第2回 成年年齢引下げ対応検討ワーキング・グループ 議事録

日時

2016年10月4日(火)16:00から17:50

場所

消費者委員会会議室

出席者

【委員】
樋口座長、池本座長代理、河上委員長、大森委員、増田委員
【オブザーバー】
後藤専門委員
【参考人】
放送大学 宮本副学長・教養学部教授
中央大学 古賀文学部教授
【消費者庁】
福岡審議官、河内消費者政策課長
【事務局】
黒木事務局長、福島審議官、丸山参事官

議事次第

  1. 開会
  2. 学識者からのヒアリング
         若者の実態について
  3. 閉会

配布資料 (資料は全てPDF形式となります。)

≪1.開会≫

○丸山参事官 それでは、定刻になりましたので、会議を始めさせていただきたいと思います。

本日は、皆様、お忙しいところをお集まりいただき、ありがとうございます。

ただいまから「成年年齢引下げ対応検討ワーキング・グループ」第2回会合を開催いたします。

議事に入ります前に、配付資料の確認をさせていただきます。

お配りしております資料につきましては、議事次第下部に配付資料一覧を記載しております。

不足の資料がございましたら、事務局までお申しつけください。

それでは、樋口座長、以後の議事進行をよろしくお願いいたします。


≪2.学識者からのヒアリング:若者の実態について≫

(1)宮本放送大学副学長・教養学部教授

○樋口座長 それでは、本日の議題に入らせていただきます。

本日は、若者の実態について御意見を伺うため、参考人として放送大学副学長・教養学部教授の宮本みち子様、中央大学文学部教授の古賀正義様のお二方に御出席いただいております。

放送大学の宮本副学長の御専門分野は、社会学、生活経営学と伺っておりますが、成年年齢引下げについて、世界の状況との比較を踏まえて、若者が成人へ移行する過程について論じておられます。また、宮本副学長は、お手元にお配りしています参考資料1「民法の成年年齢の引下げについての最終報告書(法務省法制審議会)」の取りまとめの際の、法務省法制審議会民法成年年齢部会の委員も務められておりました。

早速でございますが、まずは宮本副学長から「成年年齢引き下げによる『消費者としての若者』をどう位置づけるか?」について、お話しいただきたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

○宮本放送大学副学長・教養学部教授 宮本でございます。本日は、どうぞよろしくお願いいたします。

私は、「消費者としての若者」というテーマで具体的に研究をやっている人間ではなく、本日は、年齢と若者の青年期から大人になっていくプロセスがどういうものと整理すればいいのかどうか、そのあたりをお話しさせていただきながら、その中で、消費者としてはどうかを御議論いただくスタートみたいな話になるかと思います。十分であるかどうか、いろいろと自信のなさもあるのですけれども、お話をさせていただければと思います。

今、御紹介がありましたように、今年の1月27日に法務省内で「若年者に対する刑事法制の在り方に関する勉強会」という勉強会があって、そのゲストとして、少年法を18歳におろすかどうかという検討のための、私としての意見といいますか、それにかかわる参考をお話しさせていただくという機会がありました。

本日は、消費者としての若者ということでありまして、それぞれ若干ずつスタンスは違うのかと思いますけれども、前提としての枠組みのようなものは共通するところがあるのではないかということで、そんなことをお話しさせていただきます。

まず、年齢によって法制度は規定されているわけで、それによって若者の社会的な地位が示されているのですけれども、現実には、大きく変わる若者の実態やニーズに対して、年齢によって制度化されたものが合っていない問題があるのではないかということでございます。

例えば整理してみると、親の経済的な保護下において、消費者としては早期化していくという問題。つまり、経済的自立は遅くなるのだけれども、消費者としては早期に消費者になっていくという現代社会の特徴があります。

したがって、経済的な自立時期が繰り延べされていく。次第に遅くなっていく。これは日本だけではなくて、先進諸国全てに共通して指摘されていることでありまして、つい先日、イギリスにいる知人が知らせてくれたのですけれども、これは女性の調査ですが、イギリスでも18から30歳の年齢層の40%が親元にとどまっているということで、これは10年、20年前のイギリスの実態からすると、およそ考えられないような数値だと。日本だと、親のもとに長く残っている状態は西洋諸国よりは普通だったたわけですけれども、イギリスでもそういう状態にあると言われております。

消費市場に若い人たちが参入することには、プラスの面が明らかにあるわけでして、消費あるいは消費力は勢力、パワーでありますし、社会的な地位をあらわすものですし、若者のアイデンティティーの源泉になるものだと整理されております。ある程度までは、消費者としての自己決定とか、消費者、市民として地域社会に参入することが可能になるという意味でいうと、消費者として若い人たちが早期に社会に出ていくこと自体にマイナスだけではなくプラスの面があることは、押さえなければならないことだと言えると思います。

一方では、この10年、20年、日本ではそうですし、先進諸国ではもっと長期にわたって、若い世代の所得が次第に減少していく傾向があり、一方では、消費者としての地位は拡大していくという矛盾した状態の中に置かれているということです。

若い人たちの特徴として、親との同居が長期化しているという問題があって、例えば西洋諸国ですと、18歳になると親から自立していくことが一般的だということが、20年前くらいまでは必ず指摘されていたわけです。しかし、そういう国々でさえ、親との同居が長期化し、家族の中にあって部分的に依存した消費者である。これが大人などと違う面だろうということであります。

親との同居が長期化する中で、子供としては生徒、学生という立場と、もう一方ではアルバイトをして稼ぐ学生がより多くなっている。日本ではアルバイトと言いますし、他の国々はそれぞれ、例えばパートタイマーであったり、いろいろな形で部分的に働く人であるという面もありまして、こういう状況の中で消費者としての若者をどう捉えるのかという整理が必要になってくるだろうということです。

親と別居している場合の一つのタイプは、学生として親から仕送りされ、もう一方ではアルバイトもしながら、その収入で生計を立てながら学ぶ時期が長くなる問題があります。

羅列的で申し訳ないのですけれども、経済的なトラブルが起こった場合に、多くの場合にその尻拭いは親がしている問題があります。何歳くらいまでそれが続くのかは、本当にケース・バイ・ケースでありまして、例えば新聞などの人生相談とか、そういう欄を見ると、親が子供のトラブル処理者として結局最後は登場しなければいけないという問題は、10代、20代だけではなく、30代になってもあるだろうと思うのですが、その一方では、後で古賀先生からお話があるのではないかと思うのですけれども、親が全くそれをカバーしてくれない。そういう親と子供の関係があって、親の援助のない場合の若者の窮迫の問題があるということ。

指摘されているように、格差が拡大している状況の中では、一方では長期に親が保護する。そういう一群があると同時に、早期に18歳を待たずして、親が保護するどころか親が子供におんぶにだっこか、あるいは親が子供に対していろいろな意味で害を及ぼすという問題もあることでありまして、家族の援助を受けられない若者が増加している実態もあるという問題。

クレジットと銀行利用に関して、これも日本だけではなく他の多くの国々で、特に日本以上に早いうちに言われていたのが、例えばティーンエイジャーで、18歳を待たずしてクレジットや銀行利用が若い人たちの間に広がっている。その光と影の指摘は大分前から言われていたことであります。

若い人たちの消費というと、多くの場合、論調としては、余暇活動としての消費とか、文化活動としての消費という扱いがあり、余暇や文化活動の中での、例えば失敗の問題という論調がずっと長く続いてきたと思いますけれども、最近の状況を見ると、余暇や文化の活動としての消費という問題だけで見るのは間違いであって、文化の選択としての消費という問題と、生活必需品の消費という問題と、両方あるように思います。

生活必需品の消費は、要するに、自分で生計を立てなければならないとか、立てないまでも生計のある部分を負わされている若者たちの問題もあって、消費を従来の工業化時代の景気がよかった時代の、若者の消費はこういうものであって大人とは違うのだという見方をするのは、かなり間違いがあるのではないかという問題もあります。

消費者シティズンシップという概念もあるわけでございます。これは20から30年前から、西洋諸国では、消費者シティズンシップという概念を使って、若者の問題を議論することが見られたものでございます。

その次は、成人期への移行プロセスの長期化ということで、少し整理してみたものでございますけれども、年齢的に言うと、思春期、後期中等教育の初めあたりから30歳程度までを想定して、成人期への移行プロセスが続くという見方が正しいだろうということでありまして、民法の成年年齢を引き下げるという議論が法務省で行われたときに、私の委員としての印象は、多くの委員の方々が、18歳におろすのか、おろさずに20歳のままにとどめるのかという議論をするときに、何となく頭の中に描くのは、20歳なら20歳、18歳なら18歳で、大人はもうスタートするのだという、ある種の機械論的な見方です。

ですから、18歳におろすことになると、そこから完全に大人の世界に入るという議論をすることになり、そのために、本当にそれでいいのかという話になりがちだったのですけれども、そういうことではないのではないかということでございます。

全体としては◎にあるように、移行パターンは個人化・多様化・流動化しているということで、教育期間は長期化する。標準的な生活水準に対して、若い人たちの所得水準や不安定雇用の問題があって、この両者の間の矛盾、対立、格差を議論しなければいけないということ。移行期は長くなっているのですけれども、工業化時代のようにまっすぐにレールの上を前へ前へと進んでいくという見方は正しくなくて、列車旅行から自動車旅行へとか、ジグザグな道筋とかが言われておりますし、若年者の中の格差の拡大、不利な諸条件を持つ若者たちは、長期にわたって生活基盤や将来設計において深刻な問題を持ちながら、長い期間がかかっているという先進国に共通する特徴があるのだろうというところでございます。

次の◎で、成人期の移行の時期の課題を整理してみると、1つ目は、安定した職業生活の基礎固めをする時期であるということで、あくまで基礎固めでありまして、社会人として完全にスタートするという捉え方は正しくないだろうということ。2つ目としては、親の家を出て独立した生活基盤を築くプロセスにあるということで、大人になれば基盤はすぐ築けるようなものではないということ。3番目に、社会のフルメンバーとしての権利を獲得し義務を果たすことができるようになる準備・トレーニングの時期であるということ。ですから、たとえ18歳を成人年齢とするとしても、あるいは現行のとおり20歳がその年齢であるとしても、準備・トレーニングの時期はその後も続くと見るのが正しいのではないかということ。4つ目は、社会的な役割を取得して、社会に参画するという課題を持っている年齢だと思います。

その後は少し飛ばさせていただいて、3ページの「子ども・若者・大人」というところを見ていただきまして、青年期と成人期とか、若者と大人という用語があるのですが、この区別はどういうことになるのかです。これに関しては、法務省の成年年齢の検討の、ときも言ったことを繰り返すようなことなのですが、東京大学の大村敦志先生は、2007年の論文の中で、年齢によってこういう分け方があるのではないかという形で提起されているのが、未成年と成年と2つに分けるということで、未成年とは、完全な未成年は0歳から。準成年は15歳くらいから。成年は、初成年と完全成年と2つに分ける必要があるのではないかということで、初成年は20歳、あるいは18歳におろせば18歳から25歳、26歳ぐらいまで。つまり、20代の前半期までは初成年で、完全成年とは違う位置づけが必要だと考えるのが妥当ではないかと提起されております。

私も、若者期を、ある年齢でいきなり若者か大人かと分けるのではなく、現代に特有の実態を踏まえて、例えば青年前期を10代の後半、青年後期を20代の前半、ポスト青年期を20代後半という形で分けて、いわゆる完全な成人期はその後に来るものと考えるのが妥当ではないかと整理してみました。

ただ、完全な成人期とは一体何なのかということと、何歳になればその段階に入るのかということは論じようとしても実は非常に難しい話で、先ほどの現代の多様化とかいうような問題と重なる問題があって、成人期を考えたときに、従来定義されていた、例えば職業人として仕事を得ること、自分で給料をもらってそれで自活することができるようになることとか、結婚して家庭を持つことができる、子供を持って親になるとかいう標準的なライフスタイルの重要な構成要素であったものが、今の実態ですと、必ずしもみんながそれを持っているわけではないというくらいに多様になっているものですから、成人期のスタートがどこなのかは、そう簡単に言えないことだということも、この問題には絡まっているかと思われます。

4ページ目に飛んでいただきまして、真ん中よりも下に、「西洋諸国」と書いてあるところがあるのですけれども、西洋諸国では、こういう若者、大人という問題と年齢の問題に関して、日本よりもかなり早くからこういう議論が行われてきたと思うのですが、なぜ早くに議論が行われたかというと、若者期の様相に関して日本以上に標準的パターンが早く崩れて、それに伴って生ずる問題に対する議論が早く始まったという感じがいたします。

ここに書いてありますように、青年期から成人期への移行を、シティズンシップの権利を獲得するプロセスと捉えようという考え方へと変わってきた。成人期に入るというのは、選挙権、労働の諸権利、社会保障の諸権利等のシティズンシップの権利を獲得するだけではなくて、その権利を実際に行使することができる地位を得た状態とみなそうという議論。仕事があるかないかとか、結婚の有無とか、子供の有無など、それまで一人前の条件とされたものは考慮されない。それだけ、成人期の形は多様であることが承認されているという議論がございます。

飛ばしてしまったのですけれども、消費者としての問題になると、民法成年年齢に関する法制審議会の議論の中では、最後まで18歳に下げることに反対された日本弁護士連合会の委員の反対の意見は、18歳におろすと18から19歳で、消費者被害が一気に増えるだろうと。というのは、現在でも20歳を過ぎた途端にその問題が発生するので、より早い年齢でそれが発生すると。

今の環境状況の中では、そういう問題に対して防止することができないのではないかという強い懸念があって反対されたわけですけれども、この問題はある種のイタチごっこでありまして、18歳におろしてスタートをそこから切るのだということになれば、そのための環境整備はもっと早くにすることができるということで、18歳にしようが20歳にしようが、消費者としてのスタートの時期はどんどん早くなっている。その一方で経済的な自立の時期は遅くなっていくという、この事実には変わりはないわけですので、そういう意味でいうと、18歳におろした上で、それまでに一体何が必要なのかをもっと真剣に考えるべきであると同時に、18歳で成人であるということで、保護を一切解いていいという議論ではないのではないかということでありまして、18歳を過ぎて、完全に社会のフルメンバーになるまでの間は、若者期として必要な保護とか教育とか、そのようなものが必要だということを前提とした議論が必要ではないのかと考えております。

雑駁なのですけれども、ひとまずここまでで、失礼いたします。

○樋口座長 御説明ありがとうございました。

ただいまの宮本副学長の御説明を踏まえまして、御質問、御意見がある方は御発言をお願いいたします。いかがでしょうか。

増田委員、お願いします。

○増田委員 ありがとうございました。

成人期になるまで、保護や教育が必要という御意見をいただきましたけれども、具体的には、例えば18歳になって以降、何らかの条件によっては取引の取り消しができるような制度があってもいいということでしょうか。

○宮本放送大学副学長・教養学部教授 具体的に、18歳を過ぎても、いわゆる若者期の若者たちをどのようにしてひどい大きなダメージから守るかに関して、具体的にどういう制度をつくったらいいのかは、申し訳ないことに、私は具体的には持っていないのですけれども、それにしても、社会人としての成熟度の問題からすると、甚大なダメージからは守らなければいけない。

現実には、もしそういう形で被害を受けた場合に、多くの場合にそれをカバーするのは親だという実態が日本の場合にはありますので、子供の問題だけではなく、子供を持つ親の問題としても大きいだろうということでありまして、そういう問題が発生しないためにどうしたらいいのかは考える必要があるだろうということでございます。

○樋口座長 よろしいでしょうか。

大森委員、お願いいたします。

○大森委員 消費者として登場するのが早期化して、経済的自立が遅くなっているということは、早くからお金は使い出しているけれども、そのお金は親のお金であって、自分自身が稼いだりしたものではないところが、大きな現代社会の問題ではないかと感じたのです。

昔は、子供たちも結構アルバイトをしてお金を得たり、お小遣いの範囲として使うという形がありましたし、早くから働いてお給料を得て、それで自立する人もいました。ところが、今はずっと親がかりで、親がお金を出してくれる。自分では余り稼ぐという経験がないままに、使うことが先行しているのが一つの大きな課題ではないかと思うのですけれども、その点、先生はいかがお考えでしょうか。

○宮本放送大学副学長・教養学部教授 子供自身で稼ぐ範囲を超えて消費者として肥大化していく現象は、子供の問題と、社会の体制と両方ありますよね。つまり「子供は稼いでいない、しかし、子供は買える」ということを前提にした経済社会ですので、それを野放しにしないことが重要なのではないかと思います。

○樋口座長 いかがでしょうか。ほかの委員の方は、何か。

大森委員、お願いします。

○大森委員 とても興味がある御発言で、引き続き御質問なのですけれども、子供を野放し、そういう状態のお金がなくてもどんどん使えてしまうような、経済的な状態を野放しにしないというためには、ある程度の法整備とかが必要ではないかと思うのです。あとは子供自身の問題については、家庭とか学校での教育とか、そういう部分も必要になるかと思うのですけれども、その2点の対応については、先生はどのようにお考えですか。

○宮本放送大学副学長・教養学部教授 当然、この問題は、一つの重要な期待は教育の問題だということですよね。ですので、学校における消費者教育は、より一層強化する必要があるということで、法制審議会でも、消費者教育の強化を前提にした上で18歳に下げるという答申をしたわけなのですけれども、学校だけに任せていいのかという話もあって、消費者教育も無限に学校の中で時間をとることは現実性がないわけで、その中で18歳におろしたことによる問題を学校の消費者教育に全て委ねるという方向は、大変問題があるような感じがいたします。

そういう点でいうと、簡単に言えばあらゆる機会なのですけれども、一つ懸念するのは、これは後で古賀先生が恐らくお話しいただけるかと思いますが、家庭における子供に対する消費者教育には明らかに大きな格差があって、親が教育的な意図を持ってやっている家庭は、子供はそれほど大きな問題を起こさない、これは確率の問題かもしれませんが、あるだろうと思います。それができない子供はまさに消費社会の中で、被害にも遭うし、いろいろな問題を起こす可能性が非常にあるわけで、そういう問題をどうやって対処していけばいいかという問題があるだろうと思います。

したがって、一般的な消費者教育、例えば学校教育においても、一般的に、例えば全ての高校で消費者教育をやるという一般論ではなくて、もっとそれぞれの学校の特性に応じた教育が必要だと思いますし、キャリア教育も同じことなのですが、キャリア教育が必要だというと、何となく全ての学校が同じようにという路線で進んでいますが、実際には、それでは、対応は不適切でありまして、キャリア教育が早急に必要な学校はどこなのか、その生徒たちの実態に合わせて何が必要なのかという発想が必要だと思いますが、消費者教育も同じだろうと思います。

もう一つ、教育以外に何が必要なのか考えてみましたけれども、15年くらい前にヨーロッパの国々を回りますと、若い人対応のワンストップのセンターが街中にできていた時代がありまして、EUの資金でそれぞれの国が若者に対する取組を強化して、今も続いていると思いますが、そういうワンストップショップは、教育支援、就労支援、職業訓練、エイズの検査からエイズ教育、消費者問題への対応、相談、消費者被害に遭った場合のサポートとか、あらゆる若い年齢の人たちが遭遇しそうな課題をワンストップでやっている場所があったのです。

今、日本でも、特にこの10年前くらいから、若者就労支援のセンターがいろいろできましたけれども、就労支援は就労支援だけ。消費者センターは、若者も大人も一緒くたかもしれませんよね。そうではなくて、若者期特有の問題に対応できる場所を包括的につくるという発想も必要なのではないだろうかとも考えます。

○樋口座長 ありがとうございます。

池本座長代理、お願いします。

○池本座長代理 池本でございます。

御指摘いただきました消費者としての取引に参加する機会が早くなっていることと、経済的な自立という意味では遅れているという、まさに両者のずれが問題になっていると思うのです。問題は、成年年齢を動かすことや、何か手当てをすることについてどう対応するのか、あるいはどういう方策をとるのかというところで、国民、世論の中での受けとめがどうなのか、私はどう理解していいのかよく分からないのです。

と申しますのが、平成20年に内閣府が行った民法の成年年齢に関する世論調査があって、そのころには、成年年齢引下げには反対であるという意見が大半だった。国民の理解が浸透していくことが成年年齢引下げでは必要ではないかというのが当時の法制審での意見だったのです。実は平成25年に同じテーマで世論調査をやったところでは、反対意見が数ポイント、さらに増えているという状況があります。先ほど先生がおっしゃった、消費者としての参加が早まっていることのプラス面、何らかの制度的な手当てをして、成年年齢の引下げを検討するというのが多少は理解が増えているかと思ったら、逆に反対のほうが増えている状況があるのです。

こういった、世論における議論というか理解が、全く動いていないか、むしろ逆に反対意見が増えているところを、今の社会の状況をどのように受けとめておられるのか、あるいはどう考えていけばいいのかについて、お伺いします。

○宮本放送大学副学長・教養学部教授 民法の成年年齢引下げの約1年にわたる審議のプロセスで、新聞社3社くらいが世論調査をやっていて、その傾向も全く同じだったのです。

そのときに、委員が幾つかの高校と大学に行って聞き取り調査もやったのですけれども、そうしましたら、当事者の高校生、大学生の多くが、18歳に下げてもそれに対応して振る舞えるかどうか自信がないという声が圧倒的に多かったのです。

その委員会の議論の前半期は、18歳におろすどころか、本音で言えば25歳くらいに引上げてもいいのではないかという議論が多くて、つまり、日本の社会では、若い人に早く大人になる権利をというよりも、積極的に社会に参画することを推進するという意見は極めて弱いということをそのときも感じていたわけなのです。

しかし、結局国民投票の問題があり、選挙の投票権が18歳におりたことで、ようやく投票することが現実になったため、その少し前からマスメディアが盛んに記事を書きました。長く若い人たちのNPOなどで社会の参画・推進の活動をしてきた方たちがいるのですが、ほとんど世の中の関心を引かないと嘆いていた人たちが、選挙が始まる前にはあちこちにメディアに登場することになりました。

つまり、何を申し上げたいかというと、他の先進諸国は若者の参画促進が若者政策の柱となり、ヨーロッパの場合だとEUを挙げて推進する、あるいは国連は大分前からやっていたのに対して、日本の場合には、ほとんどそういう問題は関心がなかったという傾向にありました。

ですので、今回の18歳に引き下げるかどうかという問題も、私自身は18歳におろすべきだと最初から思っていたのですけれども、それは社会に参画して意思決定に若い人を参画させる社会モデルに変えなければいけないという、その一点で賛成してきたわけで、それに付随して消費者として、少年法として、その他いろいろな課題がありますが、全体として早期に社会の意思決定に参画するために、全体を整備するという手順ではないかと考えています。お答えになっていますでしょうか。

○樋口座長 ありがとうございます。

大森委員、お願いします。

○大森委員 たびたびすみません。

2点ほど質問があります。ヨーロッパでワンストップセンターみたいに、若者対応のものができている。15年ぐらい前からあるというお話でしたけれども、運営はどこがやっているのかと、予算とか人材とかはどのような行政の課がやっているのかとか、ある程度ボランティアの人に頼っているのか。どのあたりに配置されているのか、数とか場所とか、分かる範囲で教えていただけたらと思います。

○宮本放送大学副学長・教養学部教授 私は、最近は新しい情報を得ていなくて。少し前までは、毎年いろいろな国を回って、若者に関係するいろいろな取組を見てきました。国によっても若干違うと思うのですけれども、例えばちょっと古くなりましたが、イギリスでいうとブレア政権下で若者のニート問題が大きな課題になったときに、イングランド地方の各地にコネクションズというものをつくったことがありました。基本的には就労支援ですので、教育、トレーニング、就労関係の支援のワンストップショップだったのです。ところがそこへ行くと、それだけの情報だけではなくて、消費者の問題、その他健康とか、そのようなものがそこにみんな集められているところがかなり多かったのです。

イギリスのコネクションズは、かなり大規模な事業でしたけれども、予算は全部国だったのです。ヨーロッパのいろいろな国を回ってみると、それぞれ違うのですけれども、よく聞いたのは、EUからのお金がかなり入っている。この20から30年、どこの国も若者に関しては非常に大きな問題を抱えてきたので、若者の社会的自立と生活基盤の安定のための支援に力を入れたのです。そのためのお金ということで、EU、国、地方自治体、その他がいろいろな形でやっていましたけれども、国によって違うので不正確ではありますが、大体それを運営しているのは民間団体だったかもしれません。

○樋口座長 大森委員、お願いします。

○大森委員 もう一点お聞きしたいのですけれども、親の格差が大変な問題であると思うのですが、ある意味では徹底的に子供を金銭的に甘やかしている親と、一方、子供の収入を当てにするような親がいる。このような家庭の格差が若者の自立の大きなネックになっているかと思うのですが、それぞれに問題がある。

今まで、家庭の問題は、割合、行政とかは入り込まなかったし、入り込みにくい課題なのですけれども、この辺の解決策として、先生御自身がお考えになっていらっしゃるところがあればお聞かせください。

○宮本放送大学副学長・教養学部教授 今、文科省が家庭教育支援を、去年、おととしくらいからやり始めていて、各地で何が家庭教育支援なのか模索されています。高度経済成長期によく家庭教育学級というものががやられたのですけれども、今、一般的に家庭教育支援などをやることが妥当なのかという問題があって、むしろさまざまな多様な問題を抱えている家庭に対して、それぞれの状況に応じた支援をやることが必要な段階にあるかと思います。

そういう意味で言うと、それぞれの子供の消費にかかわる問題だけから入るわけではなく、いろいろな形で発生する問題に対応していく中で、子供のお金の問題、消費行動、そのようなものにもかかわった形で支援が行われるようになればいいのではないかという感じがしております。

もう一つ、今、子供の貧困に対する取組が各地で進んでいる中で、一番貧困で早急に対応が必要な子供は誰なのかという議論が各地で行われています。予算も限られている中で、何か重点を決めないとできないというときに、一つ出てくるのが社会的養護の中で育った子供たちが18歳でそこから出なければいけないという問題です。

その子たちが自立するために何が必要なのかという話が出るのですけれども、そのときによく議論されるのが、18歳で養護施設を出たときに、その子たちがお金の感覚、日常生活の感覚、その他、つまり、自分で生活をしていくために必要な、普通であれば親が教えるべきことが全然入っていない。そうすると、お金の使い方も分からず、被害にはさらされやすく、衣食住管理もできないという問題があって、その子たちに衣食住から生活の教育支援を行いつつ、やがて安定した自分自身の生活が営めるようになるための支援が議論されているわけなのですけれども、こういう問題は、やはり消費者としての若者問題としても考えるべきことではないかという感じがしております。

○樋口座長 ありがとうございます。

ほかによろしいでしょうか。

河上委員長、お願いします。

○河上委員長 今日はどうもありがとうございました。

私も共感する点が多いのですけれども、結論的なことになるかもしれませんが、例えば成年年齢が引き下げられるようなことがあるということに対しては、社会参加を促す意味からも、年齢を下げることについては、むしろ積極的だというのが先生の考えですね。

その上で、成年と未成年の境界は、それほどはっきり年齢では割り切れないのではないかということになると、これまでみたいに成年年齢でばちっと行為能力を決めてしまうということが難しいとして、下げた後、なお、例えば一定のスタンダードを置いて、若年であることあるいは経験の不足といった一般的な要素に配慮する形で、18、19、場合によっては20、21あたりも含めて一定の制度的な配慮をするような、もう少し柔軟な制度的配慮のあり方のほうが望ましいということになりましょうか。

○宮本放送大学副学長・教養学部教授 まさしくそういう考え方が必要ではないかと思います。

そのときの年齢設定に関しては、結構難しさはあると思いますけれども、多くの国で議論されているのは、25歳くらいまでは、大人といってもフルの大人になるための準備期間である。準備期間をきちんと彼らに対して保障して、その期間に十分に準備ができて、社会に完全なメンバーとして参加できる環境をつくることが重要だという考え方ではないかと思うのです。

○河上委員長 もう一点、成年年齢が引き下げられるということは、民法の世界だけで申しますと、一つは結婚との関係がありまして、親権から解放されるということで、親からのいろいろな干渉を逆に受けなくなるということと、逆に言えば、親からの監護から外れるという両面がございます。

この部分は、実は物を買ったり売ったりという取引の世界と無関係のように見えますけれども、実は結構意味があって、親がそんなものを買ってはだめだと言ったり、未成年の間はそういうことができる期間なのですが、逆にそこは個人の自立という観点からすると、下がったほうが成年にとってはプラスに働くことのほうが多いのでしょうか。

○宮本放送大学副学長・教養学部教授 日本の場合の親子関係の特徴があると思うのですけれども、親はいつまでも干渉する。お金を出す。お金を出すということは、干渉できるということでありますので、いつまでも親子関係が、保護者と依存者の関係として続くわけです。

これは黙っていれば、30代まで続く。日本の社会ではそれが著しく問題があると批判されにくいといいますか、そういう傾向があって、歯止めがかからない問題があるかと思います。

西洋諸国の文化は、よく親子関係の問題でいうと、ある年齢になったら干渉はしない。しかし、保護はしない。自分でやりなさいという、これは一つの理念でありますので、実際のところ親は、今日からお金は一文も出さないというわけではなく、いざとなれば親の多くは子供が困ればそれなりの援助はするのだろうと思いますが、考え方としては、責任を持たせることで進みますので、かなり小さいころから親子の関係は、そういう段階に向けて歩むわけです。

日本の場合には、少なくとも20歳までは未成年であるということでありますので、20歳までは、親はお金を出すけれども干渉もします。だけれども、実際のところは20歳では終わらなくて、高等教育、8割方の人は18歳を過ぎても教育を受けているので、親の経済的な義務と支配はもっと先まで進む。口も出すということなのです。

そのあたりをもう少しけじめをつけることが恐らく必要になるわけなのですけれども、教育費を一体誰が出すのかとか、そういう問題と絡んできて、社会的な制度のあり方と親子関係のあり方は連動しているので、難しいところがあるとは思います。

親の監護から外れるという問題に関しては、普通は社会慣習としては、多くの親は今日から放り出して崖から落として、子供のことは見ないということはしないのだけれども、問題になる親子関係は、18歳を待たずして監護から外しているのです。

そういう問題と両方の問題があって、高校生でも、これも後で古賀先生から出るかと思いますけれども、高校生の段階で、親が親としての役割を果たさず、子供に稼がせてそのお金を全部親が奪うという問題が現に起こっていて、20歳まで親が責任を持ちなさいということが成り立っていない現実があるので、この問題は18歳におろそうがおろすまいが、問題としては残るだろうという感じがいたします。

○樋口座長 よろしいでしょうか。

それでは、宮本副学長へのヒアリングはこのあたりにさせていただきまして、引き続きまして、中央大学の古賀教授に御説明をお願いしたいと思います。

宮本先生、ありがとうございました。

(2)古賀中央大学文学部教授

○樋口座長 中央大学の古賀教授の御専門分野でございますが、教育学、教育社会学、社会学でございます。最近の若者の実態について研究されていると伺っております。また、古賀教授は子ども・若者育成支援推進本部に設置されました「子ども・若者育成支援推進点検・評価会議」におきまして、宮本副学長とともに構成員として参加され、平成28年2月の子ども・若者育成支援推進大綱の策定に向けて関与されております。

古賀教授からは、本日「消費者としての若者-成年年齢引き下げにかかわって-」について、お話しいただくこととしております。

どうぞよろしくお願いいたします。

○古賀中央大学文学部教授 今、御紹介いただきました。私は全く消費者ということを念頭に置いた研究者ではございません。教育社会学という分野で、特に、今ずっと宮本先生からもお話がありましたが、格差の底辺で生きる若者を研究するというのが私のテーマでございます。

最近は、高校中退者の追跡調査とか、これは東京都教育委員会と連携してやったものですが、今、ずっとお話の出ておりました家庭環境も含めた追跡調査をしました。いわゆる教育困難高校というのですか、指導することも難しい子供たちをたくさん抱えた高校の子供たちの約10年間の卒業後の追跡調査も行い、余りたくさんの調査対象者数ではないのですが、割とロングスパンで若者のライフコースを追いかけるという作業をしてまいりました。

これから、お話ししたいことは、フォーカスしているところが、いわゆる一般的な高校の上位層とか、適切かどうか分かりませんが、エリート層ではなくて、むしろ先ほど出ておりました、非常に不安定な生活スタイルを持たざるを得ない人たち、下位層と呼ばれる人たちの生活から見える消費のあり方をお話しすることをしたいと思っております。

パワーポイントを使いながらお話ししていきますので、幾つかキーワード的なことを取り上げていきますが、最後に高校でやっております金銭教育の映像を少し見ていただくことにしたいと思います。あくまで、断片的にですが。

最初に、今日、ここで、「経済弱者」としての若者ということをお話ししたいと思います。実は、教育の問題がだんだん経済の問題に読みかえられていっているという現実があります。例えば高校でも、貧困対策が出てきてからは、学校のプラットフォーム化という問題を非常に真剣に論じるようになってきているということがありまして、そのお話をします。

2番目は調査ケースをお話ししますが、ずっとお話が出ていたように、消費はバーチャルなものになっていて、実際にお金を払うという作業よりは、クレジットカード等からお金が出ていくという営みになっていまして、このことが非常に重要な問題として、就労すると初めてお金との関係性が現実化するという現象が起きるということです。このお話を2番目にしたいと思います。

最後の3番目に、金銭教育ということで、先ほどお話ししました、学校で、消費者教育よりむしろ金銭教育が要求される。ここに違いがある。消費者という部分での、いわゆる家庭科とか社会科でやっておられるものより、もう少し広いゾーンの金銭にかかわる全体像を論じるような教育がニーズとしてこういう層の人たちにはあるということをお話しします。

1番目から、もう言うまでもないのですけれども、今、宮本先生からもお話があったように、いわゆる青年期が長期化していまして、ポスト青年期という言葉が使われます。20代の後半、30代ぐらいまでは、ずっと青年期が続くことになっているわけですが、実は90年代の後半ぐらいからこの変化に伴って、若者の問題が全然違う文脈で経済問題に読みかえられるようになってきました。

例えば先ほどの「パラサイト」というのは言うまでもありませんけれども、パラサイトシングルという、自由を謳歌してお金が潤沢に使えて、家にいる。そういう女性の論だったわけですけれども、現在、パラサイトというと、家にいて、家の経済力に支えられながら生活をする人という、つまり離れられない人という文脈に変わってしまったわけなのです。つまり、家に依存している人という意味なのです。同じ言葉なのですけれども、全く文脈が変わってしまっている。

同じように、低学力というのも、ある時期までは進学ができるかできないかの問題だったのです。現在、低学力は貧困の入口と多くの方々が考え始めている。格差、貧困の入口です。

全く論文も様子が変わってきてしまいました。つまり社会保障とか福祉とか、労働環境の問題に低学力をつなげていくような論文がどんどん出ているのです。これはそれまでのいわゆる学習指導とか、学校での知識の伝達の問題が、受験競争のような問題とつなげて考えられていたのとは、大きく変化してしまいました。

先ほどもお話ししたのですけれども、私が注目するのは、こういう新たな社会の、いわゆる排除型社会というのですか、中間労働者層、ある意味で常識的な知識や技能があれば、どなたでもが働ける、ある種の終身雇用が守られる時代から、そこから滑り落ちる人たちがたくさん出る時代への変化という点です。

マクドナルド・プロレタリアートという言葉がありますが、非常に単純な労働で、低賃金で働く層の人たちが割と広くたくさん生じる時代になってきて、そこに社会の中での大きな空白が生じた。中間層のところが空白化してきたということがあります。

これは、先ほどお話ししました東京都の都立高校の中途退学者を、2010年と2011年に中退した人全員について追いかけまして、その方たちに、2年前後の時期になりますが、約1,000人の人たちにアンケートに答えてもらった結果です。

こういう層の人たちの統計データはほとんどないので、このこと自体が極めて珍しい。ドロップした人たちは、なかなか統計調査の相手になりにくくて、実態が分からないのです。アンケートの最後の方の項目である、今後、求める支援の内容だけ取り上げてみます。

中途退学をした人でも、労働のほうに身を置いて就業だけを強く求める層と、これは自己学習みたいなものも入ってしまうのですが、再び学習もしたい、就労だけではなくて学習もしたい学校に復帰したいという層が大きく二分いたします。我々はどちらかというと就労層ばかり目を向けがちですが、実は学習に再び回帰したい人たちもいて、学習と就労がミックスする時代に入っています。

この調査のアンケートの年齢層も、中退者を扱ったにもかかわらず、複数の学校をやめた人とかがいるために、20代の前半が4分の1弱いるということになってきて、年齢層が多様になってしまっているわけです。18歳までの人たちを相手にするようにならない。いろいろな人が入ってきてしまいます。

先ほど宮本先生から御指摘があったように、こういう方々の家庭環境についての調査は、いろいろな要因を考慮しなければなりませんが、一つはっきりしていることは、シングルファミリーがどうしても多くなってしまうという現実です。経済的豊かさについては、主観的な評価ですが、ほぼ30%の人たちだけが「豊かだ」、「やや豊かだ」と言っていまして、残りの人たちは非常に厳しいと言っております。

これは学習・就労経験別のデータで、どんな支援があったらいいですか、中退した後、どんな支援が欲しかったですかというのを聞いております。今、黄色くさせていただいているところは、無償とか無料で何かをしてくださいという回答のところで、色をつけさせていただきました。

こういう調査ですので、たくさん支援があったほうがいいと思われる方が多いですから、全体の比率がどうしても高くなるのは当然のことなのですが、就労した方は意外に選択的に支援を求めがちで、見ていただくと、就労している方のゾーンは赤い字にあるように、突出して無料による、例えば専門学校や大学の授業料の無料化とか、住宅の提供とか、自由に使えるお金を区役所等から給付してほしいとか、こういうところが高くなってまいります。

非常にセーフティーネット的な要素を求めるのは、むしろ就労経験がある人で、学習と両方をしようという人たちは、何に対してもベタに支援を求めがちということで、この辺に、無償という問題がリアルに見え始める人たちの層がいそうだということが分かります。

中途退学したらみんな同じ人たちかというと、そうとは言えなくて、より金銭的な問題に密着して生活する層と、先ほど出てきた親たちに養ってもらっている層とが分かれていくということが分かります。

学習している人たちでも、もちろん、経済力はそんなに豊かではないのですが、こういう方たちの中には、いろいろなサポート校だとか、少ないのですけれども、割と民間が経営している教育機関に行く人たちが見られたりもするのです。ということは、経済力に微妙に差があるのだなということが分かります。

これはある事例の方で、私がよく使わせていただいている大変興味深いお話の方でした。非標準的なライフコースという言葉がよく使われて、標準的ではないというのが強調されるのですが、「液状化」という言葉を使わせていただいています。これは地震などのときに、地面がゆらゆらして、不安定になってどのようになるか分からないことを言うのですが、退学している人たちに限って言えば、私生活の経済問題が呼び水になってふらふらと退学する人は非常に多いのです。

この方は、私生活に問題が起きると就学を断念し、ローンが返せるもっと実入りのいいバイトに行こうと思うというような就労の選択をしておられます。こういう言い方をしています。自分の私生活の問題がそのまま学校につながってしまう。

つまり、就学することと私生活での経済生活が非常に並立的に動いてしまって、経済生活が揺らぐと学校に行かなくなってしまうという現象が起きます。生活を支える条件が崩れていくことが、学校へ行く、学習するという問題と非常に大きな関連性を持っているということです。

この人の場合ですと、稼ぎができるいろいろな就労、アルバイトの場所を転々とします。アルバイトできる人は、かなりこういう層の人たちの中では社会に参加できている要素を持っている方々と言うことができるのです。実は、働けない方もたくさんいらっしゃるので。

この方の場合、どんどん実入りのいいアルバイト、お金になるアルバイトにどんどん行って、先ほどからずっと出てきていますが、こうやっていけばいくだけ、就労のストレスみたいなものを消費で発散しようとする傾向が出てきて、最後にありますような、たくさんお金を使ってしまった、ローンを払わなければいけないということが出てきて、母親に必要がないカードは預けていますなどという話が出てくることになります。

就労が初めて消費を目に見えるものにしていく傾向があると思います。これが不安定に揺れていくので、10代後半から20代にかけて、いろいろな就学や就労を転々としながら、お金について考えていく作業が始まっていくということです。

これは時間がないのでもう飛ばしますが、先ほども言いましたけれども、生活というものが、実は学習とか、今まで我々が学習先にありきで考えていたようなものと反転して、経済生活が学習を支えるという新たな展開が認められます。

ここには退学した原因を分析した数字を出したのですが、家で親がちゃんと朝、起こしてくれるとか、夜に働きにいかないでちゃんと朝にいてくれるとかいう人たちが本当に少なくて、そういう人たちは結局遅刻してしまったり、お休みが多くなってしまって学校をやめざるを得ないほうへ向かっていく。

生活リズムの欠落が就学をやめさせることになってしまって、親がお金を全然出してくれないわけではないのですけれども、結局就学につながれないという状態が見られます。

これは肖像権もあるので、NHKの番組で、後で見ていただきますが、NHK特集がやった貧困女子高校生という支援関連の番組でした。多くの高校が今、スクールソーシャルワーカー(SSWer)を入れ始めています。スクールソーシャルワーカーは家庭と連携をして、福祉的な政策をお手伝いする仕事で、まだたくさんの学校に入っているとは言えません。大体3,000人程度ともいわれています。

東京都の高校では、こういう人たちSSWerを入れているのですが、先ほど宮本先生からもお話があったのですけれども、こういう貧困層の人たちにせっかく就労の進路指導をしても、生活保護を受けているために、就労した翌日にやめてしまうというようなことがあります。この番組では就労したことになっているのですけれども、数日のうちにやめてしまう。働くとかえってセーフティーネットからこぼれてしまう。生活保護からこぼれてしまうものですから、働くことをやめてしまうという現象があったということが報告されています。

こういうものはなかなか難しくて、セーフティーネットへの期待度が高まることと就労はつながっているのですが、同時にこのような、ある意味では寄りかかる部分も出てきてしまうところもあるし、親御さんの側がそうしてしまうときもあるということです。

今のような問題を考えるときに、労働するとお金がリアルに見えるということを私は繰り返しお話ししたのですが、多くの若い人たち、特に高校生から20代前半ぐらいまでの人たちが、お金を極めてバーチャルなものとして捉える傾向があります。

今、4つのゾーンに若い人を分けたのですが、いわゆるオタク型と言われるような、ネット世界とかスマートフォンの利用とか、そういうところに非常に強い志向性がある人たちと、最近、よく消費行動ではやりですが、「マイルドヤンキー」などといって、地域に密着していて、かつてのおじさんたちが好むようなパチンコだとかお酒だとか、そういうものを好んで生活して、しかし、前みたいに派手やかに物は使わないし、とにかく狭い行動範囲で暮らすような人たちを指すのです。この両方の群は、実は両方とも内向型という特徴を持っています。

外へ向かって行動するよりは、自分の中でその問題を個人として消化する。自己充足的度合いが強くなっているのです。マイルドヤンキーといわれる人たちも、仲間をすごく限った人数で置いて、限った友達からの情報収集になります。このような人たちは、ネットも含めて非常に限られた情報の中で行動を起こす傾向があります。

こういう人たちの前段は中学生、小学生ぐらいからあって、後で読んでいただきたいのですが、消費のイメージは、小中高とずっと年齢が上がるにつれて形成されています。ここにも出しておいたのですが、例えばインターネットショッピングみたいに、物をネットオークション上で、フリーマーケットで売ってみるとか、カードゲームを売るとか、こういうものにかかわる中学生は、2005年のデータですから今は何十倍にもなってしまっているのかもしれないのですが、ベネッセがやったデータでも、既にその段階でやっている人が中学生で10%、高校生では15%近くいた。

今は、こういうことがもう普通でして、ネット上で売り買いをしたり、友達同士でこういうものを介して物を売ったり買ったりもあるということで、非常に「シュミラークル」、ボードリヤールとかがいう「シュミラークル」みたいに、非常に物の実体がない中で物が売られたり買われたりしていくというのが、子供期からあります。

次に行っていただきたいのですが、これがさらに進むと、特にオタク型の人たちには典型的ですが、ここにありますように、データベース消費といわれるように、自己満足する消費が拡大する傾向があります。自己満足とは、今までのようにブランド品を大量に買って多くのお金を投資する、消費するみたいなことではなくて、自分にとっていいなと思うものは、とにかくたくさん集めていて、自分の中で勝手にストーリーをつくって物を買う、使うというやり方です。

例えば、この後出てきますが、コミックマーケットのある先生が書いている漫画みたいなものに物すごいお金を払ってしまうような人も出てくる。全く消費が自己物語の中で形成されていて、一般的な社会の消費のイメージとは全く異なる人たちが登場してきています。

この人たちにとっては、貴重なもの、大事なものは非常に個別なもの。限られた友人や自分の中で形成されているので、今までの物語消費に対してデータベース消費という言葉がよく使われています。まるでデータベースのように、選択的にいろいろなものをチョイスして消費していくということです。このようなことが出てくるということは、ライフスタイルそのものが消費のあり方と非常に連動して、違ってきているということです。

次を見ていただきたいのですが、これは先ほど言いました、困難な高校の卒業生の人たちを10年間ずっと追いかけたものなのです。高校に在学している時点でもお話を聞いて、高校を出てからどうなったかも聞いています。

先ほどお話ししましたように、いわゆるオタク型というか、非常にデータベース消費に特化している層の人がたくさんいるのと、反対に、先ほど出ましたマイルドヤンキーのように、地域に密着した友達などを介しながら就労や消費へ向かう層の人たちがいて、大きく二分されています。

実はこの右側の層の人たちは、先ほど言いましたけれども、ネット上の売り買いは非常に至極当然にやっています。一方で、左側の層の人たちは、皆さん方がよく言うので言えば、衝動買いのように、長期的な展望より、今ここ的な判断で物を買ったり売ったりする傾向があって、こういう人たちにとっては、限られた選択的な仲間関係の中で、消費が非常に拡大していく傾向があります。

左側の人から先にコメントを見てみますが、これは卒業した時点では出てこなかったのですけれども、卒業して3から4年たって出てきた、クレジットカードを使えるようになったという話です。先ほど、親からの自立という話があったのですが、実は、二十になるとクレジットカードが使えるということがあって、そうなってくると、自分で判断できると考えるので、この辺からいわゆる衝動買いのような、消費の拡大が見られていくようになります。

親の人たちの保護下に入っているみたいな条件から、少しずつ、クレジットカードのようなものの利用によって変化するところがあります。ただ、これも物を買ってはいるのですけれども、自分でお金を払っている感覚がないので、先ほどの一番先に出てきた液状化の人のように、親がそれを使うのをとめたりしている。親とのかなりの葛藤が生じたりしているし、就労してせっかく出たお金を家庭に一定程度入れている子がいるわけですが、それとの兼ね合いでいろいろなコメントを親からもらったりしています。

その次に行きますと、先ほどのオタク型の人たちは、今度は全く自分勝手に、この人はコミックマーケットとかゲームの修正プログラムに多額を費やす人ですが、こういうものはなぜ必要なのか、申し訳ないのですが、ここに参加する方々からは余り価値ある商品には思えないかもしれないのですけれども、ここに関わる人たちは、そのことに巨額を投じても全然問題ではないと思っています。貴重だと考えます。

ですから、友達同士の間でゲームの修正プログラムとかデバッグの問題とか、こういう専門用語で物のやりとりの話をしたということが延々と出てきまして、インタビューもこういう流れの中で進んでいくということです。

今、お話ししたようなことは、我々が商品についてこれまでの持っているイメージと違う。非常に電子化されたというか、架空世界でお金が動いていくイメージなので、我々が思っている以上に、消費の実体的な観念からは離れてしまう。

そこで次ですが、ここは恐らく皆さんが一番興味のあるところだと思うのですが、こういう子供たちがたくさんいる学校では、最近、金銭教育というものをやっております。

皆さんたちにお配りしている資料の最後に資料をつけてあるのですが、金銭教育とは、生活の見直しから始まるものです。消費を考えさせるためには、就労そのものを考えさせないと見えてこないという現実があって、最後のプリントにつけているのですが、これは「育て上げネット」という立川にありますNPOがやっている金銭教育の実際のワークシートです。

実際に子供たちが生活をしたら、例えば税金とか年金とか健康保険とか、一体幾らどのように使われるかということを具体的にクイズ形式で答えさせて考えさせるものです。

すごくピンぼけたというか、現実感がない答えの連続があるのが一般的で、例えば給与みたいなものでも、我々だと、高卒初任者が、20万円弱稼げばすごく頑張っているというイメージになったりするのですけれども、高校生の場合は、いきなり8万円しか稼げないと言ってしまったりするような、全然稼げないなどと言ってしまうことが出たり、お金と実際に我々が生活することとが全然一対一対応していない人たちがたくさんいます。

こういう人たちに、このリストを挙げながら考えさせていく。正直言いまして、ここに出ているように、ひとり暮らしをするという想定で家賃とか水道料金とか、通信費とか何とか、スマートフォン料金とか、こういうものをやらせると、ほとんどめちゃくちゃな回答になってしまうわけです。

先ほど出たように、親御さんが払ってくれているし、具体的なイメージが湧かないということです。そこで、わざとクイズ形式になっているので、この数字を入れさせると同時に、例えば家賃10万円の家を借りてしまったら、この総額からどんな引き算ができるのか、何が残るのかなどということをやらせて、危機場面をつくって考えさせるというプログラムになっています。

こういうことをすると初めて、お金はこのように使われているのだとなる。ですから、消費者であるということの手前に、どうお金を使っているのだろうというところからやっているということです。

これは、後で見ていただきますが、就労とか生活体験とか、たくさんアルバイトをしているような人たちでも、お金に対する実感を育むことが結構難しいので、こういう全体像を描かせるような形で、金銭教育をキャリア教育の中に入れる高校が多いのです。

つまり、キャリア教育は、我々が考えているような進路教育や将来像教育というよりは、こういう学校では、具体的なお金の使い方や、あるいはお金をめぐる自分たちの生活のあり方や、そこで初めて親が何をフォローしてくれているかの実感づくりになってしまっている。先ほど言いましたバーチャルなものとの距離感は物すごくて、ここを穴埋めするためにこういうプログラムを置いているということ。

これと同じような実践として、先ほど見ていただきました10年間にわたる困難校でライフコースを描いてきた人たちのケースを生徒の前でお話しして、例えばクレジットカードの使い方はどうですかなどという形で質問したりしても同じような反応があって、生活の変化と年齢の変化がどのようにつながっているかも、「先輩モデル」と私は言っているのですが、先輩のお話を聞いて初めてリアルに思えてくる。なかなか将来的なライフコースを描くことが、消費のイメージを描くことが非常に多くの人は難しいです。

ちょっとだけ資料を見ていただくというか、先に行きましょう。

時間が余りないので、まとめは最後にさせていただいて、この次だけです。

これは東京都が今、やり始めた「社会と人間」というプログラムで「公共」という授業ができようとしているということを前提に、社会の中で暮らす人間の姿について、いろいろな枠組みを与えて、社会性とか公共性を学ばせようということで始まったものです。

ただ、ここでも、先ほどからずっとお話ししているように、極めて具体的なロールプレイをやらせ始めています。「生活者スキル」とでもいうべきようなものを学習することになっていまして、抽象的な金銭論とか消費者論になっていません。

これも例ですけれども、実践が今年から始まっているかと思いますので、余り具体例は挙げられないのですが、始まってきております。

一旦切って、別の形で、金銭教育の映像資料を見ていただきます。ちょっと説明を加えながら言いますと、自分が卒業したらどんな生活費がかかりますか話しています。大学生になってもこういう経費がかかってしまいますと、説明していますね。

今、食費とか何とか、具体的に外食して何回食べたかとか、このように具体的な行動へ落として説明しているわけです。そうしないと、なかなかリアルに総額がイメージできないということです。ワークシート学習ということですね。よろしいでしょうか。

このような感じで進んでいって、この後、今、班別になっているところで、グループでディスカッションさせて、ある種の金銭についての観念やスキルを学習していきます。

このような実践をやっているところはまだまだ先端的と言ってよくて、多くのところはこういう教育がなされてはいません。ですから、いわゆるカリキュラムの外にあって、少しずつ単位化されていこうとしているものなのです。

もう一回戻っていただいて、最後にまとめだけ、もう時間が、申し訳ありません。

私はずっと困難な若者の消費者としてのあり方のお話をしました。先ほどの宮本先生のお話と重ねていただきたくてそうしております。

こういう人たちは、日常の経済行動が、自己理解とか自己認識とか、あるいは家族との関係とか対人関係に。こういう人たちは結構対人不安とか、いろいろな対人関係のコミュニケーションの問題とかを抱えやすい人も多いですから、こういうものとすごく連動していきます。

ですから、アルバイトとかなどをして初めていろいろな、自分はこのぐらいできるという自信がついたとか、家族がこれぐらい稼いでくれたのだと知ったとか、ほかの人に接客できてすごいとか、いろいろなことが感じられ始めます。

こうやって見ていくと、今まで、どちらかというと先ほど最初に見ていただいた中退者の回答がそうだったように、働くことがセーフティーネットに寄りかかることとして出てくるままで、ただで何かをしてくれという議論に割となってきてしまう。これは彼らが別に自立心がないとかやる気がないというのではなくて、実際の生活に直面すると、自分がやれることがすごく限界があると思ったり、しんどいと思う人が多いからなのです。

今のプログラムを見ていただくと、そういう消費行動を活用して、彼らが自分のやれることや、どのように生活すべきかを理解する。こういうものをセーフティーネットとの対極で言っていいかどうかがありますが、「アクティベーション」、自分で何ができるかを考えるときに、非常に大きな入口になっております。

そういう意味で、今まで学校での教育とかでは、余り経済的な社会化についてのプログラムがなかったのですが、こういう困難な子供たちを抱える学校群は、積極的にこういうものを入れなければいけないと思い始めているということです。

私は、成人が18歳がいいか20歳がいいか、それについて特別な自分なりの結論も持っておりません。ただ、こういう層の人たちを見たとき、「いきなりの消費者」という選択は非常におっかないと。いきなりだと。

川に飛び込むように消費者になってしまうとき、非常にいろいろな家族との葛藤や地域とのそごや、自己の否定的認識が生まれやすいことを考えると、もう少し教育プログラムがあった上で、消費者として生きられる具体的なイメージを共有していかないと、こういう層の人たちにとっては非常に厳しい現実が突きつけられてしまうことがあります。そのとき、これは難しい問題なのですが、できれば親御さんなども丸ごとに教育をやっていかないといけないことがあるかなと。

親御さんとある意味で共依存している状態で事が動くので、自分が働いたもので親御さんに入っていくものもあるし、逆に親御さんからもらうものでやっていけてしまうこともあって、特にバーチャルな消費行動はその辺が物すごく相互関係しますので、本当のことを言えば、親子教育の要素も必要かと思います。

ただ、先ほどもお話が出ていましたけれども、教育、特に学校でこういうことが全部できるかといったら、そう簡単にできませんので、入口だけでもつけた上で、そういう入口をいろいろな教育・行政機関とかが共有してやれるようにした上で、ぜひできるだけ早い自立の入口をつけていただくということが要るのではないか。それなしにやるのは、非常に心配があるとこの層の人たちを見て私は思います。

以上が私のお話です。よろしくお願いいたします。

ありがとうございました。

○樋口座長 御説明ありがとうございました。

ただいまの古賀教授の御説明を踏まえまして、御質問、御意見等があります方は、御発言をお願いしたいと思います。いかがでしょうか。

池本座長代理、お願いいたします。

○池本座長代理 池本でございます。どうもありがとうございました。

消費というもの、要するに、自分で稼ぐ経験との兼ね合いで、金銭の価値なり消費がようやく見えてくるのだという非常に大事なところを指摘していただきました。

実は私は、同じようなところを違う観点で感じていることとして、私たちのころは、小遣い、現金をもらって、それをお店で現金を払って品物をもらう対価関係がある。要するに、金銭的にもらえる小遣いの範囲は限られているし、それで買えるものも限られているのですが、今はネット社会になって、キャッシュレスになってきています。

一つはクレジットの決済。しかも、ネットをつなぐときに親がクレジットでつないでくれたら、無限にクリックさえすれば何万円でも使えるという異常なものもありますし、あるいは電車に乗るときも、現金ではなくて、今はSuicaになって、なおかつ、Suicaの残高が減るとクレジットで自動的にチャージして、現金前払いなのか、後払いの借金になっているのかすら分からなくなるという、金銭教育といっても、そういったそもそものリアルな世界での金銭と、単なる抽象的な価値の移動自体が分からなくなってきている。

私たち親の世代にとっても、そうなってきているのではないかと思います。それは、金銭教育といって、投資に関する金銭教育みたいなところばかりが、企業が協賛して進めるというところもあったりするのですが、先生が見られて、若者が社会の中で、消費と労働とを理解していく上で、特に今の時代にどういうところが必要なのか、お考えがあればお伺いしたいと思います。

○古賀中央大学文学部教授 私は経済の専門家ではないので、どういう分野が最も望ましいか分からないのですが、少なくとも学校では、昔に比べては少ないのですが、アルバイト体験もあって、そういったものを入口にして教育していくことは結構やられるようになりました。

バイトを使って就労のイメージを湧かせるので、「バイターン」などという言葉が使われていまして、インターンシップにバイトをくっつけてバイターンというのですが、こんなことが試みられたりしておりまして、繰り返し今、池本委員から御指摘があるように、実感づくりというのでしょうか、そこをまずはやっていくという作業が、行われているように思います。そうすることで、初めて消費のダイナミズムも分かってくるということ。

割と社会科とかでも、消費は経済機構、経済システムとして学ぶものですから、そこのつながりがああいう子たちは見えない。見えることをやらせていただいているケースが多いように思います。

○樋口座長 よろしいでしょうか。

ほかに何か御質問、御意見等がございましたら。

大森委員、お願いします。

○大森委員 ビジュアル、現実的な消費をしていない、仮想的な消費の世界で生きている若者たちを、現実の実感のある消費を体験させるということはとても大切なことだと思います。

今はまだほとんどの成人している人間は、実際に自分たちでお金を使いながら育った世代ですけれども、これから先は、電子マネーとかバーチャルな世界とかで、現実的にお金を使わない世代がどんどん増えてくるわけですから、そういう困難な学校だけではなくて、全ての若者にとって、そのような現実化する作業が必要になってくるかと思うのですが、学校の授業にも限界があるし、どのような形でそれを推進していくかが大きなテーマになるかと思うのですが、先生としての御見解みたいなものがあればお聞かせください。

○古賀中央大学文学部教授 正直言って高校などでも、カリキュラムがなかなかタイトで、新しい要素を入れるのは難しいのですけれども、先ほどお話があったかと思うのですが、シティズンシップといいますか、市民性とか社会性ということで、そういうプログラムを少しずつ入れていく動向はあるのです。

例えばコミュニケーションスキルなども、そういうお金にまつわる例、アルバイトしたときの接客の例とかを危機場面として挙げてやっているケースもあったりして、少しずつなのですけれども、社会に開かれたカリキュラムを試みる高校はあるということがまず一点押さえておきたい。

学校が全てやればいいとは全く思っていないのですが、ここがすごく厄介で、日本は、若者を支える教育機関は、学校以外に余りこれといってないのです。先ほどの不登校の子供たちや中途退学の子供たちを支えるサポート校やフリースクールなどはあるのですけれども、こういうところも非常に難しい問題として、授業料が高いために行けない子が結構いたりするのです。そこでも経済力が問題になってしまって、フォローする機関がなかなかない。

サポートステーションのようなところも、結構支援してくださっています。いろいろ課題を抱えてサポートステーションに行くと金銭についても教えてくださっているのですけれども、ある程度顔が見える関係がないと、彼らはそこに定着してくれないのです。申し訳ないのですけれども、ハローワークなども情報提供してくださっているのですが、ヤングハローワークとかもあるのですが、そういうところでもある程度職員の方と顔が見える関係にならないと、今のような人たちはなかなか繰り返し行ってくれないのです。

結局、学校以外に余り適当な若い人たちを支援してくれる場所を見つけることが、現状において困難なのです。それがいわゆる貧困対策のときの学校のプラットフォーム化という議論になったと思うのです。

学校に全部背負わせていいとは思わないのですが、同時に、そういういろいろな入口をまだこれからつけていく必要がある。少なくとも先ほど最後にお話ししたように、「いきなりの消費者」ということをやめるための、いろいろな安全弁をたくさんつけていくことがあった上で、ただセーフティーネットに頼るのではない、自立した消費者としての若者が形成されていくのではないかと思う。そういう場をこれから、いろいろな形で、今、挙げたような機関がつくっていくと同時に、学校もそこを主導していただくことが必要になってきているのではないかと思うのです。

○樋口座長 増田委員、お願いします。

○増田委員 ありがとうございました。

先ほど、宮本先生のほうでも、若者に対するワンストップの相談窓口という御意見をいただきまして、なるほどと私も大変興味深く伺いました。

今、先生からも、学校をプラットフォームとするというお話がありましたが、一方、高齢者のほうも、包括支援センターという相談窓口があって、また消費生活センターもあって、今、そこの連携が強く必要とされていますが、実際には、高齢者の相談者は包括のほうがハードルは低い状況があります。

それと同じような包括支援センターみたいなものが、若者の場合はないわけですよね。ですから、それが学校の中に、保健室的なところとか、いろいろな情報が集約されているところがあることが一つの方法ではないかと今、想像しました。あとはもう一つ、私どもが消費者教育といったときに、悪質商法からの被害を防ぐことと同時に、クレジットカード、電子マネー、利息の計算など、そういうことも提供しているのですけれども、今日のお話の中では、生活コストを実感させるための具体的なことを考えさせるということで、非常に重要だと思いました。

生活コストのことのほうが先行したほうがいいのでしょうか。どちらが優先されたらよいのでしょうか。

○古賀中央大学文学部教授 正直言いまして、高校生も分極化していると思うのです。つまり、同じ人たちではないと思うのです。いろいろな要素、知識とか経験とか、違う人たちがいて、その層の人のターゲットに合うプログラムが必要だと思うのです。今の学校の場合は、お話しした生活コストが最も親御さんとの日常会話とかと重なったりして重要になってくる。

学校だけではできませんので、今もNPOが入ってやっておられるのですが、外部のいろいろなNPOの方々がつくったプログラムなどを活用しながら、外との関係をつくらないとならないと思います。

ハローワークなども、もう少し言ってもらったらどうかと。実は、国がつくっているいろいろな機関は、とてもいいサービスを現在はしてくださっているのです。だけれども、知らないし親近感がないので、高校ぐらいの年齢層とか、例えば学校をやめてしまった人などにも、働きかける方法論がないものかと思ったりしていて、いろいろな学校の先生方も同じような御意見を持っていて、学校の中だけではなくて外部の資源とつながった形でのワンストップ型という発想になっていくのかなと思います。

○樋口座長 ほかにいかがでしょうか。

後藤専門委員、お願いいたします。

○後藤専門委員 大変有益なお話をどうもありがとうございました。

困難な若者の消費者としての問題という切り口でお話をいただいたのですけれども、お話を伺っているうちに、これは若者一般の問題なのではないかという感じがしてきまして、消費場面のバーチャル化とか、就労によって消費が見えてくる、そのようなことは、若者一般に関しての問題だと感じるのですけれども、特に困難な若者の消費者としての特有の問題というのでしょうか、若者一般には考えにくい問題がもしあれば教えていただきたいと思います。

○古賀中央大学文学部教授 先ほどちょっとお話ししたのですけれども、すごくこの層の人たちは現在志向といいますか、今、ここで何か判断する。長期展望とか、長いスパンで何かを計画的にするということが非常に難しいです。先ほど衝動買いが出たのですけれども、衝動買いというと、何かお店に行ってぱっと買ってしまうということだと思うのですが、よく聞いていると、基本的な買い物の仕方が衝動買いなのです。つまり、短期的なのです。今、欲しいものとか、今、やりたいことにどうしてもつながってしまう。

恐らくその辺が、知識とかが必要なところだと思うのです。長期的に経済生活をコントロールするというのがなかなか難しいのです。

そこはやはり「困難な」というところの困難を生み出す大きな要素になっていて、学校の先生方もいろいろ御苦労されていて、いろいろな形でそこを伝えようとしているのですけれども、現実の厳しい家庭生活とか社会生活の中では、なかなかそのように考えにくいところがあるかと思います。

今の御質問に答えていることになるかどうか分かりませんけれども、計画的とか合理的とか、もう少し違ったスタンスを生み出すような、あるいはそのために自分に対する自信を持ったり、物を考えるための能力をつけたりということが必要になってくるのかなと私は思っているのです。

○樋口座長 お願いします。

○後藤専門委員 困難な若者ということで、お話を伺っていて感じたことなのですけれども、実際に消費者被害に遭ったときに、コミュニケーションをとりにくいとか、友人関係が少ないとか、そういうことから、回復することが一般に比べて難しい、あるいは精神的にもかなり大きなダメージになってしまうということがあって、困難な若者が消費者被害に遭ったら、その後というのは結構大変だという感じを持ったのですが、そのあたりはいかがですか。

○古賀中央大学文学部教授 全部具体的に言えないこともあるのです。事件性のあるものも聞き取りの中では出てきてしまいますが、話しやすい例としては、生涯学習のプログラムを買って、資格を取りたいという建設性を持ってやるケースもあるのです。が、お金がたくさんかかってしまって、やり始めたらちょっとやれない。学習についていけないとなってしまって、クーリングオフをしたいと思ったりするのですが、できなくなってしまって、そうした事例がインタビューのときに出てきて、実は何十万円かそこに投資してしまったのだけれども、取り返す方法はないですかなどと私が相談されたりしてしまうのです。

私たちはインタビューに行っているだけなのですけれども、結構相談者になってしまって。そういうことがあったことで、働く場所を変えてしまうこともよくあるのです。いっぱい使ってしまったために、いい実入りの場所に変えようとすると、そこで大変なストレス。先ほどの液状化の子もそうだったのですけれども、ストレスが来るような職場内容だったりしてしまうので、そうすると、今度は心のケアみたいなところにまたお金をかけるなどという人が出てきたりするのです。

悪循環構造をしてしまうということです。今、お話しのように、もうちょっと手前で知識があるとかあるいは相談する場所に行ったらいいのになと思うような人たちが結構いまして、そういう人たちが悪いほうへ悪いほうへと選択しているように思えてしまう聞き取り例は結構あるので、もうちょっと情報とか、情報を得るための人、こういう人に聞いたら分かるみたいなことがあったらいいかなと思っているわけです。

そういうところが、学校から切り離されると、今の事例のようにもっと厳しくなってしまっているので、その辺のフォローアップがうまくできると、先ほどずっとお話で出てきているような自立へつなげられるのではないか。

そこのセーフティーな部分があれば、いろいろ本人たちも安心しながらやっていけることが増えるかなと思っているのです。

○樋口座長 池本座長代理、お願いします。

○池本座長代理 もう一点、現実的なところでお聞きしたいのです。今日、お伺いしている、まさに生活の実感、コストや就労という実感に根差した金銭教育あるいは消費者教育が重要だというのは全くそのとおりだと思うのですが、こういった教育を今後、展開していくためには、教える側をまずは育成しなければいけないし、それに見合う適切な教材もつくらなければいけないし、例えばこれまでやられてきている各地でのこういった取組が、どのくらいの年数をかけて形成されてきたのか、あるいはこれが本当の意味で普及していくためにどのくらいの年数が必要になるのか。

一つのテストケースとして、授業の一コマを使うということでは足りないと思うのですが、1人の若者に対して、例えば高校3年間でどのくらいのコマ数が必要だとか、ボリューム感としてはどのように、コマ数と年数というのですか、何か実感としてお持ちであれば教えていただきたいのです。

○古賀中央大学文学部教授 実際の問題を言いますと、今のようなNPO自体が、プログラムをちゃんとつくっているところ自体がまだすごく少ないです。今のお話のように、本当は例えば10回とかで連講方式でやりたくても、なかなか実際は難しくて、トピックなものとして総合的学習の時間とかに入れているというのが現実になっています。

ある程度のボリューム、本当は1年通して1コマぐらいがあってもおかしくないかなという感じで、先ほど出ましたけれども、例えば「公共」などという授業を設定するというお話もありますから、そういうところへ入れていけば、それが一番ボリュームとしてはいいのだろうと思ったりします。

ただ、そこまで行きにくい場合は、先ほども言ったのですけれども、いろいろな課題や問題を吸収してくれる人が置かれることが必要で、あるいはその人が何かつないでいただくことが必要なものですから、そこでフォローアップしていくと、ボリュームがあるコマやカリキュラムにならなくても、個別課題はかなりやっていけるのかなということです。

ただ、学校の先生方は、経済的な困窮については、なかなかイメージが難しいのです。それは先生方が悪いのではなくて、先生方の生活は安定されているし、皆さんちゃんとされているのです。ですから、なかなかイメージが湧きにくいので、「人」といった場合、先ほど言ったソーシャルワークだとか、そういう人たちに入っていただく必要がすごくあるのではないかと思います。

ついでですけれども、イギリスなどは御存じのように、「健康教育」などという名前で、社会的なソーシャルスキルを鍛えるトレーニングのプログラムを小学校ぐらいから入れているわけですが、少し長期的に、本当は小中高と長いスパンでやっていただくとよくて、いきなり高校でぱっとその問題だけやるというよりは、本当は徐々にやっていただくことができたら、とてもいいなと個人的には思っております。

○樋口座長 増田委員、お願いします。

○増田委員 短絡的な質問かもしれないのですけれども、先ほど先生のほうで、生涯学習の教材などを買って、それが継続できなくなってしまって、解約したいというケースがあったといったときに、例えば未成年であれば、未成年者契約の取消しができる。成人しても将来の展望ができないとか知識がないとか、生活設計ができない、生活コストについて考える力がないという場合に、年齢ではなく、そういう状況を踏まえた上で契約の取消しができるような制度があったほうがいいのではないかと考えましたけれども、それについてはどう思われるでしょうか。

○古賀中央大学文学部教授 制度については、私は余り専門家ではないのですけれども、年齢という問題を18にするか20にするかは、両方あり得ると思うのです。ただ、年齢によって課題が、それに一対一対応的に生まれるという考えにはなりにくいのが今の社会情勢で、18歳になったらなったで、その問題への立ち向かい方を学習していく必要があるでしょうし、そういういろいろな課題が、年齢と違って襲ってきてしまうことも想定しなければいけないと強く思います。

ですから、私はある意味で学校段階との区切りという点で言えば、18歳も悪くはない。ただ、同時に、今、お話ししたように、年齢によるだけではない生活課題に対応する制度設計は並行して行われる必要性があるのだと思っています。ですので、御指摘のように、例えば駆け込み寺的なとか、あるいは消費者センターのような場所とかの有効性については、例えば学校を離れても学習できるようにしていきたいし、そのためにe-Learningのような形も想定できるのではないかと思ったりします。

ということで、年齢の問題だけではない、いろいろな課題を想定したイメージの中で、18歳が適切かどうかを議論していただければいいのではないかと私は思いますし、繰り返しますが、結局私たちが見ている、私たちが調査するような対象の困難な人たちの問題性も視野に入れて議論していただけるとうれしいと思っています。

○樋口座長 ありがとうございました。

大分時間を超過してしまいました。このあたりで、本日のヒアリングを終了したいと思います。

宮本副学長、古賀教授におかれましては、大変お忙しい中御出席いただきまして、貴重な御意見を賜りまして、本当にありがとうございました。

また、事務局を通じていろいろ教えていただくようなこともあろうかと思いますが、どうぞ引き続きよろしくお願いいたします。

本日の議事は以上でございます。

最後に、事務局から事務連絡をお願いいたします。


≪3.閉会≫

○丸山参事官 本日も、御熱心な御議論をどうもありがとうございました。

次回の日程につきましては、改めて御連絡させていただきたいと思います。

○樋口座長 それでは、大変長時間にわたりましたが、宮本副学長、古賀先生、本当にありがとうございました。

本日は、これにて閉会とさせていただきたいと思います。

お忙しいところお集まりいただきまして、ありがとうございました。

(以上)