中井内閣府特命担当大臣記者会見要旨 平成22年9月17日

(平成22年9月17日(金) 9:24~9:45  於:警察庁18階第4会議室)

1.発言要旨

 おはようございます。
 閣議が行われまして、二、三の案件を処理しました後、総理大臣からご発言がございました。
 政権交代から1年、菅内閣になって三月、代表選挙をやったことを機会に内閣改造、党人事等を手がけて411人全員で野球が行われる体制をとりたいと、こういう思いのもとに内閣改造を決意したと、皆さんにはいろいろとお世話になったが、これからもぜひご協力のほどをお願いすると、こういうご挨拶があり、官房長官から手元にある書類にサインをということで、全員サインをいたしました。また、花押にもそれぞれ書き入れをいたしまして、閣議を終えたところでございます。
 私は千葉さんにだけ、ご苦労さまでしたとお声がけをして、岡田さんには大役ご苦労さんだと、こういうことを申し上げて、こちらへ戻ってきたところでございます。
 ちょうど総理のお言葉にありましたように、1年と1日になりますか、会務官室で調べてもらいましたら、ちょうどそれで67人、国家公安委員長が今まで就任をされているようでありますが、ちょうど20番目ということになるようでございます。1年、長いようで短い期間でありましたけれども、国家公安委員会、また拉致、そして防災と、それぞれに難しい大事な役割を私なりに飛び回って働かせていただいたと、感謝を申し上げております。ご協力をいただいたそれぞれの役所の皆さんに感謝を申し上げ、またご支援、またご叱咤、ご激励を賜ったマスコミの皆さんにもこの機会にお礼を申し上げます。
 あとの人事のことは、たびたび聞かれますが、一切何も話はありません。
 以上です。

2.質疑応答

(問) 今日、たまたまですが、2002年の9月17日の日朝首脳会談から8年という日になるのですけれども、拉致問題の進展、日朝会談等がまだ難しいことについて、いろいろ大臣なりの思いもおありかと思うんですけれども、今日の日をどんなふうなお気持ちで迎えたでしょうか。
(答)8年間、家族の方々の過ごされたお気持ちを思うと、本当に政治の力の足りなさ、このことを改めて申しわけなく思います。
 私は就任してから1年間、過去7年間の空白を埋めるべく、情報収集等に全力を挙げてまいりましたし、黄長ヨプ氏や金賢姫氏を招くというなど、新しいステップも踏めたと考えております。
 こういうことを契機に、幾人かの方々のほぼ間違いない生存状況というものも確認がされつつあると考えています。こういうことを土台に、一日も早い被害者の方々の全員の帰国、これが実現できるように、民主党内閣として全力を挙げて取り組んでほしいものだと考えています。また、私もどういう立場になろうと、一生懸命お手伝いをさせていただこうと考えています。
 家族の方々がご高齢の方も多いわけですが、ぜひご健康に気をつけて、ご家族が戻ってこられることを励みに頑張ってほしいと祈っています。
(問)防災のことに関してお伺いしたいんですけれども、この1年間いろいろな制度改革に取り組まれたかと思いますけれども、ご自身の実績についてどのように思われているか、あと今後取り組むべき課題についてはどのようなものがあるか、お伺いできればと思います。
(答)防災に関しては1月からでございますから、比較的短い期間でございました。集中豪雨等の引き続く中で、なかなか毎日油断のできない緊張した日々を過ごさせていただいたのは、私にとりましても大変大きな経験であったと、このように感じています。
 そういう中で、従来の災害復旧における政府の国としての被害者に対する或いは被害を被った地域や地方自治体に対する援助のあり方が、随分古びて現状にうまく合わない状況になってきていると考えています。したがって、地方自治体は小さな災害、大きな災害になったら国がお手伝いするという発想じゃなしに、災害が起きたら、被害が出たら、国と地方自治体が一体となって、被害者の方々を再起或いは地方の復興、こういったことにお手伝いできるような方策、対応を早く作るべきだと、このことを考えています。
 細かくは宮城或いは岩手の津波による水産養殖施設の被害、これに対する激甚、或いはこの間の災害で家が倒壊、全壊された家に対するご援助、新しい方策でお手伝いが出来たと考えています。今回またそれらの地域の公共土木に関しての局激指定ということに関して、ほぼ方向が改められる、こういうことでスタートいたしましたから、そういう意味では災害復旧ということに関しては、一区切りの時代を私自身で作ってきたと、密かに思って自負しております。ただ、三連動をはじめ、予想される大災害についての国全体としての減災・防災の心構え或いは危機管理のあり方、こういったことについては方向転換を命じただけで、具体的にまだ実施されていない、或いは確立されていない、このことは随分心残りなものがあります。引き続いて油断無く、こういう予想される大災害に対して十分な備えがある国、或いは地域、こういったものを作ってほしいものだと考えてます。
(問)党のほうでは、大臣と同じ三重県出身の岡田さんが幹事長になられましたけれども、代表経験、幹事長経験それぞれある岡田さんの手腕に期待するところをお聞かせください。
(答)彼は選挙基盤も財政基盤も恵まれた、恵まれたという言い方は余り彼は気に入らないかもしれませんが、自分で努力して何の心配もない状況をつくり上げて政治活動をしています。そういう意味では、後顧の憂いなしということがありますが、三重県連のバックアップ等を含めて、岡田さんが将来日本を背負っていくために大きく成長する大事な役割を果たしてくれる。また、この役割を果たすことによって、一層幅広がった大きな政治家として成長することを郷里の一因として祈ってやみません。そのためには、今の経験を生かして、少しでもお手伝いをしてあげたいと率直に思っています。彼は言うことははっきり言いますが、私心のない、そして真っすぐ見つめてひたすら歩む、そういう男でありますから、これを貫いて頑張ってほしい、このことを思っています。
(問)国家公安委員長として1年間振り返られて、死因究明とか、取調べ高度化に取り組まれたんですが、そのあたりについてお聞かせください。
(答)死因究明は昨日の会議から厚労省と文科省の課長が勉強会に参加をする。いよいよ体制をどうするか、制度設計に本格的にお入りいただいたと聞いております。
 捜査の高度化、近代化のほうの勉強会につきましては、この10月にオーストラリアから全面可視化をやっている立場の法務省としての捜査についての思い、あるいは可視化のプラスマイナス、これらについて話をいただくというところまで来ています。この間、鈴木宗男さんの事件、そしてまた過般の厚労省の局長の村木さんの事件等がありました。これらの経緯等も十分検証しながら、この可視化に向かって新しい捜査のあり方どうすべきか、十分なご議論をあと1年余りやっていただきたいものだと、こう考えております。
 公安委員会については、お二人の公安委員を私自身の考えで政府、国会で任命をしていただくということになって、働いていただいております。こういうやり方に対して協力をいただいた警察庁の皆さん方にお礼を申し上げなければならない、こう考えておりますし、こういう新しい風が公安委員会や警察全体にとって、大いなるプラスになることを祈ってやみません。
(問)警察庁に対して、委員長に就任する前の印象とで何か変わったことはなかったのかというのと、今の立場から公安委員に注文はありますか。
(答)警察庁の方々に対してというか、警察組織全体にとって、組織に入っておつき合いをしてみて、想像していた以上にまじめにやっていただいている。また、同時に権威主義的なところが従来に比べるとうんと減って、非常に腰も低くなって、国民にとっても受け入れやすい警察というイメージづくりに大いに役立っているということを感じています。
 ただ、都道府県警察という組織の中で警察庁が直接捜査をするわけではありませんから、この多発する多様な各種犯罪に対して、全面的に対応をできるという人的な制限や、あるいは物的な制限やらが多々あって、なかなかうまくいかない。これを国民のご協力をいただいて、何とか治安の維持に努めていると、ここを後任の方が来られてどう判断されるかということを含めて、頑張っていただきたい、このように思っています。
 犯罪が多い、人が足りないということをエクスキューズにせずに、全力を挙げて国民の体感治安、これが向上するように頑張ってほしいと思っています。
(問)拉致のことでもう一つお伺いしいのですが、この8年間、大臣が来られるまでの7年間を空白というふうに表現を使っておられましたけれども、安倍政権以降、しょっちゅう政権がかわって、安定しないという状態がずっと続いてきた中で、ようやく衆議院選挙の大勝で、民意をバックにした政権ができた。しかし、これが9ヶ月であのようなことになった。拉致をご担当される職員、捜査機関だけの努力ではいかんともしがたいような国の形がこの間続いてきたかのように思えるんですけれども、そういったことも踏まえて、新しい政権、拉致問題で北朝鮮を交渉に引きずり出せるような重みのある政権ができるかどうかという点でどのようにお考えですか。
(答)北朝鮮が日本をどう見ているかは、私もよくわかりません。ただ、北朝鮮自体が労働党の大会も今月半ばまでに開くと言っておったにもかかわらず、開けなかったり、なかなか読みにくい。したがって、本当に日本の拉致問題に対応できるだけの余裕というか、時間的な割り振りというものがあるのかどうかと思っています。しかし、国内的に言えば、どういう交渉になり、どういう話し合いをするにしろ、やはり日本独自のこの生存者の確認やどれぐらいの人が拉致されたんだという認識、あるいは確たる証拠がなければ、僕は交渉のときにものを言えないだろうと思って、今日までやってまいりました。
 先週、岡田さんには粗々こういう状況にあると、万々一6者協議が始まるならば、こういうことを前提に、その中での日朝交渉というものをぜひ考えてくれという話はしてございます。どなたが来られても、迷わずこの後の情報収集が進んでいくように、あるいはまたデータ等、共有できるように準備はしてありますし、幾つかの手を打っておりますので、これらをうまくたぐり寄せていただければ、今までと違った動きにつながってくるんじゃないかと考えています。しかし、自分のこの1年でできなかったということについては、本当に申しわけなくも思っています。

(以上)