現地からの声:ハイチ連絡調整要員の勤務を終えて

平成23年9月
ハイチ連絡調整要員
内閣府事務官   早瀬 真道(しんどう)

 皆さんが仕事や観光で初めての海外に行くことになった時、まずすることは何でしょう?

 そう、本屋さんに行って、旅行ガイドブックを探したりしますよね。私もハイチ赴任が決まった時、近くの本屋さんに行きました。……が、半ば覚悟していたとおり、本屋さんにはジャマイカ、キューバ、プエルトリコといったカリブの島々のガイドこそあれ、ハイチに関する記述はちっとも見あたりません。もちろん、これはハイチの治安情勢が不安定であるためで、当然のことではあるのですが、ハイチと日本との遠い距離を改めて感じさせられる出来事でした。かくいう私も、ハイチがカリブ海の国だということはかろうじて知ってはいたものの、「世界初の黒人共和国」「大きな地震のあった国」以上の知識はほんの最近まで持ち合わせていませんでした。

 前置きが少し長くなりましたが、私は今年(2011年)4月より内閣府国際平和協力本部事務局(PKO事務局)において、ハイチ国際平和協力業務を担当しています。ハイチで2010年1月に起こった大震災の復興のため、自衛隊の施設部隊及び司令部要員2名が国連PKO(国連ハイチ安定化ミッション=MINUSTAH)に派遣されていますが、現地に駐在している連絡調整要員と連携し、自衛隊の活動をサポートするのが私の仕事です。ハイチは日本の裏側とあって、現地とのやりとりも自然とメールが中心となりがちです。報告書では紙に書かれた文字で終わってしまう、現地の情勢や自衛隊の活動。今回、私自身が連絡調整要員として約1ヶ月半ハイチに派遣され、国際平和協力の現場をこの目で見る機会を与えられたことは、非常に大きな経験となりました。

自衛隊の整地作業現場で。子どもたちは炭作りのため、掘り起こされた木の根拾いに勤しむimg

自衛隊の整地作業現場で。子どもたちは炭作りのため、掘り起こされた木の根拾いに勤しむ

 日本から遠い遠いハイチですが、少し興味をもって調べてみれば、かの国が非常に「貧しい国」であることがすぐに分かるはずです。それに加え、昨年の大地震では首都ポルトープランスを中心に甚大な被害が出たとあって、私はどんなひどい光景が広がっているのだろうと心配しながら、飛行機を2回乗り継いでハイチの地に降り立ちました。

 そんな私にとってのハイチの第一印象は、非常に活気のある国だということです。通りという通りには露天商のパラソルが隙間なく並び、たくさんの人々や車(ほとんどが日本車)でごったがえしています。カラフルな原色で彩られた手書き看板、独特のペイントが施された改造乗り合いバス「タプタプ」、そして路上にうずたかく積まれたゴミとそれを食べる大きな黒いブタ……。その混沌としたエネルギーにはただ圧倒されるばかりです。

町の風景img

町の風

路上の弁当屋さん。メニューは、鶏肉とイモ、野菜バナナの盛り合わせimg

路上の弁当屋さん。メニューは、鶏肉とイモ、野菜バナナの盛り合わせ

トラックを改造した「タプタプ」。ペイントされたメッセージの意味は?img

トラックを改造した「タプタプ」。ペイントされたメッセージの意味は?

 がれきの撤去はだいぶ進んでいるとのことでしたが、町には未だに震災避難民のキャンプが点在し、また震災以前からのものなのか、キャンプと大差ないような粗末な家屋も目立ちます。しかし、かたや外資系のスーパーに行けば、沢山の輸入商品があふれ、そこで(日本人から見ても)決して安くない買い物をする人々も、また多いのです。オフィス機器販売店に行けば日本製の最新ゲーム機まで売っており、「貧しい国」というただの一言ではとらえきれないものを感じます。

日本車と路上のブードゥー・アートト(ブードゥー教は、ハイチで信仰されている民間信仰)img

日本車と路上のブードゥー・アート(ブードゥー教は、ハイチで信仰されている民間信仰)

高台にある外国人や富裕層向けのレストラン(ちなみに、私はここでお腹を壊しました)img

高台にある外国人や富裕層向けのレストラン(ちなみに、私はここでお腹を壊しました)

 さて、連絡調整要員の職務は、我が国が派遣している自衛隊の施設部隊及び司令部要員と各機関の連絡調整にありますが、部隊等の現地での活動を実見し、PKO事務局に報告することもその一つです。先の東日本大震災では、あまりの被害に日本中が心を痛める一方で、救援作業にあたった自衛隊の活躍に勇気づけられた方も多かったかと思います。私にとっても、この日本から遠く離れた地で、同じく震災復興にあたる自衛隊の活動を間近に見る機会を与えられたことは、非常に光栄なものでした。

日本のPeacekeeperと、子どもたちimg

日本の国際平和協力隊員と、子どもたち

 がれきを撤去したり、簡易な建築物を造ったりする施設部隊の活動は、ともすればとても地味なものです。しかし現場での隊員と現地の子どもたちとのささやかな交流を見ていると、こうした日本の活動が好意的に受け入れられていると感じます。私も、路上でよく「ジャポネ(日本人)!」と声をかけられました。なぜか笑顔で、親指を立てて……。町を走っている車はほとんど日本車ですし、ハイチの人々にとって日本は、実は我々が思っているほど遠い国ではないのかもしれません。

 ハイチでは日本のNGOがいくつも活動しており、国際機関の現地事務所でも日本人職員が活躍しています。PKOがよりハイチの発展に役立っていくために、これらの団体との協働も大きなテーマになっています。震災復興から自立できる国づくりへ、ハイチへの支援のあり方は転換点にあるとも感じます。現地での経験を生かして、日本の国際平和協力が更に充実したものになるよう、微力かもしれませんが、応援していきたいと思っています。

(平成23年9月)