現地からの声:あるべき自立支援のかたちとは? ~世界で最も新しい国南スーダン~

南スーダン国際平和協力隊
1等海尉  橋村 仁誉(よしたか)

1 はじめに

 2011年7月9日にスーダンから分離独立した南スーダン。陸上自衛隊の施設部隊派遣で日本でも一躍注目を浴びた世界で一番新しい国ですが、我が国から見て地球の裏側ともいうべきこの国について、メディアで報道されている以上の認識と関心を持たれている方はそう多くないのではないかと思います。
 アフリカ54番目の独立国、南スーダン共和国は北にスーダン、東にエチオピア、南東にケニアとウガンダ、南西にコンゴ民主共和国、西に中央アフリカと、多くの国と国境を接する内陸国です。人口は2008年統計で約826万人、このうち約40万人が首都ジュバに集中しています。国土はおよそ64万平方キロメートルで、日本の約1.7倍の広さがあります。国内を東西に両断するようにナイル川が流れ、それにより形成されたスッドと呼ばれる広大な湿地帯が国土のほぼ中央に広がっています。サハラ砂漠の東端地域に位置する北部スーダンとは違い、分離独立した南部スーダンはサバナ気候帯(一部、熱帯雨林気候)に属しています。都市部から少しでも郊外に出ると見渡す限り果てしないサバンナが広がっており、多くの動植物を見かけることができるこの国は、「世界で2番目の多様性を持つ野生動物の宝庫」とも言われています。

南スーダン共和国の位置関係。外務省ホームページよりimg

南スーダン共和国の位置関係。外務省ホームページ別ウインドウで開きますより

国連機の機上から撮影。果てしないサバンナの中をナイル川が流れるimg

国連機の機上から撮影。果てしないサバンナの中をナイル川が流れる

  拙稿をご覧の皆様はこの南スーダンという国に対してどのような印象をお持ちでしょうか。第2次世界大戦以降で最も多くの死者を出した戦争とも言われている、2度にわたるスーダン内戦。陸上自衛隊の施設部隊派遣で一躍メディアの注目を集めたこの国の、伝統的かつ現在に至るまでの深刻な治安問題の一つとして日本でも大きく報道された部族間衝突。クローズアップされたこれらの事実が、この国に根強い「紛争の国」「治安の悪い国」という印象を与えているのではないかと思います。
 私は昨年の11月、自衛官の常駐員としては初めて内閣府PKO事務局から連絡調整要員として派遣されて以来、この国の首都ジュバで勤務してきました。南北スーダンは数十年にわたり内戦を続けてきましたが、2005年の和平合意以降、治安状況は全体としては改善傾向にあります。首都ジュバの治安も非常に落ち着いており、私の約3か月余りの任期中、何か治安上危険な目にあったということは一切ありませんでした。

市内のマーケットにて。穏やかに暮らす人々img

市内のマーケットにて。穏やかに暮らす人々

  ジュバ市内には国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)の本部が所在するほか、各種支援のための国際機関や、独立の好景気にあやかろうとする多くの外資がジュバ入りして資本を投下し、都市開発等を進めており、今市内は建設特需に沸いています。街を歩けば周辺諸国からの出稼ぎ労働者を含めた多くの外国人を見かけ、彼ら向けのホテルやレストランが数多く軒を連ね、少なくとも表向きは、国民は独立の恩恵を享受し、豊かな暮らしを手にしつつあるように見えます。

建設ラッシュに沸くジュバ市内img

建設ラッシュに沸くジュバ市内

2 この国の未来に向けた課題は?

  首都ジュバの他、各地の主要都市では治安の改善と外資の導入による開発の進展が著しいものの、この国が全体として今後安定的に発展していくための課題は何でしょうか。まずは北のスーダン政府との関係。多くの油田が存在するアビエイ地区の帰属をめぐる境界画定、北部国境地帯で一時高まった軍事的緊張、原油権益の分配、パイプラインや輸出港の使用料に関する交渉の行き詰まりなど多くの問題を抱えています。
 そして部族間衝突の問題。都市部以外に住む、牧畜を生業とする人々は家畜の奪い合いを目的とする部族間衝突を伝統的に繰り返してきており、2009年には南部地方全般で2,500人以上の犠牲者が出たとされています。
 また税制の確立がなされていない点も問題として挙げられると思います。援助を除くこの国の歳入のうちの約9割、つまりほぼ全てがスーダンとの確執の火種となっている原油資源による収入で占められています。原油の他にも、鉄鉱石、銅、亜鉛、タングステン等の鉱物資源や、綿花、ピーナッツ、トウモロコシ、キャッサバ、サトウキビ、マンゴー、パパイア、小麦、サツマイモ等の農産品が産出されているとのことですが、いずれも生産量や品質、そして輸送インフラの問題で輸出品となるどころか国内にも行きわたっていないようです。特に農産品については、ジュバに出回っている食料品のほとんどがウガンダやケニアといった近隣諸国からの輸入品であることからも、農業事情の劣悪さ、国内インフラ事情の悪さがうかがえます。

ジュバ近郊の道路の様子。ちょっと郊外に出れば、舗装道路はほとんどないimg

ジュバ近郊の道路の様子。ちょっと郊外に出れば、舗装道路はほとんどない

ローカルマーケットの食料売場。ほとんどが輸入品img

ローカルマーケットの食料売場。ほとんどが輸入品

3 今、この国の真の安定と継続的発展のために何が必要なのか?

 (1) 穏やかで笑顔あふれる都市部の人々。
 ここまで、この国が抱える課題ばかり書いてきてしまいましたが、この国の未来は決して暗いばかりのものではないと思います。
 数十年にわたり同じ国に住む人々同士が殺し合いを重ねるという惨劇が続いた後に、ようやく平和と安定を取り戻してから10年足らず。独立のハネムーン期間にあるとはいえ、国民は殺伐とした、あるいは荒廃した雰囲気、言わば「内戦の名残」を身にまとっていてもおかしくはないはずです。しかし、行きかう人々は驚くほど穏やかで、街には笑顔と活気があふれており、見知らぬ異国人である我々にもなぜかとても友好的です。目が合うと気さくに手を挙げて挨拶してくる若者たち。興味津々、こちらをつぶらな瞳で見つめてくる子供たち。地元のレストランで隣り合わせた現地人の老人にビールをおごられ、日本のことをしきりに質問されたこともありました。人心の荒廃を感じさせない最も顕著な例として、銀行にいつも人があふれていることが挙げられます。できたばかりのこの国の通貨、サウス・スーダン・ポンドを手に銀行に長蛇の列を作って預貯金する人々の姿は、明日の命も知れぬ内戦下のそれではなく、将来の安定と発展を信じているそれです。少なくとも今、都市部では、人々の心は落ち着き、未来への希望を抱いていると感じることができます。

銀行はいつも長蛇の列img

銀行はいつも長蛇の列

 わずか数か月滞在しただけの外国人である私の目から見ても問題が山積しているように見えるこの国に住んでいて、なぜジュバの人々はこれほどまでに穏やかで、笑顔に満ちているのか。なぜ彼らは、その目に見えているはずの不安定要素をよそに、純粋に未来を信じることができているのか。それは、彼らは数年、数十年先の発展とそのための課題を見つめているのではなく、長きにわたり明日をも知れぬ内戦下で死の危険と未来への不安にさいなまれながら過ごしてきた彼らにとって、とにかく今、そして明日も自分達の生活が安定し、上向いていることに心から安心しているためではないかと感じました。 限りない安定と安穏の中にある私たち日本人は、いつでも数年、数十年先のことを予測することができますし、良くも悪くもその習慣がついているのだと思います。そして遥か先のことばかり考えて、ありもしない不安や危惧を抱いたり、取越し苦労とも言える悩みを抱いてしまったりしがちです。しかし明日の命をも知れぬ内戦の混乱を潜り抜けてきたこの国の人々は、分かりもしない数十年先のことはさておき、今ジュバが発展している姿を見つめ、純粋かつ単純に未来への希望と幸せを抱いている、そう思えるのです。

(2) 都市部と地方の格差は大きい
このように人々が未来への希望を抱くことができる首都ジュバをはじめとする都市部では人々は落ち着きを取り戻していますが、地方では未だ内戦が継続しているかのように人々があたりまえに武器を手にし、部族間衝突を度々起こしています。ジュバに滞在していると、それがまるで違う国での出来事のように思えるほどです。 しかし都市部から郊外に出ると、人々は未だトゥクルと呼ばれる電気もガスも水道もない藁葺きの家に住み、牛や羊を中心とした伝統的な牧畜を主な生業としているという現実があります。特に牛は部族にとっては富の象徴である最も貴重な財産です。例えば男性が妻を迎えるには、日本でいう結納金のように数十~数百頭もの牛を妻の家に贈らなければならないなど、牛は南スーダンで伝統的な暮らしを営む人々に深く根付いています。そして、貴重かつ深く根付いているがゆえに、それは必然的に争奪の対象となり、争奪には内戦中に数多く出回ってしまった銃器が使用されます。配偶者を得んがために部族間で牛を奪い合って銃器を使った殺し合いが起き、報復合戦の末、数百人単位の人々が傷つき、死ぬ。日本で暮らしている我々には想像しがたいことではありますが、これがこの国の紛れもなき一面です。

トゥクルと呼ばれる藁葺きの家と牛の牧畜の様子img

トゥクルと呼ばれる藁葺きの家と牛の牧畜の様子

(3) 今、人々が求めていることは?
 これら地方の人々にも安定と安心を与えるにはいかにすればよいか。言い換えれば、いかにして都市部以外に住む人々にも今の安心と未来への希望を抱かせ、幸福感を与えられるのか。そして、乾季になれば少なくなる水場と貴重な牛を奪い合い、殺し合うことをいかにすればやめさせることができるか。
 人々が自衛のために武器を手にしなくてもいいように治安部隊を展開して治安の維持にあたり、武装解除を進める。これは何よりも優先して進めなければならないことです。あとは、国際機関やNGO、外資等が展開し、地方に住む人々のために快適な家を建て、インフラを整備して街を造り、子供を学校に入れ、大人には技能教育を施し、自立へのレールを敷く。そういった長期的なゴールを掲げ、そこに向かって地道な努力を重ねていくのが大切なのは無論のことですが、一方で今、人々が当面の安心を得られるように、現在彼らが抱える不安・不満を抽出して解消するよう努め、独立とともに確実に生活が上向いたという実感を与える短期的な救済も重要だと思います。今が信じられない者たちに、未来への希望を抱かせることはできません。十分な数の牛がいないがゆえに奪い合うのであれば、奪い合わなくていいだけの牛を確保できればいいのです。今、地方で牧畜を営んで暮らす人々が求めているのは、十分な数の牛とそれを安定的に確保するための畜産技術の向上なのかもしれません。例えば、この国の牛は商品化するのに十分な量の乳を出しませんが、畜産技術の向上により良質な乳牛を育てることができれば、生産頭数も増加し、牛乳による現金収入も得られて彼らの安心につながり、ひいては国の税収源にもつながるでしょう。同じように、農家には農業技術の向上を、漁業者には確かな漁労技術を。独立に伴って支援に入った国際機関等が今の彼らの日々の営みに合わせて、生業に手を添えて確かな技術を教授していくことにより、少しずつでも生産が向上していけば、「独立とともに我々の生活は良くなった」「明日はもっとよくなるだろう」という実感につながり、今の幸せと未来への希望を与えることにつながっていくのではないでしょうか。
 そういった生業に手を添えるような支援は今現在もNGO等により活発になされているようですが、国連や国際機関といったNGOよりも大きな組織力と資金力を持つ組織の目はどうしても長期的なゴールに向かいがちであるように感じます。国連もNGOも手を取り合い、共に大局的には長期的なゴールを目指すのと並行して、彼らが今改善したいと望んでいることを、彼らができる範囲から少しずつ手助けすることに持てる力を注いでいくことも大切なのではないかと思います。

できる範囲から、手を添えながら少しずつimg

できる範囲から、手を添えながら少しずつ

4 終わりに ~あるべき自立支援のかたちとは~

  未だドナーの支援なしには立ち行きがたい新独立国に対する自立支援のあるべき姿とは何なのか。南スーダンという、この世界で一番若い国は私にそれを考えさせてくれました。
 長い内戦を経てきた国です。まずは決して何かの拍子に戦争状態に戻ってしまわないよう、治安の確保と武装解除、いわゆるDDRDisarmament,Demobilization, Reintegration/武装解除、動員解除、社会への再統合)が最低限必要であることは間違いないでしょう。治安をがっちりと維持し、戦争の火種となる武器を取り上げる。その次にすべきは生活の質の向上です。人々が、これからこの国は、自分たちの暮らしは良くなっていくのだと信じられるようになるには、今日この日の暮らしは昨日よりも良い、そして明日はもっと良くなっていくのだということを自覚させることが重要だと思います。長期的なゴールを見据えて、英語を教え、職工としての技能を身に着けさせ、あるいはIT技術を教え、数十年後には先進国の仲間入りをさせるようレールを敷いていくことも無論重要でしょう。しかし、明るい明日を信じることができるよう、彼らが今日困っていることを彼らができる範囲で手を添えて、粘り強く、気長に助けていく。それもまた大事なことなのではないかと思います。
 国の独り立ちを支援するということは都市部に偏って湯水のように外資を投下することばかりでは決してなく、最終的には援助に頼らずに国民の力だけで国を維持していくのに十分な税収を得られるようレールを敷く、つまり支援の出口を探るという真の長期的なゴールを見誤ってはいけません。そのためには国民に外資に頼る体質を植え付けることは間違いなくマイナスになると思います。育児にたとえるなら未だ自力で立つ力のない乳児を歩行器に乗せて無理やり立たせ続けて自力で立つ工夫と努力を怠るように仕向けるのでなく、自力で立つことができるようになるまで、できることから少しずつ、根気強く立つ方法を教えていくこと。それがお金に頼りきらない、自立支援の真のあるべき姿なのではないかと思えるのです。

  悲しいことに、過去数十年にわたりこの国の天地には人々の悲痛の叫びが轟き続けました。数百万人の血が流れ、荒廃しきってしまったこの魂魄の大地に、この国の人々の手で再び夢の光芒が刻まれる日が来ることを、心より願ってやみません。
 最後になりましたが、拙稿を最後までお読みいただいた方々と、南スーダンという国、そしてこの国で出会った全ての人々に心から感謝しながら寄稿文を終わらせていただきたいと思います。ご閲覧、ありがとうございました。

南スーダン独立後の初日の出と筆者img

南スーダン独立後の初日の出と筆者

 平成24年4月