現代の野口英世博士たちと国際協力井戸栄治 東京医科歯科大学大学院 医歯学総合研究科ウイルス制御学分野 特任教授 / 山岡昇司 東京医科歯科大学大学院・ウイルス制御分野 教授

 1928年、野口英世博士は黄熱病の研究のために訪れたガーナの地で研究に奮闘した末、自らも黄熱病に感染し、51歳の短い生涯を遂げます。そのガーナには野口博士の名を冠した「野口記念医学研究所」があります。東京医科歯科大学では、ガーナ大学・野口記念医学研究所と共同研究を行っています。井戸栄治特任教授はその共同研究センターに常駐し、ウイルス学の研究を行われています。

 井戸教授らは研究の傍ら、ガーナ大学・野口記念医学研究所共同研究センターのニュースレターを東京医科歯科大学のホームページで公開されています。現地での研究生活を始め、研究所の様子やガーナでの生活などについて執筆されています。野口英世アフリカ賞担当室では、井戸教授らのニュースレターと出会った事がきっかけとなり、井戸教授の一時帰国の機会に、お話を伺う事ができました。

 いつもは1対1でお話を伺う事が多い野口英世アフリカ賞インタビューですが、今回は井戸教授と同じく、野口記念医学研究所のプロジェクトに携わっている山岡昇司教授(東京医科歯科大学大学院・ウイルス制御分野)にもお話を伺う事ができました。

 また野口記念医学研究所との共同研究プロジェクトの責任者である太田伸生教授(東京医科歯科大学大学院・医歯学総合研究科国際環境寄生虫病学分野)にもご挨拶しました。

(インタビューは2012年11月28日 都内にて行いました。)

 

 井戸栄治 特任教授
井戸栄治 特任教授
東京医科歯科大学大学院

 1975年東京大学教養学部卒業後、1981年同大学院理学系研究科博士課程を単位修得退学、同年理学博士号授与。
 1981~83年青年海外協力隊員としてケニア共和国ジョモ・ケニヤッタ農工大学講師等を務める。
 1984~1985年JICA専門家として野口記念医学研究所に派遣。
 その後秋田大学、米国オクラホマ医学研究所、京都大学ウイルス研究所を経て、2010年より現職。
 専門はウイルス学で、特にアフリカ大陸におけるHIVの分子疫学。

山岡昇司 教授
山岡昇司 教授
東京医科歯科大学大学院 

 1982年京都大学医学部卒業後5年間消化器外科臨床に従事した後、1987年京都大学大学院入学しウイルス発癌研究に参加。
 パリ・パストゥール研究所で3年間ウイルス蛋白質と転写因子の研究を行い、1999年から東京医科歯科大学助教授、2007年より現職。
 2008年から野口記念医学研究所での研究活動に参加した。専門はヒトウイルス学、分子生物学。

ガーナの野口記念医学研究所との出会い
研究所の立ち上げ期と現在に立ち会って。

井戸教授ご自身のガーナ、アフリカとの出会いについて教えてください。

ガーナの野口記念医学研究所で研究中の井戸教授とガーナの若い研究者と日本の学生たち
ガーナの野口記念医学研究所で研究中の井戸教授とガーナの若い研究者と日本の学生たち
(写真提供:井戸栄治 東京医科歯科大学大学院 特任教授)

井戸教授:私は都立小石川高等学校を卒業後、東京大学へ入学し教養学部・基礎科学科を卒業しました。大学院生の時、当時の予防衛生研究所(現在の国立感染症研究所)で蚊などで媒介されるアルボウイルスや風疹ウイルス、また発癌性のレトロウイルスの研究に携わりました。学位を取得後、最初の仕事をどうするか考えるにあたり、どこかで海外志向があったのでしょうか、昭和56年にケニアへ青年海外協力隊員として行きました。日本政府の援助で出来たばかりのジョモ・ケニヤッタ農工大学で生物学系の科目を担当、講義や実習を受け持ち、またハランベースクール(日本の中高等学校に相当)などで教壇に立ちました。ケニアには2年間いましたが、この時がアフリカとの初めての出会いであり、英語にも慣れ親しみ、国際協力のスタートになりました。今では学位を持っている協力隊員は珍しくありませんが、当時では珍しかったと思います。当時の協力隊の訓練は4か月近くありましたが、その訓練中に半日だけ抜けて学位論文の発表を行って、学位を頂きました。

 青年海外協力隊の2年間が終わり次の仕事を探していた時が、ちょうどガーナの野口記念医学研究所(以下、野口研)が完成し、初期のセットアップがほぼ完了した頃で、仕事を引き継いでくれる人を探していました。こうして野口研にJICA(国際協力機構)の専門家として派遣されました。

 野口研の建物の完成は1979年ですが、ガーナ医科大学(後にガーナ大学医学部)との医療協力プロジェクト自体はさらに10年前の1960年代後半に福島県立医科大学の外科教授であった本多憲児先生のイニシアチブの下、同大学と共同のプロジェクトとして始まっています。その10年の間に、大学付属病院の各診療部門への協力だけではなく、基礎研究面での協力を強化しようとして新しい研究所を建設する構想が生まれたわけですが、オイルショック等で大幅に遅延し、最終的に1979年に野口研は完成しました。しかし、それまで日本・ガーナ間の医療協力推進に尽力されていた本多憲児先生が、単科大学だけで野口研プロジェクトを進めることは、人材確保一つを例にとっても分かるように大変難しいと判断、研究所完成を機に東京大学医学部や同医科学研究所、三重大学医学部小児科、名古屋市立大学医学部医動物学(寄生虫病学)教室、徳島大学医学部栄養学教室の教授の先生たちが構成メンバーの国内委員会を作り、それぞれの機関から若手の研究者を派遣することになりました。東大医科学研究所では当時山内一也教授がいらしてウイルス学関係を担当されていました。予防衛生研究所でのウイルス研究の経験とアフリカ滞在の経験があった事が何となく融合して、私の野口研行きが自然と決まったように思います。

ガーナの野口記念医学研究所の壁のレリーフ
ガーナの野口記念医学研究所の壁のレリーフ
(写真提供:井戸栄治 東京医科歯科大学大学院 特任教授)

 野口研が設立された直後は折悪しくガーナの経済状況が大変厳しい時で、施設そのものは立派でしたが、肝心な電気は一日おきの供給。非常用電源があっても燃料の確保すら困難で、1984年の4月から1985年の8月までの期間ガーナにおりましたが、施設維持管理に相当な時間が費やされたという感じでした。

 その当時はHIV/エイズが発見されてから日が浅く、それが世界中に蔓延している疾患であることがまだよく分かっていない時代で、当時のアフリカにおける大きな健康問題は、途上国の低栄養でした。その原因の一つがウイルス感染という事で、はしか(麻疹)ワクチンの効果的接種法の研究をしていました。途上国では麻疹ウイルスに暴露する時期が非常に早く、乳幼児のなるべく早い時期のワクチン接種が望ましいが、1歳以下では注射器で接種するには難しく、一方母親から胎盤を通じた移行抗体もあるのであまり早く打ち過ぎても効かない。6か月以上12か月未満の期間でどの時期が良いのか、そして注射器ではなく、鼻腔に噴霧するネブライザーによる接種に効果があるのかを調べていました。

 もう一つの研究は、研究設備が貧しい環境下でも可能な黄熱病診断方法の考案でした。人間以外で黄熱病に感受性がある動物はある種のサルと、新生児マウスです。生まれたばかりのマウスの脳内に弱毒株のウイルスを打ち、抗原を発現させた脳組織のミクロトーム切片を作ります。被験検体の血清中に抗体があれば抗原抗体反応を利用して光らせるIFAという技術があります。その技術をガーナ向けに改良して導入しようという研究でした。

 3番目の研究は、ちょうど検査キットが出来ていたロタウイルスの疫学研究です。ロタウイルスは特に小児に下痢を起こし、低栄養の原因の一つになると考えられていました。

 これらの研究は残念ながら予備的なデータにしか達せず、論文として仕上げる所までは行きませんでした。

 その当時のガーナでの生活は本当に大変で、ガソリン供給が週に1回たった2時間程度の販売で、どこかで売り出されたという噂を聞きつけては慌てて買いに行き、タンクがいっぱいになったら口でホースを使って吸い出して、また別のタンクに貯めるという状態でした。電気は変則隔日供給で、1日おきに異なる時間に電気が点いたり切れていました。そういう話が伝わっていたからか、キャリアのある人は誰もガーナに行きたがりませんでした。そんなわけで、私は30代そこそこでリーダー格になってしまいました。

 そんな劣悪な生活環境でしたので簡単に後任は見つからず、自分としてももう少しガーナに居ても良いかなと思っていたところ、突然大学院の指導教官だった先生が、とある地方大学の教授になったので、手伝ってほしいという連絡が来ました。非常に悩みましたが、お世話になった先生だったので結局そちらに行く事を決心しました。しかし、いざ行ってみると、私たちのコンセプトと周りの先生たちとの思惑がうまく噛み合わず、仕事がしづらかった事、海外に行っていた間に自分自身の研究技術が遅れを取っていると感じた事もあり、またちょうどDNA molecular cloningの分子生物学が興り始めた時代でしたから、そうした技術を習得したいと思い、アメリカのオクラホマ医学研究所へ留学しました。オクラホマやテキサスは石油産出の州で、その利益や寄付があったからでしょうか、素晴らしい施設を持っていました。オクラホマ医学研究所には、胃の消化酵素であるペプシンの一次構造を世界に先駆け発表した生化学を専門とするJordan Tang先生がいらして、最先端の研究を行っていました。Tang先生は、ペプシンのように酸性条件下で働くアスパラギン酸プロテアーゼ研究の第一人者でしたが、実はHIVの持つプロテアーゼが同じメカニズムで働くタイプの酵素だという事が分かりました。Tang先生が日本に講演会を兼ねてリクルートに来ているという情報を知り、大学院生の時初めて携わったウイルスと大学の卒業研究で勉強した酸性プロテアーゼに関する研究だったので、そのテーマに強く惹かれて先生に会いに行ったことが縁となって留学することが決まりました。その当時、地方大学の助手クラスの人間が自ら留学先を見つけてくることは珍しい事でした。結局1989年1月~1991年の10月まで約2年と9ヶ月アメリカで研究をしていました。

 当初の渡米目的であったmolecular cloningの技術も身に付けて、他の新人ポスドクなどへ教える立場にもなっていたので、米国に残ろうと思えば残れたのですが、偶然野口研の仕事を紹介して下さった元東京大学医科学研究所の山内一也先生から、先生のお弟子さんでもあり、また私自身も予防衛生研究所時代に研究でご一緒したこともある京都大学ウイルス研究所の速水正憲先生が助手を募集しているという話が飛び込んで来ました。速水先生の研究室ではHIVやサルの近縁ウイルスであるSIVの研究をする人を探しているということで、こうして同研究所内に立ち上がったばかりの免疫不全ウイルス研究施設が新しい勤務先となりました。そこでは色々な仕事をしましたが、大きく分けて2つの研究テーマがありました。

 1つはエイズの動物モデルを作ることでした。なかなか人間以外でHIVに罹る動物はいないと言われていて、チンパンジーが唯一感染する動物でしたが、稀にしか発症しない。医薬品の開発やウイルスの基礎研究には感受性のある動物モデルは必須なので、それを確立する研究を行いました。

 もう1つですが、私がガーナの野口研にいた1985年より少し前に、速水先生がHIVやSIVの研究を開始される以前にSTLV(サルT細胞白血病ウィルス)と呼ばれるサルのリンパ球で増殖し、血液の癌を起こすウイルスの研究をされていました。後天的白血病の原因ウイルスであり、西日本に患者の発生が多いHTLV(ヒトTリンパ好性ウイルス)の分布と日本国内のサルのSTLVの分布に関連性があるかどうかを調べられていました。その時集められた膨大な数の国内外の検体を使って、発見されたばかりのHIVのルーツをたどる研究の過程で、アフリカミドリザルサルがHIVにそっくりなウイルスを保有する事が分かり、SIVagmと名付けられました。アフリカ固有の2種類のサルから初めてSIVを分離した事で速水先生は有名になり、京都大学の教授になられました。速水先生の狙いは、サル類を中心としたHIV関連ウイルスを調べることだったのですが、私はアフリカ経験があり、しかもウイルスが扱えるという事で採用されたものと思います。京都大学でのお勤めは当初短期間の予定だったのですが、結果として19年間余りも在籍しました。

 2008年に東京医科歯科大学で海外拠点のプロジェクトが始まり、ガーナの野口研で研究する人を探していることがたまたま耳に入り、その条件に合致した私がいたという感じでした。こうして2010年4月から東京医科歯科大学の職員となり、再びガーナの野口研で仕事をすることになり現在に至ります。

J-GRIDとSATREPS
野口記念医学研究所で行われている、2つの感染症プロジェクトについて

ガーナ大学・野口記念医学研究所(野口研)での研究活動について教えてください。

ガーナの野口記念医学研究所で研究中の井戸教授と研究者らと日本の学生たち
ガーナの野口記念医学研究所で研究中の井戸教授と研究者らと日本の学生たち
(写真提供:井戸栄治 東京医科歯科大学大学院 特任教授)

井戸教授:野口研では2つの感染症プロジェクトが行われています。1つめは感染症研究国際ネットワーク推進プログラム、略してJ-GRIDです。文部科学省によって立ち上げられたこのプログラムでは、新興・再興感染症の研究のため、日本の大学・研究機関とアジア・アフリカ8か国、13の大学や研究機関に研究拠点を立ち上げて共同研究を行い、国境を越えた研究ネットワークが築かれています。東京医科歯科大学はガーナの拠点として、野口研で共同研究を行っています。

 J-GRIDのプロジェクトは、最初アジアの3ヶ国(中国、タイ、ベトナム)で開始しました。しかし、感染症の研究にはグローバルな監視が必須で、拠点をさらに追加することが必要という議論になりました。東京医科歯科大学はガーナの野口研を新しい拠点として応募し、2008年に採択されました。現在、同大学からガーナへは、ウイルス学担当の私と寄生虫病学担当の鈴木高史特任教授の2名の研究者が常駐し、現地雇用の日本人事務職員の計3名の体制で運営しています。日本へ材料を持ち帰って研究を行っている拠点等もありますが、私たちは日本から遠いので、基本的に現地での研究を中心に行っています。

 2つ目は地球規模課題対応国際科学技術協力、略してSATREPSです。昨今、特に研究分野の途上国援助に関しては、その研究目的や到達目標がはっきりとしていて、なおかつ地元のニーズに従った技術協力が期待されています。これはそれまでに前例のない、JST(科学技術振興機構)とJICA(国際協力機構)という2つの異なった組織に跨った初の合同プロジェクトとして始まりました。

 SATREPSに関しての説明は山岡先生に譲ることにして、J-GRIDの活動に絞りますと私が担当しているウイルス学の方では3つのテーマがあります。HIV/エイズはアフリカで一番問題になっている感染症の一つですが、1つ目のテーマはガーナで現在使用されているART(抗レトロウイルス治療)の薬剤評価です。UNAIDSやWHOなど様々なグローバルファンドが資金を出して、エイズ、マラリアや結核対策のために薬を供与していますが、貧しい途上国では研究設備が不十分なこともあり、多くの地域で治療の成果を正しく評価していません。このテーマに関しては、ガーナ側のニーズと私たちの出来る事が一致し、拠点を立ち上げた当初から取り組んでいます。

 2つ目は、京都大学在籍時からの継続研究テーマであるHIVの起源に関連しています。アフリカ大陸、特に中央部の辺りで新しいHIVの株が発生している実態を明らかにする事と、1人の患者さんが数種類のHIVウイルス株に感染する、いわゆる「重感染」の結果、患者さんの体内でウイルス同士の遺伝子のシャッフリング、つまり組み換えが起こり、より感染力を増強したウイルスに変化しているのではないかというリコンビネーションの研究を行っています。

 3つ目は、デング熱などウイルス性出血熱の研究です。地球温暖化の影響により、それまでは温暖であった地域の平均気温が1~2度上昇し、亜熱帯気候に変化しつつあるなど、気候変動の結果、動物の生息分布が変化しつつあることが報告されています。蚊が媒介するウイルス感染症、たとえばデング熱、ウエストナイル熱、チクングニヤ熱などは、まだ日本国内で発生したと考えられる症例はほとんど無く、主に海外からの帰国者に年間数十名から百名を超える患者が発生している状況なのですが、それが増加の傾向にあり、やがて国内でも発生する可能性が指摘されています。せっかくアフリカに拠点を構えていますので、こちらの仕事も去年から開始したところです。

 1つ目のARTの評価についてですが、実際の調査としては、先進国ではもはや使われなくなった薬が、ガーナでは非常に安価に供給され使用されています。しかしその効果について科学的にきちんと調べられた事がありません。ガーナの首都アクラの北へ60キロほど離れたコフォデュリア州立病院と協力して検体を提供してもらい、2009年から調査しています。薬の効果を見るためには、同一患者を追跡して継時的変化を観察することが大事です。つまりフォローアップ患者に注目するわけです。

 HIV/エイズという病気を簡単に説明すると、ウイルスが増えるのと同時に、免疫の中で大事な役割を担っているヘルパーT細胞(CD4陽性細胞)の数が減ってきます。このCD4陽性細胞が減少すると免疫能力が落ちて、他の感染症に対して抵抗力が弱くなり、最終的には様々な原因で死に至ります。CD4細胞数が増えたか減ったか、という事が病態を判断する一つの指標になります。

 調査では、患者をSuccess(成功)、Failure(失敗)、Moderate(中間)の3つのグループに分けました。血中のウイルス量が抑えられていて、CD4細胞数の値が回復している状態をSuccess、ウイルスが検出されている、または更に増えていると同時にCD4細胞数が減っている状態は、明確に今の治療法ではだめですという事ですからFailure、その中間で、CD4の値は回復していないが少なくともウイルスは抑えられているので当面治療薬を変える必要は無い、この状態をModerateとしました。調査の結果、今の治療薬で十分効果がある人が全体の約69%、今は治療法を敢えて変える必要が無い人が約18%、合わせて87%くらいの人が現行の治療法で良い事が分かりました。

 問題は残りの約13%のFailureの人たちです。データ上では今の薬が効いていないという事になりますが、もっと詳しく調べてみると、薬を処方通りに飲んでない人がいる。一番の問題は薬をきちんと飲んでいるのにも拘わらず、効いてない人たちです。

 HIVの治療で気をつけなければならない事は、ウイルスが薬に対して耐性となる変異を起こす事です。従って次にやるべきは薬剤への耐性変異がどこまで拡がっているかを調べることです。その結果、それぞれの薬に対する耐性変異があるウイルスが多数見つかりましたが、幸いな事に多剤耐性ウイルスは発見されませんでした。13%のFailureの人たちの、治療が効いていない本当の理由を探さなければいけません。調査の結果をまとめると、現在ガーナで行われている治療法は87%程度の患者に対して有効であると考えられるが、残りの13%に関してはそろそろ注意しなくてはいけない時期に差し掛かっていて、かつ耐性変異もかなり拡がっているようだが、今はギリギリの所で留まっているという事です。今後は耐性変異に対処できる次代の薬の準備を進めなくてはいけません。

他の国でも同様のHIV/エイズ治療の評価の例はありますか?

井戸教授:類似の試みは東南アジアのような比較的実験設備が整っている所では既に行われており、私たちとほぼ同様の結果が出ています。しかし、アフリカでこの種の研究が行われた例はほとんどありません。アジアとアフリカでは流行しているウイルスのタイプが異なるので、私たちが行っている事は大変価値のある研究だと思っています。

人によって耐性が出る人と、出ない人の差があるということですか?

井戸教授:薬剤耐性のウイルスに感染しているからと言って、その人の体の中でその耐性が出来たとは必ずしも言えません。すでに耐性となったウイルスをパートナーから感染させられた可能性があるからです。もちろんその人の身体の中で変異が起った可能性も考えられます。

野口研では研究を通じて日本とガーナの間の人物往来もさかんですね。

井戸教授:現在野口研では、J-GRIDとSATREPSの2つのプロジェクトが行われていて、招聘や技術協力など色々な形で双方に往来があります。来年(2013年)の1月に東京医科歯科大学がホスト校となり、J-GRIDに参加している各大学・研究所が成果発表を行う、アジア・アフリカリサーチフォーラム2013が行われます。今はその準備で大変ですが、ガーナから野口研の所長を含め5名を招待します。J-GRIDの代表である永井美之先生(独立行政法人 理化学研究所 新興・再興感染症研究ネットワーク推進センター長、J-GRID プログラムディレクター)からは、せっかくアフリカに拠点を持つ大学での発表会なのだからアフリカらしさを前面に出すようにというご指示があり、エボラ出血熱、マールブルグ出血熱、ラッサ出血熱という、日本には十分に研究できる機会が無い、バイオセーフティーレベル4のセッションを行う予定で、つい最近アウトブレークがあったコンゴ民主共和国の研究者にお越しいただき、実際どのような対応をされたのかについて発表して頂くことも予定しています。人物往来は人材育成の大きな柱ですから、財政が許す限り行います。

贈呈式
東日本大震災で大きな被害を受けた福島の子供たちへ、野口記念医学研究所は
130Kgものガーナ産チョコレートを贈りました。写真は贈呈式でチョコレートを渡す
Nyarko所長(当時)と受け取る稲村JICAガーナ事務所長
(写真提供:山岡昇司 東京医科歯科大学大学院・ウイルス制御分野 教授)

 
日本人専門家による、寄生虫病学部門での若手研究者への研究・技術指導
(写真提供:山岡昇司 東京医科歯科大学大学院・ウイルス制御分野 教授)

井戸教授はアフリカとのお付き合いが長いですが、アフリカならではのエピソードを教えてください。

井戸教授

井戸教授:アフリカは一口に言えないほど多様性があります。ナイロビ(ケニアの首都)やアクラ(ガーナの首都)の空港やホテルにいる限り、まるで先進国並みであるような気がして実態が分かりませんが、都心を離れれば全く違った側面が見えて来ます。こんな辺鄙な所ではたして研究なんて出来るのだろうかという奥地でも、今は携帯電話が発達しているため、長期に亘って患者を追跡観察することが出来ます。ものすごい奥地に1人で仕事に行っても、保健省に出張命令書を貰っていることもありますが、意外なほどにしっかりと仕事が出来てしまうのがとても不思議ですね。時々、どうして私はこんなジャングルの奥地にいるのだろう?と疑問に思う時がありますけれど。

 ガーナ生活に関しては、長期滞在した人にしか分からないことだと思いますが、地域・時代によって大きく変化していると言えます。なかなか一言では言い表しづらいです。苦労が 無いとは言えませんが、あまり好き嫌いも無く順応しています。人によっては一度帰国してしまうと、再び戻るのに躊躇してしまう方もいらっしゃるそうですが、私は「また行ってくるわ。」という感じですね。何でも食べられて、土地の生活に馴染んでいるからかもしれません。

アフリカ風景 アフリカ風景

すごい巨人・野口英世博士
驚くべき研究への熱意とバイタリティ。

実際にガーナで研究生活をされて、野口英世博士についてどのようにお考えですか?

井戸教授:野口研とは途中でブランクがありますが、アフリカとの縁はかれこれ30年くらいになります。速水教授の下で研究をしていた頃はサンプルの採集等で度々出張していましたが、常駐での滞在は25年振りです。私は野口研の立ち上げ期と、現在の状況の両方が分かるので、野口博士のことについても記録として残しておきたいと思い、ニュースレターで野口博士についての記事を書き始めました。

ガーナで研究中の野口英世博士
ガーナで研究中の野口英世博士
(写真提供:財団法人 野口英世記念会)

 野口博士の事を調べれば調べる程、色々な側面がある人で、評価も人により様々に異なりますが、私は研究者の立場から見直してみたいと考えました。どんな論文を書いたか、どんな事を言ったのか、最後に亡くなる直前に何をしていたのか。野口博士の事を一言で言うと、「すごい巨人」です。彼の熱意とバイタリティー。その強引さを含めて、あれだけの事を今の人が出来るかというと、財源的な事を含めて絶対に出来ません。アフリカでわずか5~6か月の滞在の間に、900頭あまりのサルを扱い、接種実験を行いつつ、30~40人の飼育員と10人くらいの研究者を相手に采配を振るうという事は並みの能力では出来ません。それと同時に最後の数年の野口博士は、まるで何かに魅入られたかのように不幸な道をたどります。上り調子の反動でしょうか。それは決して彼の過ちでも能力不足でもなく、選んだ道が裏目に出てしまった結果だと思います。教訓も含め、野口博士からは学ぶべきことが沢山あると感じています。

人材育成しながらの研究
現地のニーズを大切に、プロジェクト終了後も現地で持続されるような研究を。

 本日は井戸教授のご紹介で、山岡昇司教授(東京医科歯科大学・ウィルス制御学分野)にもお話を伺いました。山岡教授は、年に数回ガーナの野口研を訪れ、SATREPS(地球規模課題対応国際科学技術協力)のプロジェクトで、研究に必要な機材や方法を提供しながら、ガーナの植物から感染症や寄生虫に有効な薬用成分を突き止める研究をなさっています。

SATREPSについて教えてください。

野口研でウイルス学部門の研究指導を行っている山岡教授
野口研でウイルス学部門の研究指導を行っている山岡教授
(写真提供:山岡昇司 東京医科歯科大学大学院・ウイルス制御分野 教授)

山岡教授:このプロジェクトは2年半前から立ち上がりました。海外の研究はJICA(国際協力機構)の対応、国内の研究はJST(科学技術振興機構)が支援するという形の事業です。途上国のニーズに従って研究を行う、という考え方が基本です。

 ガーナにおけるニーズはウイルス、寄生虫感染者に対する有効かつ安価な薬剤の開発、探索(スクリーニング)です。欧米で開発された薬はとても値段が高く、途上国ではそのままは使えません。先進国では既に使っていないような薬を、途上国では使用しています。ガーナ側としては自分達が持っている資源を有効利用して薬を作れないかという希望が強く、それを支援する研究を行っています。

 ガーナは薬用植物を服用する伝統がある国で、お医者さんではないですが、生薬を処方するハーバリストの人たちが沢山います。生薬を使うガーナの伝統医療の知識を基に、HIVウイルスと寄生虫のトリパノソーマに有効な薬用植物の成分を探索しています。ウイルスに関しては私の方で、スクリーニングに必要な基礎的な研究材料や研究方法を提供しています。寄生虫学に関しては、本学の太田伸生教授が提供しています。ただし私どもは薬学の専門家では無いので長崎国際大学の正山征洋先生に薬学と有機化学をご担当頂いています。本学は野口研をサポートして、長崎国際大学の薬学部が、ガーナの生薬科学研究センターの研究をサポートしています。

 野口研では薬用植物から有効成分を抽出して、ウイルスや寄生虫に有効かどうかスクリーニングを行う研究を行っています。有効そうなものは見つかりつつあるのですが、正確にこの物質のこの化学物質が有効である、という結果は出ていません。西洋科学の基本的な考え方としては、薬用成分の中でこの化学成分、この化学式を持ったこの物質が有効です、という事を突き止めなくてはいけないのですが、実はガーナの人たちはそこまで求めていないのですね。彼らのニーズとしては、有効生物が含まれているものを、生薬として活かす道を探して欲しいわけです。私たちが化学物質を発見して医薬品として開発すると知的財産権も含め、研究と開発に莫大なお金と時間がかかり、結果として薬になる頃にはガーナ人の口に入らないかもしれません。ガーナの方々には、この抽出物が有効、と分かれば医薬品開発まで行かなくても、生薬として使いたいという希望があるようです。このプロジェクトとしては有効成分を突き止めて、医薬品開発をしたいという考えですが、あと2年半で終わってしまうこのプロジェクトでは、医薬品開発までつなげる事は難しいので、プロジェクトが終わった後もガーナの方々が研究を続けられるように基盤をしっかり作ることと、出来るだけ有効成分を単一化合物まで精製して突き止める事を目指しています。

 ガーナ側の希望にそった生薬として開発できるかは未知数です。地球上で生薬、植物の成分は、木のてっぺんから海の底、木の根っこまで、世界中でスクリーニングが行われています。そこから本当に有効なものが見つかるかは分かりませんが、私どものスクリーニングの方法がユニークであれば、ユニークなものが見つかって来るのではないか、と思っています。

バナナ カカオ
ガーナでとても生産量が多い植物、バナナとカカオ
(写真提供:東京医科歯科大学)

ガーナのハーバリストの間で言い伝えられてきた、薬用植物を一つ一つ調べているのですか?

インタビュー中の山岡教授
インタビュー中の山岡教授

山岡教授:薬用植物と言われているもので、昔から使われているものに関しては、ガーナ側からリストを出して頂いていますし、私どもの方でもガーナに自生している植物の一覧からピックアップをしてリストを作成しています。これらのリストに合わせて植物を採取して調べています。

井戸教授:古くはマラリアに効くキニーネがありますが、どこでどのようなものが効くかは分かりません。仮に答えが出なくても、ノウハウ、考え方、機材を提供する事によって、技術協力になる事が、SATREPSの良い点だと思います。

山岡教授:英語ではサステナブルと言いますが、持続可能でなければいけません。プロジェクトが終わっても人材、ハード面でも現地で研究が持続される事が大事だと思っています。

 人材育成とは非常に難しく、日本人の科学に関する取り組み方とガーナ人の取り組み方は世代によっても違いますし、研究のテーマによっても違います。しかしながら人を育てる事が一番大事な事だと思っています。

 大事なのは、研究を何のために行うか?ということです。研究を行うだけではなく、研究を立案、評価できなくてはいけません。研究の方法が残るだけではなく、自分達で研究の方向を見つけていく事ができるように人材育成が出来ればと思っていますが、現時点ではそこまでなかなか届いていません。

科学に対する取り組み方の違いとは具体的にどのような点ですか?

井戸教授:研究報告をするという時に私たちが重視をすることは、今まで分かった事を踏まえた上で問題提起をして、次に何をしなくてはいけないかという事を第一に考えます。ところがアフリカの方々は今までどのような事が分かったか、という事を重視します。習得の所までで大半の時間を使ってしまうので問題設定が出来ない、という点が大きな差ですね。知的なレベルは非常に高いですし、メンタリティーや能力の差はあまり感じた事はありません。

慣れ、という事でしょうか?

井戸教授:経験もありますね。どんどん先進国に出て、学位を取ってお金を稼ぐためにアメリカに行ってしまいますが、祖国のために頑張ろうという人たちが戻り始めれば、今までの自分たちの吸収一方のやり方では足りないと気付いてくるはずです。それと同時に気を付けなくてはいけないのは、色々な先進諸国から技術や機材の提供がありますが、結果を出すだけで満足してしまうだけでは、その先に進むことが出来ません。出資する側も結果だけを出してくれれば良い、というお金の使い方をすることが多いようです。

山岡教授:結局、遺伝子の配列を読むだけで終わってしまって、その先を求められていないのです。外国からの依頼で調べるだけで終わってしまう。アフリカで流行っているウイルスについて調べて欲しい、といった依頼になってしまうわけです。独自の科学予算がほとんどゼロなのも、自分のオリジナルの研究を展開できない理由だと思います。5年や10年のプロジェクトでは、人材育成の問題はなかなか解決しません。日本と野口研の付き合いは40年ほどに及びますが、まだまだこれからですね。

井戸教授:かつての我々の祖先は、明治維新の時に欧米から知識を導入する際も自分のものにしよう、という意識を持っていたので現在に根付いています。維新以前からも独自の科学的なもの(考え方)を持っていました。スタート地点もスタンスも違ったわけです。アフリカを始めとした発展途上国とはそこが大きく違います。ただアフリカにも意識をしている人がいて、そのような人たちがどれだけ活躍できるかにかかっていると思います。

山岡教授:ガーナでの研究の話に戻しますが、生薬科学センターで植物から粗く抽出物を作ってから、野口研で病原体を使って抗病原体活性を調べ、活性成分を抽出して、抽出したものを培養実験で調べて、どんどん狭めていきます。すでにウイルスに有効なものが10サンプルほどの植物から見つかっています。

 HIVは人の体の中に潜伏してしまいます。遺伝子の中に入り込んでしまい、ウイルスを作らずに潜んでいるものがあります。このために今のエイズ治療薬は根治治療になりません。これはアフリカでも日本でも同じことです。ウイルスが細胞に入る時、または出る時を抑える事が現在の抗ウイルス薬の効き目です。しかしながらウイルスが遺伝子の中に潜んでしまうと、薬が効かなくなってしまいます。これが残っている事が非常に大きな問題で、薬でウイルスの量が抑えられていても、潜んでいるものが残っていると、何らかの原因で薬を飲めなかった時、潜んでいたウイルスが出てきます。ウイルスの複製が起こる時に変異が入って、薬剤耐性が出てきます。遺伝子の中にウイルスが残っていると、薬剤耐性の元になります。こういうウイルスを体内から全て追い出さないと、根治したということにはなりませんので、追い出すためにどうするか?という研究をしています。ただウイルスを追い出すだけだとウイルスの粒子が出てきて、他の細胞が感染してしまうので、それを抗ウイルス薬で守りつつ、潜んでいるウイルスを薬または免疫で退治して、潜んでいるウイルスを体の中から追い出すという戦略的な研究をしています。

 トリパノソーマに関しては、アフリカの赤道に近い場所でツエツエバエが媒介する、アフリカ睡眠病の原因です。Neglected Tropical Diseases つまり「顧みられない熱帯病」の一つで、家畜も感染します。病原体の増殖を抑える、薬用植物の成分を探しています。8サンプルくらいから候補が得られていて、その精製を進めています。5年間のプロジェクト期間ですので、最初は機材を導入して教育をする立ち上げから始まり、現在は最初のスクリーニングがやっと終わった所です。生薬科学センターで薬効成分を精製する機材を入れて、薬効成分の精製を行っています。あと2年半でどれくらいの事が出来るか分かりませんが、少なくとも薬用植物のこの部分に薬効成分がある、という所まで行くことが出来れば、現地での生薬の開発に貢献できる可能性があります。

 井戸教授:ちょうどJ-GRIDも2010年の4月から5年間の第2期に入り、SATREPSも2010年から5年間のプロジェクトで、期間が同じです。J-GRIDは来期も続ける議論をしている所です。日本からの援助や投資の関係で、一度プロジェクトが途絶えてしまうと次に立ち上げる事は大変です。独立してガーナの方々だけで動いてくれる事が本当のゴールだと思いますが、現実にはとても難しいことですし、海外拠点があるという事は人材育成という点において、ガーナ人の育成だけではなく、我々日本人にとっても大切な事です。感染症を研究している人が途絶えてしまったら、アウトブレークがあった際に対応できる人がいなくなってしまいます。若い世代の人たちに感染症研究をどのように行うか、国際的舞台で対応できる人材を育成する、という点を文部科学省も重要視しています。

太田教授と井戸特任教授
東京医科歯科大学のガーナ・野口記念医学研究所共同研究センターの責任者である、太田伸生教授(東京医科歯科大学大学院・医歯学総合研究科国際環境寄生虫病学分野)にもお会いし、ご挨拶をしました。
太田教授(左)と井戸特任教授(右)

参考リンク

ガーナ・野口記念医学研究所共同研究センターのサイト(東京医科歯科大学ホームページ内)
井戸教授らが執筆・編集しているニュースレターも同サイト内で公開されています。

野口英世記念医学研究所(ガーナ)の様子

野口英世記念医学研究所(ガーナ)の様子

野口英世記念医学研究所(ガーナ)の様子

野口英世記念医学研究所(ガーナ)の様子

編集後記

 発行から1周年を迎えられた、ガーナ大学・野口記念医学研究所共同研究センターのニュースレターですが、研究の専門的なお話から、ガーナでの生活の様子まで、いつも楽しみに拝読しています。井戸教授が青年海外協力隊のOBとお伺いして納得がいきました。

 野口英世博士の名前を冠した研究所で、今も日本とガーナが共同研究を行っていることは大変喜ばしく、日本人として誇らしいことです。

 研究を通じた、日本とアフリカのつながりが今後も末永く続く事を願います。