第8回 消費者法制度のパラダイムシフトに関する専門調査会 議事録

日時

2024年7月26日(金)10:00~12:15

場所

消費者委員会会議室・テレビ会議

出席者

(委員)
【会議室】
沖野座長、大屋委員、小塚委員、二之宮委員、野村委員
【テレビ会議】
山本座長代理、石井委員、加毛委員、河島委員、室岡委員
(オブザーバー)
【テレビ会議】
大澤委員
(消費者庁)
【会議室】
黒木消費者法制総括官、古川消費者制度課長、原田消費者制度課企画官、消費者制度課担当者
(事務局)
小林事務局長、後藤審議官、友行参事官

議事次第

  1. 開会
  2. 議事
    前半の検討テーマについて
  3. 閉会

配布資料 (資料は全てPDF形式となります。)

《1. 開会》

○友行参事官 それでは、定刻になりましたので、消費者委員会第8回「消費者法制度のパラダイムシフトに関する専門調査会」を開催いたします。

本日は、沖野座長、大屋委員、小塚委員、二之宮委員、野村委員には会議室にて、山本隆司座長代理、石井委員、加毛委員、河島委員、室岡委員はテレビ会議システムにて御出席いただいております。

消費者委員会からは、オブザーバーとして、大澤委員にテレビ会議システムにて御出席いただいております。

配付資料は議事次第に記載のとおりでございます。

一般傍聴者にはオンラインにて傍聴いただき、報道関係者のみ会議室で傍聴いただいております。議事録については後日公開いたします。

それでは、ここから沖野座長に議事進行をよろしくお願いいたします。


《2.前半の検討テーマについて》

○沖野座長 ありがとうございます。本日もよろしくお願いいたします。

早速、議事次第に即しまして本日の議事に入らせていただきます。

本日のテーマは、「前半の検討テーマについて」と題されておりまして、前回までの会議では、消費者法制度のパラダイムシフトの検討に関しまして、前半の検討テーマとして、本専門調査会第2回の資料1に記載しております、「1.消費者が関わる取引を幅広く規律する消費者取引全体の法制度の在り方」及び「2.デジタル化による技術の進展が消費者の関わる取引環境に与える影響についての基本的な考え方」、この2項目につきまして、法学に限らず関連する様々な分野の有識者等へのヒアリングを行い、議論してまいりました。

そこで、専門調査会の後半では、「3.ハードロー的手法とソフトロー的手法、民事・行政・刑事法規定など種々の手法をコーディネートした実効性の高い規律の在り方」について議論することを予定しております。

1、2について、これから3にという、この間に入っているわけですけれども、現時点におきまして前回までに御議論いただいた内容を整理しておくことで、後半の議論にスムーズに接続できるのではないかと思います。

そこで、本日より数回かけまして、中間的な整理に向けた議論を行いたいと考えております。こういうような整理をこの段階でさせていただくということ自体についてよろしいでしょうか。

皆様、特に御異論はないようですので、そのように進めさせていただきます。

そこで、まずは消費者庁より本日の配付資料について御説明をお願いいたします。

○原田企画官 沖野座長、ありがとうございます。消費者庁消費者制度課企画官の原田です。

本日の配付資料について御説明します。

資料1を御覧ください。

こちらは、前半の検討テーマについて御議論いただく素材として、第2回専門調査会で御確認いただいた検討テーマに沿って、これまでの御議論内容を整理したものです。

まず、検討テーマの1点目である「消費者が関わる取引を幅広く規律する消費者取引全体の法制度の在り方」につきまして、2から3ページで、①消費者法制度における“脆弱性”概念の捉え方に関しまして、消費者法制度において捉えるべき消費者の脆弱性の類型・内容・指標、それから、既存の枠組みにとらわれることなく、消費者法制度において「消費者の脆弱性」を捉える必要性、この2点に分けて整理いたしました。

4ページでは、②「客観的価値実現」の位置づけに関する御意見を記載しております。

次に、5から6ページで、③金銭の支払いに限られない消費者取引の拡大への対応の在り方につきまして、現状と課題、対応の在り方に分けて整理しました。

次に、7ページ以降では、検討テーマの2点目である「デジタル化による技術の進展が消費者の関わる取引環境に与える影響についての基本的な考え方」につきまして記載しております。

8ページは①デジタル取引の特徴の分析・具体化、9から12ページは②デジタル取引について、リアル取引と異なる規律が必要となる場面、規律が整備されていない場面の整理に関して記載し、「消費者の『脆弱性』の利用・作出との関係」、「消費者の取引環境の個別化との関係」、「事業者が多層的に関わることとの関係、技術の進展、情報化の下で法制度が果たすべき役割」、「消費者・消費者団体のデジタル化への対応力との関係」に分けて整理しております。

全体として、各小見出しにつきましては、差し当たり第2回の資料1を基に記載しております。その後の御議論内容に合わせて更新する必要があるかどうかも含めて御議論いただければと存じます。

また、こちらで記載しております内容は、ポイントを列挙する形を取っております。内容にとどまらず相互の関係性につきましても、接続詞を補っていただくことなども含めて御議論いただければと存じます。

最後でございますが、参考資料1は、第2回の資料1から検討テーマを抜粋したものです。参考資料2は、第7回までの専門調査会の開催実績です。併せて御覧いただければ幸いです。

私からの説明は以上です。

○沖野座長 御説明ありがとうございました。

それでは、御用意いただきました資料1をまさに検討の素材といたしまして、中間的な整理に向けた議論を進めてまいりたいと思います。

本日は、資料1の「1.消費者が関わる取引を幅広く規律する消費者取引全体の法制度の在り方」のうち、①消費者法制度における“脆弱性”概念の捉え方、②「客観的価値実現」((取引環境・取引結果の)安全な状態の確保)の位置付け、この①、②を中心に議論をしてまいりたいと思います。

なお、前回までの議論を振り返ってこういう整理をしていただいているわけですけれども、前回までの議論でここが足りないということがありましたら、それも含めて御指摘をいただきたいと思います。場合によりましては、追加のヒアリングが必要であるといった御指摘もありましたらいただきたいと考えておりますので、そういった点につきましても御検討、御考慮いただければと存じます。

関連するところも多いのですけれども、御議論いただく対象を分かりやすくするという観点から、①、②の順に進めてまいりたいと思います。

そこで、まずは資料2ページの①消費者法制度における“脆弱性”概念の捉え方について、ポツがさらに二つございますけれども、これは別に区別することなく脆弱性全体について対象とさせていただきたいと思います。

これにつきまして御発言のある方は、会場では挙手、オンラインの方はチャットでお知らせいただければと思います。

それでは、①脆弱性の点についていかがでしょうか。

二之宮委員、お願いします。

○二之宮委員 二之宮です。

この専門調査会の前の在り方懇談会を踏まえて今回のこの専門調査会が始まり、前半のヒアリングが進んでいくごとに脆弱性というものが私自身も大分イメージできるようになってきました。

そこで、脆弱性には様々なものがあり多義的で複雑なものだということだとか、類型的なものであるとか、限定合理性、状況的な脆弱性、それらがそれぞれ組み合わさって相互作用を及ぼしているということがよく分かりました。

私自身、ここまで整理はしていなかったのですけれども、前半の話を聞いて捉えたところをもう一回振り返ってみると、我々が相談を聞いたり、トラブルの話を聞き、あるいはその解決に乗り出していくということを振り返ってみますと、そもそも人というのは限定的な合理性しかなく、また誰もが内的な要因、外的な要因の組合せと相互作用によって状況的な脆弱性を有しており、意図的であれ、意図的でないにせよ、そこを突かれる、利用されるという状況がずっと続いているということも改めて認識することができました。

第7回の会議のときに、玉手教授から、大量消費、大量生産になって、商取引の非対称性、マス性、大衆性というものがある種の脆弱性を深めてしまっているのではないかという御説明がありました。同じ第7回に池田教授からは、人の脆弱性には普遍的な、社会的なリスクがあるのだと。だから、高齢化がどんどんさらに進んでいく中では、そういった中でのコストについても広く合意を得ていくことが必要になってくるのではないかという説明もありました。

それらを聞いておりまして、後半に向けてという意味で言いますと、規律のグラデーションとか実効性ある規律のコーディネートを検討するに当たっては、法制度の基礎となる脆弱性の内容についてある程度詰める必要はあるとは思いますけれども、類型的な脆弱性、限定合理性、状況的な脆弱性について、厳格に内容を詰められないから法制度の基礎にはならないということはないと思いますし、そこをまず共通の認識にする必要があるのではないかなと思いました。

もう一度、この専門調査会で生活者としての消費者の脆弱性を正面から捉えるといった命題に戻りますと、現行法の消費者基本法とか消費者契約法の第一条の目的規定の中においても、事業者と消費者の情報力、交渉力の格差というものをうたって、そこをぎりぎり厳格に詰めなければ出発していないというわけではなくて、格差があるのだということを前提にしています。この専門調査会でも大事だと思うのは、脆弱性というものがあるのだということを前提にして、むしろそこを広く社会の共通認識にしていくということをまず確認しておくことが重要なのかなと思いました。

感想といいますか、意見です。以上です。

○沖野座長 ありがとうございます。

今の点につきまして、脆弱性の概念自体は様々あるということですとか、あるいは付け加えていただいた点としては、さらにそれが深まっている要因もあるということも御指摘いただいたかと思いますし、幾つか補足の点も出していただいたと思いますけれども、後半に向けて脆弱性というものをさらにどういうものとして位置づけていくのか、あるいはどう取り込んでいくのかということについて御提言をいただいたと思います。

今の観点でも結構ですし、それ以外の点でも、①の脆弱性関係についてさらに御指摘をいただくことがありますでしょうか。

小塚委員、お願いします。

○小塚委員 小塚です。

二之宮委員と認識は多分同じようなことだと思いますけれども、現象として考えるか、法制度の組立てを考えるかで、議論の仕方というか物言いはやや違ってくるかなと思います。

現象として言えば、人間は誰でももともと脆弱性といいますか、完全に合理的な判断ができないではないかというのはそのとおりであり、例えばデジタル化が進んでいく中で、ますます普通の個人が適切に行動できないような状況が増えていくというのもそのとおりだろうと思います。

そういう意味で言うと、例えばこういう場合に限定して、この場合は法制度によって手当てすべきだというような立法の仕方は難しい、二之宮委員は恐らくそういうことをおっしゃったと思いますし、私もそうだろうと思います。

では、どうするかということが非常に問題で、誰にでも脆弱性があるので、それでは全ての取引を規制しろというわけにもいかないので、結局、どういう場合にどのような規制をしていくかということをしなければいけない。

そうすると、一方では脆弱性によって消費者の利益、ひいては社会全体の利益が害されるという程度を考えなければいけないし、他方では、そこで規制をすることの弊害、弊害というのが単に事業者に対する影響だけではなくて、特に前回出ていたと思いますけれども、社会の在り方としてどこまで国家が私人間の取引に介入してくるべきか。さらに言えば、介入しようとする国家が、法制度の設計という意味では今この場にいる我々も国家の一部ですけれども、果たして正しい判断をできるのかという問題もある。そういった幾つかの要因をバランスさせながら、この場合にはこう、この場合にはこうというような制度をつくっていくということしかない。それは恐らく、今後も様々な発展がある中で適時見直しをしていくという制度にしていくしかないのではないかと感じているところです。

そういう意味で言うと、例えば脆弱性というものの定義をきちんとつくろうとしても、あまり意味がないだろうという点は、私は二之宮委員に賛成ですし、むしろ考慮すべき要因を特定していって、それによってあるべき制度の設計を考えていくという方向に行くべきではないかと思っています。

以上です。

○沖野座長 ありがとうございます。

今もお話があって、法制度の基礎とし得るのかどうかという表現があり、その点について小塚委員からも明確にしていただきましたけれども、石井委員から御発言の御希望がありますので、石井委員に御発言いただきたいと思いますが、法制度の基礎とするというイメージとしてどういうものをお持ちかということを後ほど二之宮委員に少しお伺いしたいと思っております。

石井委員、お願いします。

○石井委員 ありがとうございました。

二之宮委員、小塚委員からのコメントがあった点と関係すると思っておりますが、資料としてお示しいただいている脆弱性概念の捉え方を拝見すると、様々な脆弱性の広がりがあるというような趣旨のことが書いてあるように思うわけですが、深さという点にも言及していただいてもいいのかなと思いました。

後ろのほうでプラットフォーム事業者の役割が重要になっているという記載が見られるわけですが、特にインターネットの取引が一般的になっている中で、もともと想定していた個別のサービスや商品を提供する事業者との関係で消費者が弱い立場にあるというのが典型的な消費者の微弱性として捉えられてきたものではないかと思っています。

プラットフォーム事業者が登場したことによって、プラットフォーム事業者が非常に大きな力を持つことで、構造的に消費者をより脆弱な立場に追いやっている。それは、消費者取引だけではなくて、個人情報がやり取りされる場面でもそういう状況が強く認識されるようになっているというところだと思います。

プラットフォーム事業者を介して取引がなされるものとしては、BtoCの取引もありますし、CtoCの取引を介在させるプラットフォームもある中で、プラットフォーム事業者対消費者という、その性格をもう少し。個別の取引というよりは対プラットフォームとの関係での脆弱性があって、それが深刻化しているという面もあろうかなと思いました。

感想ですが、一言コメントをさせていただきました。以上になります。

○沖野座長 ありがとうございます。

まさに深さとおっしゃった、度合いを増しているという御指摘が幾つか繰り返されております中で、特にさらにプラットフォーム事業者との関係でより具体的な指摘をいただいたと思います。

そのほかの点について、あるいは今の関連でもいかがでしょうか。

野村委員、お願いします。

○野村委員 野村です。

実行するということを思って法制度ができていく、それを想定して今考えています。脆弱であるということは、私も今回勉強させていただいたので、いろいろな深さ、広さがあるということが分かるのですけれども、実行することを思ったときには、どういう人たちを想定してほしいのだとか、こういう脆弱性があるから事業者にはこういうケアしてほしいとかがわかった方がいい。二之宮委員が先ほどおっしゃった、脆弱はいろいろあるというのが前提ではあるのだけれども、そこはこの制度をつくる上でどういう脆弱性に注目したのかという背景が分かったほうが実行していく立場になったときに分かりやすいし、法制度をつくるときにもここをターゲットに考えてきたというところで理解がしやすくなるかと思っております。

○沖野座長 ありがとうございます。

この脆弱性というのを次の後半のテーマにどういうふうにつなげていくかということで、様々なものがあると。それから、それはまさにより深くなっているというか、現れやすくなっているという御指摘もいただいたのですが、それをどう取り込んでいくかというときに、介入の契機とか根拠としてその存在を捉えるというのもあるかと思いますが、具体的に定義をしないまでも、このようなタイプのものに着目してこういう規律であるとか、規律自体に脆弱性が入っていなくても、この規律はその基礎にこのような脆弱性を持っているということが、例えばその規律の下でどのような行動をされることを望まれるのか、例えばガイドラインのときには考えるとか、そういうような話が出てくるのかなと思っております。

先ほど二之宮委員から、厳格に全て法制度の基礎とするというのは難しいという御指摘はあったのですけれども、今おっしゃったような形で脆弱性というのを法制度の設計に取り込んでいくということは同じようにお考えという理解でよろしいでしょうか。また違うことをお考えでしたしょうか。

逆に言いますと、二之宮委員から、確かに脆弱性についてある程度詰める必要があるのだけれども、これを厳格に捉えていくというのはそもそもその性格上難しいと。そうやって法制度の基礎にしていくというのはなかなか難しいし、必ずしも適切ではないという御指摘をいただいたように思いました。まず、こういう御指摘をいただいたという理解が正しいのかということについて、もし間違っていたら訂正していただき、その意味内容として、例えば小塚委員や野村委員が言われたことと違うのか、同じなのかというのが気になっておりまして、補足をいただければと存じます。

○二之宮委員 最初の基礎にできるかどうかというところは、脆弱性とは何かということを厳格に詰められなければ法制度の基礎にはできないわけではない。むしろすべきではない。多義的で、相互に作用し合うものなのだから。そうではなくて、脆弱性というものがあるのだということを基礎にすべきと。さらに脆弱性の中身について詰められないから基礎にはできないということはないだろうと私は捉えています。

脆弱性があるということを基礎にしたうえで、では、その上に具体的にどういうルールとか仕組みが乗っかってくるのかというのはいろいろだと思いますし、逆に限定的固定的なルールは乗りにくいだろうと思っています。

要は、相互作用し合うような仕組みがむしろ必要だと思って、具体的に一つ一つの制度とか、取消権という単体のものは、逆に脆弱性を基礎としたものには対応しにくいのではないか。だから、そこをどういうふうなグラデーションをつけるのか、実効性を持たせるのかというところを後半に検討すべきだと思います。

○沖野座長 分かりました。ありがとうございます。私のほうで誤解をしておりました。

では、大屋委員、お願いします。

○大屋委員 私も結論的には同感です。つまり、脆弱性全体について言うと、まさに二之宮委員がおっしゃったように、第一条の目的規定なんかにざくっと書く分にはそれはよろしかろう。では、それを基にしてどういう救済手段を用意するのですかというところになると、どういう脆弱性なのですかというのをもっと詰めないと、それぞれパターンによって救済手段が違ってくるはずである。

例えば、これまでも伝統的にあった高齢者とか未成年者の脆弱性がなくなるわけでも何でもなくて、特に未成年者についてはこれまでのように、保護者がいて取消権を行使するのだというシステムでやってきたし、それは要らなくなるわけでも何でもないだろう。

ところで、そういうものでカバーされてこなかったところを新たに捉えて、それを要件とする何か救済手段を用意するに当たってはその限りで詰める必要があるのだけれども、それは必ずしも脆弱性を全部定義し切ることとは違うことだよねという話なのだろうと理解しております。

以上です。

○沖野座長 ありがとうございます。より明確にしていただいたと思います。

では、加毛委員から御指摘をお願いします。

○加毛委員 ありがとうございます。

既に出ている意見をなぞるようなことなのですけれども、「脆弱性」という言葉にはネガティブなニュアンスが含まれ、「脆弱性」のある消費者を保護する必要があるということが含意されるように思われます。他方、この調査会において様々な学問分野の先生方の多様な御知見から明らかになったのは、人間というものの在り方を、かつてよりもはるかに精緻に捉えることができるようになっていることなのだろうと思います。

そのことを前提とした上で、「脆弱性」として何を切り出すのかが重要な問題なのだと思います。資料1において「消費者法制度において捉えるべき『消費者の脆弱性』」と書かれているとおり、法制度によって対応すべき「脆弱性」とは何かを考える必要があることになります。

第6回の会合では、消費者の認知バイアスに「付け込む」という言葉がいかなる意味で用いられているのかという質問を差し上げたのですが、人間の認知の在り方について一定の特徴が存在するというだけではなくて、そこにプラスアルファの何かがあるときに、法制度による対応が必要になるのだろうと思います。また、人間の特性を踏まえて事業者が消費者にアプローチすることがすべからく規制の対象となるわけではなく、法制度による介入をするには、それを正当化する事情が必要になるはずです。

以上を申し上げた上で、さらに、法制度の側にも様々な問題があるのだと思います。大屋委員が言及された取消権について、日本法には、行為能力の制限という法制度が存在するわけですが、現在、法制審議会では、従前の行為能力制度を今後も維持できるのかということを含めて議論が行われています。様々な人間の特性が明らかになっていく中で、行為能力制度をどのように変えていく必要があるのかが議論の対象とされています。

また、消費者契約法との関係では意思表示の取消しが問題となりますが、民法の意思表示理論は、現在われわれが知っているような人間の認知の在り方を前提として構築されているわけではないだろうと思います。民法学における意思表示理論は、それが構築された時点における隣接諸科学における人間の捉え方に規定されているところがあるわけで、その前提が変わったときに意思表示理論がどのように変わるべきなのかを考えていかなければならないのだと思います。

また、恐らく私も二之宮委員と同じことを考えているのではないのかと思うのですけれども、取消権などの法制度で対処すべきでないものの、人間の特徴を踏まえて、社会全体として、より望ましい取引の在り方を考えていくことも必要になるのだと思います。そこでは、事業者を規制するということではなく、事業者が消費者に対し、自律的な意思決定をできるよう取引環境を整えていく努力が求められ、そのような努力を促すための仕組み作りが必要になるのでしょう。消費者の自律的な意思決定を可能にする優れた取組をしている事業者については、その取組を称揚し、そのような取組が積み重なっていくことによって、ある業態におけるベスト・プラクティスのようなものが明らかになるのであれば、それを業界全般に広げていくという対応が、実効的な消費者の利益保護につながることもあるだろうと思います。この点では、「脆弱性」だけを議論するというより、後に出てくる規制や規律の在り方を含めて考えていく必要があるように思われます。

長くなりまして、申し訳ありません。

○沖野座長 ありがとうございます。

繰り返し出てくる問題だと思いますし、脆弱性だけを取り上げて何かというよりは、それも一つとしつつだと思うのですが、そうは言っても最初から全体でということになるとなかなか整理もつかないということもありますので、それぞれの点を考えながらということで御議論をいただければと思います。

では、室岡委員から、お願いします。

○室岡委員 ありがとうございます。

沖野座長からまとめていただいた内容に私も強く賛同するものですが、これまでの議論でもありましたように、脆弱性というのは、例えば情報の格差などと同列のものであり、例えば消費者が脆弱だからといってすぐ取消権の議論に行くというのはあまりにも性急というか、現実的には相当難しいのではないかなと思います。

取消権などはむしろ、脆弱性があって、その脆弱性を用いて取引をするときに消費者から搾取するといった事があったときに初めて対象になりうるかと個人的には考えています。

逆に言うと、脆弱性のみで考えるべきものは、例えばこういう脆弱性があるから注視する、あるいはガイドラインや努力義務のようなものを整備したほうがいい、といった議論になるのかなと個人的には感じております。

○沖野座長 ありがとうございます。

そのほか、追加的にでも、別の点についてでも、御指摘をいただくことはございますでしょうか。①については一旦これでよろしいですか。

小塚委員、お願いします。

○小塚委員 皆さんがおっしゃる、では何を付け加えるかということを今少し考えていたのですね。途中で「付け込む」という言葉をおっしゃったのは加毛委員でしたか、付け込むというのはどういうことなのだろうと。つまり、最初に事業者との接触があったときに合理的な判断ができなかったとして、それを取り返す機会がないような状態に置くという、そちらの方向で考えていくのか。それとも、むしろ脆弱性を利用された結果が非常にシリアスなものになるという結果の大きさで考えるのか。さらに言うと、事業者側の意図を問題にするという可能性はロジカルにはありますね。消費者法制でそれがよいかどうかというのは別問題ですけれども、意図的に利用したかどうかで変えるとか、どういう方向に行くのがよいのかなというのを私は考えていたところです。

どちらなのですかね。取り返すチャンスがあるかどうかという制度が介入の程度が小さくてよいというふうに今まで何となく考えていたような気がしますし、やや文脈が違うかもしれませんが、EUが常にクッキーを受け入れますかと聞かせるというのはそういうことだと思いますが、それが実効的なのかというのも非常に疑問になってきている。それこそが消費者の脆弱性の現れで、そんなことを言われても、みな「アクセプト」をクリックしてしまうだけではないかという気もするので、それでいいのかなというのが今私が悩んでいるところです。

自分の意見ではなくて、問題提起をしただけになりました。

○沖野座長 ありがとうございます。ぜひ問題の提起をいただいて、この後につなげていくということでお願いしたいと思います。

一つおっしゃったのは、「付け込む」という表現について言えば、単に脆弱性がある人ということでアプローチしていくというだけでは問題だとは言えないので、そこに何があれば法制度として対応すべきものなのかということを考えていく必要があると。

小塚委員が幾つかの点をおっしゃってくださったのですが、深刻な結果を生むとか、事業者のほうでは認識をしているとか、あるいは、むしろもっと意図的に利用しているとか、あるいは結果の深刻さのときに先ほど室岡委員からは搾取というようなお話もありましたが、これは恐らく行動のほうと結果のほうと両方あるのだと思いますけれども、そういうものがあって初めて付け込むという評価をするのか。法制度として対応するという評価をするのかという問題と、それに対する救済とか防止というときに何に着目するのか。先ほどの同意するという、消費者のほうに選択を与えて対応するというようなやり方は、一方で、そういうものがあれば付け込んでいるとは言えませんという評価にもなってくるし、それがあることで付け込まれないようにしていますという話があるのですけれども、そのもとで同意をする消費者側も十分理解できなかったりということがあって、実効的なのかという問題があります。そうすると、結果のほうの是正に行くとか、いろいろありますので、対処の面と両方を組み合わせて考えられるのかなと思いました。

特定の問題ということよりも、枠組みとしてどのようなものを考慮するのか、どういう脆弱性を、あるいはどのように脆弱性を考慮するのかというのと、脆弱性以外にどういうものを考慮するのかということが両方あったと思いますけれども、それらの点でさらに検討していただくことではないかと思いました。

二之宮委員、お願いします。

○二之宮委員 小塚委員の言われたことは、次のことにも絡んできているのかなと思っています。私もそこを考えておったところで、「付け込む」とは何なのかというところが、これまでの法改正時の一つのハードルというか、行き詰まっていた箇所ですけれども、今回の前半の話を聞いていて、第7回だったと思いますけれども、玉手教授から、目的パターナリズムと手段的なパターナリズムとがあり、前者の目的のほうに対して介入していくのは慎重でなければいけないが、手段のほうはいろいろ介入の仕方があると。ただ、そこで私がなるほどと思って聞いておったのは、目的パターナリズムと手段的パターナリズムは相対的なものであって、必ずしもどっちかとは言い切れない、見方によって、場面によっていろいろだという御説明はなるほどと思って聞いておりました。

今の小塚委員が言われた「付け込む」とは何なのかというところも、私は両方捉えられるのだろうなと思って、ここが②のテーマと関連しているのではないかと思ったところでして、付け込まれたことの結果がどうなのかということと、まさに選択したのかどうか。要は、保護すべきは何なのかという次のテーマなのですけれども、結果としての幸福なのか、実質的な選択を保護すべきなのか。要は、付け込むというのも両方からのアプローチが可能だと思います。そうすると、両方からのアプローチに対してどういう効果を発生させるのかというのも、いろいろなバリエーションがあるのだと思います。

そこで、結果としての幸福、結果を保護しようとするときには慎重でなければいけないけれども、手段として介入していくときには、いろいろな介入の仕方、あるいはそれの効果も、無効というだけではなくて、取り消せるというだけではなくて、強弱がつけられるのだろう。そうすると、「脆弱性」とは何かというのと同じように、「付け込む」とは何なのかというところを過度に厳格に捉える必要もないのかなと思います。

以上です。

○沖野座長 ありがとうございます。

「付け込む」のほうも様々でバリエーションがあるのだろうと思いますけれども、それをどう捉えていくかということが一方である。ですから、脆弱性だけではない、他の要因についてもかなりバリエーションがあるということかなと思いました。

そのほか、既に次の点にも絡むことではありますけれども、差し当たり脆弱性という点についてさらに御指摘いただくことがありましたらお願いしたいと思いますが、いかがでしょうか。

また戻ってきてくださっても結構ですので、一旦次の項目に進ませていただいてもよろしいでしょうか。

次の項目が「客観的価値実現」になります。これも、独立して今までの話と完全に違うものとして扱うことはできないのですけれども、違う項目に入りますので、一旦これまで御指摘いただいたところの確認をさせていただくといいのかなと思います。

脆弱性の概念に関して、既に資料としてまとめていただいたところに関しましては、恐らく脆弱性というものがどういうような類型・内容・指標としてあるのかという一つ目のポツは、ここでかなりもう明らかにされていると思います。それを消費者法制度においてどういうふうに捉えていくのかという点について、多くの御指摘をいただいたと思っております。

一つは、一つ目のポツにも多少関わることかと思いますけれども、脆弱性というものがそもそも人である、消費者法ではよく生身の人間であるということが言われますけれども、そういう人であるということに伴う様々な脆弱性が一方であるとともに、特に消費者取引でいきますと対事業者との関係で出てくる、しばしば格差と言われるところもありますし、人として自体だけではなくて、相手方の点でそれが消費者と事業者という形で出てくるからという面から来る脆弱性というものもあって、それをどう捉えるかという問題がある。

そういう中では、事業者にさらに新たな事業者類型や新たな取引が出てきていて、それはプラットフォーマーというのが一つですけれども、そうすると、これまで以上に脆弱性というものがより発現しやすい場合があったり、取引自体もBtoCではなくてCtoCなのだけれども、プラットフォームという場面だとか、プラットフォーム事業者が関わることによって、むしろ対消費者の取引のところでも問題が出ているという御指摘があったかと思います。

どういう形で脆弱性というものが出てくるかという中で、事業者との関係、あるいは新しい事業者、それから脆弱性自体が様々というだけではなくて、それが深まっていくということも正面から捉えるべきだという御指摘があったと思います。

それから、これをどう捉えるかということについては、法制度で捉えるべき、介入と言っていいのか分かりませんけれども、その基礎に脆弱性というものが存在する、それを正面から見据えるという形で捉えることは必須であるということだったと思いますけれども、そこからさらに具体化して法制度を組んでいくときには、脆弱性だけを捉えるというのでは難しい面もあるし、ほかの要因を勘案した上で法制度を設計していくことになるのだけれども、その際には、一方ではどういう脆弱性を捉えているのかということが明らかにされることで、法制度の中身とか、あるいはそれの下で期待されるプレーヤーの行動などが明らかにする面がありますので、どういう脆弱性をどのような形で捉えていくのかということについては意識する必要がある。しかしながら、そこを厳格に定義して、例えば要件として設定しないと法制度をつくれないということではなかろうという御指摘もいただいたと思います。

それから、法制度を考えていくに当たっては、様々脆弱性があるうち、どれをどのように捉えていくのかということを、規制による弊害、あるいは社会の在り方を考えながら考えていく必要があって、全体のバランスを図る。これは以前から言われていたことですが、もう一つ適時の見直しという、ある一時点で固定するということではなくて、もう少し時系列的な要素も踏まえて考慮していく必要があるのではないかという御指摘もいただいたと思います。

もう一つは、特に付け込むという点でしょうか。「脆弱性」という言葉自体も、「付け込む」という言葉自体も、それ自体がその言葉でいいのかという問題はあるのですけれども、どちらもかなりネガティブに捉えられるイメージですけれども、中立的にというか、法制度として対処していくに当たっての一つ鍵として「脆弱性」や「付け込む」ということを考えたときに、付け込むということについても一体どれを切り出すのか、どういうアプローチを取るのかということについて複数ある。選択に着目するのか、結果に着目するのか、あるいは意図というところにも着目するのか。これはあまり適切ではないのではないかという御指摘もありましたけれども、バランスの中ではあるのかもしれず、そういった中で、特に玉手先生から御指摘のあった目的と手段という分析軸で、それにより介入というか、規制のグラデーションも違ってくるし、さらに言うと、それは単独でできるものではなくて、相互に関連させて考えていく必要があるだろうという御指摘をいただいたと思います。

ほかにもいただいていると思うのですけれども、特にここまでに御指摘いただいた中でこの点に着目すべきということを漏らしているのではないかということはございますか。あったらまた後ほど、この点も特に取り上げるべきだということで御指摘をいただければと思います。

失礼しました。もう一つ、しばしば規制というのもどういうニュアンスで使っているのかというのが人によって違うということで、行動に直接に介入して一定の禁止をするとか、あるいは命令をするというだけではなくて、ソフトロー的なものもありますし、さらにはベストプラクティス型のものもあるので、脆弱性ということに対応するにしても、どういうタイプがいいのかということは様々あるのではないかという御指摘もいただいたと思います。

大屋委員、お願いします。

○大屋委員 蛇足的な補足になると思うのですが、一つは、「脆弱性」というのはネガティブな単語だと。そのとおりだと思うのですけれども、これは近代法における規範的人間像というのがあって、それと比較した場合に脆弱性というのがあるということを我々は正面から認めようという話だと思うのですね。それは「弱さ」という表現と同じなのだけれども、第7回で池田先生がおっしゃったように、弱いものがあるのが人間として普通なのだということを正面から捉えようというのが今回の趣旨だと思いますというのが一つ。

それと比べると、「付け込む」という言葉はもうちょっと注意して使ったほうがよくて、というのは、本当に背信的悪意者みたいなケースもあるのだけれども、これはもうまとめでも出てきていますけれども、ABテストで事業者に故意とか悪意がないのだけれども、結果的に見ると社会的公正に期さないような取引が発生してしまうケースが生じている。これは付け込むというパターンではない、表現はあまりふさわしくないのだけれども、よくないことが起きているのだよねという話にはなっているのだろう。そこはちょっと言葉遣いに気をつける必要があるだろうと思ったということ。

そういうわけで、「脆弱性」にも「付け込む」類型みたいなものにも複数あることから、規制のイメージも複数あって、一つはいわゆる極悪層みたいなものを考えれば、これまさに規制対象であって、刑事規制も含めて考えるべきだということになるのだけれども、我々あらゆる個人がうっすらと抱えている脆弱性のサポートみたいなことについて言うと、どちらかというと「政治資金規正法」の「規正」、制するのではなくて一定の秩序を正すのですよという形、それによって取引環境の適正化を図るのだというような物言いの規制を意図しているのだろう。それらが今のところがざっと内包されているということを前提に、あとは例えばパターンは、付け込み型とか法益によっていろいろと細かくメニューを立てていかなければいけないことなのだというところから議論するといいのだろうと思いました。

○沖野座長 ありがとうございました。

まさにそのとおりだと思います。言葉によって規定されてしまっている面もあると思われ、それによって当然の思い込みのようなものがあるとよくないので、違う言葉がつくれればいいのですけれども、なかなか難しいところもあります。特にその下で注意していくということが大事であり、パターンもいろいろあるということを改めて御指摘をいただいたことと思います。

河島委員、さらに御指摘をお願いできますでしょうか。

○河島委員 ありがとうございます。

これまでの非常に多岐にわたる議論について事務局の資料が実にうまく整理しており、また先生方の御意見にも賛同することばかりです。

付け加えで発言させていただきますと、脆弱性との関連概念をある程度挙げていってもよいのではないかと思います。例えば個人化です。第7回の研究会で、生活の基盤であるはずの人間関係やコミュニティーが衰弱しているという議論がありました。そういった個人化のような脆弱性に関連する概念もある程度挙げていったら、具体的にどのような制度をつくっていくべきかという議論につながっていくのではないでしょうか。

以上です。

○沖野座長 ありがとうございます。

今の関連概念という点について、例えば個人化ということですけれども、これは脆弱性を生んでいる、あるいはそれに着目するときに密接に関連してそこを捉えるべきだ、様々な関連性があるというふうに考えたらいいでしょうか。

○河島委員 例えばスライド3の項目「現代の消費者を取り巻く環境としては」で幾つか環境の変化が挙がっていますが、その次のスライド4にはあるものの、ここの項目に個人化が含まれていないんですよね。個人化についてきちんと捉えていったほうが、例えばどういうような消費者団体の構成を支援していくのかといった議論にもつながっていくのではないかと思った次第です。

○沖野座長 ありがとうございます。よく分かりました。また、補充の仕方もより明確になったと思います。

それでは、後ほど追加や補足をしていただく機会はございますので、②の「客観的価値実現」((取引環境・取引結果の)安全な状態の確保)の位置付けについて御議論をいただきたいと思います。既に関連で出てきたところはあるのですけれども、改めまして②の点について、さらに御指摘や資料についての補足等々をいただければと思います。また、これについてはもう少しこの部分が足りないのではないかということもあれば、それも含めてお願いしたいと思いますが、いかがでしょうか。客観的価値実現関係です。

二之宮委員、お願いします。

○二之宮委員 二之宮です。

これもまた感想めいた話になると思いますけれども、先ほども少しお話しさせてもらいましたが、結果としての幸福をどう捉えるのかということに関して、どうしても我々は実務をやっていますと、結果として、それは駄目だというルールが入ってくると、一番分かりやすいのは公序良俗違反、あるいは暴利行為とか、要は極端な場合は法の介入があります。本人が望むと望まないときにかかわらず駄目だという縛りがかかっているのですけれども、この程度がさすがに厳し過ぎるところがある。

なおかつ、今は、瞬時にクリック一つで物事が決まってしまう、一瞬で決まるのだけれども、それをひっくり返すということは法的安定性を害するから、そこには慎重になるというところが今までの考え方としてあると思うのですが、一瞬一瞬でどんどん物事が決まっていくのに、もうそれで縛られてしまうというのはおかしいのではないか。現代社会では、極端な公序良俗違反というよりも、もっと前段階においても、結果としてそれはさすがに駄目だろう、介入すべきではないかという程度はもう少しグラデーションがあってもいいのではないか。

物事を決める慎重さと結果としての法定安定性をどうバランスを取っていくのかとなるところ、慎重にではなく一瞬で決まってしまうにもかかわらず安定性の強さが今までどおりとなっており、バランスが崩れている。そうすると、結果として何を保護するのかというところにも、慎重でありつつも、今以上には介入していいのではないかと思います。

手段としてというところは、先ほども少し言いましたけれども、実質的には選択をどう確保していくのかというところに関しては、人との関係ではなく、AIとか、ネット上のことだとか、いろいろヒアリングでも出てきましたけれども、そこはもういろいろな仕組みが考えられていくだろう。これも後半戦の話になると思います。

そうすると、この両方を今まで以上に介入していく素地はあると思います。それをどの程度踏み込んでいくのかというところが後半戦の話かなと思って前半は聞いておりました。

以上です。

○沖野座長 ありがとうございます。

大屋委員、お願いします。

○大屋委員 一つは、今の二之宮委員のお話と非常に重なると思うのですけれども、これまでの法制度は、結果はかなり重大であるので、あるいはそのシステムを回すのにも非常に大きな負荷がかかるので、非常に悪質であるとか被害が大きいというような限定的な場合に限って介入するようなシステムとして構成されてきた。

典型的に思うのは、これは消費者問題ではありませんが、刑法がそれで、システムを動かすのにかかるコストも膨大であるし、結果的にはそれで処罰された人間は人生が結構壊れるので、形式的には窃盗犯に当たるわけだが、万引きした中学生を警察に連れていくかと言われるとみんな困ってしまうみたいな、使い勝手の悪さが生じていた側面がある。

このことは逆に言うと、もっと軽くて影響も小さいシステムを早く回すという制度がつくれれば、決定的な段階とか特に悪質なものに介入を限定する必要はなくて、もっと早い段階で、あるいはもっと小さな被害の段階で介入することが正当化されるはずだと思うわけですね。

我が国の例としては、交通反則金制度というのがこれで、刑事罰を科されるわけではないので、一時停止しなかったぐらいのところでも切符を切れるような軽いシステムになっているわけですし、私の専門に近いところで言うと、情報技術を使った統治のところでは中国はもっとこういうものの活用に乗り出している。

例えば、交差点で赤信号なのに横断歩道を渡り始めると、街頭のモニターに顔写真が出て警告が出る。何分、中国のことなので、顔写真と氏名のデータベースは警察が持っていて、瞬時に照合されて、何区に住んでいる誰それが今赤信号を渡りましたとばんと出る。ただ、その後、罰金の切符が来るのだけれども、300円ぐらいらしくて、罰金が怖いわけではないのだけれども、そういうシェイミングが非常に怖くて、みんなやらなくなっているみたいな話をしている。

だから、これは早くて軽く動く制裁システムによって早期の介入が実現している例なので、中国のこれがいいかどうかはともかくとして、普遍化した脆弱性に対する対策として、こういう方向性の早くて軽い早期の介入を目指していくというのはあり得るだろう。その一例として言及したということです。

介入の仕方によっては、4ページの下のほうに書いてあるように、まさにパターナリスティックな介入になって本人の自律性とか自主性が侵害されてしまう危険性もあるわけで、結局このバランスが非常に重要なのだけれども、これもまた別の話ですが、総務省の行政管理局のほうで、行政がAIをどこまで使っていいかという議論をしたのですが、そのときに、例えば使い方としても三つぐらいの段階が考えられるよねというまとめをしたのです。つまり、検知と補助と代行であって、代行は完全にAIに任せきりになるような、非常にディペンディングな、依存してしまうような使い方もあるけれども、そこと完全に切れないけれどもサポートをしてもらうだけにとどめるような使い方もある。もっと言うと、AI自体が別に決めるわけではなくて、ただ人間に警告が起こるという検知にとどめるような使い方もあるだろうという話をしたわけです。

今回の客観的価値実現のための介入みたいなものについても、こういった段階分けは恐らく有効であって、非常に軽い脆弱性に対応するために、例えば検知システムの実装を義務化するみたいな法制度はあり得ると思うのですね。

今、ブラウザを使っていると、eコマースでショッピングしようとしたときに、この商品はこんな値動きをしていますというグラフが出るのです。典型的には、タイムセールの直前にそれまで1万円で売っていたものが2万円に値上げされて、50パーセントタイムセールが始まるというのをやるときに、こんな不自然な値動きをしているけれども、あなたはこれで買っていいのですかという警告が出る。それでもいいのだよ、俺はこの値段で納得しているのだよと本人が思うなら買えるし、えっと思うときには再考の余地が生じる。

こういう形で、浅慮の程度によっては本人の気づきの機会さえ与えればいいし、そのことを間接的に強制するような法制度を組めばいいということもあり得るだろうなと。こういうところをレパートリーに入れて考えるといいと思いますというお話であります。

以上です。

○沖野座長 ありがとうございました。

それでは、さらに項目の②について御指摘をいただく点がございますでしょうか。

小塚委員、いかがですか。

○小塚委員 座長の隣に座るというのはよくないな。何か圧を、意思決定に対する介入を感じるのです。

実は、その意思決定に対する介入という話をしようと思っていまして、「客観的価値実現のための介入」と言われると、私は個人的には敏感に反応してしまうのですね。私はこういうことにすごく反応するほうで、どういう根拠で国家権力が介入してくるのだと思ってしまうのですが、現実に起こっていることのほうから聞いていると、今までと同じような制度あるいは規律の在り方でもはや済まないだろうというのはすっと入ってくる。これが不思議なところです。

そこで、では何が変わったのかと考えていて、私が一つキーワードとして出せると思ったのが、意思決定に対する介入の程度、介入というのは今度は事業者のほうですね、事業者のほうが消費者の意思決定に対してどこまで直接的に入っていくか、そこを一つのメルクマールにして規律をしていくということはあり得るかなと。

今日の最初のほうで、石井委員をはじめ、プラットフォームの話をなさったわけですが、プラットフォームというのも実はそういう側面もあるのではないか。一般的にはプラットフォームは、例えば依存性とか、ここを介さないと取引できないというような話になるわけで、そういう観点から見ておられる経済法の滝澤先生は、ここにいらっしゃったときに、脆弱性と言われても経済法は直接的に対応していないという話をしておられたわけです。

実は、プラットフォームは単に取引を網羅してしまってみなが依存するというだけではなくて、情報処理の仕組みですから、人間が頭の中で意思決定をする過程を代替していくという機能的な側面があるのではないか。そのことが一つの介入の根拠になるのではないかと思うわけです。

タイムセール前の価格の動きではありませんが、意思決定をまさに動かす、付け込むような表示の仕方などもそうであり、ダークパターンになればますますそうであり、将来的に例えばブレインマシンインターフェースが実装されれば、文字どおり物理的にもというか、身体的にも直接に介入することだってあり得る。そうなってくると、なぜ法規制が必要なのですかというようなことでは済まなくなって、そのままでよいのですかという話にはなってくるだろうということです。

これに対する制度のつくり方として、大屋委員が言われたように、そこで意思決定プロセスの自主性、自律性を回復させるというのは一つのやり方で、こういう事業者がこういう働きかけをしたのだけれども、そこで待ったと思わせるような仕組みをつくっていくというのも一つでしょうし、テクノロジーを使うことで取消しとか無効というだけでないオプションのバラエティーが増えていくということもあり得るだろうと思います。

もう一つ、私の一つ前の発言に関わるのは、それすらも効かない場合もあるのかなと。意思決定の自主性を回復させてあげようとこちらは思っているのだけれども、消費者が回復しようとしない、とにかく一刻も早く何かをしてしまおうというふうに動く。

私は個人的には介入されるのが嫌いなものですから、自分の取引のときにも意思決定の自律性を確保しようとするわけですね。すると、面倒くさくて仕方がなくなるわけです。そのために、自律性を回復させようとしても、一般の消費者、マジョリティの消費者から言うと、やはり利便性とスピードのほうを選んでしまうということが十分にあり得る。そうだとすると、実は自律性を回復させる規制はあまり効かなくて、より直接的な介入、一定の場合には禁止事項というものが必要になることもあり得るというのが現在のデジタル環境なのではないか。それこそ、消費者の意思決定の脆弱性ということの現在地なのではないかと思っているということです。

○沖野座長 ありがとうございます。

よく分かったというか、実感も伴ってよく分かったように思います。

それでは、この項目についてほかに御指摘をいただくことはございますでしょうか。いかがでしょうか。

二之宮委員、お願いします。

○二之宮委員 今の小塚委員のお話に触発されて、私も。

先ほどもちょっと出ましたけれども、社会的なリスクと社会的なコストをこの社会全体の中でどう見ていくのかというのが、これも第7回のヒアリングであったかと思います。

脆弱性というものを考えると、リスクとコスト、コストのほうが先ほど大屋委員からもありましたけれども、今、回復コストがかかり過ぎる、ルールが重た過ぎてというところもコストの一つだと思いますけれども、そうすると、事前に規制をかけるという仕組みだと、先ほど小塚委員が言われたように、今の社会は面倒くさくてしようがなくなってしまう。

そうなってくると、ではリスクを負わないように慎重にやって面倒くささを回避するのも、これも脆弱性の一つだと思いますけれど、そうすると事後的にどういうふうな救済手段のメニューを用意しておくのか。

ここは、法的安定性という観点から言うと、気分次第でやっぱりやめたというのではなくて、慎重に考えたら、後から考えたら何でこんな買物をしてしまったんだろう、何でこんなボタンを押してしまったんだろうというところを豊富に用意しておいて、その中から100パーセントの被害回復ではないにしてもいろいろな程度を考えておくと、そこのコストをどれだけ低減させるのか。

そこのコストを低減させることによって、要は面倒くささを下げることによって、かえって取引社会の全体としたら活性化していくということになっていくと、社会のリスクを低減しつつ、コストも低減しつつという回し方というものを考えたときに、バランスがどうなのだろうと考えたときに、今はやはりルールがいずれにしても重た過ぎる。だから、回りにくい。コストばかりかかってしまう。

そうすると、百ゼロの話ではなくて、各段階を設けておいて、それもハードからソフトまでいろいろなものを用意しておいて、その中からどれを使っていきましょうかと。そうすると、事業者のほうの負担も、必ずしも事前にがちがちに過度に説明して了解を取ってというのではない。リスクとコストの配分を変えることも、ルールのつくり方、介入の仕方としてできるのではないかと思っています。

ここからが私の個人的な感想めいた話ですけれども、最初にこのパラダイムシフトという専門調査会の委員のお話があったときに何を考えたかというと、パラダイムシフトというくらいですから、取消権だとかそういうのが一つ、二つ増えるというのだけではパラダイムシフトでも何でもないと思います。

いろいろな相談を聞いていて頭を悩ませるのが、どの要件に当てはまるだろうかと。事案を聞いて、相談を聞いて、そこから使えるルールを探し始めて、難しいな、駄目だなと。でも、そうではなくて、安心して取引する。びくびくしながら取引するのではなくて、人は脆弱なのだということを大前提にするのだったら、失敗しました、こんなことをしてしまいましたと。だからどうしたのだ、心配するな、こういう方法があるよというような社会になればパラダイムシフトが図れたのだろうと思いますから、後半戦はその辺もあまり小さな話ではないようにしていきたいなと思います。

以上です。

○沖野座長 ありがとうございます。

それでは、この項目についてはよろしいでしょうか。

ありがとうございました。

今回、脆弱性の話と客観的価値実現の2点を扱っていただいて、この後、金銭以外の点というのがあるのですけれども、ここに必ずしも出てきていないことで、途中、幾つかの場面で出していただいたものに、当該主体として見たときの消費者と、例えば家族とか、未成年者とか、消費者の利益というものを考えるときに、消費者に依拠するような人というものをどう考えたらいいのかという御指摘が何回かあったと思います。一つ前の会議でもあったかと思うのですが、客観的価値の中にそういう話が入ってくるのか、全体の中で整理しにくい項目として浮かび上がっている点があるものですから、①、②ではないような気もするし、かといってアテンションの話でもなさそうなので、ここで言うよりはむしろ全体を見てからのほうかもしれないのですけれども、この位置づけについて何かアイデアはありますか。

あるいは、安全と言うときには、本人を取り巻くような、取引の主体ではない消費者側の人をどう考えていくという中で、この客観的価値のほうに取り込んでくることができるのでしょうか。ここに書いていないものをお聞きして恐縮ですけれども、これについては何かございますか。

大屋委員、お願いします。

○大屋委員 一つは、本質的には個人の概念に関わるわけですよね。一人一人の人生が独立であって、だからこそ自己決定可能なのだというふうに近代的なシステムでは捉えられていたわけだけれども、家族が典型だけれども、実際には相互依存があるわけで、そこは説明し切れないよねという話である。なので、①のところの消費者の位置づけの中でその話まで取り込んでしまうのかというのが一つ。

あと、ちょっと関係がある話で書いてあるのは、②の客観的価値実現のところの2ポツの社会への負の外部性という問題。あるいは、3ポツのところで、取引の結果の不確実性とか、事後の結果の悪影響というところに言及をしておる。そうなったときに、家族への影響というのも、社会ではないけれども、近親者への負の外部性の問題だというふうに捉えて、ここで書いてしまうというのも考えられるかなという気はします。

ただ、ある種当然ではあるのだけれども、一人一人の人間は独立しておるのだという個人観というのは当然ながらある種フィクションだったわけですね。宍戸常寿という憲法学者が、憲法学というのは抗事実的なのだと言ったことがあるのです。反事実をやってもしようがないし、事実べったりでも駄目なので、事実とちょっと離れた規範的にあるべき姿を示すところに憲法というのは意味があるというような趣旨のことだったのですけれども、先ほどの近代的個人というのはまさにそういう抗事実的な規範だったはずであって、しかし、現実問題としてそこには相互依存の問題があるし、負の外部性として捉えざるを得ない問題があるよねということに言及していただくのは当然だし、それを我々は正面から見つめなければいけないと思うのだけれども、やはりこれはやり過ぎると血縁・地縁共同体の復活に手を貸すことになってしまうので、その注記も一緒に書いておいてほしいなと思います。

○沖野座長 ありがとうございます。

法人等の寄附の不当勧誘防止法の中では、生活の破綻について、本人の生活の破綻のほか、そこにディペンドする家族を含めた生活の破綻について配慮するという、配慮義務の中に一部入っているような部分があるのですけれども、あるいはそのような行為規範の中で入れるということもあるのかもしれません。

具体的に言及もされたことであり、整理の中に入れてくるとすると、消費者としてどこまでを捉えるかというのは、ちょっと大きい話になるかと思いますけれども、大本の個人として捉えるというところが、逸脱と言わないけれども、広がる面があるし、その弊害もあるということで、一方で、客観的な価値づけの中で、社会への負の外部性の中に、社会をもう少し、逆にミクロかもしれませんけれども、そちらで考えたり、あるいは取引の結果とか事後の結果の悪影響などの中に出てくることもあるけれども、それに正面から光を当てるのはいいのですけれども、それを強調し過ぎることの弊害も指摘されたので、そちらも明らかにする必要があるだろうという御指摘をいただいたと思います。

小塚委員。

○小塚委員 問題意識は問題意識として、まず沖野座長がなぜこの問題を出されたかは非常によく分かります。その上で、大屋委員のお話も伺うと、これは消費者というものとそれを取り巻く社会共同体の関係という、実は先ほど河島委員がスライド3に関連しておっしゃったこととの関係があるような気がするのです。

つまり、歴史的順序から言えば、むしろ共同体のしがらみから解き放されることに意味があった。規範的な近代法の原理というのはそういうことだと思いますけれども、そういう側面があったのは既に歴史的な過去の話になり、今はむしろ共同体から切り離された消費者個人が、例えば家族というような非常に小さなところでぎりぎり支えられている。その家族についても、大局を言えば個人主義的な見方で捉えていこうという方向性が非常に強い。

そういうところで消費者トラブルが起こると、実は、最終的にはそのコストが社会全体に返ってきてしまうということもある。どこかに財産を全部貢いでしまった親がいて、昔だったらその子供は近所とか村落で引き取ることもできたのだけれども、今はそういうことができない。そうすると、社会福祉で見なければいけないということになれば、それは社会にとってのコストになる。同じように、投資詐欺が横行して老後資金を詐取される人が出れば、大局的に言えば、それは今度、年金財政その他でその人たちをどう支えていくかということで社会全体のコストになる。

そういうことを考えると、消費者問題というのは単に消費者個人の救済という話ではなくて、実は社会的にどう支えていくのか、個人個人がそれこそ幸福に生きていくことを保障したいという我々の社会を機能させるためにどういう制度が必要かという大きな視点の中に位置づけられる。理論的にはそういうことが言えるのだろうと思います。

それを具体的に制度としてどうするかというのは難しい話で、私も今すぐ回答があるわけでありませんが、位置づけとしてはそういうことで、書くということには賛成です。

○沖野座長 ありがとうございます。

では、言及の仕方、あるいはまさにその位置づけ、捉え方について御示唆をいただいたので、最終的に整理をしてまとめるときに入れ込めないかというのはさらに考えていきたいと思います。ありがとうございました。

それから、客観的価値実現につきまして、今までいただいたところに加えて、あるいはその展開について何かさらに御指摘いただくことはあるでしょうか。

加毛委員、お願いします。

○加毛委員 最後のところで出ていた家族の問題については、問題の現れ方が一様ではないような気がいたします。例えば、養育を必要とする未成年の子を想定すると、親権者が消費者被害に遭うことによって自分が本来受けられたはずの扶養を受けられなくなることが問題となるのだと思います。不当寄附勧誘防止法について沖野座長が言及されたのは、そのような問題類型を念頭に置かれてのことであったのではないかと思います。

他方、例えば、高齢者の消費者被害により、老後の生活資金がなくなってしまった場合を念頭に置きますと、小塚委員は社会保障による社会全体でのコスト負担に言及されたのですが、現実的には近親者が金銭的な負担を被ることになる場合が多いのではないかと思います。この点を消費者の家族の問題として捉えることはあり得ると思うのですが、未成年の子が被る損害の問題とは区別して議論すべきではないかと考えます。

○沖野座長 ありがとうございました。

確かにそうですね。今、典型的に未成年者と高齢者というふうに対比していただきましたけれども、もちろん高齢者でも高齢者の生活資金に依拠して生活しているような人もいるわけですけれども、扶養などがかかっている人と、その中でも未成年者というのはまた違うのかもしれませんし、今度はそれゆえにさらなる援助とか支えを提供せざるを得ないというようなところもあるかと思いますが、どういう形でこの問題に言及するかというときの注意点としてさらに御指摘をいただいたと思います。

そのほか、よろしいでしょうか。

ありがとうございます。

それでは、②の客観的価値実現関係、あるいは安心して取引できる社会というか、それを目指したときにどういう点に注意をすべきかということについて御指摘をいただきました。

とりわけ、むしろ後半につながる話ですが、規制法的な制度の在り方というときに、これまでがそれまでの状況に左右されていたということもありますけれども、非常に例外的な深刻な結果をもたらすというときに大きく介入するというか、そういう制度であったところ、より機動的に軽く小さな影響をもたらすような形で、しかも早くできるということが、現在ではむしろ可能になっているのではないかという社会的な状況もあるかと思いますが、そういうものがある中で、対応の仕方というか、究極的には安心して取引できる社会をどう実現していくかということで、しかも、そこにおける人の性質を捉えながら、あるいはそれに関わる人たちがどうすべきかということも考えながらということですけれども、様々なタイプのものがあり得るようになってきているので、従来の法制度の在り方そのものが前提としていたこういう仕組みについても、より柔軟化が必要ではないかということを御指摘いただいたと思います。

具体的には、社会的なリスクと社会的なコストという両面において、どちらも重い、大きいということから、様々なバリエーションがあるということで検討していくべきではないかと。その中には、例えばAIの利用についても、AIの役割についてどういうものを期待するか、どういう形で使うかということについてもバリエーションがあるということを具体的にお示しいただきましたので、その観点からの御指摘をさらに明確にしていければと思います。

もう一つ、客観的価値実現と個人の自由な意思決定あるいは自律性の確保、この両者の関係をどう考えたらいいのかというのがずっと大きな問題として残っていて、理念的には何がこの人にとっての幸福であるかということは基本的に決められないので、本人が決める。だから、本人がまさに十分な素地の下に意思決定ができれば、それが客観的な価値の実現につながっていくはずだということだけれども、その自由な意思決定自体がかなり虚構であって、崩れている面もあるのですが、それから、結果のほうから見たときに本当にこれでいいのか。第三者から見て問題があるような状況もあれば、本人自身が後悔する場合もあるわけですけれども、自由と客観的価値実現というのは、もともとは両者ともに実現されるタイプのものとして関わってきているわけですけれども、どう言ったらいいのか。すみません。大屋委員、言語化をお願いします。

○大屋委員 ここが私の研究者としての本丸なのですけれども、近代的な個人のモデルは、自由を除去モデルで考えているのですね。つまり、他者からの介入とか圧力というものがなければ、個人は自由に決定できるのであると。自由に決定をすると、各自は自己の幸福に配慮するはずであるから、基本的には幸福な選択をするはずである。したがって、個人の自由というのは、個々人の幸福とその集計量としての社会的な幸福の最大化にストレートにつながっていると考えられる。

ところがというのが②の5ポツ目で言われているところで、もはや現代的環境において自由をそのような除去モデルで考えることはできないのではないか。むしろ、きちんとした自己の幸福に正しく配慮するための選択環境の保障みたいな、サポートモデル、補助モデルにしないと、本当の意味で自由な決定ができないのではないかと。

なので、そこに書いてある、インディペンデント、他者から干渉されていないので独立であるという除去モデルから、オートノマス、まさに自分の決定として十分納得ができるような選択環境の下における選択を自由だというふうに考え直そうではないかというのは大きな提言なのだろうと思いました。

○沖野座長 ありがとうございます。大変明確にしていただいたと思います。さらに、今の5つ目のポツの内容もより明らかになったと思います。本当にありがとうございます。

小塚委員から、特に事業者が意思決定にどう介入していくかという点からの御指摘もいただいていて、うまく今まとめられないのですけれども、先ほど申し上げた点と最後にもう一度確認した点以外にも御指摘をいただいていますので、改めてまとめ直すということでお時間をいただきたいと思います。

それで、今まで①、②を取り上げていただいて、本日時間としては12時までいただいて、場合によっては30分程度の延長は可能というふうにいただいておりましたので、次の③のアテンションの点についても入らせていただいてよろしいでしょうか。残り時間では少し足りないかもしれないのですが、頭出し的にでも少しお話をいただいてと思っております。

③につきましては、金銭の支払いに限られない消費者取引の拡大(情報、時間、関心・アテンションの提供)への対応の在り方ということで、さらに現状と課題と対応の在り方に区別していただいてたたき台を整理していただいております。

加毛委員から、この点でしょうか。一つ前かもしれませんね。

○加毛委員 ③に移ろうとしているところを申しわけないのですが、②の客観的価値は重要なポイントだと思っておりまして、ただ今の大屋委員の御説明について、私自身の理解のために、質問を差し上げたい点がございます。

客観的価値については、有識者懇談会の報告書を拝読したときから興味をもっておりましたが、専門調査会の第6回会合における宮城島先生と大屋委員の議論が、私にとって理解の深化に役立ちました。そこでは、宮城島先生が、安全に取引ができる環境が整備されることや、消費者に対するエンパワーメントによって、人々の潜在的な能力が広げられ、その結果としてよりよい選択がなされることに、客観的価値が見出されるというお話をされたのに対して、大屋委員は、有識者懇談会の報告書では、よりパターナリスティックな介入を想定して客観的価値の実現を考えていたとおっしゃいました。先ほどの大屋委員のお話は、そのような有識者懇談会の報告書の解釈よりもパターナリスティックな色合いが薄くなっているような印象を受けました。それが誤解であるかどうかについてお尋ねしたいと思いました。

この点は、第7回会合における玉手先生の関係的自律という考え方にも関わるように思われます。人間は個人として存在するのではなく、他者との関係の中で自分というものが構築されることを前提として、自律的な意思決定についても、そのような他者との関係を考慮する必要があるという考え方は、それほどパターナリスティックなものでもないように思われます。その辺りを含めて、大屋委員のお考えをお聞かせいただければと思いました。

議事の進行を妨害してしまい、申し訳ありません。

○沖野座長 進行上は何の問題もありませんので、大屋委員にお願いしたいと思います。

○大屋委員 ありがとうございます。

まず一つ目の話をすると、宮城島先生がおっしゃったようなこと、あるいは先ほど御説明したような、真に自律的な、オートノマスな決定環境の保障みたいなのは、従来の法制度上は大分大きな転換にはなるのだろうけれども、現代社会の中における自由論としてはあまり異論がない。みんなそんなものだろうと思っているというところだと思います。これがある種のミニマムラインとして恐らく論点として構成される。

一方、もともとの近代的法秩序の中でも、それだけでいいのですかという問題が意識されていたところはあった。民法90条ですよね。公序良俗条項の中で、ある程度は人々が選択し得る目的の範囲に制限を加えるべきだということが意識されていた。典型的には、奴隷になることを幸福だと思うやつがいても、そのような自由はないと排除される。

これは、玉手先生の整理を借りると、真に自律的な決定環境の保障というところは手段パターナリズムに範囲にとどまり、それを超えて、そのような目的は許さないという制限をかけるとすると目的パターナリズムになるわけですね。

手段パターナリズムについては大方の合意が取れるとして、それだけでいいかというと、前回の研究会の議論としてはもうちょっと踏み込む必要があるのではないかと。だから、目的パターナリズムのところまでも、法益によっては踏み込む必要があるだろうということが意識されていた。

それはどこまで踏み込むべきかというのは非常に議論があるところであって、なぜかというと、まさにパターナリズムの問題と、自由の否定に直結するからです。なのだけれども、先ほど述べたように、奴隷化の自由であるとか、あるいは現代的課題で言うと安楽死ですよね。積極的安楽死みたいなものについては、やはり目的パターナリズムの対象として生命というのは客観的価値として保護されるものであるので、個人の自由を排除してもよいのだみたいな議論をする余地はあるだろうと思うところです。

余計なことを付言すると、ただ、私自身は近代主義者なので、すごい近代モデルの復活にとどめたいところが心の中にはあるのですけれども、そういう意味では小塚委員と似ているのだけれども、でも駄目だろうなと思うからこういう議論をやっているわけですよね。

○加毛委員 ありがとうございます。

今の御説明によると、目的パターナリズムとして許されるところは限られていると理解してよろしいでしょうか。これまで議論してきた「消費者の脆弱性」に対する「付け込み」に関していえば、目的パターナリスティックな規制が許される場合もあるように思います。他方、先ほど二之宮委員が強調された「パラダイムシフト」という観点からは、消費者の脆弱性を正面から捉えて、脆弱性を有する消費者が「自律的な決定をする」ことを支援する「規正」の枠組みを作ることが要請されるように思われ、そこでは目的パターナリズムによる正当化は出てきにくいところがあるのではないかと思われます。むしろ手段パターナリズムとして、意思決定の環境を整えることなどに主眼を置いて検討をしていくことになるのではないかと思ってお話を伺いましたが、誤解かもしれません。

○沖野座長 大屋委員、お願いします。

○大屋委員 まず一つは、目的パターナリズムは手段パターナリズムと比べても限定的に、例えば場合によってとか領域によってしか許容されないだろうというのはそのとおりだと思います。

さらに言うと、自律的決定の環境整備みたいな話は多分に普遍的であって、同じような経済状況にある、あるいは情報環境の下にある先進国であれば、どこでもこのぐらいの議論をすべきだ、こういう方向の法制度の実現を考えるべきだと言って構わないと思うのですね。

他方で、目的パターナリズムに何が許容されるかというのは、これはかなりのところ文化依存的というか、民主的決定によって国民の選択によらざるを得ないところがあり、先ほど生命は重要な法益ですよねと私はぺろっと言いましたけれども、御承知のとおり、スイスとかオランダだと許容されているわけですよね。そこは、彼らがそのように民主的に決定したからそれでよいのであり、我が国においても民主的な意思決定によって許容されるとすれば、そこに踏み込む余地はあるだろう。それがどこかというのは今後の議論の対象だと思いますが、これまでよりは少なくともかなり踏み込んでやるべきだというところまでは研究会の議論として出ていたのではないかなと思っています。

○加毛委員 大変ありがとうございました。客観的価値が多層的・多元的なものであることを含めて理解が深まりました。ありがとうございました。

○沖野座長 ありがとうございました。

今、さらに御議論をいただいたわけですけれども、この点についてさらに補足や御指摘をいただくことがあるでしょうか。③ではなくて②、あるいは①に戻っても結構ですけれども、①、②についてこれまでのところでさらに御指摘をいただく点はありますでしょうか。よろしいでしょうか。

次回は2時間ぐらいでしたか、3時間あるのでしたか。

○原田企画官 2時間で、プラス30分ぐらい延長も可と。

○沖野座長 次回でアテンションとデジタル化をやるわけですね。分かりました。

当初時間からするともう15分ぐらいしかないのですけれども、若干の延長が当初より組み込まれているとするともう少し時間があることになります。いずれにしても、今日で③を終えるということは考えにくいのですけれども、差し当たり今日の段階で頭出し的にでも御指摘いただくことがあれば、それをあと20分ぐらいの間にお聞きして、今日のところはもういいということであれば早めに終わらせていただくし、さらに展開があるものは次回に改めてということにしたいと思います。

そこで、③のほうに入らせていただきたいのですけれども、③のアテンション・エコノミー関係、金銭支払い以外に消費者が出しているものというか、あるいは社会への対応ということがあるかと思いますが、現状と課題、対応の在り方に区分けして整理をしていただいておりますけれども、いかがでしょうか。

大澤委員、お願いします。

○大澤委員 私はオブザーバーの立場ですのでなるべく控えていたのですが、次回、別件と重なっていまして、恐らくフルには参加できない可能性が高いので、発言させていただきます。かつ、この間いろいろあって、あまりこの調査会に参加ができておりませんでしたので、見当違いかもしれませんが、そこは御容赦いただきたいと思っております。

③の「対応の在り方」というスライドを拝見していて気になったところですが、これは確かに有識者懇談会の取りまとめでも指摘されていたことだと思うのですけれども、要は生活者としての消費者を考えていくということについては、私も共感をする一方で、しかしなかなか難しい問題もあると感じております。

こちらでは、消費者が商品やサービスを購入するだけではなく、関心などを例えば個人情報などともに提供することで生活のための活動をしていくような場合にもということが書かれておりまして、これを「生活者」と言うときに生活というのが一体どういうことを指すのだろうかということを考えておりましたところです。

この点はもう既に議論があったかもしれませんので、私自身の思ったところですが、一つは、今のところで生活ということに関してどう定義というか、どういうふうに捉えるべきか、法的にはもちろんですけれども、概念としてそもそも法律に限らずどう捉えるか、何かあるわけではないのですが、一つここを見て思いましたのは、従来の消費者法制度というのは、どちらかというと消費者が受け手というか、例えば物を買ったり、サービスを受けるという側だったと思うのですが、ここの文章を読んで思いましたことは、どちらかというと消費者が提供者になる場面、消費者が供給者になる場面というふうに思いました。

この手の話は、訪問購入が問題になったときに、いわゆる貴金属買取りが問題になった2010年あたりにも話があったと思いますが、それまでどちらかというと消費者が例えば事業者から、それこそ先ほど来出ている付け込み的な、あるいは不意打ち的な勧誘を受けて物を買わされるという場面だったのが、今度は消費者が供給者、売主になってしまう場面だということで、当時もどうやってこの法制度を考えていくかという議論があったと思うのですが、もしかすると、それと全く同じではないにしても、消費者が単純に受け手として何か買う、あるいはサービスを受けるだけではなくて、提供者になる場面が、こういった関心を提供するというのもありますが、恐らく次回以降議論されるプラットフォームの場面では増えているのではないかと思います。

今日の①の脆弱性の話も非常に興味深く伺っていましたが、消費者の脆弱性というのもいろいろな意味があると思うので、私はもともと消費者法というときに、それでも消費者というのを軸にして法制度を組み立てていくことの意味を考える必要があるのではないかと思っています。

プラットフォームの取引とか、あるいはこういったアテンションを提供するという場面で、従来の消費者とどういうところで違っているのか。供給者、提供者としての消費者というのを従来の消費者法だけでは捉えられないと思うのですが、やはり消費者法制度という、生活者法ではなくて消費者法という法制度を維持する場合にどういうふうに考えていくかというのが一つポイントのように思いました。

感想めいていて申し訳ありませんが、よろしくお願いします。失礼します。

○沖野座長 ありがとうございます。

「生活者」という概念は脆弱性の最初のところでも出していただいていて、スライドの2ページ、「生活領域における非事業的な活動を行う生身の人間である」ということで、消費者契約法ですと、個人ということと、事業として行うのではないという非事業者性で捉えているということですが、他方で、生活であるために投入できるリソースも限られているという話があって、ここの非事業者性と生活空間で生活する人という生活者というのが同じなのかどうなのか。ここでは、非事業者よりも広げるという意味で「生活者」というのを使っており、それをより端的に6ページのほうでは使っているということだと思うのです。

ただ、生活とか生活者というのがどういうことを指しているのかというのは、恐らく非事業性よりもより広いとか、これよりも少し違う形で捉えられないかということで出しているものと思います。ただ、そのことと消費者という捉え方との関係には注意をしなければいけないということだと思うのですけれども、先ほど出たことも共通するかもしれないのですが、生活者なのですということで何か定義をして、それを軸に制度を考えていくということではなく、根底にある捉え方、先ほどの脆弱性もそうだと思うのですけれども、脆弱性というものが存在することを踏まえてどういうようなことを考えていくかという話でいくと、生活者というのがそういう意味での基本になり得るのか、それともあまり言及はしないほうがいいのか。逆に、今度は消費者とは何かということを改めて問うことになるわけなのですけれども、生活者ということの位置づけ、あるいはそれのすくい上げ方について、今、注意をしたほうがいいという御指摘をいただいたと思うのですが、その点も含めてさらに御指摘をいただければと思います。

石井委員からお手が挙がっておりますので、石井委員からお願いします。

○石井委員 今の点ではないところですけれども、大丈夫でしょうか。

○沖野座長 御指摘はいただきまして、戻れるようならまた戻るということにしたいと思います。

○石井委員 分かりました。ありがとうございます。

③の情報、時間、関心・アテンションの提供の話は、プラットフォーム事業者規制をどうするかという議論を行うときに頻繁に出てくる問題状況であると受け止めております。

「現状と課題」でお示しいただいている項目は、個人情報がプラットフォーム事業者のところに集約されて、分析されて、誘導されてしまうという問題を指しているという面もあります。個人情報の文脈で申し上げますと、個人の情報が知らないうちに取得され分析されることによって、例えばケンブリッジ・アナリティカ事件のような社会を動かすようなことになった。それだけ個人情報というのは怖いのだということを認識させられる事案だったわけです。

消費者保護の観点で見たときに、個人情報との比較で、消費者保護の領域で保護すべき法的な利益、と、個人情報保護の領域が目指している保護されるべき利益、ここが重なり得る場面が出てくるのか、あるいはすみ分けしたほうがいいのか、そういう観点も必要かと思いました。

と申しますのも、例えば、EUのデジタルサービス法がかなり注目を集めている法令の一つだと認識していますが、この法令は個人情報の領域に係っている部分もあれば、消費者保護の領域に係っている部分もあると思っていまして、これは消費者法だ、これは個人情報保護関係だというように、きれいにすみ分けできない領域をプラットフォーム事業者規制として一つの法律にしたものではないかと思っています。

ある法令の対象とする分野が重なり合うというのが、プラットフォーム事業者規制のところで出てくる一つの根底である。それが③のところに関わってくるのではないかと思いました。他の法令が目指している保護との関係性も一つ検討課題といいますか、視点としては挙げてみてもいいのではないかと思ったところです。

もう一つ、その関係ですが、個人情報については、5ページ目の一番下のところに「誘導」という言葉が出てくるのですが、誘導されてしまうことは、アテンション・エコノミー、フィルターバブル、エコーチェンバーでも、結局、本人が自律的なあるべき判断をゆがめられてしまう。そこのところが、個人情報やプライバシーの切り口で見ると、意思決定の介入というような場面で捉えることができるということです。

消費者保護で捉えたときに、時間、情報、関心・アテンションを気づかずに提供させられてしまっていることを消費者被害として捉えることができるのかどうか。この辺りは、私も不勉強ですので自分の考えを述べることができるわけではないのですけれども、この辺りも課題認識としては持っておくほうがいいのかと思った次第です。

以上になります。

○沖野座長 ありがとうございました。

大屋委員、お願いします。

○大屋委員 戻って大澤委員からあった話ですけれども、ちなみに、「生活者」は英語で何て言うのだろうなと思ってグーグル検索で聞いてみたら「コンシューマー」と言われて、それは違うだろうと。要するに、直ちには英語になじまない言葉であって、これは何なのかというのをはっきりさせなければいけないと思います。

余計なことからしゃべり始めるのですけれども、もともと消費者という概念は、私は近代的労働と表裏の関係にあるという話をするようになっています。つまり、テイラー・システムによって均質で大量生産された商品が市場に供給される、そのような環境だから、逆に言うと購入する側は自分が望む製品の諸元について様々な要求をすることができなくなっていて、ありものの製品の束の中からどれを取るかというような選択しか与えられないようになっていく。このような環境が消費者なのだろうと考えられるときに、これが工業社会において成立する生産と消費の両側面の影響だとすると、Society4.0、情報社会の到来で情報の面においては変わったというふうに整理されてきた。

それは何かというと、個人による情報の生産が行われ、それがインターネットで共有されることによって正の外部性を与えるようになってきたのだと言われるようになった。典型的にはSNSみたいなものを考えていただければよろしくて、一世代前はブログですけれども、マスメディアが生産する情報が一方的に大量生産されて均一に供給されるというモデルだけではなくて、CtoCの情報の交換が行われるようになったということが指摘されたのですね。

そのときに、そのような状態における個人を何と言ってきたかというと、そう言えば思い出したのですけれども、プロシューマーなのですよ。アルビン・トフラーが『第三の波』という本で提起した概念で、プロデュースしつつコンシュームしている、市場を通さない価値の生産をやっている消費者が、工業社会から次の社会へのシフトとしての第3の波の後に生まれるのだというのがトフラーの予言だったわけです。

そう考えると、ここの「生活者」が意味しているのもそういうものであって、一方ではもちろんこれまでと同様のコンシューマーとしての普通の消費をやっているわけですが、他方で、これはそもそもトフラーが考えたことではないと思うのですけれども、アテンションの生産をしているのです。生産しているというか、もともと持っているわけですけれども、アテンションを市場を通じて提供することによって正の外部性が生まれている。こういうエコシステムがこれまでの物を契機とする市場とは別に生まれてきてしまったことによって、消費だけするような一方的客体としての消費者ではなくて、生産と消費の両面を兼ね備え、しかし、事業者ではなくて、しばしば収奪されているところの生活者としてのプロシューマーというものが生まれてきたというふうに整理することができるのではないかと思いました。

○沖野座長 ありがとうございます。

それでは、河島委員からお手が挙がっていますので、続いて河島委員からも御発言をいただきたいと思います。

○河島委員 ありがとうございます。

次回の委員会にも関連する点ですけれども、デジタル環境においては、金銭の支払いに限られない消費者取引から、金銭の直接的な支払いに転換させるビジネスも同時に大きな動きとして生じています。そのことについて、検討テーマ1.③か、次回議題になる資料で記載があったほうがよいのではないかと思いました。

具体的には、インターネットビジネスの一特徴とも言えるフリーミアムのビジネスモデルです。御存じのとおり、フリーミアムは無料で多くの人を引きつけておいて、その何割かに有料のプレミアム版に移行してもらうというビジネスモデルですけれども、消費者庁や国民生活センターが多く対応しているオンラインゲーム課金はこのタイプです。したがいまして、金銭の支払いに限られない取引から有料のビジネスへの転換について念頭に置いた記載があったほうが、現状の消費者法制度との連動がうまくいくのではないかと思った次第です。

あと、細かい点までコメントしたほうがよいということでしたので一点細かいことを言いますと、スライドの5に「依存性」とあるのですけれども、厳密には物質依存ではないので、嗜癖性(アディクション)だと思います。「依存性」のほうが分かりやすいのでこの語を使っているのでしょうが、括弧書きで「嗜癖」という言葉も入れておいたほうが政府の文書としてのよいのではないでしょうか。

以上です。

○沖野座長 ありがとうございます。

それでは、御発言をまずは聞いていきたいと思いますが、本日の時点でさらにこの点につきまして、あるいはむしろ次のデジタルエコノミーとも関係するかと思いますけれども、そちらに関わる点であっても結構かと思いますが、二之宮委員、お願いします。

○二之宮委員 ありがとうございます。二之宮です。

最初の大澤委員の御発言とその後の石井委員の御発言を聞いておりまして、第4回のときに石井委員からの御説明を聞いて、最初の大澤委員が言われたことは私も最初そう思っていました。情報を収集される段階、それが分析評価される段階、それが利活用される段階と、個人情報の問題から消費者問題が入ってきて、最後、競争法の問題へという話がありました。でもよく考えると、それは一方通行の川上から川下ではなくて、1周してまた自分のところに戻ってきて、2周目の情報収集がそこで始まり、要はぐるぐる回っていく。そうなってくると、そこでは何が起こっているかというと、ネット空間で取引がされて結びつけられている。それが自分に向けられるといろいろな問題が起こっているけれども、自分に向けられなくても、それが収集されて、分析されて、悪用されて、ほかの消費者へと波及されていくと、単なる川の流れみたいな一方通行ではなくても、同じ円の中を何トラックもしている。

そう考えると、それはもう消費者問題そのものだろうと私は捉えるようになりました。そうすると、個人情報だけの問題、消費者問題だけの問題ではなくて、これは連動しているので、そこには一つ何かルールが要るのではないか。切り分けるのではなくて一連のものとして。それがどんどん抜けられなくなっていくと、そこからどうやって抜け出すのだとか、別の観点のルール、視点も要るのではないかなというのが第4回を聞いた後、考えていたところです。

以上です。

○沖野座長 ありがとうございました。

本日のところでさらに御指摘いただく点はありますでしょうか。

小塚委員、お願いします。

○小塚委員 小塚です。

それぞれの御発言からいろいろな刺激を受けていて、うまくかみ合うかどうか自信がないのですが、③でいろいろ書いていただいていることの中に、幾つか切り分けが必要であるような気がしていて、③というまとめ方は、石井委員が言われたように、デジタルプラットフォームが持ってきた問題という意味で言うと、確かにこういう問題が成立するのですね。そういう意味で、現象的にはこれでいいのかもしれませんが、恐らく制度を考えていくときには少し切り分けたほうがよいと感じているということです。

情報を取られるという話は、第4回の髙先生のところで若干議論があって、情報をお金と同じような、あるいは物と同じような意味で取引するという構成ではないという議論はありましたが、そのことは十分留意した上で、やはり消費者が何かを持っていかれていて、あえて日常用語で言いますけれども、持っていかれていて、それについて例えば取られ過ぎではないか、それが悪用される、濫用されるのではないかというような問題が起こっているということで言うと、伝統的なお金をたくさん取られるとか価値のないものを売りつけられるという消費者取引に近い問題領域ではある。ですから、従来の制度を延長すれば対応できそうな問題ではあると思います。

それに対して、アテンションを取られるという話は新しい問題であるような気がしていて、つまり、アテンションを取られたからどうなのか。あるいは、事業者の側でアテンションを経済的利益に変えているというメカニズムがあるわけですが、それは例えば広告モデルであったりして、直接には消費者から何かを取ることなく経済的利益に変えるようなビジネスモデルが背景にあるのではないか。

もっと言えば、例えば、中毒性ということかもしれませんけれども、レコメンドがどんどん出てきて、その人が接するコンテンツ、取り得る情報の範囲が狭くなっていくとしても、だからどうなのだと。それを、もっと視野を広げてあげて、十全な社会的、政治的判断ができるような人にしてあげることを消費者政策の目的として掲げられるかというと、そこにはかなりステップがあるような気がするのですね。なので、情報、時間、関心・アテンションというそれぞれに、消費者政策になじむかどうかの色合いがあるような気がするわけです。

同じことを大澤委員の問題提起と大屋委員の問題提起に乗る形で私なりに表現をすると、消費者というのは、物を作る人、生産者がいて、流通業者がいて、消費者がいるというモデル、私はこれを古典モデルと呼んでいるのですけれども、こういう取引モデルを前提にしているということで、したがって消費だけをする人という概念で整理ができていた。

それが、デジタルエコノミーの時代になったときには、そういう一方向の流れではなくて、確かに消費者からいろいろなもの持っていかれているかもしれないし、持っていかれるものの中には情報もあれば、アテンションもあり、それによって何重にもループがなっていくという二之宮委員のお話もあるのですが、上流から流れてきたものを単に消費するという立場の人の利益を考えましょうという以上の、一市民、一人間としてこういう在り方でいいのかというところに法規制あるいは規範が介入してくるという問題なので、生活者という概念は恐らくそういうことを捉まえようとしている。

そうだとすると、先ほどアテンションとの関係で申しましたが、本当にそれを今、日本国として取り組むのかという論点もありますし、その中で消費者政策当局が担当することなのかという辺りもいろいろ整理しなければいけないことがあるなと感じているということでございます。

先生方の御議論とかみ合っているかどうか分かりませんけれども、私の感じていることです。

○沖野座長 ありがとうございます。

もう一つ、石井委員から御発言の補足をいただいているようですが、石井委員はいらっしゃいますか。

○石井委員 まだおります。

以前の会議で、私が発言させていただいた内容に少しかぶる御発言があった箇所がありましたので、そこをチャットのほうに書かせていただいた次第です。

○沖野座長 分かりました。ありがとうございます。

チャットのほうの記載によりますと、これまでのヒアリング等々におきましても、明確な被害がない場合、無意識的な働きかけの問題として消費者被害をどう捉えていくかということ自体も言及があって、これまでにも指摘がありましたということを補足いただいています。

消費者被害や消費者問題をどう捉えるかということが、今回、特に③については共通して出てきているように思います。個人情報の問題をどこまで消費者問題として捉えていくかというのも共通の枠ですし、最初に大澤委員から御指摘いただいた生活者とは何かということもそれに関わってくるかと思われます。

ですので、ここでは金銭の支払いに限られない消費者取引の拡大への対応ということで、こういうものにも対処していくべきだということは一定の共通の理解は得ていると思うのですが、そこから一段入ったときに、どういうものを消費者、消費者取引と考え、消費者問題と考えるかということについては、既に幾つか御指摘の中でもバリエーションがあるように思われましたので、その整理が必要であろうということがあると思います。

それから、現在の消費者というと言い過ぎでしょうか、取引における個人が事業者ではなく関わっていく在り方については、一方的に何かを意図せず出させられているようなところもあれば、意図して出しているような問題もある、それが重要なことと思わずに情報を出しているということもあると思いますし、そうかと思えば、自分が積極的に発信をしているというような形で、いわば生産を担っているような形もあるという様々な側面を個人が持つようになっているので、そういう主体の性格が違ってきていることは確かなのですが、それのどこをどう捉えるのか。そのときには、関連する別の捉え方といいますか、それとの関係も考える必要があるという御指摘をいただいたと思います。

それから、今回、情報、時間、関心・アテンションとしているのですけれども、これは言ってみれば全てまとめて扱ってしまっているけれども、情報というのは出し手の問題もありますし、伝統的な消費者被害との類似性という点でも特徴がありますが、それ以外の時間や関心・アテンションというのはかなり性格が違う面もあるので、これを全て一まとめにするのではなくて、ここの切り分けというか、最終的に切り分けるかどうかというのはまた別途あると思いますけれども、それも意識する必要があるということを御指摘いただきました。

それから、デジタル環境のほうにどうしても入ってくるわけですけれども、問題になっていく取引類型の中には、具体的にはオンラインゲームの課金などのように、入り口は無償で、しかし、その一部を有料に転化していくようなモデルに着目することの重要性というのは、ビジネスモデルの新たに出てきているものとか、そういうことについてもより明示的に書くべきだという御指摘をいただきました。用語についても、アディクションというのをより正面から日本語としても捉えたほうがいいという御指摘をいただいたと思います。

まだ③は尽きていないだろうなと思っておりますし、それから、これはどうしてもデジタル化と絡んでくるところがありますので、特に本日の段階でということでなければこのくらいにさせていただきたいと思うのですが、大澤委員、次回はおいでになれないかもということだったので、もしさらに補足があればお願いしたいと思います。

○大澤委員 大丈夫です。

次回も途中までは参加できると思います。

○沖野座長 分かりました。

それでは、また何かありましたら、次回に御指摘いただくことになります。

○大澤委員 考えさせていただきます。ありがとうございました。

○沖野座長 よろしくお願いいたします。

先生方の了解に圧をかけたかもしれませんが、また今日も時間を延長させていただきましたけれども、本日につきましてはこの辺りとさせていただきまして、次回に続きをお願いしたいと思います。

次回は、資料1を引き続き検討の素材として、あるいはたたき台として中間的な整理に向けた議論をお願いしたいと思います。

委員の皆様におかれましては、活発な御議論をありがとうございました。

最後に、事務局から御連絡をお願いいたします。


《3.閉会》

○友行参事官 長時間にわたりまして誠にありがとうございました。

次回の日程につきましては、決まり次第お知らせいたします。

○沖野座長 ありがとうございました。

それでは、これで閉会といたします。お忙しいところを本当にありがとうございました。

(以上)