第2回金融小委員会 議事録

平成13年6月22日開催

委員

ただいまから、第2回金融小委員会を開催いたします。

本日は、すでにお知らせしてありますとおり、広く中長期的に見た今後のわが国の金融のあり方をテーマに議論し、今後の金融・証券税制を検討していくに当たって必要となる視点について議論したいと思います。

なお、今週の火曜日の総会において、私のほうから、本小委員会の審議状況について報告しました。その際、貯蓄優遇税制も含めて、金融小委員会において幅広く検討してほしいという意見がありましたことをお伝えしておきます。

本日は、池尾委員、翁委員にプレゼンテーションをお願いしておりますが、その前に、前回説明のありました長期保有株式の100万円特別控除を導入する法案が一昨日成立したこともありまして、今国会における審議状況や経済財政諮問会議における検討状況について、事務局より報告を受けたいと思います。

事務局

御紹介ございましたように、一昨日、少額長期保有株式の申告分離を選択した場合の少額譲渡益非課税制度が成立いたしました。10月1日からの実施ということで、これから円滑な施行に向けて準備を進めていただきたいと考えてございますが、衆議院、参議院を通じましてかなり幅広い質疑がございましたので、今後の御審議の参考にもということで、簡単に御紹介申し上げたいと存じます。

いろいろな御質疑がございましたが、大きく分けますと3つぐらいグループがございまして、1つは、個人投資家の市場参加について、税を含めてどういうふうに考えるべきかといった角度の御議論、それから2つ目は、今回の特別措置の効果とか意義、あるいはそれに対するいろいろな諸批判といったものでございます。3つ目は、さらに今後の証券税制を含めた証券・金融税制の抜本的見直しといったような観点からの御議論と、大きく3つぐらいに分かれるかと存じます。

ここに国税関係でございますが、最初の3つは投資家の市場参加というような観点からの御質問ですが、例えば40年代後半から個人投資家の株式離れが進んでいる。その背景は何か。その関連で今回の措置はどういうことかというようなことがございまして、前段については、例えば柳沢大臣から、資本の自由化への企業の対応、あるいは株式の時価発行ということが非常に流行したと、そういう株式保有の機関化現象というものが行われるようになって、それに応じて個人の保有割合が下がってきましたというような説明がございました。こういう中で、今回の措置については、個人投資家に株式市場へ参加していただくという政策観点からでございますが、企業経営者の個人株主重視の経営と相まって、100万円ということでございますので、1割儲かるということで考えても、1,000万円の売却額になるわけで、保有状況等を見ましても、相当の効果があるのではないかというようなやりとりがございました。

また、個人投資家の市場参加拡大というのは、長期的な視点が大事で、証券市場の信頼回復のためのいろいろな整備が急務ではないかといったようなことがございます。この点につきましては、塩川大臣から、「証券の活性化ということは、ただ単に税制改正だけでできるものではございません。さらに企業の業績努力というものも必要でございますし、あるいは証券会社、金融機関等が株式の市場参加への道をもっともっと積極的に取り組んでいくこと、要するに経済界全体として取り組んでいくべき問題だ。」というような答弁もございました。

さらに、個人投資家育成ということで、投資単位の小口化とか情報開示といったような指摘もございまして、ここら辺につきましても、内閣府のほうからも、例えば会計の問題、情報開示といった市場のインフラ整備も大事だというようなこともやりとりがございました。

それから、今回の措置に関連した質問では、100万円の特別控除は個人の株式市場への参加に効果があるのか、あるいは、今回の措置というのは株式投資に対する優遇策で、公正さを著しく歪めるのではないか、といった厳しい御指摘もございました。ここら辺につきましては、大臣から、「個人の投資家の参加ということでは、一般の投資家の方についても、株式を売買しても税金はある程度のところまではかからないのだという認識を持ってくれたら、非常に株式になじみやすい。そういう参加へのインセンティブがあるのではないか。また、こういう100万円の特別控除を設けることによって、申告制になじんでいただく道をつくりたい。そういうインセンティブとしても考えた。」といったような答弁をしています。

また、課税の公正さといった観点につきましては、100万円については、例えば、土地の長期譲渡の100万円、一般の総合課税の譲渡所得の50万円の特別控除、あるいは独身の方の課税最低限114万円というようなことも踏まえ、一方で株式市場への参加のインセンティブという中で、ぎりぎりに配慮した政策税制であるというような答弁がなされてございます。

それから、今後の抜本的な見直しにつきましては、証券税制の抜本的見直しを早急に行うべきではないかといったような御質問がしばしばあります。例えば、総理から、「申告分離課税の一本化後の株式譲渡益課税のあり方については、与党の合意で引き続き協議の上、早急に結論を得るとなっている。今回、少額譲渡益非課税の法案を出したけれども、さらに今後の金融・証券税制のあり方については、政府税制調査会でも幅広い検討を開始している。政府としても与党における協議や政府税調の審議状況等を踏まえて対応してまいりたい。」といったような答弁、あるいは塩川大臣からは、「それぞれの検討を踏まえて、秋に検討が行われて、でき得れば14年度の税制改正に間に合うようにしていただきたい。」というような御答弁もございました。

それから、抜本見直しの中では、申告分離課税の税率の引下げの問題なども出てございます。ここにつきましては、大臣からも、例えば不動産の譲渡の税金、あるいは一般の勤労者の所得とのバランス、あるいは利子所得に対する課税とのバランスと、いろいろなことを考える必要がある、というような御答弁も出ております。

それから、さらにもう少し大きな観点からは、将来の金融・証券税制、分離課税か総合課税かといったような御議論もございますが、大臣からは、その点は所得税の調整機能、あるいは役割という根本問題に触れてくるということで、政府税調での議論、そういったところも見て、というような答弁がございました。

また、証券税制、配当の関係では、法人税と所得税の調整の問題、あるいは利子とのバランスを考慮した見直しが必要ではないかというようなこともございました。この点については、法人税と所得税のいわゆる二重課税の問題については、諸外国の状況を見ても、全く調整を行っていないアメリカのような国もあるし、あるいは部分的に調整を行う国もあるので、法人税の転嫁といった問題にも絡んでくる問題です、といったような答弁がなされているところでございます。

それから、もう1つ、昨日、経済財政諮問会議で今後の経済財政運営、経済社会の構造改革に関する基本方針が諮問会議のレベルで取りまとめられました。その中で、本体もございますが、この証券・金融関係の抜粋を1枚紙、「金融小2-4」でおつけしてございます。総論部分と各論の部分、2回出てまいりますが、チャレンジャー支援プログラムということで、従来の預貯金中心の貯蓄優遇から、株式投資などの投資優遇へという金融のあり方の切り替えなどを踏まえて、税制を含めた諸制度のあり方を検討するといったような方針になっております。同じことは証券市場の構造改革のくだりでも、前段に市場監視や会計などのインフラ整備のことを触れてございますが、後段で税制についても、いま見ていただいたような同じ表現が出ているところでございます。

以上でございます。

事務局

地方税の関係でございますが、先ほどごらんいただきました「金融小2-3」と肩に書いてある部分のもの、『国会審議における金融・証券税制についての主な議論』の2枚目をごらんをいただきたいと存じます。

地方税法の改正につきましても一昨日成立をいたしておりますが、衆参の総務委員会での議論が中心でございまして、地方税の関係につきましては、政策的な効果の部分の議論と、それから、今後の課税のあり方というような議論が多かったと思ってございます。

5点ほど挙げてございます。国税関係と重複した趣旨も多いわけでございますけれども、まず、1点目、住民税の場合、例えば基礎控除の額は33万円となっており、これと比べても今回の100万円の特別控除というのは優遇しすぎではないかというような御質問がございました。これについては、個人投資家の長期の株式投資の観点、家計部門での保有の状況などから総合的に判断をしたという趣旨で答えをしてございます。

2点目、これもやや似てございますけれども、今回の改正ではごくわずかの高額所得者にしか恩恵が及ばないのではないか。したがって、今回の改正は所得間格差を広げるものであり、また、景気にも好影響を与えるものではないのではないか、という趣旨の御質問に対しましては、個人投資家の多くは小口のものでございまして、小口の投資家を中心にして、広く個人投資家がメリットを受けるものであるということで、また、現在の低迷する株式市場を活性化することは、景気回復に大変有効な手段であると認識をしているという趣旨での答弁をしてございます。

また、3点目でございますけれども、「個人投資家の市場参加を促進するのなら、安易に税制に頼るのではなく、株式市場の整備が先ではないか。また、今回のような小出しの措置ではなく、まずしっかりとした税制全体の設計図を持つことが必要と考えるがどうか。」という御趣旨での御質問がございまして、それに対しましては、今回の特別控除創設の措置につきましては、緊急経済対策の一部として行っているものでございまして、現在の申告分離課税と源泉分離課税の選択制のもとで可能なものとして行ったところであるということ、また、今後の金融・証券税制につきましては、税制調査会で新たに幅広い観点からの検討がスタートしたところであって、税制調査会での審議状況を踏まえまして、今後適切に対処していく所存であるという趣旨で答弁をしてございます。

4点目でございますけれども、これはやや効果の関係もあるわけですが、源泉分離課税を残したまま申告分離課税に係る少額譲渡益非課税制度を創設して効果があると思うか。源泉分離課税の廃止後に行うのが筋ではないか、という御趣旨の御質問につきましては、今回の措置は、平成15年4月以降、申告分離課税に一本化することを前提としたものであって、広く投資家に利益があるもので、個人投資家の市場参加の促進に効果があると期待をするとともに、申告分離課税に慣れていただくことで、一本化への伏線、あるいは環境整備の意味合いもあると理解をしておるという趣旨で答弁をしてございます。

それから、申告分離課税への一本化の議論は大きく揺れている。あくまでも申告分離一本化の線を崩すべきではないと考えるがどうか、という御趣旨の御質問につきましては、年度改正において、景気動向等も勘案をして、申告分離課税への一本化を行うことが、低迷をしている株式市場へ影響を与えかねないことから、一本化は2年間に限って延期をしたと。申告分離課税への一本化の方針自体については、何ら変更するものではないということ、また、今後も直接金融を担う株式市場の役割などの観点とあわせて、申告分離課税のあり方の検討をしていくけれども、国・地方を通ずる公正な課税の観点から、引き続き努力をしていくという趣旨で答弁をしてございます。

そのほか地方税あるいは地方財政への影響ということで、減収額などの御質問ですとか、政策評価をするべきではなかったのかというような趣旨での御質問などもございました。

私のほうは以上でございます。よろしくお願いいたします。

事務局

一言だけ、御説明は省略させていただきますが、お手許に『参考資料』というちょっと分厚い資料、「金融小2-5」というのをお配りさ  せていただいてございます。目次でお見取りいただけますように、金融市場の全体の金融資産の内訳ですとか、あるいは家計の金融資産のいろいろな残高の推移ですとか、内訳とか、株式の保有状況、それから金融、いわゆるビッグバンの推移、その関連での税制等の資料を、いろいろな御議論のときの参照していただくという意味で置かせていただきますので、御参照いただければと存じます。

委員

ありがとうございました。

それでは、本日の本題に入りたいと存じます。

まず、池尾委員と翁委員にプレゼンテーションを順次お願いしたいと思います。まず池尾委員、お願いいたします。

それでは、お手許に「金融小2-1」となっていますが、レジメがあると思いますので、それをごらんいただきながら話を聞いていただければと思います。

今後の金融のあり方とか、望ましい金融システムの方向性とか、そういったことを議論する一番の前提として、そもそも金融システムというのはどういう役割を果たす必要があるのか、あるいはどういう役割を果たすべきだと期待されているのか、という点の確認をしておくことが重要だと思っております。

といいますのは、わが国の場合、高度成長期が終わってから四半世紀以上たつのですが、どうも高度成長期のころの経験が色濃くまだ刷り込まれているようなところがありまして、高度成長期というのは、金融面でいうと資金不足の時代だったわけですが、その資金不足の時代の経験が非常に強く記憶に残っているところがあって、金融というのは、結局、資金のアベイラビリティーを確保する活動だというとらえ方が非常に強いと思うのです。要するに、資金の利用可能性を与えるというのが金融なのだというとらえ方がいまなお非常に根強いと思います。

もちろん、それは金融の働きの1つであるわけですし、基本的な働きと言っていいものだと思うわけですが、それだけが金融の仕事だと理解されてしまうと非常に困るというのが私の考えでありまして、資金アベイラビリティーを確保することだけが金融の仕事であれば、そんな複雑な、あるいはリッチな金融システムは要らないわけでありまして、例えば金融技術の高度化とかいうようなことがなぜ必要になるのかということは、理解ができなくなるのではないかと思っております。

それで、レジメの最初のところに、Merton & Bodieのペーパーで、あとで翁さんも使われているようですけれども、そのペーパーで挙げられている金融システムの基本機能を彼らは6つに整理をしているわけですが、1番目は決済機能で少し別だと考えますと、2番目、3番目がいま申し上げました資金のアベイラビリティーの確保にかかわるような機能だという話になりますが、それ以外にリスク管理にかかわる機能であるとか、情報提供にかかわる働き、それから誘因問題の処理というふうに表現されておりますが、少し言い方を変えると、ガバナンスにかかわるような役割といいますか、そういうことが金融システムには強く期待されているということを前提として確認したいと思うのです。

金融システムに強く期待されているリスク管理の機能とか、情報提供の機能とか、インセンティブ問題の処理という機能に関して、わが国の金融の現状はひどく機能不全を来たしているというところが問題なのであるということであります。

金融システムはこのように単一の機能を果たせばいいわけではなくて、様々な複数の機能を果たさなければいけない。果たすことを期待されているのが金融システムということになります。ところが、複数の機能を果たすわけですから、特定の機能に関して望ましい金融システムの姿が、別の機能の観点から見ると必ずしも望ましくないということがあり得るわけでありまして、言い方を変えますと、単一の最適な金融システムというものが想定されるわけではないということであります。

例えば、資源配分というふうな観点から見ると、価格が伸縮的に動くことが望ましいという話になるわけですが、リスク管理という観点から考えますと、むしろ価格は安定していたほうがいいということも言えるわけですね。ところが、価格が伸縮的に動きながら安定しているということは、論理的にはあり得ないことでありますから、そういう形で機能ごとに金融システムの優劣は変わってくる可能性があります。現実に世界各国の金融システムは極めて多様だという現実が存在いたします。もしあらゆる機能の面から見ても望ましい金融システムが一義的に決まるのであれば、各国の金融システムはそういう姿に収斂していくと見込まれるわけでありまして、現実にそうした収斂ではなくて多様性が見られるということは、やはり金融システムはそれぞれの機能ごとに望ましい姿が変わってくるということだと思います。そういうことから、比較金融システム論という分野が存在いたしております。

比較金融システム論の基本的な議論、一番基本だけを少し御紹介いたしますと、伝統的には金融システムのアーキテクチャーといいますか、金融システムの基本的なあり方として2つのタイプを想定することが多いケースがあります。1つが銀行を中心とした形の金融システム、もう1つが市場を中心とした形の金融システムということでありまして、言うまでもなく、わが国はこういう分類からすれば、前者の銀行を中心とした金融システムになるわけであります。この2つの金融システムを様々な機能の観点から比較した場合に、いいところと悪いところがそれぞれあるという話になります。

結論的なことだけ申しますと、開発途上のいわばキャッチアップ型の経済発展を目差している際には、銀行中心の金融システムが相対的に望ましいということが考えられます。事実においても、イギリスに遅れて産業化を開始したいわゆる後発国、わが国ももちろんそうですが、ドイツ、フランス等のヨーロッパ大陸諸国も後発国になるわけですが、そうした後発国においては、一般に銀行中心の金融システムが採用されてきたという事実もあって、経済発展段階においては、こういう形のシステムにかなりの合理性があると考えられます。

ところが、キャッチアップの過程を終了して、俗に言うフロントランナー化した段階を考えますと、マーケットに軸足を置くような形のシステムのあり方のほうが、今度は望ましくなると考えられます。つまり、今後の方向を示す前例が存在するのではなくて、自ら試行錯誤を通じて進むべき方向を見い出していかなければいけない。そういう状況においては、多様性の確保ということが非常に重要で、それを許すシステムとして、市場に軸足を置いたようなシステムへ移っていく必然性があると思います。

前例とか先例が存在して、行くべき方向が明確である場合には、こういった多様性というのは、むしろ重複のロスという形になって、そういう多様性を避けたほうがいいという話になり得るわけですが、前例を失った段階では、多様性を確保することが必要だというふうになります。

しかしながら、いま申し上げましたような銀行中心か、市場中心かという対立の議論は、やや静学的なといいますか、スタティックな議論でありまして、実は銀行中心のシステムにせよ、市場中心のシステムにせよ、それ自身がこの間急激に進化しているというそういう現実があるわけであります。それは様々な経済的、技術的背景があってのことだと思いますが、市場中心のシステムというのが固定的にあって、銀行中心のシステムからそれに移ればいいという話ではなくて、市場中心のシステムと言われているようなもの自体も急速に変わっているという、そういう現実があると思います。それは端的に申しまして、金融仲介の重要性が非常に高まってきているということでありまして、金融技術の高度化、複雑化というふうなところで、個人が直接に金融市場に参画するということが意味を持たない状況になってきているということであります。

レジメの2ページ目にいかせていただきます。金融市場と金融機関の活動について、これはあとで翁さんが触れられますから、省略いたします。

そういう状況を考えたときに、わが国では、金融システムのあり方を議論する際に、直接金融、間接金融というふうな概念装置がいまなお非常によく使われるといいますか、それ以外の言葉がほとんど使われないぐらいそれがよく使われるという現実があるわけですが、いま申し上げましたような金融システムの近年における進化というのを考えますと、こうした用語法を使うのは、もうやめたほうがいいというのが基本的な私の考え方でありまして、わが国でこういう言い方が定着したのは、業際問題と結びついたような背景もありまして、銀行がやるのが間接金融で、証券業界がやるのが直接金融みたいな形で結びついて、世界中でもう使われなくなったこういう言葉が日本でだけ残って使われているという現実があるわけです。

3ページに、比較金融システム論に関する文献の一番直近のサーベイ論文の書き出しの部分を引用しておきました。事務局で訳までつくっていただきましたので、訳を見ていただければいいと思いますが、50年ぐらい前であれば、こういう分け方は意味があっただろうけども、近年においては、金融仲介機関というのは、企業と家計を直接仲介するという形ではもうなくなってきていて、家計と市場を仲介する金融仲介機関、それから企業と市場を仲介する金融仲介機関というのが出てきて、マーケットの中心に市場がありながら、金融仲介機関の役割も大きいという、そういう姿に変わってきていると現在の金融の現実はとらえるべきであって、そういう姿にまだ十分に至っていないという点に日本の金融システムの問題点があると理解すべきだと考えております。

金融仲介機関というのは家計と市場を仲介し、企業と市場を仲介する。そういう様々なタイプの金融仲介機関が分業体制を構成する。そういうふうな姿を直接金融、間接金融という表現方法に、かなり妥協した言い方として市場型間接金融というふうに表現しております。

下にポンチ絵のようなものをつけておりますが、日本の現実を考えた場合に、伝統的な間接金融、ここで旧チャネルと書いているものですが、それが極めて大きな規模を持って存在しているという現実があるわけでありまして、このことを度外視して今後の方向を考えることはもちろんできないわけでありまして、これから近い将来を考える限り、旧チャネルも依然として大きなチャネルとして存在し続けるということにならざるを得ないし、なることに一定意味があると思っておりますが、もう1つ、いま申しましたような、家計と市場をつなぐような金融仲介機関がもっと登場し、それから企業と市場をつなぐような金融機関ももっと登場し、そうした金融仲介機関が市場を介して分業体制に入るという形で、新しいチャネルが生まれる。そして、伝統的間接金融だけのいわば単線運転の金融システムから、伝統的な間接金融のチャネルと市場型の間接金融のチャネルという2つのチャネルを持った複線型の金融システムに向かっていくというのが、現実的であると同時に、望ましい今後の日本の金融システムの目指すべき方向性ではないかと思っております。

その場合に、市場型間接金融の場合は、間接的に市場への参加を実現するというタイプの間接金融でありますから、そこにおいて使われる金融手段は、基本的にマーク・ツー・マーケットされるような種類の金融手段、つまり運用実績に応じて価値が変わるような、そういうタイプのものを基本的に使うという形になるというところに、家計から見ればそんなに直接違いがあるわけではないわけですが、提供される金融商品の性質がリスク分担の面で若干違ってくるという形になるわけであります。

それから、最後に、金融システム改革の課題ということをちょっと書かせていただいていますが、金融システム改革について、様々進捗がこの間あったわけですが、そもそも金融システムをなぜ改革しなければいけないかということになりますと、それは冒頭で申し上げましたような機能を向上させるといいますか、金融システムに期待される様々な機能が十全に発揮されている状況に現状がないという判断が一方にあって、その現状を改めて機能を発揮させるという方向に向かわせるということが課題だと考えられますので、冒頭で申し上げましたように、4、5、6の機能がまさに不全だとすると、その機能がどこまで改善できたかということが、金融システム改革の課題が達成できたかどうかの尺度になると考えられますが、特にリスク分担の観点で考えますと、様々な努力がされてきたわけですが、十全に達成されているとは思いがたいところが残されているということです。

つまり、リスク負担にかかわるプライベートなコスト、私的なコストと、リスク負担にかかわる社会的なコストの間にギャップが非常に広がっているという状況が必ずしも改善されていないということで、これは下の注に書いておきましたように、金融セーフティネットの提供の仕方とか、公的金融の存在ということが、個々の個別の経済主体から見たリスクを取るコストと、社会全体が引き受けているコストの間に乖離を生み出していて、そのことがリスクテイクを歪めている。一方でリスクテイクに対して過度に慎重な態度を引き起こすと同時に、他方で非常に野放図なリスク負担を引き起こしているという問題があると思います。だから、この乖離を是正することが必要である。その上で、リスク負担の機会費用そのものを低下させて、日本経済の再活性化に必要な経済的冒険を促進するということが必要だと思います。

そのためには、広く薄くリスクを家計部門に取ってもらうような仕組みがどうしても必要でありまして、そういう趣旨からも、やはり市場型の間接金融のチャネルを伝統的なチャネルと並ぶもう1つのチャネルとして確立することが、課題として求められていると思っております。

以上です。

委員

それでは、次に翁委員にお願いします。

委員

私も『金融システムの今後の方向性』というレジメを用意させていただいたのですが、池尾先生と同じような結論で、池尾先生のプレゼンテーションにほとんど肉付けすることもないのですが、一応レジメを用意しまして、これに即してお話をさせていただきたいと思います。

最初に、銀行業の問題、伝統的な間接金融の問題ということで、いまの危機の背景と現状と将来性ということでお話をさせていただいたあと、なぜそれでは強固な資本市場のパイプが必要なのかということを少しお話をさせていただいて、最後にいろいろな環境変化と金融の流れというようなことについて、お話をさせていただきたいと思います。

まず、伝統的な間接金融と言われる銀行業の危機の背景と現状ということでお話をさせていただきたいと思うのですが、銀行業はいま不良債権問題だけがクローズアップされていて、これが銀行業の最大の危機のように言われているわけですけれども、決してこの不良債権問題が最大の危機なわけではなくて、もう1つ、情報技術革新へ完全に乗り遅れてしまったという問題も抱えている。ですから二重苦の状況にあって、決して不良債権問題だけが大きな問題ではないということであると思います。

こういった危機というのは、どういったことから生まれてきているのかということで、先ほど池尾先生も指摘になられたわけですけれども、やはり大きな日本経済の環境の変化についてこれなかったということが大きな背景ではないかと。それは先ほど25年前からというようなことで、もう高度成長期は終わったというお話がありましたけれども、やはり私もその危機の一番根っこのところというのは、環境変化に乗り遅れた1980年代あたりからあるのではないかというように思っております。

高度成長期の資金不足時代というのは、あり余る投資機会と不足する貯蓄という状況でございましたから、銀行業というのは、単に不足する貯蓄とあり余る投資機会という状況を、公平に単に資金を配給していればそれで済んでいるというような状況であったと思います。ところが、高度成長期がすぎて、だんだん資金不足時代から資金余剰の時代へということになってきますと、あり余る貯蓄を不足する投資機会へという状況で資金仲介をしていくということになったわけですが、日本の銀行業というのは、資金不足時代のままの横並びの姿勢でずっと経営を続けてきましたので、どんどん投資機会が不足する状況において、不動産投資とか、そういったところにのめり込んでいくというような状況であったわけだと思います。

同時に、1980年代というのは、規制緩和の流れを受けて、世界的に情報技術革新の波というのが押し寄せてきたわけですけれども、横並びの経営を続けていたという状況の中で、こういった波にも乗り遅れてしまったということではないかと思います。ですから、そういった大きな環境の変化に対応できず、横並びの経営をずっと続けてきたというのが大きな背景ではないかというように思っております。

この不良債権問題につきましては、ここ1、2年ぐらいを見ますと、すでに第2フェーズに入ってきていて、バブルの処理という状況が終わってきて、だんだん日本の高度成長期からうまく産業変換ができなかったという業種、例えば典型的な非製造業の業種、不動産、建設とか流通といった業種に加えて、製造業の中でもそうした波に乗り遅れてきたいろいろな企業についての不良債権問題という状況に入ってきていて、もはやバブルの処理という段階を超えて、もう日本の構造問題というものを銀行が丸抱えしているというような状況に立ち至ってきているということではないかと思いまして、困難な状況というのはさらに深まっているということではないかと思います。

その一方で、銀行業は全くそういった処理をできるだけの、そして新しい展望を描くだけの収益が稼げていないといような状況にあるということではないかと思います。日本銀行の調べでは、不良債権の処理の実績というのは、平成3年度から平成11年までの全国銀行の不良債権額の累計というのは62.5兆円。この間稼げていた業務純益というのが、ある前提をおいておおよそ42兆円ということでございまして、このほかは株式売却などで捻出しているということでございまして、これまた収益を稼げていない。公的資金は入れたけれども、将来の収益の展望も乏しいということで、公的資金を入れたのでそれでいいかというと、決してそうではなくて、結局、収益の展望を描けないということで、民間資本が入ってこない。民間資本が入ってこないということでは、強い銀行、または強い金融システムというのもつくりようがない、というような状況にあると思います。この収益を描けていないということは、さっき申し上げた二重苦の1つのほうであります情報技術革新へ乗り遅れてしまっているということが大きく関与しているのではないかというように思っております。

この不良債権の問題というのは、1つのリスクであるわけですけれども、そのほかにも現状2つのリスクを抱えておりまして、これは図表の1にもお示ししておりますけれども、国内銀行勘定で見ました全国銀行の総資産に占める株式と国債、株式は簿価ベースでございますけれども、シェアでございます。御承知のとおり、日本の銀行は株式の保有割合が非常に高くて、総資産に占める割合というのが、2000年度末の段階で6%弱ということでございますし、それから、国債につきましては、もうここのところ非常に大きく保有が伸びておりまして、2000年度末の段階では9%程度というところで、貸出先がないということもありまして、フライ・ツー・クォリティということで、国債のほうにどんどんシフトしているということで、銀行が国債を保有するということは、今後長期金利が上がったりした場合のキャピタルロスというのが非常に懸念されるというような状況になっているということで、不良債権問題だけでなくて、こういったリスクも抱えているというような状況になっているということではないかと思います。

ここが現在の銀行業の危機の背景と現状ということで、伝統的間接金融はいろいろ問題を抱えているということですが、それでは、将来の展望というのはどういうことなのか、経営の方向はどういうことなのか、ということに(2)のほうで移りたいと思うのですが、金融機能のアンバンドリング、これは束ねたものを分解していくということですが、そういった動きが出てきていて、それに沿った形で金融機関経営の再構築をしていくということが必要になってきているということではないかと思います。

先ほど述べました情報技術革新の波というのは、情報の流れというのと、資金の流れというのを切り離す、アンバンドリングするという流れをつくり出しているということではないかと思います。

日本の経済というのは、1,400兆円も個人資産があるから、それが強みではないかというようなことがよく言われるわけですけれども、この金融機能のアンバンドリング、資金の流れと情報の流れが切り離されてくるというような環境変化に照らしますと、この1,400兆円という資金の多さというその強みというのは、どんどん相対化していくということではないかと思います。すなわち、貯金を持っていたり預金を持っていても、決してそれは強みにならない。それで収益を稼げるということではないというような状況に入ってきているということではないかと思います。

そうなってきますと、本来、金融業というのは、その付加価値というのは情報生産活動ということで、決済業務における情報処理サービスといったこととか、先ほど6つの機能で御説明になりましたけれども、それをほかの角度で言いかえますと、金融仲介業務における情報生産サービスであると。さっきマートンの、池尾先生がリスク管理とか情報の提供とか、誘因問題の処理ということでお話しになりましたけれども、資金の動きということではなくて、むしろ情報生産といったほうに関して、金融業というのは付加価値を高めつつある。借り手の企業とか個人の信用状態を判断してリスクを引き受けていくというサービスに対して、銀行業というのは報酬を受け取るということになっていきますし、そういった情報生産活動という方向で銀行業務というのは立て直していくということなのだろうと思います。

したがって、ここは金融機関と書きましたけれども、銀行業をイメージしておりますけれども、今後、銀行業はどういうふうに生き残っていくのかということになっていきますと、やはり情報産業としての金融サービス業ということで生き残っていく。特に大手の金融機関については、投資家の代理人としていろいろな企業の信用状態を判断して、それを代理人として情報を管理し、リスクを引き受け、その情報を提供していくということになってきますし、企業に対して、または個人に対して、その利用者に対して、ソリューションを提供していくという方向になっていくのではないかと思います。特にメガバンクとかそういった動きが出てきていますけれども、そういったところに対しては、そういうニーズに対してソリューションを提供していかなければ、単に規模が大きくなっただけでは、利用者のニーズにこたえられないということになっていくと思います。

また、中小の金融機関、特に中小の銀行については、中小企業向け貸出とか住宅貸出とか、そういった本来の間接金融のよさを生かす密接なモニタリングというような、そういった間接金融のよさを生かせる方向に活路を求めていくという方向ではないかと思います。

経営としては、情報産業というふうになっていくわけですから、銀行経営としては、そういったところにうまく人的資源というのを配分できる経営に転換しない限り、なかなか難しいということ、うまく生き残っていくということは難しいというような状況ではないかと思います。

2で、なぜ強固な資本市場のパイプが必要かということに次に入っていきたいと思いますが、現状認識としては、家計は依然として安全資産志向が強いということでございまして、これはもう申すまでもなく、図表を添付しましたけれども、日本においては、90年代、これだけ資本市場のパイプを広げなければとか、市場型間接金融の重要性ということが指摘されていながら、90年代は全く逆方向になっていて、現金預金というのが89年度末では48.5%だったのが99年度末では53.8%ということで、かえってそのパイプは預金のほうが増えている、安全資産志向というのがまだ根強く、大きな流れとは逆行しているというような動きになっております。

2001年12月末の段階では、その円グラフにありますように、個人金融資産は1,400兆円ございますけれども、預貯金が52%、また保険とか年金とか、そういったものへのシェアが高くて、年金というのは一部いろいろなものも含むわけですけれども、保険と銀行と郵貯の間にあります投信とか債券とか株式というのは、本当に微々たるウエイトにすぎないという状況になっているわけでございます。

その次のページは国際比較でございますけれども、真っ黒に塗りつぶしている部分というのが安全資産でございまして、わが国場合は、一時、バブルの時期というのは若干リスク資産というのが増えて、安全資産が減ったのですけれども、その後は安全志向を強めているということで、米国は非常に安全資産のウエイトが小さくてリスク資産が高い。ドイツなんかでは、最近言われていますように、少しずつ安全資産のウエイトが下がってきているというような感じですが、日本は非常にシェアも高いし、安全資産の方向としてもシェアが高まっているというような状況ではないかと思います。

これは株価の低迷とか、現状を90年代ということで見てみますと、所得環境の悪化、株価の低迷に伴う予備的貯蓄の動機の強まりというようなことも一因ではないかというように思います。

しかしながら、やはり目指すべき方向というのは、資本市場の強化ということになると思います。その理由として4つぐらい整理したのですけれども、まず1つ目は、やはり日本の経済を考えても、リスクキャピタルの存在によって経済成長を促せる。やはり経済の新陳代謝に必要なリスクテイクを可能にするようなリスクキャピタルの存在こそが日本経済の活性化のために必要だと。シュンペーターの言う「創造的な破壊」ということを考えても、リスクキャピタルの存在というのは非常に経済の活性化のためには必要だということでございます。

数年前のグリーンスパンの話などでも、すべての貯蓄主体や金融仲介機関が安全資産にのみ投資しようとするならば、国内生産面での成長は実現を見ないだろうというようなことを言っていまして、やはりリスクキャピタルの存在の重要性について触れているということで、アメリカでも同じように、日本でもそういった経済成長のために、資本市場、リスクキャピタルの存在というのは重要なのだということではないかと思います。

2点目は、マクロ的な経済のショックに対する備えとしての多様なパイプが必要だということでございまして、日本はバブルとバブルの崩壊という非常に大きなショックを受けたわけでございまして、非常に小さなショックであれば、いわゆる伝統的な間接金融というのは自己資本でショックを吸収できるということであって、その小さなショックのとき、直接金融というのは、さっき池尾先生のお話にもありましたけど、マーク・ツー・マーケットですから、その影響をもろに受けるということで、直接金融のほうが一旦は打撃を受けるわけでございます。

ただ、バブルの崩壊のような大きな危機が来ますと、今度は間接金融のほうは自己資本が完全に毀損してしまうということで、間接金融は壊れてしまうということになるのですけれども、一方で直接金融というのは大きなショックがあっても壊れないという形で、大きなショックでも壊れずに資金仲介の機能を果たし得るということでございます。ですから、いろいろな多様なマクロ的なショックに対する備えとして、多様な資金仲介のパイプを備えておくということは、必要なのではないかということでございます。

それから、3つ目は金融システムの機能の観点ということで、これはさっき池尾先生も触れられようとした点でございますけれども、銀行業とか伝統的な銀行というのは、資本市場と競合するものではなくて、むしろ補完し合うものであると。先生のほうには、静学的には代替的であるが、動学的には補完的であるというふうに書いてございます。

だんだん銀行業の機能というのが市場にとってかわられるというようになってしまうのであれば、銀行にとっては非常に困るではないかという見方があると思うのですが、決してそうではないということを、さっき先生も紹介されたMerton & Bodieの論文に書いてあるわけですが、これでは、金融仲介機関というのは、新しい市場を形成するような商品を創造し、既存の市場での取引量を増大させることを通じて市場の成長を支援していると。逆に市場は取引コストの低減を通じて金融仲介機関がよりイノベーティブな商品を開発することを助けていると。つまり、市場と金融仲介機関というのが互いに競争していると同時に、補完関係にもあるのだという指摘がございます。

例えば、アメリカの銀行の不良債権問題の処理のあり方なんかを見てみましても、銀行業というのは結果的に不良債権を流動化して証券化し、そして市場で流通させることによって、銀行業自体も助かったということでございますから、その市場機能が備わっているということは、銀行業にとっても補完されて、金融システム全体としても強いシステムになっていくということで、決して競合するものでなくて、市場と金融仲介機関というのは補完し合うものではないかと思います。

最後に、セーフティネットの維持、コスト引き下げの観点ということですが、これはいま見たような預金が圧倒的に大きいというわが国のような仕組みでは、預金を何としても守らなければならないというようなプレッシャーというのが非常に強くて、そのために負担しなければならないコストというのが異常に大きくなってしまう。ただ、その預金以外のものも多様な金融商品や多様な資金のパイプが用意されているのであれば、預金は特別であるという世界から脱却できて、銀行業にとってもそのコストを負担しなくても済む。セーフティネットの維持コストが小さくなっていくということではないかと思います。ですから、その意味でも、銀行業にとっても、この資本市場を強化していくということは、非常に重要な方向ではないかというように思います。

ただ、さっきまさに池尾先生も御指摘になったように、家計が個別に市場に参加するという場合については、狭義の取引コストも大きいですけれども、情報の非対称性が大きいということに伴う情報収集コストというのは極めて大きい。その点で個人の資金を集めてプール化し、これを投資する投資信託タイプの資金仲介機関の存在が極めて重要である。池尾先生が「市場型間接金融」とおっしゃったのではないかと思うのですけれども、市場型間接金融の必要性というのが、私もそういう言葉を使ったのですけれども、イメージとしては、投資信託タイプのそういった資金仲介機関というのが、個人投資家の代理人としてサービスを提供していくという方向が、今後の日本の金融システムについて必要で、このパイプを太くしていくということが重要だと思います。

確定拠出型年金、これも今国会で成立の見込みですが、これも同じようなそういった性質を持った資金仲介のあり方であるというように思います。

最後に、環境変化と金融の変化ということですけれども、情報技術革新に関しましては、さっき申し上げたように、資金の管理と情報の管理というのはアンバンドリングするという方向に作用していくということで、銀行業、金融の性質というのを大きく変えていくということだと思います。

それから、金融技術の高度化。これはデリバティブとか証券化の技術ということだと思いますが、これもさっきお話がありましたけども、伝統的な金融機関とか、そういった分類では異なるカテゴリーに属する商品であっても、同じ経済的機能を果たし得るようになる。これもMertonのペーパーに、地方債保険と地方債のプットオプションということが書いてあるのですけれども、保険というものとデリバティブのオプション、保険会社とオプション取引所が供給するそれぞれ全く違うように見えるものであっても、その機能というのは、デフォルトリスクに対する保証という意味で全く同じであると。アメリカには地方債のデフォルトに対する金利と元本を保証する専門機関があるのですけれども、これは自治体が債券を発行して保険を購入して、自ら発行する債券に添付することによって、トリプルAという格付けを得られるというものですけれども、これはある価格でプット・オプションを交付するという形で、デフォルトリスクに対する保証という意味では、全く機能は同じであると。ですから、保険会社も保険会社同士の競争だけを見ているのではなくて、全く新しいところを見て競争していかないと、もう時代は変わってきているということで、伝統的な業態区分に沿って金融取引を分類することは全く適当でないという状況になってきているということだと思います。

それから、3番目の金融取引の国際化ということに関しましては、グローバルの取引量が拡大して、どんどん、さっき申し上げた機関投資家の存在、投資信託とかそういったものの機関化が進むという方向だと思います。24時間取引が拡大して、規制とか課税の動向によって、資金や取引のシフトが一層容易化していく。そういうような方向になっていくのではないかというように思います。

以上で終わらせていただきます。

委員

ありがとうございました。

それでは、ただいまの池尾委員、翁委員の御説明を踏まえて、広く中長期に見た今後のわが国の金融のあり方、金融・証券税制のあり方を検討するに当たっての視点などについて、御意見をいただきたいと思います。どなたからでもどうぞ御発言いただきたいと思いますが。

委員

一言だけ訂正です。「市場型間接金融」という言葉は、もともとは蝋山先生が一番最初に、市場型金融取引を区分するときに、直接金融・間接金融という区分よりも、金融取引の形態に着目して、市場型の取引か相対型の取引かという観点からものを考えたほうがいいという提起をされまして、それと伝統的な直接金融・間接金融という区分を組み合わすと、形式的には4つタイプが考えられるわけですけれども、そうすると、その中で市場型間接金融と呼ばれるような類型が拡大することは望ましいのではないかというふうに提案されたと思うのです。私も普及させたいと思って頑張ってはいるのですけれども、なかなか普及しないですね。

委員

ここでいま将来の姿、どうあるべきかという御提言はよくわかるのですが、それを担う家計にとって、先ほどの翁さんのあれですと、89年から90年にむしろ預金が増えたということなんですけれども、家計にとってリスクを志向するというか、リスクを取ることに伴うメリットといいますか、その誘因というのはどの辺にあるのかというのがよくわからないんです。特に、例えば株式の配当を見ますと非常に低くて、実際の投資額に対しての利回りを考えると、ほとんどゼロに近いというような状況があるわけですけれども、それでなおかつ株価ないしは価格変動のリスクを取らなければいけない。そういうことを家計が取ろうと決断する誘因というのをどの辺にお考えかというのを御説明いただきたいと思います。

委員

現実といいますか、現状の認識として、確かに日本の家計部門の安全資産志向が非常に高いという事実があるわけですね。これをどう理解するかということなんですが、家計の態度といいますか、経済学者だとプリファレンスという言い方をしますが、家計の好みのほうに理由があって、日本の家計というのはとにかく安全なものが好きであって、危険なものは嫌いだという好みのほうに偏りがあって、そういう現象が起こっているというふうに考えるべきなのか、選択の対象のほうの条件に理由があってそういう現象が起こっているのかという、2つ可能性があるわけですね。

つまり、危険資産と呼んでいますが、日本の危険資産とアメリカの危険資産は同じものではないわけですね。クォリティでいうと、日本の危険資産はアメリカの危険資産よりも質が悪いんです。つまり、リスクが大きい割にリターンが少ないですね。だから、もし好みのほうは同じだとしても、質の悪い危険資産しか供給されてなければ、その保有量が減るのはある意味で当たり前であって、だから、私はどちらかというと、供給サイドにむしろもっぱら問題があって、家計の好みが日本人はほかの諸国民とは違って、日本人だけ特に偏った好みを持って安全資産志向があるというふうには思っていないです。供給サイドに問題があって、そういう意味では、日本の企業部門のコーポレートガバナンスの問題が非常に大きくて、そこでやはり企業部門が効率化して企業価値が高まらない限り、それはやはり株式市場等へ資金を呼び込むことはできないはずだと思っております。

それと、もう1つ、報告の最後のところの金融システムの改革の課題というところでちょっと触れたのですが、抽象的な表現しかしていなかったのですが、現状においては、預金に対してセーフティネットが非常に包括的に提供されている結果、実質的に政府の補助金がついたような状況になっていると思うのです。だから、実質的に政府の補助金付きの安全資産と、質の悪い危険資産、どちらを選びますかというと、合理的な人は絶対、実質補助金のついた安全資産を選ぶに決まっているわけで、そういう意味では90年の後半に起こった動きというのは、日本人が極めて経済合理的に行動しているということを示していると理解しております。

委員

非常におもしろい論点を出していて、僕もちょっと気になっていたことなんですけど、好みではなくてハイリスク・ローリターン。そういうことを言うと、何か税が関与する余地がありますか。つまり、ハイリスクに対しては、例えば損が出たときは税制で面倒見てやるとか、それから、いかにもローリターンだから、まさにキャピタルゲインを100万円までいま面倒を見てやるんだという話が出てきているわけでしょう。我々税をやる人間としては、あまりその辺に力点を置いていないのだけど、タックスインセンティブの話ね。ただ金融学者から見たらどうですか。その辺ちょっとやると効果が出てくると考えられますか。

委員

いま申しましたように、直接の税制という意味ではありませんが、預金保険制度とか、もっと広い意味での金融行政を通じて、預貯金に対して実質的な補助金がついているような、それをやめることが1つだと思うのです。それとリスクがあって収益が振れる場合に、累進課税的な仕組みがあると、それによって不利になるとか、そういう非中立的な効果はやはり是正していただく必要があると思うのです。カーブがコンベックスになっているとか、フラットな税制ならいいのですけれども。そういう話です。

委員

重なってしまう部分が多いのですけれども、まずやはり第1は、供給サイド側に郵便貯金とか、または預金の全額保護という完全な国によるセーフティネットが張られていますので、それがあれば、合理的に行動しようと思えば、みんなそっちに行ってしまうという状況であるということがまず1つで、第2は、例えば株式投信とか株式に行くまでの橋渡しとしてのMMFとか、公社債投信とか、そういったところにもう少し魅力ある商品設計ができれば、それは金融機関側の努力もあるし、あと、CPとかそういったことの商品の問題性というのもあると思うのですけれども、そういったものがもう少し魅力的な中間的なものが出てくれば、もう少し預金からのシフトというのは、そういうものにまず行くのではないかという感じがあります。

それから、3つ目は、株式とかそういったものになってきますと、日本経済の景気回復に伴って、長期的に企業に対して収益性が確信できるということになってくれば、当然、儲かるところには人が入ってきますので、私は株式であっても、実際に資金は入ってくるのではないかなと思いますので、やはり経済とか企業価値の向上というのが決定的にリスクマネーを呼び込むためには重要なファクターだろうと思います。

税に関しては、私自身は、預貯金とか投資商品ということに対してニュートラルな形であれば、特別投資を奨励するとか、そういう形で設計する必要はないのではないかなという考えを持っております。ただ、これはここでこれから勉強していきたいと思っています。

委員

いまの翁先生のお話、全くそのとおりではないかと思うわけでございますけど、まず最初のほうの、どうも市場型の間接金融というのは、私は本当に期待できるのかなと。現実にいままで日本の金融システムの中でそれを担ってきたのは、まあ生命保険会社かなと。しかし、いまの生命保険会社の様子を見ますと、本当にみんな四苦八苦している。あれだけの専門の金融機関であっても、その情報なりリスク管理対策というのがやはりできていなかった。それは過保護だった横並びによるあれなので、これからもっともっと規制を緩和して自由にやらせたら、できるのかもしれないと思いますけれども。また、ある意味では住宅金融も1つのそういうタイプのあれだったかなとも思いますし、それから投資信託。しかし、投資信託はまず戦後一貫して大体元本割れになるというあれが多かった。どうしてだろうかと思うわけですが、そこらはいままでの市場型間接金融システムの実際を見ると、あまりどうも、希望が持てるかな。それはいろいろな面から、もっともっと自由にやらせたらできるかもしれないとも思いますが、それを税制で何かやることがあるのか。いまの翁先生のお話のように、やはりそこはニュートラルで、そこは市場にお任せするということしかないのかなと。

それから、個人はリスクテーキングについて日本はどうだろうかと言われますが、ある意味ではこの10年間、ややデフレ的な傾向の中では、預貯金で持っていた人が一番得をしている。だから賢明であったとも言えるわけでございます。これからインフレ気味になるのか、どうなるのか、そこらはおそらく個人も十分洞察して行動している面もあるのではないか。こういった点も、これは税制なり何なりで誘導するのがいいのか、それぞれの資産家にお任せをする、ニュートラルでいいのではないか、という気がするわけでございます。

それで、いまもお話の出ましたそれについてのニュートラルの中の1つに、郵便貯金の話があるわけでございます。これは私どもよくはわからない点もあるのですけれども、郵便貯金はいまや250兆円、簡保を入れると300兆円、400兆円になっている。それが例えば郵便貯金ですと、貯金法3条で元本と利払いは保証されているということですが、一方、国債については、これは格付けという問題があるわけでございまして、これが上がったり下がったりして、最近は下がり気味だと。国債も、これは国がもちろん責任を持っているわけですけれども、それに格付けがあるということは、これはどういう意味か。そうすると、郵便貯金法で政府が保証すると言っているのは、これは100%なのか。格付けがある政府ですから、そこはやはり100%ではないと読むべきなのか、また、読んだほうが金融資産の中立性の確保に有益ではないか。来年からペイオフがあるとすれば、ますますそういうことになる。もし保証するという条文があっても、これは100%確実ではないのだということは言えないというのなら、この際、郵便貯金法3条をやめることにしたらどうか。それによって金融資産の間のバランスが回復され、中立的になるのではないか。そうした場合に個人がどういう選択をするのか、これがリスクテーキングについての中立性の確保のためにはぜひ必要ではないのか。それは民営化されれば達成されるのか、民営化されても、なお郵便貯金はいまの3条みたいなものが残るのかどうか、という問題があるわけです。金融資産、リスクテーキング、これの中立性という意味からすると、元本保証、利払い保証、この規定は少し考えてもいいのではないかと思うわけでございます。

委員

先ほどの御報告と、税制の役割は何だという御質問との関連でちょっとお話ししたいと思いますけれども、お2人のお話はほとんど同じ内容で、私も全く同感ですし、大きい目で見ますと、長期的に幅広く議論しろというお話ですので、見ますと、重なりますけれども、要するに日本のリスク負担システム、これが非常にリスクが増えてきたという時代に入ってきて、低成長になったり、いろいろな技術進歩が激しいですとか、リスクが増えてきた中で、従来、日本の銀行システムがすべてそのリスクを負担していた。すべてというか、非常に大き過ぎる割合を負担していたというのを、個人が資本蓄積が進んできた段階で、社会的にリスクシェアをするシステムをどうつくっていくかということに尽きると思うのです。

結局、日本の不良債権問題がこれだけ大きくなっているということも、背景には銀行が結局リスクを負担しすぎていた。ということはその裏では国家保証があったわけですから、国がリスクを負担しすぎていたということを大きく変えていかなければいけない。

そういう流れの中で、いかにシステムを変えていくかということになるわけですけども、結局、先ほどの御質問からいうと、これは税制だけでは確かにだめなのだろうと思いますが、税制に象徴されるようなリスク負担システムをいかに改革していくか。従来は、例えば以前はマル優がありましたように、預貯金というか、銀行関係が圧倒的に、先ほどの補助金という話もありましたけれども、依然として、単に税制ではない形で優遇されていたのではないかと思うのです。リスクを減らすという形で、そのリスクはそれは結果的に国が保証したという形になっていた。それはいろいろな形で出てきている。そういうことはどこがメリットか。それぞれのメリット、デメリットがあるのだと思いますけれども、どこがメリットだったかというと、これはやはりもとの源泉からいうと、人為的低金利政策と言われたころから始っているのではないかと思うのです。つまり、低い資金調達コストでもって高度成長を進めていこうという動きがあって、そして、いろいろな意味で銀行からの融資というのは、直接金融というか、市場を通じた金融よりも、これまではずっと企業にとっても低コストだったのだろうと思うのです。やはり急に資本市場に変われと言われても、実際の企業がやってみると、かなりコストが高い。だからなかなかいかないし、投資家のほうもそれだけのリスクに見合った収益が得られていないのだろうと思うのです。だからなかなかいかない。もちろん税制だけではないだろうと思うのですが、特に小口の資本蓄積が進んできて、1,400兆円もあるようなものをいかにシフトさせるかということになると、大口はもうすでにやられているわけですから、一番大きいのは、おそらく小口であるがためのフィクストコスト、これが大きいのではないかと思うのです。これはただ金銭的なものではなくて、例えば市場の不透明性ですとか、何となく参加しにくいとか、いろいろな不祥事があり得るとか、恐いとか、そういう心理的なバリアも含めまして、非常に小口であるがゆえのコストが高い。そういう大きいコストの中で税制がどれだけの割合を占めるのか。そして、それだけからいうと、税制だけ直してもうまくいかないというのはもちろんそうだと思います。しかし、国としてほかに象徴的に何があるかというと、あまり表に見えてくるものがない。その税制に象徴されるようなシステムをいかに直していくか。そういうところにつながってこのシステム改革が見えていかないと、あまり積極的な動きにならないのではないかという気がするのです。

ですから、例えば具体的に言うと、損益通算とか、要するにリスク負担を個人がしてもらいやすいような動きにするということでしょうから、リスクに見合ったということになると、損したときもそれに対応したことをやらなければいけないわけで、損益通算というのは当然でしょうし、収益に見合った課税ということになるでしょうし、みなし課税なんていうのは、やはり基本的にはフィクストコストをかけるようなものですから、当然直していかなければいけない。それぞれの課税、税制って複雑ですから、なかなかわかりにくい。それを通して、こういうような大きい方向で修正していく中でこの改革が位置づけられているのだという位置づけを、それぞれの改革の中で理由づけておく。そして、そういう情報を社会に提供するという方針が重要なのではないかという気がしております。

委員

感想めいたことしか申し上げられないのですけれども、あまりロジカルではないのですけど、3点ほど感想があります。

第1点は、なぜこのゼロ金利時代になってかえって預金が増えているかという例の話については、私も先ほどから池尾先生等がおっしゃっているのと同じような認識を持っています。あまりロジカルではないのですけれども、やはり日本の株式市場というのは国民から信頼されていないと言わざるを得ないように思います。過去、一言で言えばということですが、ワラントだとか、変額保険ですとか、最近はEB債とか、なぜあれだけ訴訟が起きるのかというと、確かに儲かっていれば投資家は何も言わないので、損したときだけ訴えるのはアンフェアだという面があるとは思うのですけれども、それはほかの面でも同じなんですね。しかし、この分野だけこれだけ訴訟が多いということは、やはりそれはそういう商品の売り方に問題があるという事実は否定できないと思いますし、私がさらに知る限り、デリバティブなんていう商品を、リーテールというか、個人に売っている国は先進諸外国では日本にしかないですね。アメリカやイギリスでは、そういうものは個人には売られていないですね。ですから、やはりどうも売り方に問題があるということは言わざるを得ないように感じています。

それはそうとして、そういう中で株式市場に個人のお金を増やすというのは、もちろん、もうすでに一部の個人はかなり巨額の資金を株式市場に投じているわけで、そういうものを多少伸ばすということはあるかと思いますけれども、より一般的に市場型間接金融が育つのかという御指摘はまことにごもっともで、これは私のように法律をやっている人間にとっても大変な悩みであります。つまり、日本版ビッグバンと称して、法制の仕組みは大分変えたのだけれども、これも蝋山先生の言葉ですが、舞台はつくったけれども、そこで劇を演じてくれる人がいないというようなことにもなりかねませんで、いろいろな仕組みをつくったけれども、どうもそこでプレーをしてくれる人がいない。伝統的な金融の世界で仕事をしてきた方々というのは、おそらく池尾先生や翁さんがおっしゃった、昔の資金不足時代の発想で経営をしようとしますと、なかなか市場型間接金融、例えば投資信託といっても預貯金と同じ頭で考えているというようなことがあって、最近の言葉で言えば、差し当たり異業種参入ということ、そんなようなことに期待しているわけですけれども、多少劇を演じてくれる人が出始めてはいるのですけれども、まだ大変だなということがあります。これはあまり直接関係ないかもしれませんが、第1点の感想です。

税の話を第2点と第3点と分けて申し上げようと思ったのですけど、1つにして申し上げます。税はよくわからないところがあって、1つ私が持っている認識は、私は前にも実は政府税調の中に金融課税小委員会というのが設けられまして、そのときに意見として申し上げたのですけど、全然相手にはされなかったのですけれども、それはともかくとしまして、これまで株式と土地についての、所得課税をいま例にとって申し上げますと、その時々の政治状況の影響を強く受けすぎて、めちゃくちゃになっている。要するに1つ1つの、私は局地戦と呼んでいるのですけれども、あるいは対症療法と言ってもいいです。個別の、例えば今回では100万円がどうだとか、あるいは何かがどうだとか、何かばらばらになっていて、およそ体系がないというのが日本の非常に特徴的な歴史だと思います。

それと同時に、非常にわからないことは、これは先ほど御紹介がありました今回の国会での議論の中でも出ているのかと思いますけれども、私もよくわからないことは、例えば所得の法人レベルと個人レベルの二重課税というのは、中立性ということからいうと、何か調整したほうがいいように思うのですけれども、全く調整していないアメリカが世界で最も強い資本市場というか、株式市場を持っている。それから、例えば日本でいえば、平成元年までは、個人の株式譲渡益というのは非課税だったんですね。しかし、平成元年まで個人の持株比率はずっと下がってきているという事実があるわけでして、これはどういう関係があるのかというと、非常によくわからない点があります。

私なりにちょっと書いたことなどもあるのですが、それはともかくとしまして、ではどう考えたらいいかということなのですけれども、先ほどから出ていることのお話で1点だけ昔から考えていることを簡単に申し上げますと、池尾さんや翁さんのおっしゃった表現というか、それをそのまま使わせていただきますと、日本の所得課税に関する限り、金融の分野についての税の仕組みは、先ほど株と土地は――土地は金融かどうかという問題は別途ありますけれども、ばらばらだということを申し上げましたけれども、やはり高度成長の時代というか、資金不足時代の税になっているように思います。

例えば、分離課税の世界を見ますと、現在、源泉分離としてくくられている、1つだけ比較的金融商品の種類を問わない世界がありまして、要するに預貯金の利子その他、金融所得などと俗に言われて、その世界があるわけですけれども、これは伝統的な意味での預貯金の利子をまとめた世界であって、そこに新しい、例えば抵当証券のものですとか、そういうものも全部含めてこれまで取り扱ってきているんですね。しかし、それは私は大きな間違いだと思っていまして、それは金融商品ではなくて、預貯金商品と呼ぶべきであって、預貯金のようなものは20%の源泉分離の世界というのが1つあり得る世界だと思うのですけれども、いま、今後我々が展望しなければいけないのは、それとは別のジャンルの、それを私は金融所得と便利だから呼んでいるのですけれども、よく誤解されるのですけれども、世界で、それはいま分離の話をしましたので、分離の延長でいえば、例えば申告分離なら申告分離で、池尾先生の言葉でいえば、ミドルリスク・ミドルリターンというか、要するにリスクを伴う、あるいは金融ビッグバン後のメインの商品となるべき類型の商品についての所得というのは、預貯金とは別のジャンルだと思うのです。ところが、そこについては、現在何もありませんで、株は株で申告分離かという議論をしていますけれども、例えば為替差益だ、損益だということになりますと、個人の場合には現在は雑所得にいってしまいますし、それから、個人が手にする商品でいいますと、一時払い養老保険とかいうのは、一時高金利のころには流行りましたけれども、ああいうものも短期のものはさっきの預貯金類似商品に入り、長期になると、今度はあれは一時所得になるのですか、ちょっと細かいことはよくわかりませんけど、私も税の専門家ではないものですから。とにかく、ばらばら、めちゃくちゃで、ファンドもどうかといいますと、ファンドも何ファンドなのかということで見ますので、非常にまたばらばらになると。

したがいまして、私の感じとしては、昔の時代にできた預貯金所得というジャンルがあるのはいいのですけれども、それとは別に、私は金融所得と呼んで、言葉はどうでもいいのですけれども、新しい時代というか、これからというか、リスクを伴う金融商品についての世界というものをつくり上げる必要がある。それはリスクを取るわけですから、一定の範囲でリスクの分を損した場合はそれを引くということも当然考えられるわけでして、そういう世界をつくってほしいとずっと願ってきているのですけれども、どうしても世の中は各論で叫び合っているものですから、結局、最後のところは局地戦になって、100万円だとか何だとか戦っているようなイメージで、外から見ているとそういうふうに感じるわけでして、局地戦をやっていただくのは結構ですけれども、私なんかから見ますと、1つそこをきちんとした世界をつくっていただきたいと感じます。

委員

ついでに私のほうから関連してお聞きしたいのですけど、お二方及びある意味では会長に教えていただきたいのですけれども、3点ほどありまして、1つは市場型間接金融にいかないということには様々な制度的な理由があって、それはさっきから証券がハイリスク・ローリターンだとか、貯金のほうが、あるいは郵貯も含めて非常にセーフティネットが強く働いているとか、様々な制度的要因というものを挙げていただいたわけですが、そのほかに制度的要因というのはあるのだろうか。その中で税制というのは特別な意味を持っているのかどうか。

なぜそういうことをお聞きしているかという1つの理由は、この参考資料集の20ページを見ていて、私も多分こうだろうとは思っていたのですけど、やはりちょっとショックを受けていまして、「個人投資家が株式市場に参加しない要因」というのに、いろいろなことが書いてあるのですけれども、最後のIIの「個人投資家の証券投資に関するアンケート調査」の(2)の「株式投資に対する悪いイメージの原因」というところで、「証券会社の株式営業が、必ずしも顧客の利益を第一に考えているとは思えないため」というのが80%を超えているわけですよね。これはほかのものと比べても非常に高い比率で、つまり、さっきから問題にされているのは、むしろ預金とか郵貯の問題に非常に大きな問題があるという御議論でもあったわけですが、要するに、証券の側に様々な制度的な要因、例えば説明責任とか情報開示とか、そういうことも含めて何らかの問題というのはないのだろうか。そこら辺について、両面にわたって制度的な要因としてどういうものがどのぐらいの、非常に難しいと思うのですけども、大きさとしてどのぐらいのものとして考えたらいいのか、何か御意見があったらば伺わせていただきたいなというのが1つと、それから、税制がその中でどのぐらい大きな制度的要因かということに関しては、さっきから議論があったわけで、それから、長期的には税制は中立でなくてはいけないという強い意見もあったことも、私も非常に同感を覚えているのですが、他方では、政治的な議論としては、ドイツの例をはじめとして、証券投資のほうにむしろポジティブなインセンティブを与えるべきであるという議論もあるわけで、いわば証券のほうに中立を外してインセンティブを振れという議論ですね。そういう議論についてはどういうふうにお考えなのかということが2点目です。

3点目は、こういう議論はどうも税調の議論ではなくて、金融審の議論のような気がしていて、どういうふうにそこら辺を議論の場を考えたらよろしいのか、ちょっとお聞かせ願えないだろうかと。

最初の2点は、主にお二方、あるいは皆さんにお聞きしているわけですが。

委員

1点目に関してですが、私も報告のレジメの2ページの「金融システム改革の課題」のところ、短くしか書かなかったのですが、その中の、ちょっと印刷で見にくくなっていますが、「かつ信頼される形で」というところをわざわざ私はゴチックにしておいたのですけれども、例えば先ほどからも議論の中にありましたように、株式投資信託の収益率が、かつての株式市場が非常に調子のよかったときでも、日経平均を有意に下回るという状況がずっと続いていたということは、やはり伝統的な市場仲介者のあり方に極めて大きな問題があることは事実だと思うのです。それが直近に国際証券の処分のあれがありましたけれども、近年に至っても是正されていないのではないかという、これは由々しき問題だというふうに思っておりまして、この点をどうにかしない限り、金融商品としての魅力だけが高まっても、要するに健全なまっとうな人間は株式市場に手を出すべきではないという社会的な通念がむしろ健全な常識になっているという状況がなくならない限り、ここで申し上げている市場型間接金融にしろ、それに移ることは難しいと思うのです。

特に市場型間接金融の場合、フィデュシャリー・デューティーがすごく大切なポイントになると思うのです。要するに、ファンドの運用を誰かに任せるわけですね。それを任されたファンドマネージャーが本当に受託者の利益を考えてやるのだという受託者責任の担保ということが、制度的に最低限のしっかりした担保があると同時に、職業倫理だとか市場慣行のレベルでもっと高い裏づけがあるという仕組みにならない限り、自分がリスクを負う可能性のあるマーク・ツー・マーケットされるタイプの金融手段に資金を入れるということは、それはやはり期待できないことだと思いますので、セーフティーネットを是正するという問題と、ちょっと逃げのようで申しわけありませんが、勝るとも劣らない課題として、市場仲介者についてのフェアネスの確保ということがあって、そういう意味では、金融サービス部門とかは、要するに公平・フェアを確保するということが目的ですが、それは実は効率的な金融取引の前提条件をつくるということであって、フェアでないような市場が効率的であり得るわけもないということだと思うのです。だから、そういう面での制度整備というのは非常に大切だと思います。これが1点目です。

それから2点目は、要するに、こういう新しいチャネルなり、マーケットなりをつくっていくというときに、セットアップのコストというのはどうしても必要になると思うのです。市場というのは、放っておけば自然発生的に生まれてくるものではなくて、自然発生的に生まれてくるような市場もありますが、それは闇市的な市場でしかあり得ないわけであって、金融市場のような洗練されたマーケットは、やはりそれを成り立たせるための制度的な基盤というのをきっちり整備して、様々な付加サービスを提供するような関連的な機関も登場しないと成り立たないわけですね。そういう機関は本来的には民間が商業ベースで参入してくるものだとしても、その前提としてある程度取引のボリュームが期待できるとかいろいろなことが必要で、やはりセットアップにコストがかかる。そのセットアップコストは、マーケットが拡大、展開していけば、回収できる種類のコストなんだけども、最初にちょっとコストがかかる。ちょっと飛び越さなければいけないところがある。というようなことがあると思うのです。

そうすると、そのセットアップコストを誰がどういうふうに分担するかというのは、なかなか問題として重要なところがあって、一種マーケットが公共財的な性格を持つということがあるとすると、セットアップコストを何らかの形で政府が負担する。直接的な意味で政府が負担するということは考え得るわけで、そういうセットアップコストの分担というような観点でタックス・インセンティブを使うという可能性は、私は少なくとも理論的には排除されないのではないかと考えております。

それから、3番目は私の質問ではないと思いますが、私は金融審議会の委員もしておりますもので言いますと、金融審議会の議論では、時々、「税制の問題はここでは扱えないので」というような議論が出るということだけ申し上げておきます。

委員

やはり証券会社の株式営業というのは非常に大きい問題だと私も認識しております。過去からの経緯もそうですし、最近でもいろいろな問題が起こっていますので、非常に大きい問題だと思っています。

これに関して最近いろいろな動きがあって、1つは、銀行で例えば株式投信なんかを窓販するような形になってきていて、比較的市況のよかった2000年には、わりと実績が伸びたという経緯があって、あれで多少株価の市況もよくなっていれば、多少それが1つのきっかけになったかもしれないのですけれども、残念ながらこういう状況ですので、新たなチャネルをつくっていくというのも、証券会社の営業姿勢を正していくということと同時に、チャネルも多様化していくというのも1つの方策かなというように思います。

あとは金融商品販売法というものが今年の4月から義務づけられましたので、まだまだいろいろ補強していかなければならない制度整備というのはあるのですけれども、徐々にそういった説明責任とか、そういったものも定着していく方向で、環境整備をこれも行っていくと。だから、いろいろな必要性があると思うのですけれども、そういう形でこの問題も解決していくということなのかなと思っています。

それから、2点目につきましては、税制で何らかのインセンティブをつけるということはあるのですが、それはやはり明確な政策目的があって初めてそういったことが考慮に値するということだと思いますので、そこをきちんと議論してから、そういった税制のインセンティブということについては議論していくということが必要なのではないかと思っております。

委員

私のほうからも。第1点に関して、水口さんがいたらよかったなと思っているのですが、やはり業界の話等々は、現場でやった人でないとわからない感覚があると思いますので、次回出てこられたら、何で証券会社はそんなに評判が悪いのか、それに対してどういう対応をこれまでやってきたかということを、率直に小委員長のほうから聞いてください。お願いします。

それから、第3点は私に対する質問で、これは非常に重要なんです。いいことを言ってくれたと思いますが。実はさっき話があったように、我々は金融課税小委員会というのを持っていたんですよ。それを発展的につないでいこうかということも考えたのだけど、今度は金融小委員会にしちゃったんですよ。これはどういう意味を持たせるかなということは、実はあまり事務局と詰めていないのだけど、我々思うことは、やはり金融全般についてまず広く議論して、その中で課税も位置づけようと。そういう意味で、名簿を見ていただければわかるけど、お3人いらっしゃいますけれども、金融プロパーの御専門の方にも来てもらっていて、税抜きのところでも大いに専門のある知識、うんちくを傾けていただきたいと、こういう趣旨で始めました。

ただ、問題は、金融審でやる税制の論議と、仮にやるとしてですよ、うちでやる金融絡みの税制の議論はおのずから私は違ってくると思いますよ。どういうことかというと、それはある意味では金融学者がやる税制の議論と、税制学者がやる証券税制の議論はちょっと違うというのは、やはり金融学者はどうしても金融市場なり資本市場の健全なる発展とか、あるいは中立的でどうだこうだという金融市場というのが念頭にあって、その手段として税を使いたいという気はありますよね、正直言って。それはいい悪いは別にしてね。我々はその結果、税の本体が傷つくことを非常に恐れるわけですよ。何も税制というのは、納税者のためにあるので、金融市場のためにあるんじゃないんですよ、本来からいうと。したがって、課税の公平・中立・簡素なんてしょっちゅうお題目のように言っていますけれども。だからうまく両立すればいいのだけど、大体においてある目的に税制を使うと歪みが出るし、不公平になるし、複雑になるしというので、絶えず私は議論をウォッチしているので、だからここでやる金融税制の議論は、ぜひ税の本質に従った議論をやってもらうべきではないかと。

ただ、いま非常に株が落っこちたとか、金融が非常に歪んでいるから、税を使えば非常に役に立つと。これは本来の税の姿勢からは崩れるけど、短期間ならいいじゃないかとか、あるいはパワフルならいいじゃないか、効果があるならいいじゃないかと、一時目をつむりましょうというようなことは、まさに政策税制なのでしょう。年中目をつむらされているのが、いまの自民党のパッチワーク的ないろいろな御下問ですよね。あれは困ると思っていますよね。ということです。

ついででさっきちょっとおっしゃった議論で、資本市場なり金融商品で中立であればいいと。そこで、いま税調で議論になっているのは、申告分離の26%のいわゆる税率ですね。キャピタルゲイン。そして、預貯金が20%の金利ですね。これは税調の本体で絶えず証券界のほうから文句を言われているわけです。我々の議論としては、やはりキャピタルゲイン等々と預金とは違うではないかという性格論、それからよく議論するのは、給与所得者とキャピタルゲインで稼いだ人の同じ1,000万でどれだけ税率が違うかということを議論するのだけど、これはあくまで税調的議論なんだよね。いま言ったように、直接金融、間接金融、あるいはリスクを取るような投資に持っていきたいといったときには、税の議論をするときに、やはり20%、26%というのは随分差はあると思うのです。それは金融的にはやはりあると考えるべきでしょうか。つまり我々は税の議論からいって、20%と26%はいいではないかと言っているけど、いま言ったように、どうしてもリスクを取るようなほうにいかないということは、いま言った26と20の差もあるんでしょう。その辺を我々、あくまでキャピタルゲインの性格で押し切れるのか。それでも表面的に見れば、20と26、非常に差はありますよね。したがって、みんな預貯金にいっちゃうという、こういう議論をされてしまうんですよ。それは金融的に見るとどうですか。難しい質問ですか。そんなことないでしょう。

委員

いや、結構難しい質問ですよ。アービトラージというか、裁定がどういう形で働くかということで、アフタータックスで裁定が働くのだという世界を考えてしまえば、実は税率の差を織り込んだ形で、元のリターンが決まる。そうすると、発行コスト等が企業部門にとっては違ってくるから、そもそもの資源配分が変わるという一般均衡的な効果を考えなければいけなくなって、それが部分均衡的に考えられるように、企業の株式とかそういうものの発行を抑えるような方向に本当になるのかどうかというのは、それほど直感的に明らかでないところがあるので、そこまで言い出すと非常に難しいということですよね。とりあえずの直接的効果だけ考えれば、それは当然、率の低いほうが有利ということになりますけどね。

委員

少し別な観点になるかもしれないですが、先ほど池尾さんが言われた質の悪い商品というくくり方をしてしまうと、ここでの議論というのはあまりできないのですが、ただ1つ気になるのは、401kのような確定拠出型が入ってきますと、強制的に勤労者がこういうリスクにさらされていくので、先ほどのフェアネスというか、フィデュシャリー・デューティーという問題というのは、そういう商品が今後育っていくため、結局自分の選択で入れるのではなくて、強制的にそれしか選択肢がない世界に追い込まれてしまうという制度ができ上がるという観点から、ちょっと税制の議論とは違うと思うのですが、非常に社会的に与える影響が大きな変革だと実は思っています。それが1点です。

市場型間接金融という方向に行くか行かないかというときに、いま市場が透明性という議論をよくするのですけれども、ただ1つ気になるのは、匿名性を許容しているような税制を、例えば割引債等々のそういう部分で穴があいているところが、国際的に見て、多分先進国の中で匿名性を許容している税制を持っている国、私よくわからないのですけど、多分ないのではないかと思うのです。それが今後日本のことを考えていくときの後進性の象徴になるのではないかという気もちょっとして……。

それから、源泉分離というのが今後なくなっていく方向だということなので、それ自身はいいのですが、私は別に源泉分離があっても、ちゃんと所得が捕捉されていればいいと。そういう意味では、結局は納税者番号という議論をしなければいけないのですけれども、多分、この議論は、いろいろなことを考えるときに避けて通れない問題で、いまないところに新しい制度を入れるとなると、メリットとデメリット、特にプライバシーの保護という問題がどうしても検討しなければいけない問題なのですが、こちらのプライバシーの保護等の問題は、多分、短期的には今日言って明日解決策が出てくるというのではなくて、もう少し長い視点で議論しておかないといけないのではないかなと。そういう議論がここで合う議論なのかどうか、私ちょっとよくわからないのですけれども、ただ、1つは所得を完全に捕捉するのだという意思表示を税制としてしなければ、近代化につながらない。そのための将来に向けた検討を、実はデメリットを防ぐ検討というのをまず事前にやっておかないと、いざとなったときに、にっちもさっちもいかなくなるという感じをちょっと持っている。そういう意見です。

委員

401kの問題というのは、ここであまり関係のない議論なのかもしれないのですけれども、私はFRBの論文で読んだのですけれども、株式の保有というのがだんだんアメリカで進んだのですけれども、90年代の圧倒的な部分というのは株式自体がどんどん上昇してきましたので、その利回りの部分で非常に大きくなったという部分が圧倒的なのですが、やはり401kの影響ってすごく大きくて、個人がそういう確定拠出型年金みたいなものを通じて株式を保有するルートというのは、これから非常に大きくなっていくと思うのです。ですから、そういう動きというのも視野に入れて議論していく必要があると思います。

おっしゃったとおり、フィデュシャリー・デューティーという観点の企業年金法ですか、企業年金についてもそういったルールを入れていくという方向だと思いますが、まだ本当にこれがどのぐらい実現していくのかというのは、本当にチェックしていかないと、個人が直接選択して、どのぐらい情報開示がされて、どういうふうにきちんとそれが担保されるのかということは、注視していかなければいけない部分だなというように感じています。

委員

2つの御質問についての意見ですけど、1つは、金融審と税調はどう重なるかということですけれども、例えば、金融だけから見るという意味ではなくて、源泉分離になっている、いま80%ぐらいの人がそちらを選んでいるという話を聞いたわけですけども、それはなぜかと聞いて見ると、何か名前を出さないためにそれが非常に好まれていてというような話らしいのです。それ自体、一般の個人からすると、何かうさんくさいというイメージがどうしてもつきまとうわけで、もし公平性ということであれば、徴税システムの信頼性というものも、やはり金融取引の大きなコストだと思うのです。そういう観点から、徴税システムを信頼性のあるものにしていくということは、金融市場にとっても非常に積極的な意味がある部分で、重なるような部分ではないかと思いますけれども。

それから、先ほどの証券会社の信頼性がないではないかと。本当に80何%はすごいと思いますが、それをいままで何十年かかってなかなか変わっていかないのを急に変えろというのは、なかなか非現実的な話で、変わってもらわなければいけないわけですけれども。

おそらく現在の非常に大きな変化というのは、むしろ情報が証券会社を通じなくて直接に個人が取れるような世界になってきているというのが非常に大きいので、アメリカなんかでは、やはりインターネット取引というのが証券市場に非常に大きな影響を与えていると思うのです。ですから、例えばそういうのを通じて、今後もっと、証券会社に直接情報を依存しなくても、もっと本来そこのところを努力してもらわなければいけないとは思いますが、そういう部分がうまく進むような体系といいますか、それを考えていくというのは非常に重要な意味があるのではないかと思いますけど。ですから、インターネット取引を通じてでも納税が簡単にできるとか、所得の捕捉がしやすいとか、そういうふうなことを長期的には視野に入れておくべきではないかなという気がします。

委員

あえてデビルズ・アドボケートをやりたいのですけども、所得を完全にフォローする必要があるとおっしゃることは、できれば非常にすばらしいことで、それから、世界全部が一斉にやれれば非常にすばらしいことだと思うのですけれども、それを例えば日本だけがやっちゃったときに、とりわけ高額所得者が海外のいわばタックス・ヘイブン的なところに逃げ出していってとか、そういう様々な国際的な節税行為みたいなものがあるのではなかろうか。それから、完全に捕捉というのは技術的に本当に可能なのかどうか。それをやるためには、当然、コンプライアンスコストみたいなものがかかるので、そこら辺、例えば100万円の今回の所得控除なんかについても、ややそういう面があるように私なんかは思っています。正当化するとしたら、コンプライアンスコストで正当化するしかないのかなというのがむしろ私の印象なのですけど、そこら辺はどういうふうにお考えなんでしょうかね。

委員

国際的な課税のショッピングみたいなものは現状でも起こっていますので、それが多少多くなるかという部分と、よく言われるのは、割引債を買って、それをかばんに入れてスイスへ持っていって、ロンドンかどこかのオフショアにある口座に現金化して入れると、全く個人の所得税がかからずに、外でプールしておけるというようなことをやっている人がいるとか、いないとか、話を聞くのですけれども、つまりそういう行為というのは現状でも行われていますし、それから、納税者番号というか、そういうことがあっても、多分ある程度は起こって、それがどの程度増えるかということと、片一方で捕捉をし、納税制度でそういう番号を入れることによって捕捉するぞという姿勢を示すことによる抑止効果と、その辺をどう評価するかではないかと思いまして、それは私がマクロ的な評価はできないのですけれども、多分その辺を考えて、制度の落としどころというのはあるのではないかなという感じがします。

委員

市場型間接金融がなぜ日本で発育しなかったかということでは、入口で郵貯があって、真ん中に資金運用部があって、出口のところに当然のことですが特殊法人があったわけですが、例えば郵貯、資金運用部、住宅金融公庫というふうに考えてみますと、本来モーゲージというのは、一人一人が住宅を建てて、かなりつらいときでも自分の住んでいるところはやはり維持したいですから、一生懸命返しますので、データ的に見ても、モーゲージのリスクというのはある範囲に入ってきている。それはいまでも68兆円住宅金融公庫の貸出しがあるのですけれども、これが例えばモーゲージになっていたらというふうに考えますと、随分違っただろうと。

すでに今日のお話で池尾さんと翁さんが言われた、ある時期から資金割当てみたいなものの必要がなくなった。そのときには、当然のことですが、国家金融の役割もなくなっていたわけでして、資金運用部が長期間全部、入口、真ん中、出口まで含めてですが、存在したことによって、市場型の間接金融とでも言うべきものが、あるいは個々の投資家にとってのリスク・リターンのプロファイルの見きわめということを鍛えなかったことは明らかなわけです。

ですから、資金運用部が、ちょっと前までは大蔵省は何と言っていたかというと、大変な少人数でこれだけの300兆円を超える、あるいは400兆円ですか、やっておって、「こんな効率的なのはありませんよ」と、大体理財局の人が言っていたのですが、何か間違っているのではないかと。こんなのを置いておいたら機関投資家というのは育たないでしょうと。現実に個々人の投資のリスク・リターンのプロファイルについての感度も育たなかったし、この国家金融システムというものがここまで長く置いたことの問題というのは、やはり非常に大きいと思いますね。

郵政公社になったときの話も、これはなかなかややこしくて、中央省庁改革についての法案の中では、政府の支払保証については何も書いていないのですが、多分、3事業一体でやるとか、国家公務員だとかと言っていますから、政府の支払保証は言うまでもない、書く必要もないから書いていないのだろう、何とか規定という、拡大規定ではなくて、当然規定ではなくて、法律で何て言うんですか、要するに当たり前のことだと、そんなことは書く必要がないということなのでしょうけど。

しかも、これまた郵政公社の運用する資産が300数十兆という話は、国債の値段はもう決まらないといいますか、勝手に決まるわけですね。ですから、もうマーケットというものに対しての信頼というものが生まれません。先ほどのフィデュシャリー・デューティーからいけば、わけのわからない値動きをする商品を入れたファンドマネージャーは、究極的な投資家に対して説明がつきませんから。

資金運用部ショックというのがありまして、いままでも日本では国債価格がある日突然ぶれる。いままでは郵貯は全額預託で資金運用部に全部任していましたけれども、これが、経過措置はありますけれども、全部やるということでしょうから、今度は郵貯ショック。日本銀行の総裁よりは、郵政公社の長官のほうがよっぽどマーケットに対して影響力があると。それはわかっていて引き受けるのかなというふうに思いますけれども。これも、もしこれを放っておいたら、とてもじゃないけど、市場型間接金融なんか定着しませんよね。フィデュシャリー・デューティーもそれが働く基盤がない。そういうことが全部一緒になって起きていますから。

しかも、これはガバメンツのリスク感覚を非常に鈍らせましたね。交付税特別会計とかそういうところで、いままでそういうお金でファイナンスを受けるという形ですから、自治体がいくらでも借金しても、それはどこかで崩れるのではないかというふうには思ってはいないわけでして、もちろん中央政府もそうですけれども、中央政府も自治体も、ちゃんとファイナンスを受け続けられる、値段が崩れるということはないと、どこかで債務者区分で借り手が実質的な破綻懸念先になるなんていうことは心配せずに借金しているということを一方において生み出していますから。

要するにそこで税制との関係ですが、このチャネルを変えようというときには、やはり目的との関係で、これは相当転轍手でぎゅっと変えないと日本のためにならないというなら、やはり証券税制というのは考えられるべきだと。だから、キャピタルゲインが26%とかと先ほど言われた。26がどこまで下げたときに、どういう効果があるのだという話は、ちょっと詰める必要がありますけれども、それはやはり大きな流れで日本のシステムがそれを広い意味での効率性を望んでいるのだという認定が行われれば、私は証券税制は、いわゆる抜本改革と言われていることの内容は、真摯に受けとめざるを得ないのではないかと思っています。

委員

今日は、小委員のお話、私、得るところが非常に多かったのですけれども、金融の端くれをやっている者として、実感でお話を申し上げたいと思うのですが、ともかく、いまは預金、貯金の波に、実際どうにもならない、大波に洗われてしまって、これをどういうふうに運用していくかというのに大変苦労しているというのが私の個人的な印象でございます。

これはお話を聞いていて、資金不足時代の金融から変わらなければいけないのだというふうに私も思うわけなのですけれども、従来スタイルの運用では、もうとても利ざやは取れない。だから、預かれば預かるほど赤字が出る。途中の金融コストはつぐなえないというような状況でして、何とかこれを個々の預貯金者にリスクを取ってもらう、あるいは間接市場型というのですか、というようなものの位置づけをちゃんとするような格好で、資金の処理ができるような方法を考えていくというようなことを図っていかないと、金融機関自身の体力を弱めるということもあるのではないかと思います。先ほどの話もありましたが、それだけの自己資本というものを調達するのもなかなか難しいという状況ですから、やはり資金の使い方、流れを変えていくということを考えないと、逆にいえば資金の回転がうまくいかないということが起こり得るのではないのかなという気がしまして、これは先ほどの委員の意見に私も賛成なのですけど、初めは少なくともニュートラルというところが欲しいなという個人的な気持ちですけど、ほかの大銀行の経営者の方がどういうふうに思っておられるかまでチェックしているわけではないのですが、個人的にいえば、少なくともニュートラル、できればやはり、言葉はどうも古いらしいのですけど、直接金融型の資金の流れになっていくような体制を考えていく。これは必ずしも税制だけではないと思うのですけれども、税制の面でもそれを考えるべきではないかというふうに私は聞いていて思っていました。

事務局

先ほど委員から局地戦のお話がございまして、局地戦をやってきている者として、実はこの土地税制もそうですし、株式の証券税制もそうですが、土地が上がる、下がる、あるいは株が下がるというときに、必ず政策手段は税制でやろうと。何らかの措置を講じたということを言えるために、と言うと言い過ぎかもしれませんけれども、何かやったという証といいましょうか、そういう形で要望が必ず出てまいるわけでございます。そういたしますと、私ども税制全体の信頼性の問題もございますから、その中で全体の信頼性を保ちながら、どこまで許容できるのかというようなことを考えて、局地戦を戦ってきていたということかと思います。

それで、その場合、これまで長年おりまして感じますことは、例えば土地問題であれば、土地の利用規制がわが国には全然存在しなかったわけでございますね。そういう中で、税制だけで土地問題を解決するというのは全く無理だというのは、我々も考えていたわけでございますけれども、そういう流れの中で年々何か措置は講じてきていると。

株式も、実は今回の100万円の話のとき、大蔵大臣がちょうど党の税制調査会におられたものですから、こんなことをやっても効果はないのだと、やはりあわせて証券業協会を呼んで、あるいは経団連を呼んで、いまの証券業の姿勢から、あるいは株主に対する経営姿勢を改めよということを一緒にやってもらわないと、何の効果もないのではないかと、こういうようなお話を実はいまの大臣が突然なさったということが記憶にございます。

したがいまして、実は税制の話と同時に、根っこにあるインフラがどうなっているのかというのは、我々税制を考える上でも大変重要な話だと思っておりまして、実は税制よりももっとそちらのほうが大切なのかもしれませんが、それがとにかく、時々税制は政策手段で、毎年毎年講じられるのが税制だからということに来ている。

そういう意味では、小委員長、金融審議会のお話がございましたけれども、今回の金融小委員会は少し幅広く御議論をやっていただきませんと、せっかくの税制の議論も、インフラの上に税制が立つわけですから、やはりインフラのところも幅広く議論していただきたいというのが、局地戦を戦ってきている者の感想でございます。

委員

私が申し上げたのは、むしろ会長に、税調の立場として金融審議会に対して何かもの申すというようなことまで視野に入れるのですかという、そういう趣旨でお聞きしたつもりなのですが、それはまた次回にでもお話を伺えればと思います。

いずれにしても、今日は大変幅広い論点について御意見をいただき、ありがとうございました。次回の小委員会は来月7月にも開催してはどうかと考えております。具体的な日時は決まり次第御連絡いたします。また、その際には、本日の議論を前提として、金融にかかわる税制一般の説明とともに、これまでの議論の中で事務局に対する宿題とされている事項について説明を受け、議論を行いたいと思います。

それでは、本日の小委員会はこれで終わります。お忙しいところ、ありがとうございました。

〔閉会〕

(注)

本議事録は毎回の審議後、速やかな公表に努め、限られた時間内にとりまとめるため速記録から、財務省主税局及び総務省自治税務局の文責において作成した資料です。

内容には正確を期していますが、税制調査会議事規則に基づき、事後の修正の可能性があることをご承知置きください。

金融小委員会