日本の母子手帳が世界の親子を守る・中村 安秀 大阪大学大学院人間科学研究科国際協力学講座 教授~ 各地の文化・習慣に合わせたテーラーメイドの母子手帳を世界へ ~

第1回野口英世アフリカ賞授賞者であるミリアム・ウェレ博士が中心となり、2012年10月22日から26日、ケニアのナイロビで第8回母子手帳国際会議が開催される予定です。

ウェレ博士は2009年大阪大学でアフリカの保健事情について講演した際、中村教授から母子健康手帳(以下、母子手帳)の話を聞き、大変感動しました。そして中村教授も世界で母子手帳を広める上で、アフリカでの母子手帳に関心がある人を探していました。それ以来、ウェレ博士はアフリカの母子保健の向上のため、母子手帳の普及に努め、中村教授もその活動に協力をしてこられました。

母子手帳も国や地域、時代により求められる事が変わり、その内容も変化をとげてきました。世界で母子手帳を普及させる活動をなさっている中村教授に、母子手帳について貴重なお話をして頂きました。

(インタビューは2012年7月13日 都内にて行いました。)

 

 中村安秀教授
中村安秀 教授
大阪大学大学院

大阪大学大学院人間科学研究科 教授。特定非営利活動法人HANDS 代表理事。
1977年東京大学医学部卒業。86年から国際協力機構(JICA)の母子保健専門家としてインドネシアに赴任、その後も途上国の保健医療活動に取り組む。1999年10月より現職。
2000年NPO法人HANDS設立に携わり代表理事に就任。国際協力、保健医療、ボランティアをキーワードに、学際的な視点から市民社会に役立つ研究や教育に携わる。
1998年第1回母子手帳国際シンポジウムを日本で開催して以降、隔年で世界各地にて同会議を開催している。

インタビュー中の中村教授
2012年7月13日 インタビュー中の中村教授 

はじまりはインドネシアから。
母子手帳が無い世界を体験して初めて分かった、ありがたさ

中村先生は今は大阪大学で母子手帳について研究をしたり、特定非営利活動法人 HANDS(以下 HANDS)を通じて母子手帳の世界での普及協力活動をされています。母子手帳に関わるようになったきっかけは何ですか?それまではどのようなお仕事をされていたのでしょうか?

中村教授:母子手帳の活動を始めたきっかけは、20数年前になります。当時はJICA(独立行政法人 国際協力機構)の母子保健専門家としてインドネシアの北スマトラ州という所で仕事をしていました。乳幼児死亡率を下げるために村の子どもたちの健康を改善するというプロジェクトでした。電気も水道も無い村で、村の人たちや、村にいるヘルスボランティアという人たちと一緒になって健康改善をする活動を実際に村に入って2年3カ月行っていました。そうすると村の人からいろんな相談を受けるわけです。プロジェクトとは関係なく、少し障害を持つ子どもの話など相談を受けます。そういう時に「生まれた時の体重はどれくらい?」と聞いても「分からない。」とか、「妊娠中はどうでしたか?」と聞いても「ちょっと大変だったけど、よく分からない。」となる。母子手帳など、記録が何も無いわけです。その時に日本の母子手帳のありがたさを初めて知りました。日本では小児科医として当たり前のように母子手帳をずっと使っていたのですが、特にありがたいものとは思ってはいませんでした。ところが母子手帳の無い世界に行って初めて“ああ母子手帳って素晴らしいな”と思いました。ただその時は母子手帳のプロジェクトではなく、地域保健を改善するというプロジェクトだったので、今後は母子手帳をやる必要がある、インドネシアにとっても母子手帳が必要である、ということを村の人と過ごす2年間で身をもって体験したということでしょうか。それがきっかけですね。

1988年インドネシア北スマトラにて1988年インドネシア北スマトラにて
1988年インドネシア北スマトラにて(写真提供:HANDS)

それでは一度日本に帰国してから、母子手帳により焦点をあてたということですか?

中村教授:次に母子手帳に関わりをもったのは90年代になってからです。日本に研修に来たインドネシア人の医師がいました。元々知り合いの医師なのですが、日本に来るのならば僕のところにもいらっしゃいと言っており、当時私は大学病院に勤めていたのですが、私の研究室にやって来ました。彼に「日本の研修はどうだった?」と聞くと「母子手帳が素晴らしい。日本の色々な所で母子手帳を見て来たけれど、インドネシアでこのプロジェクトをやっていきたい。」と言いました。ちょうど中部ジャワで家族計画プロジェクトという、JICAの母子保健プロジェクトがありました。そのプロジェクトで母子手帳をしたい、と彼は強く言って、それに引きずられるようにして母子手帳に関わり始めた事が最初です。

 母子手帳を作るにあたって心がけたのは、3つです。1つ目は日本の母子手帳の翻訳はしない。それは極めて簡単で、日本の母子手帳は日本の文化と習慣、そして日本の保健医療システムの中で使う時には、日本の母子手帳で良いわけです。でもインドネシアは違います。私はインドネシアでずっと仕事をしていたので、どれだけ違うかよく分かっていました。ですから日本の母子手帳の翻訳はしない。

 2つ目は、インドネシアの母子手帳には今までインドネシアで使っていたものを出来る限り使う。例えば、インドネシアでは体重表があります。体重表は今まではカードでした。カードの体重表をそのまま母子手帳に入れる。なぜかというとインドネシアの保健師さんもヘルスボランティアもそのカードを使って、ずっと記録をしていたわけで、使い方が分かっています。それを母子手帳の中の1ページに同じ色で、同じグラフで入れるとすぐに使えますよね。それを日本人が行って「こっちのほうが使いやすいから。」と別のグラフを作ったら、もう1回使い方を1から教えないといけない。あるいは使いこなせない。日本人が良い物を作ろうとして、作りすぎてしまったものは良くない。だから普及させるためには、現地にある既存のものを出来るだけ使いましょう、と言ってきました。

 3つ目は、普及させるにあたり最初は小さいモデル地域で行いました。人口15万人の中部ジャワのサラティガ市でやり始めました。その時点で「全国展開しましょう。」とインドネシア人と一緒に言っていました。「10年経ったら全国制覇」というのがインドネシア人との合言葉でした。逆に言うと良いモデルプロジェクトは作らない。つまり日本人はモデルプロジェクトをやると、丹精込めて良い物を作ります。人口15万人であれば、予算もあるし、良い物が出来ますよね? でもインドネシアは2億4千万人もいるのだから、全国に広めるには一つのところであまりにも良い物を作ると広まらない。ベストな物が普及するとは限らないんです。「10年経ったら全国制覇」という合言葉で、一つのところで凝り固まって丹精込めて作るのではなく、ちょっと良いものが出来たらどんどん広げていこう!と広げて、広げて活動を行っていました。

 人口15万人の所からどのように広がったかと言うと、広がった時にお世話になった3つの大きいファクターがあるのですが、1つ目は、最初はJICAのプロジェクトで始めたのですが、すぐにADB(アジア開発銀行)、世界銀行など他のドナーがすごく関心を持って、やって来てくれて、別の所で活動を始めました。そして僕らは最初は基本的にJICAのプロジェクトで行っていましたが「JICAの著作権はいらない。あなた達使ったらいいねん。」と言い、著作権フリーにしました。

2004年インドネシア中部ジャワ州 母子手帳を持つ母親たち
2004年インドネシア中部ジャワ州 母子手帳を持つ母親たち

2003年インドネシア 自分の母子手帳を抱える女の子
2003年インドネシア 自分の母子手帳を抱える女の子

(写真提供:HANDS)

多民族国家のインドネシアでは地域ごとに母子手帳の表紙の写真が異なる 

 西カリマンタン
西カリマンタン

東ジャワ
東ジャワ 

ジョグジャカルタ
ジョグジャカルタ 

 西スマトラ
西スマトラ

 中部ジャワ州
中部ジャワ州

 南スラウェシ州
南スラウェシ州

 

最新版母子手帳
最新版母子手帳 











 




 


 


(写真提供:HANDS)

 

フリー&シェアですね?

中村教授:色々な議論があって「JICAが作ったのだから、表紙にJICAのロゴマークを入れるべき」など意見がありました。だけどJICAのマークが入ったものをADBが印刷をする訳がないですよね。なので、ADBが印刷をする時は、表紙のJICAのロゴマークは外しても良い、という事にしました。その代わりに裏表紙には「この母子手帳は、保健省とJICAが1997年に作りました。」という、誰がいつ作ったか分かる文言だけは入れてもらいました。実際に全てのインドネシアの母子手帳にこの文言が入っています。これはすごいことです。今現在、インドネシア中のお母さんが年間400万冊以上の母子手帳を使っているのですが、その裏表紙にはこの文言がずっと残っています。著作権フリーにして、そういう所で実を取りました。マークなどにとらわれず、知る人ぞ知る、そうして広まったわけです。

2つ目は、JICAインドネシア事務所の協力です。私の周りでは“全国制覇”は無理だと言う人が多かったなか、当時のJICAの所長さんが「このピンクの母子手帳でインドネシアの端から端まで、ピンク色に染めるんだ。」と言ってくれました。母子保健とか、乳幼児死亡率を下げるとか、もっと大きいことをしなくてはいけないなか母子手帳を印刷して配るだけの事をしているかという批判を受けることもありました。しかし、プロジェクトの現場に近いところ、JICAインドネシア事務所がその可能性を肯定し、応援してくれる、それは大変心強いものでした。

 インドネシアの母子手帳の裏表紙

拡大図
拡大図

インドネシアの母子手帳の裏表紙
この母子手帳は、保健省とJICAが1997年に作りました。という文言が入っています。
(写真提供:HANDS)

インドネシアの人々に助けられる。
クチコミ的広がりを見せる母子手帳。母子手帳というスタンダードが出来るまで

一番苦労した点は何ですか?

中村教授:やはりお金の面では苦労しました。来年の分の印刷費がプロジェクトで急に出せなくなりましたと言われたことがありました。謝るためにインドネシアへ自費で行きました。嬉しかったのは、向こうの人たちが「OK!」と言ってくれたことです。保健省の衛生局長が「ここまで来て、今さらこれをやめるとは言えません。」と言ってくれました。そして、最初にプロジェクトを行ったサラティガの町が自分たちでどこかから資金を調達してきました。お世話になったファクターの3つ目は、インドネシアの人たちに結構助けられているということです。「こんなにいい物が出来たのに、途中でやめられない。」と言ってくれたのもインドネシアの人ですし、予算も取ってきてくれました。まだ母子手帳がいくつかの限られた州にしかない時に、助産師協会の人は「私達の所以外にも助産師協会はあるから、私達のルートで母子手帳を配りましょう。」と言って、ゲリラ的に広めてくれたのもインドネシアの人たちでした。

口コミ的に広がっていった要素が大きいですね。

中村教授

中村教授:そうですね、それはあります。著作権も無いので、ある産婦人科医がロータリークラブのお金で配り始めたりしました。「そんな話聞いてないよ!」ですが(笑)。勝手に色々やってくれたのはインドネシアの人でした。市民の皆さんが色々とやってくれたことは、私たちにとってとても励みになりました。そんな風に広まっていきました。最後はインドネシア版母子手帳が出来て10年経った時に、インドネシアの保健大臣令というのがあって、法律ではないのですが、保健大臣の正式文書として「インドネシアの全ての子どもは生まれた時に母子手帳を配布されるべきである。」と言って制度化されたわけです。

制度化出来たことで大きく感じたことが2つあります。制度化出来たからと言って、すぐに普及率が100%にはなりません。すぐになったら、国際協力はいらないですよね?制度化した後も努力が必要である、という事を学んだのが1つ目。

今度は制度化出来たら、次にどのような事が起こるか。例えばAusAID(オーストラリア国際開発庁)などがインドネシアで母と子の健康に関する新しいプロジェクトを行おうとすると、母子手帳を使わざるを得ない。母子手帳が大臣令に入っているので、勝手にAusAIDが作った何とかプロジェクトの物を配ることは出来ない。そうすると母子手帳はどうやって作るのか?いくらかかるのか?などAusAIDやUSAID(アメリカ合衆国国際開発庁)がプロジェクトを始める前に僕らの所に相談に来ます。これかっこいいでしょう? アメリカの年間予算100億とかやっているコンサルタント会社が事前に「内緒だけど、母子手帳の作り方を教えてもらえませんか?」と来るわけです。

2004年インドネシアの診療所で母子手帳が活用されている様子
2004年インドネシアの診療所で母子手帳が活用されている様子(写真提供:HANDS)

日本人が苦手と言われる、スタンダード作りですね。

中村教授:そうですね。他のドナーとも仲良くなれますよね。スタンダードを作り、スタンダードを持っていることの強みを感じました。AusAIDの人も「私たちも本当に良い母と子どものためのマニュアルがあるから、本当はそれを配りたかった。あなた達の母子手帳がスタンダードになっているからそれを印刷せざる得ない。」とちょっとジェラシーっぽく、食事の時に話していましたよ。

なぜアフリカに母子手帳が必要なのか?
各地の文化・習慣に合わせてテーラーメイドが出来ることの重要性

今までは母子手帳との関わりのきっかけやインドネシアでのお話でしたが、今度はアフリカについてお聞きしたいと思います。第1回野口英世アフリカ賞受賞者である、ウェレ博士と中村先生の出会いや、今度ケニアのナイロビで開かれる予定の第8回母子手帳国際会議をアフリカで開催しアフリカで母子手帳を普及させることの意義について教えてください。

中村教授:ウェレさんとの出会いは衝撃的で印象的でした。大阪でウェレさんがアフリカのシンポジウムを開いて、その時に大阪大学に来ていただいた事がきっかけです。大阪に来る前に1日時間があり、ウェレさんが京都を見たいというので、京都をHANDSのアドバイザーであり京都出身の板東あけみさんに案内をしてもらいました。板東さんにはウェレさんに母子手帳の事を説明するようにと、ウェレさん用の母子手帳の資料をお渡ししました。そうしたら、京都を案内している間中二人はずっと母子手帳の話をしていたそうです。ウェレさんはその日の夜、英語で70~80ページの資料を眠気を忘れて読んだと言っていました。そうして次の日のシンポジウムでお目にかかりました。その時にウェレさんは「母子手帳はそこの国の文化や習慣に合ったものを作れるという素晴らしいツールである。」という事を言っていました。「日本で作った母子手帳をそのまま使うのではなく、インドネシアにはインドネシアの、ベトナムにはベトナムの母子手帳があって、アフリカでもそれが出来る。そういうものを私たちは求めていました。」という事を言われました。それからはウェレさんとは色々なお付き合いをさせてもらっています。ウェレさんが日本に来た時は会いますし、大阪大学の学生がケニアに行った時は、ウェレさんのお宅で食事をごちそうになった学生が何人いるか数えきれないほどです。とてもお世話になっています。その代わり学会でウェレさんをお呼びする時はUZIMA財団(※注1)の若者も一緒にお呼びして、日本を見てもらって勉強する、そういうお互いの交流をしてきました。

そういう中で今回、アフリカで母子手帳国際会議をウェレさんが中心になってケニア保健省と行うという事の意義はとても大きく、大きく言って3つの事が言えると思います。

1つ目は、MDGs(※注2)の目標4、5の2つ、乳幼児死亡率の減少と、妊産婦の健康の増進に関して達成が難しい国が一番多いのがアフリカです。特にサブサハラアフリカ。母子手帳はMDGsの目標4と5をそれぞれ別々にではなく、統括して一緒に健康にしていきましょう、というツールです。ですから今アフリカで母子手帳を広げていくことの意義は非常に大きいです。

2つ目はこの母子手帳が、特に途上国の中で有効な理由の一つに、色んなカードを母子手帳の中に一つにまとめあげるという機能があります。予防接種に関しては、予防接種の時に配られるカードがあります。体重を計る時は、体重を記録するカードが配られます。お母さんの妊娠中には妊婦健診のカードが配られます。場合によってはお母さんが子育てをしている間に4枚も5枚も別々のカードが配られる事も少なくありません。残念なことにアフリカではこれらのカードを一つに統合することが簡単なようでいて、簡単ではありません。なぜかと言うと、予防接種のカード、お母さんのカードごとにドナーが違うと、全てのカードを一緒にしようと思っても、お金の出所もプロジェクトの期間も違う、評価の方法も違うものを一つにまとめるという事は大変なことです。母子手帳は新しいプロジェクトでは無く、今まである既存のプロジェクトを単に統合するだけなので、これに保健省が主体的に取り組んで、ドナー別に分かれていたカードを一つの手帳にまとめる事に対して反対できる人はいません。ドナー間の調整は大変ですが、保健省がまとめて1冊だけにして渡すことが出来るようにした方が良いに決まっています。あとはドナーの人たちが、“アフリカのお母さんと子どものために仕事をしているのか?”それとも“ドナーのために仕事をしているのか?”という事が問われるだけです。ドナー自身のために仕事をしている所は文句を言うでしょう。アフリカのお母さんと子どものために仕事をしているドナーであれば、一つにまとめることに文句を言う人はいないはずです。これをアフリカ中で言っていきたいと思います。これが今回の母子手帳国際会議の大きな趣旨です。

3つ目ですが、すでにアフリカのいくつかの国でプロジェクトが進んでいて、ケニアでは母子手帳が出来ています。このケニアの母子手帳を作ろうと提案してくれた人は、東京女子医大に留学していたケニア人のお医者さんです。彼女は日本で医学博士号を取得した後、ケニアでアフリカのエイズの母子感染予防対策のプログラムに関わっていました。そこでは妊娠中から出産そして、その後も子どもをずっとフォローする必要がある。このフォローをするにはどうしたら良いか?となった時に日本でみた母子手帳が良いのではないか、と言って出来たものが最初のケニア版母子手帳でした。これはケニアのHIV/AIDS対策が直接の目的だったわけですが、実際には日本で学んだ母子手帳を応用しました。

このように日本で学んだケニア人が頑張ってくれていることを日本が助けないわけにはいかない、日本人としてサポートしてあげようと思いますよね。アフリカの中で自分たちで開発をしようとする人達がいるのだから、その人達をサポートしてあげたいという気持ちが今回の母子手帳国際会議にはあります。

日本の母子手帳のアプローチはテーラーメイド的要素が強いですね。

中村教授:テーラーメイドにするという、日本的な良さ。これがドナー(援助国・機関)によっては、50ページの英語版を翻訳して、あれしなさい、これしなさいとなる。テーラーメイドの部分をウェレさんはとても評価してくれて、「中村のやり方は他のドナーと全然違う。」と言われました。すでに僕らのやり方で20数カ国でじわじわ入り込んでいます。ただこの良さをアピールするには英語でアングロサクソン的なロジックでこれを位置付けないとだめです。“じわじわ行ったから良かったんです”と言ったら、アングロサクソンには“何を寝言を言っているんだ”という事になってしまう。そのために母子手帳の効果とインパクトを理解してもらえるよう、実証的なデータを提示していく方法をいま検討中です。

2010年バングラデシュで開催した第7回母子手帳会議。ウェレ博士も参加。
2010年バングラデシュで開催した第7回母子手帳会議。ウェレ博士も参加。

2008年11月東京で開催された第6回母子手帳子国際会議では300名以上の参加者を集める
2008年11月東京で開催された第6回母子手帳子国際会議では300名以上の参加者を集める

(写真提供:HANDS)


※注1 UZIMA財団(ウジマ財団)(注釈:野口英世アフリカ賞担当室)
UZIMA財団は、第1回野口英世アフリカ賞の医療活動部門の受賞者である、ミリアム・ウェレ博士が設立したケニアの社会福祉団体です。「ウジマ」とは、スワヒリ語で良質な生活を意味しています。ウジマ財団は、HIV/AIDS及びマラリアの対策を含む保健の向上を通じて若年層の自己啓発を行っています。

※2 MDGs(エムディージーズ)(引用:外務省政府開発援助 ODAホームページ)
ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals: MDGs)は、開発分野における国際社会共通の目標です。2000年9月にニューヨークで開催された国連ミレニアム・サミットで採択された国連ミレニアム宣言を基にまとめられました。
MDGsは、極度の貧困と飢餓の撲滅など、2015年までに達成すべき8つの目標を掲げています。
詳しくは外務省のホームページをご覧ください。

関心を持って、みんなで応援を。
妊産婦死亡率・乳幼児死亡率の低さ、当たり前のように母子手帳がもらえるというしあわせ

最後に今日本で母子手帳を使われているお父さん、お母さん、あるいはこれから使う予定である人たちへメッセージをお願いします。

中村教授:特に今母子手帳を使っている人、または妊娠して母子手帳を貰った女性に是非言いたい事があるのですが、日本は乳児死亡率というものが最も低い国の一つです。もちろん新聞などをみたら痛ましい事件などはありますが、それでもやはり日本では“子ども”というものは妊娠、出産して、生まれて1歳まで、死亡が少ない国の一つなんです。でも良く考えてみると、人類というのが生まれてから妊娠というのは大変な事で、女性にとって大仕事だったわけです。出産は危険な仕事であったし、生まれてすぐの赤ちゃんは弱いもので、いつ亡くなるかも分からない、そういう存在でした。アフリカではそのままと言いますか、日本の昔のままなのです。アフリカでは今でも高い妊産婦死亡率、高い乳児死亡率があり、日本は世界で最も恵まれた国の一つであり、その恵まれた国の持つ母子手帳というものを皆さんは貰い、使うことが出来ます。

そういう意味では、なかなか医療が受けられない国、あるいは母子手帳が無い国がある中で、母と子どもの健康を少しでも良くしようという活動に何か関心を持って頂き、今すぐアフリカで頑張って下さいとは言えませんが、頑張っている人たちをちょっとサポートする、例えばHANDSでも行っていますが募金や、メッセージでも良いので関わって頂けると嬉しいです。

2011年スーダンで村の母子の健康を守る村落助産師たちと。
2011年スーダンで村の母子の健康を守る村落助産師たちと。
HANDSは彼女たちの技術研修制度をつくるJICAプロジェクトを実施中
(写真提供:HANDS)

(インタビューは2012年7月13日に都内にて行いました。)

特定非営利活動法人 HANDS(Health and Development Service)について

HANDSは2000年に設立され、開発途上国の人びとの健康を改善するために国際協力活動をおこなう団体です。日本人の医師や看護師が現地で直接医療を施すのではなく、「保健の仕組みづくりと人づくり」に重点をおき、その国や地域の人たちが自らの力で持続的に住民の健康を守っていくことができる社会の実現をめざしています。

村の母親たちに授乳方法を指導する看護師(ケニア)
村の母親たちに授乳方法を指導する看護師(ケニア)
(写真提供:HANDS)

また母子手帳を使って母子の命と健康を守る世界の取り組みを応援し、これまで母子手帳国際会議の運営にも携わってきました。世界の母子保健の実践家や研究者たちが集まり、母子手帳や母子保健の改善をテーマに事例や教訓を共有する最良の機会でもある本会議は、第8回目にして初めてアフリカ(ケニア)で開催されます。母子の死亡数が高く、早急の対応活動が必要とされるアフリカの国々から、一国でも多くの参加者があることを期待しています。アフリカ諸国の参加費用を支援するため、下記のWebサイトでは企業協賛や個人の方からのご寄付も受け付けております。

健診に母子手帳を持参するお母さん(ケニア)
健診に母子手帳を持参するお母さん(ケニア)
(写真提供:HANDS)

編集後記

日本の母子手帳が世界で役に立っている、日本人としてとても嬉しい事です。同時に世界ではたくさんの子ども達の命が失われている、という悲しい現状があります。“当たり前”に母子手帳がもらえる事に改めて感謝をしました。

世界でもっと母子手帳が広がり、健康なお母さんと子ども達を増やすためには、まず日本人の私たちが、中村先生やウェレ博士が行っている活動を応援していく必要があります。この記事を読まれた方が一人でも多く母子手帳の活動に興味を持ち、応援してくださるようになれば幸いです。