協力隊
連絡調整要員 小澤 園子


はじめに

 「南スーダン国際平和協力隊」。この単語を聞いて、ピンと来る人は少ないかもしれません。私自身、南スーダンへの赴任が決まった際には、友人や家族から「何しに行くの?」「どこにあるの?」と口々に聞かれました。ここでは、連絡調整要員である私の仕事をご紹介し、南スーダンの枕詞である「世界で一番若い国」という言葉から現地の様子を紐解いたあと、「多様性」をキーワードに南スーダンでの日々を振り返り、現地からの声をお届けします。

1.デスクワークの国際平和協力隊員、「連絡調整要員」

 連絡調整要員である私の仕事は、国連南スーダン共和国ミッション(以下、「UNMISS」)に派遣されている施設部隊(国連施設の内外で施設活動等を実施している陸上自衛隊の部隊)及び司令部要員(国連の選考プロセスを経て、UNMISSの司令部で勤務している自衛官)と、南スーダン政府やUNMISSとの連絡調整を行うことです。具体的には、施設部隊の交代や本邦からの来訪などに際して南スーダン政府から許可を得ることや、国連の外交団向けブリーフィングや現地メディアを活用した情報収集、司令部要員の勤務管理といったものがあります。日本の国際平和協力隊員が円滑に活動できるようサポートする、黒子とも言えるでしょう。連絡調整要員は施設部隊や司令部要員とは異なり、UNMISSの司令部や自衛隊の宿営地がある国連地区ではなく、ジュバ市内にある在南スーダン日本国大使館で勤務しています。

 「国際平和協力隊員」と言えば、国連のブルーヘルメットをかぶり、現地の住民の方々とともに汗を流す自衛官というイメージがあるかもしれません。しかし、このようにデスクワークで我が国のPKOを支えるのが、私たち連絡調整要員です。日本特有の制度ではなく、司令部要員を派遣している他国にも類似の制度がみられます。オーストラリアの連絡調整要員役の方とは、年齢が近い女性同士であったこともあり、とても親しくなりました。

オーストラリアの連絡調整要員役の方と

オーストラリアの連絡調整要員役の方と

2.「世界で一番若い国」三段活用

 2011年7月に独立した南スーダンは、よく「世界で一番若い国」と形容されます。国としての歴史の長短だけを取り上げて、このように表現するのは少し極端なのではないかと感じる人もいらっしゃるでしょう。私も赴任するまで、この言い方には違和感を覚えていました。しかし、現地で過ごす日々を重ねるうちに、この表現は南スーダンの現状、エネルギッシュさ、そして国際協力の縮図とも言えるほど多様な在留外国人の間に広がる連帯感を凝縮していると思うに至っています。

 南スーダンは、日本人が思い浮かべるインフラのほとんどが未整備です。発電所がないため、国連や各国大使館、NGOや企業はそれぞれの施設ごとに設置した発電機で電力をまかなっています。上下水道設備も未発達で、市内には「H2O」と書かれた青い給水車が走り、各家庭に水を供給しています。舗装道路は空港から官公庁街、市場に延びる一部の中心部にとどまり、車で走ると身体がバラバラになるかと思うくらい、凸凹が激しい道も少なくありません。雨が降ると輸送が滞ると言われるのも頷ける話です。モノだけではなく、制度やサービスも未整備であり、写真のようにゴミが散乱している光景も目に付きます。アフリカというと、手つかずの雄大な自然を思い浮かべてしまいますが、私たちが考える「美しい自然」の裏には、近代化されたサービスがあったことに気づかされました。

街中に散乱するゴミ。郊外ではなく、首都ジュバの街角の光景です

街中に散乱するゴミ。郊外ではなく、首都ジュバの街角の光景です

 しかし、こうした環境であっても人々のエネルギーまで失われておらず、むしろ逆境がバネとなっています。現地では、JICAが建設を支援した職業訓練校の学生に対して、自衛隊が車両整備やコンクリート施工といった実習を行う「さくらプロジェクト」が行われていますが、受講生は本当に勉強熱心です。強い直射日光の下、作業服に安全帽という装いは決して快適なものではないはずですが、自主的に昼休みを切り上げ、「もう十分休んだから、もっと教えてほしい」と教官役の自衛隊員に願い出る学生もいるとか。指導に当たる自衛隊にも良い刺激となっているようです。

自衛隊とJICAが実施する「さくらプロジェクト」

自衛隊とJICAが実施する「さくらプロジェクト」

 市井の人々だけではなく、政治の面でも南スーダンの勢いを感じています。特に印象的なのは、2013年12月に端を発する衝突の解決に関する合意文書への署名をめぐる南スーダン政府の対応です。反政府側に一定の権力の配分を規定する合意文書案に対し、政府は反発し、キール大統領は当初予定されていた8月16日の署名式での署名を留保します。しばらくの間、政府高官や与党幹部は文書の内容に疑問を呈する発言を繰り返していましたが、ひとたび同月26日にキール大統領が署名を行うと、折に触れて「政府は合意の実施にコミットしている」と述べるようになり、実施に向けた指示が次々と下されるようになりました。当時、こうした政府の態度の変化に懐疑的な見方をする識者も少なくありませんでしたが、現在、駐留ウガンダ軍の撤収やジュバの非軍事化など、合意文書の規定は遅々としつつも実施されつつあります。はっきりと主張は行う一方、一度決めたことにはやり遂げるという気概が垣間見えた気がしました。

 エネルギッシュなのは、南スーダン人に限りません。未整備なインフラやめまぐるしく変わる政治といった環境に赴任する外国人の多くは、国際機関・各国外交団・NGOや開発コンサルタント等で占められます。所属や国籍、年齢は異なれど、「世界で一番若い国を支えたい」という思いに変わりはなく、“When did you arrive in Juba?”(いつジュバに来られましたか)という挨拶を皮切りに、これまでに携わった国際協力の仕事、赴任したことがある国の数々、果ては仕事観や開発協力のあり方といったテーマに、立場や役職の違いを超えた熱い議論が交わされます。こうした南スーダンにおける現状、人、雰囲気は、まさに「世界で一番若い」という表現がぴったりです。

孤児院の子供たち。屈託ない笑顔が印象的でした

孤児院の子供たち。屈託ない笑顔が印象的でした

3.多様性の学校、国際平和協力活動

 このように、南スーダンには世界各国から様々な立場の人が集まっています。時間に対する感覚はさることながら、仕事に対する向き合い方や進め方、「友人」の範囲や距離感に至るまで千差万別です。UNMISSが定期的に主催している会合に予定通り向かうと、会場はもぬけの殻、めげずに翌週も行くと「先週は大変申し訳なかった、担当者が忘れていた」と正直な告白をされたこともあります。逆に、私たち日本人も、無意識のうちに「言わなくともわかってくれるだろう」と考える傾向があり、相手方を困惑させてしまうことがあるようです。

 様々なバックグラウンドの人がいるということは、「自分の常識は他人の常識ではない」という認識が広く共有されていることを意味します。振り回されることもありますが、慣れるととても居心地が良く、過ごしやすいものです。意見の対立が人間関係の緊張と直結していないため、異なる考えを持っていても、議論を重ねるうちにお互いに満足がいく結論にたどり着いてしまっています。

 日本も少しずつグローバル化が進んできているとはいえ、60以上の国から集った同僚に囲まれているという方は、なかなかいらっしゃらないでしょう。「多様性の尊重(respect for diversity)」は、国連がその職員に求める資質の一つであり、UNMISSに派遣される自衛隊員もその例外ではありません。日々の業務を通じて、自分の意志をどのように伝えるのか、異なる国籍や背景の人々が集まる場所ではどのような振る舞うべきなのかを学ぶとともに、語学力や積極性といった自身の課題や、日本人としての強みを発見できる国際平和協力活動は、まさに「多様性の学校」であると言えます。


おわりに

 8月から始まった南スーダンでの生活も、いよいよ終わりに近づいてきました。4ヶ月を振り返って最も心に響いているのは、スポーツ交流で出会ったとある南スーダンの方が述べた次の言葉です。

 「(日本が)橋を作ったり、いろんな支援をしてくれたりしていることは知っている。でも僕は、こうやってお互いに膝をつき合わせた付き合いこそが、日本と南スーダンの本当の橋だと思う。」

 国際平和協力活動は、「経済大国としての責任」「グローバル化による相互依存の時代」といった文脈や、「国際協力分野における日本のプレゼンス」という、大きなスケールで語られることが多く、なかなか身近に感じられない方も多いと思います。しかし、約350人からなる私たち国際平和協力隊員が活動する現場には、一対一の顔のある人間関係があり、隊員一人一人から無数の物語が広がっています。本稿を通じて、そのようなミクロな視点、いわば虫メガネで見た南スーダンPKOの姿が伝われば幸いです。


平成27年12月