ピーター・ピオット博士からの近況報告(第2回野口英世アフリカ賞医学研究分野受賞者)2019年

2015年時点での近況報告はこちら:野口英世アフリカ賞ニュースレター第11号

近況報告

ピーター・ピオット博士英ロンドン大学衛生・熱帯医学大学院(LSHTM)学長として、非常に忙しくしています。
2018年、英医学研究審議会(MRC)とのパートナーシップにより、MRCのガンビア事務所及びウガンダ・ウイルス研究所内事務所がLSHTMに加わりました。これによりスタッフの数が倍増し、今やスタッフの半数がアフリカに拠点を置いています。LSHTMはさらに国際的になり、“現場の”研究施設や熟練の研究者を一層活用できるようになりました。MRC事務所側は、LSHTMの国際的な評価と広範囲にわたる専門知識の恩恵を受けることが可能となりました。

エボラウイルス病対策

LSHTMとして、また個人としても、西アフリカ及びコンゴ民主共和国でのエボラウイルス病流行への対応に非常に積極的に取り組んでいます。
LSHTMは国民やWHOと協力し、「Ebola ça suffit!」(エボラはもうたくさん!)試験に取り組みました。同試験により、Merck社のrVSVワクチンが包囲ワクチン接種において大きな有効性があることを明らかになりました。私は同試験において、ヤンセン社のプライムブーストエボラワクチンに関する研究の共同研究者を務めています。

若手研究者育成

LSHTMは長崎大学と共同でグローバルヘルス分野の博士課程プログラム(長崎大学-ロンドン大学衛生・熱帯医学大学院 国際連携グローバルヘルス専攻(国際連携専攻))を設置しました。長崎大にはLSHTMの教員2名が常駐しています。
私はアフリカ出身の理学修士・博士課程の学生を継続して支援しています。2016年からは、エボラウイルス病対策に従事する人を優先して支援しています。

その他の活動

日本の技術革新を活かした、いわゆる顧みられない感染症の治療薬開発のための先駆的な官民パートナーシップであるグローバルヘルス技術振興基金(GHITファンド)理事会の副会長を務めています。
「アフリカにおける保健・衛生の将来」及び「エイズへの国際的対応の将来」に関するランセットの2つの委員会を率いました。
2018年からは、ODA資金研究の戦略的一貫性に関する英政府会議議長を務めています。
UNAIDS事務局長時代の回顧録「No Time To Lose」が日本語、韓国語、中国語でも出版されました。また、「AIDS-between Science and Politics」も、今年2019年に日本語訳(「エイズは終わっていない:科学と政治をつなぐ9つの視点」)が慶應義塾大学出版会より出版されました。

2013年以降の主な受賞

私は2018年に旭日大綬章( 2018)を、また、2016年に英名誉爵位KCMGを授与されました。
2014年にタイマヒドン王子記念賞を受賞したほか、 カナダ・ガードナー国際保健賞(2015)、独コッホ・ゴールドメダル(2015)を受賞しました。2014年には、米TIME誌パーソン・オブ・ザ・イヤー「エボラと闘う人々」の一人に選出されました。
2018年に、独国立科学アカデミー・レオポルディーナ会員として選出されました。

若い世代へのメッセージ

野口英世博士の歩んだ道のり以上に、皆さんの人生を刺激するものはないでしょう。出生から子供時代にかけて、彼の人生には大きな困難がふりかかりましたが、彼は幸運にも非常に賢く、周囲の人からの支援と励ましの恩恵を受けることができました。第一に、彼の教育とその後の人生にすべてをささげた母の存在がありました。ほかの人が気が付かない好機を見極めながら、彼は全力を尽くして一生懸命勉学に仕事に励みました。彼は自分の生まれ育った文化を愛していましたが、日本人として初の世界的な科学者の一人になりました。

私はベルギー・フランドル地方の小さな村で育ち、子供の頃は病原菌や伝染病に強く関心をもっていました。そして、遠い国を訪ね、異文化を探検することを夢見ていました。このことと、他者を助けたいという願望とによって、私は医学を志しました。

医学校で学んでいた最後の年、私は教授たちに今後のキャリアについてアドバイスを求めましたが、彼らの意見はほとんど同じでした:「感染症に未来はない。抗生物質や、ワクチンや、衛生があるではないか。」ですが、私は微生物学と感染症を学ぶことを選びました。これが一番やりたいことだったからです。2年後、私はエボラウイルスを特定したチームの一員となっており、また、職業人生の大部分において、AIDSの原因であるHIV、エボラウイルスなどの病原菌を扱ってきました。ですから、選択肢があるときは、自分の情熱と夢に従ってください。何をするときでも、情熱と夢が強力な原動力となり、優れた成果を上げることにつながります。

1976年ザイール(現在のコンゴ民主共和国)での最初のエボラウイルス病の流行は、私の人生を変えました。病の流行と闘う興奮に加え、極度の貧困にさらされたほか、その後の人生に強い目標を与えられました。しかし、致命的なエボラウイルスの院内感染の悲劇から、私は良いことをしたいという気持ちや崇高な思いだけでは不十分だということを学びました。少なくとも、できる限り能力を付け、何かをするときにその質を重んじることも同様に重要なのです。教育や専門知識に代わるものはありません。

私はこれまでに何度か職をかえました。好奇心は私の人生においてもう一つの大きな原動力であり、いつも、影響を与えたい、学びたい、視野を広げたいという強い願望によって突き動かされました。私は、その1年前には考えもしなかったような立場に就くことも多かったですが、機会があったときは常にこう考えました:「挑戦してみようじゃないか、きっと成し遂げられる。」

年齢を重ねた今、どうやってキャリアプランを立てるかよく相談を受けますが、私はいつもまず「計画し過ぎないこと」と答えます。 人生は思い通りにならないことが多く、すべてを予測することはできません。そして、過度に頑なになってしまうと、心躍るような機会を逃してしまうのです。さらに、人生はもっと退屈になってしまうかもしれません。愚かなリスクを冒すことはいけませんが、時にリスクを冒すこと、未知の領域に足を踏み入れることも重要だということです。

自分の価値観、長期的な願望が何であるのかを明らかにすることも重要です。これが、あなたの内なるコンパスとなり、日々ふりかかる数多の大小の困難を乗り越えようとするとき、価値観を共有せず責任を引き受けない人と一緒に働くとき、あるいはわかりづらく官僚的なシステムの中で目標を達成しようとするときに助けとなります。エイズに取り組むことで、私は重要なことを学びました。HIVであれ、貧困であれ、ジェンダーに基づく暴力であれ、私たちが取り組む問題に影響を受けている人々や、地域社会の声を聴くことによって、何をすべきか、よりよく対応するにはどうするべきかなどについての見識を得られるのはもちろんですが、そのことが非常に強い動機付けとなります。そして、私たちが権限のある立場についたとき、私たちは声をあげられない人々の声になるべきなのです。

最後に、インドの作家アルンダティ・ロイによる人生の夢についての非常に思慮深い引用で締めくくりたいと思います:「愛すること。愛されること。自分自身がとるに足らない存在であることを忘れないこと。周りのひどい暴力や卑しく重大な格差に慣れてしまわないこと。最も悲しい境遇で喜びを見出すこと。隠れている美しさを見つけ出すこと。複雑なことを単純にしないこと、単純なことを複雑にしないこと。権力ではなく、強さを重んじること。目をそらなさいこと。そして決して、決して忘れないこと。(「The End of Imagination」より)」

断言します。グローバルヘルスは仕事と人生の最も刺激的な分野の一つであり、そして、グローバルヘルスには間違いなく未来があります。


エボラウイルス病対策の関係者と(シエラレオネ)


1976年の最初のエボラ出血熱大流行の生存者の一人、スカト氏とともに(2014年、コンゴ民主共和国ヤンブク)
(写真提供:ハイジ・ラーソン博士)


シエラレオネでHIVと共に生きる人々に対し、エボラ出血熱のリスクについて講演するピオット博士(2014年12月)(写真提供:ハイジ・ラーソン博士)


回顧録 “No Time To Lose”日本語版表紙