石破内閣府特命担当大臣閣議後会見要旨 平成27年6月9日
(平成27年6月9日(火) 8:56~9:15 於:合同庁舎8号館1階S106会見室)
1.質疑応答
まだ具体的なお話はございませんので、あまり踏み込んだことを申し上げるわけにはまいりません。
各報道機関の最新の世論調査の数字が出ております。安倍内閣の支持率ですけれども、前回調査より落ち込んでいるということに加えて、この安保法制の今国会成立の反対が増加しております。こうした世論を、大臣どのように受け止めていらっしゃるのかと、あとこの安保法制への理解が国民に広がっていかない理由としてはどのような理由が。
安保法制は所管外なので何とも言いようがないが、感想を申し上げれば、そもそも論みたいなお話で、まず審議がなかなか進まないもので、そういうお話をする機会がなかなかないのではないかなという感じがします。なぜこういうような法案を出すに至ったのか、ことが安全保障法制ですから、状況が今までとどのように変わったのかというお話を政府として一生懸命しているわけでございますが、これが目に見えない軍事の話なので、目に見えれば大変だということになるのですけれども、目に見えれば既に抑止力が効かないということ、効かなかったということを意味するわけで、ここは非常に難しいことです。まだ世の中が実際にそういうことが顕在化する前に、小泉さんがかつて備えあれば憂いなしということをおっしゃっておられましたが、どうやって御理解をいただくのかなということで政府は苦労しているということだと思います。
また、法的に申し上げれば、立憲主義に反するとか、今までの枠を踏み越えたものであるとか、そういうようなお話があるわけで、それに対してこの間も全国一斉街頭で幹事長が街頭に立たれましたが、政府として一生懸命御説明をしているわけで、やはりそういうことを丁寧にやっていかねばならないのではないか。そしてその集団的自衛権なるものが国連、ユナイテッド・ネーションズというものの中核概念の一つなわけであって、国連中心主義を外交の基本方針とする我が国が、その国連との整合性をどのように考えるべきなのか。集団的自衛権、ニアリーイコール、アメリカと組んで世界中あちこちへ行って戦争するというようなお話があるわけですが、集団的自衛権なるものがそもそも何で国連が創設されたときに、わざわざ南米の小さな国々の発議によって憲章に明文という形で盛り込まれたのか。加えて、今まで例えばアメリカのベトナム戦争であるとか、ソビエトのチェコスロバキアへの侵攻であるとか、これは集団的自衛権の使い方として正しくないというような国際法の見解、あるいはニカラグア判決等々もございますので、決して恣意的に用いられるものではないとか、聞いている人が、ああそうなんだと、どこか大国と組んで集団的自衛権の名を借りて、そういうようないわゆる侵攻的な軍事行動を行うものでは決してないのだと、それが国際的なコンセンサスとなっているのだということが、国民の方々が、ああそうなんだねというふうに思っていただけることが必要だと思います。何しろ今まで余り議論されてこなかった。私自身もこの問題に関わっていたときに集団的自衛権の話、聞いてくださいと言っても、いやそれだと視聴率が上がらないとか、はい、コマーシャルとか言われて、なかなかお話を聞いていただけるような状況にはなかったというのは、人のせいにするわけではなくて、私どもの発信の仕方、問題だと思っております。
関係する皆様方がそういうことで大変御努力なさっているわけで、それを更にみんなで重ねて努力をするということなのではないでしょうか。あくまで感想めいたお話で恐縮です。
BSでも御紹介をいただいているわけですが、もちろん著作権等々いろんな問題があろうかと思いますけれども、私この仕事やっていて思うのですけれども、こんないい例があるよねというのがなかなか横へ広がっていかないという、やや残念な思いを持っておりまして、ああそうなんだというようなことが広く横に広がっていくような努力はビジュアルな媒体というか、ビジュアルな成果物というか、そうしたものを使ってやっていきたいなというふうに思っております。
それから衆・参同時ではなくて参議院選挙単独でやったわけですが、もうほとんど泊まり込み状態で仕事はしておりました。その後、京都の補欠選挙という野中先生と谷垣先生が初めてお出になった選挙があり、9月にはロッキードの第一審判決があり、そして12月にはいわゆる世に言うロッキード選挙なるものがあり、ということで、昭和58年というのは本当にいろんな思い出が凝縮した時期だったと思います。
そして昭和59年になると、田中派内のいろんな問題があり、でもそのころはもう隣の新館に移っていたので、旧館に限って物事を申し上げれば、そういう参議院選挙があり、京都の補欠選挙があり、ロッキード判決があり、ロッキード選挙があり、そこでいろんなことが行われ、そこに田中派の百数十人の国会議員が集まり、そして時には田中元総理がお出ましになって、本当に印象に残るお話も何度もなさいました。ですからもう三十数年前の話ですけれども、あそこの体験がなければ今の自分というのはなかったのだなというふうに思って、非常にあの建物がなくなるということには寂寥感(せきりょうかん)というのを感じます。やはりあそこに立つと本当に時代がすごく戻ったような、そういう感じはいたします。非常に寂寥感(せきりょうかん)みたいなものがございます。
この地域地域の地方創生というのを見たときに、やはり「やねだん」もそうですし、あるいは「中村ブレイス」もそうですし、あるいは海士町もそうなのかもしれません。全国にそんなところあまたございますが、やはりその地で生まれ育った人がまだ若いうちから帰ってくる。そこでいろんな試みを行い、やがてそこの人たちの心を捉えて、その地域が創生していくというストーリーはかなり共通したところがあるなというふうに思っておりまして、地方に行くことをネガティブに考えるのではなくて、ポジティブに考えていくということは、やはり私どもとしてそういう例をいろいろと御紹介をしながらまさしく「そうだ、地方で暮らそう!」みたいな話で、それはやはり気づきということなのだと思います。だから地方に行くことが本当に人生の価値観として一つの選択としてあるんだよねということを広く知らしめる意味では、その阪神の方の例というのはとてもいいお話だなと思っております。
(以上)