現地からの声:ハイチ連絡調整要員として勤務して

平成23年8月
ハイチ国際平和協力隊 連絡調整要員
 浜畑 英寛(ひでひろ)

 はじめに 平成23年6月初旬から、私は、防衛省から内閣府国際平和協力本部事務局(PKO事務局)へ出向し、ハイチ国際平和協力隊連絡調整要員として約3か月の予定で勤務しています。ハイチの首都ポルトープランスにある連絡調整事務所は所長以下5名で勤務しており、ハイチで活動する自衛隊を始め、各関係機関との連絡・調整を行っています。 現在、私は約2か月の勤務を終え、残りあと1か月というところです。まだまだハイチのことを深く理解したわけではありませんが、これまでの生活を振り返って、ハイチにいて気づいたこと、考えたことを述べていきたいと思います。

ハイチで活動する自衛隊宿営地の正門前での筆者img

ハイチで活動する自衛隊宿営地の正門前での筆者

1 ハイチの第一印象
 3月11日に東日本大震災が発生し、地震、津波による大災害とともに今もって終息の兆しを見せない福島第一原発の大惨事に見舞われた日本。震災直後は、私自身も震災関連の業務を行っていましたが、その3か月後、かねてから希望していた国際平和協力業務でハイチに来ることができました。
 ハイチでの第一印象は、正直に言って、暑くて衛生的でない国というものでした。ニューヨーク経由で入国した私は、6月8日の昼の12時過ぎにハイチのポルトープランス国際空港に到着しましたが、まず、私の目を引いたのは、空港に飛行機が着陸する時に窓から見えた、膨大な数のIDPキャンプ(震災で家を失った人々が住む場所で、現在はハイチ全土で約1,000か所、60万人が住んでいると言われています)のテントです。首都の空港周辺には、高層建築物が一つもなかったことも印象的でした。

IDPキャンプの一例img

IDPキャンプの一例

 空港に降り立って感じたのはやはり暑さです。日本の夏のように湿度は高くありませんが、日差しが強く、少し歩くとすぐにびっしょり汗をかくほどです。そして、なぜか、ハイチはゴミがいたるところに散乱しています。弁当ガラやペットボトル、紙類、袋類、缶やプラスチック等々、なぜか道にそれも膨大な量で捨てられているのです。これらは悪臭を放ち、見た目も汚かったので、私のハイチに対する第一印象も暑くて衛生的でないというものになりました。
 しかし、勤務2か月を過ぎた現在、暑さや衛生上の悪さはあまり気にならなくなりました。正確には、2週間程度でほとんど気にならなくなりました。衛生面に関しては、水を始め、露店で購入する食品など、体内に摂取するものには注意していますが、ハイチで生活を続けることで自分自身が周りの環境にも慣れてきたのだと思います。
 また、汚さがあまり感じられなくなった理由には、私がハイチに来た時期と同時期くらいに、ハイチ人自身が街の美化に取り組む運動を活発化させ、ほうきと善意を持ったデモとも言われる運動で街の清掃を積極的に行っているからだとも思います。最近では、私たちが生活している地区で毎朝のように清掃が行われていて、私がハイチに初めて到着した頃に比べて道路は少しずつですが、きれいになってきている印象を受けます。 

2 ハイチでの治安について
 連絡調整要員としてのハイチでの仕事は、ハイチ国内の各関係機関との連絡・調整を始めとして、PKO事務局に報告するために、ハイチで活動する日本の自衛隊の宿営地へ行き情報を収集したり、毎日国連が配布する資料を元にした報告書を作成したり、ハイチでの自衛隊の活動を視察したりします。また、ハイチにおける自衛隊の活動について根拠となる法規類との整合性の確認、さらに、マスコミ関係者への対応等々、種々の仕事があります。そのため、連絡調整要員は、ハイチ国内で首都ポルトープランスを中心にいろいろな場所へ行きますが、治安状況が非常に気になります。  連絡調整要員は、勤務する際、安全上の観点から迷彩服を着用しています。私などは、日本にいる時は迷彩服を着る機会がないので違和感がありましたが、自衛隊の宿営地に入る際、また、他国の軍人等と接触する際には、日の丸のマークが入った迷彩服を着用している方が、スムーズに仕事が進められます。
 ハイチは、日本でも大きく報道されたとおり、昨年1月に大地震に見舞われ、国連がかねてより展開していたPKOの国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)を増強し、増強を契機に日本の自衛隊も活動を開始しています。したがって、ハイチの人々は、迷彩服を着ている人=MINUSTAHとの印象があるとのことです。この印象が私たちの身の安全に与える影響についてはわかりません。迷彩服の着用には二通りの考え方があると思っています。迷彩服を着ているからMINUSTAHの人間に違いない、したがって銃を持っているから手は出さないとハイチ人が考えるので安全だとする考え方もあれば、迷彩服は街中で目立つ上、ハイチ人の中にはMINUSTAHを快く思ってない人々も多くいるので、かえって危ないとの考え方もあると思います。私自身は、街中を歩く時は、私服で行動しています。迷彩服を着ることで目立つと考えているからです。しかし、ハイチ人にとっては私が外国人ということには変わりなく、迷彩服を着用していなくても目立っているかもしれません。
 先に述べたとおり、ハイチでの仕事の一つとして、国連から配布される資料を元にして報告書を作成するというものがあります。その中には、治安情報が記載されており、強盗、殺人、誘拐、暴行、レイプ、窃盗等の情報が書かれています。私自身は銃声を聞いたり、犯行現場を目撃したりしたことはありませんが、まだまだハイチは、日中夜間を問わず凶悪な犯罪は後を絶たず、治安が回復したとは言えないようです。したがって、私たちも夜間の一人での外出は控えていますし、移動は基本的に現地スタッフのドライバーとボディーガードとともに車両で行います。また、私たちが滞在するホテルを始め、ガソリンスタンドや銀行、商店の一部等にはショットガンを持った警備員が常駐しており、日本では見られない光景のため、やはり治安の悪さの一端を肌で感じています。  しかし、日曜日などの日中に街を歩いていると、道沿いには露天のマーケットが立ち並び、野菜や果物等の食品類、衣料品、雑貨等を扱っており、活気があふれているという印象を受けます。マーケットは、多くの人々が利用し、常に賑わっており、このような中では犯罪も起きにくいのではないかと思うときもあります。

民芸品を取り扱うマーケットの一例img

民芸品を取り扱うマーケットの一例

3 自衛隊の活動視察を通じて感じたこと
 自衛隊からハイチに派遣されている施設部隊は、ハイチ復興のために、地震の被害を受けた建物の解体、その後の軽易な建設、敷地の造成、道路の整備、がれきの除去等の作業を行っています。連絡調整要員としての私たちの任務の一つに自衛隊の活動状況をPKO事務局に報告する業務がありますが、私がハイチでの勤務を始めてからも、自衛隊が、数多くの各種作業を同時並行的に進めているのを目にしてきました。
 首都ポルトープランスの西、車で1.5時間程のレオガンに所在するシグノ診療所というところでの自衛隊の活動を見たときには、炎天下の中での作業が非常に大変だろうと感じました。シグノ診療所は、ハイチのマザーテレサと言われる日本人、須藤昭子さんが長年にわたり運営に携わっている結核療養施設です。自衛隊は、同診療所に洗濯場等を建設しましたが、その完成時には日本のマスコミによる取材もありました。完成前、作業中の隊員の一人に聞いた時には、作業が暑さと蚊にさされることとの闘いと言っていたのが印象的でした。

日本人須藤昭子さんimg

日本人須藤昭子さん

自衛隊の隊員が建設、完成した洗濯場外観img

自衛隊の隊員が建設、完成した洗濯場外観

 最近では、軽易な施設の建設等のみならず、ハイチ人が自分たち自身の手によって復興することを目的として、自衛隊によるハイチ人への建設作業のための重機操作教育が行われました。ハイチ政府機関から選抜された男女4名が、約3週間にわたってバケットローダーとグレーダーという重機の操作方法を学び、資格を獲得するというものです。私自身は、重機操作の技能判定と修了式の様子を見ました。技能判定では、これもやはり、日陰のない中、広い敷地をめいっぱい使った炎天下での教育は大変だっただろうと思いました。また、別の日に行われた修了式では、教育を受けたハイチ人が、重機操作の資格を得て今後も仕事に活かせることができると語り、非常に喜んでいたのがとても印象に残りました。
 また、私が、すばらしいと思ったのは、隊員がハイチ人たちと十分なコミュニケーションを取って教育を行っていたということです。ハイチでは、クレオール語とフランス語が公用語ですが、ほとんどのハイチ人はクレオール語しか話せないようです。そのような中、教育には「英語→クレオール語」の通訳が付いていたとのことですが、通訳も介しながら、隊員はクレオール語も覚えつつハイチ人たちに重機の操作方法を教えていたとのことでした。教えた隊員の側も、ハイチ人がとても喜んでくれたことで成果が目に見え、大変やりがいのある仕事だったと話していました。

技能検定の様子:グレーダーimg

技能検定の様子:グレーダー

修了証書授与の様子img

修了証書授与の様子

4 ハイチでの生活を通じて感じたこと
 私自身、ほとんど初めての海外生活で、しかも発展途上国での勤務であったため、治安情勢以外にもいろいろと考えることがありました。ハイチで気がついたことの一つは車の多さに伴う騒音や危険です。ハイチ経済は停滞しているという割には市中には車があふれ、クラクションの音や大型車が行き交う音が鳴り響いています。また、人々の声もひっきりなしに聞こえ、最初の内は喧騒のひどい街だとも思いました。交通事情に関しては、十分歩道が整備されていない道路を車と人がそれぞれ通り、車はずいぶんスピードを出して走るので、歩行者は十分気を付けなければなりません。日本と違って車が右側通行なので、私自身も車に身体すれすれに走られて、危うく接触しそうになったことも何度かあります。信号機もほとんどなく、車同士が譲り合いながら走るのですが、無理な割り込みや追い越しが普通に行われている印象です。

街を行きかう自動車img

街を行きかう自動車

 また、水や電気の状況もよくありませんでした。私たちは、勤務場所及び住居としてホテルを利用しており、水道の水はうがいをしたりするのには問題ありませんが、飲用には適しません。飲用や料理用には常に購入したミネラルウォーターを利用します。ハイチ国内でも、衛生的な水に普通の人々がアクセスできるようになることが大きな課題となっています。電気については、私たちが勤務する場所では、日中夜間を問わず停電が発生し、生活の不安定さを感じさせる場面も往々にしてあります。もっとも、ハイチでは電気を利用できる人々は全体の3割程度で、電気を利用できる人々も1日に平均10時間程度と言われていますから停電は当たり前とも思われます。
 一方で、ハイチは、自然に恵まれているため、観光地としていい場所もたくさんあるだろうとも思いました。私はまだ行ったことはありませんが、ハイチ南部や南西部には、ジャクメルやレカイエといった美しい場所があると聞きます。首都ポルトープランス周辺でも自然が多く残されているので、観光客が訪れやすい場所を整えることで、国の発展につながるのではないかと思いました。ただ、ハイチは西半球で最も貧しい国で、国民の半数は、1日1ドル以下での生活を余儀なくされていると言われており、まだまだ、ハイチ国民自身が少しでも豊かに暮らせるようにならなければ観光資源開発どころではなく、それに、震災からの復興途上ですから、観光客誘致に目を向けるような余裕はないかも知れません。しかし、クリントン元米大統領夫妻も新婚旅行で訪れたという美しい海と山に囲まれたハイチの国土が、いつかきっと多くの外国人が訪れる場所になる日がくればいいと思います。

ハイチ南部の都市ジャクメルの海岸img

ハイチ南部の都市ジャクメルの海岸

5 おわりに
 ハイチでは、貧しい上に震災の被害を受け、毎年7月から10月のハリケーンシーズンにはその被害が危惧されています。日本も今、震災の被害で苦しみ、大変な時ですが、勤務期間中8月1日には自衛隊が福島県以外の東北地方から撤収するというニュースを耳にしました。当然、日本の復興もこれから長い期間を必要とするものと思われますが、自衛隊が約5か月で東北地方から撤収したことと比較すると、ハイチでは震災から1年7か月を経た今も、まだまだがれきが多く残り、人々の生活も安定しないために国際社会の支援を必要としており、日本との差を感じます。一つには、5月に大統領が選出されたにもかかわらず、政治的に停滞して8月に入った今も新首相が決まらず、新政府が発足しないことに見られるように、政府が安定的に機能しないことが復興への阻害要因になっていると思われます。

豪雨による被害の一例img

豪雨による被害の一例

 一方で、勤務期間中、ヴードゥー教(アフリカに起源を持つ精霊信仰とキリスト教との混淆によって形成された信仰)の要素を取り入れたハイチの民族舞踊や、コンパと呼ばれるジャンルの音楽演奏に接する機会がありましたが、非常にエネルギッシュでハイチも他の国に劣らない独自の文化を誇る国であると感じました。人々は非常に活気に満ちあふれており、少しずつではあっても、必ず国民のエネルギーがハイチを復興に向けて動かしていくだろうと感じています。

ハイチ人による民族舞踊img

ハイチ人による民族舞踊

 今回私は、3か月という短い期間ですが、連絡調整要員としてハイチでの国際平和協力業務に携わることができ、非常に貴重な経験になりました。この経験を今後の業務にも生かし、ハイチのような国が抱える問題への取り組みについて考えるきっかけにしたいと思っています。

(8月8日 於ポルトープランス)