石破内閣府特命担当大臣記者会見要旨 平成27年9月8日

(平成27年9月8日(火) 9:33~9:55  於:合同庁舎8号館1階S106会見室)

1.発言要旨


 おはようございます。お待たせしました。
 8月末で締め切りました先行型交付金の上乗せ交付についてであります。
 タイプⅠと称します先駆性を有する事業分につきましては、47都道府県659市区町村の合計706団体、全体の39%でございますが、これから合計1,155事業の申請があったところであります。
 それから、10月末までに「地方版総合戦略」を策定した団体への交付金、タイプⅡと申しますが、これにつきましては36道府県698市町村の合計734団体、全体の41%より申請があったところであります。
 具体的な内容はこれから拝見するところでありますが、先駆型のものは、この大まかな傾向について、特に人材育成・移住分野と観光分野で申請が多くなっているという印象を持っております。
 今後、外部有識者の方々による評価に基づきまして、10月下旬を目途に交付対象を決定してまいりたいと考えております。
 本交付金によりまして、地域の特色を活かした事業が早期かつ着実に実施されることを期待をしているものであります。
 詳細は、事務方へお問い合わせをいただきたいと存じます。
 次に、RESASを活用した地方自治体による分析事例の募集についてでありますが、これも8月末を締切りとしておりました。合計で35件の応募がございました。内訳は、都道府県10件、市町村20件で、組織としての御応募が合計30件であります。個人の応募は5件いただいております。
 この中には、例えば島根県松江市の応募内容です。周辺自治体-安来市ですとか米子市ですとか境港市ですとか出雲市です。-の広域連携を念頭に地域の流入人口を分析したものがございました。あるいは金刀比羅山で有名な香川県琴平町は、観光と産業を組み合わせた分析をしておられます。等々、データの合算や比較が容易なRESASの特徴をよく活かしていただいた、大変すばらしい分析事例もあったものであります。
 このような良い事例も含めまして、今回御応募いただきました分析事例につきましては、今週末にも開設します自治体の職員の方々向けのRESAS情報の共有サイトにおいてこれを共有いたしますとともに、9月15日、今度の火曜日に開催をいたします「RESASフォーラム2015」においても御紹介をしたいというふうに思っております。
 RESASというものが広まってきたと、「RESASカフェ」とか「RESAS BAR」とかもあるわけであって、これがだんだん広がってくる。この当初にも御説明をいたしましたが、お任せ民主主義ではなく、すなわち納税者の方、地域の主権者の方々にもきちんと情報を提供して、選挙に投票に行ったらそれでおしまいということではない。それはお任せ民主主義というものから脱却する大きな一助になるものだというふうに私どもは自負をいたしておるところであります。
 以上です。

2.質疑応答

(問)まず、冒頭の上乗せ交付金についてお伺いしたいのですけれども、申請状況で全体の約40%前後ということでしたけれども、大臣、この数字についてはどのようにお考えでしょうか。多いと思われるか、少ないと思われるかと、申請資金額の合計が300億円を超えていますけれども、今後、選考過程で詰めていくとは思うのですが、予算を圧縮するのか、それとも交付する自治体数を圧縮するのか、どのようにして300億に近付けていかれるのか。
(答)これは、それぞれの自治体が良くお考えになった結果の数字でございます。それを私どもが多いとか少ないとか申し上げる立場にはございません。それぞれの自治体がよくお考えの上でこういう数字が出てきたということであって、多いとか少ないとかについて言及すべきものだと思っておりません。
 また、金額につきましては、これはこの交付金の趣旨にのっとってやりたいと思っております。これはかねてから私が会見や講演でずっと申し上げておることであって、本当に一生懸命一生懸命努力して努力して努力して作ったところが全てだと思いますが、中にはそうでないものも絶対にないという確信もそれはないわけであって、本当に一生懸命努力して大きな効果を発現するというものについては、本当にそれに報いるような作業をいたしてまいりたいし、結論を得たいと思っております。やはり有識者の方々の、恣意を排した客観的な御意見というものを尊重していかなければなりません。本当に努力したところが報われるということを主眼としてやってまいりたいと思っております。
(問)地方創生の関係ではなくて恐縮なのですけれども、本日、自民党の総裁選挙で安倍総理大臣の無投票での再選が決まりました。これについての受け止めをお願いします。
(答)それは党の公選規定というものにのっとって本日告示が行われ、このような結果になったということであります。それは、党の定めた民主的な手続により安倍総裁が再選をされた。そして、党の中からそれに対する異論というのかな、それに対してどなたか立候補されるということはなかったという事実が事実としてあるということでございます。
 私どもとして、これもいつも会見で申し上げていることでございますが、内閣総理大臣を長といたします合議体たる内閣というものは、国会に対して連帯して責任を負い、それは国民の代表者たる国会でございますから、国民に対して連帯して責任を負っているものでございます。今日まで2年9カ月でしょうか、内閣を組織してやってきたわけで、その内閣というものがこれから先課題が山積をしておるわけで、内閣であると同時に自由民主党総裁、内閣総理大臣である前に自民党総裁でしょうか、政府・与党として国民に対して難題、これから先多くございます。本当に国民一人一人の幸せと国家の平和・安定のためにみんなが心を一にしてやっていくということだと思っております。
(問)関連ですけれども、この総裁選挙をめぐっては、選挙戦にして政策論争をしっかりやるべきだというような党内の声もありましたが、結果的に無投票になったことについては、いかがお考えでしょうか。
(答)そこは結果的にそうなので、という事実があるということでございますね。だから、それは、選挙というのはそれ自体が自己目的なのではなくて、そこにおいて、御指摘のように政策あるいは党の運営、そういうものについて議論が戦わされ、そして結論が出たらばみんなでそれに従うということが自由民主党というものだと私は思っております。
 私どもが内閣として進めてきた政策、それはいわゆる経済、そして安全保障、財政、エネルギー、社会保障、多岐にわたるものでございます。ですから、今回総裁選というものが結果としてなかった。では、党内で政策論争がないのかといえばそうではないでしょう。私も与党になってからは幹事長や閣僚でございますので、幹事長時代に責任者を務めておりました幾つかの政策分野を除いて、実際に政調の現場というものに出たことがございませんが、総裁選がなかったから政策論争が行われないというものではない。自由民主党の中において政調あるいは政審、総務会において、これから先も政策についてそれぞれが思うことを申し述べ、国民の皆様方に、何だ、政策論争ないじゃないかと言われないようにしていくということもまた大事なのではないでしょうか。
(問)石破大臣は、前回、総裁選に出られて、今回、同じ時期に党務を一緒に担われた野田聖子前総務会長が、最後まで無投票再選というのを回避しようと努力されたという形になっていますが、この野田聖子前総務会長の無投票を避けようとして取り組まれたこの動きについては、大臣のほうはどのように思われますか。
(答)野田前総務会長は、安倍総裁の下で私が幹事長、野田さんが総務会長ということで、いろいろな懸案、特にこの安保法制をまとめるに当たって非常に見識と手腕を発揮された方だというふうに、総務会の席をご覧になればお分かりになるように、総務会長がいて、隣に幹事長がいるわけでございます。いろいろな苦労を共にしてまいりました。政治家として私は敬意を持って接しているものであります。
 よく新聞、テレビ等々で報道されますように、無投票阻止ということが自己目的であったのかといえば、私は野田さんの8時の会見をつまびらかに承知をしておりませんので、あるいは違ったらお許しをいただきたいのですが、選挙というのは手段であって、そこにおいて政策論争が戦われ、支持を争うということですから、野田さんは野田さんとして、例えば、彼女が男女共同参画あるいは少子化対策、これは彼女が書かれたものを読んでみると、私どもが考えつかないような斬新かつ精緻な考察というものもあるわけで、野田さん自体は、そこにおいて政策論争というものが、彼女なりの政策があってやりたかったのではないか。それが自民党の公選規定にのっとって行われるということで努力をしてこられたのではないかというふうに思っております。
 それは、私は先週末のブログにも書いておいたことですが、そのときにはいろいろな評価がございましょう。しかしながら、その人の評価というものは、それは歴史が定めるものでございます。私が今、野田さんの会見も全て承知をしておらず、そしてまた、私たちは自分たちがやったことを判断するのは歴史なのだということに深く思いをいたして、日々自らを律していかねばならないものだと考えております。
 申し上げたいのは以上です。
(問)無投票再選についてなんですけれども、選挙が自己目的化してはいけないということをおっしゃいましたけれども、一方では、自民党の多様な意見を論じ合わせる場がなくなったことも事実だと思うのですが、大臣は現状、自民党内ではこういった政策を含めた議論が自由闊達にされているとお考えでしょうか。また、併せてなのですけれども、かつての自民党では、派閥によって自己研さんされたり、政策を突き詰めたりする動きもあったと思うのですけれども、最近の現状ではそういった動きが、過去よりは見られないと思うのですが、大臣、改めてこういった派閥の役割についてどのようにお考えでしょうか。
(答)私は1年間政府におりますので、党の中がどうなっているかということについて正確に把握をしている、認識をしているかどうかという点については自信がございません。ですが、私は政調会長のときも幹事長のときも、特に幹事長時代によくそういう御質問を受けましたが、私自身、派閥というものを否定したことは一回もない。全部会見録をお読みいただければ、もし、おまえはここで派閥を否定しているぞというのがあったらば御指摘をいただきたいと思うのですけれど、それは新聞社においても、テレビ局においても、一般の町内会においてもそうなのですけど、人が3人寄れば派閥はできるというふうに教わってまいりましたし、実際に自分の人生に照らしてみてもそうだったと思います。そういう人間の性みたいものを否定すること自体おかしなことだというふうに思っております。派閥の存在を私は否定したことがない。
 これはもう30年近く前、まだ派閥が全盛を誇っておったころからいろいろな議論があって、派閥というものはかつて田中角栄先生がおっしゃったように、中選挙区であれば派閥は当然あるのだ。定数が5であれば、5つ派閥があるのだ。だから、「何で派閥が7つ、8つないか、おまえ知っているか。それは定数7とか定数8とか、そういう選挙区はないからだ」と言われて、ははあと思ったことがあります。だから、その中選挙区というものと派閥というものは、それは仕組みとしてそういうものであり、私の鳥取全県区と言っておったころも定数4でした。ですから、宮澤派に属される先生、竹下派に属される先生、渡辺派に属する私というものが争い、そして総理総裁ができていったと。ただ、もう覚えていらっしゃる方はおられないのだと思いますけれども、私のところには渡辺派の人しか応援に来ないし、竹下派の人のところには竹下派しか応援に来ないし、宮澤派のところには宮澤派の人しか応援に来ないという一種の党の中での政権交代みたいなものがあったのだと思います。
 この話をすると長くなりますけど、中選挙区時代に我々が痛感したのは、自民党の敵は自民党なのだというのは、一体これはどういうことだと。本当は同じ理想を持つ同志でありながら、それが相争うことによって何が得られるのだというふうに思ってまいりました。自民党同士やるわけですから、基本の政策は一緒なので、時には自民党でも消費税反対とか、憲法改正反対とか、そんな人も中にはゼロだったとは言わないが、基本的な政策が一緒なので、そうすると、何で争うかといえば、基本的な政策以外のところ、つまり本来は地方自治体の首長であるとか議員であるとか、そういう方がおやりになる仕事を、俺のおかげであの橋が架かったのだとか、俺のおかげであのトンネルが出来たのだみたいなことで争ってはいなかったかと。あるいはその外交、安全保障、財政、教育、社会保障等々、そういう、本来国はいかにあるべきだという議論よりも、そういう地方のことが優先をされ、それは地方のことは地方でおやりになるべきで、それが分権の本旨だということをいつも申し上げております。そして、なるたけ地元の方々とフレンドリーな関係を築くのだということが大事ではなかったか。
 高度経済成長期はそれで良かったかもしれない。霞が関という自動操縦機構に乗って、大まかな方向さえ間違えなければという時代があったし、それはそれで良かったのだと思います。ただ、時代が変わってきたときに、それは票にもならない、金にもならないということで、そういう議論をしないことがあってはならないのではないか。それが20数年前、我々が小選挙区制というものを推進してきた動機でございました。それと冒頭申し上げた3人いれば派閥ができるということなのであって、そこにおいて、もちろんそれぞれの組織、会社も公のために存在をしていると思いますが、特に国民から選ばれる政治というものは、それを専一にすべきものだと思っております。そこにおいて、政策論争というものが派閥の役割であり、それは1年党におりませんから、どういうことになっているか私はよく知りません。それを前提の上に申し上げれば、本当に党の政策を作るに当たって自分たちの考え、自由民主党の綱領というものの範囲内においてですよ-綱領から逸脱するようなことをするのならば、それは党にいることは許されないので-自由民主党の野党時代に苦しい中で定めた党綱領にのっとった形で、それぞれ国家国民のためにこの政策があるべしということを切磋琢磨し論議するという存在は、私はむしろあってしかるべきではないだろうか。だから、派閥のプラスの面というものを更に活かし、仮にマイナスの面というものがあるとすれば、それを減らしていく努力というものは、公に尽くすということを専一にする国会議員あるいは政治家あるいは志を同じくする人の集合体であるところの政党における本来果すべき責任だと。それは理想論だと言われればそれまでですけれども、理想を捨ててしまったら、私は政治は政治でないと思っているものですから、いつまでも青年みたいな議論をしているという御批判があることは承知の上で、あえてそういうように申し上げておきます。

(以上)