課税ベースと年金制度全体を見据えた改革を

一橋大学教授 田近 栄治

はじめに

これからの日本の所得税を考えるとき、その課税ベースをどのようにするかという問題は、税率のあり方とならんで重要である。多くの所得控除制度によって課税所得が侵食され、その結果、所得税から一定の税収を上げようとすれば、中堅層以上から負担を累進的に増やさざるを得ないからである。税制調査会の「基本問題小委員会」においてもこの点の検討に多くの時間があてられ、膨大な検討資料も提出されている。ここでは、その資料の一部を使いつつ、主として課税ベースの観点から年金税制の問題を考える。

年金税制の難しい点の一つは、年金制度と税のあり方が不可分なところである。国民年金、厚生年金や各種の共済年金からなる公的年金とならんで、厚生年金基金や税制適格年金などの企業年金がある。そして、新たに、「確定拠出型」年金制度の創設の動きがある。そうしたなかで、制度を前提として税のあり方を議論するのは望ましくない。公的・私的年金の全体を見据えた上で、年金税制のあり方を議論する必要性がある。

個人・家族課税のあり方は、つねに古くて、新しい問題である。夫婦片稼ぎ、共稼ぎなどいろいろな形の家族があるなかで、一方を立てれば、他方が立たない。しかも、すでにある税を出発点に議論を組み立てなければならない。また、片稼ぎから共稼ぎの世帯が増えていること、男女共同参画社会を迎えつつあることなど、夫婦のあり方も変わってきている。そうしたなかで、個人を単位に課税すべきであるし、実際そうせざるを得ないと思われるが、この点の検討を深めたい。

このように課税単位としては、個人が適切であっても、配偶者控除の問題は残る。ここでも、所得税の課税ベースのあり方が問題の根本となる。現在、配偶者控除に加えて配偶者特別控除がある。被扶養配偶者の所得が増えると、配偶者控除がなくなることにより、扶養配偶者の税負担が増加することが指摘され、この問題は消失控除である配偶者特別控除によって税の上ではなくなった。しかし、現実には「103万円の壁」があり、パートで働く主婦の所得が103万円を超えると、被扶養配偶者自身の税負担が生じる。さらに、130万円を超えると、社会保険料の納付が必要となったり、扶養配偶者の配偶者手当てがなくなることなどによって、限界税率は100%を超え、負担が非連続的に増加する。

これからの高齢化社会において、女性の社会進出はますます重要になっていくと思われる。そうしたなかで、税制が女性の社会参加の制約となってはならない。税制と課税単位の問題は、究極的には、これからのわが国のあり方と深く関わっているという認識が必要である。

I 年金課税の実態と問題

1.公的年金に関する「中期答申」の内容と検討

年金税制は、「中期答申」の第二章第9節で取り上げられている。公的年金に関する税制の説明があり、以下のような見解が述べられている。

「公的年金に係わる税制については、年金が各種の控除によって課税ベースからほとんど除かれており、拠出段階から給付段階に至るまで、主要国と比べても、極めて低い税負担となっていること、高齢化の進展の下で年金受給者が増加し、また年金所得も増大していることや、高齢者の所得の上昇に伴い生活実態が多様化していることを勘案しながら、世代間の公平をはじめ、公平・中立・簡素の観点から、拠出・運用・給付を通じた負担の適正化に向けて検討を行っていく必要があります。(第二章9節(2)「公的年金に係わる税制のあり方」)」

注意深い言いまわしであるが、日本の公的年金への税制には抜本的な改革が必要であるというのが、「中期答申」の主張である。その指摘が適切であることを以下、年金課税の実態に関する資料によって示す。

日本の年金税制の特徴は、保険料の本人負担部分については、社会保険料控除が適用され、課税ベースから控除される。雇用者負担分もまた、全額損金算入されるので、社会保険の名のもとに拠出額は全額課税ベースからもれている。アメリカ、イギリスでは、本人の負担部分は給与税として取られることと比較すると、大きな違いである。

一方、給付段階では、年金所得は雑所得と見なされ、そこに公的年金等控除が適用される。これは、定額100万円と年金額に依存した定率控除とからなり、最低140万円が保障されている。仮に年金額が、300万円であれば、定額控除額の100万円に定率控除の75万円(360万円までであれば25%)がプラスされ、175万円が控除額となる。

そのほか、老年者控除(50万円)、基礎控除(38万円、70歳以上の配偶者の場合48万円)、配偶者控除(38万円)、配偶者特別控除(38万円)などがあり、これと上の公的年金に適用される控除額を加えると、339万円までは課税されないことになる。このように、給付の面においても、年金生活をしている高齢者はまず所得税を払わないと考えてよいであろう。

こうしたわが国の年金課税の実態は、税調の基本問題小委員会資料でさらに明瞭に示されている。まず、社会保険料の控除による減収額であるが、それは<図1>に示されているように、1997年度の統計によれば、雇用者掛金分で2.4兆円、本人負担分で1.8兆円であったと見積られている。このうち、雇用者分は多くの国でも非課税となっているので、社会保険料控除による本人分に減収額を限定しても、2兆円近くにも及んでいる。

給付サイドの課税の状況は、<図2>に示されている。1996年度の公的年金等支払額と推定された33.2兆円のうち、諸控除によって課税対象とならなかった額は、31.2兆円にも達している。残りの2.1兆円が源泉課税の対象となった部分であるが、確定申告によって、還付された部分もあると思われる。したがって、公的年金等給付額は、その95%以上は非課税所得となっていたことになる。<図2>によると、公的年金等控除からの減収額は、ほぼ1兆円と見積られている。

このように、保険料の支払いと年金の給付の両面において、ともにほぼ完全に非課税となっており、本人部分に限定しても、3兆円近い減収が生じている。この数字は、わが国の年金所得に対する優遇措置がどれほど大きなものであるかを雄弁に物語っていると思われる。

こうした年金課税の実態を前に、拠出時課税か給付時課税かいずれかの徹底を図り、世代間の負担の公平のために課税を強化すべきであるという税調の「中期答申」の指摘は説得的である。もちろん、現在給付額の3分の1を負担している基礎年金の国庫負担が増大する場合には、保険料に代わり、その他の税の負担が必要となり、税と社会保障を切り離して議論することはできない。しかし、いずれにせよ、年金では負担の増大は不可避であり、今のままの税制では年金制度自身維持することが困難となることを銘記するべきである。

2.企業年金等に関する「中期答申」の内容と検討

わが国の年金制度は混乱を極めている。イギリス流の公的年金の適用除外制度を源流とする厚生年金基金制度がある一方、アメリカ流のいわゆる企業年金である、税制適格年金があり、このほかにも中小企業者などを対象にした制度(中小企業退職金共済制度)などもある。それぞれが、厚生省、大蔵省、労働省などの所管であり、縦割り行政が年金制度にも反映されている。一方、自営業者には国民年金基金があり、実質的に個人年金となっている。

混乱しているのは制度だけではない。税制面でも混乱が見られる。公的年金ではないにも係わらず、積立時には社会保険料控除が、給付時には公的年金等控除が適用されている。自営業者に対して認められていてる国民年金基金に至っては、非課税(拠出、給付とも)年金となっている。その一方、税制適格年金の積立期間にだけ、特別法人税が課せられるといった制度間の不公平も生じている。

その上、新たに確定拠出型年金の法制化が取り上げられている。これは国際会計基準の導入にともない、企業の年金積立金の不足額が債務として計上されることになり、給付を確定した年金から、拠出を確定した年金への動きが出てきたことが直接的な引きがねとなっている。いわゆる、「401k型年金」である。将来の不安な公的年金を補完する年金として、確定拠出型年金は今後大きな役割を果たすと思われる。しかし、公的年金、確定給付型のこれまでの企業年金などをすべてかかえたまま、その上に確定拠出型年金を加え、そこにまた、社会保険料控除や公的年金等控除を適用すれば、わが国の年金制度は完全に方向性を失うことになる。

「中期答申」では、「企業年金等に係わる税制のあり方についても、少子・高齢化の進展、高齢者の生活実態を勘案して、貯蓄課税との均衡、世代間の公平などの観点を踏まえながら、拠出・運用・給付を通じた負担の適正化に向けて検討を行っていく必要があります(第二章9節、(3)企業年金等に係る税制)」と述べられている。これは正しい指摘であるが、年金では、混乱を極めるわが国の年金制度自身の抜本的な見直しが必要であり、税制面からこれまでの制度の支持を続けたり、屋上に屋を重ねる支援を繰り返すべきではない。

3.年金課税でその他考慮すべき事項

わが国の公的年金では拠出時・給付時ともに大きな非課税措置があり、その一方、企業年金などでもそうした公的年金の控除の多くが適用されたまま、さまざまな制度が乱立している。また、同じ企業年金であっても厚生年金基金と適格年金では積立期間中の課税上の扱いが違うなどの問題がある。

年金課税でさらに検討を要する問題として、以下の2点をあげておきたい。まず第1に、公的年金の所得分類である。公的年金の給付は、「みなし給与」として給与所得控除の対象となっていた。それが、1987年度の改正で必要経費としての給与所得控除を公的年金に適用することの是非が問われ、現在の雑所得に年金給付を分類する仕組みとなった。この改正によって今度は、年金受給者でも、給与所得があれば、給与所得控除と公的年金控除が同時に認められるという問題が生じた。また、雑所得に分類された年金に対して、140万円に達する最低控除額を設ける必要性があるのかという問題も残った。

年金税制では、この年金の所得分類と控除に関する検討が必要である。高齢者に対しては、基礎控除に加えて、老年者控除(50万円)が認められている。公的年金等控除を撤廃する一方、必要ならこの控除の拡充を図ることで、年金課税の強化を図るべきではないだろうか。一方、社会保険料控除を廃止し、課税ベースを広げ、税率を引き下げるなどの検討も進めるべきであると思われる。

年金税制は、年金制度と切り離せないことを指摘してきた。年金税制に関して残された第2の検討課題は、年金をもらいながら働いている場合の年金の扱い、すなわち、在職年金の問題である。65歳未満の場合、在職していると年金はまず、一律20%カットされ、毎月の給与(標準報酬月額)との合計額が22万円になるまで年金は、80%支給される。80%支給の年金と給与の合計額が、22万円を超えると、給与が34万円になるまでは、給与2円に対して年金が1円減額される。そして、給与が34万円を超えると、年金給付はなくなる。2000年4月からは、65歳以上から70歳未満の在職者にたいしても、年金のカットが行われるようになった(仕組みは同様であるが、年金の給付条件は、65歳未満の場合より緩和されている)。

年金受給者の給与が上がると、それにつれて年金がカットされる。65歳未満の場合であれば、80%支給の年金と給与の合計が22万円を超えると、給与2円に対して年金が1円カットされる。これは、給与所得に対して限界的に50%の課税がなされたのと同一である。このように、年金は年金、税は税という考え方で年金制度は作られてきた。

高齢化社会を迎えて、働ける人が一人でも働ける環境を整えることは重要な課題である。年金制度が税制との関係を無視していることによって、高齢者の労働供給を阻害することがあってはならない。

この点に関して、アメリカでは2000年から、在職年金のカット(Retirement Earning Test)が廃止された。この「2000年、高齢者の労働自由法」と題された法案は、上院、下院ともに満票で可決され、大統領もただちに承認している。財政の好転した結果という面もあるが、働ける高齢者が働く機会を年金制度が奪ってはならない。わが国では、公的年金等控除によって年金給付への課税を軽くしすぎている一方、在職年金の支給は厳しいという、逆転した政策となっている。年金の場合、このようにその仕組みと税制を切り離すことは、大きな誤りであり、一人一人の個人の生涯を通じた所得や労働の観点から制度の見直しが必要である。

II 課税単位に関する「中期答申」の内容と検討

課税単位に関する「中期答申」の内容は、つぎのとおりである。

「個人が一定の所得を稼得する場合、通常その所得はその個人に帰属することから、所得が帰属する個人に税負担を求めるのが適当です。また二分二乗方式を採用した場合には、適用される累進税率が平均化されるために、独身者世帯に比べて夫婦者世帯が有利になること、共稼ぎ世帯に比べて片稼ぎ世帯が有利になること、高額所得者に税制上大きな利益を与える結果となることなどの問題点が考えられます。このようなことから、課税単位については引き続き個人単位とすることが適当と考えます。(第二章8節、(1)個人所得課税の課税単位)」

わが国では、第二次大戦後シャウプ勧告にしたがって、それまでの世帯合算課税(家への課税)が個人単位の税へと改正されている。イギリス、北欧諸国が世帯単位の課税から個人単位の課税へと改革を行い、アメリカにおいても世帯課税の抜本的な改革が求められているなかで、課税単位に関してはわが国の制度は、先進的ともいえる。とくに、夫婦共稼ぎが増え、夫婦の間の所得格差も少なくなっていくなかで、夫婦の所得を合算して課税する根拠は薄くなっている。

アメリカでは、この課税単位の問題は、「結婚税(Marriage-Tax Penalty)」と呼ばれ、2000年の大統領選挙における争点の一つとなっている。夫婦が所得を合算する場合、単身者に適用される標準控除(standard deductions)の2倍の控除が認められていないこと、および15%などの一定の税率の適用される所得の幅が、合算所得の場合は、単身者の時と比べて2倍となっていないことなどによって、夫婦への課税は単身者より重くなる。

これを是正するには、控除額や一定の税率の適用される所得の幅の拡大が必要であるが、これは、上に引用した税調の「中期答申」の指摘するように、片稼ぎ、あるいは夫婦の間で所得に格差のある高額所得者への優遇となる。共和党は、この結婚税の是正を訴え、民主党は金持ち優遇策であるとし、すでに下院と上院を通過した法案に対して、クリントン大統領は拒否権を発動している。

このように、一方を立てれば、他方が立たないのが、課税単位の問題である。わが国でも、課税単位を変更することによって、さまざまな世帯の利害の軋轢が生じる。この時、問うべきことは、これまでの個人単位の課税を変えなければならないほどの問題が生じているかである。女性の社会参加が進むなかで、世帯単位の課税から、個人単位の課税の重要性が増すと考えるのがより適切であると思われる。

しかし、個人単位の課税にするだけでよいというのではない。この場合には、被扶養配偶者の課税上の取扱いが問題となる。すでにこの小論のはじめに述べたように、「103万円の壁」がある。103万円を超えると基礎控除と給与所得控除の合計額を超え、パートをしている被扶養配偶者本人への課税が始まるだけでなく、社会保険料の徴収もなされ、扶養配偶者の配偶者手当てもなくなる可能性がある。そのため、被扶養配偶者の労働供給が103万円で止まってしまうのである。

このように、課税単位を個人にしても、世帯への課税問題が終わるわけではない。ここでも、これからの高齢化社会のなかで、一人でも働ける人がいれば、働ける環境を整えなければならないという視点で税制を見なおして行く必要がある。「103万円の壁」の問題に対しては、配偶者控除、配偶者特別控除を廃止して、その代わりに、課税ベースを広げ、より低い税率を適用するなどして、税制が労働供給に及ぼす負の効果を取り除くことが重要である。

おわりに

年金課税と課税単位の面から、税調の「中期答申」の内容を紹介し、検討を行った。いずれについても、適切な事実認識に基づいて、議論が展開されているといってよいであろう。しかし、そのいずれも問題点の指摘に留まり、具体的な改革についてまで触れられていない。景気回復が最優先されているなかで、増税をともなう抜本改革を訴えることが困難であるという税調のおかれた制約を考えれば、それも理解できるが、次の一歩が示されていないもどかしさを感じることも確かである。

ここでは、それを埋めることを念頭に、何点か踏み込んだ議論を行った。年金税制では、年金が現在雑所得に分類されていることによる問題点を指摘し、そうした分類を廃止し、老年者控除の拡充などによって、年金課税の適正化を図るべきことを主張した。また、わが国の混乱した年金制度を与えられたものとして、税制を議論することを改め、年金制度の抜本的改革を同時に目指すべきことも主張した。これと関係して、在職年金の扱いについても触れ、年金制度と税制が切り離されている現在の仕組みを見直し、在職中の年金のカットを廃止すべきであると主張した。高齢化社会のなかで、税制によって、高齢者の労働意欲を阻害してはならない。

課税単位では、個人単位のわが国の方式が適切であると思われる。世帯の課税問題では、むしろ被扶養配偶者の取り扱いがより重要であり、この点「103万円の壁」が女性の労働供給を阻害していることを指摘した。問題の所在は、在職中の年金のカットと同じで、社会保険料控除、公的年金等控除、配偶者控除および配偶者特別控除などによって課税ベースが大きく縮小されている結果、働くことが損になってしまっているのである。所得税では、課税ベースをできるだけ広げ、(限界)税率をできるだけ下げる。それによって、人々の生涯にわたる、消費や労働の選択をできるだけゆがめることのない税制を目指すべきである。

(了)