現地からの声:世界で最も新しい国! 南スーダン雑感

UNMISS司令部要員(情報幕僚)
1等陸尉  細川 拓彦

 2011年7月9日、世界で最も新しい独立国として産声を上げた南スーダン。そしてその南スーダンを支援するため同日付で設立されたUNMISS(国連南スーダン共和国ミッション)。

 今回は、UNMISS司令部JMACJoint Mission Analysis Centre=統合ミッション分析部)に南スーダン国際平和協力隊員として派遣された私の勤務及び生活を通じて、南スーダンという国、そしてUNMISSについて感じたことを紹介したいと思います。

1 南スーダンについて

 南スーダンは、アフリカ東部に位置する国で、面積は日本の約1.7倍、人口約820万の内陸国です。もともとは北に隣接するスーダンの一部でしたが、北との格差等様々な問題から、1983年にSPLM/A(スーダン人民解放運動・軍)を中心とする反政府勢力が政権に反旗を翻し、20年以上に及ぶ内戦を経て2005年にCPA(包括和平合意)を締結。6年間の暫定自治期間の後、2011年1月の南部独立を問う住民投票の結果、住民の9割以上の支持を得て2011年7月9日に独立を果たしました。スーダンとの国境問題、部族間衝突、インフラの未整備等、抱える問題は多くありますが、国連を始め、様々な国、機関の支援を得て少しずつ発展しつつあります。

 気候 

 私が南スーダンの首都であるジュバに着任したのは12月。すでに乾季に入っていたので、雨は今までに1回降ったかどうか……。朝晩は比較的涼しいですが、昼間は40度を超え、日差しも強く感じられます。旧UNMIS(国連スーダン・ミッション)でハルツームでも勤務していた同僚の話では、それでもジュバの方が涼しいということですが……。

 現在は2月に入り雲も増え、ここ2日間ほど大雨(といっても1、2時間で止みますが)を経験するなど、少しずつ雨季が近づいているのを感じます。南スーダン人の同僚の話では、2月が暑さのピークで、3月、4月頃から雨が増え始め、5月から本格的な雨季に入るということです。

 経済 

 南スーダンではSSP(南スーダン・ポンド)が公用通貨として流通しています。1SSP=20円ちょっとぐらいの感覚です。

南部独立の立役者、故ジョン・ガラン氏の画像

南スーダン紙幣(手前から1, 5, 50, 100SSP。写真にはありませんが他に25SSPもあります。
肖像は南部独立の立役者、故ジョン・ガラン氏です。)

 買い物はホテルや外国人向けのスーパー等では米ドルも使用できますが、基本的にはSSPを使用しています。南スーダンでは、いわゆる「外国人価格」という概念があまりないのか、地元住民が利用する露店等で品物を買っても住民と同じ価格で物を売ってくれます。少なくとも私の経験した限りでは値段を明らかに吊り上げられるといったことは今までありません。観光地というわけではないので、外国人慣れしていない部分があるのかもしれません。

 また、ジュバ市内には外国人向けのスーパー等もあり、一通りの日用品はもちろん、冷蔵庫、電子レンジ、ポット等もあるので、想像以上に商品が充実している印象です。

国連職員始め外国人御用達のスーパー「JIT」店内img

国連職員始め外国人御用達のスーパー「JIT」店内

露店の服屋さんimg

露店の服屋さん

 南スーダンは石油資源が豊富な国であり、国家予算の98%を石油収入に頼っています。南スーダンは内陸国であり、石油を海外に輸出するための港がないことから、今まで北のスーダン政府の所有するパイプライン経由でスーダンの港から輸出を行っていました。しかしパイプラインの使用料を巡ってスーダン政府と折り合いがつかず、スーダン側がパイプライン使用料として南スーダン産の石油を強制的に差し押さえたことから、南スーダンは対抗措置として石油の生産を現在停止する措置に出ています。

 南スーダン政府は、自国内での製油所の建設、ケニア・エチオピア経由でのパイプラインの建設等を計画していますが、今後の経済発展にどの程度の影響を及ぼすのか心配なところです。

 交通 

 南スーダンでは車両は右側通行になります。ジュバでは、「ボダボダ」と呼ばれるバイクタクシー及びワゴン車を改造した乗合タクシーが市民の重要な足となっています。市内を走る車は日本車(中古車ですが)が多く、ほとんどの車両が日本で使用されていた当時のペイントそのままで、「○○商事」とか「○○交通」といったペイントを頻繁に見かけるため、不思議な気分になります。

 ジュバ市内にも信号はなく、必要に応じ警察が交通整理をしています。こちらにいる日本人の方やUNMISSの同僚の話では、南スーダンは交通マナーが非常に悪いということですが、以前ハイチのPKOで勤務していたときは、交通整理している警察官自身が車に轢かれそうになったり、全車線逆走車で埋まったりといったことを経験したので、個人的には「交通マナーは結構いい?」という印象です。

 国連免許を取得し、国連車(左ハンドル、マニュアル)の運転資格はあるのですが、職場に対する国連車の割り当てが4人に1台しかなく、2週間に1度運転する機会があるぐらいです。基本的に「相手はこちらのことを見ていない」という心構えで運転すれば、そこまで交通マナーの悪さも気になりません。ミラーを見ないで車線変更する車・バイクは今でも怖いですが(そもそもミラー自体がない車両も結構あります)。

ジュバ市内を走る市民の足「ボダボダ」img

ジュバ市内を走る市民の足「ボダボダ」

 インフラ 

 舗装道路はジュバ市内でも少なく、最近は少しずつ整備されてきましたが、郊外付近はまだ土の道路が多いです。電気はホテルやスーパーでは発電機を使って確保できていますが、停電は頻繁にあります。食事等で使用する火は炭で起こしており、ガスは使用されていないようです(見ていないだけかもしれませんが)。水は給水車が各家庭・施設等の貯水タンクに補充しているようです。通信については、携帯電話はジュバ市内では一般に普及しています。インターネットもホテルの無線LANや外付けのモデムを使用できますが、回線状況は不安定で、フリーメールを使用してメールを送る際にも、そもそもフリーメールのログイン画面が開かないといったこともしばしばです。写真等添付ファイルで少し大きめの容量のものを送ろうとすると、添付ファイルとしてアップロードするだけで、長いと1時間ぐらいかかってしまいます……。

土煙で視界が悪くなる郊外の未舗装路img

土煙で視界が悪くなる郊外の未舗装路

南スーダンでの住居「トゥクル」img

南スーダンでの住居「トゥクル」

USAID(米国国際開発庁)の設置した給水ポイントで順番を待つ給水車img

USAID(米国国際開発庁)の設置した給水ポイントで
順番を待つ給水車

バリ族(ジュバ市内の先住部族)集落内のナイル河船渡し場img

バリ族(ジュバ市内の先住部族)集落内の
ナイル河船渡し場

 衛生 

 衛生状況はけっして良いとは言えませんが、個人的には思ったより路上のゴミが少ないという印象です(またハイチとの比較で申し訳ありませんが、ハイチではゴミの上を車が走っているというイメージがあります)。最初の頃は一応生野菜等を食べるのも警戒していましたが、今では生野菜・果物等は普通に食べています。さすがに水はペットボトルを買って飲んでおり、氷も避けています。今のところ風邪にも下痢にも1度も見舞われず健康に過ごしています。海外勤務でネパール、ハイチと経験し、いろいろな物を体内に取り込んできたため、いろいろ免疫ができているのかもしれません…。 今後も気を抜かないようにはしたいと思います。

 治安 

 南スーダン全体を見ると、スーダンとの国境問題、牛を巡る部族間衝突等がありますが、ジュバ市内は安定しています。昼間にその辺をブラブラする分には特に危険を感じることはありません。今のところ国連に対する明確な敵対意識を持った組織もないので、その意味では安心感はあります。

 独立前のスーダン当時の流れを組み、南スーダンでも情報機関による監視体制が機能しているようであり、特に写真撮影に関しては非常に厳しい社会という印象です。

ジュバ市内の道路で駆け足訓練中のSPLA兵士img

ジュバ市内の道路で駆け足訓練中のSPLA兵士
  

ジュバ市内を走行するSPLA車両(SPLAのナンバープレートは赤です。)img

ジュバ市内を走行するSPLA車両
SPLAのナンバープレートは赤です。)

2 UNMISSでの勤務について

 2011年11月29日にウガンダのエンテベでUNMISS司令部要員として約1週間の教育・要員登録手続き等を経て、12月4日にジュバに降り立ってから、間もなく3か月になります。

 私は、ジュバ市内郊外にあるジュバ3(通称UNハウス)という場所で、JMAC(統合ミッション分析センター)という部署においてDatabase Developerという役職で勤務しています。JMACは簡単に言うとUNMISS全体の情報に関する業務を統括する部署です。ミッションに関する情報(軍事に関することだけではなく、政治、経済、法律、一般犯罪等全ての情報資料)がJMACに集約され、JMACの分析官による分析を経て、ミッションのトップであるSRSG(国連事務総長特別代表)が状況判断するために必要な情報として提供されるという役割を担っています。……というのは理想ですが、現状は旧UNMISから引き継いだデータベースの再整理・情報資料提供元との関係再構築をしながら、少ない人数で何とか業務をまわしているというところです。

 JMACは大きく本部、分析班、データベース班に分かれており、私はその中のデータベース班において業務を実施しています。具体的な業務として、日々UNMISS内あるいはOCHA(国連人道問題調整事務所)等他の国連機関から送られてくる報告資料を内容毎に整理し直し、分析官が必要なときにすぐに使用できるようデータベースとして蓄積するということを主に実施しています。また、報告資料の中から、分析官が将来的に必要とする可能性のあるものをある程度予測し、数字等を抜き出して統計資料を作成したりもしています。日々の業務自体は比較的淡々とこなしていく感じですが、JMACには様々な部署から様々な情報が上がって来るので、報告資料に目を通しながら、南スーダンという国がこの先どういう方向性に向かおうとしているのかおぼろげながら見えてくる感じがし(あくまで感じがするだけですが。)、地味な業務ですが個人的には非常におもしろいと感じています。また、本邦のPKO事務局、防衛省や南スーダンへの日本からの派遣部隊、大使館等とも情報のやり取りがあるので、そういった部分でもやりがいを感じるところです。

 着任してやはり苦労した(というより現在進行形でしています……)点は、やはり英語です。JMACには中国人のチーフ代理(現在チーフ、副チーフともに欠員です。)を筆頭にスペイン、フランス、カナダ、インド、バングラデシュ、イエメン、ガンビア、南スーダンと、当たり前ですが様々な国籍の方がいます。最初の頃は特に、南アジア・中東特有の巻き舌のrの発音(例えば、簡単な例ですが、「パーソナル・コンピューター」が「ペルソナル・コンピュルタル」になります。)とアラビア語訛りのpの発音がbになる英語(コピーはコビーに、ペーパーはベーバーといった感じです。)を聞き取るのに苦労しました。そういう癖があると認識さえすれば聞き取れるようになりますが、やはり苦手です……。アメリカ人と話したときに、なんて分かり易い英語を話すんだろう(アメリカはアメリカで訛りはあるはずですが)と錯覚したぐらいです。JMACのスタッフも日本人の英語は分かりにくいと思っているかもしれないので、お互い様だと思いますが。

 他にも、仕事に対する意識の違い、時間間隔の違い等ストレスを感じることはありますが、皆さん人柄的にはいい人ばかりなので、和気藹々と業務をすることができています。日本で勤務していたときと同じ姿勢でしっかり誠実に業務をこなせば、それだけで高い評価を得られると感じているところです。

ジュバ3(UNハウス)本部庁舎img

ジュバ3(UNハウス)本部庁舎  

JMACオフィスでimg

JMACオフィスで

JMACでのピクニック(後列右から2人目)img

JMACでのピクニック(後列右から2人目)

3 最後に

 昨年の正月はハイチで迎え、まさか今年も正月を海外で迎えることになるとは思いもよりませんでしたが、ネパールでは連絡調整所要員として、ハイチでは派遣部隊要員として、そして南スーダンでは司令部要員として、同じ海外勤務でも異なる任務・地位・役割で勤務させて頂けることは非常に勉強になり、貴重な機会を与えて頂いたことに感謝しております。

 日本からの派遣部隊も到着し、非常に感慨深いものがありますが、残り約3か月、気を新たに引き締めて、南スーダンの人々のため少しでも力になれるよう、日の丸を背負って勤務に精励したいと思います。

2012年1月、派遣部隊先遣隊出迎え時img

2012年1月、派遣部隊先遣隊出迎え時

平成24年2月
ジュバにて