わが国経済社会の構造変化の「実像」について ~「量」から「質」へ、そして「標準」から「多様」へ~

平成16年6月
税制調査会
基礎問題小委員会

はじめに

税制調査会は、昨年10月6日、小泉内閣総理大臣から、「少子・高齢化やグローバル化等の大きな構造変化に直面しているわが国社会の現状及び将来を見据えつつ、社会共通の費用を広く公平に分かち合うとともに、持続的な経済社会の活性化を実現するため、あるべき税制の具体化に向けた審議を求める」との「諮問」を受けた。

この「諮問」を受け、当基礎問題小委員会は、本年2月以降、「あるべき税制」の具体化に向けて、わが国経済社会の構造変化の「実像」を的確に把握するための取組み(以下、「実像把握」という)を進めてきた。具体的には、後述の「基本的視点」に立って、「家族」をはじめ、「就労」、「価値観・ライフスタイル」、「分配」、「少子・高齢化(人口)」、「グローバル化」、「環境」、「公共部門」などの分野・テーマについて、関連する基礎的データを広く収集、整理、分析するとともに、延べ21人に及ぶ各界の有識者からのヒアリングを行った。更に、こうしたデータに基づき、今後のわが国の社会像等についても取り上げ、延べ12回にわたり審議・検討を重ねてきた。

本とりまとめでは、まず「一」において、今般の取組みの趣旨とその基本的な視点を明らかにする。「二」において、経済社会の構造変化の「実像」と考えられる「10のキー・ファクト(「鍵となる事実」)」を取り上げる。そして「三」において、これらのキー・ファクトを通じて見られる特徴を踏まえ、税制などの経済社会の諸制度のあり方を考えていく際の視点等に言及する。また、各分野テーマの概要―基礎的データや有識者ヒアリングの概要―を参考資料として添付した。

今般の取組みは、限られた期間内で限られた分野・テーマを対象として、構造変化の「実像」を垣間見たものである。今後の税制改革論議の共通の土俵作りを目指して、一応の区切りとして、これまでの議論の整理を行ったものである。

一 基本的視点-今、なぜ「実像把握」なのか

1.1990年代以降、わが国経済は長期にわたる低迷を経験し、「失われた10年」という言い方が定着して久しい。実際、わが国経済社会において、何かが構造的に大きく変容しつつあるのではないか。それは一体何なのか。その「実像」に少しでも接近しようというのが、今般の取組みの底流にある基本的な問題意識である。

2.戦後のわが国経済社会について、第一に、高度経済成長期及び1970年代半ば以降の時期に、マクロ、ミクロ両面においてどのような構造変化が生じたのか。第二に、これらの構造変化のメカニズムや背景要因は何か。第三に、これらの構造変化の中で、社会を構成する各主体(個人、家族、企業、地域社会、政府等)にどのような変化が生じてきたのか。また、今後どのような変化が予想されるのか。第四に、これらを踏まえ、今後の公共部門のあり方についてどのように考えるべきか。

これらの問いかけは、これまでのわが国経済社会のあり様を見つめ直し、その「実像」に迫るために欠かせないと思われる。そしてこのことは、将来のわが国経済社会の姿を展望する上でも、さらにまた、今後の税制改革の審議を進める上でも、不可欠なものと考えられる。

3.税制は、経済社会を支える重要なインフラストラクチャー(基盤)のひとつである。それと同時に、その時々の経済社会構造を基礎として構築されるものであり、経済社会を映し出す「鏡」でもある。

こうした認識の下、税制調査会は、これまで、税制を新たな社会に相応しい姿に再構築していくため、「あるべき税制の構築に向けた基本方針」(平成14年6月)及び「少子・高齢社会における税制のあり方」(平成15年6月)をとりまとめてきた。平成15年度及び16年度の税制改正においては、これらの答申等に示された考え方に沿って、「あるべき税制」の構築に向け広範な税目にわたる改革が実現された。

これを第一歩として、今後引き続き「あるべき税制」の具体化に向けた取組みを進めていくにあたっては、わが国経済社会についてのいわば「残像」を払拭し、その「実像」をより一層直視していくことが何よりも重要である。

その意味で、今般の「実像把握」の試みは、これまでの「あるべき税制」の構築に向けた取組みの成果の上に立ち、それを一層推し進めていくための契機ともなりうるものである。

二 わが国経済社会の構造変化の「実像」:10のキー・ファクト

1 今世紀日本は「人口減少社会・超高齢化社会」

わが国経済社会の構造変化の「実像」として第1に掲げるべきキー・ファクトは、今世紀の日本が、「人口減少社会」と同時に「超高齢化社会」になるということである。

(人口減少社会への突入)

今世紀の日本は、「人口増加社会」であった20世紀とは異なり、一転して「人口減少社会」に突入する。

合計特殊出生率[1]の動きを見ると、高度経済成長期には人口置換水準(2.08程度)近傍で安定的に推移していたが、1970年代半ば以降、急激な晩婚化、未婚化を背景に2.0を下回り、一貫して低下してきている。また、近年では、結婚・出産・育児をめぐる「機会費用[2]」の上昇や子育てに伴う物心両面での負担感も、出生率低下の背景の一つとなっている。

このような長期的な少子化傾向を反映し、わが国の人口は2006年(1億2,774万人)をピークに継続的な減少局面に入る(中位推計)。20世紀の入り口以降、100年かけて約8,400万人増加した人口は、今世紀中に約6,300万人減少して、今世紀末には6,414万人までに半減する見通しである。

しかも、近い将来、仮に出生率が人口置換水準まで回復し得たとしても、「人口減少のモメンタム(慣性)[3]」が働くため、少なくとも今世紀中、人口が減少し続ける見通しは変わらない。

(超高齢化社会への変貌-少子化と長寿化の同時進行)

「少子化(出生率の低下)」と「長寿化(平均寿命の上昇)」が同時進行し、今世紀半ばには、3人に1人が高齢者である「超高齢化社会」となる見通しである。わが国は、高度経済成長期のような「平均年齢30歳前後の壮年中心の若い社会」から、次第に「平均年齢40歳代後半の成熟した長寿社会」へと変貌しつつある。

(従属人口指数の上昇-社会的な扶養力の弱まり)

このように今世紀のわが国経済社会は、否応無しに「人口減少」と人口の「超高齢化」という現実の上に築かれることになる。これを「従属人口指数」という指標[4]で見れば、高度経済成長期に低下傾向にあったものが、1990年代を底として上昇に転じ、2030年代前半以降にはこれまでにない水準(70超。3人で2人以上を扶養している状態)に達する見通しである。これは、社会的な扶養力が急速に弱まっていくことを意味している。

以上のような人口面での構造変化は、家族や個人のライフスタイルのみならず、経済社会の諸制度に至るまで、構造的な変容を迫ることになる。

2 「右肩上がり経済」の終焉

(高度経済成長を支えた基礎的条件の消滅-標準モデルの「非標準化」)

「実像」の第2のキー・ファクトは、高度経済成長を支えてきた基礎的条件(ファンダメンタルズ)が消滅し、いわゆる「右肩上がり経済」が終焉したということである。

戦後のわが国経済は、1970年代央までの高度経済成長時代から、その後の安定成長時代、さらにはバブル発生・崩壊を経て低成長時代へと推移している。なかでも様々な経済社会指標を見ると、1970年代央の「屈曲」が顕著である。

戦後日本における長期間にわたる高度経済成長は、労働力人口の増加、いわゆる「人口ボーナス[5]」の存在、高い家計貯蓄率の継続、さらには、都市圏への大規模な人口流入とそれに伴う世帯数の急増、耐久消費財の普及、旺盛な国内需要を背景とした設備投資と技術革新等の諸要因があいまって実現されたものである。

しかし、こうした状況は1970年代央を境に変化し、現在においては、このような高度経済成長を支えた諸条件はほぼ消滅した。とりわけ重要なのは、今日、人口減少に伴う労働力人口の減少、高齢化に伴う人口ボーナスの消滅や家計貯蓄率の著しい低下などの構造的な変容が生じているという点である。これは高度経済成長期とは際立った対照をなすものである。この結果、経済のパイの継続的な拡大が期待できる、いわゆる「右肩上がりの経済」は終焉を迎えた。

これに伴い、高度経済成長期に形成され定着化した多くの「標準的モデル」―例えば、後述する「戦後家族モデル」や「日本型雇用慣行」―もいまや標準的なものとは言えなくなった。

(「量的拡大」志向の限界)

我々は、ともすれば「右肩上がり」という過去の経験に引きずられがちであるが、もはや高度経済成長期のような大幅な「量的拡大」は期待できない。

今後は、労働力人口の減少や家計貯蓄率の低下等を通じて供給面からわが国経済に制約が生じることが懸念される(潜在成長力の低下等)。現在生じている「多様化」の動きを活かしつつ、社会の「活力」をどう維持、確保していくかが重要な課題となる。技術革新による生産性向上、人的資本の質の充実(潜在能力の涵養)、貯蓄の効率的活用、更には、女性や高齢者の一層の社会参画等がその鍵となる。また、「真の豊かさ」が質的に問われることになる。

3 家族のかたちの多様化

「家族」は、個人が生きていく上で最も基礎的な集団であるが、高度経済成長期以降、急激に家族の態様(「かたち」)やその機能が変容しつつある。第3のキー・ファクトとして、この点を挙げることができる。

(「夫婦と子供のみの世帯」の非標準化)

家族のかたちの変化を見ると、戦後から高度経済成長期を通じて、就労形態の変化や都市部への大規模な人口移動等に伴い、「三世代同居世帯」から「核家族世帯」へとウェイトが移ってきた。また、その中で、「夫婦と子供のみの世帯」が最も大きなシェア(全世帯数の4割強)を占めることとなり、いわば標準的モデルとなった。しかし、近年では、未婚化・晩婚化・長寿化の進行等に伴って更に世帯規模が縮小し、「夫婦と子供のみの世帯」の割合が減少する一方、「単独世帯」の割合が上昇している。「子供のいない世帯」(夫婦のみ世帯や高齢者を含む単独世帯)の増加も顕著である。

家族世帯類型の多様化が進み、「夫婦と子供のみの世帯」はもはや標準ではなくなっている。

(「戦後家族モデル」の終焉-標準的ライフコースの相対化)

戦後の日本は、1950年代までに、多産多死社会から少産少死社会への移行という「第1次人口転換」を経験した。これにより家族のあり方が一変した。平均寿命が延びて人生が予測可能なものとなり、婚姻や出産などが適齢期化するなど「標準的なライフコース(人生設計、生き方)」が成立した。この時期は、いわゆる「人口ボーナス」等を背景とする高度経済成長期に当たり、「右肩上がり経済」の下で「雇用者化」が進み、雇用の安定、収入の増加等が確保された。こうした状況の中、出生率2.0前後、夫が仕事、妻が家事・育児を担うという「戦後家族モデル[[6]」が形成された。多くの人にとって、この家族モデルは実現可能な当り前のものとなった。

しかし、1970年代央を境に、高度経済成長が終焉し、出生率の人口置換水準(2.08)以下への低下が始まった。戦後家族モデルを成り立たせていた諸条件が失われ始めたのである。晩婚化・未婚化の進行、離婚の増加、共稼ぎ世帯の増加など、「標準的ライフコース」が崩れ、個人の生き方や家族との関わり方が多様になった。こうした中で、近年、家族への帰属意識が希薄化しつつある(「個人化」の進行)。いくつかの意識調査結果を見ても、家族は依然として団らんや安らぎの場である一方で、家族の繋がりとしては緩やかなものを求める傾向が見られるようになっている。

(ライフコースの多様化と不確実性の高まり)

既に「戦後家族モデル」は過去のものとなり、高度経済成長期であれば想定し得たような「標準的ライフコース」も崩れた。ライフコースの多様化は、ライフコースにおける不確実性の高まりでもあり、各個人は、新たな生活上の「リスク」に晒されることになった。従来家族が中心となって担っていた育児・介護などの様々なケア機能が維持できなくなるのではないかという懸念もある。

また、長寿化に伴い、婚姻期間や子育て終了後の期間(「空(から)の巣期(すき)」)が長期化してきていることも、家族のあり方や個人の生き方に影響を与えている。

今まさに、戦後家族モデルを前提とした既存の諸制度が揺さぶられ、家族のあり方が改めて問われている。

4 「日本型雇用慣行」のゆらぎと、働き方の多様化

日本人にとって「カイシャ」は、家族と並んで、強い帰属意識(アイデンティティ)の対象となる集団組織の一つであった。しかし、近年、そのカイシャと個人との関係が急速に変容しつつある。これが第4のキー・ファクトである。

(雇用形態の多様化)

いわゆる「日本型雇用慣行」は、「正社員中心の長期継続雇用、年功序列賃金、フリンジベネフィット(企業内福祉)等」を特徴とし、従業員に対して生活給や雇用を長期的に保障する一方で、企業への忠誠心を求める雇用形態である。本質的に「右肩上がり」の成長を前提とし、高度経済成長期に定着化したものであった。

しかし、その後、経済成長が鈍化し高齢化が進む中で、次第に「日本型雇用慣行」を維持することが難しいとする企業も現れてきている。とりわけ1990年代後半以降、企業を取り巻く経営環境が激変する中、これまでの人材マネジメントを転換し、非正規雇用の活用や成果主義・能力給賃金という考え方を取り入れる動きも出てきている。実際、正規雇用者の割合が大幅に低下する一方で、パート・派遣労働者・業務委託者等の非正規雇用者の割合が急上昇するなど、雇用形態の多様化が進んでいる。

このように、「日本型雇用慣行」という、これまでの企業と従業員(個人)の間に成立していた安定的な関係がゆらぎ出している。これに伴って、カイシャに依存した経済社会の諸制度の再点検も必要となろう。

(職業観の多様化―カイシャ離れと不確実性の高まり)

従業員(個人)の企業に対する意識や職業観も変化しつつある。

カイシャに対する帰属意識が希薄化し、専門性や特技を活かせる仕事を志向する者が増加している。仲間と楽しく働ける仕事を求める者が増え、仕事一辺倒から余暇に比重を置く傾向が強くなってきた。個々人の生きがいが多様化し、カイシャに縛られない様々な働き方が見られるようになった。「カイシャ離れ」、「個人化」の進行である。

こうした中で、「日本型雇用慣行」のゆらぎとあいまって、カイシャを通じた雇用・生活保障機能が低下するなど、個人にとって生活上の不確実性、「リスク」も高まっている。今後、自らの責任による「選択」が一層求められることにもなろう。

若年者層を中心に、雇用環境の厳しさや職業観の変化等を反映して、いわゆる「フリーター」が急増している(2001年度417万人)。さらには、学卒後における高い早期離職率、無業の若者の増加傾向、失業率の上昇傾向が続いている。今後の経済社会の諸制度のあり方を考えるにあたっては、そのような変化がもたらす格差拡大と階層化の可能性についても留意が必要である。

5 価値観・ライフスタイルの多様化・多重化

(「画一」から「多様」、「多重」へ)

「実像」の第5のキー・ファクトは、日本人の価値観・ライフスタイルの変化である。

日本人の価値観の構造については、高度経済成長期までは、画一的・集団主義的な傾向が強かったが、1980年代頃から、集団よりも自分を重視する価値観が次第に強まり、価値観の多様化が進んだ。さらに近年では、一個人の中において一見矛盾するような様々な価値観が同居する傾向が見られる[7]。これが「価値観の多重化」である。

(キーワード-選択の自由、煩わしさ回避、現在(いま))

「多重化」している日本人の価値観を構成する要素を見ると、まず、「自分のライフスタイルや個性を重視した選択をしたい」という「選択の自由」志向が高まっている。「自分らしさへのこだわり」とも言い換えられよう。この「選択の自由」志向は、日本人の意識構造の中では、「煩わしさは回避したい」「他者に寄りかかりたい(寄らば大樹)」という傾向と同居している。「周囲を意識し、無難であること」を求める傾向も根強い。「快適性(ゆとり、癒し等)」や「利便性」を求める傾向も見られる。

時間選好意識を見ると、近年では、高度経済成長期に見られた「未来志向(将来に備える)」が後退し、「現在志向(毎日の生活を充実して楽しむ)」へと大きくシフトしている。

また、家族や職場、地域社会における人間関係が希薄化してきている。他方で、インターネット等を媒介に、自分の居場所の再発見として知人・友人、コミュニティ等との間のコミュニケーションが増加し、新たな緩やかなネットワークが広がりつつあるとも言われている。こうした動きを今後注意深く見守っていく必要があろう。

6 社会や「公共」に対する意識

第6のキー・ファクトは、社会と「公共」との関わり方についての意識に関するものである。

(社会貢献意識と他者への依存[8]

日本人の社会意識に関する調査によれば、「何か社会のために役立ちたい」という「社会貢献」に関する意識が高まってきている。

行動面での社会との関わり方を見ると、対処すべき問題が全国レベルから身近な地域レベルの問題となるにつれて、他者に依存する姿勢から、ボランティア活動など自発的に取り組む姿勢へシフトする傾向が見られる。

また、様々な組織・制度に対する信頼度調査によれば、医師、教師、警察官といった身近な存在ほど信頼される一方、国や全国レベルの組織といった「人々にとって分かりにくい存在」になればなるほど信頼性は低くなる。

こうしたことを反映して、例えば「国」は信頼度の低い存在でありながら、寄りかかる対象ともなっており、「国」に対する意識に一種の「ねじれ」が生じている。

(個人の主体的な「公共」への参加)

わが国においては、「公共」の担い手はしばしば「政府(官)」と結び付けられ、「民間」=「私」と併せて、いわゆる「公私二元論」が支配的であった。しかし、現実の社会においては、「政府が担う公共」とは異なるもう一つの「公共」、すなわち市民活動から企業の社会的責任に至るまでの「民間が担う公共」というべき領域が存在する[9]

近年では、ボランティア活動など「民間が担う公共」の領域における活動が広がりを見せてきている。今日、町内会などの伝統的な地縁集団の機能が弱まる一方、社会の多様化が著しい中、様々な社会の問題に柔軟に対応していくためには、「政府が担う公共」はもとより「民間が担う公共」に個人が主体的に参加していくことが求められている。

7 分配面での変化の兆し

(均質化、流動化の動きの鈍化[10]

「実像」の第7のキー・ファクトは、分配構造の変化の兆候、すなわち、高度経済成長期を通じて進んだ社会の「均質化」や「流動化」の動きが、近年、鈍化してきているのではないかという点である。

わが国の分配構造は、国際比較で見れば、基本的に、高い経済水準の下で相対的に格差の小さい均質的なものとなっている。

こうした中で、所得の不平等度を表す「ジニ係数[11]」の動きを見ると、高度経済成長期を通じて低下傾向にあったものが、1980年頃を境に横ばいないし徐々に上昇する傾向が見られる。この背景には、所得分配のバラツキが相対的に大きい高齢者世帯の増加等がある。

また、資産保有の状況を見ると高齢者層ほど保有額が大きくなる中で、高齢者世代内においては、その経済的状況は多様な姿を呈している。

わが国の社会的流動性について、親子間の職業的ステータスの継承性の強さを示す指標である「オッズ比[12]」で見ると、高度経済成長期を通じて低下し、社会的流動性が高まっていた。しかし、1980年代以降は横ばいとなっており、次第に社会的流動化のトレンドが鈍化してきているように見られる。

さらに、収入階層別の階層帰属意識を見ると、高度経済成長期末には、収入レベルの上下を問わず帰属階層意識が「中の下」で一致していた(「一億総中流意識」の醸成)。しかし、近年では、上位の収入階層とその他の収入階層との間で帰属階層意識が二分化するようになっている。「一億総中流意識」がゆらぎ始めたように見受けられる。

(「機会の平等」志向[13]

現在の日本人の平等に関する意識調査を見ると、年齢、職業、収入等によってバラツキは見られるものの、「機会の平等」を比較的強く志向する傾向が一般に見られる。また、努力が必ずしも評価されるとは限らないという意識はあるものの、基本的には「努力した人が報われること」に対する支持が高い。

また、「結果の平等」に対する意識としては、行き過ぎた「結果の不平等」に対して懐疑的である一方で、行き過ぎた「結果の平等」に対しても否定的に捉える意識を観察することができる。

8 環境負荷の増大、多様化

「実像」の第8のキー・ファクトは、環境負荷に関するものである。

近年、環境負荷が増大し、その多様化が進んでいる。高度経済成長期においては産業型公害が中心であった。その後、グローバルレベルでのオゾン層破壊や酸性雨、地球温暖化が見られ、自動車排気ガス(窒素酸化物等)や廃棄物などの都市生活型の環境負荷も顕在化してきている。

資源・エネルギーの制約という面もあり、大量生産・大量消費・大量廃棄型社会から「循環型社会[14]」への転換が求められている。

環境はもはやタダではなく、社会的費用を要することを認識する必要がある。こうした中で環境と経済の両立が求められる。

9 グローバル化の進行

「実像」の第9のキー・ファクトは、「グローバル化の進行」についてである。

(世界規模でのグローバル化)

冷戦の終結、貿易や資本取引の自由化、情報通信革命(IT化)の進展等を背景に、モノ・カネ・情報・文化等の様々な分野で国際的な動きが活発化し、世界レベルでの相互依存関係が拡大・深化してきている。こうした動きは、東アジアをはじめとする新興経済国・地域や旧社会主義国などにも広がり、政治・経済・社会の諸問題も急速に「グローバル化」している。

グローバル化については、これにより価値や理念、社会システムの一元化・標準化が進むという見方がある一方、「制度的多様性」と調和し得るという見方もある。また、そのダイナミズムが人々の生活水準の改善に貢献するという見方がある一方、情報ディバイド等の顕在化、貧富の差の拡大、伝統文化の破壊など、新たなリスクや不確実性を惹き起こしているとの見方もある。このように、その評価は区々である。

(わが国における国際的結びつきの深化)

わが国においても様々な局面で、国際的な結びつきが拡大・深化してきている。

貿易面では、原材料を輸入し製品を輸出するという「垂直型」から、製品を輸入し製品を輸出するという「水平型」に転換し、生産工程の国際分業が進んでいる。1980年代半ば以降、対外直接投資も増大してきている。今日、貿易収支のみならず、対外直接投資の果実である所得収支も大幅に黒字化している。海外からの対内直接投資も増加し、2003年には特許等使用料の対外的受払も黒字化した。

このように、わが国は、モノ・資本・ノウハウなど多面的に国際的な相互依存関係を深化・拡大させつつある。とりわけ、アジア地域との間でその傾向が著しい。

こうした中で、グローバル化に対する日本人の意識を見ると、肯定的な評価と否定的な評価とが混在している。1990年代においては、バブル崩壊後の経済の長期低迷、グローバル化の潮流の中で、それまでの「自信過剰」(「Japan as No.1」)から「過度の自信喪失」に大きく振れるという経験も経てきた。しかしながら、日本の強みは、「製造業のもの造り能力[15]」やアニメなどの「ソフトパワー」にあると言われている。今後、グローバル化を相対的なものとして捉え、世界の中におけるわが国の位置を冷静に見つめることが必要となろう。

10 深刻化する財政状況

第10のキー・ファクトは、財政面での構造変化、すなわち「財政状況の深刻化」である。

(戦後の財政運営)

戦後の財政運営を見ると、高度経済成長期には、いわゆる「均衡財政」がほぼ保たれていた。しかし、いわゆる「福祉元年」(1973年)以降、社会保障関係費が急増する一方で、高度経済成長期のような税収の伸びが見られなくなった。高度経済成長を支えた基礎的諸条件が変容した1970年代央に、財政面でも歳入歳出ギャップの顕在化という構造的変容が始まった。1975年度に始まる特例公債の大量発行は、その象徴であるといえよう。

その後、財政再建に向けた取組みがなされ、バブル景気による税収増等もあいまって、1990年度には特例公債依存から脱却した。しかし、1990年代以降、バブルが崩壊し、経済が長期低迷する中、財政も一転して急速な悪化への道を辿った。累次にわたる経済対策の実施、大規模な減税や景気低迷を背景とする税収の減少、さらには、予想をはるかに上回る高齢化の進行による社会保障関係費の急増等により、財政赤字は膨張し、公債発行残高も急速に累積した。

(問われる「持続可能性」)

わが国財政は、現在、戦後最悪の状況に陥っている[16]。1990年代に着実に財政健全化を進めた他の主要先進国と比べ最悪の水準にある。また、わが国の国民負担率(対国民所得比)は、35.5%(2004年度)と主要先進国の中で最低水準であり、これに財政赤字を加えた国民負担率は45.1%である。この財政赤字分は、将来世代に負担を先送りし、現世代が自らの負担以上に受益していることを意味するものである。さらに、家計貯蓄率が低下する中、巨額の財政赤字が金融市場を経由して日本経済に及ぼす影響も懸念される。このような財政の姿は、これまでの国民の選択の反映でもあると言えるが、その現状は厳しい。

わが国経済社会が大きな構造変化を遂げつつある中、今後の財政の展望は一段と厳しい。高度経済成長期のような税収の自然増は期待し難い。さらに、高齢化に伴い社会保障関係費が経済の伸びを上回って増大し、国民負担率が大幅に上昇するものと見込まれている。

今まさに、経済社会システムを構成する重要な主体のひとつである財政の「持続可能性」が問われている。財政健全化が焦眉の急とされ、現世代の責任とされる所以である。

三 結びにかえて-将来に向けての示唆

1 「10のキー・ファクト」に見られる特徴

10のキー・ファクトを通じて、わが国経済社会の構造変化の「実像」の特徴として、以下のような点が注目される。

(経済社会の「基盤」の変容-「量的拡大」から「質の充実」へ)

第一の特徴は、わが国経済社会の「基盤」の変容とも言うべき構造変化である。

今後の日本は、「人口減少」、「超高齢化」が進み、「壮年中心の若い社会」から「成熟した長寿社会」となる。また、高度経済成長を支えた基礎的条件(高い家計貯蓄率、人口ボーナス、労働力人口増加等)はほぼ消滅した。グローバル化が加速し、環境負荷も高まりつつある。財政は、その持続可能性が問われている。

このような経済社会の「基盤」の変容により、もはや高度経済成長期のような大幅な「量的拡大」を期待することができなくなった。「質の充実」を軸とする経済社会への転換が求められている。

(「標準」から「多様」へ)

第二の特徴は、家族・就労等様々な局面において、高度経済成長期に形成され定着した「標準的なるもの」が消失し、「多様化」が進みつつあるということである。

もはや画一的な「標準モデル」によることは現実的ではない。今後の経済社会を展望する際には、「多様性」をどのように捉え、これにどのように対応していくのか、さらにはこれをどのように活かしていくのかが問われることになる。

2 税制などの制度設計に当たっての視点

今後、税制などの経済社会の諸制度のあり方を検討するに当たって、これらの構造変化の「実像」から、どのような示唆を得ることができるのであろうか。今後の国民の議論に資することを期待しつつ、いくつかの視点を提示したい。

(社会の新しいダイナミズム-「活力」、「豊かさ」)

まず第一に、従来のような「量的拡大」が期待できず、今世紀中人口減少が続き、超高齢化が進む。その中で、多様化しつつある社会のダイナミズムを発揮させることが求められる。このような認識の下、「社会の活力」と「真の意味での豊かさ」の意味をいま改めて問い直し、これを追求していくことが重要となる。その際、「環境」にも配慮しつつ、「持続可能」な質の高い経済社会を創り上げていくという視点が不可欠である。

(「選択の自由」と「責任」-「複線型」のライフコース、多様な価値観・多様な生き方)

第二に、「個人化」が進行し、生活上のリスクや不確実性が高まる中で、人々は、「複線型」の人生設計(多様なライフコース)を想定し、これまで以上に自分なりのライフスタイルやライフコースを自らの意欲と責任で選び取っていくことが必要となろう。今後の制度設計においては、個人による自由で多様な選択をなるべく阻害しないとの観点から、これまで以上に柔軟な発想が求められる。例えば、就労面では、多様な人材の多様な働き方を可能とするという視点がより重要となろう。

(「機会の平等」と世代間の公平)

第三に、経済のパイの継続的な拡大が期待できず、社会の多様化が進む中で、分配についての人々の考え方が変化していく可能性がある。実際、日本人の意識において、「機会の平等」を比較的強く志向する傾向が一般に見られる。こうした傾向を踏まえれば、人的資本の充実による潜在能力の涵養や適切なセーフティネットの確保が今後重要となろう。

また、現役世代及び高齢者世代を通じ、世代内の公平だけでなく世代間の公平にも留意する必要がある。

(グローバル化を活かす)

第四に、人口減少、家計貯蓄率の低下等わが国経済社会の構造変化が著しく進む中、グローバル化の動きをどのように活かすかが重要な鍵となる。その際、特にアジアとの相互依存関係を踏まえ、海外の人材や資本の活用などを含む戦略的な対応が不可欠となろう。

また、ソフトパワーに見られる日本の強み、良い意味での「日本らしさ」を伸ばしていくとともに、自他ともに「多様性」を尊重していくことが重要となる。このことは、社会のダイナミズムにつながり得る。

(社会及び公的部門の将来像)

最後に、上記の「視点」等を踏まえつつ、これからの社会及び公的部門のあり方を考えることが課題となる[17]

これまで見てきたように、わが国では、少子・高齢化が進行し、家族やカイシャが果たすケア機能の低下が懸念されている。他方、ボランティア活動など「民間が担う公共」の領域の活動が広がりを見せてきている。こうした状況の下、「個人」、「家族・企業・地域社会」、「公的部門(政府)」の間で、各々がどのような役割を今後担うかについて考えていくことが重要となっている。

この場合、「個人」や「民間が担う公共」の領域の動向等を踏まえつつ、これからの「公的部門(政府)」に係る国民の受益と負担のあり方が問われなければならない。国民が公的部門(政府)にどのような役割を求めるかによって、必要となる国民負担の水準は決まってくる。公的部門(政府)の役割・守備範囲とともに、その費用としての税と社会保険料の関係及びその水準のあり方について、幅広く議論を行い、国民に参加と選択を求めていくべきである。

その際、将来世代も視野に入れながら、効率的でスリムな政府の確立、経済社会の活力を損なわないとの観点からの国民負担率の抑制、累増する財政赤字への対応等についても併せて考えていく必要があろう。

3 今後に向けて

以上のように、わが国経済社会の構造変化は著しい。我々は、これをいたずらに不安視するのではなく、新しい経済社会の胎動と積極的に位置付けるべきである。こうした認識の下、上記の「制度設計にあたっての視点」を踏まえ、経済社会の諸制度を再検討し、そのあり方について幅広く議論が行われる必要がある。

就中、税制については、「量から質へ」、「標準から多様へ」という経済社会の構造変化等を踏まえ、どのような形で国民一人一人が社会共通の費用を分担していくべきかを考えなければならない。その際、個人のライフスタイル(生き方、働き方)の多様化等が進む中、所得・消費・資産等多様な課税ベースに適切な税負担を求めていくことが課題となる。

税制調査会においては、このような問題意識に立って、今般の取組みを通じて得られた「実像」を一つの拠り所としながら、引き続き「あるべき税制」の具体化に向けた検討を深めていくこととしたい。今後、各方面においても税制改革論議が更に深められることを期待したい。


[1] 「合計特殊出生率」とは、ある年における15~49歳までの女子の年齢別出生率を合計したもので、一人の女子がその年の年齢別出生率のパターンで一生の間に生むと仮定したときの子供の数に相当する。[戻る]

[2] この点に関しては、参考資料60頁(「未婚化、結婚している女性の出生力」の項)を参照。[戻る]

[3] 「人口減少のモメンタム」とは、人口動態は出生率のみならず、そのベース(分母)となる人口の性・年齢別構造と規模によって大きな影響を受けるため、人口減少局面に入った場合、出生率が人口置換水準を回復したとしても、しばらくは「惰性」が働き、人口が減少し続ける状態のことを言う。[戻る]

[4] 「従属人口指数」とは、年少人口(0~14歳)と老年人口(65歳以上)の合計を生産年齢人口(15~64歳)で割った比率を言う。1990年においては43.5(5人で2人を扶養している状態)であったが、その後上昇に転じている。 [戻る]

[5] 「人口ボーナス」とは、豊富な若年労働力と相対的に少ない被扶養人口の組合せを言う。 [戻る]

[6] この点に関しては、参考資料6頁(「戦後家族モデルの形成と解体」の項)を参照。[戻る]

[7] この点に関しては、参考資料33頁(「価値観の「多重化」-「十人一色(じゅうにんひといろ)」から「十人十色(じゅうにんといろ)」「一人十色(ひとりといろ)」へ」の項)を参照。[戻る]

[8] この点に関しては、参考資料40~42頁を参照。[戻る]

[9] この点に関しては、参考資料101、102頁(「公私二元論から三元論へ」の項等)を参照。 [戻る]

[10] この点に関しては、参考資料49~52頁を参照。 [戻る]

[11] ジニ係数とは、所得分配等における不平等度を表す指標の一つ。0から1までの値をとり、0に近いほど所得分配等が均等であることを示す。 [戻る]

[12] オッズ比とは、親がその職業であるかないかによって、本人がその職業にどの程度つきやすいかの格差を測るものであり、オッズ比が大きいほど親と本人の間の継承性が高いことを示す。 [戻る]

[13] この点に関しては、参考資料53頁を参照。 [戻る]

[14] 「循環型社会」の定義については、参考資料89頁(「循環型社会形成推進基本法」)を参照。 [戻る]

[15] この点に関しては、参考資料76頁(「わが国製造業の強み~「擦り合わせ型」のもの造り」の項)を参照。 [戻る]

[16] 2004年度末の国及び地方の長期債務残高の見込みは719兆円程度。対GDP比143.6%。 [戻る]

[17] この点に関しては、参考資料99頁(「G・エスピン‐アンデルセンの「三つの福祉レジーム」」の項)を参照。 [戻る]