石破内閣府特命担当大臣記者会見要旨 平成27年5月8日
(平成27年5月8日(金) 9:08~9:30 於:合同庁舎8号館1階S106会見室)
1.発言要旨
おはようございます。冒頭、私から申し上げます。
既に5月4日、私の談話においても述べたことの繰り返しになって恐縮でありますが、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」についてのイコモスの記載の勧告についてであります。
我が国が誇るべき文化遺産である「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」が、専門的な諮問機関である国際記念物遺跡会議、いわゆるイコモスから世界遺産としてふさわしい旨の評価を受け、ユネスコ世界遺産委員会に対し登録の勧告がなされたことは大変喜ばしいことであると考えております。この勧告を受け、本年6月末から7月、具体的には6月28日から7月8日と承知をいたしておりますが、その間にドイツのボンで世界遺産委員会が開催されるわけであります。その日時は特定できませんが、その間に登録の可否が決定されるということになっておると承知をいたしておるわけでありまして、この世界遺産委員会におきまして、本件がイコモスの勧告どおりに世界遺産一覧表へ記載されるよう最善を尽くしてまいりたいと考えておる次第であります。談話と重複した部分が多くて恐縮です。
以上です。
2.質疑応答
世界遺産委員会におきましては、この勧告を尊重し、本推薦案件が技術的・専門的見地から審議され、勧告どおりに世界遺産登録が決定されるということを期待しているものでありますが、この点につきまして、韓国はもとより世界遺産委員会の委員国に対しまして十分な御説明をし理解を求めていくということが極めて肝要だというふうに考えております。
なお、何で1910年なんだと、この年は日韓併合の年ではないのかというような御指摘も、当然予想されるところでありますが、この1910年というのはロンドンにおいて日英博覧会というものが開催をされ、そこにおいて日本の新しい産業の発展が一つの区切りということになったものだという議論がなされて今回の勧告になったというふうに承知をいたしております。ですから、私どもとして、この私どもが推薦した理由、そして、言ってみれば、世界の遺産というのか宝物というのか、そういう価値というものを丁寧に誠実に、韓国のみならず世界中に御説明をするというような真摯かつ誠実な姿勢が最も肝要だというふうに私自身考えておるところです。
これは長く私も二十数年この問題は議論をいたしてまいりました。そして、憲法改正草案の起草委員として、この条文作りにも携わってきたという立場にございます。憲法審査会においていろいろなお考えが披瀝をされ、そして議論が深まるということは当然事の重大性から考えて望ましいことだと承知をいたしております。
その上で、これは党内であった議論ですが、憲法改正草案全体を対象物とするというのは、難しかろうねと。当然、改正条文は一つだけではない、前文から始まりまして膨大な改正条項を含んでおるわけで、Aという条項は賛成だが、Bという条項については反対だということは当然あるわけで、国会における3分の2の議決にしても、ましてや国民投票にしても、技術的に可能かどうかという議論はしたんですけど、そうすると、ものすごい長い紙になって、この条文のここの部分は賛成だ、反対だとか、そんなことは多分、技術的に絶対無理だとは言わないが、極めて難しいねというふうな議論はしたと思っております。
さすれば、それを「お試し」と言うかどうかは別として、どの条文について国民投票に付するのか、その前の衆・参両院の総議員数の3分の2の議決に対象物として付するのかということは、党内でこういうふうな順番ということを決めたということはございません。また、これから先も国民投票法を成立したことも受けて、党内においてどういう条文を最初にやるんだろうねと。これも党内で意見が収れんしたわけではありません。例えば環境権のように、比較的国民の皆様方の多くの御理解を得やすいものからやってはどうかという意見もあれば、あるいは参議院の在り方、衆・参の在り方についてやったらどうかという意見もあれば、いろいろな意見がございます。まず政権与党たる私どもあるいは公明党の中で議論がなされ、野党は野党において議論がなされ、その後にどういうやり方でやるかということは収れんをしてくるものではないでしょうか。何を優先すべきで、何を劣後させるべきかということは私が申し上げることではございません。緊急事態条項あるいは実力組織たる自衛隊の位置付けというものは、占領下において制定された憲法というものをどのように考えるか、そしてサンフランシスコ条約の発効によって独立国たる地位を回復をした、その後の経緯をどう考えるか。そして自由民主党というものが、なぜ昭和30年に保守合同によって結党されたのか等々、そのような議論がまた党内で活発になされるということは重要なことだと思っております。
国民の皆様方に、なぜ改憲をする必要があるのかということを本当に懇切丁寧に御説明をし理解を得るということが何にしても一番大事なことではないかなと。何かよくわからない答弁で恐縮ですが、そういうような形になろうと思います。
離島だからどうなのかということについて申し上げれば、これは海士町長さんが書かれた『離島発 生き残るための10の戦略』という本があります。これ、ぜひ皆様方にも一回お読みいただきたい。さらさらっと読める本ですが、非常に中身の濃い本です。離島である、そこにおいて極めて財政が厳しい、そこに三位一体改革があったと。町長も書いておられますように、あれがなければ海士町の改革へ向けての取組というのはなかったかもしれないというふうに書いておられます。離島という厳しい条件、そして、そうであるがゆえに、公共事業に多くを頼ってきた海士町というものの在り方がギリギリまで来た段階で、もうこれしかないではないかというような、そういうような状況になったということは、別に離島だからというわけではありませんが、離島であるがゆえに公共事業に負う割合が他よりも高かったのかもしれません。
そして、本にありますように、実際に公共事業に携わってこられた関係の方々から「改革をしなければだめだ」とおっしゃったと。「あなた、今まで公共事業というもので会社をやってきたんじゃないの」ということを町長は思ったそうですが、そこの建設関係の方がおっしゃるには、「今まで自分たちはその公共事業で多くの恩恵を受けてきた。しかし、これが続かないとするならば、これに代わるものを作っていくということは、今までそういう恩恵を受けてきた者の務めではないか」ということをその建設関係の方がおっしゃり、町長はそれに深い感銘を受けたということが本の中に書いてありますし、実際に行ってみてそうだなというふうに思いました。ですから、決していいことだとは思わないが、そういうような極限状態まで来たからこそその危機感から改革の推進力が生まれたということは、これは事実だろうというふうに思っております。
じゃ、何でもかんでも極限に追い込めばいいかというと、そういうわけでは当然ないのであって、何と言うんでしょう、あそこの隠岐の島というかな、隠岐諸島の海士町の状況というのは、やがて将来の日本じゃないのかということです。そういうような「気づき」というのか、そういうものをどれだけ普遍的に広めていくのかということはやはり私どもの務めだろうというふうに思っております。
そして、そういう所へ行ってみて、海士町の方々が明るい方々が多いなという感じを持ちました。疲弊したとか、もちろん辛いことも苦しいこともいっぱいある。だけども、ここで前向きに取り組んでいくと、そして地方創生の一つのモデルだと言うことはやめてくれと、まだ我々は途中段階にあるのだということでした。そのことについて、冒頭の御質問に戻れば、非常に強い感銘を受けたのであって、この問題は更に多くの人々が海士町を訪れ、いろいろ得た知見というものを広めていくことを報道関係の皆様方にもお願いしたいことでございます。
(以上)