高市内閣府特命担当大臣記者会見要旨 令和5年3月22日

(令和5年3月22日(水) 9:44~10:12  於:中央合同庁舎第8号館1階S106会見室)

1.発言要旨


 冒頭発言なし

2.質疑応答

(問)総務省文書についてお伺いしたいです。一昨日の国会審議でもかなりやっていましたが、大臣のおっしゃっている4つの文書については、ありもしなかったことをあったかのように書いた文書であると。なおかつ大臣がこの経緯を知ったのは、5月11日の夜になってからであると。5月12日の答弁の前にメールでやり取りをしたとおっしゃっています。5月12日に総務大臣として答弁をした日があって、その前の日に担当課とやり取りしたと大臣はおっしゃっていて、結局、そこまでいろいろな経緯を知らなかったと。
 大臣の論理を突き詰めて考えると、総務省が大臣に関わる4文書以外は全てを総務省文書として認めていて、そういったことがあったとの趣旨の話をしているのですが、そうなると大臣の論理を突き詰めれば突き詰めるほど、大臣は山田秘書官が「放送法の根幹に関わる」と言っていたことについて、ずっと総務省と官邸とでやり取りしていたことを知らずに、ここから全く外されて、安倍総理の3月5日のレクも知らずに、安倍総理からも信頼されていなかったことになると思うのですが、その点について、山田秘書官が放送法の根幹に関わると言っていたことについて、大臣はずっと知らなくて、そのプロセスから外されていたということは、安倍総理にも信頼されていなかったことにどんどんなると思うのですが、それについてはどう受け止めていらっしゃるのでしょうか。
(答)今、おっしゃった経緯、つまり当時の礒崎総理補佐官が放送法に御興味をお持ちであって、総務省の情報流通行政局が何度かやり取りをしていた一連の経緯について知ったのは、平成27年ではなく、今年の3月冒頭でございます。小西議員が入手された文書を公表され、それに基づいて私に質問するからということで、そこで初めて知りましたので、礒崎補佐官が何らかやり取りをしていたことから、そもそも承知しておりませんでした。
 また、安倍総理についてもおっしゃいましたが、安倍総理から私に対して、例えば放送法の条文解釈について何か説明をしろ、といった申出も今まで受けたことありませんでしたし、私の方から、いわゆる条文解釈について説明に上がったこともございません。
 一連の経緯と言いますか、そういったことから、残念ながら完全に外されていたのかなと思いますが、それ以上のことは私には分かりません。
(問)それについては、御自身としては、極めて重要な放送法の根幹とも言える部分について、山田秘書官がそう言っている部分について、今、外されていたのかなとおっしゃいましたが、
(答)そのように聞かれたので、そう申し上げました。
(問)3月5日の極めて大事な総理レクについても知らなかったと、今回の経緯で明らかになったわけですが、今回の質問で初めて分かったということであれば、
(答)3月5日の総理レクというのは、どなたがどなたにレクをされたのですか。
(問)礒崎さんが総理にレクをし、そこに山田秘書官も同席したと総務省の文書に明確に書かれていることです。それについても知らずにいた、この一連のことについて、大臣が知らないということは、元々、礒崎さんは内閣府の補佐官であって、担務外でもあり、総務省は一国会議員みたいな言い方をしていますが、これ自体が、大臣が知らなかったとなると、違法なプロセスを経て出来てきた補充的解釈、補充的説明になると思うのですが、この違法性についてはどうお考えですか。
(答)違法だとは思いません。5月12日の参議院総務委員会での私の答弁は、前の日に初めて原課が作った答弁案が来ましたので、それを読むうちに、これだともしかしたら、放送番組全体で判断するということは、取る人によっては「一つだけの番組でも」と取られてしまう答弁ぶりではないかと考えましたので、そこを「原課ともう少し詰めてくれ」と、「この言いぶりでは答弁できない」と大臣室に返しました。
 普段でしたら、大体、私が居た時は「10時ルール」というのがあって、夜10時までには答弁案があれば大臣に出すと。それを超えたら、基本的に本人は読まないので、終電がなくならないうちに帰ってくださいというルールがあったのですが、あの日だけは本当に私が答弁案に納得出来なかったものですから、とても気の毒なことでしたが、原課の方も、大臣室の方も、深夜までやり取りをしておりました。
 ですから、それは強烈に申し訳ないということで、印象に残っております。その後、一つの番組であっても編集の在り方についての地上波2波への行政指導例はある、などの説明資料が原課から来ました。それを読んだ上で私なりに頭を整理して、大臣として責任を持って答弁させていただいたものでございます。
 統一見解は、その次の年のことであったと思います。これは翌年の2月であったと思うのですが、安倍総理がなさった、「番組全体で判断する」という答弁と、私がその前の年の5月にした、一つの番組であっても、極端な場合の例示を委員が挙げられて問われた時の答弁に食い違いがあるのではないかという御指摘を野党の方々からいただいて、きちんとペーパーで出してくれということでしたので、翌年に政府統一見解を作った経緯がございます。
 私は全体像を見ていて、もしも当時、安倍総理が1つの番組に関する解釈に拘っておられたとしたら、翌年に全く違う答弁をされなかったのだろうと思います。
 ですから、私自身はこの一連の、礒崎補佐官がこの前の年の平成26年から原課とやり取りしていたことも知らなかったですし、もし、2月という時期に原課とやり取りをすることを私が知っていたら、NHK予算案提出前の本当に一番大変な時期です。国会に提出する前には与党プロセスも経なければいけない、与党に呼ばれて説明しなければいけない、その後、国会に提出したら、その後の想定問答の準備もしなければいけない。だから、こんなに忙しい時に、今、働き方改革を一生懸命やろうとしているのに、あまり官僚を呼ばないでくれという電話は絶対私でしたら、していたであろうと思います。礒崎補佐官という立場で動いておられたのか、一国会議員として、この疑問点を聞いておられたのか、ここのところは私には分かりません。
(問)大臣が5月11日の夜に、原課に、これでは、というやり取りをして、それで答えが返ってきたというお話でしたが、大臣が翌日の5月12日に答弁された内容は、総務省文書によると、平成26年の、実際には12月から1月終わりにかけて、礒崎補佐官と総務省の局長を含めた人たちで練り上げられたもので、相当、総務省が押し返したにも関わらず、押し切られた内容であったのですが、いろいろなやり取りがあって、最後出来てきた答弁が、大臣が5月11日に初めて聞いて、やり取りをして練り上げられた答弁と、てにをはも含めて全く一致しているのは、確率的にあり得ないと思うのですが、その不自然さはどのように説明されるのでしょうか。
(答)その前の年からのやり取りは、私は承知いたしておりません。だからこそ、私は疑問を持ったのです、5月11日の夜に。このままでは、放送事業者の方々を萎縮させるような答弁になってしまっては困りますので、そこにかなり拘りました。それで資料を取り寄せて読んで、昭和39年でしたか、そういった答弁もあるので、本当に極端な場合であれば、そういうこともあり得るのだろうけれども、番組全体を見ること、これは放送事業者に共有されている。それから、本当に極端な、これは内容ではなくて編集の在り方について、地上波2波に一番組であっても行政指導が出されたこと。そういった事実も当然、放送事業者の皆様が共有されているといった観点から、私なりに納得して責任を持って答弁したものでございます。それ以前の私の知らない場所でのやり取りについては、私には分かりません。
(問)岸田首相の外遊についてお伺いしたいのですが、昨日、岸田総理が電撃的にウクライナを訪問しました。まず、この評価をお伺いしたいです。あと、土曜日にドイツのショルツ首相と会談して、ここでは経済安全保障が大きなテーマとなりましたが、一般に中国の進出を念頭に経済安全保障の強化は重要だと叫ばれている中で、この日独の会談、どのような成果があったと受け止められているのか、教えてください。
(答)ウクライナを電撃的に訪問されたことは、私もとても驚きました。非常に厳しい日程だと思います。10時間列車に乗って、また往復されるわけでございますから、帰ってこられて、またすぐ国会もあるでしょうから、相当な準備をした上での訪問であったのだろうと推察をいたします。また、そこでしっかりと日本の連帯の意思を示していただいたことは、とてもありがたいことだと思っております。
 また、先週土曜日に開かれました日独政府間協議でございますが、これは幅広いテーマに関して日独間の協力を推進することを目的にして、首脳と複数の閣僚が日独間で新たに協議の枠組みとして、昨年4月の日独首脳会談の際に立上げが確認されたものでございます。土曜日の会合は、その第1回目でした。土曜日の会合は、経済安全保障を中心テーマとしておりました。関連するグローバルな課題における日独の役割や国際社会における協力などを幅広く議論しました。連携を強化することで一致して、成果文書として共同声明が発出されました。経済安全保障の取組を含めて、G7広島サミットに向けて緊密に連携していくことが確認されたことは大変意義深いことだと思います。
 また、日独の政府間協議に先立って、私はハーベック副首相と、フェーザー内務大臣ともそれぞれバイ会談をいたしました。両大臣とも経済安全保障に大変強い御関心をお持ちで、ハーベック副首相が特に関心をお持ちであったサプライチェーンの強靱化や先端技術の保護などについて議論をいたしました。フェーザー内務大臣は、特に基幹インフラの保護などで、日独で知見を擦り合わせながら協力していこうということで、非常に有意義な意見交換が出来たと思っております。経済安全保障の分野で、日独の連携を強化することになったのは、大変ありがたいことだと思っております。
(問)放送法に関してお伺いします。20日の予算委員会で、午後、答弁の一部を撤回されるような答弁がありました。午前中は撤回されなかったのに、午後になって答弁の一部を撤回した理由を教えてください。
(答)まず、3月15日の参議院予算委員会において、杉尾秀哉委員から、「全く信用ができないです、あなたの答弁は。どうですか。」と御質問をいただきましたので、「私が信用できない、答弁が信用できないのであれば、もう質問なさらないでください。」と、答弁の中で発言をいたしました。
 私としては、言論の府でお互いに真摯に質問と答弁をする中で、答弁をしても信用していただけないのではないかと。そうであれば、御質問をされても御納得される答弁を申し上げることは難しいのではないかという思いで申し上げました。その私の発言が答弁を拒否していると受け止められて、国会の審議に御迷惑をかけることは私の本意ではありませんでした。
 一昨日の参議院予算委員会で、「敬愛の精神が必要だ」という末松委員長からの御注意を重く受け止めました。そして、「私が信用できない、答弁が信用できないのであれば、もう質問をなさらないでください。」という答弁のみについては、撤回をさせていただきました。
 杉尾委員からの御質問の前に、事実関係について答弁をした部分がありますので、そこは残していただきたいということで、後段の部分のみ撤回をいたしました。
 もとより、国会において御質問いただきましたら、私は必ず出席をし、真摯に答弁をするように心がけてまいりましたし、3月15日も杉尾委員のその後の御質問にもずっと答弁を続けてまいりましたし、3月15日以降の他の委員会でも答弁を続けております。今後もそのようにして、しっかりと答弁を続けていく所存でございます。
(問)関連でもう1点。大臣、18日にTwitterを更新されて、文書を捏造と断じた理由を明らかにする用意があるというような投稿をされていますが、この理由の説明に関しては、いつされる予定でしょうか。
(答)4つの文書について、私が事実と異なると考える箇所につきましては、参議院予算委員会で理事会協議事項となっておりました。そして、本日午前に私が作成した書類を理事会宛てに提出することになっております。
(問)今の関連です。先週、こちらの会見でも「捏造」という発言をされておりましたが、その根拠を示すということで、この発言自体は撤回しないことには変わりないと思いますが、いわゆる今、国会等々で出ている当時作成した3人の方の「捏造はしていない」とか、礒崎補佐官の聴取の内容を含めて、総合的に聞いている限りは、確かにこの「捏造」という発言はさすがに言い過ぎなのではないかと思います。
 御存じのように、森友問題では、総理の御意向が、ある種忖度したかどうか直接的には分かりませんが、佐川さんたちの指示で現役の官僚が改ざんさせられたことがございました。
 あのような事件を踏まえ、官僚が捏造し得るのかを含めて、「捏造」という発言自体に、ある種真摯に、そのやり取りの内容をメモして、3人で照合した方たちがいるにもかかわらず、それを「捏造」呼ばわりするという、さすがにこの表現自体が行き過ぎではないかと思います。何故これを改めないのか。ある種、官僚の仕事に対する冒瀆と言うか侮辱とも取れます。何故これを撤回しないのか。少なくとも言い改めることはできると思うのですが、この点はどうかという点と、そして一番の根幹です。大臣は直前に聞いて、これは下手すると1番組でも停波というか、放送法の政治的公平性が問われることになりかねないと、非常に慎重な意見を持ったように、法制局長官の回答や放送法の審議も必要であったかもしれない重要な新放送法の解釈であったと思います。これにも関わらず、直前に高市さんに示されたこと自体、ある種異常な状況だと思います。もし高市さんが言うことが真実であれば。もしそうであれば、翌日に無理やり1日の理解で答弁するのも、さすがに苦しかったのではないかということと、メモには総理と話ができるよう、平川参事官に今井総理秘書官経由でお話ができるよう確保して欲しいと言っていて、総理と話したことはないというお話ですが、今井さん経由で総理の意向を当時探っていたこと自体ないのか。私からすると、これだけ重要な答弁を総理への確認も全くないまま、前日の深夜までのやり取りで、この5月12日の答弁に向かうこと自体が、非常に難しい話であったのではないかと思うのです。つまり総理に確認せずに、これを答弁したことの意味ですね、これは必要がないと思ったのでしょうか。
(答)1つは、総務省の公表文書のうち、私に関連する4つの文書につきましては、私自身や大臣室の同席者に確認されていないこと。それから、私が発言するはずのない記述がなされていることもあり、それから実際に私が総理に電話したかどうかということも、放送法の条文の解釈について、電話で済ませる閣僚はまずいないだろうと。条文を見ていただきながら説明しなければいけないような案件です。他の法律でもそうでございます。
 そういう説明の御要求もありませんでしたし、私も条文を携えて、事務方も一緒に来て、官邸でそういう話をしたこともございません。ですから、ありもしないことをあったかのように作る、イコール「捏造」だという意味で申し上げました。
 それから、一番組で、先程、停波とおっしゃいましたが、電波法に定められている基地局の停止命令ですが、これは放送法全体に関わるものでございます。しかし、5月12日の答弁で、停波だとか、そういう話はしていないはずでございます。一番組でも極端な場合にどうなのか、と例示を挙げながらの御質問でございましたし、前の夜、随分私も、誤解が生じないようにかなり悩んで、原課から説明資料を取り寄せて、正に真夜中の作業になったかと思いますが、その上で総務大臣として責任を持ってした答弁でございます。
 これを総理に相談しなかったのかということでございますが、基本的に総務大臣としての答弁は、私が責任を負うものでございます。毎回毎回、委員会の度に割と重めの質問が来たときに、一つずつそれを総理に確認したり、お許しをいただいて答弁するような性格のものではないと思っております。
 また、総理に電話をするのに今井秘書官経由で、という指示を私が出したかのような文言がございますが、これもあり得ないです。どうしても総理に至急お伝えしたいことがありましたら、総理の携帯に直接私は電話をしておりましたし、それでお出にならない場合には、政務でしたら初村秘書、それから公務でしたら今井秘書官の携帯に直接電話をして、総理がお空きになるような移動時間などでお話しできませんか、ということは時々ありましたが、総務大臣室の職員に対して総理と話せる段取り、電話できる段取りを、しかも今井秘書官経由でやってくださいということを私がお願いするはずもないことでございます。
(問)先程の件ですが、今回初めて、この経緯が分かって、大臣は平成27年5月12日に答弁されているわけですが、この答弁が実は礒崎補佐官がかなり総務省にかけ合って、2か月をかけて練り上げられたものだと明らかになったわけで、それは総務省に騙されたという感覚なのでしょうか。
(答)そのようなことは申し上げたくありません。総務省に足かけ4年近くおりましたから、沢山の素晴らしい優秀な官僚がおられることは承知いたしております。ただ、全体像を見て、何か私に報告をしたかのような説明が必要な場面であったのではないか、という推察はいたしました。そういう推察はいたしましたが、それはもう8年も前のことですから、誰に対してどう思うというようなことは申し上げません。
(問)改めて、どうして捏造かというのをお話ししたのですが、では、大臣も知っているであろう安藤局長、当時の長塩放送政策課長、西潟さんが捏造し得るような官僚だと思うかということと、この捏造については、今言っているように、発言自体を修正することは今でもないということで良いかという点と、放送法の1番組でも政治的公平性が問われる、今回、文書が出されたポイントでもありますが、この解釈を撤回すべきではないかとの野党の指摘にはどう思うかをお願いします。
(答)「捏造」という言葉が少し強過ぎるのかもしれませんが、コトバンクなどで見ると、「ありもしなかったことをあったかのように作ること」だと思っておりますので、極めて不正確な文書であるから、それは「捏造」だと今も思っております。
 「上司の関与」を経てということは、修正もあり得るという旨、国会でも総務省が答弁をしておられたと思いますので、どなたがどのように書かれたのか、最終的な紙をどのように書かれたのかは私には分かりません。残りの3文書については、作成者も不明、配付先も不明ですから、作成目的そのものも分かりません。
(問)官僚の方、安藤局長などは御存じだと思うのですが、メモを擦り合わせて作成した彼らが、捏造し得るような官僚だと思われるかということです。
(答)最終的にどなたが最終案を書かれたのかは私も分かりませんので、何とも申し上げられません。

(以上)