日本一の長寿県を目指して・山下 俊一 福島県立医科大学 副学長・長崎大学大学院 教授~ 福島県復興に向けて健康の見守り事業 ~

 野口英世博士の生まれ故郷である福島県の唯一の医科大学である、福島県立医科大学・副学長の山下俊一教授が東京にお越しになった機会にお話を伺いました。山下教授は甲状腺がんの専門家であり、チェルノブイリの原発事故発生の5年後である1991年から現地に入り調査と治療を行った知識と経験を活かし、東京電力福島第一原発事故後は福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーに就任し、福島県の復興と再生を目指し、全県民を対象とした健康管理調査、福島県立医科大学の被ばく医療教育研究の拠点化事業に携わっています。

 山下教授が取り組まれている「健康の見守り事業」は、長期にわたる健康管理調査の継続による生活習慣病なども含めた総合的な心身のケアと、福島県立医科大学を被ばく医療の教育研究拠点とし専門家を育成する事によって、福島県が「日本一の長寿県」となる事を目指しています。

(インタビューは2012年1月13日都内で行いました。) 

 

 山下 俊一教授
山下 俊一
福島県立医科大学 副学長
長崎大学大学院 教授

1952年長崎市生まれ、1978年長崎大学医学部卒業、チェルノブイリ医療協力やセミパラチンスク核実験場周辺の医療支援活動歴20年。
福島原発事故を受けて長崎大学大学院医歯薬学総合研究科長を辞して現職。日本甲状腺学会理事長。WHO緊急被ばく医療研究協力センター長。

インタビュー時の山下教授
インタビュー時の山下教授 

福島県を愛する被災者たちをサポートしたい。

今現在どのような活動をされていますか?

山下教授:全県民を対象とした、健康管理調査(※注)の実施と、福島県『放射線と健康』アドバイザリーグループの一員として市町村や医療関係者、学校関係者などに助言を行っています。また、将来的に福島県立医科大学を被ばく医療の教育研究センター拠点にするための準備をしています。

福島県の資料を見ていて気が付いたのですが、健康管理調査の基本調査は全県民に調査票を送付するなど、規模が大きいと思いました。健康管理調査が持つ意義とは何でしょうか?

山下教授:健康管理調査がなぜ必要かというと、今回の福島第一原発事故の問題では、環境汚染に伴う低線量の慢性外部被ばくと、内部被ばくという、放射線の不確実で不確定な健康への影響に対する不安が大きいからです。発がんリスクそのものが確率論的なところがあり、すぐに安全か危険かの一定の基準を示すことが困難なグレーゾーンの領域が存在しています。もちろん、低線量の被ばくを軽視して良いはずはありません。しかし同時に、低線量の被ばくの危険性を過度に煽ってはいけません。チェルノブイリの教訓を生かして、全県民を対象とした、個人の被ばく線量の推計と健康管理を長期的にしっかりと行う必要があります。県民がどれくらい被ばくをしているか、分からなければ健康管理をスムーズに行う事が出来ません。また調査に併せて行われる甲状腺検査、妊産婦調査では長期にわたるケアも重要です。健康診査や生活習慣調査などを通して、たばこやお酒などの放射線以外の発がんリスクに対する意識を上げる狙いもあります。リスクゼロの社会はありませんが、これから遭遇するであろう種々の発がんリスクを減らす努力もまた重要です。

問診票による基本調査については、県民各自の記憶を頼りに、震災直後からのそれぞれの行動について記入してもらうために、全県民202万人に「基本調査問診票」を発送しました。早い時期から確かな情報を集めることによって、より正確な線量の推定を行うことが目的です。同時に避難された20万人以上の方々の住所をしっかりと登録していくことが重要となります。この調査をするにあたり、活動拠点をゼロから福島県立医科大学内に立ち上げ、昨年6月数名でスタートし、現在では80名を超す陣容ですが、もっと人も場所も必要です。前途多難な調査事業ですが、被災県民の健康増進を目標に、県と医大の教職員が一体となって毎日頑張っています。

福島県立医科大学で進められている、被ばく医療教育研究の拠点化構想についても教えてください。

山下教授:広範囲に環境が汚染した中で県民の安心と健康を守るためには、中長期的な活動拠点が必要です。さらに、風評被害を防ぎ、精神的・社会心理的な影響を最小限にするためにも、権威ある信頼出来る中立的な組織や機関が、客観的な健康リスク評価に基づく情報発信をコンスタントに発信し続ける責務があります。県民の健康調査は、今20年、30年と継続していかなくてはいけない仕事なので、なによりも被ばく医療の専門家を育てなくてはいけません。特に、放射線リスクコミュニュケーターは医療関係以外、教育や行政の分野でも不足しています。そのためにも、世界の叡智を結集し、福島県立医科大学を中心とした被ばく医療専門の教育拠点が不可欠であり、研修や人材育成が出来るようにしたいと思っています。チェルノブイリの原発事故では、世界が協力し、原発事故対策として緊急被ばく医療のネットワークが構築されました。世界では今も多くの原発が稼働し、新しい原発の建設も行われています。事故を起こさないことが第一ですが、それでも万が一事故が起きた時には、福島の経験を活かせる準備も必要です。そして事故が起きた後にどのような復興や再生の取組みが有用なのかも検証され、福島の教訓として生かさなければなりません。

将来にわたって永続的に続いていくであろう、甲状腺検診、心のケア、集団検診と、がん検診の受診率の向上や地域がん登録の充実などの包括的な事業は、日本全体にも必要な「健康の見守り事業」の疫学モデルになると思います。たばこや酒などの放射線以外の発がんリスクも含めて、県全体で地域に密着した健康管理を行う事により、「日本一の長寿県」つまり「世界一」を目指します。結果として、安心して住める「フクシマ」のイメージへとポジティブに変えることにつながるはずです。政府がしっかりと安全のガイドラインや対応策を示すと共に、医療現場は心身に対する適切なケアを行い、県民のいのちと健康問題をしっかりと見守る。現在の環境汚染問題の解決と健康増進事業はセットだと思います。

健康管理調査も、被ばく医療教育の拠点化構想も、大変な事業ですが、山下教授はなぜ福島にいらしたのですが?


山下教授:原発事故直後の混乱と情報がない初期に福島崩壊の危険がありました。もし、医療体制が崩壊すれば、誰がここに住む人々を守るのかという危機感を持ちました。緊急事態を脱しても、今も続く現存被ばくの状況下にありますが、福島で生きてきて、先祖代々受け継いできた土地や生活を愛する人たちをサポートしたいという思いがあります。チェルノブイリの教訓の一つが、事故直後の汚染ミルクの摂取による小児甲状腺がんの増加ですが、それ以上に不安や不信、生活の基盤崩壊による精神・社会心理的影響が大きく、二次的な身体不調が今も続いています。一方、福島では、汚染ミルクの廃棄や食の安全が厳しく守られていますのでチェルノブイリとは全く異なる被ばく状況です。しかし、環境汚染と心身健康問題の両方合わせて、しっかりと県民を見守る拠点が必要です。未曾有の原発事故に遭遇し、その精神的影響は甚大です。原爆被爆者医療やチェルノブイリの経験を生かし、長きにわたる福島の困難解決に、少しでも貢献できればという思いでいます。

野口英世博士は世界で活躍した医学者でしたが、国際医療の場で活躍することを志す人たちへ、メッセージをお願いします。

山下教授:私は、子供のころからアルバート・シュバイツワー博士と永井隆博士を尊敬してきました。「生命への畏敬」と「如己愛人」が座右の銘です。野口英世博士も尊敬し、当初は熱帯医学に憧れました。医師となり、自らの専門職を磨くとともに、社会の役に立つ仕事をしたいとの気持ちもありました。そのために、3年間の米国研究留学や2年間のWHOジュネーブ本部勤務、そして、20年以上旧ソ連圏における「核に汚染された大地」で医療協力事業と国際学術共同研究を推進して来ました。しかし、今回の地震、津波、原発事故の複合災害に加えて、情報氾濫の渦中に身を投じたことで、己の未熟さを痛感しています。東西冷戦構造の中で育ち、グローバルな視点から歴史を学ぶ機会を逸したのかもしれません。個別案件には一所懸命努力してきたつもりですが、大所高所から全体を俯瞰する能力はまだまだ不足しています。地域医療も高度先進医療も、そして国際医療そのものも、その根幹をなすものは、医療人として共通の基盤である「献身」と「勇気」の精神での継続した努力にあると思います。耳順の歳に、あえて国際社会での行動規範はと問われれば、「自己の確立」の上で、「変革を厭わない謙虚さ」と「行動力」でしょうか。

平成24年1月 長崎大学の留守を預かる教室員らと
平成24年1月 長崎大学の留守を預かる教室員らと
(写真提供:山下俊一教授)

※注 健康管理調査について(注釈:野口英世アフリカ賞担当室)
福島県では県外への避難者を含め、全県民を対象に、健康管理調査を行っています。
自記式質問票による、2011年3月11日以降の行動を調査する基本調査をはじめ、甲状腺検査(18歳以下の全県民が対象)、健康診査(既存の検診を活用)、こころの健康度・生活習慣に関する調査、妊産婦に関する調査を行い、必要に応じてケアを行い、更に県でその情報をデーターベース化し、県民の長期にわたる健康の管理に活用すると共に、健康管理を通して得られた知見を次世代に活用しよう、という取り組みです。
調査や検診で得られた結果を各県民の方々個々人で保存・活用し、放射線の正しい知識を身に付けることが出来るように、福島県『放射線と健康』アドバイザリーグループと県民健康管理調査委員会と合同の監修で県民健康管理ファイルを作成配布中です。ファイルには放射線に関する資料も掲載され、各種調査結果と、検診や健康状態の情報を一括して保存可能であり、基本調査の結果とともに順次福島県民に送付される予定です。
詳細は福島県のホームページならびに福島県立医科大学放射線医学健康管理センターの見守り事業紹介をご覧ください。

編集後記

野口英世アフリカ賞担当室にいると、野口英世博士に様々な形で影響を受けた方、関わりのある方に接する機会がありますが、山下先生も野口英世博士を尊敬し、そのこともあって、当初は熱帯医学にご関心があったとのことです。山下先生の福島県での主な任務に、福島県立医科大学を被ばく医療の教育と研究の拠点にするとのお仕事がありますが、今度は、山下先生の背中を見て育つ医療人が出てくる番なのではないかと思います。