石破内閣府特命担当大臣閣議後会見要旨 平成27年6月9日

(平成27年6月9日(火) 8:56~9:15  於:合同庁舎8号館1階S106会見室)

1.質疑応答

(問)本日、新潟市国家戦略特別区域会議がありまして、明日、沖縄県国家戦略特別区域会議があります。特に沖縄についてなのですけれども、昨年3月に指定を受けてからこれまで区域会議が一度しか開かれておらず、非常に遅れていたと思うのですが、この遅れていた理由についてちょっとお伺いしたいのですけれども。沖縄県側からの提案がなかったのか、それとも国との調整がうまくいっていなかったのか。沖縄の基地問題含めて政権と距離があることもありますけれども、この特区の指定がおくれている理由について、大臣のお考えは。
(答)沖縄県国家戦略特別区域会議は明日開催されるわけで、エリアマネジメントに係る道路法の特例を盛り込んだ区域計画案等について議論を行うと承知をいたしておるところであります。これは政府との距離感とかそういう問題ではなくて、沖縄において更に観光客を増やしていく、モノレールの駅の周辺でありますとか、国際通りでありますとか、そういうところで更に客を呼び込むような、特区案というものが出てきていると承知をいたしております。沖縄の中において、いろんな議論があったのだと思います。特に政権との距離感とか、基地問題とか、そういうことではございません。私どものほうとしても、沖縄において特区を活用し、更に賑わいが創出されるということについては、基地問題とは何の関係もなくやっていかねばならないことだと思っており、今後とも連携を密にして実現方を図ってまいりたいと思います。
(問)今の質問に関連なのですけれども、先日も会見で質問が出ましたが、USJの誘致に関連して沖縄の特区の活用というような一部報道があった件につきましてはその後、その進捗状況というか検討状況というのはどうなっていますでしょうか。
(答)USJの沖縄進出に関し、国営海洋博公園の活用について国家戦略特区による規制緩和を検討する方向だという一部報道がございましたが、そのような検討をしているという事実はございません。実際に新たなテーマパーク、USJといわれていますが、これが建設されるようであれば、沖縄の観光振興にとってはプラスになるというようなことも予想されるわけでして、今検討しているわけではありませんが、具体的なお話があれば戦略特区を使うということも、可能性としてはあり得るということであります。
 まだ具体的なお話はございませんので、あまり踏み込んだことを申し上げるわけにはまいりません。
(問)話題変わるのですけれども、もう一点。
 各報道機関の最新の世論調査の数字が出ております。安倍内閣の支持率ですけれども、前回調査より落ち込んでいるということに加えて、この安保法制の今国会成立の反対が増加しております。こうした世論を、大臣どのように受け止めていらっしゃるのかと、あとこの安保法制への理解が国民に広がっていかない理由としてはどのような理由が。
(答)支持率が下がっているということですが、まだ不支持よりも支持のほうが相当に多いわけです。だからこれでいいんだということではなくて、常に支持をしてくださる方が増えるように努めていかねばならないというのはどの内閣でも同じお話でありまして、それはそれぞれの閣僚がそれぞれの所掌分野において国民の皆様方の御理解、支持が高まるように、それぞれが自分の問題として捉えて努力をせねばならないことだと、これはもうどこの内閣においても私は同じように考えてきたところでございます。
 安保法制は所管外なので何とも言いようがないが、感想を申し上げれば、そもそも論みたいなお話で、まず審議がなかなか進まないもので、そういうお話をする機会がなかなかないのではないかなという感じがします。なぜこういうような法案を出すに至ったのか、ことが安全保障法制ですから、状況が今までとどのように変わったのかというお話を政府として一生懸命しているわけでございますが、これが目に見えない軍事の話なので、目に見えれば大変だということになるのですけれども、目に見えれば既に抑止力が効かないということ、効かなかったということを意味するわけで、ここは非常に難しいことです。まだ世の中が実際にそういうことが顕在化する前に、小泉さんがかつて備えあれば憂いなしということをおっしゃっておられましたが、どうやって御理解をいただくのかなということで政府は苦労しているということだと思います。
 また、法的に申し上げれば、立憲主義に反するとか、今までの枠を踏み越えたものであるとか、そういうようなお話があるわけで、それに対してこの間も全国一斉街頭で幹事長が街頭に立たれましたが、政府として一生懸命御説明をしているわけで、やはりそういうことを丁寧にやっていかねばならないのではないか。そしてその集団的自衛権なるものが国連、ユナイテッド・ネーションズというものの中核概念の一つなわけであって、国連中心主義を外交の基本方針とする我が国が、その国連との整合性をどのように考えるべきなのか。集団的自衛権、ニアリーイコール、アメリカと組んで世界中あちこちへ行って戦争するというようなお話があるわけですが、集団的自衛権なるものがそもそも何で国連が創設されたときに、わざわざ南米の小さな国々の発議によって憲章に明文という形で盛り込まれたのか。加えて、今まで例えばアメリカのベトナム戦争であるとか、ソビエトのチェコスロバキアへの侵攻であるとか、これは集団的自衛権の使い方として正しくないというような国際法の見解、あるいはニカラグア判決等々もございますので、決して恣意的に用いられるものではないとか、聞いている人が、ああそうなんだと、どこか大国と組んで集団的自衛権の名を借りて、そういうようないわゆる侵攻的な軍事行動を行うものでは決してないのだと、それが国際的なコンセンサスとなっているのだということが、国民の方々が、ああそうなんだねというふうに思っていただけることが必要だと思います。何しろ今まで余り議論されてこなかった。私自身もこの問題に関わっていたときに集団的自衛権の話、聞いてくださいと言っても、いやそれだと視聴率が上がらないとか、はい、コマーシャルとか言われて、なかなかお話を聞いていただけるような状況にはなかったというのは、人のせいにするわけではなくて、私どもの発信の仕方、問題だと思っております。
 関係する皆様方がそういうことで大変御努力なさっているわけで、それを更にみんなで重ねて努力をするということなのではないでしょうか。あくまで感想めいたお話で恐縮です。
(問)今、地方創生の動画を募集されていまして、投稿期間がそろそろ折り返しということだと思うのですけれども、昨夜で260件程度投稿されていて公開されているのですけれども、大臣としてこの応募の件数、状況についてどう、今のところお感じになっているかということと、もう一つ、BSで動画を放映されるということなのですけれども、その後の動画の活用方法というのはどのようにお考えなのでしょうか。
(答)260件、折り返し点においてそれだけ御応募いただいたというのはありがたいことだと思っています。多ければ多いほどいいに決まっているのであって、更に応募してくださる方が増えるように期待もしますし、どうですか、どうですかみたいな、そういうお話を折にふれて私ども大臣、副大臣、政務官、補佐官等々も地域に出たときにしてまいりたいと思っております。
 BSでも御紹介をいただいているわけですが、もちろん著作権等々いろんな問題があろうかと思いますけれども、私この仕事やっていて思うのですけれども、こんないい例があるよねというのがなかなか横へ広がっていかないという、やや残念な思いを持っておりまして、ああそうなんだというようなことが広く横に広がっていくような努力はビジュアルな媒体というか、ビジュアルな成果物というか、そうしたものを使ってやっていきたいなというふうに思っております。
(問)少しちょっと唐突な質問になってしまうのですけれども、砂防会館が来年取り壊しに入って建て替えられるということなのですけれども、大臣は多分様々な思い出が砂防会館にあるかと思うのですが、御感想をいただけますでしょうか。
(答)私、砂防会館で昭和58年の3月から59年の8月まで1年半近く、当時の田中派、木曜クラブの、今で言えば派閥所というのですか、そういうことであそこの中で勤務をしてまいりました。それはまさしく中曽根内閣のころで、入ったころは田中角栄先生が昭和58年の夏の選挙はダブル選挙だと、こうおっしゃって、入ったその日に言われたことは、田中派の事務所が砂防会館3階にありましたが、そこの壁一面に衆議院、参議院の、当時は衆議院はもちろん中選挙区制でしたが、北海道1区から沖縄全県区まで候補者の名前を書けと。あるいは参議院は、全選挙区の候補者の名前を書けと。そこで田中派だけ赤く枠で囲えとか何とか、そんな指示が出て、最初の仕事がそれでしたよ。
 それから衆・参同時ではなくて参議院選挙単独でやったわけですが、もうほとんど泊まり込み状態で仕事はしておりました。その後、京都の補欠選挙という野中先生と谷垣先生が初めてお出になった選挙があり、9月にはロッキードの第一審判決があり、そして12月にはいわゆる世に言うロッキード選挙なるものがあり、ということで、昭和58年というのは本当にいろんな思い出が凝縮した時期だったと思います。
 そして昭和59年になると、田中派内のいろんな問題があり、でもそのころはもう隣の新館に移っていたので、旧館に限って物事を申し上げれば、そういう参議院選挙があり、京都の補欠選挙があり、ロッキード判決があり、ロッキード選挙があり、そこでいろんなことが行われ、そこに田中派の百数十人の国会議員が集まり、そして時には田中元総理がお出ましになって、本当に印象に残るお話も何度もなさいました。ですからもう三十数年前の話ですけれども、あそこの体験がなければ今の自分というのはなかったのだなというふうに思って、非常にあの建物がなくなるということには寂寥感(せきりょうかん)というのを感じます。やはりあそこに立つと本当に時代がすごく戻ったような、そういう感じはいたします。非常に寂寥感(せきりょうかん)みたいなものがございます。
(問)また話題が変わって恐縮なのですが、元阪神タイガースで大リーグに挑戦していた藤川球児選手が日本に戻ってくることになったのですけれども、戻る先がプロ野球への復帰ではなくて、御自身の出身地の高知県の独立リーグを選んだということ。この理由として、家族との時間ですとか、故郷への貢献をあげています。地方創生の移住とは直接結びつかないのでしょうけれども、大臣もし、御所見あれば。御感想あればお願いします。
(答)アメリカや東京で華々しく活躍するということだけが人生の価値観ではないと。もちろんそれも大事な価値観だと思いますが、多くの才能を持った方が若いうちから故郷へ帰って、そして子どもたちと一緒にいろんな地域の賑わいというのか、そういうものを創出する、そういうために故郷へ帰るのだというのはすごくいいお話だなというふうに思っております。
 この地域地域の地方創生というのを見たときに、やはり「やねだん」もそうですし、あるいは「中村ブレイス」もそうですし、あるいは海士町もそうなのかもしれません。全国にそんなところあまたございますが、やはりその地で生まれ育った人がまだ若いうちから帰ってくる。そこでいろんな試みを行い、やがてそこの人たちの心を捉えて、その地域が創生していくというストーリーはかなり共通したところがあるなというふうに思っておりまして、地方に行くことをネガティブに考えるのではなくて、ポジティブに考えていくということは、やはり私どもとしてそういう例をいろいろと御紹介をしながらまさしく「そうだ、地方で暮らそう!」みたいな話で、それはやはり気づきということなのだと思います。だから地方に行くことが本当に人生の価値観として一つの選択としてあるんだよねということを広く知らしめる意味では、その阪神の方の例というのはとてもいいお話だなと思っております。

(以上)