企画会合(第13回)・調査分析部会(第11回)合同会議 議事録

日時:平成19年8月3日(金)14時00分~
場所:中央合同庁舎第4号館共用第一特別会議室

香西会長

ただいまから、第13回企画会合・第11回調査分析部会合同会議を開催させていただきます。お忙しいところを御参集いただきまして、誠にありがとうございます。

本日は、調査分析部会の審議を2時間程度で収めていただいて、後半30分程度をフリーディスカッションによる企画会合という形にしたいと考えておりますが、いろいろなことで議題がかなり詰め込まれてしまったという状況にございますので、申し訳ありませんけれども、時間の節約といいますか、会議の進行には、よろしく御協力をお願いしたいと思っております。

1つ、猪瀬委員から、本日、途中で御退席になるというので、本当に簡単に問題の頭出しだけここでしていただいて、後で、また別の機会に議論をいただくということにしたいと思います。

よろしくお願いします。

猪瀬委員

ほんの1分だけ時間を貸していただきたいんですが、先ほど耳に入ったことなんですが、東京のタクシーが全面禁煙になるというふうなことを言っているんですが、これは禁煙のタクシー乗場と喫煙のタクシー乗場をつくれば済むだけの話ですから、皆さん御存じだと思いますけれども、たばこ税の収入は2兆円以上あります。これは消費税1%分ですね。これを厚生労働省の訳のわからない説明の中で無理やりファシズムのように全部たばこが吸えなくなるということが起きてくるのは非常におかしいと思うんです。タクシーは個室料金ですから、バスの中でたばこを吸うのはいけないけれども、タクシーの中でよけいの料金を払ってたばこを吸うのは、別におかしくないわけですね。

東京都のたばこ税が336億円ありますね。この間、隅田川の花火大会に行ったら、墨田区役所で20億円だそうですけれども、とにかく全体で2兆円のたばこ税収入があるわけですが、神奈川県が全面規制になり、名古屋市も全面規制になったんですが、東京都は、さすが東京都だから大丈夫だと思っていたら、そういうふうなことになってきたので、皆さんもこの問題に一度、今日は問題提起だけですが、たばこ税2兆円の問題をどういうふうにするのか考えなければいけないので、タクシーの全面禁煙というのは分煙で解決できる問題ではないかということを問題提起して、2兆円の財源というものをもっと大事にしたいなというふうに思っています。

以上であります。

香西会長

どうもありがとうございました。

中里特別委員

賛成です。

どうもありがとうございました。

香西会長

議論は後回しということになりましたので、それでは調査分析部会の審議を始めていただきますが、田近部会長から司会をお願いします。

田近部会長

それでは、調査分析部会を始めたいと思います。

今日は、始める前から、これだけの議題をどうやってこなすか頭がいっぱいなんですけれども、プレゼンテーションとして沼尾さん、小西さん、佐藤主光さんの3名の専門委員の方、そして外部の有識者として慶應義塾大学の駒村さんに来ていただいています。

そして、お手元に資料があると思いますけれども、井戸さんから地方分権についての資料がお手元にあると思います。

それでは、議事に入りますけれども、まず、お手元の資料を1つずつめくっていっていただければおわかりになりますけれども、沼尾さんから持続的成長に求められる福祉政策の充実と費用負担、そして小西さんから地方税改革の課題、そして佐藤さんから地方税財源の充実と課税自主権ということで、お話をいただきます。

議題のくくりですけれども、今日は地方財政ということが2つこの中に入っていますけれども、沼尾さんのテーマは本来ならば、もう少し社会福祉ということで、ほかのスロットの場所も考えられたんですけれども、この部会をずっと運営してきて、多くのテーマをこなす中で、やむを得ずこうなりました。

そういうわけで、テーマ的には福祉に関する話を沼尾さんから、そして地方財政を小西さん、佐藤さんからお願いします。

それで、大変申し訳ないんですけれども、各人15分間、3人続けて御報告をいただきます。それから、30分自由討議ということで、議事を進行させていただきたいと思います。

また、小西さんについては、途中退席ということもありますので、簡潔に時間厳守でお願いします。

それでは、沼尾さん、よろしくお願いします。

沼尾専門委員

日本大学の沼尾でございます。本日は、このような機会をいただきありがとうございます。時間が限られておりますので、早速報告に入らせていただきます。

本日は「持続的成長に求められる福祉政策の充実と費用負担」というタイトルで報告をさせていただきます。

以前に広井先生や土居先生の御報告にもありましたとおり、我が国の社会保障給付費は今後大きく増大することが見込まれております。

1ページ目の表にございますとおり、その水準は2006年度には90兆円に及んでおります。これまで財政赤字が放置されたまま、医療、年金などの給付費の増大が見込まれているわけですが、その対応として、2000年代前半には社会保障制度の見直しが進められ、マクロ経済スライド制の導入など、給付と負担の抑制の仕組みをビルトインしていくような改革というのを進行してきたわけです。

1ページ目の表では、いわゆるその成果ということで、これは厚生労働省のものですが、2025年には141兆円の水準に何とか抑制されるとの試算が示されているわけです。

しかしながら、社会保障給付費や各種の福祉サービスに要する支出というのを、こういった形で抑制していけばよいのかということが、まず、ここでの初めの問題提起になります。

では、我が国の社会保障給付水準について諸外国と比較しながら、その特徴を見ていきたいと思います。

2ページ目をごらんください。

2ページでは、機能別に見た公的な社会支出の対国民所得比を表したグラフを載せております。

これをごらんいただきますと、皆様、御承知のとおり、いずれの国でも高齢とか、保健といったような年金、医療関係の支出水準というのが高いことがわかります。

これに対して、国によって大きな違いが出てくるのが、いわゆるその他の福祉に相当するような部分でして、ドイツ、フランス辺りでは、家族や雇用への支出というのが相対的に高くなっておりますし、スウェーデンの場合には、家族、雇用、障害など、さまざまな福祉政策への支出が高く出ております。

これに対して、日本及びアメリカでは、家族や雇用といったようなところへの公的な支出水準というのが相対的に低くなっているということが見て取れます。

日本の福祉サービスの公的な供給水準が低かったというのは、これも皆様御承知のとおり、長い間、その役割を家族であるとか、あるいは地域、職域が担ってきたことによるものです。

3ページ目の初めのところに少し書きましたけれども、対人社会サービスの供給にはさまざまな形態が考えられるわけです。

日本では、長い間、介護や子育てについては家族の無償労働を通じて対応してきたという経緯がありました。

それに対して公共部門が担う福祉については、高齢者介護であれば、身寄りがなく、所得がない高齢者に対して、他方、保育サービスであれば、いわゆる保育に欠ける子どもを対象にするという形で供給するという考え方が取られてきたわけです。

しかしながら、前回の永瀬先生の御報告にもありましたとおり、家族機能の変容であるとか、女性の社会進出などを背景として、こうした従来家族が担ってきた機能の一部を社会的に代替するサービス供給の必要性が言われるようになり、平均的なライフスタイルを営む上で、不可欠なサービスを供給できるような環境が求められるようになってきました。これに対して、無論、介護保険制度の導入など、一定の対応というのは図られてきたわけですけれども、決して十分とは言えないまま、公的債務の増大などを理由とした給付の見直しというのが進められているという面があると言えます。

こうした福祉サービスというのは、人間が人間として生きていくために欠かすことができないもので、必要に応じて供給されるということが求められるものです。

社会経済構造の変化とともに、供給の在り方というのが大きく変わっているわけですが、日本の場合には、家族や地域、職域に代わる供給への対応が、まだ十分とは言えない状況にあると思います。

今日、生産年齢人口の減少とともに女性の労働力活用が進められたり、また、企業の経営戦略の一環として、能力主義の強化に伴う賃金形態の変化や非正規雇用の増大などが指摘されております。

しかしながら、こうした改革が進行するにつれて、例えば十分な保育サービスを社会的に供給することが求められたり、子育てに必要な最低限の所得保障を公共部門が補うということが求められることになります。

このように、市場競争の激化に伴う企業行動の変容が、かえって公共部門に対してサービスの充実を求めることになるわけですが、これに対して専ら公共部門がサービス供給を抑制したり、受益者負担を強化し続ければ、有能な労働力というのが供給されなくなってしまったり、少子化が進行したりするなど、かえって経済の活力をそいでしまう可能性があると言えます。

こうした観点から、今、子育て支援策としての児童手当制度を例に取り上げて考えてみたいと思います。

一般に児童手当には3つの機能が期待されているわけですが、1つは家庭の所得保障による生活安定、2つ目として、児童の健全な育成。3つ目として、次世代労働力としての資質の向上といった機能になります。

その財源としては、公費のほかに事業主負担というのが含まれているわけで、それぞれ期待される機能に応じた負担の仕組みが組み合わさっていると見ることもできます。

そもそもの児童手当制度導入に至るまでの議論の中で、3ページ目の下にお示ししましたとおり、1964年の中央児童福祉審議会児童手当部会の中間報告などでは、労働力を流動化して、生産性向上を図るには、年功序列賃金体系における生活給を排除し、能力給に移行する必要があるとして、その振り替えとしての児童手当制度が提言されたという経緯があります。

ここから、事業主拠出が制度化されていくわけですが、このように、それまで企業が従業員の生活の保障について直接担っていたものが、社会化されていく中で、それに見合う負担をする制度として機能してきたということがうかがえます。

その後、児童手当制度は、1972年に具体的に導入されるんですけれども、70年代後半から財政再建の議論の中で、その縮小論が提起された時期があります。

その当時の財政制度審議会報告の中では、児童手当見直し論として、児童養育は家族の機能であるとか、年功序列賃金体系がある中で、企業が生活給として既に負担をしている、あるいは税制上の扶養控除が存在しているといった理由からその縮小が提起されています。

この議論を見ますと、家族、企業、政府の中で子育てにかかる負担をどのように担うべきかという議論がなされたという意味では、非常に象徴的だということが言えるだろうと思います。

しかしながら、今日では、子育ての中心としての役割を担ってきた家族の機能が大きく変容している。未婚化、晩婚化、離婚の増加といったような子どもを産み育てる家族という図式が既に当たり前のものではなくなってきています。

更に雇用環境の変化により、非正規雇用の増大や能力給の採用などを背景に、子育てにかかる費用を賄うことが難しい世帯が増加しております。

更に、都市部を中心に地域コミュニティーの機能が衰退する中で、地域で助け合う仕組みが機能しにくくなっている。

こうした状況を踏まえて、厚生労働省の方では資料の4ページにありますように、セーフティーネットとしての社会保障制度と「支え合いの循環」のイメージ図ということで、こういった絵を描いているわけです。

ただ、こうしたコミュニティーや家族による支えの循環づくりだけではなくて、これが実際に機能するためには、公共部門の役割というのが一層重要になるというふうに考えられると思います。

少子化対策と出生率の関係を見ますと、4ページ目の下に示しましたとおり、現物給付としての保育サービスとの相関が見られるということ、都市化した地域では出生率が低いことなどが幾つかの研究では指摘されております。

この対応として、結婚、出産、子育てによって発生する機会費用の削減及び子育てに必要な直接的な費用負担の軽減の両面からの支援が必要と考えられますが、その組み合わせとしては夜間保育や一時保育などの柔軟な対応を可能とする保育サービスの供給に加えて、多様な働き方を可能とする雇用制度の採用、また、児童手当や租税負担軽減などの対応という両面からの支援が必要になるものと考えられます。

それをどう組み合わせるかということについては、家族、企業、そして地域の状況を見ながら適切に公共部門が対応していくことが必要だと考えられます。

では、こうしたサービスにかかる費用負担を一体だれが担うのかということが課題になるわけですが、これらは直接的な受益者とみなされる家計のみならず、現役の労働者が子育てをしているにもかかわらず、健康で働き続けられるということも、言わば企業の受益であるという意味で、次世代労働力としての児童育成にかかるコストを企業が負担するという考え方も十分成り立つのではないかと考えられます。

子育て支援を例に取り上げましたが、各種の対人社会サービスが充実していることによって、人々が安心して働くことができるわけですし、それに伴う生産性の向上も期待できるのではないでしょうか。

ところが、こうした議論の際に必ず出てくるのが租税競争の考え方で、日本だけが高い水準で法人負担を課した場合、国際競争の中で生き残れないという議論があります。

この考え方自体を即否定するものではありませんが、しかしながら、他方、それは限定的なものであることを確認する必要もあると思います。

5ページ目の6のところで、世界経済フォーラムの国際競争力ランキングを紹介しておりますが、これは各国の包括的な競争力を測定したレポートとして広く知られるものです。

ここでは、競争力というのを、そこに掲げております「制度」「インフラ」「マクロ経済」「保健衛生および初等教育」「高等教育と職業訓練」といったような9つの指標に基づいて評価しています。

これによれば、フィンランド、デンマーク、スウェーデンなど、公共部門の相対的に大きい国が2位から4位を占めております。財政基盤の整った公共部門が教育や研究開発に重点的に投資できる制度インフラを整備することが重要と考えることができます。

ちなみに、アメリカは公的債務の増加を理由に1位から6位に順位を下げておりまして、日本についても公的債務の増大を理由としてポイントを下げ、7位となっております。

アジアではシンガポールが5位ですが、インドや中国などは制度インフラの不安定性から順位を大きく落としております。

このように国際競争力をはかる指標の1つにおいても、財政基盤の整った政府による制度インフラの整備を重視する考え方があるということに留意をしておく必要があります。

6ページには、財務省の資料を掲載させていただいておりますが、日本の国民負担率は、他の先進国と比べて低い水準にあります。

にもかかわらず、多額の公債発行を通じた資金調達が恒常化しており、負担増を通じた債務削減は急務となっております。新たな社会保障の充実が求められている中で、これらの財源をどのように確保するか、大きな課題だと言えます。

その財源として何を想定するかについては、議論のあるところだと思いますが、その中から法人負担を除外する必要は必ずしもないのではないかということを最後に申し上げたいと思います。

7ページ目は、主要国の法人所得課税における実効税率の比較でして、昨年度の税制調査会の資料を基に作成させていただきました。ここから日本における実効税率が相対的に高いとの指摘がなされることがよくあります。

しかしながら、実際には課税ベースの相違や法人の所得に対する課税以外の負担を加味する必要があります。

それに対して、8ページ目のグラフは、主要国の法人負担に関する国際比較を法人所得のみならず、地方の事業課税、不動産課税、社会保険料事業主負担まで考慮に入れて示したものです。また、その水準は対GDP比で示しております。

幾つかの前提を置いていることから、この数値をそのまま評価することについては留意が必要ではありますが、それでも一定の傾向を読み取ることができます。

まず、日本の企業負担は、他の主要国に比べて決して重いとは言えないということです。ドイツなどにおける社会保険料事業主負担の料率引き下げと付加価値税引き上げの議論の背景には、そもそもの保険料負担がドイツの場合には高いというようなことがあります。よって、日本とは事情が異なることに留意をしておく必要があると思います。

また、企業の負担水準が低いと言われるアメリカですが、この場合には民間医療保険制度が政府の強い規制の下で運営されており、これらの負担を入れると、実は日本よりも負担が重いと見ることも可能となります。

最後に9ページになりますが、以上、これまで見てきましたとおり、増大する社会保障関係の支出を賄う財源の確保は急務となっております。

また、家族の変容に伴いまして、従来家族が担ってきた機能について公共部門が代替する必要性が生じております。地域や職域で、仮にその役割を担うことが難しいとすれば、公共部門がその役割を担うということが生活の安心・安全のために求められるということになります。

こうした各種の福祉政策の充実によって、安心して働いて生活できる環境を整備することが持続的な成長を果たす上で必要であるということだとすれば、その受益は、家計と企業がともに享受するものと言えると思います。

こうした福祉政策については、社会がもつ制度的要件というのを前提としながら、公共部門が現金給付と現物給付を組み合わせた対応をすることが必要になります。その財源をできる限り借入れに頼らない方法で調達するということが求められると言えます。税負担、社会保険料負担、利用者負担の在り方について、こうした視点から検討することが求められると考えられます。

その際に、よく日本の企業の負担は諸外国に比べて重いので、負担を引き下げるべきだとの議論がありますが、市場経済化の進展に対応する効率的な社会システムを構築していくためには、新しいタイプの福祉サービスを充実する必要があり、その結果、公共部門の負担が増大したとしても、それは必ずしも国際競争力をそぐものとは言えず、むしろ北欧諸国の事例に見られるように、それを強化するものというふうに評価することも可能です。

こうした中で、その財源について考える際に、日本の企業負担は諸外国と比べて必ずしも高いとは言えないことに留意する必要があるということを述べさせていただきました。

以上をもちまして、私の報告とさせていただきます。ありがとうございました。

田近部会長

どうもありがとうございました。では続けて、小西さん、お願いします。

小西専門委員

関西学院の小西でございます。私の方は「地方税改革の課題」というテーマで、若干論点整理のようなことをさせていただきたいと思います。

資料の2ページでございますが、地方税原則について簡単に説明します。

地方自治体は中央政府と違いまして、入退出、自由度の高いオープンシステムだというところは、一つ留意しておかなければいけないところだと思います。

2つ目のポツに、(1)~(6)まで、これもよく言われている地方税の原則を挙げているわけですが、3つ目のポツにありますように、地方税原則に最もかなう税目は何ですかという議論をしても、実はいろんな税目の中で、いろんな原則が、原則と税目が1対1対応ではなくても、雑駁に言うと、この税は何なんだというと、よくわからない税が結構たくさんあるというのが現実で、ですから、地方税原則にかなう税が均等割であったり、固定資産税であったりという議論はあるんですけれども、だからといって、地方税をそういうものだけにするというのは、余り現実的な議論ではないというふうに割り切った方がいいと思います。

特定の税目から出てくる税収というのは限られていますし、それに対して地方財政の歳出規模というのが対応しているわけでもありませんので、租税原則というのは、なるべくその方向に沿う以上の議論は余りできないんではないかなという感じがしています。

ですから、4つ目のポツにありますように、地方消費税とか法人関係税などを入れてきたというのは、歴史的な経緯からして、それはそれとして尊重せざるを得ないんではないかと思います。

下のところに、ブルーのところで、利益説の話と応益課税と応能課税の関係を図示しているんですが、地方税の原則といったときに、負担の根拠なのか、負担配分の根拠なのかという議論もありますので、こういうところに入っていくと、ほとんど租税原則で余り議論しても仕方がないという印象をしています。

3ページです。

国の財政と地方の財政の違いは、2つ目のポツにあるように、国の方が法令によって地方に事務配分を行っていて、それにふさわしい財源を付与するという形を取っているところだろうと思います。これは4枚目、5枚目の図に図示していますけれども、そういうことではないかと思います。

それを地方財政計画という形で、我が国の場合は制度的に担保していて、地方財政の財政収支の均衡というのは、マクロの地方財政計画ベースの話と、ミクロの個別団体の話がそれぞれ全然違う問題としてあって、地方財政計画における収支均衡の原則と、個別団体における収支均衡の原則というのは、全然違う感覚が要るんではないかと思います。

地方財政の赤字というふうに言うときには、どの税で地方財政の赤字を考えていくかというときに、マクロなのかミクロなのか、マクロの場合は、基本的に法定率ですが、一番最後のところの四角に書いていますように、地方財政計画の歳出規模の決定に地方が関われるということならば、その場合は地方税の標準税率も調整項目になり得るというふうに思います。

後の資料はもうずっと同じですので、ちょっと飛ばしまして、9ページにまいります。

地方財政における、いわゆる財政力格差をどうとらえるか、今、一番ここが中心かなと思うところなんですけれども、一番上のポツですが、一人当たりの自主財源とか、そういうところで比較するというような考え方もあるのはあるんですけれども、先ほど申しましたように、まず、事務配分が決まっていて、それに対して一定の財政需要が実需として発生しているということを前提にしますと、実需があるというふうに想定されているとでも言いますか、基準財政需要額ですね。その基準財政需要額というものに対して自主財源なり財源の総額がどれぐらい担保されているかというところが格差のとらえ方ではないかと思うわけです。

勿論、基準財政需要額が実需として、きちんと捕捉できているかというような議論はあるんですけれども、これは万人が納得できるわけではないけれども、つまりフィクションではあるけれども虚偽ではないぐらいのつかまえ方ではないかなと思います。

一応、そうであるとみなしますと、結局、自治体間の格差というのは、基準財政需要額の方が収入額を上回っている不交付団体と、収入額の方が上回っている交付団体、要するに不交付団体と交付団体の間の格差の問題がまずあって、それから基準財政収入外の一般財源である、いわゆる留保財源の大きさに表現される交付団体間での格差と、この2つの問題に整理できるんだろうと思います。

交付団体と不交付団体に格差があるというのは、これは当然のことなんですけれども、交付団体間の格差というのが、留保財源の部分なんですが、ここのところは、意外に深刻かなという気がしているのが、12枚目、13枚目辺りの図で表現しようとしていることなんですけれども、12枚目に、どうも最近小規模団体ほど財政逼迫しているという実感がありまして、実感というのは、団体の声を聞く限りそういう実感がありまして、それはどこから来ているのか。こうじゃないかと思ってそれを示そうとしたのが12ページ目と13ページ目なんですけれども、要するに留保財源に対する財政需要というのがあって、留保財源に対する財政需要のバランスがあらゆる団体で同じだったら、実は交付団体間の格差はないんです。交付団体間の格差は留保財源にあるけれども、留保財源に対応する財政需要の大きさが、みんな同じバランスだったら、結局差がないということになりますでしょう。

留保財源に対応する財政需要の代表的なものが、基準財政需要額に算入されない元利償還金なんだという置き方は、必ずしも制度理解としては正しくはないんですけれども、極めて実感に近いところがあって、一度そういう分析をしてみたというわけです。基準財政需要額に算入されない元利償還金と留保財源との比較分析をしてみたら、それが12ページ目、13ページの結果なんですが、簡単にいうと、小規模団体の方は、留保財源をはるかに上回る基準財政需要額に算入されない元利償還金があるということが大体読み取れる。ですから、基準財政需要額を圧縮して交付税を減らしていくと、そもそもはみ出している団体は行革の切りしろがないという状態になって、どうも最近、小規模団体における格差というのが、こういうところに表われているんではないかと思うということです。

14枚目に、今度は税収格差問題というところに入りますが、税収格差問題は、基本的に地方財政計画の圧縮が平成13年、14年から進んでいますが、税だけが伸びて総額が圧縮してきたというところが非常に大きくて、それが水準超経費なり、留保財源の増大を通じた格差につながっているというふうに読めるわけです。

15枚目に、今、いろんなことが議論されていることで、こういう議論がありますという意味で整理したものが15枚目の図なんですけれども、いわゆる税収の偏在性に対して、三位一体改革をやっているときから、あるいはもっとその前からですけれども、偏在性の高い税源と、そうではない税源とを国税と地方税の間で交換するという税源交換論というのを展開してきているわけです。

それに対して、ここ3~4年でしょうか。財政制度等審議会は、いわゆる狭義の水平調整というのを主張する構図になっているわけです。それをまともに議論し出すと、ものすごいことになるんだろうなと思いながら、問題を提起しているわけですが、そこが言わばどんと2つぶつかっている。

それと、更に、いわゆる東京都における財源超過額の増加という形で顕在化している税収格差の問題というのが出てきているわけです。

東京都の数字を少し分析してみたのが、16枚目の図なんですが、いわゆる財源超過額のうちの、東京都の割合というのが非常に増えてきているということになるわけです。これだけ見たら、非常に東京都が悪いという絵にもなるんですけれども、東京都にすれば、それは基準財政需要額が圧縮されているからであって、ほかが基準財政需要額の圧縮を受けて、ほかが沈んでいるだけであって、我々は決して贅沢しているわけではないという実感があるだろうなと、この図を見ながら思うところであります。

それは、東京都としては特別区分なのか、東京都分(除く特別区分)なのかというところもいろいろあるでしょうし、16枚目の右下の図にありますように、東京都だけが目立っているということなんです。いわゆる不交付団体に税収がたくさん行っている傾向というのは、実はバブル期の方が著しいんです。今の倍ぐらいです。ですから、不交付団体全体のプレゼンスは、バブル期の方がはるかに大きいんだけれども、現在は、東京都だけが不交付団体の中で東京都のウェートが高くなっているというような図式になっていて、東京都にしたら悪者扱いされるのは、ごめんだというふうに言われるだろうなと思いながら、この図を書いてみたということです。

ですから、格差問題というのも余り冷静さを欠く議論をしない方がいいかもしれないと思っているわけでございます。

17枚目に行きますと、ほとんど、今、申し上げたことと同じですけれども、黄色の図の右側のポツのところですが、法人課税の単なる減税論、こういうのは余り生産的ではなくて、基本的には税源交換論を軸に検討すべきだと思いますが、やはり傾向としては東京都がだんだん目立つことになって、それは程度の問題ですので、今の時点ではいいじゃないかというふうにも言えると思うんですけれども、このまま景気が続けば、どうもますます目立つということになると、一部譲与税化というのもあり得るかなという感じがしています。これは、程度の問題をどこかで判断するということだろうと思います。

18枚目に、全然違う問題として、私は途中で帰りますが、是非この後の企画会合なんかでも取り上げていただければと思うのは、税はやはり徴収の問題を、地味ですけれども、拾っていただきたいところがあって、地方税であっても徴収の問題は国税との協力というところでいろいろあって、下のポツの方へ行けば、行くほど非常に具体的なものとして書いているんですが、余りここでは、こういうことは議論になりませんけれども、税の徴収、特に国税との協力というようなことも、是非話題にしていただければという提案です。

最後、19枚目にざっともう一度申し上げたかったことを申しますが、3つ目のポツです。地方財政はマクロとミクロの二重構造になっていて、ですから、地方財政における収支均衡と税というのは、それは法定率なのか標準税率なのか超過課税なのかというのは、非常にきちんと分けて議論しなければいけないということだと思います。

それから、格差は、やはりいろんな形であるというふうに実感すべきで、格差はないという言い方はまずいんではないかと思います。

税収格差問題は、現象としては東京問題なんですけれども、それをどう理解するかというのは、少し冷静な議論が必要だということであって、緩和問題は基本的には税源交換ではないかというふうに思いますが、あるいは東京DC構想のような行政任務の変更であるとか、譲与税化というようなこともその次の選択としてはないわけではない等々であります。

以上です。

田近部会長

どうもありがとうございました。では、続けて佐藤さん、お願いします。

佐藤専門委員

では、よろしくお願いします。前の2人が時間どおり終わったので、私も時間どおり終わせなければいけないというプレッシャーを感じながらなんですが、私の方は、ちょっと張り切り過ぎて、本当の資料の方が分量が非常に多くなりましたので、今日の御報告は、簡略版の方、皆さんのお手元にある少し大きめのプリントですけれども、簡略版の方をベースにしながらお話しさせていただきたいと思います。

一部小西先生の報告ともダブりますけれども、違う観点から説明させていただければと思います。

スライドの2枚目を見ていただきたいんですが、まずは問題提起としまして、たびたび税調でも議論されていますし、小西先生からも御指摘がありましたように、まず、地方税の現状として大きく挙げられるのが、第一に法人二税に対する依存、ここでいう法人二税というのは、法人住民税と法人事業税ですが、これが税収の不安定さ、それから税源の偏在の一因になっている。

具体的にどんなふうに偏在しているか、あるいはどんなふうに不安定性を持っているかということは、フルペーパーの方をちょっと御参照ください。

もう一つ、本来、税源の偏在という財政力格差というのは、交付税で是正するのが交付税の財政調整機能なんですが、この財政調整機能がうまく機能しないというのは、交付団体と不交付団体の間の平準化というところだと思います。

それから、税金だけ見て、よく一人当たりの税収を見て格差、格差というんですが、ちょっと気をつけなければいけないのは、これはいろんなところでも指摘されていますけれども、交付税の後を考えれば、一人当たりの一般財源というところで考えてみると、実は地方圏と都市圏の財政力というのは逆転傾向がある。特にこれは都道府県レベルで非常に顕著であるということが知られております。

勿論、そんなことを言うと、交付税というのは、財源保障機能を果たす問題は財政調整だけではないんだという議論が当然出てくるんですけれども、ただ、やはり地方税も交付税もともに一般財源ですから、地方税の格差をはかるときは一人当たりの税収で見て、交付税のときはそうしないというのは、何かロジカルにコンシステントがないんではないかという気がしています。

これらの点については、地方税の問題というよりは交付税の役割のお話になってくるとは思います。

あと、最近、やはり地方税の観点から課税自主権の行使が重要であるとか、応益原則が大事であるということは言われているんですが、それはそのとおりなんですけれども、どちらかというと、これが法人課税に偏った形で行われている。例えば外形標準化のときもそうですけれども、どちらかというと、そちらの方に偏っていて、最近だからこそ個人住民税の均等割なんかでも超過課税を行う自治体がありますけれども、余り個人住民税というのは活用が不徹底という傾向があるだろうと思います。

何やかんやで三位一体改革が行われまして、今、更にポスト三位一体改革としていろんな議論をなされているんですが、それをまとめているのが3ページ目であります。

ちょっとシニカルにまとめてみたんですけれども、第一は、地方共有税構想というのが挙げられておりますけれども、考え方によっては、交付税というものを、さもなければ特例減額とかが行われかねないので、総枠確保をねらうものというふうにもとらえられることができます。

もう一つ、小西先生からも御指摘がありましたように、法人二税の問題がありまして、1つの考え方としては、水平的財政調整機能を入れたらどうという話がありますけれども、これは逆に考えれば、国と地方の対立構造、都市圏対地方圏への対立構造です。それへのすり替えになってしまっているんではないかという議論も出てきます。

あと、税源移譲の話というのは、非常に面白くて、税源移譲を行いましょう、5対5とか4対6を目指しましょうという議論があるんですが、ただ、交付税が、もし地方固有の財源であるならば、既にこの段階で4対6でありまして、交付税をどう見るかというのが、実は非常に、言い方は悪いんですけれども、交付税総額を確保するという議論をするときには、地方の固有の財源、地方交付税のあらましというガイドブックでは、国が地方に変わって徴収する地方税とまで書いてありますが、ただ、税源移譲を求めるときには、なぜか国からの財政移転というところにとどまっているようです。そんな感じです。

では、我々経済学者は、地方税の問題をどういうふうにしてとらえるのかというところで、4ページ目なんですが、これは勿論地方分権あるいは地方税というのは、さまざまなアプローチがありまして、勿論法律サイドからのアプローチもあり、行政サイドからのアプローチもあり、勿論最終的には政治力学に依存する、それはわかっているんですが、経済学的にはどういうふうに見たらいいのかということです。

まず、そもそも論として地方税の問題を考えさせていただきたいと思います。ここでキーワードになってくるのは、経済学者は言葉を非常に特殊な使い方をするので申し訳ないんですが、限界的財政責任という言葉か出てくるんです。限界的というのは、これ以上できないという意味の限界ではありませんで、地方が自分自身が裁量を持つ、つまり自分自身の独自の支出に対しては、自らの負担でその水準を決めるべきであるという考え方です。

裏を返すと、例えば国が関与して、国が支出をやれといっている、そういう仕事に関しては財源保障の責任は、むしろ国にあるわけで、いわゆる地方単独事業のような、あるいは地方に裁量権のある、支出水準や配分に関して裁量権のあるものについては、地方が自らの負担で、その水準というか、その財政責任を持つべきであるという議論があるわけです。

このことが、よく税調の議論でもあって、前に報告しているものもあったんですが、要するに住民と地方自治体が正面から向き合って、自らの責任と負担で施策を進める姿勢を促進するであろうと言われるわけです。

後でも繰り返しになるかもしれないんですが、地方分権イコール交付税とか国庫補助負担金の縮小とか、税源移譲というふうには必ずしも意味しなくて、要するに地方の財政責任の拡充というのは、つまり地方が自ら裁量を持っている支出に対する財政責任を持つべきであるというふうに理解していただくのが、この限界的財政責任という考え方だと思ってください。

ただ、地方税の問題に関して言うと、我々経済学者は、少しコーシャスでありまして、というのは地方分権の失敗として、地方税に関わる問題を挙げられることが多いわけです。勿論、地方分権が失敗するから地方分権がいけないと言っている意味ではありません。市場は失敗しますが、だから社会主義がいいとはだれも言わないのと同じことです。

地方分権の失敗で、よく典型例で挙げられるのは、勿論地域間格差の問題でありますし、外部性と書いていますが、これは後で説明しますが、租税競争とか租税輸出とか、こういったものがちょっとした不公平さとか、あるいは非効率な資源配分をもたらすんではないか。長い目で見れば、それが経済成長とか、経済の活性化に悪影響を及ぼすのではないかという議論があるわけです。

勿論、地方税というのを拡充するのがいいのか、悪いのかというのは、地方にどんな税源あるいはどんな課税自主権を割り当てるかということに依存するということで、これは先ほど小西先生のところで非常にうまくまとめられておりますので、私は繰り返しませんが、それが望ましい地方税というものの条件であるというふうに言われているわけです。

勿論、具体的に望ましい地方税の条件というものを充足するような地方税というのはなかなかないというのは、現実問題としてそうなんですが、ただ、相対的に満たしている税源というのはあるわけでして、それでしばしば挙げられるのが固定資産税(土地・住宅)と言うべきなんですが、固定資産税であり、あるいは均等割でありということになるわけです。これはまた後で言及させていただきたいと思います。

次に、5ページ目に行きたいですけれども、先ほど沼尾先生の方からも御指摘のあった法人課税の問題なんですが、勿論いろいろと議論があるのはわかっているんですけれども、やはり地方法人課税に関しては、ちょっと注意した方がいいというのが事実だと思います。勿論、建前というか原則論としては応益課税を挙げられることが多いんですが、経済的な帰結が必ずしも当初意図した応益課税になっているとは必ずしも限らないと、多くの場合は違うんではないのという議論があるわけです。

経済的帰結と書いていますが、これは既に土居先生の方で議論されていることの1つでありますが、負担の転嫁の問題であります。

それから、勿論税収の不安定さとか、不公平性とか、不公平というのは地域間格差という意味ですよ。地域間格差という意味での不公平さという問題があるわけです。

あと、我々は地方財政を専門にやっている人間がときどき述べるのは、租税競争と租税輸出という問題です。これは何かというと、地方自治体の課税自主権の行使の帰結なんですけれども、競争は良い競争と悪い競争がありまして、切磋琢磨型の競争は当然良い競争なんですが、企業の分捕り合いみたいなものは、誘致合戦ですね、誘致するのはいいんですが、誘致合戦まで行きますと、これは要するに企業に対して余りにもフェーバーな税をオファーしたり、補助金を出したりし合うことになりますので、最終的には税収の確保が困難になる。あるいは企業に補助金をばらまくことになりますので、ほかの支出が不足するとか、そういう問題があるわけです。租税競争と書きましたが、勿論、補助金を使った競争も実は入ります。

租税輸出というのは、これはよく日本の場合も法人課税、超過課税に偏っているというときに、よく使われるロジックなんですが、要するに、申し訳ないが、住民に超過課税をかけると、非常に次の選挙がまずいということになりますので、どちらかというと、企業の方が税金をかけやすいという、そういう相対的位置関係があるんですが、そういうことから、まかり間違えると、企業に対する負担の押し付けみたいなところが出てしまう。

勿論、これは程度の問題であるということは、繰り返さなければいけないと思います。企業だって公共サービスから受益はしているわけですから、何らかの負担をするべきだと、それはしかりなんですが、ただ、こういう安易な課税に偏る傾向はないとは言えないという問題は指摘されています。私が指摘したわけではなく、多くの学者が指摘しています。私だけが指摘しているわけではないということです。

6ページ目ですけれども、これは地方分権をめぐる議論なんですが、幾つか地方分権に関しては、議論の混乱があるように思います。これは地方税に限ったことではないんですけれども、上の3つだけ指摘させていただきたいんですけれども、そもそも地方分権というのは、分権の手順というのがありまして、本当は地方税をどう拡充するかを議論する前に、地方と国と役割分担というか、支出サイドですね、今日は福祉の話が出てきましたけれども、福祉も含めて、役割分担をまず明記して、その上で地方独自の支出はどの部分なのかということ、それに対する財政責任を充当するように税源を配分するというのが正しいやり方であります。これは、マネー・フォローズ・ファンクションというんですけれども、そういうことです。

ただ、現実は、どちらかというと、レベニュー・ディスセントラリゼーションというんですが、財源の分捕り合いが先に来まして、分捕った財源をどう使うかということを考えがちというのが、これは日本に限らないんですが、途上国の分権化は、この傾向があるということがよく言われております。

くどいように言いますが、分権化はイコール地方に対する一方的な責任とか権限の移譲は意味しない。これは役割分担の明確化というのが本当は前提条件なんだということなんです。

私は、地方税は拡充するべきである、地方の財政責任を強化するべきだというと、必ず出てくる反論は、そんなことを言ったって、国がいろいろと規制して関与して、あるいは国の財源保障の責任はどうなるんだということが当然出てくるわけです。

しかし、だからこそ、最初に国が財源保障をする、あるいは国が関与する範囲というのはどこなのか、その水準は幾らなのかということを、まず明記した上で、残りは地方がちゃんと責任を持ちましょうと、そういう二段階論法でいかないといけないんではないかと、これは一応指摘をしておこうかなと思っております。

あと、税源移譲の話で、税源移譲をするときに、例えば国が補助金とかを使って、いろんな地方の政策誘導を行うとか、うるさいとか、そういうことで税源移譲を求めるという節があるんですが、ただ、それであるならば、私は必ずしも交付税も縮小するべきだと思っていなくて、もし、交付税の欠陥があるなら、交付税の制度改革をするのが筋でありまして、交付税も含めまして、国庫補助負担金の財政移転制度に不備があるからといって、それを理由に税源移譲をするというのは、そうではなくて、本来は、やはり政府間財政移転の制度改革というのも同時に行われるべきだろうと思うわけです。これは、多分一般論としてそのとおりだと思います。

大分時間がなくなってきたので、7ページ目に入りますけれども、地方分権というのは質と量の側面があるということで、一応申し上げておきたいと思います。

量というのは、まさに税源移譲であるとか、支出の拡充とか、そういったいわゆる地方の税収シェアとか支出シェアとか、そういったものではかられるものですから、これは恐らく、意外と日本は十分なのではないかと思うんです。勿論、税源移譲をやるなと言っているわけではないのです。ある程度は十分に行われている部分があって、むしろ足りないのは質的な分権化。これは何かというと、地方の自己決定と、自己責任の方だと思うのです。税制の観点で言えば、課税自主権の確立になってくるのだと思いますし、支出サイドで言うならば、勿論これは国の規制緩和の問題になってくるのだと思います。

勿論、課税自主権と言うけれども、どんな税目に対しても地方が勝手に課税自主権を行使していいというわけではなくて、当然地方が課税自主権を行使するのにふさわしい税源というのがあるわけで、それが先ほど少し述べた、望ましい地方税の条件を満たしているもの。

具体的に言うと、次のページに出てくるんですけれども、均等割もそうでしょうし、所得割もフラット化されているので、相対的には応能制というよりは応益制に近づいていると思いますので、住民税の所得割もそうですし、それから固定資産税なんかもそういうふうに言えるだろうということになります。

応益課税に関してですけれども、先ほど小西先生から非常に詳細な説明があったので、私も余り繰り返しませんが、ただ、応益原則に私が個人的にこだわる理由として、やはり説明責任があると思うんです。

つまり何のために税金を払うのか、なぜあなたは多くの税を負担するのかというときの説明として、やはりそれは公共サービスからの受益があるからだよということになるわけで、ただ、国税だと話がちょっと違うと思うんです。やはり担税力に応じた負担、これは所得再分配、社会連帯という観点もありますので、そういう観点から、やはり応能原則ということで、国税は徴収する、税負担を負うということはあり得るわけですけれども、地方税に関しては、やはり説明責任として応能原則を挙げるというのが普通ではないかと思います。これは、公平感の観点からして、応益課税が地方税の原則になるからだと思います。

8ページ目の方に行きますと、では、地方の基幹税は具体的に何なのかということなんですが、やはり法人企業に税金が偏っているので、もう少し地域住民に対する応益課税を求めるのが筋ではないかということで、具体的に言うと、個人住民税がそうですし、固定資産税がそうである。地方消費税は、ちょっとトリッキーなんですが、ただ、課税自主権がないという意味で、税率をコントロールする権限が地方にないですし、権限を与えてもいいことは余りないので、ただ、安定的で偏在性のない税源を与えているという意味においては、いわゆる基礎的な地方の税源になるだろうというふうに思います。

9ページ目の方に、改革のビジョンなんですが、時間がなくなってきているので少し簡単に行きますけれども、やはり最初にあるのは、国と地方の責任関係の明確化であろうということが言えると思うんです。それを言うと、非常にまどろっこしい議論になるんですけれども、やはり既存の制度、それは税源配分とか交付税の制度も含めて、既存の制度のゆがみとか弊害とかを放置して、新しい政策を追及する。例えば申し訳ないが、ふるさと納税もそうだと思うんですが、対処療法的なアプローチには、いいかげん限界があるでしょうねということなんです。

時間はかかるとしても、やはりちゃんとビジョンを見せる必要はあると思いますので、まずは、こういう筋を通すというか、抜本改革、これは地方税だけではなくて、財政移転も含めた抜本改革が求められるんだろうねということです。

具体的な抜本改革は何かというと、これは10ページ目の方でありまして、改革のオプションで、これは全く何も目新しい改革案ではないんですけれども、やはり筋としては、税源配分の見直し、それは税源交換という形を取るのか、あるいは先ほど出てきた法人課税の譲与税化みたいなことも含むのかという議論はあるんですけれども、税源配分の見直しがそうですし、それから、やはり地方は課税自主権を行使していくことが求められるでしょう。勿論、課税自主権を行使するということになると、非常に住民からの抵抗が多いといいますが、やはりよいサービスを提供していれば、当然高い税金を納めても、多分文句を言わないわけで、文句を言うのは、サービスの質が問題だからだというふうに考えることもできると思います。

あとは、これは一応、コントラパーシブだと思うんですが、財政調整なんですが、もし、税源配分の見直しで格差の是正ができないというのであるならば、やはり東京都を何らかの形で巻き込んだ財政調整、これは水平的財政調整という言い方になるんだと思うんですが、これはもしかしたら検討課題になるのかもしれない。

ただ、税源配分の見直しで、格差の是正ができるのならば、そこまで踏み込むことはないかもしれないですねという議論になってくるんだと思います。

最後の11ページ目ですけれども、今日議論は地方税の問題ですが、地方税だけで、自己完結はできないわけでありまして、やはり交付税の問題、財源保障の範囲の問題、国庫負担金の問題、国の関与の問題、そこも含めて包括的に議論していく必要があるわけで、先ほどから申し上げておりますように、地方税とは一体何なんだというと、それは地方の自己決定権のうち、自己責任を拡充する、充足するためのものであるということを考える。

そういう役割であり、勿論、財源保障とか、格差是正とか、これは政府間財政移転の役割になってくるんだろうなというふうに思うわけです。

済みません、少しオーバーしました。以上です。

田近部会長

どうもありがとうございました。短い時間でお願いしているので、窮屈な報告をさせてしまって申し訳ないと思います。

残された時間で質疑をしたいと思います。いつものとおり、御質問等がある方は手を挙げていただきたいと思います。

では、林さん、土居さん、國枝さん、簡潔にお願いします。

林委員

沼尾さんに、少しお伺いしたいんですが、福祉政策というのは、ニーズに応じて供給されるべきであるという場合に、ニーズというのをどうとらえるかというところに応えがないと、なかなか難しいのではないか。

つまり、ニーズにことごとく応えるべきなのか、あるいは福祉政策の目的が、かなり大きく変わってきていて、少子化対策ということになってくると、公共財的な役割も果たしている。

一方で、救貧対策、防貧対策というような福祉政策もある。ですから、ニーズというものが非常に多様化しているときに、そのニーズに応じて供給されるべきで、そして、それは公的にも負担をすべきだというような話になってくると、例えば多様なニーズに応える負担の在り方というのは、なくてもいいのかという話ですね。その辺り、セーフティーネットとニーズに応えるというのは少し違うような気もするし、セーフティーネットというのは、ある意味で本当のセーフティーネットですから、そことニーズとの関係とか、この辺りに対して応えていかないと、ちょっと負担の在り方というのは、なかなか難しいのではないかという感じがします。

それから、佐藤さんの10ページ目の改革のオプションで、法人事業税の地方消費税化というもの、これをもう少しお伺いしたいのは、地方消費税というのは、消費型の付加価値税ですね。要するに、今の生産語で行けば、小売売上税と同じように、消費ベースで負担をするという形、個人が負担することになりますね。

法人事業税の外形化という議論は、果たしてそれでいいのか。つまり、消費型付加価値税でいいのか、あるいは所得型でなければいけないのかという議論。そして、最終的には負担を、つまり小売の段階で負担をするというような配分になっていいのかどうかということです。

つまり、法人の応益税とするならば、その辺りをどのように考えればいいのかということです。

田近部会長

土居さん、どうぞ。

土居専門委員

コメントを2点だけです。まず、御報告いただきまして、大変私も勉強になりました。その中で、いろいろ議論が出てきたわけですけれども、確かに日本の地方自治体は、ほかに先進国に比べても法人課税依存が大きいということがあるわけですから、そういうところは、できるだけ抑制していくという佐藤委員の意見には非常に私も賛成するところがあります。

それを税源交換で対応するということが、果たして、そこまで積極的に評価できるかどうかというところについては、少し留保があるんではないかと思います。

つまり、基本的には社会保障は国が主立って担っているわけで、その国の社会保障の財源を消費税で求めるというニーズも出てくるはずでありまして、そう簡単に地方にだけ消費税を渡せばいいということで解決するかどうか。

更には、税収格差の問題も、税源交換で解決できるというのは、極端に言えば、ある試算によれば、数千億単位という話がある。その中で、法人事業税の見直しという話で行くと、兆という単位が見えてくるとか、そういう意味では、税収格差の是正という観点からどうなのかというところは、いろいろ議論があるのかなと思います。

最後に、佐藤委員がおっしゃったところで、非常にここは強調してもいいのではないかと思うところは、やはりもっと自治体が自主的に課税自主権を行使するというか、税率を自分で決めるということを積極的にやっていただくということが、これから地方分権時代には必要なんではないかと思います。

以上です。

國枝専門委員

國枝でございます。地方分権と税制の関係なんですけれども、お話しいただいたようなことが方向性かなと思うんですけれども、1点気になりましたのは、どうしても国と地方の財源の関係ですと、ゼロサム・ゲーム的な発想にすぐになりまして、税源移譲とか税源交換という話にすぐなるんですけれども、実態は、国も非常に財政が厳しい状況ということでありますので、これはむしろゼロサム・ゲームではなくて、国と地方の財源のパイを増やすということを考えていかなければいけないんだろうというふうに思います。

特に、最近の報道によりますと、例えば石原都知事が、全国知事会で自治体も消費税の増税を提言すべきだという発言をなさったというふうに聞いておりますけれども、そういう動きが特に地方自治体には期待されるのではないかと思います。

以上です。

田近部会長

いずれも重要なコメント、質問だったと思いますけれども、では、沼尾さん、佐藤さん、また小西さんも加わっていただきたいと思います。

沼尾専門委員

林先生、土居先生、國枝先生、どうもありがとうございました。

最初に、林先生からいただいたニーズというのをどう把握するかというお話だったんですけれども、まず最初に、本日の報告で一番申し上げたかったことは、最近の社会保障給付をめぐる制度設計の在り方というのが、給付と負担の抑制の仕組みというんでしょうか、財政上の制約でキャップをかぶせて、それに合わせる形で給付水準を見直していくという在り方で、果たして望ましいのかどうかというところが問題点の出発点です。

そういう意味でいうと、本来、その結果、サービスが必要で行くべきところに行かないような事例というのが、全国あちこち現場を見ていると起こってきているわけで、そこのところのニーズにどういうふうに応えていくべきかというような問題、関心から、本日の報告をさせていただいたということがあります。

あえて、そこでセーフティーネットという表現を用いなかったのは、セーフティーネットという概念自体が、まず市場で自己責任でやって、そこからこぼれ落ちたところだけを救済するという考え方の概念なのかなというふうにとらえたというところがありまして、そもそも生活していく上で必要な標準的なサービス、これまで家族が担ってきたようなサービスというのは、必ずしもセーフティーネットという概念で説明し切れるものではないものもあるだろうということで、あえてニーズに応えるという表現を使った次第です。

そういう意味で申しますと、先ほど先生がおっしゃられたような、救貧、防貧といったようなものについては、ナショナルなレベルで中央が一定の水準を定めて供給するということが考えられてしかるべきだと思いますし、あるいは各種の対人サービスであれば、まだ家族機能とか、あるいは職域の機能が一定程度回っているような地域と、そうではない地域とあると思いますので、それぞれの事情に応じて給付の在り方というのを考えていくということはあるだろうと思います。それに見合うような負担の在り方というのをどういうふうにするかというような考え方から、サービスの給付の水準というのを考えていくべきではないかということが、私が申し上げたかったことです。

それから、次に先ほど土居先生がおっしゃられた地方の法人課税の話なんですけれども、確かに地方の法人課税の偏在性の問題というのは、解消されなければいけないというところは間違いないと思います。その偏在をどうするかということに関して、交付税制度も含めて見直しをしていく必要があると思いますが、やはり、先ほど佐藤先生も少しおっしゃられていましたけれども、法人がその地域で一定の事業活動を営む上で、地域のサービスを使っているということを考えるのであれば、それに対して一定の負担というのを求めていくという考え方は十分成り立つと思いますし、先ほどグラフでお示ししましたとおり、必ずしも法人の負担というのが、日本だけが重たいということが言えないとすれば、その法人の負担というのを地方に求めていくというのは十分成り立つのではないかと考えております。

以上です。

佐藤専門委員

まず、皆様方のお手持ちの資料で簡略版なんですけれども、7ページ目なんですが、国対地方の税収割合6対4ではなくて、4対6ですね。今、吉川先生から指摘されました。

まず、下から順番で國枝先生からの御指摘なんですけれども、確かに税源交換だけで問題が済むわけではない。さもなければゼロサム・ゲーム、税源移譲は基本的にゼロサム・ゲームですね。

ただ、私自身は、税源交換は別に地方の財政を救うとか、そういう考え方ではなくて、むしろこれはゲームのルールのつくり方として、つまり、地方に安定的で余り偏在性の少ない、偏在性が少ない、安定性があるということは、つまり将来的に見ても、交付税を含めて、財政移転の依存度を低めることができるということも意味しますので、そういう長期的な観点から述べているのであって、別に目の前の財政問題に云々という議論ではないということです。

財政問題に関していうと、まさに國枝先生が御指摘のように、これはやはり国も地方もある意味である程度国民に向かい合って、増税ということを少し言った方がいいんではないのというのは、そのとおりだと思います。

地方消費税についてなんですけれども、少しどこかに書いてあるんですが、今、消費税というのは、国税4%の25%という書き方をしていますね。逆にうちの学生なんかにもよく聞くんですが、地方消費税が1%あるということを知らない学生が結構多いんです。多分、世間の人たちは消費税というものは5%だと思っていると思うんです。でも実際は違いますね。

ですから、もし、地方の増税ということで言うのであれば、例えば国税としての消費税4%、地方税としての地方消費税1%として、例えば地方の消費税1%を3%にする。勿論そのときに合わせて国が増税するということがあってもいいですが、ある程度独立化というのも、住民というか、国民に対する説明責任の上で重要かなというふうに、どこかに書いています。済みません、報告のときに飛ばしてしまったんです。

次に、土居先生の御指摘ですけれども、税源交換だけで偏在はそんなに是正できないんではないのという議論があると思うんですが、それで私もちょっと計算してみたら、外見はやはり法人事業税だと思うんです。都道府県レベルで見ると、結構、格差是正効果があるというのはわかる。特に本気で税源交換の問題というか、格差是正の問題を考えるときには、それは税源交換という手段を取るかどうかは、ちょっと横に置いておいても、法人事業税の問題を抜きには議論できないのかなと思いました。

最後に、林先生の御意見ですが、勿論、御指摘のとおり、法人に対する応益課税というのを重視するのであれば、同じ外形標準課税でも付加価値税割でも所得型の付加価値税であり、そして所得型の付加価値税であり、いわゆる源泉地主義課税ということになってくるんだと思います。

私が、ここで消費税化と言っているのは、明らかに消費型の付加価値税であり、勿論、最終消費地課税というのを前提にしているということになります。

私が法人事業税に地方消費税化の議論をしているところで強調しているのは、むしろ地域間での税源の偏在の是正であり、税収の安定化の方であって、応益性の追及というのではない。応益性の追及であるならば、例えば固定資産税の償却資産の部分がありますし、あるいは法人住民税の均等割であるとか、そちらで充足してみたらという考え方もありますねということです。

とりあえず、それが1つのアイデアかなと思っております。

田近部会長

小西さん、どうぞ。

小西専門委員

私は、直接は國枝先生の御指摘だけだと思いますので、簡単に申し上げます。

私は、税源交換という言葉を使っているところは、国民負担率の引き上げを前提としない限りにおいてという、ただし書きを全部付けて読み替えていただければと思うわけです。

その代わり、國枝先生から御指摘いただいたような点については、地方財政のマクロの財源不足を調整するときの調整要因は法定率であり、かつ条件付きながら地方税の標準税率の見直しがファクターになるというふうに申し上げましたので、そこで申し上げたつもりです。税調ですので、多少、私なりに言葉を選んで申し上げているところがございます。

田近部会長

では、井戸さん、横山さん、吉川さん、続けてお願いします。

井戸特別委員

まず、一番申し上げなければいけないことは、国と地方との財政関係はどうなっているかというところを基本的に押さえていただかないといけないんです。

御承知のように、機関委任事務が自治事務に転換をほとんどしたんですが、その自治事務と称している部分は何なのかというと、実を言うと、ほとんど国が枠組みを定めて、実施主体を市町村にしてみたり、県にしてみたりしているわけです。

そういう事務を執行する経費というのは、ある意味できちんと保障されなければいけない。ですから、これは格差の是正とか、そういう議論とは別の問題として当然に保障されなければいけない。小西先生が事務配分に対して財政がくっついてきているんだ、税源配分がされているんだというふうに理解すべきだとおっしゃっておられたことは、1つの見識だと思います。

併せまして、今、自治事務に代わったんだけれども、きちんとその部分が保障されているんだろうかというのが、言わば我々からすると、非常に問題があるのではないか。地方財政計画を通じて保障されているんだと言われているんだけれども、その地方財政計画の算定が非常に不明瞭で、透明性を欠いている、説明責任が果たされていないというようなことがあるので、我々としては、常に欠乏感にさいなまれているという状況が、まず1つあるということです。

もう一つ、我々は資料をお手元にお配りしていますが、我々が、特に知事会で7月に議論したのは、やはりそういう十分に財源保障がされていない部分というのを、どう自分たちの実勢の中に運営を保障していくようにしていくかということを考えましたときに、税源偏在の問題もあるので、とりあえず、税源配分を1対1にしよう、5対5にしよう。

まずは税源配分を1対1にして、そして税源調整で、偏在度の低いものと高いものとを引っくり返そうという提案をしたわけです。

先ほど、地方財政計画が不透明で、十分に保障されているのかどうか、はっきりしないということがありますので、特にこれは私の主張なんですけれども、現在の交付税の原資部分を地方に回していただいて、地方が共同でそれを徴収する、そういうような仕掛けを講ずれば、地方自身で水平調整をやっていけますので、そういう仕掛けも併せて講ずるべきだと。

今の交付税制度は、常に財源不足額を国が埋めているという、その国が制度を運用して、国が制度をつくっているということになってしまっておりますので、我々の自主性が全く働かない仕掛けになっています。ですから、そこのところをマクロとして直していかなければいけないということがあります。

田近部会長

手短にお願いします。

井戸特別委員

それで、問題点として指摘したいのは、そういう意味では、先ほど言いましたように、十分に事務執行部分の経費が保障されているかということをきちんと見てみなければいけないということと、もう一つは税源の偏在の問題というのが、どうしても付いてまいりますので、偏在度の低いものを地方税源としていくべきだということ。

それから、応益性ということをどうしても離れられませんから、法人課税に依存するのはいかがかという議論もありましたが、法人も地方サービスから応益性を持っているわけで、ですから、今の法人事業税などについては、出自から言いますと、言わば市町村の固定資産税と同じように、物税として加算型の付加価値税として構築しようとしたんですが、大反対で、結果として法人所得を課税ベースにして課税されることになった。

ですから、今、法人税でも必要経費に法人事業税を認めているわけです。

それは、なぜかというと、一種の応益性との関係での物税としての要素を認めているということです。ですから、外形標準化していくことが望ましい。ですから、所得部分を落としていくことが望ましいとは思いますが、だからといって法人課税が地方税にふさわしくないんだということにはならないということを申し上げておく必要があると思います。

横山委員

3人の委員の方に一言ずつ御確認させていただきたいと思います。

まず、沼尾さんの持続的成長というのは、どういうことをお考えになっているのか。そして、福祉政策の充実が沼尾さんが考えられている持続的成長に結び付く論理、ロジックはどういうふうに理解したらいいのかということを教えていただきたい。

小西さんにつきまして、あと佐藤さんについては、事務配分の話と重なってくるわけですけれども、小西さんに伺いたいのは、基準財政需要額の、これは井戸委員もおっしゃられたことと関連しますけれども、基準財政需要額の算定方式と、絶対額そのものについて、小西さん自体がどういうふうに御評価なさっているのかを伺いたい。

佐藤さんについては、限界的財政責任という、これは中井先生の御本で言っているようなことなんですけれども、地方独自の支出をどうとらえるのか。これは、基準財政需要額以上の支出を意味するとすれば、地方独自の支出の基準をだれがどうやって決めるのか、水準超とどういうふうに関連があるのか、ここをお伺いしたいと思います。

以上です。

田近部会長

吉川さん、どうぞ。

吉川委員

私は、小西先生と佐藤先生に主として御質問したいと思いますが、この国・地方の関係、とりわけ地方間の格差の是正、メインは後者かもしれませんが、その場合、国・地方が当然関係してくるということなんですが、私自身は、今から言いますと、1年以上前でしょうか。昨年、2006年の前半に諮問会議でこのことを何回か議論いたしました。

そのとき、私も含めて、当時の、いわゆる民間議員4名、考え方が一致していたのは、現在、御承知のとおり、財政再建ということで歳出・歳入一体改革というのを進めているわけですが、今の言い方でいいまして、第2期というんでしょうか、2011年までに国・地方を合わせたプライマリーバランスを黒字化すると、ここのところで国・地方に分けると、当時プライマリーバランスの現状、それから第2期、いわゆる2011年までのプライマリーバランスの見通される推移、それからそれぞれのデットGDP比、わかりやすく言えば、国の方が厳しいということが出てきて、そのことは当然考えなければいけないなと、歳出・歳入一体改革というのは、とりあえずは国・地方を合わせた、一般政府で考えるんだけれども、しかし、それと併せて、国・地方それぞれの財政再建というのも当然個別の目標になる。

その場合に、繰り返しになりますが、数字を見る限りでは、地方全体、地方の中での偏在なんていうことは、もとより言うまでもないことなんですが、地方全体と国を比べてみると、国の方がはるかに厳しい。それは第3期、つまり2011年を超えて、2010年代の中ごろにかけて、デットGDP比を発散を抑えて緩やかに下げていこうと、そういうようなところにいっても、基本的にはその姿は変わらないだろう。この大きな国・地方の関係を考えるときに、大きなマクロ的な制約になるだろう。こういう問題提起をしていたんですが、この点が、専門家であられる小西先生、佐藤先生、どのようにお考えなのか。

ごく自然には佐藤先生のパワーポイントの資料ですと、10ページに幾つかの改革のオプションというのがあって、水平的財政調整ということで、まずは地方間で、とりわけ東京都の問題が大きいということは、もう既に今日出ていたわけですが、そこのところを抜本的に考えてみるというようなことが、自然なのかなというふうに我々は考えております。

いずれにしても、今、私が申し上げたところを、お二人の先生はどのように考えるのか、お尋ねしたいと思います。私の考えは、今、もう既に申し上げました。

田近部会長

質問ありがとうございました。質問間の関連も勿論あると思いますけれども、それでは、時間は既に少し過ぎてはいるんですけれども、お答えください。あと5分ぐらいで締めたいと思います。

沼尾専門委員

幾つか御質問いただいたんですけれども、時間も限られているので、横山先生からのお尋ねにお答えしたいと思います。

私が考えている持続的な成長というのは、必ずしも経済活動に見られるGDPの安定的な推移とか増大ということだけを意味しているわけではなくて、むしろ一定程度の生産水準というのを確保していくために必要な、例えば国土の保全であるとか、環境の整備であるとか、あるいは今のように子どもが産めない、産まないといったようなことではなくて、安心して子どもが産めるとか、あるいは就労しながら、例えばいつ解雇されるかわからないであるとか、あるいは働けなくなってしまうというような就労状況というものが生じないといったような、人々が安心して生活あるいは生産活動に携われるような環境に裏打ちされた経済的な生産性の確保ということが持続的な成長という意味で重要なのではないかと考えております。

今、申し上げたようなことを達成していくためには、もはやその家族が機能しない、あるいは職場がなかなか経済成長ということだけを前提とした場合には、なかなか対応できないというふうにするのであれば、それは何らかの公的な仕組みというのを担保しなければいけないだろう。

特に、私ども地方財政をやっている関係で地域を回るんですけれども、今、自治体の職員の方がおっしゃっているのは、そういう社会の地域の問題というものを、言わば、基礎自治体である市町村が担わなければならない、代替しなければいけないというところがすごく増えているんだけれども、今、これだけ三位一体等を通じて人件費が削減されている中で、それだけの人員を自治体としても確保できない。かといって、その地域の担い手というものをなかなか育てようと思っても、マンパワーが足りないという中で、それをどういうふうに構築していくかが課題だというふうな話も聞いております。

そのための財源というのをどういうふうに確保していくかということが非常に重要な課題なのではないかということで報告させていただきました。ありがとうございます。

小西専門委員

手短に申し上げます分だけ、誤解があるかもわかりませんけれども、どうぞお許しいただきたいと思いますが、横山先生の御質問ですが、実態としては、地方財政計画が、まず決まって、その総額を配分するのが、基準財政需要額という形ですので、今のように、地方財政計画を圧縮されますと、圧縮された中で無理のないように痛みをフェアに分配するというような感じが基準財政需要額の算定になりますし、留保財源のところも含めて、可能な限り需要で調整しようというようなやり方を取らざるを得ないんです。

それは、そもそもそういう仕組みしか運用上できないというぎりぎりの判断として許されるんではないかと思いますが、それが、また井戸知事がおっしゃった痛みにもつながっているというところがあろうかと思います。

吉川先生がおっしゃった件は、国と地方がディスクリートな存在であるとすれば、そういう議論になるんですが、日本のように、事務配分が諸外国に比べて極めて大きい状態で、本来はディスクリートした分析はできないはずだというふうに思っているところがありますが、これはかなり大きな議論になるんだろうと思います。ただ、所管官庁はディスクリートしていますので、そこはそう簡単にはいかないかもしれないと思います。

今のような現象が起きるのは、赤字地方債を解禁していないからですね。赤字地方債を解禁していないから、プライマリーバランスが黒字になるんですが、そのために給料をどんどん減らして、人を減らして、プライマリーバランスを黒字にするために、大変な状況を迎えているというのが地方であって、プライマリーバランスが黒字であるというのと、財政運営が楽であるということは、全然違うという中で、この問題をどう考えればフェアかというところについては、もう少し時間をいただいて、ゆっくり議論をしたいところです。

佐藤専門委員

御質問ありがとうございました。まずは、横山先生なんですけれども、地方独自の支出とは一体何なんだということなんですが、これは財源保障の範囲というのは何なんだという議論が出てくると思うんです。あるいは国の関与の部分は本当は何なんだということだと思うんです。

これは、井堀先生のグループでも、基準財政需要の中で実際に本当のところ国の関与付けというか、規制している範囲というのは、どれぐらいなのという研究もありますし、私も大阪大学の赤井先生たちと一緒に幾つかケースを調べたことがあるんですけれども、やはりはっきりしないというところがあると思うんです。

ですから、まずは明確にすること、若干の割り切りはあると思うんです。例えば法定受託事務は文句なしで国の財源保障の範囲に入れましょう、自治事務はと言われたときに、そうだという議論は出てくると思うんです。

勿論、今のように学校の先生の配置とか、給料とか、それにいろんな規制とか関与があるというのは、それは手足を縛って海に放り投げるわけにはいきませんから、やはりそこは規制緩和があるということが前提条件だと思うんですけれども、少し現行の基準財政需要の算定を前提に議論していたのでは、多分どん詰まりになると思いますので、そこはもう少し引いて、基準財政需要の在り方そのものから、あるいは財源保障の在り方そのものから議論する必要性があるかなと思います。

吉川先生の議論は、確かに国と地方のプライマリーバランスの問題があるんですが、これは言い方はそれぞれで、やはり国から見れば、地方のプライマリーバランスが黒字というのは、おまえら財政移転をもらい過ぎということになりますし、地方からすると、自分たちが、まさに小西先生が御指摘のように、給料のカットも含めて、やはり自分たちが財政健全化の努力をしたんだという言い方になります。

問題の根幹は財布が2つに分かれていないことだと思うんです。やはり、それは小西先生の言う言葉で言うと、ディスクリートされていない事務配分ということになると思うんですが、それは財源保障がないから、いろんなものが複雑に絡み合いまして、やはり財布を2つに分ける、割り切り方として、1つは財布を2つに分けて、分かれた地方分に関しては、先ほど吉川先生が指摘のように、水平的財政調整を入れるとか、そういうやり方もあるのかなというふうには思います。

やはり、今の国と地方の事務配分とか役割分担を前提にして議論しても、多分議論としてはどん詰まりになっておしまいかなというのは、いつものパターンです。

田近部会長

議論は半ばというか、始まったばかりみたいで、問題をばっとここに広げて、これからどうしようというところで残念ですけれども、一応、次に移らなければならない。この問題は、これから議論していく、今日はその前哨戦を行ったというふうに思っています。

続いて、慶應義塾大学の駒村さんから相続の役割変化と格差の世代間継承について報告をお願いします。

吉川さんの方から一言御紹介いただいて、議事を進めたいと思います。

吉川委員

委員の皆様方、もう御承知のとおり、相続の役割というのは、これは格差、とりわけ世代間の格差に関して大変大きな役割を果たしているわけで、税の議論を進める上でも非常に重要なポイントになると思いますので、この今日はこのテーマについてエキスパートであられる駒村先生に御説明いただくといたしました。よろしくお願いします。

田近部会長

よろしくお願いします。

駒村教授

慶應大学の駒村でございます。

こういう機会をいただきまして、大変ありがとうございます。余り時間もないので、早速始めさせていただきたいと思います。

私自身は、社会保障をずっとやってきておりましたので、この相続は久しぶりに今回整理してみました。

お話しさせていただきたい内容は、2ページ目にありますでしょうか、遺産・相続行動に関する研究です。相続税そのものには、今日は直接触れることはございませんけれども、相続税をどう考えていくかということについては、相続がどういう役割を果たしているのかということを、まず考えていかなければいけないだろうと思います。

そういう意味では、1番目、2番目、相続制度関する、相続の役割に関する問題、また、それがどういうふうに変化してきたのか、特に社会保障との関係をどう見るのか。

4つ目は、相続を通じて世代間での格差の伝播みたいなものが起きるのかどうなのかという、この4点を今日はお話しさせていただきたいと思います。

では、2ページ目に入りたいと思います。

まず、相続をどういうふうに考えていくのかというのは、なぜ相続が発生するのかということに幾つかの考え方があるわけです。相続行動と遺産を残す行動というふうに一概に言っても、配偶者に残すことについては、これは明らかに生活保障だろうとは思いますけれども、子孫に残す場合は、5つぐらいの意思を決定しなければいけない。残すか、残さないか、幾ら残すか、だれに残すか、どのように残すか、いつ残すかということがあろうと思います。

実は、経済学の中では、どういう動機で相続を残していくのかというのは、幾つかの考え方があって、子どもの幸せが自分の幸せだと、子どもがハッピーになってもらいたいという純粋なもの、あるいは偶然使い切るつもりだったのが、思わず予定外に早く死んでしまったと、財産になってしまったという話ですね。

あとは、自分の子どもは自分の言うとおりに、特に今で言うと、ケアを交換にやってもらいたいと。その条件として遺産をあげますよという話。

あるいは、自分の家業とか、自分のファミリーにずっと相続をさせたい。子どもに自分がつくった財産をずっと管理してもらいたいというような考え方。あるいは贈与そのものが、自分の目的になっているというタイプといろいろあると思います。

そのどれかによって、実は親の財産が増えたときの遺産の増え方とか、子どもの所得が増えたときの遺産の増え方とか、これも変わってきてしまいますし、あるいは税金をかけた場合に、親や子どもがどう反応するかというのも変わってきてしまうわけですね。

当然、どのぐらい遺産を残すかということは、当然3ページ目に入りますけれども、だれに配分するのか。特に複数の子どもがいるときに、だれに配分するのか。

それで、均分相続あるいは均等相続、みんなに等しくあげますよ。あるいは再分配的に最も困った子にあげたいんだ。または自分が最もちゃんとしてあげなかった子にあげたい。これはシンデレラ型。要するに3番目のお嬢さんが一番不幸だったら、そこに補ってあげるようにあげましょうと。あるいは、さっきも1回お話ししたように、扶養や介護や親に対する関心を、これと交換で購入するというもの。

あるいは長子相続というもので、長男に代々受け継がせたいんだというようなもの、あるいはどのような形で残すのか、財産の形態も選択であろうと思いますし、あるいは贈与をどういう形で行うのかということも、1つの選択だろうと思います。いずれの考え方も、どれが決定的に日本の相続行動を説明できるのかというのは、なかなか研究を見てもはっきりしない。世界的に見ても、これで全部説明できますよというほどきれいにわかっているわけではなくて、動機も移りやすいようであるわけですね。

次のページには、これは私が97年に中高年の生活状況と社会保障機能に関する調査というのをやって、1,800人ほどに、これは東京と大分と長野に対して聞いた調査です。平均年齢60歳ぐらいの方が回答してくれたわけです。縦のマトリックスは、どういうふうに分けますか。横のマトリックスは、残すつもりがありますか、どうですかと。要するに残す動機と残す配分方法を聞いたものです。もっと新しいものがあるかもしれませんけれども、私が手元で持ってクロスできたのは、これであります。

これを簡単に見ますと、ライフサイクル1というのは、余ったら残すという積極的に残すつもりではないけれども、使い残したら残しましょうと。

ライフサイクルの2というのは、もう残したくはないんだというふうに答えた人、利他的な動機というのは、子どもを幸せにさせたいんだと、戦略的には交換だと、事業継承というのは、何か経営をやっている方だということだと思います。

分配方法は、やはり予想どおりというか、ライフサイクルのような方は、均等分配でいいんではないかと答えている方が一番多い。全体的な回答も、これは縦に足すと100になるようになっているわけで、最後の縁だけは右に足すと100になるようになっていますけれども、動機としては、やはり子どもに残したいという利他的動機が34%と、あと余ったら残しましょうという消極的な動機が52%ぐらい要る。

分割方法としては、やはり均等が一番右で、分割構成比というのが分割方式ですけれども、均等に分けたいというのが42%ぐらい。面倒を見てくれた子に多くあげたいねというのが20.78%という具合に、こんなような相続行動をやっているようだということです。

次のページは、ところで、あなた幾らぐらい残したいですかというのを聞いたものであります。

不動産資産を見ると、ライフサイクル1、ライフサイクル2、それから戦略的動機辺りが、ちょっと予定以上に、不動産資産みたいなものを残したい以上に残してしまうと、不本意に、本当はもっと自分が使いたいのに、不動産資産が余ってしまいそうな感じがあるかなという感じで見ております。

こういう状況であるわけですけれども、まず、相続制度というのをどういうふうに見ていくか、また、その役割がどう変わってきたのかと見てみますと、農業社会においては、土地や農地というものが生産組織であったわけでして、長子がそれを相続していかないと、家業が左右される。これについても幾つか研究があるわけなんですけれども、金融市場でいろいろな調達方法ができない。あるいは分割できないようなときには、長子に残すというのが、1つの戦略的な方法だったのかというふうに思うわけですけれども、その後、工業化社会の中では、福祉国家が本格的に始まる前については、勝手気ままに子どもに自由相続をさせてしまうと、今度は未成年の子どもを残して死んでしまった場合、その子どもはどうしようもなくなってしまうんだということで、自由相続に一定の制限を付けようという考え方がどうも出てきたようです。これが、子どもの扶養に着目した相続ということになってきたと思います。

ただ、福祉国家が充実して、長寿社会になってきますと、そもそも未成年の子どもに対しては、遺族年金とか、あるいは妻に対しても同様に遺族年金というものが出てきて、そこについては、リスクがなくなってくるということ。

それから、そもそも子どもの相続時の年齢が極めて高くなってしまって、未成年のために保障するというような相続の根拠づけというのは、だんだん弱くなってきたのではないかということで、相続の性格も変わってきたのではないかと思うわけです。

こういう相続制度をどう評価するのかというのは、いろいろな考え方があるようですけれども、4枚目に、これは研究者間の考え方なので、本当に簡単に御紹介するだけですけれども、相続税を重くするとかいうと、すぐ社会主義だ、共産主義だという話になるわけですけれども、相続に対しては、別にこれを制限したからといって、それで市場メカニズムを否定するわけではないわけでして、リバタリアンの中でも、別に相続というのは、本質的に所有権を構成するものではないんではないかなんていう意見もあります。

また、特に相続で遺言なんかを無制限に、死んだ人間の希望を無制限に認めてしまえば、どんどんそのときの社会と合わないお金の使い方や、使途が制限されていくので望ましくないんではないかという見方。

一方では、3番、4番、5番のように、相続というものは、やはりきちんと根拠があるんではないか。死亡した者が、その財産をどう扱うかというルールや先祖が子どもを繁栄させる権利や、子どもが財産を取得する権利、例えば中小企業の場合は、財産を増やすのに、子どもも協力したじゃないか、こういう権利もあるんではないか。寄与についても保障すべきではないか。こういう考え方もあろうと思います。

次の9ページですけれども、日本の相続制度、これを振り返ってみると、やはり家族制度と1セットになって、家督を譲り受けるところ、それは長子に譲るけれども、それと引き替えに子どもが親の面倒を見るんだと、これは旧民法の考え方であって、ある意味、強制された交換関係というものがあったんだろうと思います。

ただ、新法以降は、均等相続と、あと遺言があれば、遺言優先ですけれども、均等相続というものが、かなり比重を持ってきた。

しかし、1980年には、そういった中で、遺留分、これは年少や障害者に対する配慮とか、あるいは遺留分の引き上げ、あるいは寄与分の導入、要するに財産形成に貢献したような場合については、一定の評価をしましょうというようなことも改正としては行われているわけです。

この辺の遺留分とかについては、別添で、暮らしと仕事の経済学という極めて簡単な解説の中の、246 ページに、遺留分あるいは寄与分、こういったものがどういう仕組みになっているかは簡単に整理をしてあります。

次のページに行きますと、マトリックスで今の流れを整理しているわけです。

更に次のページに行きたいと思います。そういうふうに見ていくと、どうも相続に関する考え方も大きく変わってきているのではないか。特に、ちょっとページが飛びますけれども、14ページを見ていただきたいと思います。

これは、内閣府の調査でありますけれども、この5年間であっても、年齢別の子どもに財産を残したいという意欲はかなり低下してきて、自分自身で使ってもいいんではないかという意欲も高まっている。あるいは交換的動機もあるんではないかと思います。

ただ、余り過大に遺留分を保障していくと、子どもに対して子どもの交渉力が高まってしまって、わがままな子どもにも渡さなければいけなくなってしまいますので、そういう意味では、親がちゃんと使いたい。あるいは自分のケアをさせたいということであれば、遺留分というものをもっと引き下げていくということも考えなければいけないんだろうかと思います。あるいは親がちゃんと使いたいんだと、しかし、不動産資産が非常に使いづらい部分がある、流動化しにくいんだと、11ページには、純粋なライフサイクルモデル、つまり自分が使い切りたいんだという中で、寿命とか精神的な死亡、つまり認知症等に対するリスク、これをどうやってヘッジするかということで、リバースモーゲージとか、最近は信託で民事信託みたいなものが選択肢としては増えてきている。

ただ、リバースモーゲージ自身としては、まだ日本ではそれほど充実したものではなくて、金利や不動産価格や長期寿命リスク、特に夫婦連生リスクについて、どうヘッジするのか。あるいは、あたかも生きている間にちゃんと年金を渡すから、それと引き替えに、この家を売却してそれを得る権利を信託会社との間に交換したとしても、事後的に子どもが遺留分の減殺を求めてしまえば、そういうリスクも現実にはあって、なかなか商品化しづらいという問題もあるようです。

中央三井信託銀行が何かやっているようですけれども、これも非常に制限されたものでして、マンションとかはだめですし、評価価格は土地代のみですし、あるいは首都圏周辺しかできないということ。あるいは終身にするためには、別途80歳以降は終身保険を別途買ってくれというように、いろいろ商品はあるようですけれども、まだまだ不十分だろうということでございます。

12ページの方に行きますと、相続の自由を高める方法というのは、最近信託法の改正があって、いろいろな相続のやり方が、選択肢としては出てきているようです。信託型リバースモーゲージというものや、負担付贈与、つまり自分の奥さんを必ず扶養しなさいよというような条件を付ける。あるいは次まで受給者を指定しながら財産の管理を任せる。

ただ、これも信託法91条で30年ルールというのがあって、無限に長く、未来永劫自分の言うことを聞けということは、どうもできないようになっているようでございます。

社会保障制度における資産の役割としては、ちょっと相続の仕組みについてはこれで終わります。

次に、社会保障制度においても、リバースモーゲージに近いようなことも幾つかやっているようであります。そもそも社会保障制度において、保険料の設定においては資産の評価というのは極めて限定的でありますけれども、最近は長期生活支援貸付制度、一種の公的なリバースモーゲージあるいは要保護世帯向けの長期生活資金貸付制度といったものもある。あるいはアメリカでもメディケアを使った人間については、死後資産が余っていれば、それを売却して費用を償還してもらうということもあるようであります。

こういうのが相続をめぐる幾つかの議論だろうと思います。

次に、こういう相続の話とはまた別に、福祉国家として、親の扶養を社会的に行っているんだということをどう評価していくかというのも一個の切り口かと思います。

実際問題として、公的な世代間移転を大量に若い世代が高齢者に対して出しているというのは、客観的な事実だろうと思いますので、それを相続に課税をして、一定額、財源として負担として調整していく。あるいは使い残した分については、若干の返上みたいなものを社会的に求めていく。私的扶養関係から社会的扶養関係に変わる中で、相続の役割というのも変わってきたのではないかと思うわけです。

相続税の効果については、先ほど少しお話ししましたので、どういうモデルを想定するかによって、その反応というのは違うわけです。

ただ、難しいのは、事業や家業をやっている場合について、相続の負担が、相続税だけではないんですけれども、遺留分とか寄与分の評価みたいなものも、実は非常に障害になっていたり、あるいは子どもにとって魅力がないとか、そういったものも実は障害になっているわけですけれども、こういう事業継承において、特別な配慮を公共政策上行うのかどうなのかというのは、これは事業継承が難しいのは、いろいろな仕組みを金融市場でつくっていけばいい話ですので、必ずしも1対1の、必ず事業継承をスムーズにするために、相続税に特別の配慮が必要なのかということは、必ずしも言えないのかとは思いますけれども、産業政策上、何らかの特段の配慮が必要なのかもしれません。そこは、また別の切り口だろうと思います。

最後に、こういった相続の問題は、当然世代間で、これは格差の継承につながっていくわけですけれども、実物資産を通じたり、あるいは人的資産を通じたり、あるいは育った環境を通じたり、さまざまな経路で、実は格差というのは継承されていくわけで、何も相続だけではないんです。

例えばS・P・アンデルセンが最近書いた論文を見ますと、情報リテラシー、いろいろなものを分析する能力、これをスコア化するとして研究したものを見ると、アメリカなんかはお金持ちや学歴の高い家の子どもは、やはり情報リテラシーの高いスコアが出ているというような研究、あるいはスウェーデンは、そういうのが切断されているというようなことも言われているようです。

所得を通じた有利な条件が子どもに与えられて、子どもの所得も有利になっていくのかどうなのかというのが、18ページから19ページに書いてあって、表3というものは、親の所得が高ければ、子どもの所得は、どのぐらいそれが反映されるのかというスコアでありまして、これが大きければ大きいほど、親が所得が大きければ、子どもの所得が大きくなりますよと、これもいろいろ分析があるわけですけれども、アメリカやイギリスは、割と強い関係が確認できるということです。

あるいは、実物資産を通じた世代間の実物あるいは金融資産を通じて、格差が世代を通じていくのかどうなのかという点については、20ページに表をつくってみましたけれども、参考資料としては、ストックのジニ係数については、高山・有田先生の幾つかの研究を右の欄に紹介してあります。ストックの方が当然所得よりもジニ係数、つまり富の集中度が高いわけですけれども、本データというのは、先ほど私が紹介した遺産動機に関するクロス集計でありますけれども、それを見ていくと、少しずつ数字は違うんですけれども、残した遺産金額のジニ係数を問うと、かなり高く出てくるわけですから、可能性としては、実物資産や金融資産を通じて、世代間の所得の集中が一部次の世代まで持ち越される可能性もあるなと思います。

21ページの最後に、しかしながら、いろいろな世代間の格差の継承というのは、いろいろな方法がありますので、完全にこれを止めるものはないわけでありますけれども、1つの方法としては相続税といったものも1つの方法であろうと思いますし、あるいは不利な環境にいる人間に対して、教育や就学前教育、こういった教育論といったものを充実していくということも、下を引き上げるという方法としては、機会の均等を保障するという意味では、1つの対応ではないかと思います。

済みません、長くなりました。

田近部会長

どうも駒村先生、ありがとうございました。非常に相続の役割、そしてそれが変化してきているという状況を包括的に説明いただいたと思います。

御意見、質問等がおありの方は挙手願います。

では、上村さん、國枝さん、お願いします。

上村専門委員

非常に明解な報告をありがとうございました。

先生も少し触れられておられましたけれども、今後、社会保障財源が非常に逼迫する中で、どういうふうに財源を構築していくか非常に大事な点になるかと思いますが、そのときに相続税というものを社会保障の財源、例えば年金財源として使うということをどのように考えていけばいいのかということについてお聞きしたいと思います。

以上です。

國枝専門委員

時間がなかったので、御説明は余りされなかったところです。事業承継のところで、承継した方がその企業のパフォーマンスがどうなのかというところですけれども、私の知っている範囲でも、海外の研究、アメリカ、カナダ等々ございますけれども、やはり事業承継をした企業については、パフォーマンスが悪いことがよく知られております。

日本の実証研究は必ずしも知らないんですけれども、少なくとも、最近買収ファンドの中で言われているのは、同族経営の会社は、経営に問題があるケースが多いということで、非常にねらい目であるというふうに指摘されているということは、今度は日経の新聞の記事でしたけれども、出ておりました以上でございます。

田近部会長

では、ひとまず2つの質問についてお願いします。

駒村教授

上村先生の御質問でありますけれども、私が先ほど申し上げたように、確かに私的扶養の仕組みから公的な親子間扶養に進んでいるわけですから、まずそこが1つ。

それから、莫大なトランスファーを社会保障給付をして受けて、それで結局取り残した部分も使い残した部分も相続として、次の個人的な世帯の中に蓄積されていくという点も考えると、1個の考え方としては、その部分を社会保障財政に貸していただくというのもありますけれども、そこまで目的税として完全にぎゅっとやってしまうか、もう少し緩くしておくか、ここはなかなか一概に言えないのかなと思います。

それから、企業継承の場合、実子に譲った場合のパフォーマンスと、第三者に譲ったパフォーマンスというものについての比較でありますけれども、自分の子どもに譲りたいという気持ち、親心は大変よくわかるわけですけれども、果たしてそれが市場経済、経済全体にとって意味のあることなのか。もし、意味があれば、それなりにもしかしたら応援する可能性もあるかもしれませんけれども、どうもそうではないんではないかというのが海外の研究で、これは、國枝先生も御紹介されていると思います。

日本については、私も一生懸命調べて、余り多くの論文はないんですけれども、見つけたのは、余りパフォーマンスに差がないという論文、要するに第三者に譲っても実子に譲っても余りパフォーマンスに差がなくて、パフォーマンスの差が出てくるのは、継承の仕方とか継承のタイミングが非常に大事だというような論文は何点か見つけておりますけれども、ここもまだ日本の研究はそれほどないんではないかと思います。

田近部会長

では、吉川さん、井堀さん、井上さん、手短にどうぞ。

吉川委員

どうも簡潔な御説明をありがとうございました。

駒村先生のプレゼンテーションにもあったんですが、そもそも亡くなる方の意識調査、むしろ高齢者ですかね、意図的に子どもに多額の遺産を残そうという人は、イメージ的には10のうち3だというような感じの表があったかと思うんですが、5割強ぐらいは意図しない、つまり駒村先生の表現では、ライフサイクル型ということだったと思うんです。

ですから、そういうことがあれば、高齢者の方が多額の遺産を自分の子どもに残そうという意図は必ずしも持っていない。しかし、結果としてどこかで亡くなるわけで、いろんな遺産を残すことになるというのであれば、先ほどから先生も言われていると思うんですが、今後、社会保障の財源として、少しいわゆる相続税的なものが、もう少しそこをファイナンスするのを応援すると、やはり合理性があるんではないか。

相続税は御承知のとおり、今、100人亡くなって4人くらいなんですか、いずれにしても少し少な過ぎるんではないか。

それと、これは問題提起なんですが、税の在り方としても相続税というのは、あくまでも生き残って、典型的には親が亡くなって子どもが相続するということかもしれませんが、ウインドホールのインカムを得る子どもの方にかかる税ということですが、外国ではデスデューティーというのがあると思うんですが、死後、ポストヒューマスに亡くなった人の方が税を納めていく、これは結局、物理的には同じようなものなんですが、考え方としては非常に違うわけで、そうしたデスデューティー的な考え方で、もう少し社会保障をみんなで支え合って、亡くなった方も死後に少し恩返しをしていくというようなことを社会全体で考えるというようなことも、今後あってもいいんではないか。これは質問ではなくてコメントです。

田近部会長

では、井堀さん。

井堀委員

相続税を社会保障の財源として使うという、今の吉川さんの話とも関連するんですけれども、その場合の1つの問題は、要するに贈与との関係は、どのぐらい代替的かということで、要するに相続税が安定的な財源であるためには、毎年ある程度コンスタントに税収が入ってこないといけないわけですけれども、相続税を重くすると、当然贈与の方に逃げるインセンティブが出てきますので、今、生前5年間は統一されていますけれども、それよりも10年、20年ぐらい前から、あるいは子どもに対して教育投資を積極的に若いときからやっているのは、かなり相続税の反応としてはあり得る話なわけで、その辺りの贈与とも、大体どのぐらい相続にあり得るのか、それについてはある程度の研究があれば教えていただきたい。

もう一つ、14ページの「相続意欲の低下」の内閣府の調査なんですけれども、これは子どもに遺産を残すということがかなり減っているんですが、こういったことがほかの調査でも出てきたとしたときに、これは親が相続をすることの、そもそものプリファレンスが変わったからこうなったのか、あるいは親の考え方自体は前と変わっていないんだけれども、社会経済環境がたまたま変化したから、結果として親が子どもに遺産を残す割合が減ったという具合に考えられるのか、どちらの要因が効いているのか、お願いします。

田近部会長

井上さん、どうぞ。

井上特別委員

相続の問題については2つあると思うんですけれども、個人の相続と、それから事業承継のための相続、この2つはやはり分けて考えないといけないと思うんです。事業というものは、中小企業の場合ですと、ゴーイング・コンサーンというようなことで、ともかく財産というものを引き継いで、それを担保にしている。また、金を借りて事業を継続していくというような仕組みになっているんです。今、無担保、無保証とか言っているんですけれども、そんなものは当てにならない。それはよほどいい会社ならば、それでいいんですけれども、中小企業では、そういうものを当てにできないというふうに、まず考えておかなければいけない。

そうすると、どうするのか。やはりその資産を基にして増やしていくというのが企業なわけです。その基になるものを取り上げてしまったらどうなるのかということを、まず考えていただきたいと思います。

それから、まず、日本人というのは大和魂というか、家族主義というのが戦前からずっときていた。それを今、崩壊をさせているのは何なのかということです。それは教育であろうというふうにも思いますけれども、親を大事にしない、核家族化、離れていって後の親の面倒は社会が面倒を見ればいいんだと、そういう社会を構築していっていいのか。むしろ、それよりも、やはり親の面倒を見ながら、介護をしながら、その費用をいかに少なくさせるかということの方が大事ではないのかなというふうに思います。

ですから、そういった点からすると、均等相続にも問題があるんではないか。むしろ長兄に資産を譲る代わりにおれの面倒を見ろという親が、今、いないのかなと。そんなことはあきらめてしまった親ばかりなのかというと、私はそうじゃないと思うんです。逆に言えば、そんな親は一部だと思います。むしろ地方には、そういう親がたくさんいる、こういうふうに思いますので、そういう点をよく考えていただきたいと思います。

田近部会長

いろんな質問がありましたけれども、答えられる範囲でお願いします。

駒村教授

正直言って、かなり難しい御質問ばかりで、答える能力はほとんどないわけでありますけれども、相続税と贈与税の関係について、ちょっと日本でどういう研究があったかというのは私も見つけたことがなくて、よくわかりません。

アメリカとかの研究は、たしか幾つかあったと思います。これは、多分國枝先生の方が全部サーベイされていると思いますので、もし、私が足りなければと思いますけれども。

それから、プレファレンスが変わったのか、制約条件が変わったのか、これもなかなか識別が、日本の相続研究はまだそれほど多くないわけですから、何とも言えないのかなと思います。これは、今のお話とまさに絡むところでございますけれども、プレファレンスが変わったという見方もありますし、社会保障制度が充実してきたという制約条件が変わったので、もう自分たちで使い残していけばいいんだと考えたのか、ちょっとそこもどっちかというほど材料を持っているわけではございません。申し訳ございません。

最後の大和魂というのは、それは非常に奥の深い話で、日本文化的な話なので、今日は経済学の冷たい話を中心にさせていただきましたので、申し訳ございません。

田近部会長

その部分は、最初の沼尾さんの話と非常に深く関わっていたと思いますけれども、まだ、質問があれば、もう一つ、二つ受けて、では、これでもう終わりです。本当に手短にお願いします。

八塩さんと佐藤さん、時間が過ぎていますので、手短にお願いします。

八塩専門委員

ありがとうございました。相続税の話で、税が相続を促進すべきかどうかというのは、何とも言えないとすると、1つは中立であるという考え方だと思うんですけれども、そのときの日本の1つの話というのは、先ほど相続税と贈与税の話とタイミングの話がありましたけれども、もう一つ、どういう形で遺産を残すか、不動産とか、例えば金融資産とか、その辺の評価の問題かなと思いました。

以上です。

佐藤専門委員

スライドの14ページ目の図にも関連するんですけれども、子どもとは書いているんですが、例えば85歳の子どもというと、多分60歳ちょっと手前ぐらいですね。つまり、相続を受ける人間の高齢化というのがあると思うんですが、例えばこれの相続意欲に対するインパクトというのは、何かあるんでしょうか。

以上です。

田近部会長

具体的にどういうことですか。

佐藤専門委員

例えば子どもの方が資産を形成していますね。ですから、支えなければいけないものでもないし、事業を継承するといっても子ども自体が自分の子どもを持っていて、むしろ孫の方がアクティブな活動をしている場合だってあるわけですね。

田近部会長

ますます難しくなってきましたね。

駒村教授

本当に難しい話で、ただ、下にシフトしているということで、年齢とともに増えるという傾向があるのは意外な感じもする。

ですから、これは逆にどうも使い切れないから残してもいいんではないかなというふうに逆に行動が変わってしまっている可能性もありますので、子どもの方の環境を利他的であれば子どもはもう手がかからなくなって、子どもは老後に入っているし、子どもの年金もあるし、子どもはハッピーなんだからあげなくてもいいという反応もあろうとは思いますけれども、それは子どもの年齢、特に子どもの余力、子どもに介護してもらおうと考えているのか、これはいろいろなものが多分背景に入ってくるだろうと思います。ますます難しいと思います。

田近部会長

では、御船さんと吉川さん、どうぞ。

御船委員

ありがとうございます。子どもへの相続は本来はそうだと思うんですが、配偶者の扱いをかなり議論すべきだと思います。

今、20年以上連れ添っている場合に、住宅の贈与に関して非常に優遇されているということがあります。

それは、そもそも前回からの議論と同じだと思うんですが、家族の形を、夫と妻の関係をどう考えるかということと非常に関係しているかと思うんですが、駒村先生自身は、今までの標準モデルは専業主婦ということだったんですけれども、今後、両方が働いていくというようなときに、個人別あるいは配偶者に対する相続というか、そういうものは別途考えるべきとお考えか、いや、そうではないと、夫婦は一体なので、それぞれどちらか早く死んだ方が横に相続をするという場合には、非常に優遇しなければいけないとお考えか、お教えいただければと思います。

吉川委員

一言コメントですが、先ほど井堀委員が提出された贈与との関係、相続税の議論をすると必ず出る論点だと思うんですが、それこそまさに意図した遺産動機による部分と、意図しないピュアなライフサイクルを分けるリトマス試験紙になるんではないですか。ですから、純粋にライフサイクル型の資産を高齢者が保有していれば、デスデューティーあるいは相続税によって、それは自分の死後のあれですから、ほとんど影響を受けない。

しかし、意図して遺産を残したいと思っていれば、当然それは贈与という形で影響を受ける。したがって、2種類の資産をふるい分けるリトマス試験紙になるわけで、贈与へのシフトが起きるというのは必ずしも悪いことではないので、高齢者の持っている意図がそこのところにふるいにかけられるという意味で、それぞれについて社会として何らかの課税を考えるということは悪いことではないと思います。

これは、コメントです。

田近部会長

では、御船先生のお答えをお願いします。

駒村教授

おっしゃるとおりで、女性の年金もどんどん充実してくるわけですね。その一方で、夫婦の財産の形成が、実態はどうなっているのか、形式上の話、実態上の話が多分あると思いますし、しばらくの間は専業主婦モデルの人たちが、むしろ今から高齢者を迎えるわけですから、やはりそのときそのときに応じて生存配偶者に対する処遇というのはあるんだろうと思います。

そういう意味では、当面は生存配偶者を特段の配慮をしなければいけないのかなと思います。あるいは、長期的に見れば、年金がかなり厳しい状況になってくるのは間違いないわけですから、そういう意味では、生存配偶者が生きている限り、ずっともらえるようなリバースモーゲージ型年金を充実していくというのも併せて考えなければいけないのかなと思います。

以上です。

田近部会長

駒村さん、どうもありがとうございました。

これで、今日の調査分析部会は終了させていただきます。沼尾さんの福祉財源の確保の問題、そして小西さん、佐藤さんの地方税、地方財源の問題、駒村さんの相続をめぐるさまざまな問題。4つの報告を短い時間に詰めましたから、報告された方には特に窮屈な思いをさせてしまったと思います。

これで3月から行ってきました調査分析部会を1つの区切りとさせていただきたいと思っております。この3月から、吉川さん、それから井堀さん、中里さんに3つのグループの主査をしていただきました。吉川さんの方から、大まかに言えば、所得分配あるいは格差の問題、そして少子化の問題。井堀さんのグループでは、経済分析に基づいたさまざまな分析。具体的には企業課税等の問題。中里さんの方からは課税原則、そして地方税等の問題を幅広く扱ってきました。

また、今日、駒村さんにも報告をいただきましたけれども、千葉大の広井さん、IMFのマイケル・キーンさんからも報告をいただいたということで進めてきました。

ただ、これだけ多くの報告をいただいて、あるいは議論をしていただいて、これを今後どう活かすかというのは、少し時間をいただいて検討させていただきたいと思います。

そして、特に報告いただいた専門委員の方々を始め、深く感謝いたします。これをもって調査分析部会を終わらせていただきたいと思います。

これからは、香西会長に議事進行をお願いしたいと思います。

香西会長

今、田近部会長からお話がございましたけれども、調査分析部会の運営に当たりまして、部会長を始めとしまして、吉川、井堀、中里の3主査の方々あるいはこれまでプレゼンをいただきました皆様方、本当にありがたいことであったと思っております。

また、専門委員の皆様につきましては、今まで特に活発な御議論をしていただきまして、これも非常に聞きごたえがあったと感謝しております。

先ほど部会長からも申されましたように、調査分析部会は、ひとまず一応考えていたスケジュールといいますか、時間も経ちまして、役割としては一とおり終わったということでございますけれども、今日、これは前哨戦だという話がありましたけれども、今までは調査分析という形で議論してきたものを実際の答申の中にだんだん盛り込んでいくということになってまいりますので、そのことに当たりましては、また、皆様方にいろいろと御協力いただきたいというふうに考えておりますので、とりあえず一段落ということではありますけれども、今後の問題を整理していきまして、その上で、またいろいろお力添えをお願いしたいというふうにも考えております。

また、そういう答申の話ということになりますと、学問的な方ばかりではなくて、実務でいろいろ経験のある方にも、更にいろいろな意見を聞かせていただきながらまとめていきたいと考えています。

いろいろな情勢が錯綜しておりますけれども、私の感じでは、今のところ皆様ともいろいろ御相談しながら、とりあえず与えられた諮問で示された問題について答えるという形で議論を進めていく、それしかやり方がないのかなというふうに考えております。

また、少子化対策とか歳出面その他についても新しい情報もだんだん入ってくることだろうと思いますので、いずれにしても議論の中心は、各税目とかその税目をそろえた租税体系の問題あるいは納税環境の整備の問題、こういったようなことを議論していくことになるだろうと思っております。

具体的な進め方につきましては、またいろいろと御相談しながら議論を深めていくようにしたいと考えておりますけれども、今日はフリーディスカッションといっても、もう余り時間が残っておりませんけれども、一応、今後の税調の在り方といいますか、進め方について是非御意見があれば、短い時間ですけれども、とりあえず、それこそ唾を付けるという意味で、御意見がある方は是非おっしゃっていただきたいと思っております。そういうことで、是非御意見を承りたいということですので、よろしく御発言願いたいと思います。

実は、前回御出席の方はお聞きになったと思いますが、前回、横山委員から会の終了時になって御発言がありました。そのことについてでも結構だと思います。横山委員から御意見が更にありましたら、どうぞおっしゃっていただいても結構ですし、それに関連したことでも結構だと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

あるいはこういう議題、こういう点に税制改正の基本を置くべきだとか、そういったこともいろいろあると思いますので、どうぞ御自由にお願いします。

どうぞ。

増渕委員

タイミングが、こういうことを申し上げるのに適切かどうかよくわからないんですが、今まで大変充実した勉強の時間を持ってきたと思うんですけれども、税制改革というものを考えるときに、改めてどういう認識を持って議論するのかということが非常に重要だと思っています。

申し上げたいことは、これからの日本経済が中長期的に直面していく課題を踏まえて、税制改革を議論すべきだということです。

もう少し付言しますと、これから循環的な現象は別として、これからの日本を取り巻く環境というのは、言うまでもなく、1つはグローバル化のさらなる進展ということ。

もう一つは、少子高齢化と人口の減少ということです。そういう中で、相応の経済成長を確保するということを一応の目標といいますか、前提として置くとしますと、その上で考える税制上の焦点というのは、私は2つになると思います。

1つは、グローバル化の進展の中で、企業の活動に対する税の影響をどう考えるのか。なかんずく、日本という国は対内直接投資の少なさということが際立った国ですので、その点を踏まえて企業に対する課税というものを考える必要があるというのが1つの大きな論点だと思います。

もう一つは、人口減少、少子高齢化という中で、必然的に需要の高まる社会保障というものに対して、社会保険料、税というもの両方でどのように安定的な財源を確保するのか。それは成長をできるだけ妨げない税の在り方として何が考えられるのかというのが、もう一つの論点だと思います。

さまざまな税目について、勿論議論をし、考えていかなければならないわけですけれども、この2つが、私は最も重要な議論のポイントではないかと考えています。

以上です。

香西会長

どうもありがとうございました。ほかにも御意見をいただけないでしょうか。専門委員の方もどんどん発言していただいて結構ですから、よろしくお願いします。

横山委員

会長の方から、今後の答申のまとめ方は、やはり基本的には諮問に答えることで進めていくというお言葉でございますので、そういう方向で進めていくということについて、恐らく委員の皆さんも御異論がなくて、今の御発言もありましたように、大きな日本社会を取り巻く環境は、今回の選挙がどうであれ同じでございますので、そうすると、やはりそれなりの方向で議論を詰めていく必要があるんではないかと個人的には思っております。

ただ、そうは言っても、格差の問題ということで言うと、あるいは今日は地方の財源のお話もありましたけれども、そういう点での事柄をどういうふうに政府税調の中で盛り込むのかというところについては、これから委員各位の御意見もあろうかと思いますので、私自身も一番最初の11月の第1回の会合のときに、あえて言いませんでしたが、ロールズのマキシミンルールではないんですが、格差をどういうふうに取り扱うのかという事柄についても発言をさせていただいた記憶がございます。そういう点で、成長をやはり基本としながらも、それをある意味バランスを取るようなことが、どういうことが可能なのか、そこは当然租税原則で、これは会長の方からも確認がされたようで、私は欠席していたんですが、中里主査のところで租税原則の話になったときに、成長はあえて租税原則という形で盛り込まないんだということも、どうも基本的にそういうお考えが委員の多数の御意見だったということでございますので、そうすると、中立課税の在り方、それから成長という観点でいくと、これはあくまで私見でございますが、やはりプログロースということで、ヨーロッパやアメリカのグローバル化の中での負担の在り方論ということで行くと、やはり所得課税か消費課税、消費課税が必ずしも付加価値税中心なのか、あるいはキャッシュフローのような形になるのか、ちょっとこれから詰めなければいけないんでございましょうけれども、包括的所得税ではないんだろうと。

その辺の大きな課税哲学の部分でいくと、所得課税から消費課税中心の方向性を探ることも1つなんではないか。個人的にはそういうふうに思っております。

以上です。

香西会長

どうもありがとうございました。格差問題については、私は去年はいなかったわけですけれども、私の記憶では調査分析部会を立ち上げるときの議論で、これは吉川さんからだったと思いますが、格差問題は、是非取り上げなければいけないという強い発言もございまして、税調としては、格差という言葉は諮問には出ておりませんけれども、諮問に答える上に立っても、格差問題は十分に重視してやっていこうということで、いろいろと研究をお願いしたという経緯であったと理解しております。

ほかに何か、御意見はございますか。ほかでなくてもいいんですけれども、追加でも何でも結構ですが、御意見があれば、是非。それでは、格差問題をどういうふうに取り上げたらいいかというのは、なかなかこれまた難しい問題であることは今日の議論でもいろいろ議論が出たところだと思っています。いかがでしょうか。

突然に質問を出したような形になっておりますので、これからどういうふうにやっていこうかということを、私、なるべく問題を整理していって、どういう論点があるか、こなさなければならない最小限の論点というのを何とか少しずつ選んでいきたいと思いますが、それにつきましても、いろんな形で皆様から御意見を聞かせていただきたいと思っております。いろいろお尋ねすることがあるかもしれません。皆さんの方からも是非メールでも何でも結構ですけれども、こういう問題をやる必要があるとか、こういう問題についてはこういう考えがあるということを教えていただきたい。そういう形でなるべく少しずつでも議論の整理をしていきたいと考えておりますので、この点も是非よろしくお願いしたいと思います。

そういったことも含めて、やり方はまた大きな外的な変動があり得ないとは言えない、そういうことを言ってはいけないんですね。この間からいろいろ失言をしているようで、つい言ってしまうんですけれども、政界は一寸先は闇だということはよくわかっていることでありまして、そういう中で、今のところは大体横山先生からもお話があったようなことで、とりあえずやっておくしかない。それで、また何か起これば、それに応ずる体制をその場で取っていくという形で進めていきたいというふうに考えているわけでございますけれども、その開催のスケジュール等につきましては、もう少し考えさせていただいたところで、御連絡をさせていただきたいというふうに考えておりますので、よろしくお願いいたします。

では、30分に至らなかったわけでございますけれども、お忙しい中を御出席いただきまして、どうもありがとうございました。よろしくお願いいたします。

〔閉会〕

(注)

本議事録は、毎回の審議後速やかな公表に努め、限られた時間内にとりまとめるため速記録から、内閣府大臣官房企画調整課、財務省主税局及び総務省自治税務局の文責において作成した資料です。

内容には正確を期していますが、税制調査会議事規則に基づき、事後の修正の可能性があることをご承知おきください。

調査分析部会