衛藤内閣府特命担当大臣記者会見要旨 令和元年12月27日

(令和元年12月27日(金) 9:41~10:04  於:中央合同庁舎第8号館1階S103記者会見室)

1.発言要旨


 冒頭発言なし

2.質疑応答

(問)今日、沖縄で首里城の復元に向けて、技術検討会の初会合が開催されます。いろんな今後の検討課題などが議論されるかと思うんですけれども、沖縄振興を担当する大臣として受止めだったり、期待することをお願いいたします。
(答)沖縄の首里城の復元に向けて第1回の技術検討会に入れるということは、非常に大きな一歩だと思います。閣僚会議でも基本的な方針も決まりました。今まであった首里城、1712年にできた首里城は1945年に焼失して、そして、平成4年に再建されて、今年の10月31日に焼失した、その首里城の再建をするということを基本政策として、そして、年度内に具体的な日程も確定していきたいということでございまして、その意味での最初の技術検討会でございますから、当然ここに材木をどうするかとかいろいろな検討が入ってきますので、やっと検討会が動き出したと、本格的な検討会が総合事務局に本部を置いて動き始めたということで、私どもとしては、やはり首里城復元に向けて大きな一歩を踏み出したものと感じています。
(問)関連して、首里城のことでお伺いします。先日、菅官房長官が沖縄に行かれまして、プロジェクションマッピングの話であるとか、再建をやっている段階での観光振興についての話も出てきていると思いますが、大臣として首里城を復元中にどういう形で沖縄の観光をやっていきたいのか、改めてお伺いできますでしょうか。
(答)首里城焼失と同時に、関連の土産物売場の方とかから、これは大変だという話がすぐ入ってきました。もうそのときに私どもの方も、あそこに人を入れないということではなくて、できるだけ焼失したところも見られるぐらいの至近距離まで入っていただいて、そのほかに観光の方にはほかのルート、ほかのグスクに行ってもらうということも必要かもしれないけれども、今ある首里城そのものでも人を集めることは十分可能で、むしろそういう動きを見てもらう。そして、観光客を首里城から離さないという努力をしなければいけないのではないかということを当初から申し上げておりました。
 そういう中で、いろいろな方に検討いただいて、奉神門の前の手前までぐらいしか入れないという言い方をしていましたけれども、皆さん方、記者さんが入ったところ、それから私どもが入らせていただいた奉神門のところから、裏の庭から全部入れるようにして、全体、焼失した現状が見れるということで、そういう中でどういう建物があったということは分かるような形で、パネル展なのか、あるいは光でもって演出するのかというようなことをやっていって、観光客を離さないという努力をしなければいけない。
 もちろん、周りもグスクはいっぱいありますから、そこも見られるかもしれないけれども、本体そのものでも観光客を離さないようにしなければいけないということを申し上げてきていましたので、それに対して、同時に内閣府、あるいは総合事務局を中心に大変検討をしていただいていましたので、そういう中に乗ってこの話は進んできたものと理解いたしております。
 それを官房長官もちゃんとそういう総合事務局がやってきた努力をお認めいただいたと思っております。
(問)今年大臣に就任されて沖縄を何度か訪問されて、この間、首里城の火災もありました。先日は来年度予算も決まったばかりですけれども、今年を振り返って沖縄に関して御所感があればお願いします。
(答)首里城の火災という大変なことがありました。本当にショックでございました。それにしても、四度訪問させていただいて、あと、また二、三度はどうしても見たいとか、話したいというところはありますので、できるだけ早い時期にと思っております。
 そういう意味では、沖縄の首里城の位置付けというのは改めて感じましたし、また、沖縄のやはり発展についても考えさせられるところは極めて大きかったと思っております。
 よく私申し上げておりますけれども、大田中将の「沖縄県民斯く戦えり」、「後世特別の御高配を賜らんことを」といった、やはりいろいろ大変なことはあったかもしれないけれど、みんな一緒に戦ってきた、沖縄の本土も一体となってきたという歴史があったということで、改めて私どもとしては思い起こしながら、懸命に沖縄のために頑張らなければいけないということを心に決めて、やらせていただいてきたところであります。
 そして、改めて沖縄に入っていろいろ見ますと、更に沖縄が大変だったのは、昭和47年の返還で、本土の独立に遅れること20年でしたから、その20年の間というのは日本が高度経済成長に向けて頑張った時代。昭和48年がオイルショックですから、その時代に沖縄は基地経済、あるいは輸入経済としてやってきた。そういう意味では、この返還のときから第1次、第2次、第3次、それから、事実上は4次という形で振興計画を組みながらやってきた。そういう意味ではその遅れを取り戻すべく、みんなで頑張ってきたという感じがいたします。
 取り分けこの10年、私はあまり沖縄の振興計画をちゃんとやっていなかったのではないのかという思いで、最初沖縄を訪れました。しかし、みんなが、完成しているわけではないでしょうが、いろいろな努力をしていることを目の当たりにすることができて、沖縄の方々の努力、そして国を挙げてそれをバックアップしようとしていた努力の蓄積を見ることができて、非常に私としては有り難かったという気持ちであります。
 4次までやって、今がいわゆる第5次ということですけれども、特にこの第5次と言われる中では、振興計画が中心になってずっと動いてきました。だから、その中で、北部も遅れているばかりかというふうに思いましたら、中部から北部に掛けて、バイオに対する動きや、あるいはIT関係の動きなど、そういう時代も取り込んだような形でいろんな経済振興策が出ている。あるいは、南の方は牧港をはじめとする返還に伴うところの物流拠点化。空の物流拠点としてはやっとこの春に、3月26日に第二滑走路もできる、そして、海の方ももう一回やり替えていって、空と海の物流の大改革期に入った、その準備を今まで長い間かけてしていただいたんだと感じました。
 また、西普天間の51haの返還について、これは返還のときからどういう具合にやるべきかということについて、私も普天間に行ったときにあの飛行場も、51haの方の住宅地の方も見ながら、やはりここは健康医療拠点として大きく発展することができるのではないのかという話を、当時の市長さんたちともさせていただきましたけれど、それが大きく一歩も二歩も踏み出して、今実現に向かってやっていますので、そういうことを入れて更なる沖縄の振興策について、私どもも一緒に頑張らなければいけないということを感じました。
 ただ、さらには、この振興策の後で、やはり県民の幸せ、市民の幸せということでしょうから、もっと福利や教育に対する、今までみんなの頑張ってきた成果を市民に戻していける措置が必要なときが来たと思って、今沖縄の皆さんと接しようとしているところであります。
(問)昨日、衛藤大臣、官邸に入られて総理と少子化対策のことで指示を受けたというような一部報道ありましたけれども、具体的に昨日、総理からどういう指示があったのかというのを教えていただけますでしょうか。
(答)私から、いろいろと少子化について、有識者の皆さんから少子化に対する提言を23日に正式に頂き、それを受けて、私どもは少子化大綱を年度内に作り上げるということを申し上げていまして、それは当然閣議決定しなければいけないので、今ここまで来た中で、総理に今後どういう具合にすべきかということについて、改めて指示を頂きました。
 総理のもともとの指示は、希望出生率1.8を是非達成できるように頑張ってくださいということ、そして、その少子化の方向をちゃんと頑張ってくださいと。今までやってきたいろいろな方策にプラスして、無償化をずっとやられてきたわけでありまして、総理も強い意志をお持ちでございますから、あと、希望出生率1.8に向かってちゃんと少子化大綱を詰めて頑張ってくださいということでお話を頂きました。
(問)関連で、いわゆる新しい政策の打ち出しじゃないですけれども、その今度の大綱で、今まで出てきていないものでそういう新しい打ち出しについて検討するお考えはあるのでしょうか。
(答)今度の提言の中で、いろいろな形で書き込まれていますから、それをちゃんと読み込んで、当然いろいろな新しいものも出てこようかと、あるいは、今までのものにプラスして、もっと大幅な、抜本的な、総合的な対策を打ち出せるのではないかと思っています。そういう方向に持っていくことができる。提言を読んだ限りでは、その中にほとんど散りばめられていますから、その中から、私どもはもう一回体系的な整理をし、そして、抜本的に、総合的に頑張っていくことができれば、希望出生率1.8に向かって更なる体制をスタートさせることができると思っています。
(問)厚労省の方で年間の出生数が発表されまして、国の推計より早いペースで90万人を割り込みました。
 厚労省の理由としては、令和婚によりまして5月の結婚の件数が増えた結果、出産を先延ばしするような理由もありましたけれども、大臣の受止め、理由の分析と、それを受けてどういった政策をしていきたいかというのを改めて教えてください。
(答)厚生労働省の分析については、コメントする立場にありませんが、なかなかみんなが納得してくださる中身であるかどうかは、もう言わない方が良いと思います。
 いろいろな話をお聞きしてみたら、これだけのいろいろな手を打ってきたけれど、やはり仕事と子育ての両立は、核家族化の更なる進展によって極めて大変になっているということが御意見としてたくさん出てきます。
 それから、もう一つは最近のアンケートにも出ていますが、専業主婦希望の方が18.5%、それから、しばらく休んで、再就職をしてという方が35%ぐらい。ちょっと大ざっぱな数字ですけれど。それから、女性としてキャリアをそのままずっと続けていきたいという方が35%ぐらい、あとの5%が結婚したくない、あるいは、もう5%が結婚しても子供は欲しくないということで、1割ぐらいの方が欲しくないと言われているという数字であります。
 ですから、このなぜだろうということに対して、やはり欲しいとは思っている。だから、私ども希望出生率ということを、1.8ということを今を調べたときの1.8ですから、結婚されている方々は希望出生率が2ちょっとあるんです。でも、これらの方々のことで希望出生率1.8をかなえるためには、もっと専業主婦の方にも、あるいは育児休業中の方にも、あらゆる場面での、そういう方々を対象とした子育て支援ももっと徹底的にやるようにしなければいけないと思います。
 核家族化の進展ということのもたらしている意味をもう一回真剣に掘り下げて、それをどうフォローしたら良いのかということを真剣に考えない限り、大変だと思っています。
 また、もう一つの理由としてはよく出ていますが、核家族化のもたらした意味をもっと重く受け止めなければいけないと思うのと同時に、やはり大変な未婚化、非婚化が進んでおりますから、それに対してどこまでのバックアップができるのか、真剣に考えていかなければいけないと思っています。
 一番やはり残念なのは、どうも30代ぐらいにならないと男性も女性も一人前として見なされないという全体の風潮が極めて強いという中で、20代でもちゃんと結婚できる、仕事はちゃんと安定しているとか、いろいろな形でのバックアップ体制を取る。ここのところは、各県や市町村と一体となって進めていくということになってこようかと思いますが、内閣府としてはそのことをちゃんと指導できるような立場、引っ張る立場を取らなければいけないのではないのかと思っております。そういういろいろな形での充実策を考えなければいけないと思っています。
 それで、現実の出生数が、平成30年が91万8,000人ですけど、令和元年には90万人を切るかなと言われていましたけれども、なんと86万4,000人まで落ち込んだということで、5万5,000人近く落ち込んだということについて、総理も大変なショックを覚えている様子でありました。これは大変な状態で、強く認識しなければいけないというお話でございました。
(問)防衛省は25日に辺野古の基地建設に係る工期を、12年掛かるとの積算を明らかにしました。工事が2030年代まで大幅に延びる見通しとなりましたが、内閣府としても基地の跡地利用などにも影響が及ぶことが想定されますが、沖縄振興を所管する大臣として、影響も含めて御見解をお願いします。
(答)私どもはその普天間の危険除去へ向けて、返還計画が進んでいるわけでありますので、この返還計画を静かに見守って、そして、この跡地利用について、正に沖縄の将来を決めるものだと思っています。
 今既に北部の4,000haの演習地、それから嘉手納以南ということで西海岸を中心とする500ha、それから普天間の500haという、これが一つずつ既に西普天間の51haが返ってきたり、いろいろな形で進んでおりますから、一刻も早くそのことを全体見通した上で、沖縄の振興計画を一緒に考えていかなければいけないと思っています。
 必ずそのときに沖縄の方と一緒に考えていかなければいけませんから、沖縄の方からもその話が必ず出てくるものだと思っておりますので、それに我々が備えてまいりたいと思っております。

(以上)