現地からの声:日本人としての貢献の形とは?

日本人としての貢献の形とは?

平成23年7月
UNMITバウカウ・チーム軍事連絡要員
2等陸佐 栗田 千寿(ちず)

 よく行く女子孤児院の子たちに「マナ・クリタ!」と呼ばれます。(連呼されます。)テトゥン語ですが、直訳すれば「タコ姉さん!」というところです。なついてくれているのか、「タコ」と呼ぶのが楽しいだけなのかは不明ですが、パワフルな女の子たちに囲まれるのは楽しくて、元気をもらっています。

日本人とも縁の深い「ラガ女子孤児院」の元気な女の子たちimg

日本人とも縁の深い「ラガ女子孤児院」の元気な女の子たち

〇「軍事連絡要員」って?
 今まで国連PKOの歴史の中、「軍事監視要員」は色々な国で活躍しています。簡単に言えば、紛争の後、当事者同士の合意の上、もう紛争が起こらないようにするために「第三者」として間に入る存在。それはミリタリーでないといけないでしょう。うん、納得。
 東ティモール派遣のお話を頂いてから、ずっと不思議でした。紛争後で治安が不安定、だからミリタリー。うん、納得。でも国境の監視でもなく、武装解除や武器監視でもなく、「情報収集・報告」が主たる任務? それなら、ミリタリーでなくてもいいのでは??
 私の所属するバウカウチームは国のほぼ東半分を担当していますが、国境を含んでいません。(反対に、国境がないため広い地域を割り当てられています)収集する情報は、「治安情報」を主としつつ、関連する社会基盤に関する情報、つまり、食料・経済・インフラ・衛生事情など。これらが悪化すれば、治安の不安定につながりかねないため、あわせて情報収集をしています。情報収集のための主な訪問先は、地方自治体、特に「村」。主に村長がインタビューの相手です。

インタビューの様子img

インタビューの様子

 再びですが、じゃあなぜミリタリー? わざわざミリタリーの格好(迷彩服)で? べつに文民でもいいのでは?
 でもとにかく派遣されるのだから、自分の仕事を覚えて淡々とやればいいじゃないか、と思いつつ、すっきりしないまま疑問を抱えて現地での活動を開始したのが実際でした。

〇ミリタリーの意義
 現地で、手探りでつかんだ感触は2つあります。
 1つは、「ミリタリーは危険を顧みず、組織だった活動ができる。しかもタフ」ということ。
 「危険を顧みず」と言えば「服務の宣誓」。自衛官は入隊(任官)の際に、全員が「事に臨んでは危険を顧みず……(中略)誓います」という宣誓を行います。他の国ではどうかわかりませんが、とにかく共通認識として、ミリタリーである以上「危険回避能力」や「多少の危険は冒しても任務完遂できる能力」が期待されているようです。例えば野外で行動中、誰かが投石をしてきたとしたら、どうしたらいいでしょうか? おそらく地面に伏せる、車両などの物陰に隠れる、そういった行動をとっさにとれる(とみなされている)のがミリタリーの人間、というところでしょう。
 また、ミリタリーでは「指揮系統」「基礎的動作」といった認識は国を越えて共通だと考えられています。チームリーダーが言います。「我々はシビリアンじゃないんだから、できるだろ!」(実際は、こんなにおおげさな内容ではありません。時間を守る、テキパキ行動する、というようなことです。日本人にとってはミリタリーでなくても「常識」ですが……。)

バウカウチーム勢揃い(5月下旬)img

バウカウチーム勢揃い(5月下旬)

 タフという面では、軍事部門に与えられている車両。他の文民や警察官に比べ、非常に頑丈な車種です。(その分乗り心地は度外視?)そして、どの部署よりも一番泥まみれで帰ってきます。現地の政府関係者も国連の他のどこも訪れないような奥地までも行きます。全ては道路が悪いせいですが、雨季には孤立するような村、警察もパトロールに寄りつかないような村、ひどいところでは過去2年間、国連や政府関係者が一度も訪れていないような村もありました。日帰りで帰れない場所は「オーバーナイトパトロール」と言って泊りがけでも行きます。車の通れない孤立した村へはヘリを頼んででも行きます。歩いてでも行きます。とにかく、どこでも行きます! というのがUNMITにおけるミリタリーの役割のようです。

難所はチームで協力して通過img

難所はチームで協力して通過

 2つめは、「ミリタリーの服装で国の隅々まで存在(プレゼンス)を示し治安安定に寄与する」ということ。
 ある国の同僚が言っていましたが、「自分の国の迷彩服はインドネシア軍の模様に似ているから、まれに地元の人に怖がられることがある。」だそうです。これは良い例ではないかもしれませんが、ミリタリーは目立つので人々はよく見ています。諸外国のミリタリーの人間が自分たちに協力する姿を見て、安心感を得ることもあるようです。しかも、我々は武器を持っていません。怖いはずのミリタリーが、武器も持たず自分たちのすぐそばまで来て話を聞いていく、という姿は、住民の目にどう映っているのでしょう。
 ちなみに、UNMITでは国連警察も活動していますが、彼らは武器(拳銃)を携行しています。住民の一部には、警察は好きでない人もいるようです。もちろん警察とは任務が違います。ミリタリーの一員としては、いかつい服装の分、武器を持っていない強みを活かして、穏やかに、親身に振る舞うよう留意しています。

〇日々の業務
 私の所属するバウカウチームは150以上の村を担当しているため、同じ村に再度行くことはほぼありません。(村の他に地区の役所、警察、診療所等もあるので、訪問先は相当な数になります。)そのため、毎日新たな出会いにワクワクしながら、そしてチームの突然の訪問にも快く迎えてくれる地元の人々に感謝しつつ、誠実に聞き取りをするように心がけています。
 「村人の方々、食事は1日何回ですか?」「1回かな。」「えっ、1回なんですか? お米は1回だとしても、他にイモとかバナナとかは?」「そうだね。そういうものも手に入るね。」「それらを入れると3回はとれますか? でも、お米は足りないんですよね。それは大変ですよね。」「そうそう!特に最近は天候不順で、乾季でも雨に降られて。せっかく刈り入れしても、ねずみにやられてしまって!」「ねずみですか…。商用のお米は、道路が悪いせいで高いんですよね。」「そうなんだよ! 政府が供給米をくれないから!」……
 聞き取りによる情報収集はフェイス・トゥ・フェイス。聞き方によって情報の量も質も変わってきます。最初の出会いから明るく、そして相手の状況に理解を表しつつ、聞きたいことを聞き出します。その中で、相手の話したいことには耳を傾け共感するようにします。だんだん会話がはずんで、インタビューの後には外まで見送ってくれます。その温かさに胸が熱くなります。ティモール人は、本当に人懐こいんです。私の怪しい英語でも務まるのは、幸いにも機転のきく通訳がいてくれるおかげです。

経路上で村長と落ち合ってのインタビューimg

経路上で村長と落ち合ってのインタビュー

 この任務は、直接人々に物を供給できるわけでなく、すぐに生活を改善できるものでもありません。ただレポートにより本部に報告し、窮状に対する何らかの政治的な処置を期待するだけです。そして、僻地の村々はどこも苦しい生活環境です。その分歯がゆいことばかりですが……。
 「この村には、水道がないんですね?」「インドネシア時代はあったんだけど、争乱で壊されたからそれ以来ないよ。」「水源まではどれくらいですか?」「今は乾季だから。ひどいところではね、朝2時に出発して夕方4時に帰ってくるんだ。」「えっ! 14時間ということですか?」「途中でね、運んでいる者も喉が渇いて、道沿いの家に『水を飲ませて』と頼むんだけど、『水持ってるじゃないか!』って断られるんだよ」「ふぁー! なんてひどい!」「そうだろ!!」……
 地方でインフラが悪い原因、争乱のせいもあるそうです。以前は電気も水道もあり橋もまともだったのに、破壊されて今は悪い状況。独立(自由)と引き換えに、生活の不便さが犠牲になっている、という印象を受けます。
 同じ目線で、というと傲慢みたいですが、住民の方々の近くで共感することはできると思っています。ほぼ毎日聞くような食料事情やインフラの悪さにも、「うんうん」と聞くことの繰り返し。多くの村では、「政府に窮状を訴えたのに、何も返事が来ない!」という不満を抱えています。何もできませんが、「こないだ来た日本人は、この村の状況にやたらと感心して帰って行ったよ。」と言われるだけでもいいと考えています。

〇日本人として?
 PKOの現場では、各国の軍人がまぜこぜになって勤務しています。ある意味、「旗の見せ合い」だと感じています。パトロールやインタビューといった同じ仕事を担当していても、人によって地域への貢献の形は色々なスタイルがあるようです。インタビューした先に小さなプレゼント(国から持ってきたもの)をしていく人、子供たちにキャンディーをふるまう人…。
 私は「ガジェット・ガール」と異名をとる「未来の国から来た日本人」(同僚談)としての強みを生かしています。撮った写真をその場でプリントしたもの、国旗シールを貼った3色ボールペン(日本製というのがポイント)……。子供にはキャンディーもあげますが、決して空中に投げたりしません。食べ物をばらまいたりしないのが日本人なのです。
 日本はPKOへの参加人数が少ない国なので、精一杯日の丸を見せることと、なるべく皆さんの近くにいることに心がけています。「チナ!」(中国!)という呼びかけにも、「ラエ、ジャパゥン!」(違うよ、日本!)といったように。日の丸のついたTシャツを着ていると声をかけられる機会が増えます。幸せを感じます。
 「マラエ!」(ガイジン!)と言って集まってくる子供たち(時には何十人も!)。あげるものがなくなったら、どうしているでしょう? (同僚の誰もやっていない方法です。)しゃがんで、笑って手を伸ばします。
 興味津々だけど遠巻きの子供たち、最初の勇気ある子が握手した瞬間、怒涛のように押し寄せてきます。
 はなたらしながら、ドロドロの手でも、小さい手は全部しっとりと温かいです。一人一人の手をぎゅっと握って、こっそり「頑張ってね」とつぶやいています。 この国の未来は君たちのものだぞ! と念じながら。

言葉がわからない時は日本語で(なぜかなんとなく通じます)img

言葉がわからない時は日本語で(なぜかなんとなく通じます)

〇女性として?
 女性の軍事連絡要員としてのプラスアルファ。それは、地元の人々により新鮮なインパクトを与えること。
 例えば、ティモールの女性が車を運転するのは、ごくごくごくまれです。私がUN車を運転しているとすごく注目されます。運転しながらでも「ボンディア!」(おはよう!)と声を発して挨拶したり、私服の際はなるべく髪を下ろすなどして、女性であることが識別できるように心がけています。たいてい、人々は驚いたようにそして嬉しそうに、手を振ってくれます。そういったことが、この国の女性を元気付けられたらいいなと思います。運転もミリタリーも、女性だってできるのです!

現地のたくましい女性警察官とimg

現地のたくましい女性警察官と

 最近新しく、ある「調査」が業務に課されました。子供たちの、はしか接種・ビタミンA・虫下し薬の状況を調べる、UNICEFへの協力です。1つの村で20家族に話を聴く、この調査が大好きです。1軒1軒家を訪ねて、お母さんたちと出会えるのが楽しみ。「7人」「9人」といった子供の数に毎回驚きつつ、ありがとうと握手します。はにかみながら笑顔で答えてくれる彼女たちは、日々の暮らしに一生懸命、健気で胸が熱くなります。
 こんなお母さんもいました。彼女は6人の母、お父さんはもとからいません。詳しい事情はわかりませんが、性の犠牲者であることは確かです。地元の人によると、こんなお母さんは珍しくはないそうです。彼女の人生を思うと涙が出そうになりました。細い体をした彼女の微笑みが寂しそうに見え、私は持っていたキャンディーを1つ渡しました。「いつもはね、子供たち用なんだけど、これはあなたのだよ」と言いながら。(日本語で)敬意と激励のつもりでした。でも彼女はそれをすぐにしまいました。調査が一通り終わり帰る直前、「あっ」と思いつき、彼女のところに行ってこっそり、あと6つ、キャンディーを渡しました。
 数秒間見つめ合い、嬉しそうににっこり笑った彼女の、強いお母さんのことを、私はずっと忘れないでしょう。

(7月20日 バウカウにて)