読本 杉浦 昌弘二

読本「命のみなもと」

文・漆原次郎

杉浦 昌弘

杉浦氏の写真
 すぎうら・まさひろ

 昭和11年(1936年)9月25日生まれ。留学先のアメリカ、広島大学、京都大学、国立遺伝学研究所、名古屋大学などで、生命のしくみを設計図(遺伝子)から探る研究をしてきた。いまは、名古屋大学の名誉教授、名古屋市立大学の名誉教授、椙山女学園の客員研究員として、植物のみどりがもっている自然の力を人間のくらしにいかすための研究をつづけている。

 木かげから空を見上げると、日の光で明るくなった葉っぱが目に入ってくる。自然のみどりは、見ているだけでも心を気もちよくさせてくれる。でも、みどりから受ける自然のめぐみはそれだけではない。その色は、私たちに生きる力をあたえてくれる、命のみなもとの色でもあるのだ。
 杉浦昌弘さんは、草木のみどりの色のもとであり、栄養や酸素を生みだしてくれる「葉緑体」のつくりを、生き物のとても小さな「設計図」を読むことで調べた。

親友との出会い


昭和40年(1965年)ごろアメリカ、カリフォルニアの海辺で
利根川進さん(右)と

 杉浦さんは、おさないころを戦争の中ですごした。食べるものが少なく、生活は苦しかった。戦争が終わると、それまで住んでいた愛知県の海沿いにある蒲郡市から、父の故郷の豊坂村(いまの額田郡幸田町)に引っこしをした。いも、むぎ、野菜、くだもの。畑でいろいろな作物を育てた。食べていくために。
 中学1年生のときに、湯川秀樹博士が日本人ではじめてノーベル賞をとったという知らせを聞き、「ぼくも科学者になりたい」と強く思うようになった。生まれ故郷の岡崎市まで出かけ、機械の部品を買ってラジオを作ったり、村の農協の図書室でエジソンや野口英世などの伝記をたくさん読んだりもした。理科の科目が好きだった杉浦さんは、大学に入学して植物の勉強をはじめた。
 大学院生のときのことだ。杉浦さんが留学をしていたアメリカのカリフォルニア大学の研究室に、一人の若い日本人がほかの研究室から移ってきた。おたがいにまだ独身どうし。すぐに気もちの通じる友になり、いっしょに食事をしたり車で海へ山へと出かけたりした。彼の名は利根川進さん。のちにノーベル賞をもらう、生物学の科学者だ。
 科学の研究でも、杉浦さんと利根川さんはおたがいを支えあう仲間どうし。昭和51年(1976 年)に、スイス、バーゼルの研究所にいた利根川さんから「マサヒロ、おれの研究のために、おまえのもっている知識や技術をかしてほしいんだ」と言われ、杉浦さんは、利根川さんの研究室をたずねていった。
 バーゼルの研究所や大学には、世界のすぐれた生物学の科学者が集まっていた。杉浦さんは、世界でいちばん進んでいた研究の話を科学者たち自身から聞いた。まだ日本で知られていなかった技術を教わった。ここでは、利根川さんを含めた科学者たちが、本当にはげしく研究を競いあっている。わずか3か月だったが、杉浦さ んにとっては心を大きく動かされる経験になった。まだ世界でだれもしていないような新しい研究をはじめよう。心の中でそう決めていた。
 杉浦さんも利根川さんはいまでも、おたがいに親しみをこめて「おまえは、人生最大の悪友だ」と言いあえる仲だ。けれども、杉浦さんは「利根川さんがいなかったら、科学者としてのいまの私の姿はなかった」とも思っている。

「命のみなもと」と「生き物の設計図」

 日本に戻ると、杉浦さんは「タバコの葉っぱの葉緑体のつくりを、遺伝子の大きさから調べてみよう」と考えた。
 葉緑体は、葉っぱなどの色をみどりにしているもとであり、自然の中で、私たち動物にはまねすることのできない働きをしている。太陽の光を受けた葉緑体は、私たちが息をはいたりエネルギーを使ったりしたときに出される二酸化炭素というガスを吸いこみ、根から吸った水と合わせて、私たちの栄養のもとを作りだしてくれる。さらに、そのはたらきの中で、酸素も作りだしてくれる。栄養も酸素も、私たちが生きていくために、なくてはならないもの。それを作りだしてくれる葉緑体は、私たちの命のみなもとといってもよいだろう。
 むかしから、木や草の葉っぱには葉緑体があることがわかっていた。けれども、その葉緑体のつくりを遺伝子というとても小さな部分から調べることは、世界の科学者たちもあまりやっていなかった。
 遺伝子は、すべての生き物がもっている、自分の姿やかたちなどを決める設計図のようなものだ。生き物の体をつくっているたくさんの細胞の中に、遺伝子はある。
タンポポの種からタンポポが育つのも、カエルの子がカエルになるのも、親から子へと遺伝子が受けつがれるためだ。私たちの顔が、お父さんやお母さんの顔に似るのも遺伝子のせいだろう。草木の葉緑体ひとつひとつにも、遺伝子がある。


昭和61年(1986年)8月
ベルリンの学会で、タバコの葉緑体の遺伝子のしくみを読み終えたことを発表した

 杉浦さんは葉緑体の遺伝子と、その遺伝子のまわりの部分のつくりをすべて知りつくそうと決めた。だれもやったことのない研究の道だから、自分で切りひらいていくしかない。設計図読みとるための道具がなかったので、自分の手で作った。くる日もくる日も同じような作業をくりかえし、 設計図の中のわからない部分を少しずつへらしていった。
 そして研究をはじめてから10年後の昭和61年(1986年)に、杉浦さんはついにタバコの葉緑体の遺伝子のつくりをすべて明らかにした。世界中の科学者たちから、お祝いの言葉をもらった。

共に生きる

 なぜ、草木のみどりは、葉緑体というしくみをもっているのだろう。人間が生ま れるよりもずっと前、恐竜さえ生まれているかいないかという大昔の地球で、こんな「事件」があったといわれている。
 いま私たちが目にしている草木のご先祖さまの細胞の中に、「ラン藻」というとても小さな生き物が入りこんだというのだ。ラン藻は、葉緑体がしているような、お日さまの光を(いまの私たちにとっての)栄養に変えるおこないを、地球のどの生き物よりも先に始めていたといわれている。
 草木のご先祖さまは、自分の体の中に入ってきたラン藻を受け入れた。どうやらこの「事件」が、草木が葉緑体というしくみをもつようになったきっかけらしい。
 杉浦さんは、葉緑体の遺伝子のつくりとラン藻の遺伝子のつくりを比べてみた。すると、このふたつはよく似ていることがわかった。葉緑体とラン藻の遺伝子、つまり設計図がおたがいに似ているということは、もともと葉緑体はラン藻だったということの証拠になる。
 草木のご先祖さまとラン藻がそうだったように、ふたつの生き物が関わりあいをもちながら共に生きている姿は「共生」とよばれ、自然の世界のあちらこちらで見ることができる。たとえば、海の中で生きるイソギンチャクはヤドカリのからに付いて、遠いところまで旅をさせてもらう。いっぽうのヤドカリは、ほかの動物に食べられないように、イソギンチャクに身を守ってもらうのだ。また、人間の体の中にいる小さな菌は、人間から栄養をもらって生きている。いっぽうの人間は、その菌に食べ物を消化してもらっている。

だれもやらないことに挑戦してほしい

 植物は動物が必要とする酸素を作りだし、いっぽう、動物は植物が必要とする二酸化炭素を出している。この関係もまた、大きな共生といえるのかもしれない。私たちは、植物の支えがなくては生きていけないのだ。
 杉浦さんはその後、イネなどのほかの植物でも葉緑体のつくりを明らかにした。また、葉緑体の遺伝子が、その役割を果たすまでの道すじも調べた。いまは葉緑体のもっている力を使って、健康のための新しい薬を作ったり、空気をきれいにしたりといった、私たちがよく生きるための方法を見つける研究を進めている。
 杉浦さんが葉緑体のしくみをはじめて明らかにしてから、20年以上がたった。杉浦さんの研究をきっかけのひとつとして生物学の研究は広がりを見せ、いまでは、どうしたら植物の実をたくさんならすことができるか、なぜ私たちは病気にかかるのか、地球が生まれてから生き物はどのように歩みつづけてきたのか、といったことが少しずつ明らかになってきている。杉浦さんの研究のあとを追いかけるように、若い科学者たちがいま、それぞれの研究を進めている。
 けれども杉浦さんはこうも考える。だれかがやったことの後を追いかけるのも大切かもしれないが、だれもやらなかったようなことに挑戦することは、もっと大事なことなのではないか。若い人には、自分が「おもしろい」と思うことを、しかもだれもそのおもしろさに気がついていないようなことを、苦労してでも見つけてほしい―。
 これまで出会ってきた人々に支えられながら、杉浦さんは研究を続けてきた。それとおなじように、「つねにだれもやっていないようなことをしていきたい」という杉浦さんの心も、人々を支えつづけてきた。人間どうしもまた、共生をしあいながら、ともに歩みつづけていく。

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