菅大臣記者会見要旨 平成21年11月20日

(平成21年11月20日(金) 8:55~9:08  於:衆議院議員食堂)

1.発言要旨

 閣議がありまして、閣議に直接関係することではないかもしれませんが、マニフェストに関して、いろいろ皆さん方の報道の中で、何か縮減とか、変わるのではないかとか、そういう言い方を大分されております。少なくとも、私が国家戦略室として、このマニフェストに盛り込まれた課題に取り組んでいる姿勢は、常に申し上げているように、もともとこれは民主党のマニフェストで、別に役所がつくったマニフェストではありませんので、その実現を図っていくというのが、当然ながら大原則であるということを改めて申し上げておきたいと思います。

 初年度にそれを具体化するに当たっては、マニフェスト、かなり具体的に書かれている部分もありますが、必ずしも初年度について、細かい数字まで入っていないケースもあります。また、国・地方等々の負担、関連する他の制度について、どのようにしていくのかといったところまでは必ずしも出ておりません。そういった意味で、今、話を聞いているわけでありまして、マニフェストの項目について実行していくという姿勢に変わりがないことを、ちょっと皆さんの報道が気になりますので、ちょっと特に強く申し上げておきたいと、このように思います。

 私からは以上です。

2.質疑応答

(問)今のマニフェストのお話なんですけれども、現在、戦略室で初年度の工程表の予算づけについて、ある意味再検討というか、詳細な検討をされているという……
(答)だから、再検討という言葉が何で再検討なのか、私はよくわからない。1回検討してもう一回考えるのが再検討であって、マニフェストを決めた後に、それを具体的にどういう形で実行に移していくかということを検討しているのであって、だから再検討というと、何か見直しているというように見られるけれども、ちょっと違うのですけれども、例えばアメリカに行きましょうということを決めても、最初にニューヨークに行くのか、ワシントンに行くのか、ロサンゼルスから入るのかというのは、それは再検討じゃなくて、アメリカに行くという原則の中でどういう形で行くかという問題なので、何で再検討とか、そういうニュアンスが出てくるのか、私には全くわかりません。私は、少なくともそういう言い方をしていません。
(問)ただ、民主党が選挙のときから訴えてこられた、いわゆる基本の予算の総組み替えというものが実現できるのであるならば、あの工程表の7.1兆円どおりにできるということがもともとのスキームであったわけで、その具体化に伴う作業というのがここまで必要だったのかということはあると思うんですが、むしろ予算の総組み替えというものがうまくいっていない現状があるから、改めて初年度の工程表の部分で、より具体化の作業が必要になってきたと、そういう認識はないんでしょうか。
(答)それもよくわからないですね。もちろん、4年間の工程の中で基本的な財源の考え方は出ておりますが、同時に、リーマン・ショック以来の、ある意味でのそれ以前の段階からすれば、予想を超えた税収の落ち込みということもあるわけでありまして、そのことをだれの責任ということを、今の政権ですから言うこともないし、言うべきではないと思いますが、そういう状況も踏まえながら、いかにしてマニフェストに盛り込まれた政策を実現していくのか、そういうことであって、すべてが何か最初から、税収も何もかにも決まっていてくれるなら、あまり考える必要はないわけですから、いろいろな状況の中でいろいろなものが変わってくるわけですから、その中でいかにマニフェストについては実現しようかということでの検討をしていると。だから先ほども言ったように、再検討という表現は、私には全く理解できません。
(問)ただ、今、リーマン・ブラザーズの不況の発生というのは昨年の秋であって、マニフェストが最終的に決定されたのは今年の夏ですから、なかなかリーマン・ブラザーズ以降のことだけが事情として理由になるのかどうかというところが、私は何か若干疑問に感じるところがあるのですけれども。
(答)あまりこの議論をしても仕方ないような気がしているのですけれども、現実に税収見通しが出てくるのは、今でもほぼ出ていますけれども、21年度予算についての税収見通しです。21年度予算の中で税収見通しは立ってあって、それが大きく下がるというのは、別に去年から決まっていたわけではないです。何か勘違いではないですか。21年度の予算というのは、今年の4月に決まったのです、前の内閣で。税収が落ち込むのがはっきりしたのは、それ以降です。
(問)来月上旬をめどに、戦略室が主導して来年度予算の基本方針、原案をつくると思うんですけれども、これまでの財務省主導の予算編成とどういった部分が違うというふうにお考えでしょうか。
(答)いや、全然違うのではないですか。私は財務省の主計局に行ったことがないから、細かい従来のやり方を全部知っているわけではありませんが、一般的に言えば、従来の予算編成というのは、各省庁から概算要求が上がった後、数カ月間かけて、主計局と各省庁の役所同士、あるいは役人同士で議論するというのが従来の形だったのではないでしょうか。それである程度まとまった段階で、一部のことを政治折衝と。それも、どちらかといえば、大臣折衝は極めてセレモニー化されていたと、こう理解していますから、今、国家戦略室あるいは行政刷新会議がやっていること自体が全く従来とは違う、そのプロセスが全く違うプロセスだと私は理解していますけれども。
(問)昨日、OECDのグリア事務局長とお会いになられたかどうかというのをお伺いしたいんですけれども、もしお会いになったらどういう話をされたか、御紹介をして……
(答)会いました。30分近く歓談をしました。大変元気のいい方で、いろいろと楽しい会話をしました。非常に日本に対しても、親近感と同時にいろいろなアドバイスをしてくださったというか、いろいろなペーパーもお持ちいただきまして、私が若干ジョークですが、ぜひ我が内閣のアドバイザーでもなってもらえればいいですねというようなことを話をしたら、ある意味では、アドバイザーになると言われたわけじゃありませんが、いつでもお手伝いしますという、そんな話でした。
(問)OECDで、昨日、報告書の中で、デフレ圧力が強まっているので、量的緩和を含めてデフレと闘うべきだということをおっしゃっているんですが、それについてはどう受けとめていらっしゃいますでしょうか。
(答)個別のその部分までは話はありませんでしたが、私たち自身、デフレ状況という認識を私も申し上げているところで、政府としては、内閣としては、やはりこういう状況の中で金融の果たすべき役割も多いわけですから、今日も日銀の政策会議が行われるわけで、津村政務官が出席をすることになっておりますので、そういう政府としての認識は、機会があればというか、多分機会がありますので、きちっと伝えたいと。ある意味でのOECDの事務局長の認識と共通しているところがあるのかなと思っております。
(問)昨日、温室効果ガスの削減が家計に与える影響について試算が出ましたけれども、年間10万円から70万円台と、かなり幅のある内容が出てきたんですね。国民の側としては、どのぐらいの負担になるのか、非常に判断しにくい状況があると思いますが、この点についてどういうようなお考えを持っているのか、今後の説明はかなり丁寧な説明が必要になると思いますけれども。
(答)私は、このタスクフォースについて、実はこの分野はいろいろなテーマがあるものですから、国際会議の問題、途上国支援の問題等々あるものですから、タスクフォースの課題には、実はあまり直接的には私は関わっておりません。どちらかといえば、いかにして真水でいくつかというところに、私のエネルギーの相対的には中心があります。
 ただ、そうはいっても、私が理解しているところでは、やはりいろいろなシミュレーションをもとにした予測なのだと思いますが、やはりまだまだ、例えば固定買い取り制度を導入するのかとか、どういう制度を導入するのかということについて、もちろん今こちらも議論を始めて、やっと1カ月余り経ったところですから、まだそういうところが前提条件の中に入れ込めていないというのが現状だと思っています。ですから、それをどの段階でどうなってくるかわかりませんが、現在は、前政権がやったことの数値が必ずしも一義的に正しいということではなかったということが、この間の経緯でわかって、ただ、国民負担という表現がありますけれども、それに対する影響は、今申し上げたように、いろいろな条件設定によってはかなり幅があるということでありますから、私としては、もう少し中期目標達成チームのいろいろな課題の提案が固まってくる段階で、場合によったらそういうものも入れて、予測をまたお願いをすることがいいのかなと。
 ただもう一つ、ちょっと別の次元で申し上げますと、国民負担という表現は、私は正確ではないと思うんです。つまりある人が負担したとしても、ある人が受け取るというのがこの分野では大部分です。ですから、誰かが損をしてしまうという認識ではないと思うのです。例えば固定買い取り制度でも、確かに電力消費者が、一部といいましょうか、負担がその部分ではふえますが、それは誰かが持っていくのではなくて、他の電力を供給するソーラーパネルを設置した人が所得に入ってくるわけですから、つまり所得移転があるということと国民負担ということを、私は、どうも皆さんごっちゃにしているのではないかなと。税の場合の表現とも違いますが、家計から家計に直接移る部分も多いものですから。ですから、私は家計負担が何十万という表現そのものが必ずしも正確ではないと。つまり正確ではないという意味は、数字が正確でないということではなくて、意味合いのニュアンスが正確ではないと、こう思っています。

(以上)