石破内閣府特命担当大臣記者会見要旨 平成27年6月5日

(平成27年6月5日(金) 8:57~9:16  於:合同庁舎8号館1階S106会見室)

1.質疑応答

(問)昨日、増田寛也さんが座長を務める日本創成会議が、東京圏の高齢化の問題について提言を発表されました。これも一つ柱なんでしょうけども、地方への移住というのを対策の一つとして掲げられていて、これはCCRCのような政府が今考えていらっしゃる方向性と同じかと思うんですが、昨日の提言の御感想と、あともう一つ、やはり高齢者の地方移住といっても、まだなかなかピンとこない国民だったり、地方側だったりという、認識がまだまだ広がっていない部分があると思うんですが、今後進めていくに当たって何が重要になるか、その2点、大臣のお考えをお聞かせください。
(答)私どもの考え方というのは、昨日出された提言と軌を一にしてやってきたものでございます。また、増田先生はCCRCに関する検討会の有識者会議の座長でもありますので、これが違ったら大変ということになるわけで、まさに軌を一にしたものであります。地方創生という流れが、一昨年11月に増田先生が「中央公論」に発表された論文からできたということからすれば、今回の提言が、今度はそれを踏まえた上での地方移住という選択肢―あくまで選択肢の一つですが―を提議したというところに大きな意義があると思っております。
 ピンとこないということは、何を称してピンとこないのかよくわからないが、かねてから申し上げているとおり、50代の男性の方々の5割、女性の3割、60代の男女の方の3割が移住を念頭に置いて検討、あるいは将来そういうことにしてみたいという御意向をお持ちなわけで、そういう方々がおられるということは、今回の提言をもとに更にそれを検討した結果どうなるかというのは、それぞれ個人の御判断ですが、これから先更に具体的に検討してみようかなということになるんだと思っております。やはり日々の暮らしの中で何が問題なのかというのはなかなか実感しにくいところがございまして、こういう提言が出ることによって、それぞれの方々が御自身のこととして考えるということに意味があり、そしてまたそれが広がっていくということが、選択肢としてお示ししたものに対してのまた反応となってつながってくるのではないかなと思います。
(問)今の関連なんですが、増田さんの日本創成会議の提案と軌を一にするということですけれども、政府が進めているCCRCと昨日の提言というのは全く同じ方向を向いているのかということを伺いたいんですが。というのは、昨日は、東京圏からの将来、医療・介護で地方にということですが、41地域が適していると提言されたんですけれども、大臣は、CCRCを進めるに当たり、この41地域の中から優先的に選ぶというお考えになりますか。
(答)この41地域というのは、政府としてオーソライズしたものではございません。これは国際医療福祉大の高橋泰先生が独自の推計によって、これから先の高齢化率あるいは高齢者の絶対数、それの推移を展望され、そして現在提供されている医療・介護の体制との比較において、いわゆる余力というものが生ずる地域を二次医療圏というものを念頭に置いて41地域というふうに提示をされたものだと承知をいたしております。
 では、この41地域でなければだめなのかといえば、そんなことを申し上げるつもりは全くなくて、そもそもCCRCという構想は、要介護になる前から地方へ移住をし、コミュニティを形成するということを中核とする概念でございますので、今、医療・介護に余裕があるからということだけが直接のCCRCの開設の背景になるものではないと思っております。
 ただ、この41地域というものが、例えば下関市なら下関市、高知県なら高知県で、そういうことなんだということをもとにそれぞれのCCRC構想を更に地域、地域において具体化され、総合戦略にお示しになるということは当然あるものと思います。
(問)地方創生のことで1点お尋ねしたいんですけども、先日5月31日に東京ミッドタウンで地方創生に関するフォーラムが開かれまして、大臣、基調講演されたと思うんですけども、その中で中国地方ですね、鳥取県、岡山県ですとか島根県、広島県ですとか、中国地方の山間地が全国で一番過疎化が進んでいるという御発言があったんですけれども確かに地方に暮らしていますと、もう四半世紀以上前から中国地方では人口減少対策というのをやっていたという感があるんですけども、確かに5月31日も、パネルディスカッションで海士町の奥田さんが出ていたりとか、その週にありました『そうだ、地方で暮らそう!国民会議』ですとかで智頭町ですとか島根県邑南町の方が出席したり、あと政府広報でも鳥取や島根、岡山、広島の山間部が取り上げられたりしているのをよく目にするんですが、大臣の御認識として、やはり地方創生に関してこの山陰地方ですね、鳥取や島根というのはトップランナーだったり先進地というふうな御認識を持っておられるのかお聞かせいただければと思います。
(答)私は時々講演や演説で言っているのだけども、実際に地域を歩いてみて、本当に1軒しかお家がない集落というのは実際幾つも見ている。あるいはもう2軒か3軒しかない、あるいは10年後にこの地域はまずなくなっているだろうなというようなところをたくさん見てきたわけであります。ですから、これも随時国会答弁で申し上げていることですが、これからコンパクトビレッジ、小さな拠点というものをどう設計していくかという上において、中国山地というのは極めてモデルになり得るものである。
 地元の話で恐縮ですが、あるいは智頭町においても、「ゼロ分の1運動」というのは15年ぐらい前から始まっているもので、行政がこのようにするのだということを地域、地域が受け止めるのではなく、百数十になんなんとする集落が、自分の集落をどうするのだということを地域、地域で話し合い、それに対して行政が対応した形でまちづくりをやっていくということです。したがって、中国地方、なかんずく中国山地の山間の集落というのは、かなり先進地であるがゆえに、先行的な取組というものがたくさんあったということだと思います。これからコンパクトビレッジというものを推進していく上において、そのような有効な取組というものを生かしながら、国会において法律の成立を期し、そしてまた推進を図っていきたいと思います。
(問)先ほど創成会議の提言で、1都3県の役割が重要だというような認識がなされていますけども、大臣、先日、「1都3県の地方創生に関する連絡会議」にも出席されていましたが、1都3県に一体、この移住に関してどんな施策を期待されますでしょうか。
(答)1都3県の連携というのは極めて大事で、東京都なら東京都、千葉県なら千葉県、埼玉県なら埼玉県ということではなくて、1都3県で問題意識を共有しながら、都県の境を超えた形でこの高齢化問題というものに対処していただきたいと思っております。
 東京で勤めておられた方は、お家が千葉とか埼玉とか神奈川というのはよくあるお話であって、これから先東京の活力を維持していく、あるいは東京の医療・介護不足というものを解消していく上において、「それは東京の問題でしょう」ということではないだろうと。東京というのは今まで若いまちでしたから、23区内に医療・介護施設というのはそんなにたくさんあるわけじゃない。では、これから先どうしていくのかというのを考えるときに、勤めは東京23区なんだけども、お家は千葉だ、埼玉だ、神奈川だみたいな方も大勢おられるわけで、1都3県でこの問題を対処していかなければ、東京だけとか、神奈川だけという問題ではあり得ないわけですね。また、医療・介護の不足というのは、むしろ東京都よりも周辺3県のほうがより深刻であるということですから、ともに課題を共有しながら解決方法を図っていくという上において1都3県の役割は大事だし、例えば、移住というものを提示したときに、1都3県がバラバラのことを言われては非常に具合が悪いわけです。
 私はこの間の会議で、舛添知事と黒岩知事は違うことを言っていたとは思わないんだけれども、やや認識に差があるかなという感じがしていて、黒岩知事は、そんなのはだめだというふうにおっしゃるわけだけども、舛添知事は、いやいやと、そんなことは国が強制することでも何でもないが、選択肢として示すということに意味があるんじゃないのと。そういうような希望を持ちながら、それが選択できないということは、政治として責任が果たせないんじゃないのと。そしてまた、見たことも聞いたこともないところに行くなんてというような御発言を黒岩知事はなさったように思うけれど、誰も見たことも聞いたこともないところに行ってくれとかそういう話をしているんじゃなくて、それぞれの希望があったとすれば、それを妨げているような事象を除去するということを我々は言っているのであって、その辺の認識の共有もこれから先醸成されるものかなというふうに思っております。
(問)ちょっと地方創生の話題とは離れるんですけれども、昨日の衆議院の憲法審査会で、与党が推薦した有識者も含めて3人の方が、今の集団的自衛権の行使容認も含めた安保法制について、憲法違反だという見解を示されました。この問題について、大臣はどのような御認識をお持ちでしょうか。
(答)国会のことですから、政府としてお答えは差し控えるべきかなと思っています。ですから、何でそんな人を自民党が選んだのと言われても、それは私どもとしてはわからない、お答えのしようがないということでございます。
 もちろんいろいろな御意見があって、学者の中にも、もちろん今回の新しい法制というものは十分憲法の範囲内であるというふうに立論しておられる方も大勢おられるわけであります。ですから、いろいろな意見が出るというのは、それはそれで民主主義の国家として、むしろ望ましいこと、ふさわしいことなのであります。政府といたしまして、今回、従来の憲法解釈と論理的整合性がとれるように、法的安定性が損なわれることがないように、従来の解釈の基本的な論理の枠内で合理的な当てはめをしたのですというふうに説明をいたしております。
 基本的な論理って何ですか、ということを問われれば、これは昭和47年の政府見解にございますように、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処するためのやむを得ない措置なのだということを言っておりまして、論理のつながりとしては、そうだとすれば、我が憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、我が国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのである。したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする、いわゆる集団的自衛権の行使は憲法上許されない、こういうふうに論理的につながってくるわけですね。他国に対する攻撃であっても、その前段に申し上げたところの外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処するということが、今まで外国に対する攻撃というのはそういうことにはならないよねということを申し上げてきた。しかしながら、技術の進歩に伴って、今まで何日単位とか何週間単位であったものが、もう何時間とか何分とか、そういう単位になってきましたよねと。そういうことになりますと、外国に対する攻撃であったとしても、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆されるという事態が生じるのではないでしょうか、というような論理の立て方になっておるはずでございます。
 ですから、そこのところを今回の問題提起を踏まえて、さらに政府が申し上げている基本的な論理とは何ぞやということについての御説明を国民の方々に、政府としてわかりやすくしていくということが必要なのではないだろうか。なぜ、法制局が論理を構成し、政府として出したるがところの従来の昭和47年の政府見解というものと今回のが、なぜ整合するのでしょうねということも、本当に懇切丁寧に御説明するということなのだと私は思っております。ここは、昨年の与党協議の場において北側議員が言っているように、相当に突き詰めた議論をいたしてまいりました。これが政府としての今回のものが今までとの整合性を保っているということの礎となって議論されたものであり、そのことを本当にわかりやすく御説明するしかないのかなというふうに思っております。
(問)関連でお伺いしたいんですが、基本的論理ということについてですけれども、自民党、公明党などが推薦した参考人からは、この論理では説明がつかないと明確に答えられています。大臣おっしゃるように、いろいろな学説があると思うんですけれども、一方で、違憲だというのが憲法学界の主流だということも昨日3人とも述べられておるんですけれども、ここについては、説明を求めるというよりかは、憲法改正というのが大方の考えというふうに指摘が昨日あったんですけれども、ここの関係についてはどう思われますか。
(答)そこは、私も今まで、私の名前で論文も出し、あるいは本も書いていることなので、そちらをお読みいただきたいと思います。国務大臣としてお答えするのは、先ほど申し上げたことであります。ただ、これも前から言っていることですが、私は、憲法の解釈を変えるためには憲法を改正するしかないというのは、それは論理としてはどうなんだろうねという気がするわけです。だから、この47年の政府見解というのも一つの解釈であり、論理の立て方になるわけですが、解釈の幅があるというものが、憲法に限らず、いろいろな法律にはあるわけです。明文によって何々すべからずというふうに疑う余地のないものであるならばともかく、そうでもないものは解釈の余地がある。しかしながら、法的安定性とか論理の整合性というのは常に保たれるべきものであって、解釈というものに今までとの変更が生じる場合には、常に論理的整合性あるいは法的安定性というものに配慮していかねばならない。ですから、これ以上踏み込むためには憲法改正が必要だということであるならば、なぜなのかということを論理的に御説明される必要があるだろう。
 いや、そうではないと。例えば今回のものでいえば、従来の答弁あるいは解釈との整合性、これに齟齬(そご)はない。あるいは法的安定性がいささかも損なわれるものではないという説明をしなければならないであろう。それはお互い、ここは法律の世界なので、感情ではなくてロジカルにそのお話を進めていく必要があると思っておりまして、だから、解釈を変えるためには憲法改正だというのであれば、なぜなのかという論理の展開が必要でしょう。今回のは、法的安定性を損なうものでも、論理的整合性を損なうものでもないということであるならば、なぜなのだという説明をしなければいかんでしょう。ただ、私は、政府として、従来やってきたことについて、まだ国民の御理解が十分だということは数字にはなっては出てきていないので、この数字が上がっていくようにこれから先更なる説明をするのが政府としての立場であり、それも関係大臣において、それは的確になされるものと存じます。

(以上)