第3回野口英世アフリカ賞受賞者の決定(医療活動分野) 報道発表平成31年4月25日 内閣府

日本国政府は,第3回野口英世アフリカ賞をジャン=ジャック・ムエンベ=タムフム博士(コンゴ民主共和国)とフランシス・ジャーバス・オマスワ博士(ウガンダ)に授与することを決定した。

医療活動分野
フランシス・ジャーバス・オマスワ(Francis Gervase Omaswa)(ウガンダ)

フランシス・ジャーバス・オマスワ博士1943年ウガンダ生まれ。
東アフリカ大学マケレレ医学校にて学士号(医学)、マケレレ大学にて修士号(外科)取得。
現在、グローバルヘルスと社会変革のためのアフリカセンター(ACHEST)所長。

第3回野口英世アフリカ賞(医療活動分野)受賞者のオマスワ博士は、保健従事者の教育、研修、定着及び移住を含む世界の保健人材(HWF)危機への対処、また、アフリカはじめ世界での人材重視の保健及び医療制度の構築において多大な貢献をした。

フランシス・ジャーバス・オマスワ博士は、ロンドンでの心臓外科医の職を辞してケニア、後にウガンダに戻り、故郷アフリカで臨床・外科の能力開発を行った。以来30年以上にわたり、保健人材の支援、育成及びその効率的な活用のための国際的システムの開発において世界的なリーダーとなった。特に、アフリカ大陸における活動を通じて、第1回保健人材グローバルフォーラムの企画と開催を主導し、保健人材開発に関するWHOカンパラ宣言及び今やグローバル対応の指針となっている世界行動計画の実現に道筋をつけた。博士は、世界ストップ結核パートナーシップ(Global Stop TB Partnership)、世界エイズ・結核・マラリア対策基金(Global Fund to Fight AIDS, Tuberculosis and Malaria)、ワクチンと予防接種のための世界同盟(GAVI)の独立審査委員会の役員として、またグローバルヘルス保健人材アライアンス(Global Health Workforce Alliance)の創設者兼事務局長として、国際舞台に英知をもたらした。
今日、博士は、国連の持続可能な開発目標(SDG)の「すべての人に健康と福祉を」の目標実現に向け、保健システムの構築と人材育成に取り組んでいる。

授賞業績

オマスワ博士の貢献は、アフリカに根差しつつ、諸大陸にまたがって世界に多大な影響を与えた。母国ウガンダのマケレレ大学医学部卒業生であり、心臓外科医が本職である博士は、英国エジンバラ王立外科医師会の会員になったにもかかわらず、10年を経ずして、故郷に奉仕しアフリカにおける指導者育成を支援するために故郷に戻った。博士は、麻酔医である妻のキャサリン・オマスワ博士とともに、ケニアにおいて心臓切開手術で世界的レベルの成果を挙げた後、無私と貧困救済の精神から、農村人口に費用対効果の高い高品質の医療を提供する方法を実践するためにウガンダ僻地の農村部にあるンゴラ病院に家族を伴って5年間奉職した。この経験から得た教訓は、人材育成中心の医療に取り組むという博士の決意を研ぎ澄まし、その一部はこの地域で活かされている。この経験をもとに、博士は、東・中央及び南アフリカ外科大学(COSECSA)を設立し、創立者兼学長として、各国の首都以外の地域における専門家を養成した。同大学は、現在、アフリカ最大の外科専門大学になっている。

博士はその後、カンパラにあるマケレレ大学に戻り、ウガンダ心臓研究所を設立した。また、博士は、エイズとの闘いが重要な時期を迎える中で、ウガンダ保健省の保健局長を務めた。これは、ウガンダがエイズ支援機構(TASO)や共同臨床研究センター(JCRC)など先進的な取り組みをする機関を擁することで知られ、予防と治療の両先端分野をリードしていた時期であった。さらに、それほど知られていないが、博士のさらに重要な業績は、博士が保健局長として主導した、地方分権、地域保健チーム、利用料の廃止、及び保健セクター全体のアプローチに関する改革を強化するために築いた先駆的なシステムである。オマスワ博士は、米国が大統領エイズ救済緊急計画(PEPFAR)を立ち上げた時期に、保健セクターのドナー・コーディネーターを務め、ウガンダが最大の被供与国となった。また、博士は、新しく設立された世界エイズ・結核・マラリア対策基金のポートフォリオ・調達委員会の委員長、及びGAVIの独立審査委員会の委員長も務めた。この時期、ウガンダは、ムセベニ大統領の指導力のもと、HIV感染の有病率が3分の1に削減され、他の多くの国々のロール・モデルとなった。また、5歳未満児の死亡率も半減し、今もなお下がり続けている。そして、博士が開発を支えた強力な一次医療制度(primary health system)により、エボラ、さらに最近ではマールブルク・ウイルスによる出血熱の突発的流行の発生件数、規模及び被害が減っている。

実際に、感染症の大流行の最前線で戦ってきたウガンダに蓄積された専門的な知識と深い経験は、2014年と2015年に西アフリカを襲ったエボラ危機への対処を支援するため、ウガンダから行われた要員の動員に顕著に現れた。保健事業におけるオマスワ博士のこれらの業績は、主に教育者、指導者、同僚として、いずこにおいても相手に宿る指導力を開花させる友人としての稀有の能力によるものである。

オマスワ博士の情熱の大半は、博士の故郷アフリカに向けられているとはいえ、アフリカひいては世界の人々の健康増進に向けた博士のリーダーシップは、世界の健康分野の様々な前線に及んでいる。博士は、多大な成功を収めた世界ストップ結核(STB)パートナーシップの発展に貢献した重要な推進者の一人であり、2001年にはSTB調整委員会の創設委員会の委員長に選出された。また、世界エイズ・結核・マラリア対策基金(GFATM)の計画者の一人であり、そのポートフォリオ管理・調達委員会の委員長を務めた。オマスワ博士は、HIV/AIDS及び関連感染症対策に関するアブジャ宣言の起草に貢献した。同宣言は、従来の援助国支援に対する依存から脱し、自国内のリソースを活用する方向に向かわせるという国際開発援助の将来を予見させる先見の明のある政策宣言であった。このため、アフリカ連合では、博士を、アフリカ諸国政府のモニタリング・ガイドラインを作成するコンサルタントの一人に、またアフリカ連合の対HIV戦略を策定する首席コンサルタントに任命した。

2005年には、イ・ジョンウクWHO事務局長が、オマスワ博士を、特に保健人材に焦点を当てた特別顧問としてWHOに招いた。オマスワ博士は、保健人材(HRH)に関する2006年世界保健報告書の作成と並行して、自ら創設事務局長を務めた世界保健人材連盟(GHWA)の創設へと至る取組に関する協議と戦略計画の策定を調整した。博士は、この役割の一環として、2008年3月に第1回保健人材グローバルフォーラムをカンパラで開催した。アフリカでは、保健従事者の深刻な不足に悩まされる国々が半数以上を占めるため、オマスワ博士は、保健システムにとって不可欠な人材要素に関する世界的アジェンダを推進する上で、比類なき経験と貢献をもたらした。博士は、カンパラ宣言と共に、現在では国際社会が保健人材をめぐる世界的危機に対応する指針となっている世界行動計画を起草し、その採択に向けてフォーラムを導いた。博士は不退転の決意で臨んだ。保健人材(HRH)は、2008年のG8北海道洞爺湖サミットで確認されたように、グローバル・ヘルスに対する我々の取組を見直す上で最先端の課題であり、ヘルスシステムの中で優先順位を高め、その成果を可視化し人材につなげるべき課題であった。この新たな関心は、全ての人々に適切な保健サービスへのアクセスを保障するための保健融資や情報システムについても注意を向けさせることとなり、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジに向けた政策運動を成功に導く基盤となった。この世界規模の運動の主導者たちは、多大な成果を収めたこの課題に対しオマスワ博士が根本的に貢献したと証言している。

オマスワ博士は、ジュネーブからアフリカに戻ったが、アフリカにおいて一人でも多くの命を救える間は引退など考えないという。博士は、ウガンダ・ブシテマ大学の学長に就任し、ロックフェラー財団及びノルウェー開発協力庁(NORAD)の支援を受け、グローバルヘルスと社会変革のためのアフリカセンター(African Center for Global Health and Social Transformation:ACHEST)を創設し主導してきた。ACHESTは、保健システム強化に必須とされる能力構築と政策指針のための地域の基盤として、また、世界THINK SDGプロジェクトのアフリカにおけるハブとして、さらに閣僚のリーダーシップ能力を支援するためにアフリカの30を超える機関が集まるアフリカ保健システム・ガバナンス・ネットワーク(African Health Systems Governance Network)の事務局兼主宰する役割を担っている。オマスワ博士の作成した『保健大臣ハンドブック』は、新任の大臣の必読書であり、政策決定のための優れた情報源となっている。初志貫徹のため、博士は、引き続きアフリカ保健人材プラットフォーム(African Platform for HRH:APHRH)の事務局長兼議長を務めている。このAPHRHは、世界保健機関(WHO)総会による保健医療人材の国際採用に関するWHO世界実施規範の採択とその後の説明責任報告書の作成に貢献した。

また、ACHESTは、医学教育パートナーシップ・イニシアチブ(Medical Education Partnership Initiative:MEPI)のアフリカ調整センターも担い、12か国の13の医学部に技術支援を行い、その結果、アフリカにおいて、医学教育の質の向上と訓練を受けた医師数の増加に貢献した。博士は、MEPIと看護教育パートナーシップ・イニシアチブ (Nursing Education Partnership Initiative: NEPI)をさらに発展させ、2017年にはアフリカ保健研究フォーラム(African Forum for Research in Health:AFREHealth)の創設へと導いた。ACHESTは、オランダ政府により資金が提供されている保健システム擁護パートナーシップ(Health Systems Advocacy Partnership)に基づき、ケニア、マラウイ、ウガンダ、タンザニア及びザンビアにおける保健システム・ガバナンス及び保健人材を支援している。


ウガンダ・カンパラで開催された第1回保健人材グローバルフォーラムにて、リンカーン・チェン世界保健人材連盟(GHWA)理事長とともに(2008年3月)。
オマスワ博士が招集した同フォーラムに各国・機関代表1,500名が出席した。


ケニア・ナイロビで創設されたAFREHealthにて、Marietjie De Villiers代表、Abigail Kazembe副代表とともに( 2017年8月)


日本国際交流センター(JCIE)グローバルヘルス国際諮問グループとともに(オマスワ博士は右から4人目。2018年、東京)


ンゴラ病院スタッフとともに患者を診察中(2019年4月)