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小さな町から写真文化を全国へ発信! - 約40年ぶりに人口8,000人を突破した北海道 東川町

東川町役場にある町の形を模った石碑。右上の三角形は、町のシンボル、旭岳を表している。
庁舎のシンボルに、「写真の町」を宣言。
高校生の写真大会「写真甲子園」には、毎年全国から500校以上が参加する。

特徴

北海道のほぼ中央に位置する東川町
  • 1985年に世界初となる「写真の町」を宣言
  • 町が主催する「写真甲子園」には全国から高校写真部が集結する
  • イベントをきっかけに東川町に魅せられた若者が移住を決意
  • 2014年には42年ぶりに人口8,000人を突破
  • 世界に向け、「写真文化首都」を宣言
  • 日本初となる町立の日本語学校を設立し、国際交流に力を入れる
「写真の町」の取り組みや、これからの地域活性化に向けての抱負を熱く語る、松岡市郎町長。

3つの「道」がない町が挑む「写真の町」づくり

旭岳を中心とした大雪山を見渡す豊かな自然に囲まれた町、東川町。この町には、3つの「道」がない。国道、鉄道、そして、上水道がないのだ。大雪山の雪解け水のおかげで、上水道普及率が0%という全国的にも珍しい地域である。そんな大地の恩恵を受けている東川町は、他の地域のような長い歴史や、誇れるような遺産がないため、その地域の自然を活かしながら、独自の伝統を育てようと役場と町民のアイデアで考え出されたのが、世界初となる「写真の町」づくりだ。「町民が参加し、後世に残し得る町づくり」として、「自然」や「文化」そして「人と人との出会い」を大切に、「写真写りの良い町づくり」を進めている。「この町には3つの『道』はありませんが、都府県には無い『道』、北海道があります。その中心に位置する東川町から、世界へ向けて写真文化を発信しています。」松岡町長は自信たっぷりに語った。

東川町のマンホールには、多くのカメラマンや観光客を惹きつける大雪山、そして「写真の町」ならではのカメラのイラストが。

野球じゃなくてカメラで勝負!全国の高校生写真家が集結する「写真甲子園」

「写真の町」を宣言して、1994年から始まったのが「写真甲子園」である。甲子園と言っても、彼らが持つのはグローブやバットではなく、カメラだ。全国から集った高校生たちが東川町を舞台に、3人1チームとなって、複数の写真で一つのメッセージを作り、競い合う。その白熱した戦いぶりは、高校野球にも匹敵するほど。この新しいタイプの写真大会は、町民にも分かりやすく「写真の町」として受け入れられるようになった。さらに、この大会で東川町に訪れた全国の高校生や先生たちが、ホームステイや、炊き出しなどで、町民と触れ合うことにより、町が一気に活気づいた。

また、「写真の町宣言」以降、毎年夏に行われている「国際写真フェスティバル」にも注目だ。「写真の町」の一年間の集大成と翌年への新しい出発のための祭典で、全国から訪れる人々に幅広いプログラムで写真文化の魅力を伝えている。

これらのイベントが成功している理由は、地方自治体との関係性だ。施設を「提供している」、「されている」というドライな関係ではなく、役場は主体となって、企業への協賛を募り、住民はボランティアとして参加するなど、それぞれが一体となって活動を行う。まさに、地域が一丸となってイベントを盛り上げようとしているのだ。

全国から集まった高校生たちが東川町の大自然を舞台に、シャッターを切る。
北海道全体は95年ごろをピークに人口は減少しているが、「写真の町」などの取り組みによって東川町の人口は同時期をボトムとして増加傾向にある。

町の活性化の鍵は職員の熱い想い~町づくりにおいて大切な「職員の積極性」と「情報発信」~

「写真の町」の取り組みは当初、札幌にある企画会社が中心で進められていたのだが、開始から20年たった時に、その会社が突然倒産してしまう。しかし、それが職員たちの積極性を生み出すきっかけとなった。「企画会社の下請けじゃダメなんです。職員一人ひとりが自主的に動かなければ、良い町づくりはできません。」と松岡町長は熱く語る。小さいところに凝り固まってしまいがちな公務員だが、東川町の職員は活発だ。写真の取り組みのおかげで、民間の企業や外国の方々と接したり、海外研修を行ったりするなど、視野を広げるようになった。職員が様々な刺激を受けながら取り組むことが、良い町づくりに繋がっているのだ。

自ら率先して動く松岡町長は、地域外への情報発信も欠かさない。町の魅力をメールマガジンで配信しており、その登録者数はなんと8,000人以上だ。また、名刺交換した際には、必ず相手にメールを送る。名刺交換しただけでは、相手の顔を覚えにくいものだが、メールにお互いしか知らない内容を入れて送ることで、相手にも覚えてもらえるという考えだ。その他にも、東川町でとれた米を缶に詰めた「米缶」を町のパンフレットと一緒に渡すことで、地域のPRに役立てている。

右:町長を囲む職員。自ら地元の工芸品を持ち寄り記念撮影。職員も積極性に溢れ、自信のある笑顔から熱意が伝わってくる。
左:お土産でも人気の「米缶」

きっかけは「写真甲子園」~大阪から東川町に移住した吉里さん~

吉里さんは、高校生の時に近畿代表として「写真甲子園」に出場。当時、優秀賞を受賞したほどの腕前だ。

「出身は大阪だけど、心のふるさとは東川町です!」そう語るのは、学芸員の吉里演子さんだ。

彼女は、「写真甲子園」がきっかけで、東川町に住むことを決意した。

「高校生の頃は選手として出場していましたが、卒業後、ボランティアとしても参加する中で、運営する職員の方の仕事に憧れを抱くようになりました。地域住民の方もみんな温かく、夕飯をご馳走になることもありました。」と当時の思い出を語る。

現在、吉里さんは文化ギャラリーで勤務する傍ら、カナダへの職員語学研修にも参加。そのおかげで「国際写真フェスティバル」のような外国人が多く訪れるイベントでは積極的にコミュニケーションを取れるようになったという。

これからより町の魅力をアピールしていくためにも、吉里さんのように、文化に高い関心を持ち、地域内外へ情報発信していけるような人材を東川町では求めている。

写真だけじゃない! ~地方創生に向けたその他の取り組み~

約30年間、写真文化事業を積極的に情報発信してきたことが実を結び、東川町は「写真の町」として徐々に認知されるようになり、昨年は約38,000人もの観光客が町を訪れた。「写真甲子園」の知名度も全国的に広がり、現在この大会を題材とした映画の製作も進んでいる。

しかし、東川町の取り組みはそれだけではない。平成15年に地域合併の議論があった際、合併を避けるために始まった「ひがしかわ株主制度」もユニークな施策の一つだ。これは、東川町を応援しようとする人が町へ投資(寄付)をすることで株主となり、町づくりに参加できる制度である。株主になると、株主証が発行され、町を訪れた際に提示することで様々な施設で割引などのサービスを受けられたり、植樹を行う森づくりの事業に参加ができたりするなど、特典が満載だ。この一方通行ではない取り組みが高く評価され、現在では、町外の株主が5,000人、関東だけでも1,600人近くいるのだ。

また、東川町には、日本初となる町立の日本語学校があり、様々な国籍の方が、日本語を学ぶために来日している。彼らが日本で就労できるだけでなく、人材不足の介護職員としても働くことができるように、町内の福祉専門学校との連携も考えている。また、東川町の子供たちが、日本語学校の生徒と交流することによって、刺激を受ける機会も生まれた。「これからは、世界で活躍できるような逞しい子供たちを育成したい。」そう語る松岡町長の目は既に遠くを見据えている。

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