小泉純一郎衆議院議員の経団連常任理事会における挨拶平成十九年七月四日(水)    経団連会館内会議室

 こんにちは。今日は、経団連の常任理事会に貴重な時間をわざわざ割いていただき、「野口英世アフリカ賞」について話をする機会を与えていただき、誠にありがとうございます。また、経団連の皆様方には、私が総理在任中、奥田前会長、そして現在の御手洗会長をはじめ、格段のご支援、ご協力をたまわりましたこと、厚く御礼申し上げます。
 今日は、皆様方に「野口英世アフリカ賞」の募金につきまして、私が、募金委員会の代表世話人を務めておりますので、ご支援を賜れればということで、御手洗会長には快く今日のこの場を設けていただきました。実は、御手洗会長も募金委員会のメンバーです(笑)。
 この「野口英世アフリカ賞」は、私が昨年、現職の総理大臣としてアフリカを訪問する際、アフリカ五十三か国あるわけですが、どこの国を訪問したらよいかと。どこの国からも日本は好感をもたれておりまして各国から来てくれ、来てくれという状態でございます。しかし、時間、日程の関係もありますからどこを選ぶかと、他から文句を言われないよう二か国選ぶということにつきまして非常に苦労した。選んだのはエチオピアとガーナです。エチオピアをなぜ選んだかといいますと、これはアフリカ連合AUの本部がエチオピアにあります。ですから、エチオピアの首相とアフリカ連合の委員長と会談するということでエチオピアを選ぶことにしました。これは誰からも文句は出ない。もう一つ、これは、ガーナ。野口英世博士が五十一歳で黄熱病の研究の最中、亡くなったところです。戦前、野口英世博士ほど、アメリカ、ヨーロッパの研究所へ招待され講演をした人はいません。数々の業績を挙げ、ノーベル賞の候補にもなりましたけれども、ノーベル賞受賞はかないませんでした。日本人のほとんどの方は、野口博士のことを伝記なり、映画なりで存じていると思います。
 私は、ガーナに行く前から野口博士の業績には多くの感銘を受けてきました。伝記を読んだり、映画を観たりして感動しておりました。不思議なことで、アフリカに行く飛行機の中、一人で政府専用機の総理大臣の部屋で考えているうちに、野口博士の声が聞こえて来るような気がしたんです。「よく来てくれたな」。野口博士からうれしそうな声で。そのときふと考えたのは、日本も病や貧困に悩んでいるアフリカの人々に何かしてあげるべきだと。そして考えたのが、この「野口英世アフリカ賞」なんです。死者が生きている人を動かすということがあると聞いておりますけれども、そういう感じだったんです。
 それにしても、よくもまあ、すでに世界で十分名声を博した博士が、五十歳になって、昭和二年にガーナにわたり、一年たらずで亡くなったわけですが、アフリカにまで渡り、黄熱病の研究に取り組んだものだと思うんですね。この情熱たるや、使命感たるや、尋常ではない。その野口博士の研究室はガーナに今も残っています。
 野口博士は、幼くして手を囲炉裏でやけどをし、貧しい家庭で学校に行く金もない。もちろん医者に診てもらう金もない。手術してもらう金もない。しかし野口博士に対して、回りの方々が、野口博士の才能については多くの人が認めた。そして資金を援助するわけです。学校に行かせてもらい、手術をし、多くの人に助けられて医学博士になり、アメリカにわたり、ロックフェラー医学研究所で研究をやって、業績を認められた。その後さらに病の根絶のため研究の情熱さめることなく、アフリカに渡り、自ら黄熱病で亡くなった。
 野口英世博士の人間性については、毀誉褒貶相半ばする人であります。
 作家の渡辺淳一氏は、今売れている「鈍感力」とか恋愛小説で有名ですが、皆様方で読んだことがある人がいるかもしれませんけど渡辺淳一氏の「遠き落日」という野口英世の伝記。これは伝記文学として傑作だと思う。できたら時間があったら読んで頂きたいと思う。
 そこにある野口英世は、人間性を考えたら二度とこういう人とは付き合いたくない、という人です(笑)。
 変人と私はいわれていますが(笑)、変人どころじゃない(笑)。もう、ある意味においては性格破綻者といってもいいくらいな借金王です。貧しいせいか、誰彼とかまわず借金をするんです。そして平然と踏み倒すんです。不思議なことに、これほどひどい借金をして踏み倒すのに、また貸しちゃう人がいるんです。平気で借金をして踏み倒す人がいることに感心するんですが、この人にまたよく貸す人がいるかと思うと感心しちゃう、あの本を読んでると。そういう不思議な人物なんですが、人間性はともかく、その業績はすばらしい。
 最近のサミットでは、必ず、環境問題とアフリカの問題がとりあげられる。この2つの問題はいまの国際社会の最大の関心事項といってもいい。「野口英世アフリカ賞」は、アフリカの病の撲滅に努力している人、医療活動に従事している人に対象を絞って、ノーベル賞級の資金を授与しようというものです。ノーベル賞を超えるというのはノーベル賞に対し僭越ですから、ノーベル賞程度の一億円の賞金を、医学研究者、医療従事者に、五年に一度与えようというものです。ノーベル賞は平和、文学、物理いろいろありますけど、「野口英世アフリカ賞」は、医学、医療を対象に、研究している人に授与するもので、アジア人でも、ヨーロッパ人でも、アメリカ人でも、日本人でも、人種は問いません。しかし、アフリカの医療、病気に取り組んでいる人を対象にしようという賞であります。
 日本は五年に一回、アフリカ開発会議(TICAD)を開催しています。
 来年は四回目で、横浜で開催しますが、この会議にはアフリカの大統領、首相が来ます。そのTICADの席で第一回の「野口英世アフリカ賞」授賞式をやろうと。たまたま来年五月は、野口博士が亡くなって八十周年の節目にあたります。そういうことから、私は、日本としてもアフリカに対して進んで取り組む姿勢を示すことが出来ると思います。
 野口英世アフリカ賞は、宗派にとらわれず、また、政治にもとらわれず、世代を超えて、アフリカ医療に関する業績、これを顕彰しようというものです。アフリカに関係している方もいない方もおられると思いますが、わずかでも浄財を寄附して欲しいと思い、今日はここに参りました。
 野口博士は借金王。借金を踏み倒して、留学資金だ、渡航資金だといって、多額の篤志といいますか、恩恵を受けた恩人の方から借金をすると、すぐ、飲み食いに使っちゃうんですね。それでまた平然と借金をして、それでもまた貸す人がいる(笑)。不思議な人ですよ。
 今日、歴史・時代小説作家の池宮彰一郎氏のお別れの会があった。
 本能寺・平家・高杉晋作や忠臣蔵の本をものしておりますが、実は、池宮彰一郎さんとは、彼の生前に対談することがあり、その際、池宮さんは、凡人は天才と会ってはいかん、と言うんです。凡人は天才に魅入られてしまうぞと。幕末、下関の豪商、白石正一郎という人がいた。勤王の志士たちに資金を提供していた人です。その豪商であった白石正一郎が一番入れ込んだのは高杉晋作です。自分の身上をつぶしちゃうくらい、高杉晋作に資金援助するんです。ところが高杉晋作は明治維新の直前、亡くなっちゃうんです。明治時代になって白石正一郎へ、高杉晋作に対して、身上つぶすほど資金援助したのに後悔していないかと聞いたら、白石正一郎は、「全く後悔していない。自分はああいう高杉晋作という天才にめぐりあえたことは、人生で一番幸せだった」という。だから凡人というのは、天才に会うとひどい目にあうという典型的な例だと思います。
 野口英世は借金王だと、確かに天才的借金王。あれほどの貧苦の中から、アメリカに渡って、そして、世界的な功績をあげた。
 こういう天才でありましたので、考えてみれば、亡くなった借金王の野口博士が、現職の総理に借金を申し込んだと思えばいいのかなと思っています(笑)。野口英世という天才に入れあげるのであればいいなぁと、喜んで募金委員会の代表世話人になりました。
 私も総理大臣を五年五か月やりましたから、一千万円か二千万円くらいは退職金で寄附しなければいかんなと思い、それを実行しようと思っていた。私は横須賀市に住んでいますが、横須賀の市長は、一期四年務めると退職金は二千四百万円、神奈川県の知事は四千百万円です。私は総理大臣を五年五か月務めていましたから、私の退職金はいくらかと聞いたら、何と六百六十万円だと(笑)。それで、税金を引かれて結局いくらもらったかというと、六百三十四万五千円です。私は少ないとは言わない。せめて市長も県知事も総理大臣並にしたらどうかと言っている(笑)。
 総理大臣の五年五か月の退職金は、全部、この「野口英世アフリカ賞」に寄附しました。
 募金は一口千円です。なぜ一口千円かというと、千円札の肖像画が野口英世だからです。政府だけではなく、財界だけでなく、一般国民にも、小学生にもお年玉から千円なりとも、寄附してくれることを期待しています。多くの国民が野口英世の人生を見て、学んで、何か感じる。
 それで勇気付けられる。自分も何か努力しようと。そしてその善意がアフリカの病に苦しんでいる人たちを少しでも助けることになる。
 どうか皆様方、ご理解、ご芳志をお願いします。