仙谷大臣記者会見要旨 平成22年3月16日

(平成22年3月16日(火) 9:02~9:18  於:本府5階522会見室)

1.発言要旨

 どうもおはようございます。
 今日の閣議でありますが、生物多様性国家戦略2010が閣議決定をされたということと、それから、B型肝炎訴訟については、肝炎対策、予防接種行政などの厚生労働行政のみならず、財政的な側面や訴訟への対応といった幅広い観点から、政府の対応を検討する必要がありますと総理から発言がございました。
 このように、各省にまたがり、政府一体として取り組むべき課題であることから、本件に関する総合調整を、私、仙谷国家戦略担当大臣にお願いすることとしますという発言があって、了解をされました。今後は、そういう体制で、更に6大臣プラス細川副大臣で協議をしながら対応を進めていくということになりました。
 以上でございます。

2.質疑応答

(問)閣議の前にもB型肝炎についての協議をなされたかと思うんですが、まず和解勧告に対して、どのように政府として対応されるお考えなのかということと、あと閣議の前の協議の中で総理からどういう発言があったのかを教えていただければと思います。
(答)最初の御質問については、それを6大臣で情報を密にし、共有しながら進めていく体制をつくろうということで、今、ご報告申し上げたようなことが決められたということです。
(問)総理からは。
(答)総理からは、もう全く今申し上げたとおりです。
(問)関連ですが、和解協議に応じるかどうか、政府としての判断はいつまでに決めたいとお考えでしょうか。
(答)とりあえずは次回期日の5月14日までに決めなければいかんということでしょうね。福岡地裁の判決が3月26日ですか。どうも札幌と福岡の両裁判長は連絡がとれているようですから、そこでも和解の勧告というのがなされる可能性もあると。そこの次回期日がいつになるかは、ちょっとわかってませんが、その辺が目途で、我々が裁判所のそういうお話にどういう対応をとるか決めると。ここから多重的、多層的な観点から検討をするということになろうかと思いますが。
(問)関連で、C型肝炎と違って対象になられる方の数だったり、全体的な額が膨らむ懸念というか、可能性もあると思うんですけれども、その辺を踏まえてどういうふうにお考えでしょうか。
(答)そういうことも踏まえて、どういう対応をとるかをこれから政府部内で、さっき述べた6大臣会合を中心に検討していくということになろうかと思います。
(問)話は全く変わるんですが、今日から日銀の金融政策決定会合が開催されます。菅大臣などは、国会で更なる緩和策に期待を示すような発言をされているんですけれども、大臣御自身は、更なる緩和の是非とか、あるいは期待というのはどんな感じで持っていらっしゃいますでしょうか。
(答)この間から申し上げているように、私自身は、この需給ギャップの話は、一国的な、要するに国境内の話ではないという認識なんですけども、つまりアジアの要因が大変大きいと、こういうふうに見ておりますが、しかし、日銀の金融政策は人々の心理にも大変大きく作用するという観点からすれば、一人一人の日本人が生産行動、設備投資、あるいは国民の消費行動にプラスになるように、元気がつくような方向で金融政策を導いていっていただければなと考えております。
(問)関連ですが、昨日の月例経済報告で政府は景気判断を引き上げたんですけれども、以前、財政再建、出口戦略の話を伺ったときに、三月末の景気動向が非常に重要だという話をされていましたけれども、景気判断を引き上げたということで、政府として財政再建について明確な目標をつくるという方向にいっているのかどうか、そこはどうお考えですか。
(答)財政の問題は、景気経済成長の問題にはプルーデントであるべきだというふうに私自身は思っておりますが、まだ三月末にかけての判断を示すような材料が、今のところ私の頭にはまだ入ってきていません。
 皆さん方も新聞紙上等々でしきりに書かれるけども、やっぱりギリシャというか、ヨーロッパの動向、アメリカの動向というのは、そうそう軽視できる話ではないんではないかという気分が私には相当ありますから、やっぱり三月末を越してから、その判断はしなければいかんなと思っています。
(問)菅大臣は、国会の答弁等で、長期の財政再建については、対GDP比の数値目標が要るんじゃないかという話をされていますけれども、その点は、仙谷大臣は同じような認識なんでしょうか。
(答)一般論としてはそうでしょう。
(問)そこについては、いずれにしても6月までに示さなきゃならないというお考えという理解でよろしいですか。
(答)一般的にはそういうことでしょうね、それは。
(問)今日で政権発足半年になりますけれども、半年を振り返って御感想と、もし可能なら自己採点をお願いできればと思いますが。
(答)私のですか、政権全体のですか。
(問)御自身のです。
(答)国民には政治と行政の関係を根底から違った形に変えてくれるんじゃないかという御期待があるようですが、私自身も55年体制の延長線上で日本が何か変われるというのは幻想にすぎないというふうに思っておりまして、抜本的に政策決定のあり方や、あるいは政治的な判断とこれを執行する霞が関の皆さん方との関係というのは、他の省庁も含めて行政刷新という立場から変えていければなあというふうにずっと思ってきておりました。現在もそうです。
 これはただ、皆さん方も御承知のように、公務員制度改革という大変重い問題が基盤にあるわけですから、一朝一夕ではできない。メディアの皆さん方は、一朝一夕に結論をお求めになったり、実績をお求めになるけども、明治維新だって憲法ができるまで22年かかっているわけですから、そのぐらいの統治構造というか、統治機構の改革を含むという展望からすれば、緒についたばかりで、そういう意味では事業仕分けを含め、政と官の関係、あるいは国民と内閣の関係というのは、徐々にではあるけども、そういう方向に進んでいると私自身は考えております。
 何よりも政府・行政については機能主義的に考える癖を、我々自身もそうでありますが、国民の皆さん方やメディアの皆さん方にもお持ちいただくと、ここが大事で、そのことを徐々にではあれ、やっていかなければいけないと。そういう意味では、私自身は75点ぐらいはつけていただけるんじゃないかなというふうに自負しておりますけども、ただ具体的な結果がそうそう出てきているわけではないと。
 非常に国会の議論を見ておりましても、皆さん方の紙面を見ておりましても、アンビバレントなことを要求されるものですから、なかなか容易ではないなというのが実感であります。
(問)関連ですけれども、一方で半年で支持率にあっては30%台であるとか、40%台前半であるとか、歴代2位で始まったにもかかわらずかなり下落しているわけですが、政治とカネ、国会論戦もそればかりだったと大臣は感想を漏らしていましたけれども、やっぱり政治とカネに対する批判については、かなり国民の目線は強いのかなと思うんですけれども、それを打開していくにはどういうお考えが。
(答)政治とカネにまつわる問題を通じての失望感と、それと多くの国民の方々、経済界、労働界のみならず、多くの国民の方々はある種の日本の危機的な状況と、それからそこに出口というか、希望を見出したいというお気持ちが大変大きいんじゃないかと思いますね。この政治とカネをめぐる論議が、野党のある種のスケジュール闘争的な行為とも絡まって、相も変わらず政策論争というか、もっと大事なことを本来は議論してもらいたいのに、依然としてレッテル張りの議論に終始しておると。こういうことにうんざりしたという失望感みたいなものも大きくあるんではないかという気がしますね。
 私は、従前から議論としては、熟議の民主主義と、つまり公開と説明を原則にして、そこで改めて国会の議論を通じて、双方向のコミュニケーション関係を国民との間につくって、そこで新たな合意形成が図られるような国会をつくるべきだという訴えをしておりましたので、そういう面から見ると、議会と行政府、あるいは政治そのものと、この3つの要素があると思いますが、それをさせない何かが、まあ、政治とカネの問題でしょうけども、それがあったということで、今のような事態になっていると。一言で言えば、新聞の用語で言えば政治不信、あるいは政治家不信なのかもわかりませんが、それは非常に残念な事態だなと。皆さん方もお気づきのように、日本の抱えている様々な問題が財政の危機という格好で表れているというふうに私は見ておりまして、だから、そういうものをつくった構造とか状況とか、あるいは国民お一人一人の意識とか、そういうことを改めてきちっと議論しなければいかんなというふうに思っているところであります。
(問)自民党の鳩山邦夫さんが離党されましたけれども、これについて所感というか、受け止めがあればお願いいたします。
(答)一時は同じ党で、つまり現民主党で活動を御一緒させていただいた人でございます。私は、こういう言い方をしてはなんだけども、はっきり申し上げて、この種の行動をとられるとすれば10年遅かったんじゃないかと思っています。
(問)肝炎の関係で確認ですけれども、6大臣会合のメンバーは、仙谷大臣、千葉大臣、長妻大臣、平野官房長官、菅副総理、あと……。
(答)総理です。
(問)鳩山邦夫さんの関係なんですが、10年遅かったというのは、やはり今いろんな方が第三極であるとか、新党構想というのを言っていますけれども……。
(答)いろんな方というよりも、マスコミがということね。
(問)いや、何人か自民党内では政治家で言っている人がいらっしゃって……。
(答)いや、だけど、僕らが94年、95年に第三極を掲げたときに比べれば、第三極論というのも相当色褪せているんじゃないですか。
 つまり、何をしたいのか、政局的に何かがあるというのはわからんでもないけども、基本政策とか理念の上で今から何をされようとしているのか、僕にはさっぱり見えませんから。やっぱり第三極の旗というのは、「第三」という言葉だけを使えばいいという話ではないという感じを僕は持ってますけどね。

(以上)