文・漆原次郎

すずき・かずお
1944年(昭和19年)9月15日生まれ。いろいろな木に付く菌が、木の健康や病気にどう影響(えいきょう)しているか、そのしくみを調べてきた。病気になった木から健康を取り戻す「樹木医(じゅもくい)」の制度(せいど)づくりにも取り組んだ。いまは、森林総合研究所(しんりんそうごうけんきゅうじょ)の理事長(りじちょう)として、科学も文化も含めた幅の広い目で、森林の利用のしかたなど人間と森林の関係のあり方を考えている。
人は、健康に暮らしたり、病気にかかったりする。でも、これは人だけでなく、森林や街の中の木々にもいえることだ。木は病気になると枯れてしまう。
このとき、木とそのまわりには、いったいどのようなしくみが働いているのだろうか。鈴木和夫さんは、複雑な“木の生(い)き様(ざま)”に目を向け、木を病気から守り、木の健康のための方法を研究してきた。
「とにかく体を動かすことが好きだったんです」。鈴木さんは子ども時代を、そうふりかえる。通っていた東京の小学校では、ひとつの教室をふたつのクラスが時間を分けて使っていた。授業以外の時間は、外で友だちと野球をしたり、相撲をとったりして過ごした。
鈴木さんにとって、引(ひ)っ越(こ)しや転校もごく当たり前のことだった。銀行員だったお父さんの仕事の関係で、東京、金沢、東京、松山、また東京へと移り住む。「行く先々で見ること、知ることが楽しみでした」。
中学生以降も、マラソン、バスケットボール、山歩きと、いろいろな運動をした。大学に入って生物の勉強をしようと考えたのも、生物学には体を動かすことのできる分野があったからだ。「森林のことを勉強するのが自分には向いているな」と思い、農学部に進学した。
「いまでも私は、研究者は体力が勝負だと思っているんです。いろいろなことに挑戦(ちょうせん)して、新しい一歩をふみ出すには、体も心も強くなければなりません」
鈴木さんは、健康的に体を動かすことが好きだったのとともに、森や林の木々の健康や病気に興味をもつようにもなった。ふだん、木々は太陽の光を葉っぱで受けとめることで健康を保っている。しかし、私たちが体をこわして病気にかかるのと同じように、木々も病気になってやがては枯れてしまう。病気になるしくみも人と似ていて、栄養が足りなかったり、菌にやられてしまったりすると木も元気がなくなってしまうのだ。
大学生のとき、鈴木さんはポプラという木が、さび菌という菌にりつかれたとき、どのように病気になっていくかを研究した。様々な植物は、さび菌にとりつかれてしまうと、葉っぱの栄養(えいよう)をとられて、しまいには枯れてしまう。いっぽう、さび菌にしてみれば、自分が生きのびるための栄養を得るには、植物にとりつくことが必要だ。「相手が元気だと自分も元気になり、相手が死んでしまうと自分も死んでしまう。このポプラとさび菌の関わり合いかたに興味がありました」。
この研究では、ポプラに栄養をたくさん与えすぎるとさび菌にとりつかれやすくなることがわかった。たんにさび菌が多いからポプラが病気になるのではなく、ポプラのおかれた環境(かんきょう)が健康や病気に関わってくるのだ。
1974年(昭和49年)、東京大学の大学院を修了(しゅうりょう)すると、鈴木さんは農林省(のうりんしょう)(いまの農林水産省(のうりんすいさんしょう))の林業試験場(りんぎょうしけんじょう)で研究の仕事をすることになった。
このころ、日本の山々で問題になり始めていたことがある。「マツ枯(が)れ」だ。マツの木も生きるためには水が必要だが、この病気になると水を通す管が詰まり、木が枯れてしまう。管の詰(つ)まりを引き起こしているのはマツノザイセンチュウという細くて小さな生き物だ。マツの木に卵を産むカミキリムシの体に付いていて、マツの木の中に入ると水を通らなくさせる。
「鈴木さんは体力がありそうだから、枯れたマツの木を運べるでしょう」と林業試験場の職員(しょくいん)たちに頼られ、九州の山に入っていった。ここで鈴木さんが気づいたのは、マツの木にもすぐに枯れてしまうものとそうでないものがあるということだ。年によってもマツの木々の枯れ方の速さがちがってくる。
「ポプラの木は、菌とは別に、おかれた環境が健康や病気に関わる。マツの木も、マツノザイセンチュウとは別に、枯れやすくなる理由があるのではないか」と鈴木さんは考え、その理由を探った。その結果、“水が不足する”というストレスが加わると、マツ枯れが一気に進んでしまうことがわかった。「マツ枯れは感染(かんせん)する病気。見つけたらすぐに手当てしてあげなければなりません。昔は、枯れたマツの木を薪(たきぎ)に使っていましたが、いまはわざわざ取りに行かなくなりました。これもマツ枯れが広まった理由のひとつになっています」。

林業試験場で9年間の仕事をしたあと、鈴木さんは1983年(昭和58年)東京大学に戻り、森林植物学研究室で教育と研究をすることになった。ひきつづきマツ枯れの研究を進めるとともに、もうひとつ、ナラタケというきのこについての研究も始めた。
菌というと目に見えない小さなものを思い浮かべがちだが、じつはきのこも菌の種類のひとつだ。ナラタケは世界で広く見られるきのこで、日本の北国では「ぼりぼり」などとよばれ、みそ汁(しる)や鍋(なべ)の材料にも使われている。しかし、カラマツやヒノキといった木々にとってナラタケは病気のもとになる。木の根にとりついて、木を枯らせるのだ。
ナラタケは、菌のうちでも謎(なぞ)の多いものだった。枯れた木から栄養を得ることもあれば、弱った木を枯らすこともある。また、木といっしょに生活することもあり、いろいろな顔をもっている。日本のナラタケは1種類といわれていたが、かたちや特徴(とくちょう)はいろいろと見られた。そこで、鈴木さんは、アメリカやヨーロッパのナラタケと日本のナラタケを次々と引き合わせたらどんなナラタケが生まれるかを調べて、日本のナラタケの正体を探っていった。その結果、日本のナラタケは10種類に分けられることが明らかになった。「カラマツやヒノキとナラタケの間でくり広げられる生き様にも興味がわきました」と、鈴木さんは話す。
木を病気にさせる菌があるいっぽう、木にとっていてくれるとありがたい菌もある。木の根っこに寄りそって、木に栄養をあたえたり、根もとで酸性雨などの被害から木を守ったりする役割を果たす。そして、菌も自分にとって大切な栄養を木からもらっている。
マツとマツタケの関係は、その代表的なものだ。マツタケは自分たちが生きるためのもとになる栄養をマツからあたえてもらい、逆にマツもよく育つための養分をマツタケから受けている。おたがいが、もちつもたれつで生きているわけだ。
鈴木さんは、「マツを病気にさせない」という考え方とは別に、マツタケがマツを元気にする力に目を付けて、「マツを健康にする」という考え方からも日本のマツの木を守ろうとしている。マツタケはおいしくて値段も高いので、育ち方や育て方がわかれば人々にとってもよろこびは大きい。
鈴木さんは、日本のマツタケは中国やヨーロッパにも同じ種類があることや、マツタケが増える環境を実験室内でつくる方法を研究で見いだした。

人の病気を治すのはお医者さんだ。同じように、病気になった木を治すお医者さんがいる。「樹木医」とよばれる人たちだ。鈴木さんは、木のお医者さんが社会でより認められるように、樹木医の資格(しかく)を設(もう)ける取り組みをした。
なぜ、一本の木を守ることが大切なのだろうか。鈴木さんは、木が人を育ててくれるからだと考える。
「木には人間の文化との深いつながりがあります。例えば、神社の境内(けいだい)には人よりも長いあいだ、その地域を見守ってきた“鎮守(ちんじゅ)の杜(もり)”があります。一本の木を大事にすることから、人の木に対する関心は高まり、人の心が育っていくのではないでしょうか。人は、本当は木の面倒(めんどう)を見ているのでなく、むしろ木に見守られているのではないでしょうか」
街の中の木々とともに、日本にはたくさんの森林がある。日本はみどりに包まれた国といってもよいだろう。鈴木さんは、このみどりの森林から人が学ぶことはたくさんあると考えている。
「世の中のありとあらゆるものを指す言葉に『森羅万象(しんらばんしょう)』がありますが、ここに『森』という字が使われています。複雑(ふくざつ)で、時間や空間の感覚もちがう森に入ってみればきっと何かが得られます。それが何であるかわかるまで時間が掛かるかもしれません」
鈴木さんは、人が学べるみどりをこれからも守っていきたいと考えている。
